杉浦大輔

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杉浦 大輔 Football pictogram.svg
名前
カタカナ スギウラ ダイスケ
ラテン文字 SUGIURA Daisuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-05-11) 1974年5月11日(44歳)
出身地 埼玉県北足立郡伊奈町
選手情報
ポジション DFMF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

杉浦 大輔(すぎうら だいすけ、1974年5月11日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。欧州サッカー連盟 (UEFA) 公認B級コーチライセンス取得。現役時代はストッパーやリベロでプレーした[1]

経歴[編集]

伊奈サッカー少年団時代、第10回全日本少年サッカー大会に出場しグループリーグで敗退。伊奈町立南中学校時代にはサッカー部キャプテンとして、1989年の埼玉県学徒総合体育大会でチームを県ベスト8へ導く。その時のポジションはセンターハーフ。

埼玉県立伊奈学園総合高校時代の1992年にはインターハイ出場[1]三浦淳宏擁する長崎県立国見高等学校に敗れている[2]。また、1992年第47回国民体育大会に出場し4位。この時のポジションはDFもしくはMF。

東洋大学卒業後、ドイツへ留学[1][2]。語学学校へ通いながら、ドイツ4部、5部リーグのいくつかのクラブに所属し、選手としてプレーしていた[1][2]。3年目からは並行してケルン体育大学でスポーツ経営学とコーチング学を学び、修士課程にまで進んだ[1][2]

2006年6月、サンフレッチェ広島織田秀和強化部長の通訳としてミハイロ・ペトロヴィッチとの監督契約交渉の場に出席する[2]。これが縁でケルン体育大学を休学して日本に帰国し、ペトロヴィッチ監督やランコ・ポポヴィッチコーチの通訳に就任した[2]

通訳ではあるが、サッカー選手としての海外経験があること、コーチングを学んでいることなどから、就任当初から練習の補充メンバーや選手の相談役などを積極的に務め、実質的にはコーチとして働いていた[1]。2009年にケルン体育大学を中退し正式にコーチ兼任となった[1]。通訳からのコーチ就任は球団初である[1]。この際ペトロヴィッチ監督から「本当は選手として契約したかったほどだ」とジョーク混じりに賞賛されている。

2012年、ペトロヴィッチの浦和レッズ監督就任に伴い、自身としては地元でもある浦和へ通訳兼コーチとして移籍した[3]

2017年、ペトロヴイッチの浦和レッズ監督解任に伴い、通訳兼コーチを解任された[4]

2018年01月10日、ペトロヴィッチが北海道コンサドーレ札幌の監督に就任したことに伴い、ペトロヴィッチの通訳兼コーチとして契約。

指導歴[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 中国新聞2009年1月29日付
  2. ^ a b c d e f 紫熊倶楽部2007年2月
  3. ^ 2012シーズンのトップチーム体制について”. 浦和レッズ (2012年1月17日). 2012年1月17日閲覧。
  4. ^ ミハイロ ペトロヴィッチ監督との契約解除について”. 浦和レッズ (2017年7月30日). 2017年7月30日閲覧。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]