明光セレクト

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明光セレクト株式会社
Meiko Select Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
161-0034
東京都新宿区上落合2丁目13番18号
設立 1961年3月1日
業種 サービス業
法人番号 9011101020910 ウィキデータを編集
事業内容 映画製作配給
映画・テレビ特殊機械賃貸操演
代表者 代表取締役社長 津谷智太良
資本金 1,000万円
関係する人物 津谷明治
佐生正三郎
戸井孝友
高久誠司
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明光セレクト株式会社(めいこうセレクト)は、日本の映画製作配給会社映画テレビ特殊機械賃貸操演を行う会社である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]。1961年(昭和36年)3月1日、初代社長・津谷明治が東京都新宿区に設立した[1][2][3][4][5]日本アド・コンテンツ制作社連盟賛助会員[10]。1960年代後半には、かつて黒澤明のプロデューサーであった本木荘二郎の監督作を中心に配給したことで知られる[6][8][7]野猿(1998年 - 2001年)の活動期には、メンバー高久誠司の所属会社としても知られた。

沿革[編集]

概要[編集]

1961年(昭和36年)3月1日、初代社長・津谷明治が東京都新宿区荒木町7番地に設立した[1][2][3][4][5]。当時の資本金は250万円、当時の同社の取締役には、新東宝初代社長の佐生正三郎が在任していたほか、取締役に関義一、同映画部長に堀口隆三、同企画室長に戸井孝友、同広報担当に黒田一雄、映画課長に村山久雄が在任していた[1][2]

記録にみる設立第1作は、1965年(昭和40年)9月に公開された『火遊び』(監督大野裕司)、『素肌の叫び』(監督星谷雅人)、『裸女山脈』(監督川合茂貴)の3作である[8][7][11]。いずれもそれぞれ、祖父江羊己の中映プロダクション、本木荘二郎(1914年 - 1977年)のシネ・ユニモンド、前田鶴男の東京映画プロダクションが製作したものを、同社が受託配給した作品である[11]。ただし『火遊び』については、『映画年鑑 1967』には同社が配給した旨の記述があるが[11]日本映画データベースの同作の項目には関東映配(代表・星光一郎)であると記載されている[12]。大野裕司はのちに橘明あるいは堀越善明の名で、小森白東京興映で映画を量産する人物であり[13][14]、星谷雅人[15]、川合茂貴[16][17]についてはフィルモグラフィ以外の詳細は不明である。

『映画年鑑 1967』によれば、本木荘二郎が同年4月に設立した製作会社であるとされる株式会社シネ・ユニモンド[4]は、所在地が明光セレクトと同一であり、本木はシネ・ユニモンドの製作担当取締役であって代表ではなく、代表取締役社長は当時明光セレクトの取締役企画室長であった戸井孝友が務めていた[1][2]。同年10月に公開した『女の性』以降、『愛欲の十三階段』、『裸の復讐』、『女・三百六十五夜』、『魔性の人妻』、『色なさけ』と本木が「高木丈夫」の名で監督する作品を多く配給した[6][8][7]。『愛欲の十三階段』には、戦前に小笠原プロダクションで監督を務めた小笠原章二郎が「三善英芳」の名で出演しており[18]山邊信雄ヤマベプロダクションが製作した『裸の復讐』は、山邊の音響効果時代の部下であった団鬼六が「花巻京太郎」の名で書いた原作を使用している[19][20]。同作および『魔性の人妻』で高木丈夫こと本木と共同監督を務めた「松原次郎」は小林悟の変名であり[6]、『女・三百六十五夜』で本木と共同監督を務めた唐沢二郎(1929年 - )[21]らを起用した作品を配給した。大井由次の青年群像の作品も多く関わっており、東宝出身の中野弘也[22]が監督した『不純な快楽』、東京興映入社前の山本晋也が監督した『人妻の秘密』『虹の乳房』も同社が配給して公開した[8][7]。『虹の乳房』の脚本を書き製作にもクレジットされた「小諸次郎」は、久我剛(1944年 - )の変名である[6]

1966年(昭和41年)12月に同社が配給して公開した『虹の乳房』を最後に、1967年(昭和42年)に入ると映画の製作・配給が記録にみられなくなる[6][8][7]。同年、同区上落合2丁目13番18号(現在地)へ本社移転を行った[2][3]。取締役映画部長の堀口隆三が退任し、映画課長であった村山久雄が後任を務めている[2][3]。1969年(昭和44年)6月、松竹京都撮影所出身の福田晴一が監督した『女体情話』(製作福田プロダクション)を約3年ぶりに配給・公開したのが、記録に残る同社の最後の配給作品である[6][8][7]

その後の同社は、映画・テレビ用特殊機械、いわゆる特機をレンタルし、技師を派遣して操演を行う事業、とくにテレビ番組への技術協力の分野で活動した[10]フジテレビジョンのテレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』において、1998年(平成10年)、同番組のスタッフで結成された音楽ユニット「野猿」に、同社のキャメラクレーン技術者である高久誠司が参加し、話題になった。

企業データ[編集]

おもなフィルモグラフィ[編集]

製作配給[編集]

すべて「配給」あるいは「製作」であり、特筆しないものはすべて「配給」である[6][8][7]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[6]

特機[編集]

特機の賃貸・操演の技術協力を行ったおもな番組一覧である。クレジットはすべて放送日の右側に明記した[9]。同社の操演スタッフ名もわかるものは明記した。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 年鑑[1966], p.568.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 年鑑[1967], p.402.
  3. ^ a b c d e f g h i 年鑑[1968], p.381.
  4. ^ a b c d e f 田中[1976], p.85-86.
  5. ^ a b c d e f g h 年鑑[2013], p.294.
  6. ^ a b c d e f g h i 所蔵映画フィルム検索システム検索結果、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年6月26日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i 1966年 公開作品一覧 486作品1968年 公開作品一覧 482作品1969年 公開作品一覧 537作品日本映画データベース、2014年6月26日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h 明光セレクト、日本映画情報システム、文化庁、2014年6月26日閲覧。
  9. ^ a b c 明光セレクトテレビドラマデータベース、2014年6月26日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g 明光セレクト日本アド・コンテンツ制作社連盟、2014年6月26日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h 年鑑[1967], p.326.
  12. ^ 火遊び、日本映画データベース、2014年6月26日閲覧。
  13. ^ キネ旬[1976], p.358.
  14. ^ 橘明 - 日本映画データベース堀越善明 - 日本映画データベース、2014年6月26日閲覧。
  15. ^ 星谷雅人、日本映画情報システム、文化庁、2014年6月26日閲覧。
  16. ^ 川合茂貴、日本映画情報システム、文化庁、2014年6月26日閲覧。
  17. ^ 川合茂貴 - 日本映画データベース、2014年6月26日閲覧。
  18. ^ 小笠原章二郎 - 日本映画データベース、2014年6月26日閲覧。
  19. ^ 平岡岡庭[1982], p.60, 85.
  20. ^ 花巻京太郎 - 日本映画データベース、2014年6月26日閲覧。
  21. ^ 唐沢二郎jlogos.com, エア、2014年6月26日閲覧。
  22. ^ 中野弘也東宝、2014年6月26日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

画像外部リンク
火遊び
1965年8月31日公開
(監督大野裕司、製作中映プロダクション
愛欲の十三階段
1965年11月公開
(監督高木丈夫、製作シネ・ユニモンド