政和駅
政和駅 | |
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廃止後、食堂だった頃の旧駅舎 | |
せいわ Seiwa | |
◄上幌加内 (11.9 km) (9.9 km) 添牛内► | |
所在地 | 北海道雨竜郡幌加内町政和 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 深名線 |
キロ程 | 58.7 km(深川起点) |
電報略号 | セワ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線(廃止時) |
開業年月日 | 1931年(昭和6年)9月15日[1] |
廃止年月日 | 1995年(平成7年)9月4日[1] |
備考 | 深名線廃線に伴い廃駅 |
政和駅(せいわえき)は、北海道(空知支庁)雨竜郡幌加内町政和にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲121408[2]。
歴史
[編集]- 1931年(昭和6年)9月15日 - 鉄道省雨龍線幌加内 - 添牛内間開通に伴い開業[3][4][5]。一般駅[1]。
- 1931年(昭和6年)10月10日 - 線路名を幌加内線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1941年(昭和16年)10月10日 - 線路名を深名線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道に移管。
- 1982年(昭和57年)3月29日 - 貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
- 1995年(平成7年)9月4日 - 深名線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
[編集]所在地名より。元々当地は「添牛内五線」と呼ばれており、開駅時点でも大字は「添牛内」の一部であった[3]。
しかし、呼びにくいために当地には1922年(大正11年)に地元小学校長の発議により正和(しょうわ)という地名が付けられていた[4][7][8](命名は1927年(昭和2年)とも[9])。
開駅にあたっては、すでに留萠鉄道に「昭和駅」があり紛らわしいため政和(せいわ)と命名されることとなり[4][7]、開業の5年後の1936年(昭和11年)に地区名も政和に改められた[8][注 1]。
駅構造
[編集]駅舎は構内の西側に位置し、開業当初は駅舎前から深川方に設けられた単式ホーム1面1線と副本線1本を有した地上駅であった[10]。
その後1947年までに、本線が上下2本に増やされて対向ホーム側が名寄側にずれた[11]相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅となり、駅舎横には切り欠きホーム状の貨物ホームが作られて名寄方から貨物線用側線が分岐して引き込まれ、対向ホーム裏には留置線1本が敷かれた[12]。また、留置線の深川方から駅裏土場前へ営林署専用線が分岐して敷かれた[12][注 2]。営林署の専用線は1957年から1964年の間に廃止されている[13]。
貨物取扱と交換設備運用の廃止後となった1983年(昭和58年)時点では、乗降設備は単式ホーム1面1線に戻り、使われなくなった対向ホーム側の旧上り本線は副本線に戻っていた(ホームは残存していた)[11]。またその副本線の深川方から対向ホーム外側に、かつての留置線が名寄方向の分岐を切られて行き止まりの短い側線となって残っていた[11]。
廃止時点で、副本線と旧対向ホーム、駅裏側側線は撤去され、単式ホーム1面1線と旧貨物ホームへの側線1線だけとなっていた[14]。ホーム前後の線路は分岐の名残で湾曲していた[14]。 無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。事務室部分だけがアルミサッシに変わった小さな木造駅舎で[11]、有人駅時代には待合室に近所の主婦が作ったシャクナゲの造花が飾られていた[11]。
利用状況
[編集]駅周辺
[編集]駅前広場には楡の木と、並んで「幌加内町開基七十周年」記念塔が建てられていた[11][14]。
- 国道275号(空知国道)
- 北海道道938号伊文政和線
- 政和簡易郵便局
- 幌加内町公民館 政和コミュニティセンター
- 雨竜川[15]
- 釜尻山 - 駅の西[15]。
- ジェイ・アール北海道バス深名線「政和」停留所
駅跡
[編集]廃駅後、駅舎は当初の住居から空き家、そして物置として利用されていた。2000年(平成12年)時点では、駅舎は閉鎖状態で残存し、駅前の「幌加内町開基七十周年」の記念塔も残存していた[16]。2002年(平成14年)時点でも同様で、外壁が多少劣化した程度であり、ホーム側は物置として再利用されていた[17]。再利用者が転々とし[17]、2003年(平成15年)夏には改装され食堂となった。2010年(平成22年)時点では食堂は夏期に営業が確認されている[18]。現在は正面側を解体撤去して鉄骨補強した上でシャッターが設置され、農業用車庫として利用されている。
隣の駅
[編集]- 北海道旅客鉄道
- 深名線
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、847頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、223頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 『官報』 1931年09月03日 鉄道省告示第224号(国立国会図書館)
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、114頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 『北海道鉄道百年史 下巻』1981年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行。
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ a b 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、36頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 194. ISBN 4-89391-549-5
- ^ 幌加内町史 P69,127,197。
- ^ 昭和7年度線路一覧略図 札幌鉄道局発行「幌加内線」。
- ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)205ページより。
- ^ a b 幌加内町史 1971年9月発行、P720。
- ^ 昭和32年版、昭和39年版全国専用線一覧。
- ^ a b c d 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)75ページより。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)35-36ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)178-179ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)41-43ページより。
外部リンク
[編集]- 1947年撮影航空写真 USA-R327-127 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス。