平岡拓晃
獲得メダル | ||
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日本 | ||
柔道 | ||
世界柔道選手権 | ||
銀 | 2009 ロッテルダム | 60kg級 |
銅 | 2010 東京 | 60kg級 |
銀 | 2011 パリ | 60kg級 |
ワールドマスターズ | ||
銀 | 2010 水原 | 60kg級 |
銀 | 2012 アルマトイ | 60kg級 |
グランドスラム | ||
金 | 2010 リオ | 60kg級 |
銀 | 2009 東京 | 60kg級 |
銀 | 2009 リオ | 60kg級 |
銅 | 2011 東京 | 60kg級 |
銅 | 2011 リオ | 60kg級 |
アジア大会 | ||
銀 | 2010 広州 | 66kg級 |
アジア柔道選手権 | ||
金 | 2008 済州 | 60kg級 |
平岡 拓晃(ひらおか ひろあき、1985年2月6日 - )は、広島県広島市出身の柔道家。得意技は右背負投。尊敬する人は筑波大学柔道部監督・岡田弘隆。身長160cm。階級は男子柔道60kg以下級。
来歴
阿品台中学校(廿日市市)-近畿大学附属福山高校-筑波大学卒業。現職は、了徳寺学園職員である。
6歳の時、柔道経験のある父から柔道を教わる。 近畿大学附属福山高校3年生の2002年にインターハイ優勝。筑波大学へ進学。筑波大学1年生の2003年、講道館杯日本体重別選手権優勝。ベルギー国際大会優勝。
2004年、世界ジュニア選手権3位、講道館杯日本体重別選手権2位。2006年、グルジア国際大会2位。フランス国際大会2位。全日本選抜体重別選手権3位。講道館杯日本体重別選手権3位 。2007年1月、グルジア国際大会優勝。4月、全日本選抜体重別選手権3位。5月、アジア選手権1回戦敗退。8月、第24回ユニバーシアード競技大会2回戦敗退。12月、嘉納杯東京国際大会優勝。2008年2月、フランス国際大会優勝。2月、オーストリア国際大会3位。
2008年4月、北京五輪代表最終選考会の全日本選抜体重別選手権男子60キロ級で優勝。しかし代表選考会では五輪三連覇中の野村忠宏(ミキハウス)を推す委員が全体の三分の二となった。平岡を推す委員が強化委員会で猛反発し両派は総意を得られず、上村春樹専務理事、吉村和郎強化委員長ら全柔連幹部に判断を仰ぎ、近年の実績、勢い、若さなどが評価されて最終的に北京五輪代表候補に選出された。実績重視に傾きがちな柔道の代表選考では"異例"とも言える選出となった。2008年4月27日、韓国・済州島で行われたアジア選手権で優勝、日本は60kgでの北京五輪の出場枠を獲得し、平岡の北京五輪代表が決定した。
2008年8月9日、北京オリンピックでは初戦となる2回戦でアメリカのTaraje Williams-Murrayと対戦し、終始消極的な試合運びで指導の反則ポイントを取られ敗退した。この試合については、山下泰裕全柔連強化副委員長「五輪の雰囲気に呑まれたというより気迫が感じられない」、上村春樹日本選手団総監督「何も出来なかったではなく、何もしなかった」と、厳しい評価をされた。また平岡に勝ったMurrayが次の試合で一本負けし(Murrayはこれで引退を表明)、準決勝に進出出来なかったため、平岡は敗者復活戦に回ることも叶わず、自らの五輪の幕を2回戦敗退という最悪の形で閉じることになった。五輪の惨敗により、代表選考で落選した野村忠宏の3連覇に続く日本勢4連覇を逃したのに加え、最軽量級では不参加のモスクワ五輪を除き、1976年モントリオール五輪以来、32年ぶりのメダルなしになった[1]。
2009年世界柔道選手権大会60kg級で準優勝を果たし、銀メダルを獲得する。しかしながら、「1回戦負けでも2位でも同じ」と悔しさを見せた。2010年世界選手権では銅メダルを獲得した。同年アジア大会では決勝でひざを負傷し銀メダルに終わった。篠原信一監督から「けがが多い。何かが足りない」と評された[2]。
2011年3月4日、スポーツライターで元女優の宮崎真汐と結婚したと日刊スポーツで報じられた。同年6月2日、第一子となる長女が誕生した。
8月の世界選手権では決勝で敗れて2位に終わった[3]。
2012年5月の選抜体重別では決勝で日本体育大学の志々目徹を指導2で破り、今大会5連覇を飾ってロンドンオリンピック代表に選出された[4]。
IJF世界ランキングは780ポイント獲得で7位(12/5/29現在)。
戦績
- 1999年 - 全国中学校柔道大会 2位
- 2001年 - 全日本ジュニア 3位
- 2002年 - ドイツジュニア国際 優勝
- 2002年 - インターハイ 優勝
- 2002年 - 全日本ジュニア 3位
- 2003年 - ベルギー国際 優勝
- 2003年 - ポーランドジュニア国際 優勝
- 2003年 - 学生体重別 優勝
- 2003年 - アジアジュニア 優勝
- 2004年 - チェコ国際 優勝
- 2004年 - 選抜体重別 3位
- 2004年 - 世界ジュニア 3位
- 2004年 - 講道館杯 2位
- 2005年 - 選抜体重別 3位
- 2005年 - ドイツオープン国際 優勝
- 2006年 - グルジア国際 2位
- 2006年 - フランス国際 2位
- 2006年 - 選抜体重別 2位
- 2006年 - 東アジア柔道選手権大会 優勝
- 2006年 - 講道館杯 3位
- 2007年 - グルジア国際 優勝
- 2007年 - 選抜体重別 3位
- 2007年 - 世界柔道団体選手権大会 優勝
- 2007年 - 嘉納杯 優勝
- 2008年 - フランス国際 優勝
- 2008年 - オーストリア国際 3位
- 2008年 - 選抜体重別 優勝
- 2008年 - アジア柔道選手権大会 優勝
- 2009年 - グランプリ・ハンブルク 3位
- 2009年 - 選抜体重別 優勝
- 2009年 - グランドスラム・リオ 2位
- 2009年 - 世界選手権 2位
- 2009年 - グランドスラム・東京 2位
- 2010年 - ワールドマスターズ 2位
- 2010年 - グランプリ・デュッセルドルフ 2位
- 2010年 - 選抜体重別 優勝
- 2010年 - グランドスラム・リオ 優勝
- 2010年 - 世界選手権 3位
- 2010年 - アジア大会 2位
- 2011年 - グランプリ・デュッセルドルフ 優勝
- 2011年 - 選抜体重別 優勝
- 2011年 - グランドスラム・リオ 3位
- 2011年 - 世界選手権 2位
- 2011年 - 講道館杯 3位
- 2011年 - グランドスラム・東京 3位
- 2012年 - ワールドマスターズ 3位
- 2012年 - 選抜体重別 優勝
脚注
- ^ ちなみに現在の最軽量級である60キロ級においては初の五輪メダルなしとなった
- ^ 平岡また負傷=アジア大会・柔道時事通信2010/11/16-23:39
- ^ 平岡、届かなかった頂点=世界柔道 時事通信 2011年8月24日
- ^ 平岡、涙の連続切符 体重別選手権 MSN産経ニュース 2012年5月12日
参考文献
外部リンク