岩波ホール

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岩波ホール
Iwanami Hall
Iwanami Jinbocho building 14-01.JPG
ホールの所在する岩波神保町ビル
情報
正式名称 岩波ホール
完成 1968年
開館 1968年2月9日
客席数 220 (うち2席は可動式、車椅子対応)
設備 ドルビーSRD
用途 映画上映
旧用途 各種催し、講演等
運営 岩波家代表者(岩波書店創業家)[1]
所在地 101-0051
東京都千代田区神田神保町二丁目1番地
岩波神保町ビル10階
位置 北緯35度41分44.5秒 東経139度45分27.8秒 / 北緯35.695694度 東経139.757722度 / 35.695694; 139.757722座標: 北緯35度41分44.5秒 東経139度45分27.8秒 / 北緯35.695694度 東経139.757722度 / 35.695694; 139.757722
アクセス 地下鉄神保町駅A6出口直結
外部リンク http://www.iwanami-hall.com/
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北緯35度41分44.5秒
東経139度45分27.8秒

岩波ホール(いわなみホール)は、東京都千代田区神田神保町二丁目の岩波神保町ビル内に有る映画館ミニシアターとして草分け的な存在の映画館。定員は220席(当初は232席)。総支配人は岩波雄二郎の義妹である高野悦子(2013年死去)[2]。支配人は高野悦子の姪(雄二郎の娘)である岩波律子

特色[編集]

開館当時は多目的ホールとして利用されていた。1960年代にはテレビ放送の発達にともなって日本映画産業が衰退し、映画の上映本数が減少した。東宝東和の川喜多かしこは欧米など先進国と日本の映画文化の差に危機感を持ち、岩波ホールの総支配人である高野悦子の賛同を得て、文化的に質の高い映画を上映する映画館となった。「日本で初めて各回完全入れ替え制定員制を実施」「会員制度を有する」「外国映画の場合は日本語字幕の読めない未就学児の入場を実質的に断わる」などの特徴がある。

歴史[編集]

岩波雄二郎岩波書店の社長を務めていた際、、岩波書店とはまったく別に、岩波神保町ビルを建設した。その際に、東京都千代田区から「将来、東京の地下鉄が3本も通り、神保町という良い場所にあり、文化施設を作って欲しい」という要望があった。さらに、岩波雄二郎の父親であり岩波書店創業者の岩波茂雄は芝居好きであり、山本安英に対して「劇場を作ってあげる」との約束をしていたが、太平洋戦争で実現できていなかったことも理由として、岩波ホールが開設された[1]

  • 1968年(昭和43年)2月9日 - 岩波雄二郎元岩波書店社長により、芸術性の高い文化活動の為の多目的ホールとして開館する。大内兵衛野上弥生子、山本安英、近藤乾三が祝辞を述べた[3]
  • 1974年(昭和49年)2月12日 - エキプ・ド・シネマ運動が開始され、これ以後は主に映画館として利用されている。
  • 2018年(平成30年)2月9日 - 創立50周年を迎える。
  • 2018年(平成30年)7月27日 - 第36回(2018年度)川喜多賞を受賞[4]

エキプ・ド・シネマ[編集]

エキプ・ド・シネマとは、フランス語で映画の仲間の意味で、発足当時には商業ベースにはなりづらいと考えられている名作を上映することを目的としており、以下の4つの目標を掲げている。

  • 日本では上映されることの少ない、アジアアフリカ中南米など欧米以外の国々の名作の紹介。(その後、女性監督による作品も積極的にとりあげるようになる)
  • 欧米の映画であっても、大手興行会社が取り上げない名作の上映。
  • 映画史上の名作であっても、何らかの理由で日本で上映されなかったもの。またカットされ不完全なかたちで上映されたもの。
  • 日本映画の名作を世に出す手伝い。

2018年6月[5] までの44年間に、56カ国・地域の250本を上映。

代表的な上映作品[編集]

この作品を上映するために、「エキプ・ド・シネマ」が作られた[6]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 講演「岩波ホールの歩み」岩波律子支配人(2013年2月16日確認)
  2. ^ 2013年2月9日亡くなるが、総支配人のままである。
  3. ^ 創立50周年を迎えて
  4. ^ 第36回川喜多賞は岩波ホールが受賞”. CINEMAランキング通信. 日刊興行通信. 興行通信社 (2018年6月22日). 2019年1月23日閲覧。
  5. ^ 最近作「ゲッベルスと私」まで。
  6. ^ 『岩波ホール、世界の隠れた名画上映し40年」日本経済新聞2014年2月21日朝刊44面「文化往来」

外部リンク[編集]