寂如

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寂如(じゃくにょ、慶安4年(1651年)- 享保10年7月8日1725年8月15日))は、江戸時代前期の浄土真宗浄土真宗本願寺派第14世宗主。西本願寺住職。は光常。院号は信解院。法印大僧正。父は第13世良如九条兼晴猶子。母は近江国三井の人(揚徳院寂照)。内室は鷹司信房の娘(貞淑院如瑞)。弟は播磨国本徳寺住職寂円。子は第15世住如の妻。第16世湛如は10男。

生涯[編集]

寛文元年(1661年)11歳で左大臣九条兼晴猶子となって得度し、宗祖400回忌に出座する。 寛文2年(1662年)良如の死により自身12歳の若さで西本願寺14世宗主となる。寛文7年(1667年)には関白鷹司信房の娘である貞淑院如瑞と結婚する。父が成し遂げられなかった経蔵の建立や、大谷本廟の再建を行っている。廟堂再建の際にしたためられた親鸞聖人絵像の画讃は寂如の作。

元禄2年(1689年)に初めて報恩講の差定を堂内に貼り、坂東節を停めて八句念仏和讃とした。

子供の多くは早世しており跡を継ぐ予定の10男湛如がまだ幼かったので第15世には娘婿の住如を就けた。

親鸞聖人絵像画讃
韜名愚禿畏人知
高徳弥彰澆季時
誰了如来興世意
直標淨典囑今師