宅見組

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二代目宅見組
Yamabishi.svg
設立 1970年
設立者 宅見 勝
本部 大阪府大阪市
首領 入江 禎
構成員数
(推定)
約600人
上部団体 Yamabishi.svg 神戸山口組
敵対組織 六代目山口組

宅見組(たくみぐみ)は、大阪府大阪市に本部を置き、大阪府豊中市に本家を置く暴力団で、神戸山口組の二次団体。

略歴[編集]

初代[編集]

  • 1963年、宅見勝は、福井組に参画した。
  • 1970年、宅見組を結成して、組長に就任後、福井組若頭に就任した。
  • 1978年、三代目山口組に昇格した。
  • 1983年07月、三代目山口組若頭補佐に就任した。
  • 1984年06月05日、四代目山口組に参画して、四代目山口組若頭補佐に就任した。
  • 1989年05月10日、五代目山口組に参画して、五代目山口組若頭に就任した。
  • 1997年08月28日、新神戸オリエンタルホテル4Fの喫茶店で、中野会会員に銃撃されて、搬送先の神戸市立中央病院で死亡した。[1]
  • 莫大な資産を持つ経済ヤクザとして知られていたが、山一抗争を経て五代目山口組の若頭になった人物。武断に躊躇はない。

二代目[編集]

  • 宅見組若頭勝心連合組長入江禎は、二代目宅見組組長を襲名して、五代目山口組に昇格した。
  • 五代目山口組若頭補佐に就任した。
  • 2005年08月、六代目山口組に参画して、六代目山口組総本部長に就任した。
  • 2010年12月01日、大阪府警捜査4課は、暴力団同士の対立抗争に参加した組員に慰労目的の金品を与えた暴力団対策法(賞揚等禁止命令)違反の疑いで、二代目宅見組組長入江禎を逮捕した。[2]
  • 2013年10月、六代目山口組舎弟頭に就任した。
  • 2013年12月19日、米財務省は、日本国内外で麻薬の密輸や人身売買などの犯罪行為に関与しているとして、二代目宅見組組長入江禎を金融制裁の対象に指定した。[3]
  • 2015年08月26日、六代目山口組を離脱した。
  • 2015年08月27日、共に離脱した13団体と神戸山口組を結成して、神戸山口組副組長に就任した。[4][5][6]
  • 初代同様、財界及び芸能界に太いパイプを持つと言われているが、以下の数々の抗争において、初代宅見組若頭として中心にいた人物。初代同様、武断に躊躇はない。

主な抗争[編集]

八王子抗争[編集]

  • 八王子抗争は平成2年(1990年)2月15日から同年2月25日までに、東京都八王子市で起った五代目山口組宅見組と二率会との暴力団抗争事件。
  • 1990年2月16日、宅見組組員が、八王子市横山町の二率会所有のビルに銃弾5、6発を撃ち込んで、警察に逮捕された。
  • 同年2月17日、山口組若頭・宅見勝ら山口組組員が、平成2年(1990年)2月15日に二率会に殺された宅見組幸田組組員の葬儀に出席するために、八王子市に集まった。
  • 同日、東京都杉並区荻窪のアメリカ人女性の住むマンションに銃弾が撃ち込まれた。この部屋には、平成元年(1989年)9月まで、二率会系組事務所が置かれていた。
  • 同日、八王子市小門町の二率会八王子一家組事務所に、銃弾5、6発が撃ち込まれた。
  • 同日、八王子市高尾町の二率会系組長宅に、銃弾が撃ち込まれた。
  • 同日、八王子市八幡町の二率会系組事務所に、銃弾4発が撃ち込まれ、警戒中の警察車両にも、銃弾1発が撃ち込まれた。
  • 同年2月18日、武蔵野市の二率会系組事務所に銃弾3発を撃ち込み、宅見組系組員が警察に逮捕された。
  • 同年2月19日、八王子市横山町の二率会八王子一家総長宮本高三の自宅前の街宣車に銃弾が撃ち込まれた。
  • 同年2月20日、北海道旭川市二条通りの路上で、二率会系藤田組幹部が至近距離から腹や胸などに銃弾6発を受けて、死亡した。
  • 同日、八王子市明神町で、二率会系組事務所の隣のビルに2トントラックが突っ込んだ。
  • 同日、八王子市小門町で、トラックが二率会組長の自宅に突っ込み、更に銃弾4発が撃ち込まれた。
  • 同日、相模原市の二率会系組長の自宅に銃弾が撃ち込まれた。
  • 同年2月22日、警視庁は、警備部、防犯部、機動隊を含めて1200人の警察官を動員した。警視庁捜査四課は、八王子市を中心に、30班で合計150人の山口組組員が潜伏していると、見積もっていた。
  • 一連の抗争で、二率会に対して約20回に及ぶ銃撃を行った。
  • 警視庁は捜査員80人を大阪市に派遣し、宅見組本部や宅見組系幹部宅などを一斉に家宅捜査した。
  • 最終的に二率会会長が宅見勝若頭に謝罪して抗争は終結。結果として「山口組は多摩川を越えない」という不文律が崩壊することになり、山口組の東京進出を加速させる契機となった抗争であった。
  • 二率会は2001年をもって解散。

宅見若頭射殺事件後[編集]

  • 宅見若頭射殺事件とは、1997年(平成9年)8月28日、五代目山口組のナンバー2にあたる若頭宅見勝が、同じく五代目山口組中野会の組員に射殺された暴力団の内部抗争事件。
  • 全体の指揮役とみられる吉野和利・元中野会幹部は事件翌年の7月、韓国・ソウルの潜伏先のアパートで、ベッドで鼻から血を流した死体で見つかった。[7]
  • 1999年9月に中野会ナンバー3の若頭・山下重夫は、宅見組傘下の幹部組員ら4人によって射殺された。
  • 2002年4月に中野会ナンバー2の副会長・弘田憲二は、当時初代宅見組副組長・天野洋志穂率いる天野組組員により沖縄で射殺された。
  • 2006年6月30日には、実行犯の1人として指名手配されていた元中野会組員、鳥屋原精輝容疑者が神戸市の六甲アイランドで病死体で発見されている。[8]
  • 中野会は2005年8月7日に解散届を大阪府警に提出。

山一抗争[編集]

  • 山一抗争は、1984年(昭和59年)8月5日から1989年(平成元年)3月30日にかけて山口組と一和会の間に起こった暴力団抗争事件。317件の大小抗争が発生し、一和会側に死者19人、負傷者49人、山口組側に死者10人負傷者17人、警察官・市民に負傷者4人を出した。抗争の直接の逮捕者は560人に及んだ。
  • 一和会結成時すでに、初代宅見組・宅見勝組長は、元の親分に当たる福井組・福井英夫組長を説得し、一和会への参加を取り止めさせ、ヤクザから引退させている。
  • 山口組では亡くなった若頭・中山勝正の後任に渡辺芳則が就任したが、これには宅見の強力な推薦があったとされる。当時渡辺は山本健一が率いた山健組の二代目を継いで間がなく、直参としてのキャリアも宅見の方が上であった。しかし宅見のキャリア自体も山本健一あってのものであり、その山本へ報いる気持ちからも、後を継いだ渡辺を推したと思われる。
  • 1985年3月6日、三重県四日市市の喫茶店で、初代宅見組内初代勝心連合会(初代勝心連合会組長は二代目宅見組・入江禎組長)の2人が拳銃で一和会水谷一家の元相談役清水幹一を射殺。[9]
  • 山一抗争後の1989年4月27日、山口組直系組長会で、渡辺芳則の五代目組長就任が決定。渡辺が若頭に就任した時と同様、五代目に就任するのに尽力したのもまた宅見勝であった。

第二次大阪戦争[編集]

  • 大阪戦争は、1975年7月26日から1978年11月1日に掛けて大阪府周辺で起きた三代目山口組と二代目松田組との抗争事件。
  • 大日本正義団幹部・鳴海清によるベラミ事件は、三代目山口組若頭・山本健一の怒りに火をつけた。鳴海を追跡する一方で、山本は容赦のない攻撃指令を出した。報復は山本率いる初代山健組を中心に、初代宅見組(組長・宅見勝)などが参加した。
  • 1978年8月17日から10月24日にかけて公衆浴場や松田組幹部自宅、路上といった場所でも無差別に松田組組員を次々と射殺した。三代目山口組・田岡組長を狙撃した鳴海は9月17日に六甲山の山中で、激しい暴行を加えられたことが明らかな状態の他殺体となって発見されたが、真犯人の判らぬまま1993年に時効となった。
  • 1978年9月24日、和歌山県和歌山市で三代目山口組系初代宅見組の大丸均、松本正夫が松田組系福田組内杉田組・杉田寛一組長を射殺。[10]
  • 1978年9月27日、松田組・樫忠義組長に対する殺人予備、銃刀法違反で捜索を受ける。宅見組ではダイナマイトをラジコンのヘリコプターに積み込み樫宅を空爆しようと実験を行っていた。トランシーバーの他、拳銃5丁と組員4人が逮捕された。
  • 松田組との手打ちさえ望まない山本健一は、11月1日に報道陣を神戸の田岡邸に招いて一方的に抗争終結を宣言。松田組も終結宣言を大阪府警に提出し、大阪戦争は終結した。

歴代[編集]

  • 初代 - 宅見 勝(五代目山口組若頭/四代目山口組若頭補佐/三代目山口組若頭補佐/福井組若頭)1997年08月28日死去

当代[編集]

  • 二代目 - 入江 禎(神戸山口組副組長/六代目山口組舎弟頭/五代目山口組若頭補佐/宅見組若頭/福井組幹部)

構成[編集]

  • 組長 - 入江 禎
  • 組長代行 - 青木恵一郎(二代目西岡組組長)
  • 副組長 - 今村仁志(二代目勝心連合組長)
  • 副組長 - 鹿田次郎(鹿田組組長)
  • 副組長 - 荒牧堅次郎(荒牧組組長)
  • 副組長 - 萩尾敬一(敬心連合組長)
  • 副組長 - 福原光三(福原組組長)
  • 若頭 - 山田 一(三代目杉本組組長)
  • 舎弟頭 - 酒井冨士夫(酒井興業組長)
  • 本部長 - 安達 崇
  • 副本部長 - 須藤基之(須藤会会長)
  • 舎弟頭補佐 - 金澤慶福(金澤興業組長)
  • 舎弟頭補佐 - 渡邉 誠(三代目石川一家総長)
  • 舎弟頭補佐 - 片平哲行(曙総業組長)
  • 若頭補佐 - 佐藤誓吾(二代目勝心連合組長代行佐藤総業組長)
  • 若頭補佐 - 森嶋弘道(奈良倉友連合組長)
  • 若頭補佐 - 森島 厚(厚和会会長)
  • 若頭補佐 - 加納龍二(二代目坂本組組長)
  • 若頭補佐 - 森元郁夫(九代目高木組組長)
  • 若頭補佐兼事務局長 - 柳沢昌行(柳沢会会長)
  • 最高顧問 - 永野昌弘(永野会会長)
  • 顧問 - 松島一広(松島組組長)
  • 顧問 - 宮永俊文(宮永組組長)
  • 顧問 - 矢田巧一(二代目高梨会会長)
  • 顧問 - 南岡正男(二代目南岡組組長)
  • 相談役 - 中澤 貢(禎心実業組長)
  • 相談役 - 鐘ヶ江重剛(剛竜会会長)
  • 相談役 - 和田昌弘(二代目大響会会長)
  • 相談役 - 武村成男
  • 相談役 - 田中敦之(七代目倭奈良組組長)
  • 舎弟 - 石原正吉(石原総業組長)
  • 舎弟 - 山本健三(山斗会会長)
  • 舎弟 - 井河寛治(井河組組長)
  • 舎弟 - 大丸 仁(禎仁会会長)
  • 舎弟 - 遠山二郎(遠山総業組長)
  • 舎弟 - 真尾耕市(誠心会会長)
  • 舎弟 - 石丸清志
  • 舎弟 - 後藤昭裕(二代目佐藤会会長)
  • 幹部 - 吉村秀生(吉村興業会長)
  • 幹部 - 竹田一弥(二代目勝侠同士會会長)
  • 幹部 - 瀬口 忠(瀬口興業組長)
  • 幹部 - 原 克則(二代目関東原組組長)
  • 幹部 - 池田勇次(二代目誠心連合会長)
  • 幹部 - 周防政和(禎政会会長)
  • 幹部 - 中居栄明(八代目松野会会長)
  • 幹部 - 春田 武(二代目西野組組長)
  • 若中 - 和泉友慈(和泉総業会長)
  • 若中 - 酒井謙二(酒井組組長)
  • 若中 - 中嶋 靖(二代目森嶋組組長)
  • 若中 - 井坂裕一(井坂会会長)
  • 若中 - 志村正史(二代目三瓶組組長)
  • 若中 - 神瀬敬志(二代目真道会会長)
  • 若中 - 広井勇信(四代目憲友会会長)
  • 若中 - 中井和義(三代目徳心会会長)
  • 幹事 - 田島博司(二代目勝心連合若頭二代目今村組組長)
  • 幹事 - 佐伯智一(二代目勝心連合本部長佐伯興業組長)
  • 幹事 - 高山英雄(金澤興業若頭)
  • 幹事 - 川上直樹

注釈[編集]

脚注[編集]

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