大阪府立三島高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
大阪府立三島高等学校
大阪府立三島高等学校
2010年平成22年〉5月撮影)
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府の旗 大阪府
校訓 健康にして明朗闊達な気風を養う
設立年月日 1970年昭和45年)
創立記念日 11月2日
共学・別学 男女共学
課程 全日制
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
所在地 569-1135
大阪府高槻市今城町27-1

北緯34度50分49.2秒 東経135度35分51.7秒 / 北緯34.847000度 東経135.597694度 / 34.847000; 135.597694座標: 北緯34度50分49.2秒 東経135度35分51.7秒 / 北緯34.847000度 東経135.597694度 / 34.847000; 135.597694
外部リンク 公式サイト
Portal.svg ウィキポータル 教育
Project.svg ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
学校の敷地は条里制の影響で直線となっている
超巨大看板のある明治(製菓)大阪工場

大阪府立三島高等学校(おおさかふりつ みしま こうとうがっこう、: Osaka Prefectural Mishima High School)は、大阪府高槻市今城町にある公立高等学校。高校生急増期対策で1970年昭和45年)、府立69番目の高校として新設されたマンモス校[1][2]で、高槻方式と呼ばれる地元集中運動のシンボル校。

概要[編集]

1970年代に高校進学率の上昇に伴い、大阪府では毎年3校から4校の高校新設が必要となる一方で、大阪市京都市ベッドタウンとして宅地開発され人口急増の高槻市に公立の高校は1951年昭和26年)に開校の大阪府立島上高等学校1校のみだった。このため地元から2校目を求める市民運動が続いた結果、1970年に新設された。学校名は当初「富田高校」「今城高校」「阿武山高校」「高槻高校[3]」などの案が挙がり紆余曲折の末、「スケールの大きい学校造りを目指す」理念と、三島郡の中心地の三島を踏まえ、1969年3月7日に「大阪府立三島高等学校」と決定された[1]

周辺は、継体天皇陵とされる今城塚古墳(高槻市郡家新町)や西国街道などの史跡、古い町並みの面影を残す地域で、学校の敷地も条里制の影響を受けており、上空から見ると、ほぼ真四角の形になっている。

周辺は工場群で南側にエーアンドエーマテリアルサンスター明治(旧明治製菓)パナソニックの工場があり、開校時、生徒のために明治製菓・サンスター・松下電器産業(現パナソニック)から連名で、社名を印刷した青色ベンチが大量に寄贈されている[1]

初代校長と学生運動と校訓[編集]

開校時に大阪府知事左藤義詮の書いた扁額の書「明朗闊達」が、校舎南館1階の作法室に飾られている。この明朗闊達と「自由闊達」が、開校当初の教育目標として提唱され、後に「自主自立(自律)」が唱えられるようになる。

背景に1960年昭和35年)安保闘争に始まる1960年代全共闘運動に影響された学生運動があり、府立高校でも西の拠点となった市岡高校を筆頭に、生徒による校舎占拠や卒業式粉砕運動が発生。その理由とされたのが制服・頭髪などを巡る“管理的指導”だったことから、三島高校の初代校長の「そういう(管理的な)学校にしたくない」思いが“自由”につながった、と学校沿革誌『50年の歩み』では説明している[1]

結果、校則を記した生徒手帳は作らず、学校組織も「生徒指導部」ではなく「生徒部」という名の分掌となり[1]、制服ではなく標準服の制度となった(制服の詳細は基礎データ(制服)の項目を参照)。

地元集中シンボル高校[編集]

三島高校の新設を機に、高槻市の中学校では太平洋戦争前に(旧制の)府立中学校高等女学校として創立の伝統校との「学校間格差をなくそう」「地元の学校を育てよう」とする市民運動、いわゆる地元集中運動が始まった[1]

開校の翌1971年に当選した黒田了一による革新府政が、高校入試で「十五の春は泣かせない」政策[4]として、府立高校の大幅な新設[5]を加速させた結果、地元集中運動も過熱。シンボル高校として三島高校には「成績優秀だけではなく、様々な“力のある生徒”が入学」し、京都大学大阪大学などの難関国立大学に合格する生徒が現れるようになり、高槻方式と呼ばれる「地元集中運動の恩恵を最大限受けた」高校となった[1]

沿革[編集]

1961年から続く高校増設運動の結果、1970年に新設されたが、付近は女瀬川芥川の間にあり、夏期の水枯れの心配のない稲作に最適な農地であった。このため敷地の確保は、地主の土地提供があって初めて可能になった。

開校の前年1969年6月の調査で、用地西側より奈良時代平安時代遺跡(郡家今城遺跡)が発見。村の構造や屋敷の地割も分かる遺跡で、「遺跡を壊して高校を造るのか」と新聞報道などで批判された。当初案では完成までに5年から6年かかるため、遺跡の保存と両立を模索。施設の設計や設置場所も大幅に変更された[1]

新設校のため全て模索の行き当たりばったりのスタート。建設途中で水洗トイレの水は出なかったため、バケツで水を汲みながら第1回の入学者選抜(入試)を行い、1970年4月8日の入学式も校舎や体育館でなく天幕を張り開催。午前の開校式に引き続いて行ったが、式典の最中に雨が降り出し、どっと関係者が天幕に駆け込む慌ただしさだった。開校後も建設と発掘は続き、1971年7月に専門家を招いて生徒向け遺跡説明会も開かれた[1]

なお敷地面積3万9,502m2と大阪府立高校としては広いため、1970年昭和45年)開校時に緑化する木が足りず、春日丘高校豊中高校から分けてもらったエピソードもある[6]

施設だけでなく“中身”の教員についても模索が続き、初代の校長は「新しい時代には新しい高校を作らないかん」「できるだけ異色の教師らしくない教師をつかまえよう」と自ら教育委員会に通い、「複数の教科を教えることができる教師」に声をかけて意識的に若手を集め、新しい学校で教員を鍛えようとした。結果、平均年齢20代、年配でも40代の教員が集まり、校長は「教師臭くなるな」「生徒とよく話して人間関係を作れ」と指導し続けた。

ユニークな教科指導も行われ、音楽教諭は「羞恥心を取りなさい」の口癖のもと、生徒に音楽は体を使うことを徹底的に教え、独自の「音楽科評価表」も作成。評点は80点と0点の2通りだけだった[1]

年表[編集]

  • 1969年昭和44年) - 3月、大阪府議会で設立決まる。6月、校地内の遺跡(郡家今城遺跡)の試掘始まる
  • 1970年 - 4月、「大阪府立三島高等学校」開校。11月2日を創立記念日(休校日)とする
  • 1972年 - 5月、体育館・プール竣工。 12月 テニスコート竣工、中庭造園
  • 1973年 - 2月、校舎竣工記念誌「創生」発行
  • 1979年 - 9月、台風16号により自転車置場・南門等大破。11月、体育館で創立10周年記念式典
  • 1981年 - 2月、校歌を制定
  • 1990年平成2年) - 2月、高槻市民会館で創立20周年記念式典。3月、「三島高校20年史」発行
  • 2006年 - 4月、文部科学省の学力向上拠点形成事業の指定校となる
  • 2016年 - 一部の教員の独断により自由な校風が失われる
  • 2019年令和元年) - 10月、高槻現代劇場で創立50周年記念式典

基礎データ[編集]

交通アクセス[編集]

地元集中の歴史に加え最寄り駅が遠いため、自転車で通学する生徒が多い[7]

最寄りは高槻市営バス明治(製菓)大阪工場前バス停

電車[編集]

バス[編集]

  • 摂津富田駅 前から高槻市営バス「JR高槻駅西口」行き乗車5分「明治(製菓)大阪工場前」バス停を下車、約600m(徒歩で約6分)
  • JR高槻駅西口から高槻市営バス「JR富田」行き乗車11分「明治大阪工場前」バス停を下車、約600mm(徒歩で約6分)[8]

象徴[編集]

校章[編集]

校章は、三島を表す輪のデザイン。府立69番目の誕生を記念して、半弧で6と9を形作っている[9]

校歌[編集]

校歌は、開校10年後の1980年(学校サイトでは1981年)に初めて制定された。6期生の父兄による作詞、3期生による作曲で、在校生や教職員の投票で選ばれた[10]

なお、1975年に当時の学校長が発表した[要出典]、もう一つの校歌と言うべき「三島高校賛歌」も存在する。

校風[編集]

いわゆる校則がなく、かつて生徒に配布の「高校生活の手引き」に下駄の使用禁止やバイク通学の禁止、服装や頭髪スタイルとして「高校生らしい」と規定されていただけだった[1]。ただし入学式では毎年、「自由の裏には責任が伴う」という主旨の言葉が新入生に送られている。

その後「遅刻は多く、服装も派手」という生徒が増え、外部からの侵入者と見分けも付かないため、2015年(平成27年)度に民間人校長の加地宗雄が就任と同時に[1]、学校生活に相応しい身なり(頭髪、服装、装飾品)や交通マナー、遅刻・欠席などについて一定の規範を定めることになった。

制服[編集]

制服に準じる「標準服」制。開校と同時にブレザースタイルを大阪府下で初めて採用した。ただ、高校で引き続き着用できる理由から、主流の黒色の詰襟学生服を中学3年生の修学旅行の際に新調した生徒も多かっため、経済的負担を考慮して標準服としている[1]

1970年版「新入生の手引き」には「中学時代の服がまだ着られるならばそれを着用してもさしつかえありませんが、次に作る時には、できるだけ標準服を作るようにしてください。」と記載されていたが、転入後も以前の学校の制服を着ていた生徒や標準服を3年間買わなかった生徒、購入しても卒業まで着なかった生徒もいた[1]

その後、私服の生徒が多くなったため1991年に服装アンケート。1993年6月に「私服も可」と生徒議会で決定された[1]

なお標準服は、入学式・卒業式・始業式・終業式などの式典や公式行事で必ず着用する[9]

授業[編集]

特色ある授業に取り組んでおり、広範囲な選択科目を設け、個々の進路・興味・関心に応じた学習を可能にしている。選択科目の例として「時事問題」「異文化理解」「美術研究」「古典の世界」「情報科学」「生物の探求」「ライフスポーツ」等がある。

また関西大学立命館大学関西学院大学等との連携(高大連携)を実施しており「大学教員等による出張講義」なども行われている。

諸活動[編集]

部活動[編集]

そのほかのクラブ活動では、大阪府の公立高校としては広いグラウンドを生かし、ラグビー陸上などが盛ん。サッカー部やハンドボール部が全国大会に[要出典]、美術部も全国高等学校総合文化祭に大阪府代表として出場している[要出典]

テニスコート及び北校舎と南校舎

学校行事[編集]

  • 体育祭 - それぞれテーマカラーを持つ4つの団に分かれ、得点を競う。リレーなどの通常の競技の他、援団(応援団)、D.S(Dancing Story)、パネルと呼ばれるチーム対抗種目がある。応援団学ランと各団の色の鉢巻を着用、太鼓に合わせ演舞。D.S(Dancing Story)は生徒でテーマ(童話・映画等)を決め、物語に沿った音楽や衣装、踊りの振り付けを考え、ミュージカルのように演じる[14]。パネルは、各団ごとのテーマをモチーフに大型パネルを製作。「演技の途中で絵が変化する」「煙を噴き出す」等の凝った趣向が施される。

学校施設[編集]

建設時に遺跡が発掘された為、奈良平安時代の住居跡や、旧石器時代石器など未発掘のまま残され、遺跡の上に盛土をし保存した状態で、建物等のレイアウトを大幅に変更し整備された。運動場やテニスコートが一段高いのはその為である。

なお校舎は半世紀前の開校時の旧耐震基準既存不適格のままで、震度6強の揺れで倒壊の恐れがある。このため2005年平成17年)から改修を行った[17]

高校関係者と組織[編集]

関連団体[編集]

  • 大阪府立三島高等学校同窓会 - 同窓会。固有の団体名は無し

学者[編集]

芸能[編集]

スポーツ[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 大阪府立三島高等学校創立50周年記念誌『50年の歩み』(学校沿革誌、2019年
  2. ^ 学校案内 | 大阪府立三島高等学校(高槻市)
  3. ^ 高槻市には、旧制中学校として1940年創立の私立高槻高校がある。
  4. ^ 十五の春(ジュウゴノハル)とは - コトバンク
  5. ^ 故黒田さん(元大阪府知事)偲び お別れする会/不破議長、桂米朝さんらがお別れの言葉/参列の2100人が献花 - 日本共産党
  6. ^ 『三島高校20年史』P30 「草創期の三島高校(中島初代校長に聞く)」より。
  7. ^ 自転車の交通安全講習会を実施しました - 大阪府立三島高等学校” (日本語). 大阪府立三島高等学校(校長だより) (2018年4月23日). 2020年11月7日閲覧。
  8. ^ お問い合わせ・アクセス” (日本語). 大阪府立三島高等学校. 2020年11月7日閲覧。
  9. ^ a b 学校案内” (日本語). 大阪府立三島高等学校. 2020年11月7日閲覧。
  10. ^ 大阪府立三島高等学校同窓会2012年11月20日” (日本語). facebook(大阪府立三島高等学校同窓会). 2020年11月7日閲覧。
  11. ^ 自転車競技部が大阪総体で優勝しました” (日本語). 大阪府立三島高等学校 (2020年10月17日). 2020年11月7日閲覧。
  12. ^ 【関西の議論】今宮、箕面、三島高、世界で喝采・ナニワの高校ダンス部…「ダンス王国」を支える大阪人の“あのDNA” - 産経新聞2013年平成25年)6月1日
  13. ^ https://www.youtube.com/watch?v=jrGT_iAwjWw
  14. ^ 現在は援団の演舞をベースにD.Sにあたる音楽を用いて演技、小道具を使ったり学生服に+αをするなど両方の要素を持った一つの種目にまとめられている。
  15. ^ 2016年2月のみ立命館大学いばらきキャンパスで開催
  16. ^ 2009年以前は大阪・梅田宝塚造形芸術大学内ギャラリーを使用
  17. ^ 棟別耐震性能一覧表【府立学校】” (日本語). 大阪府庁. 2020年11月8日閲覧。

参考文献[編集]

  • 大阪府立三島高等学校創立50周年記念誌『50年の歩み』(2019年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]