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大坪寛子

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博士(医学)
大坪 寛子
Hiroko Otsubo cropped 2 Hiroko Otsubo 2015 1.jpg
厚生労働省のウェブサイトにて
公表された肖像写真
国籍 日本の旗 日本
教育 東京慈恵会医科大学
医学部卒業
職業 厚生労働技官
著名な実績 ヘモビジランスシステムの
起ち上げへの参画
医学関連経歴
分野 内科学
所属 東京慈恵会医科大学
国立感染症研究所
厚生労働省

大坪 寛子(おおつぼ ひろこ)は、日本医師医学者内科学)、厚労官僚厚生労働省大臣官房審議官(危機管理、科学技術・イノベーション、国際調整、がん対策、国立高度専門医療研究センター担当)

東京慈恵会医科大学医学部助教国立感染症研究所血液・安全性研究部研究員環境省総合環境政策局企画課特殊疾病対策室室長、厚生労働省医政局総務課医療安全推進室室長などを歴任した。


概要

内科学を専門とする医学者である。東京慈恵会医科大学に勤務し、血液安全確認システムの起ち上げなどに参画した。一時、国立感染症研究所に出向し[1]、血液・安全性研究部で研究員を務めた[1]。その後、厚生労働省技官として入省し[2]、省内の要職を歴任するとともに、環境省内閣官房にも出向した[2]

来歴

生い立ち

1986年昭和61年)、東京慈恵会医科大学に進学し、医学部医学科にて学んだ。1992年平成4年)、東京慈恵会医科大学を卒業した。なお、後年、「細胞内酵素活性からみた血液透析ならびに持続携行式腹膜透析患者の好中球殺菌能の検討」[3]と題した博士論文を提出している。その結果、2000年(平成12年)3月27日に東京慈恵会医科大学より博士(医学)学位が授与されている[3][4]

医学者として

大学卒業後は、母校である東京慈恵会医科大学の医学部の助教に就任した。また、血液安全確認システムの起ち上げなどに携わった。また、附属病院内科医を兼務した。2007年(平成19年)10月1日、厚生労働省施設等機関の一つである国立感染症研究所に出向し[1]、任期付きの研究員として血液・安全性研究部に配属された[1]2008年(平成20年)9月、東京慈恵会医科大学に復職した[5]

厚労官僚として

その後、2008年、厚生労働省に技官として入省した[2]。同年、厚生労働省の医薬食品局にて血液対策課に配属された[2]2009年(平成21年)には、厚生労働省の健康局に異動し結核感染症課に配属された[2]2010年(平成22年)、厚生労働省の医薬食品局にて再び血液対策課に配属された[2]2011年(平成23年)、環境省に出向し[2]総合環境政策局の企画課にて特殊疾病対策室に配属された[2]。その後、石綿健康被害対策室に配属された[2]。翌年、特殊疾病対策室の室長に昇任した[2]2013年(平成25年)、厚生労働省に戻り[2]医政局の総務課にて医療安全推進室の室長に就任した[2]

2015年(平成27年)に内閣官房に出向し、健康・医療戦略室にて参事官に就任した。2019年令和元年)7月、厚生労働省にて大臣官房審議官(危機管理、科学技術・イノベーション、国際調整、がん対策、国立高度専門医療研究センター担当)に就任した[6]。また、内閣官房に設置された健康・医療戦略室にて次長を兼ね、健康医療政策の取り纏めに従事した。そのほか、内閣府にて大臣官房の審議官(科学技術・イノベーション担当)に併任されるとともに[7]、日本医療研究開発機構・医療情報基盤担当室の室長にも併任された[7]

略歴

脚注

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  1. ^ a b c d e 山口一成「血液・安全性研究部」『国立感染症研究所年報』平成19年度版、国立感染症研究所
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 大坪寛子「質が高く効率的な医療提供体制の構築――医療の安全性確保と質の向上を目指して」『平成27年度厚生労働省医系技官』厚生労働省、2015年、3頁。
  3. ^ a b 「書誌事項」『CiNii 博士論文 - 細胞内酵素活性からみた血液透析ならびに持続携行式腹膜透析患者の好中球殺菌能の検討国立情報学研究所
  4. ^ 学位授与番号乙第2443号。
  5. ^ 山口一成「血液・安全性研究部」『国立感染症研究所年報』平成20年度版、国立感染症研究所
  6. ^ 厚生労働省幹部名簿』2019年12月1日。
  7. ^ a b 「幹部名簿」『幹部名簿 : 組織・業務の概要 - 内閣府内閣府、2019年10月30日。