大分県立病院

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Japanese Map symbol (Hospital) w.svg 大分県立病院
Oita Prefectural Hospital.jpg
情報
正式名称 大分県立病院
英語名称 Oita Prefectural Hospital
標榜診療科 内科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、血液内科、神経内科、内視鏡内科、外科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、整形外科、脳神経外科、形成外科、内視鏡外科、精神科、小児科、皮膚科、泌尿器科、産科、婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、リハビリテーション科、放射線科、救急科、麻酔科、歯科口腔外科
許可病床数

582床
一般病床:566床


感染症病床:16床
機能評価 一般500床以上:Ver5.0
開設者 大分県
管理者 井上 敏郎(院長)
地方公営企業法 全部適用
開設年月日 1880年3月1日
所在地
870-8511
大分県大分市大字豊饒476番地
位置 北緯33度12分23.4秒
東経131度35分56.6秒
二次医療圏 中部
PJ 医療機関
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大分県立病院(おおいたけんりつびょういん)は、大分県大分市豊饒(ぶにょう)にある公立病院。大分県で唯一の県立病院である[1]。略称は県病(けんびょう)。

診療科[編集]

歴史[編集]

  • 1880年(明治13年)3月1日 - 大分県病院兼医学校として大分市高砂町に開設。
  • 1889年(明治22年) - 大分県病院廃院(無償治療による財政圧迫のため)。私立の大分病院として承継される。
  • 1899年(明治32年) - 大分県立病院として再発足(内科及び外科)。
  • 1902年(明治35年) - 産婦人科新設。
  • 1911年(明治44年) - 眼科新設。
  • 1915年(大正 4年) - 耳鼻咽喉科新設。
  • 1924年(大正13年) - 皮ばい科新設。
  • 1926年(大正15年) - 小児科新設。
  • 1927年(昭和2年) - 皮ばい科を皮膚科、泌尿器科に再編。
  • 1945年(昭和20年)7月17日 - 大分空襲により焼失(当時の病床数189床)。
  • 1955年(昭和30年) - 整形外科新設。
  • 1958年(昭和33年) - 放射線科新設。
  • 1959年(昭和34年) - 成人病治療センター、神経科新設。
  • 1960年(昭和35年) - 病理検査科新設。
  • 1964年(昭和39年) - 第二内科新設。
  • 1967年(昭和42年) - 歯科、理学診療科新設。
  • 1969年(昭和44年) - がん診療部、脳神経外科、麻酔科新設。
  • 1970年(昭和45年) - 生化学検査部新設。
  • 1972年(昭和47年) - がん診療部をがんセンターに改称。病理検査科、生化学検査科を統合して中央検査部に改組。健康管理部新設。
  • 1976年(昭和51年) - 第四内科新設。
  • 1981年(昭和56年) - 精神神経科病棟開設。
  • 1984年(昭和59年) - 新生児医療室新設。
  • 1989年(平成元年) - MRI棟の新設
  • 1992年(平成4年)8月18日 - 現在地に新築・移転(一般病床610床、伝染病床20床)。新生児科、心臓血管外科、小児外科新設。跡地には1998年(平成10年)にOASISひろば21が完成している。
  • 2005年(平成17年) - 総合周産期母子医療センター開設。
  • 2006年(平成18年) - ICU部、手術部設置。
  • 2007年(平成19年) - 救急部設置。
  • 2008年(平成20年) - 大分県地域がん診療連携拠点病院に指定。DPC対象病院。救命救急センター開設。
  • 2009年(平成21年) - 形成外科新設。地域医療支援病院指定。
  • 2010年(平成22年) - ドクターカーを導入。地域医療部設置。7対1看護体制の導入。
  • 2011年(平成23年) - 病院総合情報システム(電子カルテ)の導入。感染症病床16床を12床へ変更。
  • 2014年(平成26年) - 第一種感染症指定医療機関指定。

医療機関の指定等[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 2010年9月30日までは他に大分県立三重病院があったが、同年10月1日に公立おがた総合病院と統合され、豊後大野市が運営する豊後大野市民病院三重診療所となったため、当院が唯一の県立病院となった。

外部リンク[編集]