堀米庸三
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堀米 庸三(ほりごめ ようぞう、1913年2月24日 - 1975年12月22日)は、山形県河北町生まれの歴史家。専攻は西洋中世史。
経歴[編集]
1913年、 山形県西村山郡河北町生まれ。1930年に旧制芝中学校卒業し、旧制第一高等学校を受験するも失敗。失意の内に故郷山形に帰省中、ブラジル移住を志す。しかし家族の説得により断念。一念発起し、翌年一高に無事合格した[1]。1934年に一高を卒業[2]し、東京帝国大学文学部西洋史学科入学[3]。1937年、卒業[4]。
1941年に 神戸商業大学予科講師[5]、翌1942年に教授。1947年(昭和22年)に北海道大学法文学部助教授、1951年に北海道大学文学部教授を経て、1956年東京大学文学部教授。1958年ハーバード大学留学。1969年に東京大学文学部長。1973年に退官し、東京大学名誉教授。
学問[編集]
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中世国家論[編集]
文明批評[編集]
論争[編集]
堀米・世良論争[編集]
堀米・吉岡論争[編集]
その他[編集]
弟子に、石川武 (法学者)、木村尚三郎、渡邊昌美、二宮宏之、堀越孝一、直居淳、城戸毅、樺山紘一、渡辺節夫などがいる。
著作[編集]
単著[編集]
- 『中世国家の構造 社会構成史体系3』(日本評論社、1949年)
- 『西洋中世世界の崩壊』(岩波書店[岩波全書]、1958年、新装版2005年)
- 『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』(中央公論社[中公新書]、1964年/中公文庫、2013年)
- 『歴史をみる眼』(日本放送出版協会[NHKブックス]、1964年、新装版2014年)
- 『歴史と人間』(日本放送出版協会[NHKブックス]、1965年)
- 『中世の光と影』(「世界の歴史7」文藝春秋、1967年/講談社学術文庫(上下)、1978年)
- 『歴史の意味』(中央公論社[中公叢書]、1970年)
- 『歴史家のひとり旅』(新潮社、1971年)
- 『ヨーロッパ歴史紀行』(潮出版社、1973年/筑摩書房[筑摩叢書]、1981年)
- 『歴史と現在』(中央公論社[中公叢書]、1975年)
- 『紀行と随想』(近藤出版社、1976年)
- 『ヨーロッパ中世世界の構造』(岩波書店、1976年)
- 『わが心の歴史』(新潮社、1976年)。遺著
共編著[編集]
- 『中世ヨーロッパ 世界の歴史3』(中央公論社、1961年、新装版・中公バックス、1983年。中公文庫、1974年)。堀越孝一と
- 『世界の名著55 ホイジンガ』(中央公論社、1967年、新装版・中公バックス、1979年。単行判1971年)。責任編集、堀越孝一訳「中世の秋」
- 『西洋中世世界の展開』(東京大学出版会、1973年)
- 『歴史学のすすめ 学問のすすめ11』(筑摩書房、1973年)、編者代表
- 『中世の森の中で 生活の世界歴史6』(河出書房新社、1975年、新装版1980年。河出文庫、1991年) 。木村尚三郎ほか
- 『西欧精神の探求-革新の十二世紀』(日本放送出版協会、1976年。NHKライブラリー(上下)、2001年)。木村尚三郎ほか
- 『ヨーロッパ世界の成立 世界の歴史8』(講談社、1977年)
- 『中世ヨーロッパの歴史』(講談社学術文庫、2006年)。※実質は堀越孝一の単著
論文(一部)[編集]
- 「テオドール・マイヤーの独逸近代国家成立論について」『史学雑誌』51-1、1940年
- 「西洋における封建制と国家」『思想』302号、1949年、67-77頁
- 「中世後期における国家権力の形成」『史学雑誌』62-2、1953年、94-138頁
- 「ドイツにおけるモヌメンタ・ゲルマニエ・ヒストリカ編纂刊行の沿革」『日本歴史』194、1964年