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千葉直重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
千葉 直重
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 不詳[1][注釈 1]
死没 寛永4年3月1日1627年4月16日
戒名 即室謙入居士
主君 北条氏政氏直蜂須賀家政至鎮忠英
阿波国徳島藩
氏族 後北条氏下総千葉氏→後北条氏
父母 父:北条氏政
養父:北条氏照
兄弟 北条氏直太田源五郎太田氏房直重北条直定北条源蔵 (鶴)勝千代
芳桂院(千葉邦胤室)、竜寿院(里見義頼正室)、庭田重貞
正室:千葉邦胤の娘
継室:市原如雪の妹[2]
十三郎
養子:大石重昌
猶子(千葉氏後継):千葉重胤
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千葉 直重(ちば なおしげ)は、戦国時代から安土桃山時代武将で、北条氏政の子。兄の北条氏直から一字を与えられて直重と名乗る[注釈 2]

生涯

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生年は永禄9年(1566年)で、母は黄梅院とされていたが、「堀尾古記」天正18年(1590年)条に、「七郎十八」と記されていることから、天正元年生誕のであり、黄梅院は永禄12年(1569年)に死去しているため、母は黄梅院ではないと考えられている[3]

天正12年(1584年)以前までに叔父氏照(大石源三)の養子になった[4]

天正13年(1585年)の千葉邦胤の死後、邦胤の男子は幼少であり、千葉氏の家中の間で北条氏の対応を巡り内紛が生じていたが、親北条派の原胤長は北条氏に佐倉領の進軍を求めてきた。それを受けて10月末に氏直の進軍が行われ、新たに鹿島城を築城して佐倉領を制圧した。同時に、反北条派の頭領である原親幹に対し氏政は服属をすすめる交渉を行っている。鹿島城築城を受けて親幹は忠誠を誓う起請文を提出し、北条家に屈服し、これにより後の直重が養子に入って継承することになった[5]。また、この際、北条家は邦胤の生母ではないものの家中に影響力を持つ千葉胤富の室(千葉勝胤の子・神島胤重の娘とされる)を担ぎ出すことに成功して、邦胤の娘を直重に嫁がせることを取り纏めたという[6]。天正17年(1589年)元服し、千葉家に由来すると見られる七郎を称し、同年には家督を継承した[2][5][注釈 3]。また、千葉家の家督を継承したものの、同領の支配は北条氏政が行った。その後、佐倉領支配を氏政あら継承されることを予定されていたとみられるが、佐倉領支配を実際にすることはなく、天正18年(1590年)、小田原征伐を迎えた[3]

小田原征伐では、小田原城に籠城し、水尾口の守備を担当した[3]。小田原合戦後は妻と離別して兄・氏直に従い高野山に隠棲し、天正19年(1591年)に赦免されると、同じく赦免されたとみられ、文禄4年(1595年)までに蜂須賀家政に仕え、知行500石を与えられている[3][2]慶長2年(1597年)の「蜂須賀家分限帳」には坂東沖大幸174石余、同椎本330石の計500石が記され、この時には千葉姓から北条姓に復したことも確認される[3]

寛永4年(1627年)3月1日、死去。

なお、継室との間に生まれた実子の十三郎は早世したため、蜂須賀氏家臣益田豊正の三男を婿養子に迎え、一字を与えて大石重昌(おおいし しげまさ)と称させた上で家督を継承させた。子孫は代々蜂須賀家に仕え、三代後の直武(なおたけ)から実家(後北条氏)の祖先とされる伊勢氏を称している[7]

直重を氏政の子とする説については黒田基樹の研究によるところが大きいが、近年朝野雅文は『寛政重修諸家譜』の記述を根拠として直重を北条氏康の子とする異説を唱えている。それによると直重は千葉親胤暗殺後に氏康と千葉氏重臣の工作により千葉利胤の娘を娶って家督を継いだものの、千葉胤富擁立派に敗れて北条家に戻った後に実兄の氏照の養子になったものとしている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 天正元年(1573年)生まれの可能性が高いとする[2]。北条氏の系図では直重の母は黄梅院とされてきたが、黒田説に従えば彼女の死去した後に誕生したことになるため、別の女性が母親と言うことになる。
  2. ^ 下総千葉氏の当主では唯一、通字の「胤」の字を用いていないが、「重」の字は千葉氏の祖先にあたる千葉常重に由来するものと考えられる。
  3. ^ 邦胤の実子は幼少のためもあってかこの時は家督を継がず、後北条氏の人質として母とともに小田原に住むこととなった。のちに直重から一字を与えられて重胤と名乗り、千葉氏を継いだものとみられる。

出典

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  1. ^ 堀尾古記
  2. ^ a b c d 黒田 2018, pp. 11.
  3. ^ a b c d e 『戦国北条家一族事典』戎光祥出版、2018年、118-120頁。 
  4. ^ 黒田 2017, pp. 256.
  5. ^ a b 黒田 2018, pp. 212.
  6. ^ 黒田基樹「戦国期の千葉氏御一家」『千葉いまむかし』24号、2011年。 /所収:黒田基樹『戦国期関東動乱と大名国衆』戎光祥出版、2021年、76-78頁。ISBN 978-4-86403-366-4 
  7. ^ 黒田 2005, pp. 219.

参考文献

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外部リンク

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