函館夜景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
函館山の最高峰・御殿山からの夜の風景(夜景)

函館夜景(はこだてやけい)とは、北海道函館市のうち函館市旧市街地(旧・函館区<宇須岸、のちの箱館>、旧・亀田村の一部<のちの函館区海岸町と同区大字亀田村>旧・尻沢辺村<谷地頭地区および大森浜地区>、旧・下湯川村)、津軽海峡上のイカ漁区域における夜の景色(夜景)である。函館山最高峰・御殿山からの夜の景色が主なものである。

概要[編集]

函館山にある津軽要塞の御殿山第二砲台跡
陸軍の重要拠点だった函館

第二次世界大戦終結前の函館は要塞地帯法軍事的事情によって住民生活に制限が加えられていて(大日本帝国陸軍函館要塞、のちの津軽要塞)、軍事施設である函館山への登山はもちろん、写真撮影はもちろん写生をすることを厳しく禁じられていた[1]。函館要塞時代においてはロシア帝国を仮想敵国として要塞を構築[2]1919年(大正8年)に一時廃止されたものの[3]、津軽海峡を封鎖できるよう津軽要塞として再構築され、引き続き制限を加えられた。

電力事業

ところで夜景の主な光源となる電力事業であるが、当地では1896年(明治29年)1月15日に当時の函館区東川町(現在の北海道電力東雲変電所)に火力発電による電力会社として函館電燈所が開業した。その後、渡島水電(のちの函館水電)が1907年(明治40年)2月に買収して函館およびその近郊に電灯・電力の供給を開始、翌1908年(明治41年)には水力発電所の大沼発電所が完成し送電を開始している[4]

戦後の観光開発

敗戦後制限がなくなり、函館市と商工団体によって大蔵省(現・財務省)に対し函館山の払い下げの陳情がおこなわれた。1946年(昭和21年)10月17日に一時使用が許可され、観光開発が開始、1950年(昭和25年)、軍用道路を改良し登山道を開通させ、1953年(昭和28年)5月には住民や観光客のために函館市営バスによる函館山登山バス(現・函館バス1系統「函館山登山バス」)の営業を始めた。1957年(昭和32年)11月、週刊読売の「新日本百景」で函館山が第1位に選ばれたことで人気が高まった[1]

平成から令和時代

平成に入り、1991年(平成3年)函館青年会議所関係者が発起して記念日「函館夜景の日」を制定、市内で関連イベントを開催した。8月13日とは8(や)とトランプの“K”にあたる13の語呂合わせである[5]他、市は国の交付金ふるさと創生事業(1億円)」を活用し、主に歴史的建造物ライトアップ街路灯強化を行い夜景の見栄えをよくした(1989年<平成元年>策定のファンタジー・フラッシュ・タウン基本計画)[6][7]

年表[編集]

  • 1946年昭和21年)10月17日 - 大蔵省より函館山の一時使用許可がでる
  • 1950年(昭和25年) - 函館山登山道開通
  • 1953年(昭和28年)5月 - 函館市営バスが函館山登山バスを運行開始
  • 1957年(昭和32年)11月 - 函館山が週刊読売の「新日本百景」第1位に選ばれる
  • 1991年平成3年) - 函館夜景の日制定

脚注[編集]

  1. ^ a b 函館市史 通説編第4巻 p682-p686
  2. ^ 日本の要塞-忘れ去られた帝国の城塞 p83
  3. ^ 白い航跡-青函連絡船戦災史- p52
  4. ^ 函館市史 通説編第3巻 p251
  5. ^ "函館夜景の日、市内13カ所から一斉に花火" e-Hakodate/函館新聞 2009年8月14日 10:03更新 2024年3月12日閲覧
  6. ^ "函館における観光開発" 龍野紋香 1996年
  7. ^ "街灯の色味の変更について" 函館市民の声 函館市 2020年4月21日更新 2024年3月10日閲覧

参考文献[編集]

  • 函館市史 通説編第4巻 函館市史編さん室編 函館市 2002年
  • 日本の要塞-忘れ去られた帝国の城塞 長谷川晋·編 学習研究社 2003年 ISBN 978-4056032024
  • 白い航跡-青函連絡船戦災史- 青函連絡船戦災史編集委員会 北の街社 1995年 ISBN 978-4873730462
  • 『我が街 はこだてタウン誌50年』 タウン誌「街」編集室編 2013年

関連項目[編集]