下原理

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下原理
第59回六甲杯口取り式(2021年6月3日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県三和町(現・神石高原町
生年月日 (1977-09-03) 1977年9月3日(46歳)
身長 160cm
体重 51kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 兵庫県競馬組合
所属厩舎 西脇・寺嶋正勝
→西脇・栗林徹治
勝負服 紫、白菱山形一文字
初免許年 2003年
免許区分 平地
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下原 理(しもはら おさむ、1977年9月3日 - )は、地方競馬兵庫県競馬組合西脇馬事公苑、栗林徹治厩舎所属の騎手

実家は神石高原町小畠にある精肉店「JKミートショップSHIMOHARA」を経営。3人兄弟の長男として生まれる[要出典]。勝負服は寺嶋正勝のデザインを受け継いでいる。

来歴[編集]

1995年10月10日ツカサホマレに騎乗しデビュー、13日にスペシャルナイトで優勝し、初勝利。

天才肌と評されながらなかなか勝ち鞍を増やせなかったが、小牧太赤木高太郎岩田康誠が相次いで中央競馬(JRA)に移籍するに伴いリーディング上位に台頭する。小牧・岩田の寡占時代が終わって恩恵を受けた1人ではあるが、それに応えるだけの実力を有していたことは確か。2006年は自厩舎のチャンストウライ兵庫ダービー菊水賞の2冠を制している。

2002年8月3日、JRA小倉競馬場の第9競走、フェニックス賞(OP)にてJRA初騎乗。

2006年8月2日の園田第11レースのサマークイーン賞で勝利し、通算500勝を達成。

2007年3月10日、JRA阪神競馬場の第7競走でコウエイノホシ(15頭立て11番人気)に騎乗し、13戦目でJRA初勝利を挙げた。通算2勝だが、確実に着を拾ってくる騎乗で、1年に数回しかJRAでは騎乗しないものの、騎乗数そのものは少なくない。

2007年3月18日、JRA阪神競馬場の第11競走、阪神大賞典(G2)でJRA重賞初騎乗。

2008年1月30日第21回園田競馬4日目第6競走T1 3歳特別戦をパセティックシーンで優勝(8頭立て1番人気)し、地方競馬通算700勝達成[1]。同年2月11日佐賀記念にてチャンストウライに騎乗しダートグレード競走での初勝利を挙げる。同年11月3日に園田競馬場で行われたJBCにはクラシック、スプリント両方に騎乗した。

2009年も自厩舎のカラテチョップで兵庫ダービー、菊水賞の2冠を制す。

2010年5月25日の姫路競馬第7競走で1000勝を達成した[2]。同年は161勝を挙げ、5年連続でリーディング4位に食い込んだ。

2014年2月4日園田競馬第4競走をアートショウリで制し、地方競馬通算1500勝を達成した[3]

寺嶋正勝調教師の逝去により、2015年3月14日付で栗林徹治厩舎に所属変更[4]

2015年212勝を挙げ、初の兵庫リーディング2位に躍進した。

2016年9月8日の園田第6レースで勝利し、通算2000勝を達成。ゴールデンジョッキーとなる。

2016年に267勝し、初の兵庫県リーディングとなり、地方競馬全体でも第2位となった。

2017年1月31日、川崎競馬場で開催された佐々木竹見カップ・ジョッキーズグランプリ出場。(14人中2位)

2017年は273勝し、2年連続の兵庫県リーディング、加えて初めて地方競馬全国リーディングジョッキーとなり[5]NARグランプリ2017最優秀勝利回数騎手賞を初受賞。

2018年はエイシンヴァラーに騎乗し黒船賞、エイシンバランサーに騎乗しサマーチャンピオンを勝利、年2回のダートグレード競走での勝利を挙げる。

2020年9月3日、自身の誕生日にステラモナークで園田オータムトロフィーを勝ち、木村健に並ぶ重賞通算70勝の兵庫県最多タイ記録を達成。

2020年10月28日の園田第12レースで勝利し、21941戦目にして地方通算3000勝を達成[6]

重賞勝ち鞍[編集]

太字はダートグレード競走。

兵庫県競馬[編集]

出典:[7]

他地区[編集]

出典:[7]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]