上海上国造

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上海上国造
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本姓 檜前舎人氏
家祖 忍立化多比命または五十狭茅宿禰
種別 神別天孫
出身地 伊勢国
主な根拠地 上海上国
(のちの上総国
著名な人物 #人物を参照
支流、分家 刑部氏
凡例 / Category:日本の氏族

上海上国造(かみつうなかみのくにみやつこ・かみつうなかみこくぞう)は、上海上国を支配した国造

概要[編集]

表記[編集]

古事記』では上菟上国造、『先代旧事本紀』「国造本紀」では上海上国造とある。

祖先[編集]

氏族[編集]

檜前舎人氏(ひのくまとねりうじ、)で、出雲国造无邪志国造下海上国造千葉国造伊自牟国造遠淡海国造などと同系。一族に刑部直が見える。天武天皇11年(682年)に、14年(685年)に忌寸に昇格。『続日本紀』には、神護景雲元年9月22日条に「上総国海上郡人外従五位下の檜前舎人直建麻呂に上総宿禰の姓を賜ふ」と、また宝亀6年3月2日条に「外従五位下の上総宿禰建麻呂を隼人正と為す」とあり、上海上国造の子孫とみられ上総氏の祖ともされる。

本拠[編集]

支配領域[編集]

国造の支配領域は、当時上海上国と呼ばれた地域、後の上総国海上郡、現在の千葉県市原市に相当する。

領域の養老川流域には、出現期古墳(纒向型前方後円墳)である神門古墳群や、王賜銘鉄剣を出土した稲荷台1号古墳があり、古くからヤマト王権と緊密なつながりがあったことが想定される。『万葉集』巻第十四東歌の筆頭に「夏麻引く海上潟の沖つ渚に船はとどめむ小夜ふけにけり」とあり、水上交通の要衝であったともされる。

当国造の領域と下海上国造の領域の間に武社国造の領域がはいっていることから、房総の国造制の展開には少なくとも2段階があったとされ、5世紀までは下海上国も併せ、千葉県中部から茨城県埼玉県東京都にかけての一帯を支配した大勢力であったとする説もある[要出典]

系図には五十狭茅宿禰の子の代で上海上国造、下海上国造千葉国造の三国に分離しているため、五十狭茅宿禰が香坂王忍熊王の反乱に加担して敗北し、それによって応神朝に分割されたと見る説がある[2]

その後6世紀に中央から進出した勢力の建てた武社国によって上・下に分割され、さらに村田川流域の菊麻国造の台頭により衰退を余儀なくされた。養老川下流南岸の姉崎古墳群は当国造一族の墳墓とされ、4世紀後半の全長130メートルの姉崎天神山古墳、5世紀前半の全長86メートルの釈迦山古墳に続き、5世紀後半には全長103メートルの姉崎二子塚古墳が造営されているが、6世紀以降とされる古墳が徐々に縮小していることからも衰退が裏付けられる[要出典]

氏神[編集]

国造の氏神式内社島穴神社姉埼神社と見られる。

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姉埼神社には、上海上国造に任じられたとされる忍立化多比命が天児屋根命と塞三柱神を合祀したとされており、姉崎古墳群は姉埼神社を氏神として祀っていた上海上国造一族の墳墓とする説がある[3]

人物[編集]

子孫[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 中田憲信「東国諸国造系図」『諸系譜』第一冊。
  2. ^ 宝賀寿男「第二章 越と阿倍氏族」『越と出雲の夜明け』法令出版、2008年。
  3. ^ 鈴木仲秋「姉崎神社・島穴神社」『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』谷川健一編、白水社、1984年。

参考文献[編集]

  • 『國史大辭典』(吉川弘文館
  • 坂本太郎・平野邦雄『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)
  • 『日本古代人名辭典』(吉川弘文館)
  • 『日本史広辞典』(山川出版社
  • 『神道大辞典』(臨川書店)
  • 『日本史総覧』(新人物往来社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]