三浦ミツ

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三浦 ミツ(みうら ミツ、1888年明治21年〉12月20日 - 1968年昭和43年〉10月21日)は、日本社会事業家伝道師岩手県渋民村(後の盛岡市)出身。別名、三浦光子(みうら みつこ)。旧姓は石川ミツ。歌人・石川啄木の実妹。

日本聖公会の婦人伝道師養成学校である兵庫県芦屋市の聖使女学院を卒業[1]北海道札幌市福岡県久留米市東京都江東区深川奈良県など各地で伝道師として活動した[2]

1922年大正11年)、聖公会の司祭である三浦清一と結婚。夫と苦楽を共にし、彼のもとに集う若者たちを常に温かく包んだ、と評されている[1][2]1938年(昭和13年)、清一が社会科学の論文を雑誌に載せたことで危険思想の持主と見なされて警察に拘留されると、熊本県阿蘇市の教会に移って教会と会員家族を守った[2]

清一の拘留が解かれた後、1944年(昭和19年)に兵庫県神戸市に移り、清一が設立した救貧施設・愛隣館に勤務。1962年(昭和37年)に清一が67歳で死去した後、夫の後を継いで館長の職に就任。貧しい人々の救済に尽力すると共に、日本聖公会神戸昇天教会の忠実な信徒として働き続けた[1][2]。1968年、満80歳で死去[3]

啄木の妹としては、『悲しき兄啄木』『兄啄木の思い出』を著した。これらの著書では、啄木の墓が郷里の岩手ではなく北海道函館市に建立されたことを厳しく批判している(岡田健蔵#石川啄木関連も参照)。この反響により1965年(昭和40年)には啄木生誕80年の記念行事の一環として、啄木の遺骨を岩手へ分骨して故郷へ葬ろうとの活動に至っている[4]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 『日本女性人名辞典』芳賀登他監修、日本図書センター、1998年10月、普及版、989頁。ISBN 978-4-8205-7881-9
  2. ^ a b c d 『あかしびとたち 日本聖公会人物史』日本聖公会歴史編集委員会編、日本聖公会出版事業部、1974年7月20日、362-364頁。NCID BN1532999X
  3. ^ 日本人名大辞典上田正昭他監修、講談社、2001年12月6日。ISBN 978-4-06-210800-32016年4月2日閲覧。
  4. ^ “遺骨を渋民に”. 岩手日報 夕刊 (岩手日報社): p. 4. (1965年8月6日)