レーゲンスブルク

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レーゲンスブルク

Regensburg
レーゲンスブルクの旗
レーゲンスブルクの紋章
紋章
レーゲンスブルクの位置(ドイツ内)
レーゲンスブルク
レーゲンスブルク
北緯49度1分0秒 東経12度5分0秒 / 北緯49.01667度 東経12.08333度 / 49.01667; 12.08333
ドイツの旗 ドイツ
バイエルン州
行政管区 オーバープファルツ行政管区
郡独立市
行政区域 18 Stadtbezirke
行政
 • 市長 ハンス・シャイディンガー (CSU)
面積
 • 合計 80.76km2
最高標高
471m
最低標高
326m
人口
(2019年12月31日)[1]
 • 合計 153,094人
郵便番号
93001 - 93059
市外局番 0941
ナンバープレート R
自治体コード 09 3 62 000
ウェブサイト www.regensburg.de
石橋と大聖堂

レーゲンスブルクドイツ語: Regensburgバイエルン語:Rengschburg)は、ドイツ連邦共和国バイエルン州に位置するオーバープファルツ行政管区の区都である。人口は約12万人(2002年)。ヨーロッパの歴史において政治・経済・文化の各方面で多くの影響を与えた都市である。中世初期にはすでに、「司教座の所在地、バイエルン大公の宮殿の所在地、そしてルートヴィヒ・ドイツ王(ルートヴィヒ1世)及びアルヌルフ・フォン・ケルンテンの下では 東フランク王権の重要な「所在地sedes」である」[2]神聖ローマ帝国の時代、16世紀半ばからは頻繁に帝国議会が、1663年から1684年までは途中一度も閉会することなく「永久帝国議会」(Immerwährender Reichstag)がこの市で開催された[3]

レーゲンスブルクのザンクト・エメラム修道院は、代々皇帝特別主席代理を務め、ヨーロッパの郵便事業などを独占的に取り仕切ったトゥルン・ウント・タクシス家の居所である。

2006年の第30回世界遺産委員会で旧市街地が世界遺産レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフとして登録された。ドナウ川とレーゲン川の合流近くに所在することから交通の要衝として栄え、BMWなどの自動車製造業・ドイツテレコムなどの通信IT事業などの様々な工場が置かれ高い就業率となっている。

地勢・産業[編集]

バイエルン州東部、オーバープファルツの中心都市であり、ドナウ川とレーゲン川の合流近くに位置する。そのため、水上運輸の要所としての役割を果たしている。歴史的景観と穏やかな気候から夏の保養地としても多くの旅行客を集める。近隣の都市としては、南西約55キロにインゴルシュタットが位置する。

産業
BMW、ゼネラル・エレクトリック、ヨーロッパ有数の大手エネルギー会社E.ONなど数多くの工場が置かれ、高い就業率となっている。

歴史[編集]

古代末期[4][編集]

ローマ皇帝 ヴェスパシアヌスの時代、70年頃、今日の市内南部KumpfmühlのKönigsbergに小軍団(cohors)の宿営地(160 x 140 m)が建設されたが、その周辺には数百年来ケルト人が居住していた。集落名はRadaspona(772年の記録に残る)と思われる。このローマ軍の宿営地は170年マルコマンニ族により破壊された。

179年マルクス・アウレリウス・アントニウスドナウ川右岸、レーゲン川が合流する地点の近くに連隊(legio)の宿営地(540 x 450 m)を築かせた。この駐屯地はCastra Regina(レーゲン川沿いの要塞)と呼ばれ、3世紀には防御施設の強化がなされる。要塞に守られる形で民間のローマ人の集落も形成された。Castra Reginaがレーゲンスブルク市の名前の元となっている。記録に残るドイツ語表記のもっとも古い形は、772年のReganespurch。

6世紀になると、バイエルン族がこの地に移住してきて、535年頃、ローマ人の要塞のあったところにバイエルン大公の宮殿(Pfalz)を建設した。これは8世紀になると、カロリング家の王宮(Königspfalz)となる。

中世[編集]

伝説によれば、7世紀あるいは8世紀 ガリア、恐らく北西フランス・ポワティエ出身の巡回司教(Wanderbischof)聖エメラム(Heiliger Emmeram)が バイエルンに招かれ、その大公(Herzog)の斡旋によりレーゲンスブルク司教となり、バイエルンでのキリスト教布教に努めたという[5]

早くから部族大公領バイエルン(Stammesherzogtum)の拠点であり、アギロフィンガー家(Agilofinger)はこの地に自領の中心的宮廷(Hauptpfalz)を置いた[6]739年 ボニファティウスはレーゲンスブルク司教区の組織を再編成した[7]788年タシロ3世がカール大帝に屈服し、レーゲンスブルクに対する支配権はカロリング家に移行した。その後、市は東フランク王国においてフランクフルトとともに傑出した地位を獲得し、カロリング朝廷の官房では「帝都」(civitas regia)という美称を与えられた[8]

フランク王国の統治下に入ったその後も政治・経済の中心として重要な役割を果たしており、大司教座聖堂などを通じてその繁栄をうかがうことができる。13世紀半ばに「帝国自由都市」としての特権を認められていた。

近代以降[編集]

神聖ローマ帝国における帝国議会がこの地で幾度か開催され、1654年にレーゲンスブルクでなされた「最終帝国議会決議」は、正規の帝国議会における決議としては最後のものであった。1663年以降、それまで各地で開かれていた帝国会議は、レーゲンスブルクに常置された。1803年に独立を失い、マインツの代わりとしてマインツ大司教で神聖ローマ帝国の宰相であったカール・フォン・ダールベルクに引き渡された。カールは街を近代化させ、プロテスタントカトリック教徒に同じ権利を与え慕われた。1810年バイエルン王国に引き渡され、カールはフルダへと移った。1809年4月19日から4月23日までオーストリア軍とフランス軍が交戦し、街に大きな被害が出た。第二次世界大戦中にはドイツ軍の第8軍管区本部が置かれたが、連合軍空襲は小規模で、多くの歴史的建造物は破壊されずに残った。

レーゲンスブルク中心地のパノラマ

文化[編集]

1630年、この地で天文学者のケプラーが没している。

この街で「マクデブルクの半球」と呼ばれる真空実験が行われた(実験者ゲーリケマクデブルクの市長だったため、この名で呼ばれる)。

モーツァルトの歌劇魔笛の台本を書いたエマヌエル・シカネーダー(Emanuel Schikaneder, 1751年9月1日 - 1812年9月21日)はこの市の出身である。

2006年、市の中心部に当たる旧市街と対岸の地区が「レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ」としてユネスコ世界遺産に登録された。

小惑星(927)のラティスボナ (小惑星)は、レーゲンスブルクのラテン語名の一つに因んで命名された。

ベネディクト16世の出身地である。

スポーツ[編集]

2. ブンデスリーガに所属しているSSVヤーン・レーゲンスブルクが本拠地を構えている。

関連項目[編集]

友好都市[編集]

引用[編集]

  1. ^ Tabellenblatt "Daten 2", Statistischer Bericht A1200C 202041 Einwohnerzahlen der Gemeinden, Kreise und Regierungsbezirke 1. Vierteljahr 2020
  2. ^ エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X) 、99頁
  3. ^ 帝国議会の「開催地は16世紀半ばからは、たいていはレーゲンスブルクかアウクスブルクだった。1663年にレーゲンスブルクで開催された帝国議会は閉会することなく続くことになった。(中略)1663年-84年の「永久帝国議会」(Immerwährender Reichstag)・・・(後略)」。- ピーター H. ウィルスン『ヨーロッパ史入門 神聖ローマ帝国 1495-1806』(山本文彦訳)岩波書店 2005 (ISBN 4-00-027097-4) 、71-72頁
  4. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VII. München: LexMA 1995 (ISBN 3-7608-8907-7), Sp. 563-564. - Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 512.- Dieter Berger: de:Duden, geographische Namen in Deutschland: Herkunft und Bedeutung der Namen von Ländern, Städten, Bergen und Gewässern, Bibliographisches Institut, Mannheim/Wien/Zürich 1993 (ISBN 3-411-06251-7), S. 219-220.
  5. ^ Hiltgart L. Keller: Reclams Lexikon der Heiligen und der biblischen Gestalten. Stuttgart: Reclam 1968, S. 174.- Erhard Gorys : Lexikon der Heiligen. München: Deutscher Taschenbuch Verlag, 6. Aufl. 2005 (ISBN 3-423-34149-1), S. 103.
  6. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VII. München: LexMA 1995 (ISBN 3-7608-8907-7), Sp.564.
  7. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 512.
  8. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VII. München: LexMA 1995 (ISBN 3-7608-8907-7), Sp.564.

外部リンク[編集]