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ラス・バラード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラス・バラード
Russ Ballard
O2アリーナでのリッチー・ブラックモアズ・レインボー公演にゲストで登場したラス・バラード (2017年)
基本情報
出生名 Russell Glyn Ballard
生誕 (1945-10-31) 1945年10月31日(79歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ハートフォードシャー州ウォルサム・クロス
ジャンル ロックハードロックヘヴィメタルポップ・ロックAOR
職業 ミュージシャン歌手ソングライター
担当楽器 ボーカルギターキーボード
活動期間 1960年 -
共同作業者 アージェント

ラス・バラード (Russ Ballard1945年10月31日 - ) は、イギリス出身のミュージシャンソングライター。1970年代前半に、元ゾンビーズのロッド・アージェントが結成した「アージェント」のメンバーとして活動。アージェント脱退後は、ソロ・アーティストに転向。レインボーのヒット曲「アイ・サレンダー」や「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」、キッスの「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユーII」などのソングライターとして知られる。

経歴

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1945年10月31日、イギリス・ロンドンから20キロ北に位置するハートフォードシャー州のウォルサム・クロスに生まれる。バラードの父はダンスバンドのリーダーでドラムを担当、母はダンサーで、兄はキーボードを演奏する音楽好きな家庭環境で育つ。両親はバラードに8歳から12歳までピアノのレッスンを習わせていた[1]

12歳のとき、投石が右目に当たり、3年間で10回の手術も甲斐なく失明する[1]。その後、両親からエレクトリック・ギターアンプを購入してもらったバラードは、友人たちと「リック・ニコル & ザ・レベルズ」というバンドを結成する。さまざまな地元のコンテストに出るようになり、あるコンテストでボブ・ヘンリットというドラマーと知り合う。バラードとヘンリットは、デイヴィッド・"バスター"・メイクルというボーカリストに出会い、1961年に「バスター・メイクル & ザ・デイブレーカーズ」を結成する。この頃からバラードは自作の曲を書きはじめる[1][2]

1962年、ヘンリットが当時イギリスの人気ロック歌手だったアダム・フェイスのバック・バンド「ルーレッツ」に加入するためデイブレーカーズを脱退する。その数か月後、バラードもギタリスト兼ピアニストとしてルーレッツに加入する。デイブレーカーズ解散後、メイクルは4人組のフォーク・グループ「ユニット4」を結成しており、バラードとヘンリットはアダム・フェイス & ザ・ルーレッツでの活動の傍ら、ユニット4のレコーディングに参加する。バラードとヘンリットが参加して「ユニット4+2」名義でリリースされた「コンクリート・アンド・クレイ」は1965年に全英1位・全米28位を記録している[1][2][3]

アダム・フェイス & ザ・ルーレッツは「The First Time」(1963年、全英5位)、「We Are in Love」(1963年、全英11位) などのヒット曲を出していたが[4]、アダム・フェイスが俳優活動を重点に置くようになると、ルーレッツは他のシンガーのバックを務めるようになる。1967年にルーレッツが解散すると、バラードはヘンリットとともにユニット4のツアーへの参加や、セッション・ミュージシャン兼ソングライターとしての活動を始める[2]

1969年、元ゾンビーズのロッド・アージェントから、彼の従兄弟であるジム・ロッドフォードと計画していた新しいグループへの参加を要請され、バラードはギタリスト兼ボーカリストとして、ヘンリットとともに「アージェント」に加入する。アージェントは「ホールド・ユア・ヘッド・アップ」(1972年、全英5位・全米5位)、「トラジディ (悲劇)」(1972年、全英34位)、「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユー」(1973年、全英18位) といったシングル・ヒットを放っている[5][6]。このうち、「トラジディ (悲劇)」と「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユー」はバラードの作品である。また、アージェントのデビュー・シングルとなったバラード作の「ライアー」はスリー・ドッグ・ナイトがカヴァーし、1971年に全米7位を記録している[7]。「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユー」は、キッスが「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユーII」として歌詞を変えて制作したものが映画『ビルとテッドの地獄旅行』のサントラに使用され、1991年にシングル・リリースされている。

アージェントでは5枚のスタジオ・アルバム制作に参加する。バンドの音楽性がジャズ寄りになり過ぎていると感じたバラードは、1974年にアージェントを脱退する[1]。同年、CBSレコード (エピック・レコード) とソロ契約を結び、ファースト・アルバム『ラス・バラード』をリリース。以降、ソロ・アーティストとして活動している。

バラードの楽曲は多くのアーティストに取りあげられている。代表的なものとして、「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」(レインボー)、「アイ・サレンダー」(レインボー)、「ニューヨーク・グルーヴ」(ハロー、エース・フレーリー)、「風のマジック」(アメリカ)、「ウィニング」(サンタナ) などがある。他にも、ABBA解散後のフリーダアグネタの各ソロ作、ザ・フーロジャー・ダルトリーポインター・シスターズなどにも楽曲を提供している。また音楽プロデューサーとして、レオ・セイヤー (アダム・フェイスがマネージメントを担当していた) やロジャー・ダルトリーの作品のプロデュースを行っている[1][2]

他アーティストに提供・カバーされた主な楽曲

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アーティスト 収録アルバム 備考
「カッコー鳥」
Are You Cuckoo?
ベイ・シティ・ローラーズ 青春に捧げるメロディー (Dedication)』(1976年)
「キャント・シェイク・ルース」
Can't Shake Loose
アグネタ・フォルツコグ 『ラップ・ユア・アームズ (Wrap Your Arms Around Me)』(1983年) 全米29位
「キャント・ウィ・トーク・イット・オーバー」
Can't We Talk It Over
レスリー・マッコーエン 『栄光の凱旋 (Heart Control)』(1982年)
「ドリーム・オン」
Dream On
キング・コブラ 『街角のスリル (Thrill of a Lifetime)』(1986年)
「フリー・ミー」
Free Me
ロジャー・ダルトリー 『マックヴィカー』(1980年)
ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユー
God Gave Rock and Roll to You
ペトラ 『Come and Join Us』(1977年)
キッス 『リヴェンジ』(1992年) ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユーII」として改作
1991年にシングルとしてリリース
「恋の痛手」
Heartbreaker
オリビア・ニュートン=ジョン レット・ミー・ビー・ゼア』(1973年)
「フォー・ラヴ」
I Did It for Love
ナイト・レンジャー マン・イン・モーション』(1988年) 全米75位
「アイ・ドント・ビリーヴ・イン・ミラクルズ」
I Don't Believe in Miracles
コリン・ブランストーン 『エニスモア』(1972年) 全英31位
予感
I Know There's Something Going On
フリーダ (アンニ=フリッド・リングスタッド) 『サムシングズ・ゴーイン・オン』(1982年) 全米13位
「アイ・サレンダー」
I Surrender
ヘッド・イースト 『U.S. 1』(1980年)
レインボー アイ・サレンダー (Difficult to Cure)』(1980年) 全英3位
ストラトヴァリウス インターミッション』(2001年)
アット・ヴァンス 『オンリー・ヒューマン』(2002年)
コンチェルト・ムーン 『アフター・ザ・ダブル・クロス』(2004年)
「夢去りぬ」
Just a Dream Away
ロジャー・ダルトリー 『マックヴィカー』(1980年)
「レット・ミー・ロック・ユー」
Let Me Rock You
ピーター・クリス 『レット・ミー・ロック・ユー』(1982年)
「ライアー」
Liar
スリー・ドッグ・ナイト ナチュラリー』(1970年) 全米7位
グラハム・ボネット 『孤独のナイト・ゲームス (Line-Up)』(1981年)
「ニューヨーク・グルーヴ」
New York Groove
ハロー 『ハロー・エブリバディ (Keeps Us Off the Streets)』(1976年) 全英9位
エース・フレーリー 『エース・フレーリー』(1978年) 全米13位
スウィート 『New York Connection』(2012年)
「オン・ザ・リバウンド」
On the Rebound
ユーライア・ヒープ 魔界再来 (Abominog)』(1982年)
「レベル・セイ・ア・プレイヤー」
Rebel Say a Player
バッド・イングリッシュ 『バックラッシュ』(1991年) ジョン・ウェイトジョナサン・ケインとの共作
「ライディング・ウィズ・ジ・エンジェルズ」
Riding with the Angels
サムソン 『ショック・タクティクス』(1981年) 旧邦題「地獄の天使」
アルバムの旧邦題は『魔界戦士』
シンス・ユー・ビーン・ゴーン
Since You Been Gone
ヘッド・イースト 『Head East』(1978年)
レインボー ダウン・トゥ・アース』(1979年) 全英6位
アルカトラス ライヴ・センテンス』(1984年) 曲名表記は「Since You've Been Gone」
インペリテリ スタンド・イン・ライン』(1988年) 曲名表記は「Since You've Been Gone」
ザ・ブライアン・メイ・バンド 『ライヴ・アット・ザ・ブリクストン・アカデミー』(1994年) 曲名表記は「Since You've Been Gone」
Hi-STANDARD グローイング・アップ』(1995年)
「ふたりのめぐり逢い」
Someday We'll Be Together
ポインター・シスターズ 『ブラック・アンド・ホワイト』(1981年)
「シーズ・ハリケーン」
Some Kinda' Hurricane
ピーター・クリス 『レット・ミー・ロック・ユー』(1982年)
「S.O.S.」
S.O.S.
グラハム・ボネット 『孤独のナイト・ゲームス (Line-Up)』(1981年)
「ソー・ディス・イズ・エデン」
So This is Eden
バッド・イングリッシュ 『バックラッシュ』(1991年) ジョン・ウェイト、ジョナサン・ケインとの共作
「愛の時は過ぎて」
So You Win Again
ホット・チョコレート 『Every 1's a Winner』(1978年) 全英1位、全米31位
「ウィニング」
Winning
ノナ・ヘンドリックス 『Nona Hendryx』(1977年)
サンタナ 『ジーバップ!』(1981年) 全米17位
「風のマジック」
You Can Do Magic
アメリカ 『風のマジック (View from the Ground)』(1982年) 全米8位

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 『ラス・バラード』- Russ Ballard (1974年)
  • 『ウィニング』- Winning (1976年)
  • 『サード・ストローク』- At the Third Stroke (1978年)
  • 『バーネット・ドッグズ』- Barnet Dogs (1980年)
  • 『イントゥ・ザ・ファイア』- Into the Fire (1981年)
  • 『ヴォイセズ』- Russ Ballard (1984年)
  • 『ファイヤー・スティル・バーンズ』- The Fire Still Burns (1985年)
  • The Seer (1993年)
  • Book of Love (2006年)
  • It's Good to Be Here (2015年)

ルーレッツ

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  • 『ステーキ・アンド・チップス』- Stakes And Chips (1965年)[8]

アージェント

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日本公演

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脚注

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  1. ^ a b c d e f LET ME INTRODUCE MYSELF”. Russ Ballard Official Website. 2023年6月15日閲覧。
  2. ^ a b c d Russ Ballard Profile”. Sony Music. 2021年7月12日閲覧。
  3. ^ Official Charts - Unit Four Plus Two
  4. ^ Official Charts - Adam Faith
  5. ^ Official Charts - Argent
  6. ^ Billboard HOT 100 - Argent
  7. ^ Billboard HOT 100 - Three Dog Night
  8. ^ 『Stakes And Chips / ステーキ・アンド・チップス』”. Warner Music Japan. 2021年7月12日閲覧。

外部リンク

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