ユーリ・ニキフォロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニキフォロフ
2019年のニキフォロフ
名前
本名 ユーリ・ヴァレリエヴィッチ・ニキフォロフ
Yuri Valeryevich Nikiforov
ラテン文字 Yuri NIKIFOROV
ロシア語 Юрий Валерьевич Никифоров
基本情報
国籍  ウクライナ
ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1970-09-16) 1970年9月16日(53歳)
出身地 オデッサ
身長 188cm
体重 88kg
選手情報
ポジション DF (CB)
代表歴
1992[1] 独立国家共同体の旗 CIS 4 (0)
1992[1] ウクライナの旗 ウクライナ 3 (0)
1992-2002[1] ロシアの旗 ロシア 55 (6)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ユーリ・ニキフォロフロシア語: Юрий Никифоровユーリイ・ニキーファラフJurij Nikiforov, 1970年9月16日-)は、Jリーグディビィジョン1 (J1)浦和レッドダイヤモンズ等に所属したウクライナ旧ソ連)出身の元サッカー選手。サッカー指導者。ポジションはディフェンダー

略歴[編集]

現役時代のニキフォロフ

若い頃から各年代のソ連代表に選出された経験を持つソ連サッカーの将来を担う選手の一人であったが、1991年のソビエト連邦の崩壊の余波を受け、故郷であるウクライナ代表としてプレーする事を選択した。しかしFIFAワールドカップに出場する為にロシア代表となる道を選択し、1994年のアメリカW杯に出場。ユーロ1996では2試合にフル出場。また2002年の日韓W杯でも代表に選出され、1次リーグの日本代表戦にも出場している[2]

その後、2003年8月に浦和レッズに移籍、8月16日の対ジュビロ磐田戦(埼玉)でリーグ戦デビューを飾り[3]、同年、浦和の歴史において初の主要タイトルとなるナビスコ杯獲得に貢献した[2]。しかし2004年は左ひざの故障で出場がなく6月30日の契約満了を持って退団した。その後、2005年1月にロシアのスポーツ新聞「スポルト・エクスプレス」紙とのインタビューで現役引退を表明した。

引退後は、指導者として活動している。

所属クラブ[編集]

代表歴[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ソビエト連邦 リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
1987 SKAオデッサ 5 0
1988 チョルノモレツ トップリーグ 1 0
ディナモ・キエフ 0 0
1989 0 0
1990 チョルノモレツ 17 0
1991 30 2
ウクライナ リーグ戦 リーグ杯ウクライナ杯 期間通算
1992 チョルノモレツ プレミア 18 2
1992-93 18 2
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
1993 スパルタク・モスクワ トップリーグ 23 0
1994 26 2
1995 22 8
1996 14 5
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1996-97 スポルティング・ヒホン プリメーラ 38 2
1997-98 27 1
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
1998-99 PSV エールディヴィジ 25 1
1999-00 29 3
2000-01 26 1
2001-02 19 0
2002-03 RKC 29 1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 浦和 29 J1 12 0 4 0
2004 3 0 0 0 0
通算 ソ連 53 2
ウクライナ プレミア 36 4
ロシア トップリーグ 85 15
スペイン プリメーラ 65 3
オランダ エールディヴィジ 128 6
日本 J1 12 0 4 0
総通算 379 30

指導者経歴[編集]

タイトル[編集]

選手時代[編集]

チョルノモレツ・オデッサ
FCスパルタク・モスクワ
PSVアイントホーフェン
浦和レッドダイヤモンズ
ソビエト連邦代表
ロシア代表
  • レジェンズカップ:2回(2009、2010)

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]