アレクサンドル・ケルジャコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
アレクサンドル・ケルジャコフ Football pictogram.svg
Aleksandr Kerzhakov 2012.jpg
名前
本名 アレクサンドル・アナトリエヴィッチ・ケルジャコフ
Aleksandr Anatolyevich Kerzhakov
愛称 ケルジ、トザル
ラテン文字 Aleksandr KERZHAKOV
キリル文字 Александр Анатольевич Кержаков
基本情報
国籍 ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1982-11-27) 1982年11月27日(35歳)
出身地 キンギセップ
身長 176cm
体重 76kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000 ロシアの旗 スヴェトゴレツ 32 (27)
2001-2006 ロシアの旗 ゼニト 156 (64)
2007-2008 スペインの旗 セビージャ 26 (8)
2008-2009 ロシアの旗 ディナモ・モスクワ 51 (20)
2010-2017 ロシアの旗 ゼニト 129 (56)
2016 スイスの旗 FCチューリッヒ (loan) 17 (5)
代表歴
2002-2015 ロシアの旗 ロシア 91 (30)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレクサンドル・ケルジャコフ: Александр Кержаков, 1982年11月27日 - )は、ロシアの元サッカー選手。ポジションはフォワード同国代表最多得点記録保持者(30得点)

経歴[編集]

クラブ[編集]

FCゼニト・サンクトペテルブルク[編集]

ゼニトでプレーするケルジャコフ

2001年、ロシアのアマチュアチーム、スヴェトゴレツ・スヴェトゴルスクからロシア・プレミアリーグFCゼニト・サンクトペテルブルクに移籍。ここでレギュラーポジションを掴み取ると、2002年以降はアンドレイ・アルシャヴィンと2トップを組む機会が増えた、2003年にチェコ人指揮官、ウラスティミル・ペトルジェラに重宝され、2004年にはロシア・プレミアリーグの得点王を獲得、UEFAカップでの活躍もあり、国外の複数のクラブから注目を集めるようになる。

しかし、ディック・アドフォカート監督就任以降、折り合いが悪くなり、構想から外れたことで移籍を志願した。

セビージャFC[編集]

2006年12月28日、セビージャFCに500万ユーロで移籍。契約期間は5年半と長期の契約だった。移籍1年目のシーズンではルイス・ファビアーノフレデリック・カヌーテに次ぐ3番手のFWであった。2007年1月14日のRCDマヨルカ戦でリーガ・エスパニョーラデビューを果たし、同月28日のレバンテUD戦 (4-2)で初得点を挙げた。このシーズンでは15試合に出場し、3得点を挙げるまずまずの成績を残したが、2年目はセビージャの監督であったファンデ・ラモスの退団と共に出場機会が激減。エルネスト・ハビエル・チェバントンアルナ・コネの加入もあり、5番手のFWに降格していた。

FCディナモ・モスクワ[編集]

UEFA EURO 2008を見据えて、2008年2月にFCディナモ・モスクワへ移籍することとなった。ディナモ・モスクワではすぐにファーストチョイスのFWとなったものの、戦術上の理由で本職ではない右サイドで起用されることも少なくなかった。

ゼニトへの復帰[編集]

2010年1月16日、古巣ゼニトへの復帰が発表された。チームは転換期を迎えた最中で、パヴェル・ポグレブニャク退団以降頼れるFWが不在だったため、ケルジャコフに懸かる期待が大きかった。重要な試合で得点を重ね、ゼニトを3年ぶりのリーグ制覇に貢献するとともに自身もチーム内得点王(13得点)に輝いた。

2012-13シーズンの夏の移籍市場で獲得したフッキアクセル・ヴィツェルの高額年俸に異を唱え、前週の練習を無断で欠席したうえ、9月26日のクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ戦でも出場を拒否したケルジャコフは、今回の発言に先立つ23日、共闘して抗議を行ったチームメイトのイゴール・デニソフと共にリザーブチームへの降格を言い渡された。しかし28日に謝罪し、トップチームに復帰している。

FCチューリッヒへのローン移籍[編集]

2015-16シーズンは、スイスの強豪FCチューリッヒにローン移籍した。

ゼニトへの復帰、引退[編集]

2016-17シーズンはゼニトでプレーし、シーズン終了後の2017年7月13日、引退と同クラブのユースチームのコーディネーターに就任することが発表された[1]

代表[編集]

代表でのケルジャコフ

2002年3月27日、エストニア代表戦でロシア代表デビューを果たした。さらに同年に開催されたワールドカップのメンバーにも選出され、グループHベルギー戦 (2-3)で途中出場し、ドミートリー・シチョフの得点をアシストした。

ワールドカップ終了直後の同年8月21日のスウェーデン戦 (1-1)で代表初得点を挙げる。

UEFA EURO 2004予選では7試合に出場し、2得点を挙げたが、UEFA EURO 2004のエントリーメンバーには選出されたものの、ドミートリー・キリチェンコドミトリ・ブリキン、シチョフに次ぐ4番手のFWに甘んじ、ポルトガル戦のみの出場に終わった。

当時の所属クラブのセビージャで控えに甘んじていたのを受け、ディナモ・モスクワへ移籍したものの、ベストコンディションには程遠く、UEFA EURO 2008のメンバーには、予選でチーム最多得点を記録したものの落選した。

その後は少しずつ調子を取り戻し、2009年6月のフィンランド戦で1年4か月ぶりに代表に返り咲くと、2得点を挙げる活躍をみせた。2009年11月18日のスロベニア戦 (0-1)で、ロマン・パヴリュチェンコとの交代で後半から出場し、代表通算50試合出場を達成した。しかし後半20分、スロベニアGKサミール・ハンダノヴィッチと交錯した際に相手を蹴ったとして一発退場となり、チームも2010 FIFAワールドカップ本大会出場を逃すなどほろ苦い50試合目となった。

2010年にゼニト時代折り合いが悪かったアドフォカートがロシア代表の監督に就任し、招集が懸念されていたが、その後は関係が改善され、パヴリュチェンコ、ポグレブニャクを抑えてファーストチョイスのFWとなった。

人物[編集]

  • 既婚者であり、マーシャ夫人の間に娘がいる(2005年2月19日に結婚)。
  • 弟は、ゼニト所属のGKミハイル・ケルジャコフ
  • 2002年には、自伝を出版している。タイトルは「Before and after 16」。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

クラブ シーズン リーグ カップ 欧州カップ戦 スーパーカップ 合計
試合 得点 アシスト 試合 得点 アシスト 試合 得点 アシスト 試合 得点 アシスト 試合 得点 アシスト
FCゼニト・サンクトペテルブルク 2001 28 6 7 5 2 1 0 0 0 0 0 0 33 8 8
2002 29 14 2 2 0 1 2 2 0 0 0 0 33 16 3
2003 27 13 6 3 3 0 0 0 0 0 0 0 30 16 3
2004 29 18 4 6 6 2 7 6 0 0 0 0 42 30 6
2005 25 7 8 5 5 0 14 7 3 0 0 0 44 19 11
2006 21 6 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 23 6 1
Total 159 64 28 23 16 4 23 16 3 0 0 0 205 95 32
セビージャFC 2006-07 15 5 2 5 0 0 8 2 1 0 0 0 28 7 3
2007-08 11 3 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 12 4 0
Total 26 8 2 5 0 0 9 3 1 0 0 0 40 11 3
FCディナモ・モスクワ 2008 27 7 4 2 1 0 0 0 0 0 0 0 29 8 4
2009 20 10 0 2 2 1 4 1 1 0 0 0 26 13 2
Total 47 17 4 4 3 1 4 1 1 0 0 0 55 21 6
FCゼニト・サンクトペテルブルク 2010 21 9 1 2 0 0 0 0 0 1 0 0 18 4 0
2011-12 32 23 5 2 0 0 7 1 0 0 0 0 45 24 5
Total 63 40 7 5 0 0 10 5 0 1 0 0 82 45 6
通算 Total 286 127 38 37 19 8 47 24 5 3 0 0 387 170 47

代表での得点[編集]

獲得タイトル[編集]

クラブ[編集]

個人タイトル[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 歴代最多30得点の元ロシア代表FWが現役引退。2002年と2014年のW杯に出場”. フットボールチャンネル (2017年7月14日). 2018年3月21日閲覧。

外部リンク[編集]