ミリ環礁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

座標: 北緯06度08分00秒 東経171度55分00秒 / 北緯6.13333度 東経171.91667度 / 6.13333; 171.91667 ミリ環礁(Mili Atoll)とはマーシャル諸島ラタック列島にある環礁マーシャル諸島共和国に帰属する92の島からなる。陸地の面積は16 km2で、ラグーンは763 km2ある。人口は1999年現在で1032人。

日本統治時代ミレ島またはミレー島と呼ばれ、当時は日本最東端の地であった[1]

戦前・戦中[編集]

マーシャル諸島は、第一次世界大戦まではドイツ植民地であった。しかし、ヴェルサイユ条約により、国際連盟からの委任で日本委任統治領となった[1]

第二次世界大戦中はマーシャル諸島防衛のため日本軍基地が設置され、最大で5,756人の日本軍将兵が防衛していた[2]が、アメリカ軍は日本軍の司令部が置かれていた後方のクェゼリンを一気に攻略したため[3]、ミリは孤立し戦略的価値を失った[3]。さらにミリはアメリカ軍機動部隊艦載機搭乗員実戦練習用の攻撃目標とされたため本格的な攻略対象とはされず[3]終戦まで存続した。

しかし、敵中に孤立したミリの日本軍守備隊は後方からの補給通信が著しく困難になり、多くの将兵が栄養失調に陥ったため、アメリカ軍の攻撃による戦死者に加え、多数の餓死者が発生した。この状況は、「NHK 戦争証言 アーカイブス 証言記録 兵士たちの戦争」の「飢餓の島 味方同士の戦場 ~金沢 歩兵第107連隊~」に多くの証言が記録されている。

終戦後は日本の民間船で唯一残存していた大型船舶である氷川丸が真っ先に復員のために派遣され[2]1945年9月29日に危機的状況にあった日本軍将兵2,590名全員を一度に収容して出港し[2]内地への引き揚げを行っている。

現在[編集]

現在はマーシャル諸島の中でも有数の透明度を誇るダイビングスポットとされているが、あちこちに旧日本軍の遺棄兵器や不発弾も残されている状態である [4]。これに対し日本政府はアメリカ合衆国との戦後処理の枠組みの中で解決済としている[5]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 読売新聞大阪本社社会部 『遥かなるミレー』 新風書房、1994年3月20日ISBN 4882692686

関連項目[編集]