ブーツィー・コリンズ
| ブーツィー・コリンズ | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 出生名 | ウィリアム・コリンズ |
| 生誕 |
1951年10月26日(74歳) |
| ジャンル | ファンク、ソウル、R&B |
| 職業 | ミュージシャン、ベーシスト、ソングライター |
| 担当楽器 |
ベース・ギター ヴォーカル |
| 活動期間 | 1968年 - 現在 |
| 共同作業者 |
ザ・JBズ パーラメント ファンカデリック ブーツィーズ・ラバー・バンド ブーツィーズ・ニュー・ラバー・バンド ディー・ライト |
| 著名使用楽器 | |
| スペース・ベース | |
ブーツィー・コリンズ(William "Bootsy" Collins、本名: ウィリアム・コリンズ〈William Collins〉、1951年10月26日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャンでベーシスト、ボーカリスト。オハイオ州シンシナティー生まれ。ジェームス・ブラウンのバックバンドJBズや、Pファンクの主要メンバーとして活躍した、ファンク・ジャンルの代表的なベーシストの一人である。
2020年、ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第4位。
来歴
[編集]ブーツィーという名は幼少時に母親がつけたあだ名である。「ブーツィー」は1930年代半ばに黒人漫画家オリー・ハリントン (Ollie Harrington) がアムステルダム・ニュース紙上に書いたひとこま漫画の主人公[1]である。
ブーツィーは8歳の頃から、7歳上の兄フェルプス・"キャットフィッシュ"・コリンズを真似て、ギターを弾きはじめた。兄と同じように、ギターもベースも弾いていたが、地元のクラブで演奏するために兄のギターにあわせてベースを演奏するようになった。14歳(1966年)頃から地元シンシナティのスタジオミュージシャンとして音楽活動を開始した。1967年、ブーツィーは、フィリップ・ウィン(ボーカル)と出会い、フェルプス・"キャットフィッシュ"・コリンズ(ギター)[2]、フランキー・キャッシュ・ワディ(ドラム)、ロバート・マッカラウ(テナーサックス)、クレイトン・"チキン"・ガネルズ(トランペット)とともにバンドを組んで演奏するようになった。このバンドは最初ペースセッターズ(Pacesetters) と名乗ったが、この名前のバンドがすでに存在したことから、ペースメイカーズ(Pacemakers) に名前を変更した。シンシナティでバンドの売り込みをはかっていたが、やがてこのバンドはジェームス・ブラウンの目にとまり、ブラウンのバックを務めることとなった[3]。
ジェームス・ブラウン&ザ・JBズ
[編集]1960年代後半から1970年代初頭は、ジミ・ヘンドリックス[注釈 1]らのサイケデリック・ロックがブラックミュージックの一部に影響を与え、スライ&ザ・ファミリー・ストーン[注釈 2]が、ロック、ソウル、ファンクを融合させて演奏していた時代だった。
1970年、ジェームス・ブラウンのバックバンドが待遇改善を求めてストライキをおこした際、メンバーを解雇し、代役としてペースメイカーズが突如呼ばれ、リハーサルもなしにステージに立つこととなった。当時ブーツィーは若かったため、ブラウンがやたら厳しいのがいやだったという。だが、父親のいないブーツィーにとって、ブラウンは実の父親のようだった。彼がブラウンから学んだことは、自分を磨く、自分に厳しく、という考え方である。ブラウンは、ブーツィーらの演奏がいかにだめかを指摘し、何度も何度も練習させた。ブーツィーはブラウンの指摘を理解し、ポジティブな形で彼の指摘を活かすようになった[4]。
重責をこなしたブーツィーとフェルプスらは、1971年までの間、ジェームス・ブラウンのバックバンド、JBズとしてジェームス・ブラウンと活動をともにし、その独創的なベース・プレイが注目を集めた。当時のJBズのメンバーは、ブーツィー・コリンズ、フェルプス・"キャットフィッシュ"・コリンズ、ボビー・バード(ボーカル、オルガン)、ジョン”ジャボ”スタークス(ドラム)、ジョニー・グリッグス(パーカッション)、ロバート・マッカラウ(テナーサックス)、クレイトン・"チキン"・ガネルズ(トランペット)、ダリー・"ハッサン"・ジャミソン(トランペット)らである。
それまでのJBバンドのアンサンブルでは、ベースは地味な存在だったが[要出典]、ブーツィーの加入により、ベースが一躍リズム隊のメインに躍り出た。ジェームス・ブラウンはブーツィーのベースを気に入り、ブーツィーを常にそばにおき、移動の時も(バンドのツアーバスではなく)プライベートジェット機に一緒に乗せていくほどだったという。ブーツィーの在籍時代に、ジェームス・ブラウンは「セックス・マシーン」(1970)[5]、「スーパーバッド」(1970)、「ソウル・パワー」(1971) などの代表的なファンク・ナンバーを生み出した。
しかし、LSD等の薬物使用のため、ブーツィーはステージ上にあってもたびたび幻覚をみるようになった。1971年のライブの際、自分のベースが蛇に見えたブーツィーは演奏を止めてステージから逃げ出してしまい、ジェームス・ブラウンに解雇された。ブーツィーは、正装でバッキングに徹しなければならないJBズではなく、サイケデリック・ロックのようななサウンド、派手なビジュアルのライブがやりたかったのである。
ハウス・ゲスツ〜Pファンク
[編集]ブーツィーはデトロイトに移住し、キャットフィッシュ、キャッシュ・ワディとともに、自身のバンド、ハウスゲスツ(The House Guests) を結成した。ハウス・ゲスツ名義ではJB直系ファンク曲の「ワット・ソー・ネバー・ザ・ダンス[注釈 3]」がベスト盤に収録されている。ボーカルはペースメイカーズで一緒だったフィリップ・ウィンが担当し、またゲイリー・"マッドボーン"・クーパーも加わった。このバンドで活動中の1972年、スピナーズから誘われ、フィリップ・ウィンはスピナーズに加わった[注釈 4]。
一方で、ファンカデリックを辞めたビリー・ネルソンの代わりのベーシストをさがしていたジョージ・クリントンは、後にパーレットのメンバーとなるマリア・フランクリンの紹介でブーツィーに声をかけた。結局ブーツィーはキャットフッシュとともに、ジョージ・クリントン率いるPファンクに参加した。
Pファンクでは、ファンカデリック1972年発表のアルバム、『アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング』で数曲ベースを弾きヴォーカルもとったが[注釈 5]、Pファンクメンバーの薬物使用が頻繁だったためについていけず、また、ブーツィーにとってはファンカデリックの音楽はロックに寄り過ぎていたため[要出典]、一時彼らと距離をおき、キャットフィッシュやキャッシュ・ワディらとともにコンプリート・ストレンジャーズ(Complete strangers) の名で地元でバンド活動をした。
しかし、パーラメントが1974年に発表したアルバム、『アップ・フォー・ザ・ダウン・ストローク Up for the Down Stroke 』の録音には戻ってきて再びベースを弾いた。そして、親指と人差し指、および手のひら全体を使うスラップ奏法[注釈 6]とオートワウ(エンヴェロープフィルター)を使い、その後の彼の代名詞ともなる新しいベースサウンドを生み出すことに成功した。パーラメント1975年発表のアルバム『チョコレート・シティ Chocolate City 』および『マザーシップ・コネクション Mothership Connection 』ではこの彼の新しいベース音を聞くことができる。さらに1975年には、JBズつながりでメイシオ・パーカー(サックス)、フレッド・ウェズリー(トロンボーン)らをPファンクに引き連れてきた。彼らはその後Pファンクに欠かせないホーン陣[注釈 7]となった。
また「ブーツィーボイス」を、ファンカデリックが1975年に発表したアルバム『レッツ・テイク・イット・トゥー・ザ・ステージ』収録の、 「ビー・マイ・ビーチ Be My Beach」で披露した。
そして、1976年にキャットフィッシュ、フレッド、メイシオ、マッドボーン・クーパー(ボーカル)らとブーツィーズ・ラバー・バンドを結成した。バンドは「ストレッチン・アウト・イン」、「アイド・ラザー・ビー・ウィズ・ユー」を含む1stアルバムを発表した[6]。ブーツィーは、星形のサングラスをかけ、星形の真っ白いベース(スペース・ベース)を弾き、また「キャスパー」、「ブーツィラ」、「スター・モン」、「ザ・カウント」などのキャラクターを演じる、ユーモアあふれるファンキーなステージアクトを繰り広げた。このブーツィーのヴォーカルとキャラクターを生かすためと言われる。
Pファンクとしては、ジョージ・クリントンの考えもあってかあまり同じレコードに乗ることは少なかったが、エディ・ヘイゼルとはどちらもジミ好きということもあり[注釈 8]、デモセッションがネット含め残されている。エディの死後、トリビュートする楽曲も発表した[注釈 9]。
その他、Pファンク関連では、スウェット・バンド(1980年)やザップ(1980年、1stのみ)等をプロデュースしている。
1984年にはトーキング・ヘッズのジェリー・ハリスンと共に、「ボンゾ・ゴーズ・トゥ・ワシントン」名義で、ロナルド・レーガンの暴言を揶揄する曲「ファイヴ・ミニッツ」をリリースした。[7]
1980年代後半になると、Pファンクの勢いは弱まり、ブーツィーも活動のペースを落とした。プレッシャー[何の?]や、音楽以外のビジネス面での仕事が嫌で、故郷のシンシナティでゆっくりしていたという。しかしその後もソロアルバムは発表し続けた。また、1980年代後半から1990年代にはビル・ラズウェルのプロデュースのもと、ロックやハウス的な音楽をやったり、自身も別バンドのプロデュースをする[注釈 10]など、活動の幅を広げた。
1989年7月には東京MZA有明で、バブル期日本での初公演を行った。
この時期、セッション・ベーシストとしても活躍し、キース・リチャーズ『トーク・イズ・チープ』(1988年)[8]、久保田利伸『BONGA WANGA』(1990年)等に参加。
1997年、パーラメント - ファンカデリックのメンバーとして、ロックの殿堂入りを果たした。
ベースだけでなく、少し聞くだけで彼のものとわかる「ブーツィーボイス」は、多くのミュージシャンから客演を求められている。ラスト・ポエッツ、スヌープ・ドッグなどのアルバムに参加し、彼独特のファンキーさを振りまいている。また2002年にも、地元であるオハイオ州出身のファンクバンド、フリークベースのプロデュースを行っている。
2006年に最新アルバムを発表、最近では日本の若手インストゥルメンタル・バンドASTERISMの楽曲プロデュースを手掛けるなど(2018年)、2010年代も現役で活動中である。
また、2007年の映画『スーパーバッド 童貞ウォーズ』の映画音楽をライル・ワークマンとともに担当した。
2010年7月には、彼はFunk-Uというベース奏者向けファンク大学(Funk University)を創立。オンライン上でベースの演奏指導を受けられる学校である。[9]
楽器/奏法/ファッション
[編集]星型のサングラス、シェイプが星、色は真っ白、きらきらひかる装飾がついたベース(スペース・ベース)がトレード・マークである。JBズ時代にはフェンダー製ジャズベースを弾き、ハウスゲスツ時代およびPファンク参加初期には、フェンダー製プレシジョンベースおよびアレンビック社製プリアンプを使用していた[10]。1975年、ブーツィーは白い星形のベース(スペース・ベース)作成をラリー・プレスというクラフトマン[11]に依頼した[12]。このベースはブーツィーズ・ラバー・バンドのファーストアルバムのカバーフォトでみることができる。
このベースは1977年に一度盗まれた(翌年シンシナティの質屋でみつかり戻ってきた)ため、同クラフトマンに2号機を作ってもらったが、その後20年以上もメインベースとして使用された。その後他のクラフトショップでスペース・ベースを作成し、2003年にはWashburn社よりブーツィーのシグネイチャーモデルのスペース・ベースが市販[13]され、ブーツィーもこのベースを使用している。
ブーツィーのベースサウンドは、ディストーションとオートワウ(エンヴェロープフィルター)を多用した、歯切れのよい、畳み掛けるようなよくうねるベースである。「ビヨン」「ポヮ」と不思議な音のするオートワウベースは彼が先駆者であり、彼の代名詞である。オートワウは、Musitronics社製のミュートロンIII (Mu-Tron III) を愛用している。
ディスコグラフィ
[編集]リーダーアルバム
[編集]ハウス・ゲスツ、コンプリート・ストレンジャーズ、ブーツィー, フィリップス&ゲイリー etc.
[編集]- The House Guests Meet The Complete Strangers & Bootsy, Phelps, & Gary / My Mind Set Me Free (Shake It, 2019, SHAKE1288, LP) - 各シングル集
- ザ・ハウス・ゲスト・レイテッド・エックス /「ホワット・ソー・ネヴァー・ザ・ダンス What So Never Dance」 (House Guests, 1971) - 7インチシングル[注釈 11]
ブーツィーズ・ラバーバンド
[編集]- ストレッチン・アウト・イン Stretchin' Out in Bootsy's Rubber Band (Warner Brothers, 1976)
- 神の名はブーツィー Ahh...The Name Is Bootsy, Baby! (Warner Brothers, 1977)
- ファンキー・オブ・ジ・イヤー Bootsy? Player of the Year (Warner Brothers, 1978)
- ライブ・イン・ルイヴィル 1978 Live in Louisville (DISKY, 1999)
- ファンキー・ブーツ This Boot Is Made for Fonk-N (Warner Brothers, 1979)
- 「ボディ・スラム Body Slam!」 (Warner Brothers, 1982) - 12インチシングル[注釈 12]
- ジャングル・ベース Jungle Bass (4th&Bradway, 1990)
- Dee Dee "Dirty Mugg" James with Bootsy's Rubber Band / 「Jimi Why D-U Hav Ta Go」、「Jimi Why D-U Hav Ta Go (Dance Version)」Various Artists / Return Of The Gipsy -Tribute To Jimi Hendrix[注釈 13], #5, #7 (Bluse Interactions、1994)
ウィリアム・ブーツィー・コリンズ
[編集]- ウルトラ・ウェイブ Ultra Wave (Warner Brothers, 1980)
- 灼熱のPファンカー The One Giveth, The Count Taketh Away (Warner Brothers, 1982)
ブーツィー・コリンズ
[編集]- ホワッツ・ブーツィー・ドゥーイン What's Bootsy Doin'? (Columbia, 1988)
- フレッシュ・アウタ・'P' Fresh Outta "P" University (WEA, 1997)
- Glory B, Da Funk's On Me! (2001)
- ファンクだよ全員集合!! Play With Bootsy (WEA International, 2002)
- ブーツィ・コリンズの灼熱のファンクリスマス Christmas Is 4 Ever (Shout Factory, 2006)
- Tha Funk Capitol of the World (Mascot, 2011)
- World Wide Funk (Mascot, 2017)
ブーツィーズ・ニュー・ラバーバンド
[編集]- ブラスターズ・オブ・ザ・ユニバース Blasters of the Universe (P-Vine Records / Rykodisc, 1994)
- Keepin' The Funk Alive 4-1995 (Live) (P-Vine Records / Rykodisc, 1995)
ズィラトロン
[編集]- ロード・オブ・ザ・ハーヴェスト Lord of the Harvest (Rykodisc, 1994)
代表的参加アルバム、曲等
[編集]ジェームス・ブラウン
[編集]- Funk Power 1970: A Brand New Thang (Chronicles, 31453 1684-2, 1996)
- ライブ・イン・パリ '71 完全盤 Love☆Power☆Peace(1971.03.08、パリ、オランピア劇場での第二回目コンサート[注釈 14]。Universal Music、UICY-77945/6、2014)
- Sex Machine (PolyGram, 314 517 984-2) - 一部
- スーパー・バッド Super Bad (ユニバーサル ミュージック、UICY-93291、2007) - 一部
- James Brown the singles volume six: 1969-1970 (Hip-I-Select, B0012204-02, 2008) - 一部
- James Brown the singles volume seven: 1970-1972 (Hip-I-Select, B0012728-02, 2009) - 一部
- イン・ザ・ジャングル・グルーヴ In the Jungle Groove (Polydor, 1986) - 一部
- Mothelode (Universal Music, B0000473-02, 2003) - 一部
JBズ
[編集]- More Mess On My Thing (Now Again Records, NA 5189, 2019)
- フード・フォー・ソート Food For Thought (Polydor, 1972)
- ブーツィーが参加した1970年発表のシングル曲、「The Grunt」と「These Are the JB's」を収録。
- The J.B.'s / Funky Good Time: The Anthology (Chronicles, 31452-7094-2, 1995) - 一部
- 「Mistakes And All」 The J.B.'s Reunion / Bring The Funk On Down (Blues Interactions, INS595-2, 2002)
JBファミリー
[編集]- ケイ・ロビンソン「The Lord Will Make A Way Somehow, Parts1&2」、ヴィッキー・アンダーソン「The Message From The Soul Sister Parts1&2」、「Super Good, Parts1&2」、リン・コリンズ「Wheel Of Life」 Various Artists / James Brown's Original Funky Divas (Chronicles, 537 709-2, 1998)
- ボビー・バード / アイ・ノウ・ユー・ガット・ソウル -ベスト・オブ・ボビー・バード Bobby Byrd / Got Soul: The Best Of Bobby Byrd (1995年。USMジャパン、UICY-77150、2015) - 一部
- ボビー・バード 「Doin' The Do (after Paris show)」 James Brown's Funky People (Part 3) (Universal Music, 012 157 745-2, 2000)
- ボビー・バード / バック・フロム・ザ・デッド Back From The Dead(Henry Stone Music、2005。ウルトラ・ヴァイヴ、CDSOL46639、2023)
- 90年前後の曲として、共同プロデュース #4「It's In My Blood」、#5「Tell Me What's On Your Mind」を収録。
ファンカデリック
[編集]- アメリカ・イーツ・イッツ・ヤング America Eats Its Young (Westbound, 1972)
- コズミック・スロップ Cosmic Slop (Westbound, 1973)
- 「コズミック・スロップ」でベースを弾く。
- レッツ・テイク・イット・トゥー・ザ・ステージ Let's Take It to the Stage (Westbound, 1975)
- 3曲め「Be My Beach」がブーツィーボイス初出。ベースは弾いていない。
- ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ One Nation Under A Groove (Priority, 1978)
- アンクル・ジャム・ウォンツ・ユー Uncle Jam Wants You (Priority, 1979)
- ファンカデリック・パーラメント・ジョージ・クリントン&Pファンク・オール・スターズ / グレーテスト・ヒッツ 1972-1993 Greatest Hits 1972-1993 (AEM, 1993)[注釈 15]
パーラメント
[編集]- アップ・フォー・ザ・ダウン・ストローク Up for the Down Stroke (Casablanca, 1974)
- チョコレート・シティ Chocolate City (Casablanca, 1975)
- マザーシップ・コネクション Mothership Connection (Casablanca, 1975)
- ザ・クローンズ・オブ・ドクター・ファンケンシュタイン The Clones Of Dr. Funkenstein (Casablanca, 1976)
- ライヴ!! Pファンク・アース・ツアー Live: P-Funk Earth Tour (Casablanca, 1977)
- モーター・ブーティー・アフェア Motor Booty Affair (Casablanca, 1978)
- グローリィホーラストゥピッド Gloryhallastoopid (Casablanca, 1979)
- トロンビピュレイション Trombipulation (Casablanca, 1980)
FLO
[編集]- 「コモン・ロー・ワイフ Common Law Wife」 (1972。初出: ジョージ・クリントン&ザ・Pファンク・オールスターズ プラッシュ・ファンク: P-VINE、1992、PLP-6550/1[注釈 16]。)
- 「ディスコ・レイディー Disco Lady」(コロムビア・レコード、1976) - Eargasm
ジェニー・レイノルズ
[編集]- Cherries, Bananas & Other Fine Things (Casablanca, 1976)
- #1「The Fruit Song」、#4「The Feelin' Ain't There」、#6「You Want To Get Your Hands On A Woman」に参加。
- ゲーム・デームス・アンド・ギター・サングス Game, Dames & Guitar Thangs (Warner Brothers, 1977)
- パープル・ヘイゼル Rest In P (P-Vine, 1994)
- エディの死後発表された未発表曲集
- オール・ザ・ウー・イン・ザ・ワールド All the Woo in the World (Arista Records, 1978年)
- ファンク・オブ・エイジズ Funk of Ages (Gramavision, 1990年)
- ファンク・オア・ウォーク Funk Or Walk (ワーナー・パイオニア, 1978年)
- 「恐怖のディスコ Disco To Go」
スウェット・バンド
[編集]- スウェット・バンド Sweat Band (Sony Music, 1980)
ザップ
[編集]- ザップ! Zapp (Warner Brothers, 1980)
ジョージ・クリントン
[編集]- コンピューター・ゲームス Computer Games (Captal, 1982。Capital、2015)
デイトン
[編集]- ホット・ファン (1982)
ミッドナイト・スター
[編集]- ヴィクトリー (1982)[14]
P.ファンク・オール・スターズ
[編集]- アーバン・ダンス・フロア・ゲリラズ Urban Dancefloor Guerillas (Uncle Jam, 1983。CBS・ソニー、1994)
Mトゥーメイ
[編集]- シアター・オブ・ザ・マインド (1986)
坂本龍一
[編集]- リズム・キラーズ Rhythm Killers (Island, 1987)
- ギター・ヴォーカル参加[注釈 17]。
- トラブル・オーバー・ヒア・トラブル・オーバー・ゼア Trouble Over Here, Trouble Over There (Island, 1987)
- #1「Trouble」、#2「Woman Of Principle」、#6「New Money」をプロデュース。バック・ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムス参加。
キース・リチャーズ
[編集]- トーク・イズ・チープ Talk Is Cheap (Virgin, 1988。Mindless Records, 2019)
- Disc1-1「ビッグ・イナフ Big Enough」と特典盤Disc2-6「ブルート・フォース Brute Force」のみ参加。
大沢誉志幸
[編集]- Serious Barbarian (Epic sony, 1989)
メイシオ・パーカー
[編集]- サックス・マシーン For All The King's Men (Polystar, 1990)
ディー・ライト
[編集]- グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート Groove Is In The Heart (Elektra, 1990)
久保田利伸
[編集]- ボンガワンガ BONGA WANGA (Sony Record, 1990)
- イグニッション(IGNITION, Tokuma Record, 2018)
スティーヴィー・サラス サードアイ
[編集]- ハードウェア Hard Ware (ポリスター, 1992)
映画サウンドトラック
[編集]- 2007年映画『スーパーバッド 童貞ウォーズ』
- 多くの曲にベーシスト・ボーカリストとして参加。
映像作品
[編集]ブーツィーズ・ラバーバンド
- Stretchin' Out Live 1976 (1976.10.31, ヒューストン。P-VINE, 2011)
参考文献
[編集]- ジェームズ・ブラウン、ブルース・タッカー『俺がJBだ! ジェームズ・ブラウン自叙伝 (ON MUSIC)』山形浩生・渡辺佐智江・クイッグリー裕子訳、JICC出版局、1993年。ISBN 4-7966-0601-7。
- 浅野純 編『ジェイムズ・ブラウン -永遠のファンキー・プレジデント』ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ4月増刊号 第26巻第6号、2007年。
- ジョージ・クリントン、ベン・グリーンマン『ファンクはつらいよ ジョージ・クリントン自伝』押野素子訳、DU BOOKS、2020年。ISBN 978-4-907583-50-7。
- 河地依子『P-FUNK』河出書房新社、2011年。ISBN 978-4-309-27246-7。
- リッキー・ヴィンセント『ファンク 人物・歴史そしてワンネス』宇井千史訳、ブルース・インターアクションズ、1998年。ISBN 978-4-938339-39-5。
- bmr編集部(と呼ばれる丸屋九兵衛)編『灼熱のファンク・レジェンド - bmrレガシー』スペースシャワーネットワーク、2013年。ISBN 978-4-906700-72-1。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 「紫の煙」「見張り塔からずっと(All Along the Watchtower)」などのサイケ・ロックの代表曲を持つ黒人ギタリスト。そのロック・サウンドは、黒人サークルからは受け入れられなかった[要出典]。
- ↑ ラリー・グラハム(発音はグレアムか。日本での一般的表記は現況ではグラハム)がベースを担当した「サンキュー」は、ファンクの新時代を告げるヒット曲だった。
- ↑ 当該曲でのバンド名はハウス・ゲスト・レイテッドX
- ↑ フィリップ・ウィンがリード歌手の時代に、スピナーズは「フィラデルフィアより愛をこめて」「アイル・ビー・アラウンド」などのヒット曲をリリースしている。
- ↑ 「Philmore」、「Balance」。いわゆる「ブーツィーボイス」ではない。
- ↑ 河地『P-FUNK』(2011)p.71によると、ブーツィーが「73年にひとりでデトロイトに戻ってきた」ときに、「ビリーが見よう見まねで習得したラリー・グラハムのスラップ奏法」を、ビリーから「教えてもらった」という。
- ↑ ホーニー・ホーンズとなる。
- ↑ いわゆる「ブーツィーボイス」の発声法やベースエフェクター好きは、それに影響されている。
- ↑ 「ブラスター・オブ・ザ・ユニバース 2」、「グッド・ナイト・エディ」。(ブーツィーズ・ニュー・ラバー・バンド『ブラスター・オブ・ザ・ユニバース』)
- ↑ 下記、参加アルバム等参照。
- ↑ BACK IN THE DAY: The Best Of Bootsy (Warner Brothers, 1994) #7 で聞ける。
- ↑ BACK IN THE DAY: The Best Of Bootsy (Warner Brothers, 1994) #11 で聞ける。
- ↑ P-funk Guitar Army Vol.2. #4 「Father Forgive Um」ではブーツィーは裏方に回ったが、ゲイリー "マッドボーン" クーパーはドラムス。
- ↑ ボビー・バード「I Need Help」やヴィッキー・アンダーソン「Don't Play That Song」等も含む。
- ↑ 各国盤により、タイトル名や封入曲目等が異なる。1972年、ボストン、「シュガー・シャック "Sugar Shack"」でのライブ。ハウスゲスツメンバーも参加とされる音源が数曲記録されている。
- ↑ パーラメント Chocolate City 2003リマスター盤ボーナス・トラックのカバー? どっちが?
- ↑ P-Funk関係では、他にゲイリー "マッドボーン" クーパー、バーニー・ウォーレルが参加。
出典
[編集]- ↑ Black Images in the Comics 2026年2月7日閲覧
- ↑ Catfish Collins BBC 2026年2月7日閲覧
- ↑ レコード・コレクターズ増刊 SOUL&FUNK p.217
- ↑ Bootsy Collins on James Brown, George Clinton and Drugs – Rolling Stone Rollingstone.com 2024年4月30日閲覧
- ↑ Funk allmusic 2026年2月7日閲覧
- ↑ ソウル&ファンク p.287 ミュージックマガジン社
- ↑ Bonzo-Goes-To-Washington 2024年5月1日閲覧
- ↑ 日本盤CD(TOCP-53026)ライナーノーツ(越谷政義、1999年4月)
- ↑ Bootsy Collins ABCnews 2026年2月7日閲覧
- ↑ Bass Player - William "Bootsy" Collins 2026年2月6日閲覧
- ↑ Larry Pless Music 2026年2月6日閲覧
- ↑ The creation of Bootsy's Space Bass 2026年2月6日閲覧
- ↑ Washburn Space Bass 2026年2月6日閲覧
- ↑ ソウルファンク p.324
- ↑ “坂本龍一、咽頭がんで演奏活動休止 創作活動は病床で継続”. スポーツニッポン (2014年7月10日). 2017年3月14日閲覧。