ザップ (音楽グループ)

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ザップ
Zapp
出身地 オハイオ州
ジャンル ファンク
活動期間 1977年 -
メンバー レスター・トラウトマン
テリー・トラウトマン
グレゴリー・ジャクソン
ボビー・グローヴァー
旧メンバー ロジャー・トラウトマン
ラリー・トラウトマン
トーマス・トラウトマン
ロジャー・トラウトマン・ジュニア

ザップ (Zapp) は、ロジャー・トラウトマンが中心となり、レスター、ラリー、テリーらトラウトマン兄弟を中心として1978年に結成されたアメリカ合衆国ファンクバンドである。

グループの歴史[編集]

トラウトマン兄弟はオハイオ州ハミルトン出身。デイトンでバンド活動を続けていた頃、幼なじみであったブーツィー・コリンズの紹介でジョージ・クリントンに見いだされる。Pファンクの前座として実績を積んだ後、1980年代に若手の有望バンドとして注目を浴びるようになる。特にトーク・ボックスを自由自在に操るロジャーのヴォーカルは独特のもので、現在に至るまで後進に多大な影響を与え続けている。

ファースト・アルバムには「モア・バウンス・トゥ・ジ・アウンス」、セカンド・アルバムには「ドゥー・ワ・ディティ」[1]などの曲が収録された。また81年にはロジャーのソロ・アルバムが発表され「悲しいうわさ」「ドゥ・イット・ロジャー」「ソー・ラフ、ソー・タフ」などのファンク・ナンバーがソウル・チャートでヒットした。「悲しいうわさ」はマーヴィン・ゲイ」のカバーである。ロジャーとザップは、この後もウィルソン・ピケットやミラクルズなどの曲をファンクの編曲でカバーした。1980年代を通してザップはコンスタントにアルバムを発表し、一時はジェームス・ブラウンやPファンクの後継者はロジャーとプリンスであると見られた。ロジャーは、1990年にはバンドで稼いだ資金をもとに建設会社を創業する。しかしこれがケチの付き始めであった。建設会社は多額の負債を抱えて倒産し、兄弟間に亀裂が入り始める。バンドの活動も、アフリカン・アメリカンのポピュラー音楽の主流がヒップホップに移っていったことで、1980年代ほどの勢いを継続出来なくなる。ただしコンスタントに来日公演は行っていた。

1990年代になると、再びロジャーに追い風が吹き始める。サンプラーの普及により、1980年代のザップのレコードが若い世代の音楽製作の素材になり始めた。ところが、これからもう一花という1999年の4月に破局が訪れた。かつてザップのメンバーであったラリー・トラウトマンが金銭上のトラブルからロジャーをショットガンで射殺し、自らも自殺してしまったのである。リーダーを失ったザップは崩壊。しかしながら、ロジャー亡き後テリーがロジャー譲りのトーク・ボックスをプレイしZAPP名義での通算6作目のZAPP VIをリリース。現在も精力的にライブを中心に活動。

1990年代にザップの日本でのプロモーターをしていたM&Iカンパニーの社員の話では、ロジャーはバンドのメンバーに厳格なルールの遵守を求め、バンドマンにありがちな自堕落な行動は許さなかったとのことである。その一方でユーモアに富んだ人物でもあり、M&Iカンパニーの社員たちからは尊敬と敬愛の念を持って見られていたとされる。

ディスコグラフィ[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]