ノート:高句麗語

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未検証タグについて[編集]

未検証タグについて。具体的に本文のどこが問題かを指摘したうえで、ノートで議論を喚起してください。タグは2009年以来、問題指摘も議論もないため、解除しました。--西方 2011年11月16日 (水) 17:35 (UTC)[返信]

扶余語族をTemplateに入れることについて[編集]

  • ABCEditさんの編集でTemplateに「扶余語族?」という記述が追加されており、また「中国の記録では、扶余・東沃沮・濊・百済の各言語とは同系とされていることから、?付きで記しても良いかと思います。」という要約が行われています。これについて複数の点で問題があると考えます。結論を先に書くと、これをTemplateに入れることには反対です。Templateにこれがあることで有力説であるかのような印象を与えますが、実際には複数ある見解の1つに過ぎず、しかも扶余語族説自体、1960年代から80年代あたりの時代を中心に唱えられたものであるからです。以下詳細です。
  • 扶余語族について:この語族は実態が明らかでない言語ばかりで構成される仮説上の存在です。また、「中国の記録では、扶余・東沃沮・濊・百済の各言語とは同系」という記録は、それ自体が扶余語族であることを証明するものではありません。
  • 高句麗語について:高句麗語の具体的な姿はほとんど明らかではないです。(李基文『韓国語の歴史』、金芳漢『韓国語の系統』を参照)。また高句麗語と他の言語を結び付ける試みには、ツングース語日本語朝鮮語などとの関係を論証しようとしたものが存在しており、これらの中から扶余語族だけを特記する蓋然性は存在しないと思います。
  • 中国の記録について:要約にある「中国の記録では、扶余・東沃沮・濊・百済の各言語とは同系とされている」という説明は正しくないです。第一に当時の中国史書の著者たちは当然のことながら「語族」という概念を持っていませんでした。彼らはあくまで言語の「類似」を記録しているのであって、これが現代的な意味での語族の一致を指すものであるか判別できるようなものではありません。これを一纏まりの語族を指すものと解するのはあくまで近現代の学者による推定です。また、中国史書の史料的性格は複雑です。例えば『梁書』の高句麗についての情報源はかなりの部分、伝聞や推量に頼り、また百済についての情報にも百済と夫余を混同した結果記述が混乱していることなどが李成市、矢木毅(余昊奎の研究の紹介)らによって論じられています。こうした古代の史料に基づいて記述を行うのは適切ではなく、あくまで根拠には二次情報源を必要とすると考えます。
  • まとめ:1. 扶余語族説があくまで仮説であり、また一昔前の学説であること。2. 高句麗語の系統関係を論じる説は他にも複数あり、その中で扶余語族説のみを特記する根拠がないこと。3. 高句麗語自体の実態が不明であり、最も強調されるべきは「わかっていない」ことであること。4. 古代の史料を根拠としてTemplateの記載をすべきではないと考えること。上記から「扶余語族」というTemplateの記述は削除すべきだと思います--TEN会話2019年4月2日 (火) 12:15 (UTC)[返信]
返信 まず、「『中国の記録では、扶余・東沃沮・濊・百済の各言語とは同系』という記録は、それ自体が扶余語族であることを証明するものではありません。」ということですが、もちろん言語学的データがほとんど現存していないのですから、語族であることの証明は不可能でしょう。ここでの趣旨は、「もし記述通りこれらの言語が同系ならば、これらの言語は『扶余語族』をという一つの語族を形成することになる」という理屈に過ぎません。よって「扶余語族」は仮説でしかないのです。このことは私も十分承知しています。TENさんがおっしゃるように、高句麗語や東沃沮語、濊語などについて、そもそも詳しいことは何もわかっていません。言語データすらほとんどないのですから、現在において言語学的に類縁性を検討することは非常に難しいでしょう。となれば、過去の書物に記された類縁性の記述に頼るしかないと思います。中国の記録における「高句麗語は扶余・東沃沮・濊・百済の各言語とは同系とされている」というのは現状では最も大きな情報です。もちろんこれとて本当にで信用できるのか、という疑問は当然生じてくるでしょう。しかし、言語学的データがほぼない以上、このような記述に頼るほかないでしょう。言語学的に検証できないので、もちろん「高句麗語は扶余語族に属す」というのは仮説にすぎませんが、現時点では数少ない有用な記録に基づく仮説です。この仮説は、非常に乏しい言語学的データの検証のみで他言語との類縁性を結論付けた他のどの仮説よりも、信頼性が高いように思われます。よって、「高句麗語は扶余語族である」とする仮説は、数ある仮説の中でも筆頭に来るのではないかと思いますので、Templateから「扶余語族?」を削除することには 反対 です。--ABCEdit会話2019年4月2日 (火) 13:03 (UTC)[返信]
返信 「高句麗語は扶余語族である」とする仮説は、数ある仮説の中でも筆頭、というのはどのような出典に基づいた判断なのでしょうか。これをWikipediaの執筆者が判定するのは適切ではなく、そう判断できる合理的な二次資料の情報が必要だと思います。
「古代の史書上の言語間の類似への言及」に基づいた仮説が、「非常に乏しい言語学的データの検証」に基づいた仮説より優先度が高いという判断もよくわかりません。前者は、言語学も比較言語学も生み出される前の古代の人間が伝聞や数百年前の情報を織り交ぜて作成した記録に基づいて組み立てられたものである一方、後者はデータが少ないとは言え具体的な言語学的解析を経て抽出された情報を元にした仮説です。前者が後者に優越すると判断できるようには思えません(その逆も同じです)。少なくとも上に述べた通り、扶余語族説は20世紀後半の一時期に流布したのみで、これが高句麗語について最も信憑性が高いというような評価を下しているようなものを寡聞にして知りません。扶余語族説の初期の提唱者の一人である李基文の『韓国語の歴史』からは、この説が仮定に仮定を重ねたものであることがはっきり読み取れますし、その後の金芳漢の著作では扶余語族説は全く触れられていません。また、古代の史書というのはそのまま無批判に使えるような記録ではなく、関連する中国史書の性質についての研究例は上に述べた通りです。正直に申し上げて、扶余語族説を筆頭とするのは独自研究であるように思います。--TEN会話2019年4月2日 (火) 13:53 (UTC)[返信]
少し時間が経過しましたが、上記についていかがでしょうか。私の方でも少し探してみましたが、やはり高句麗語扶余語族説を最有力とするような、あるいはそう解釈できるような傾向は発見できませんでした。--TEN会話2019年4月12日 (金) 13:41 (UTC)[返信]
コメント 差し当たり、3週間経過したこともあり、Templateからは除去(不明に変更)させていただきたいと思います。--TEN会話2019年4月23日 (火) 13:18 (UTC)[返信]
  • コメント 昔書いたことそのままなのですが、ほとんど実態がわかっていない高句麗語について、しかもその存在自体明確ではない扶余語族説を特記する理由は何なのでしょうか。少なくともTemplateに記載するものとしては不適切であろうと考えます。--TEN会話2021年3月21日 (日) 13:22 (UTC)[返信]
    • 返信 貴方が頑なに扶余語族仮説を拒否する理由がわかりません。高句麗語の系統の1説として扶余語族仮説があるというだけの話です。だからTemplateで「?」を付しているのです。他にも仮説があるのならば「?」付きで併記すればよいだけです。(私は不勉強のため他にどのような仮説があるのか存じませんが、併記することに反対はしません。)そもそも、議論するほどの話でもないと思います。--ABCEdit会話2021年3月21日 (日) 13:50 (UTC)[返信]
      • 返信 理由は全て上に書いてあります。拒否するというよりこの言語について最も強調されるべきは「ほとんどわかっていない」ことであると認識しているため、特定の学説について強調するような書き方をすべきではないと考えているだけです。どんなものにでも様々な説はあるでしょうが、軽重の判断無く羅列しない方が良いと思うのです。単純に言ってしまえば、高句麗語についていえば「よくわからない」ことと重み的に並置できるような説があるようには思われません(少なくともそう考えられるような出典を見出せません)。本文中で各説を簡単に触れて同線を作る程度が最も適切な形であると思います。--TEN会話2021年3月21日 (日) 13:56 (UTC)[返信]
        • 返信 理由は上に書かれているということであれば、私もこれ以上申し上げることはございません。私のスタンスも変わりません。ほとんどわかっていないことを強調するのは結構(賛同はしないが反対もしない)ですが、真実解明の重要な第一歩である仮説を、記事の記述から完全に排除しようという方向性には反対です。--ABCEdit会話2021年3月21日 (日) 14:02 (UTC)[返信]
          • 返信 ABCEditさんは2年前「数ある仮説の中でも筆頭」だとして扶余語族説をTemplateに記載するべきだと主張していたと認識していますが、その出典を示さずに「スタンスも変わりません」として記事を元の状態に戻すのは不適切であると思います。少なくともTemplateに記載するべき理由が「数ある仮説の中でも筆頭」から「高句麗語の系統の1説として扶余語族仮説があるというだけの話です」に変わるならば、あなたのスタンスは以前の議論と同じものだとは受け取れません。排除する必要はないですが、扶余語族説に比重を置いた形式に賛同できません。--TEN会話2021年3月21日 (日) 14:09 (UTC)[返信]
            • 返信 「スタンスは変わらない」というのは「Templateに記載すべきである」という立場は全く揺るがないという意味です。扶余語族仮説だけでなく、他の仮説があるのならばTemplateに載せるべきだと思います。扶余語族仮説に比重を置くつもりはありません。2年前は、他の説を探しても扶余語族以上の仮説はあまり見当たらないという印象があり、「数ある仮説の中でも筆頭」と言ったのです。しかしこれは私の印象にすぎませんし、出典不足との指摘も確かにそうですね。現在の考えとしては、他にも仮説があるなら、それを本文やTemplateに記すのが良いでしょう。扶余語族以外の仮説についての記述を排除するつもりはありません。--ABCEdit会話2021年3月21日 (日) 14:29 (UTC)[返信]
              • 返信 当然過去の議論の存在をご存じなのですから、そのように理由を変えて結局記事を元の状態に戻すならば、まずノートで提案すべきでしょう。過去の私の話は「数ある仮説の中でも筆頭」という見解の出典の不足ではなく出典の欠如を指摘したものです。また、私は他の仮説を排除しないように、という話をしているのではなく、学術的な位置づけの不明瞭な仮説をTemplateや冒頭部に記して有力説であるような印象を与えるべきではない、ということを言っているつもりです。シュメール語アイヌ語その他様々に言語系統が不明な言語はあり、いくつも仮説は提案されていますが、その仮説が特に有力であることを示すような出典が用意されていないならば、冒頭やTemplateに列挙するべきではないですし、高句麗語も同様であろうと思います。--TEN会話2021年3月21日 (日) 15:15 (UTC)[返信]
                • 返信 「学術的な位置づけの不明瞭な仮説をTemplateや冒頭部に記して有力説であるような印象を与える」というのは違うでしょう。そもそも、英語版では高句麗語は扶余語族に属すということで決定されています(「?」はついていない)。やはり最有力な仮説なのでは?(私自身この点についてつぶさに調べていないのではっきりとしたことは申せませんが、そう考えています。)やはり総合的に判断して扶余語族についてはTemplateに入れるべきです。なお、英語版では、扶余諸語自体が朝鮮語族に属すという仮説が最有力説として書かれています。一方で日本語との語彙の類似もありますので、「扶余語族?または朝鮮語族?または日琉語族?」としても良いかもしれません。シュメール語やアイヌ語は高句麗語と状況が異なるので比較対象にすべきではありません。(高句麗語については、『三国志』「高句麗伝」は高句麗が扶余(夫余)の別種であると記し、「濊伝」には高句麗と濊の言語・習慣が概ね同じであったと記されている。シュメール語やアイヌ語にはそのようなものもない。)私から見ると貴方はどうしても高句麗語を扶余語族に属させたくないように見えてしまいます。何か感情的な理由があるのかもしれませんが、いずれにしても、貴方の主張は私にとっては今のところ説得力のあるものとはなっていません。--ABCEdit会話2021年3月21日 (日) 15:44 (UTC)[返信]
                  • 返信 私が高句麗語を扶余語族に属させたくないという意味不明の見解は邪推ですので特にその感情的理由なるものを考えていただく必要はありません。私が話しているのは、ある見解にスポットライトをあてるなら、そこには出典が必要であるということだけです。2019年の議論であなたは扶余語族説が最有力の説だからTemplateには記載するべきだとおっしゃいました。この扶余語族説が有力説だという出典を求めましたがそれは示されませんでした。そしてそのことについて重ねて質問し、3週間以上ABCEditさんの反応を待った後、Templateを修正しました。そして1年以上経過した今年の1月になって、ノートへの記載もなくTemplateを元に戻しています。もし私のあなたへの反応に感情的なものが混じっていたとすれば、私はこの経緯を問題視するからです。
                  • そもそも、私は根拠(出典)が無いことを指摘しているのであって、それが是正されない状態で2019年の議論より前の状態に記事を戻すことに賛同できません。「これは私の印象にすぎません」とおっしゃられている通り、2019年当時のABCEditさんの意見はまさに無出典であったわけであり、理由を変えて記述を元に戻すのであれば説得力ある根拠(出典)を示す必要はABCEditさんにあります。上記の返信によるならば、ABCEditさんの見解の出典はWikipedia(英語版)の記述ということで良いのでしょうか?英語版のWikipediaは「Koreanic?」を置いているのであって扶余語族で確定しているというのもおかしいです。en:Puyŏ_languagesには真っ先に「The Puyŏ languages are very poorly attested, and their affiliation is unclear.」とありますし、私には単に英語版の「Koreanic?」も不適切な状態にあるだけに思われます。シュメール語やアイヌ語は数十の単語と古代の歴史書の僅かな記載しかない高句麗語と異なり、前者は膨大な量の文書が、後者はネイティブスピーカーが近現代まで残っていた言語であり、高句麗語よりも遥かに実態がよくわかっている言語です。高句麗語と状況が異なるとすれば、これらの言語は高句麗語よりも遥かに具体的な比較が他言語とできる言語であるということであり、それでもなお「不明」であるとして扱われているという話です。
                  • なお、誤解のないように付言しますが、扶余語族説自体に特筆性があること自体には別に異論はないです。この説が存在し議論されていることは複数の出典から確認可能だからです。§日本語との関係などは、扶余語やツングース語、朝鮮語などの説と並べて簡単にそれぞれの概略を記載する形にするのが本来は適切であるだろうと思います--TEN会話2021年3月21日 (日) 16:47 (UTC)[返信]

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  • 「出典が無い」と仰いますが、そもそも、「高句麗語が扶余語族に属すという仮説」の出典は有るのであり、それが最有力だろうがなかろうがTemplateに記載すべきだと思います。扶余語族以外の説についても同様です。(ただ、あれもこれもというのは多すぎるので、3つくらいが限界でしょう。)2年前の経緯に執着すべきではありません。今を見てください。
  • >これらの言語は高句麗語よりも遥かに具体的な比較が他言語とできる言語であるということであり、それでもなお「不明」であるとして扱われている…
そうです。だからこそ高句麗語とは状況が異なるのです。アイヌ語やシュメール語が何らかの語族に属す可能性は極めて低いですが、高句麗語が扶余語族に属していた可能性はそれなりにあるということです。
  • なお、誤解されているようですが、英語版のWikipediaでは「扶余語族」は確定したものとして扱い、扶余語族自体が朝鮮語族に属すのではないか(仮説)という書き方です。なので、扶余語族の上位に「Koreanic?」があるのは何ら矛盾していません。

--ABCEdit会話2021年3月21日 (日) 21:27 (UTC)[返信]

  • 返信 ABCEditさんによる1月の編集は2年前無出典で行った編集を強行したものです。「2年前の経緯に執着すべきではありません。今を見てください。」というのは前に全く同じ編集を巡って行ったやりとりを無かったことにするという話であり理不尽です。今ここで行われている話とABCEditさんの編集は完全に2年前の話の継続であり、以前の話が前提です。ABCEditさんの当初の主張は最有力の説だからTemplateに載せるべき、というものでした。その見解について出典の不備を指摘したことを無視し、時間を置いてからノートで何の提案も無しに同じ編集を強行した上で「最有力の説は私の印象、そもそも最有力の説であろうがなかろうが関係が無い」という話に持っていくのは不誠実です。
  • 昔書いたことそのままですが、1. 扶余語族の存在自体が未確定の仮説です。2. 高句麗語自体の実態もほとんど明らかでありません。あらゆる説について「可能性はそれなりにある」にあるのではなくて情報がなさすぎて何も否定できないということにすぎません。シュメール語やアイヌ語の例は、それだけ大量の情報があっても言語観の親類関係について有力な説が打ち立てられないという例です。
  • 英語版Wikipediaが高句麗を扶余語族と確定したものとして扱っている、と言うのはどこから来ているのでしょうか?en:Goguryeo languageの冒頭に「Early Chinese histories state that it was similar to the languages of Buyeo, Okjeo and Ye, all of which are unattested.」とあり、en:Puyŏ_languagesは上で引用した文を始め、様々な説があるがはっきりしないことの説明に終始しています。英語版のTemplateがABCEditさんのいうように扶余語族を確定したものと読めるのであれば、それは単に本文とTemplateの情報がきちんと整合されていないことを意味するのであり、参考にすべきものではないように思われます。--TEN会話2021年3月22日 (月) 13:26 (UTC)[返信]
返信 「編集を強行」とはいただけません。たった1度の編集が「強行」になるのでしょうか。貴方は2年前の議論を持って合意がなされたとお考えかもしれませんが、私は合意していません。明確に反対を表明しましたが、貴方の追加コメントに対する私の返事が無いことをもって、3週間後に貴方が差し戻してしまいました。他にも編集記事がたくさんありますから、この記事の議論ばかりに注力することはできません。本議論に参加しているのがTENさんと私だけであり、貴方と私の方向性が違う以上、貴方の方向性が合意を得られているとは言い難いです。私の言動が不誠実に映ったのならお詫びいたします。私の主張の根幹は不変ですが、子細は2年前から若干変わっていることは否定しません。2年前は「最有力の説だから載せるべき」、今は「最有力でない説も載せるべき」です。繰り返しますが、誤解を与えてしまった点、不誠実になってしまった点はお詫びいたします。申し訳ございません。ただ、過去を穿り返して揚げ足をとるより、一旦リセットしたうえで、今現在の主張に沿って議論をすべきではありませんか?もう2年も経っています。過去の議論とは一旦切り離して議論しましょうよ。過去の落ち度を批判して相手を貶めるのではなく、妥協点を目指して前向きな議論を行うべきではありませんか?相手の主張と自分の主張の相違点ばかりに焦点を当てるのではなく、相手の主張と自分の主張の共通点を見出し、歩み寄る姿勢が大事ではありませんか?今までの議論をみれば、「扶余語族?または朝鮮語族?または日琉語族?」がとりあえず妥協点ではないでしょうか。もちろん他に良い書き方があれば大歓迎です。もはや細かい議論をこれ以上行う必要はないと考えます。いくら議論してもおそらく揚げ足取りにしかならないでしょう。今までの議論を踏まえて、貴方に歩み寄る気があるかどうか。私にはその気がありますよ。--ABCEdit会話2021年3月22日 (月) 14:20 (UTC)[返信]
  • 返信 最初に行った「最有力の説だから載せるべき」という話を巡る議論は、ABCEditさんの主張に出典が無い(独自研究)ということを指摘していたのであって、だから出典の提示を求めたのです。Wikipediaの記事上、出典を根拠に持たない記述を除去することに問題があるとは思えません。故に合意があったなかったの話ではないと認識しています。そして見解の変化について何の説明も無く同じ編集を繰り返したのであって、間に挟まっている時間の長短がどうあれ議論を無視してその前の状態に戻したことは私には強行したとしか受け取れません。
  • 他の点についても正直に申上げて議論の進め方について納得しがたいことが多いですが言い合いを続けても建設的ではない、という点には同意します。共通点を見出す、という点で言えば扶余語族説の存在自体には特筆性がある、という点では特に異論はありません。しかし、私の意見は学術的な位置づけが明瞭でない仮説をTemplateや冒頭部に羅列すべきではない、というものであり「扶余語族」に加えて「朝鮮語族」「日琉語族」もTemplateに加えましょうというのでは妥協点を探るどころかむしろ遠ざかっています。上にも書きましたが、私としてはTemplateや冒頭では記載せず、本文中に系統説に簡単に触れる節を設けてそちらで各節の概要を簡単に説明すれば良いかと思いますがいかがでしょうか。現時点の記事は日本語との関係のみ細かく説明されており、それを是正する意味でも有用な形であると思います。--TEN会話2021年3月22日 (月) 15:51 (UTC)[返信]
返信 それでは、朝鮮語族と日琉語族はやめて、扶余語族のみを載せるかどうか、という選択肢に絞られますね。Templateの位置づけについて認識の相違があるようです。「学術的な位置づけが明瞭でない仮説をTemplateや冒頭部に羅列すべきではない」というのは、私がやはり納得できない点です。私はどんな仮説であろうと、有力なものはTemplateに載せるべきだという意見です。
本文中で系統説を簡単に触れる節を設けるのは大いに賛成です。ただしそれは扶余語族(「語族」に抵抗があるならば「扶余諸語」に改名しても良い)で行うべきかもしれません。なぜなら、高句麗語=扶余諸語の一というのは、現在の言語学界では大前提であり、この前提自体を否定する研究がほとんど見られないからです。むしろ高句麗語が扶余諸語の代表として位置づけられており、もっと言えば、高句麗語と同系と思われる諸言語を「扶余諸語」として括っているにすぎません。言語資料が最も多い(唯一存在する)のは高句麗語ですから、言語学的研究の中心は高句麗語にならざるを得ません。近年の言語学的研究に基づく扶余諸語の系統説には大きく「日本・高句麗語族」(日琉語族)仮説と「扶余・新羅語族」(朝鮮語族)仮説があります。他にもツングース語説等があります。(扶余語族の記事を参照。)いずれの説においても、高句麗語=扶余諸語の代表という前提で議論が行われており、これは学界ではコンセンサスを得られている前提と思われます。なので、高句麗語が扶余諸語のひとつであるというのは「学術的な位置づけが明瞭でない仮説」などではなく、そもそも、貴方の認識自体が正しくないと言えます。--ABCEdit会話2021年3月22日 (月) 21:11 (UTC)[返信]
(補足)中国の歴史書には、高句麗、夫余、濊貊などの言語が似ている、または同種であると記されています。(英語版en:Puyŏ languagesなどを参照。)これを多くの学者は重視しています。その意味でも扶余語族は「学術的な位置づけが明瞭でない仮説」などではありません。貴方は中国の歴史書が全く信用に足らないと思っているのかもしれませんが、それは学界のコンセンサスではなく、貴方の偏見にすぎません。--ABCEdit会話2021年3月22日 (月) 21:43 (UTC)[返信]
  • 系統説を記述する場所が扶余語族であっても別に構わないですが、ABCEditさんが差し戻しをした時の要約が「扶余語族に属すという仮説は存在するのであり、その記述を完全に排除するのは中立的観点に反する。」ということであったので、本記事中にその説明を置けばTemplateに記載しなくても「その記述を完全に排除するのは中立的観点に反する」という点を解決できると考えたのがこの提案の骨子です。扶余語族仮説の記述があること自体には私も反対ではないのでお互いの主張の共通点を見出すのであればこのような形になるかと考えた次第です。
  • 扶余語族説が有力、大前提という話は現在提示されているABCEditさんの出している出典がWikipediaしかない限り私には共通点を見出す余地がありません。一応自分の把握している限りの情報について下記に共有します。まず日本語で参照可能な出典において「現在の言語学界では大前提」というのは事実ではありません。扶余語族について具体的に論証している出典を私は李基文『韓国語の歴史』(和訳 1975)と関連文書以外に知らないのですが、他に何かありますでしょうか。金芳漢『韓国語の系統』(和訳 1985)では李基文を引用しているにもかかわらず、扶余語族はほぼ全く触れられていません。『言語学大辞典』には高句麗語・扶余語族(扶余語)は項目が存在しません。2011年の馬淵の論文「『三国史記』記載の「高句麗」地名より見た古代高旬深層の考察 」では扶余語を絡めた考察において「これらのことはほとんどが想像の域をでるものではなく、微小な言語資料をとらえての発言であるから~」と総括しています。
  • 扶余語族の記事をみても仮説があるのはわかりますが、それが「有力・大前提」であることは何を見れば確認できるでしょうか。en:Puyŏ languagesにもen:Goguryeo_languageにもそのような記述はありません。英語圏の文献の何かにそのような総括があるのか、それともある程度網羅的な文献調査を行った結果なのでしょうか。
  • 中国の史書の記述を多くの学者が重視するのは当然でen:Puyŏ languagesにある通りこれがほぼ唯一の記録である以上何か話をしようとすれば当然参照されるはずです。そして「中国の史書に言葉がよく似ているという記述があります」という話を否定する研究が無いのは当たり前で、ほとんどの言語に他に記録がないのですから否定も何もできないということでしょう。また、扶余語族仮説(これは明確に李基文が基本的枠組みを作った仮説です)と、中国史料で似ているとされる言語を「扶余諸語」としてとりあえずひとくくりでまとめて扱う、というのは別の話です。
  • Templateに記述する理由が結局「有力な仮説」であるという話になっていますが、この点に関してはそれを保障するような信頼できる出典が存在するならば共通点を目指して話が進められると思います。--TEN会話2021年3月23日 (火) 15:49 (UTC)[返信]
返信 結局堂々巡りになりますね。私は「有力な」仮説であることの出典は必要だとは考えていません。仮説が存在する出典のみで十分と考えています。従って、これ以上話を進めることは難しいかもしれません。
ちなみに、TENさんのご懸念は、扶余語族を「扶余諸語」に改名すれば解消されるということはありませんか?「諸語」は、同系統と期待されるものの確定されていない言語群、 同系統ではないが便宜的にまとめされる複数の言語(語族)の総称、語族の下位の言語群などに対して用いられる、極めて汎用性の高い用語です。「扶余語族」では抵抗があっても「扶余諸語」では抵抗が薄れることはありませんか?「扶余諸語」であれば、同系説を支持する人にとってはまだ証明されていない言語群、同系説に懐疑的な人にとっては同系統ではないが便宜的にまとめられる言語の総称、という解釈が可能です。
私自身としても、扶余諸語のほうが良いのでは、と最近考えています。というのも、最近優勢なのは、扶余諸語は朝鮮語族に属し、高句麗語の一部語彙が日本語と似ているのは高句麗語の基層言語が半島日本語であったためである、という説(Alexander Vovin, James Marshall Unger の説)だからです。すなわち、扶余諸語は朝鮮語族に属すことが有力視されているのであり、記事名を「扶余語族」とするより「扶余諸語」とした方が適切だと考えられます。以前、扶余諸語→扶余語族に改名したのは私ですが、当時から私の考えがかなり変わったこともあり、現在は「扶余諸語」の方が良いのではと考えています。--ABCEdit会話2021年3月23日 (火) 22:04 (UTC)[返信]
  • 返信 ある仮説が有力であるという判断をするのに出典が必要ない、と言うのはWikipediaの方針と全く反するものでそれを前提とした編集は受け入れられません。しかも既に述べた通り扶余語族説が有力説だという話は出典が無いのみならず少なくとも日本語の関連書籍・論文の状況に反しています。
  • 諸語という定義不明瞭な用語を用いるのはさらに問題が大きいです。ABCEditさんの説明による限り、諸語という用語を用いることによる効果は、読者が自分の考えに合わせて好きなように読解できるということです。これは一体何のためでしょうか?百科事典記事である以上、記事主題について的確に読者に伝えることがその目的なのであって、読む人によって意味が変化するという状況をわざわざ誘発させるために用語を改変する意味が解りません。また、きちんとした根拠に基づいて記述することが必要なのであって、扶余語族という用語に対して私が抵抗をもっている・いないということには意味が無いはずです。
  • そもそも、話が堂々巡りになるのはABCEditさんが記事に反映させようとしている内容が要するに「ABCEditさん自身の意見」であるためです。「最近優勢なのは、扶余諸語は朝鮮語族に属し、高句麗語の一部語彙が日本語と似ているのは高句麗語の基層言語が半島日本語であったためである、という説」というのはだれが判定しどこで公表されているのでしょうか。これらについてABCEditさんの考えが変わったということにも何の意味もありません。
  • しかもこの文章は李基文の扶余語族説とも全く異なり、英語版Wikipediaとも一致せず、英語版Wikipediaで多用されているA History of the Korean Language, Cambridge University Press(2011)の記述とも違い、さらにはこれまで散々あげられていた中国史料の記述とも違う別の何かです。そして私が確認できる限りの関連する書籍・論文において全く見られないものです。
  • ABCEditさんが言う「扶余語族説」というのは何なのでしょうか。
  • はっきり申し上げて、ABCEditさんのいう「扶余語族 / 扶余諸語」がこのように得体の知れないものであることがはっきりした以上、Templateにこれを記載するという話には全く同意できません。
  • 最後に、扶余語族説への言及がないことが中立性に反する、ということでしたが、これの解決法がTemplateへの記載でなければならない理由は何でしょうか。再度述べますが、これは本文中で言及すれば解決する話であると思います。--TEN会話2021年3月24日 (水) 15:59 (UTC)[返信]
返信
  • 「「有力な」仮説であるかどうかを判断する出典の無いものについてTemplateに載せてはならない」というWikipediaの方針はありません。方針の悪用はおやめください。
  • 「諸語」を用いることで妥協を提案しているのに、あなたには全く合意形成しようという意思が感じられません。私が良かれと思って提案していることに対し、「誘発」だの「改変」だの人聞きが悪い。どれだけ私を批判すれば気が済むのでしょうか。
  • 堂々巡りになるのを全て私の責任かのように仰るのはいかがなものかと思います。少なくとも責任の半分は貴方にありますよ。ノートで自分の意見を述べることは普通です。また、「扶余諸語は朝鮮語族に属し、高句麗語の一部語彙が日本語と似ているのは高句麗語の基層言語が半島日本語であったためである、という説」というのは日本語版・英語版Wikipediaに掲載されている出典を見ていただければよいのであって、私の意見でも何でもありません。貴方の頭の中にある見解の中に含まれない説というだけの話です。
  • 「ABCEditさんが言う「扶余語族説」というのは何なのでしょうか。」と仰られても、中国の歴史書を基に高句麗語、夫余語などを同系とみなし、それらを「扶余系の言語」として括ることに過ぎません。それらが朝鮮語族に属すかどうかはまた別の議論です。貴方がその概念を理解できないのならば、言語の分類について一から勉強されることをおすすめします。
  • 正直申し上げて、あなたが「扶余語族」または「扶余諸語」をTemplateに掲載したくない理由が全く理解できません。私は複数の解決策を提示して妥協を試みましたが、貴方にはその気が全くないようですね。私は「扶余語族」、「扶余諸語」をTemplateから除くことに明確に 反対 であることは全く変わりません。これ以上2人で議論しても無意味でしょう。
--ABCEdit会話2021年3月24日 (水) 21:34 (UTC): **[返信]
  • 返信 記事自体の話では無いので先の返信では敢えて書きませんでしたが、あなたのいう妥協案について一応指摘しておきます。
  • 「「扶余語族」では抵抗があっても「扶余諸語」では抵抗が薄れることはありませんか?「扶余諸語」であれば、同系説を支持する人にとってはまだ証明されていない言語群、同系説に懐疑的な人にとっては同系統ではないが便宜的にまとめられる言語の総称、という解釈が可能です。」これがあなたの出した案の1つです。さて、「Infobox language」Templateのfam1属性は日本語版Templateでは「言語系統」がラベルとして表示されるようになっており、語族の一覧へリンクされます。
  • つまり、仮に「同系説に懐疑的な人にとっては同系統ではないが便宜的にまとめられる言語の総称、という解釈が可能」だから語族ではなく諸語に変更すればOKですね、ということでこの案に私が妥協した時、合意成立後のTemplateの表示は「言語系統 扶余諸語」となります。あなたはこの表示を「同系統ではないが便宜的にまとめられる言語の総称」と解釈できるのですか?はっきり言いますがこの妥協案なるものは詭弁です。
  • 私は高句麗語の系統分類において特定の主張をしているわけではなく、ABCEditさんの言っているような話「扶余語族説が有力説」ということが出典上確認できないことを問題視しているのであって、あなたが妥協案とするような表現の操作や仮説の羅列は意味をなしません。あなたは「2年前の経緯を捨てて仕切り直し」という話になった最初の返信で真っ先に「私はどんな仮説であろうと、有力なものはTemplateに載せるべきだという意見です。」と述べているのです。だから「有力ではない」ことを出典に基づいて示しました。それに対するレスポンスが「私は「有力な」仮説であることの出典は必要だとは考えていません。」「「有力な」仮説であるかどうかを判断する出典の無いものについてTemplateに載せてはならない」というWikipediaの方針はありません。」では堂々巡りにならないわけがありません。この説が「有力である」ことがTemplateに記載すべき理由だとABCEditさんが述べているのです。そして「有力である」と考えているのはABCEditさん個人であり、他に裏付けを持たないとしか一連の議論からは理解できません。このことについて出典が必要無いなどという話はあり得ません。
  • どんな分野のどんな仮説だって出典は存在するでしょう。しかしそれらの仮説の中から特定のものをTemplateや冒頭部に陳列すれば、それは有力なものと言う印象を与えるので明確に「不明」とすべき、と繰り返し説明しています。
  • そして、最後に提示されたAlexander Vovin, James Marshall Ungerの説は内容がABCEditさんの書いている通りだとすれば李基文の扶余語族に関する仮説と全く別物です。まだあまり調べていませんが、これらの説を扶余語族仮説と括ること自体に疑問を感じます。もし「扶余語族 / 扶余諸語」という用語がこのような多義性を持つのだとしたら、細かい説明をする場所がないTemplateに配置することはますます不適切なものと言えます。
  • しかし、これ以上2人で議論しても無駄ということでしたら、コメント依頼ということになりますので、手続きを取ろうと思います。--TEN会話2021年3月24日 (水) 23:52 (UTC)[返信]
返信
  • 合意形成に向けた前向きな提案を「詭弁」というのはいかがなものでしょうか。これについて私は大変な不快感を感じたことを申し述べておきます。
  • 「だから「有力ではない」ことを出典に基づいて示しました。」ということですが、正直今までの貴方のコメントを読んでも「有力でない」ことが出典付きで示されているようには思いません。
  • 扶余語族説は「有力である」と私自身は考えており、私はそのことがTemplateに記載すべき理由だと考えているのは事実です(2019年のコメント)。しかし貴方の反対を受けて、有力でない(と考える)仮説であっても記載すべき、と譲歩しました(2021年のコメント)。しかし貴方はそれをも頭から拒否しました。貴方は私がどんな提案を示しても頑なに拒否しています。これでは合意形成は不可能でしょう。堂々巡りになる理由は双方にあります。私だけが悪いかのような書き方はやめるべきではないでしょうか。
  • 李基文とAlexander Vovin, James Marshall Ungerの説はそもそも位置付けが異なり並列に議論できるものではありません。前者は扶余諸語内の同系性、後者は扶余諸語と他語族との同系性についての議論です。今までのコメントを見ていると、そもそもTENさんはそのあたりを理解ができているのか、非常に懐疑的にならざるを得ません。
  • コメント依頼についてはありがとうございます。特に異存はありません。
--ABCEdit会話2021年3月25日 (木) 09:26 (UTC)[返信]
  • (補足)五月雨式になってすみません。TENさんが2年前からの経緯を重視されているので、私からも2年前のTENさんのコメントについて返答します。TENさんのお考えの根幹は2年前のコメント「・最も強調されるべきは「わかっていない」ことであること。・古代の史料を根拠としてTemplateの記載をすべきではないと考える」にあるのだと拝察します。これについては全く同意できません。なぜわかっていないということを「最も」強調しなければならないのか、はなはだ疑問です。古代語で言語資料がほとんどないのは大前提なのですから、わざわざ強調する必要性は感じません。僅かな言語資料をもって、何とか系統を解明しようと血のにじむ努力を行っている研究にこそスポットライトを当てるべきです。それが学問の発展に対する正しい姿勢でしょう。「断定できないのだから、わからないという見解以外を排除する」というのは、百科事典Wikipediaの意義を大きく減じる考えだと思います。古代資料を根拠としてTemplateに記載すべきでない(たとえ「?」付きであっても許さない)という考えも、私には大変理解しがたいものです。確かに言語学的に証明されていないため断定は不可能でしょうが、古代資料の信憑性を否定しては学問は成り立ちません。「?」付きでは記載すべきでしょう。
--ABCEdit会話2021年3月25日 (木) 09:48 (UTC)[返信]
  • 返信 既にコメント依頼後のことなので他の方のコメントが入らないうちに個別の論点について逐一お返事するのは避けますが、出典の提示を求めてもそれをしない(2年前は議論の放置、今回は必要無しという話)、理由を変更して同一の編集を行おうとしている、という点は問題行動であると認識しております。「わからないという見解以外を排除する」いいますが、私はそもそも扶余語族説の排除など主張していませんし、その点についてTemplateに書かず本文中で説明すれば問題は解決しないのか、と提案していますが、あなたは無視しています。そして、わざわざ読者に複数の意味合いで読ませる書き方(扶余諸語)が適切ではないこと、この提案内容がTemplateの仕様と適合していないことなどを指摘しましたが、あなたは言葉尻を捕らえて人聞きが悪い、不快感を感じた話に移行し、指摘した内容は流して無視している、というのが私の視点からの議論の状況なのです。2年前を重視しているといいますが、同じ内容について議論をする以上論理の一貫性を重視するのは当然のことです。
  • 私の選択した言葉に不快感を感じた、というならそれは謝ります。しかし「貴方はどうしても高句麗語を扶余語族に属させたくないように見えてしまいます。何か感情的な理由があるのかもしれませんが」「言語の分類について一から勉強されることをおすすめします」といったような相手側の感情・資質についての問題に持っていく話の仕方等、他にもありますが議論の当初から今にいたるまでABCEditさんの行動・発言は私にとって著しく不愉快なものです。また、言語の分類についての相手側(ABCEditさん)の理解について疑問があるのは私も同じです。ですが、相手側の資質、不快感の議論を始めてしまっては不毛なのであえてこれらに細かい話はしませんでした。これらについてどうしても語らなければならないならその話は高句麗語とは切り離して私なりABCEditさんなりのノートで行うことを提案します。--TEN会話2021年3月25日 (木) 23:51 (UTC)[返信]

補足など[編集]

(本節のコメントは#コメント(依頼者含む)に移動しました。--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:47 (UTC)[返信]

コメント依頼用要約[編集]

コメント依頼用に時系列と論点だけ記載します。認識に齟齬があればABCEditさんの方で修正いただければと思います。具体的な議論の内容については公平に要約するのが恐らく私には不可能なので記載していません。--TEN会話2021年3月25日 (木) 01:07 (UTC)[返信]

ありがとうございます。特に異存はありません。第三者コメント節を追加しました。--ABCEdit会話2021年3月25日 (木) 10:03 (UTC)[返信]
誤解解消のため、下線部を追記させていただきました。--ABCEdit会話2021年3月28日 (日) 23:17 (UTC)[返信]
何度も変更があってすみません。下線部・取消線にて一部追記修正させていただきました。--ABCEdit会話2021年3月30日 (火) 00:32 (UTC)[返信]
ご指摘を踏まえ節名を「第三者コメント」→「コメント(依頼者含む)」に変更しました。TENさんも私も、今後は「コメント(依頼者含む)」に書くことといたしましょう。--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 03:50 (UTC)[返信]
経緯に追記--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 01:30 (UTC)[返信]

経緯[編集]

  • 2019年3月にTENがTemplateから「扶余語族」の記載を「不明」に変更
  • 2019年4月にABCEditさんがTemplateに「扶余語族?」として記載を復帰、以降議論を行うが、最後のTENの書き込みから3週間経過の後、TENが再び記載を「不明」に変更
  • 2019年11月にIP利用者によって「不明」が「漢語、小篆」に変更されるが、TENさんはこれを黙認[2]
  • 2021年1年にABCEditさんが「扶余語族?」の記載を復帰。
  • 2021年3月、TENが記載を「不明」に変更、ABCEditさんが差し戻し。以降、現在まで再び議論。

合意できていない編集[編集]

  • Infobox language を「不明」とする(TEN)か「扶余語族?」(ABCEditさん)とするか。妥協案(改善案)として、「扶余語族?または朝鮮語族?または日琉語族?」または「扶余諸語」案がABCEditさんから最後に出されているが、TENの方ではこれは反対。

コメント(依頼者含む)[編集]

  • コメント 私は言語学には詳しくありませんが、できる範囲でコメントします。
  1. ある仮説が「有力か否か」についてはWikipedia:中立的な観点(WP:NPOV)という「交渉の余地のない」方針に密接に関わります。中立的な観点はWikipedia:五本の柱にも含まれます。「数ある仮説の中でも筆頭」と論ずるためには根拠が必須なのですが、どこかに提示されていますか。「私は「有力な」仮説であることの出典は必要だとは考えていません。仮説が存在する出典のみで十分と考えています」というABCEditさんの考えは方針に反します。これは、テンプレートに関する「ある文書」でWP:NPOVについて触れられていなくても関係ありません。
  2. 高句麗語の系統の1説として扶余語族仮説がある、ならば当然、他の仮説も存在すると読めます。どんなものがありますか。見つかりうる説を記事中に列挙すれば良いと思います。真摯に出典を精査した成果として「有力な説はない」と記事中で述べる分については問題ないと考えます(参考:Signalize!/カレンダーガール#評論家による批評)。
  3. Infoboxは記事の概要、すなわち時間のない人などはInfoboxを見るだけで記事の最重要ポイントを掴むことができるというものです。当然WP:NPOVが適用されますから、記事本文に書けないことはInfoboxにも書けません。高句麗語には謎が多いようなのは記事を読めば分かりますが、有力な説が判然としないのにInfoboxの「言語系統」に説の一つだけを書くのは、読者に誤解を与えます。かと言って、根拠なく「不明」と書くのもダメでしょう。我々に有力な説を判断できない(勝手に判断してはならない)のなら、ここは素直に「諸説あり」と書くのはいかがですか。あるいは「記事参照」と書く手もあります。
  4. 論点からは外れますが「言語系統 扶余諸語」という妥協案について。「扶余語族」では不満を覚える人がいるので「扶余諸語」に書き換えようと妥協するのに、なぜ「扶余諸語」→「扶余語族」という別名リンクを設定するのですか。妥協になっていないでしょう。こういうケースではリンクを用いないべきです。いえ、何らかの説を記載すべきでないことは上記のとおりです、ただテンプレートを柔軟に運用してほしい一心で述べています。--メリース会話2021年3月28日 (日) 18:21 (UTC)[返信]
返信 コメントありがとうございます。(私の返信の場所がここで良いのかわかりませんが、)返信させていただきます。
  • 中立的な観点の方針については十分理解しております。しかし、Templateに記載するために、「数ある仮説の中でも筆頭」であることを直接言及する文献が必須だという方針があるのでしょうか。私はそこまでのことは求められないと考えています。また、私が「数ある仮説の中でも筆頭」と述べたのは、Wikipedia日本語版、英語版に載せられている出典を自分なりに精査した結果です。
  • テンプレートに関する「ある文書」とは何でしょうか?単純に知らないので教えていただければ幸いです。
  • 私の理解では扶余諸語扶余語族と同義です。「扶余諸語」が妥協案というより、現在はむしろ「扶余諸語」の方が適切ではないかとも考えており、扶余語族扶余諸語への改名提案も検討しています。--ABCEdit会話2021年3月28日 (日) 21:22 (UTC)[返信]
  • 返信 「数ある仮説の中でも筆頭」ならば当然、他の専門家にも支持されていたり、自明のこととして記述されていることでしょう。出典を精査した結果、それが判明しましたか。ABCEditさんが筆頭と確信しても、TENさんがそう思っていらっしゃらないならば、どちらかが誤読しているのでない限り、筆頭ではありません。誰が見ても確信できなければならないでしょう。「出典を自分なりに精査した結果」として最有力の説を自分で決定するのは独自研究に他なりません。
  • 「テンプレートに関する「ある文書」でWP:NPOVについて触れられていなくても」と述べたのは、ABCEditさんが以前「「有力な」仮説であるかどうかを判断する出典の無いものについてTemplateに載せてはならないというWikipediaの方針はありません」とおっしゃっていたからです。「ある文書」とは、あなたが読んだという「有力な仮説であるかどうかを判断する出典の無いもの」を載せられるテンプレートの文書です。あなたがどの文書を読まれたのかは分かりませんが、すべての文書に「中立的な観点を」といちいち書かれていないことはご存知かと思います。そして、そのようなテンプレートはありません
  • 扶余語族→扶余諸語という改名提案は、本件すなわち「系統についてInfoboxに何と書くかの議論」の結果には影響しませんし、ご自由にどうぞ。私はその是非(語族・諸語のニュアンスの差異)を判断できませんが、一つだけ申し上げられることがあります。当該記事はかつて逆の改名が行われ、しかもその提案者はABCEditさん(名義変更前)です。その根拠として「どの他言語版においても「語族」であるとの記述があるため」というのは不適切だったのではありませんか。WP:CIRCULAR(自己参照)をご覧いただき、次回の提案では確実な根拠を用いてください。--メリース会話2021年3月29日 (月) 10:31 (UTC)[返信]
  • 返信 要点だけ述べます。貴方が「真摯に出典を精査した成果として「有力な説はない」と記事中で述べる分については問題ない」と書かれたので、「出典を自分なりに精査した結果」と表明したまでです。それを独自研究として糾弾するのは自己矛盾ではないでしょうか?「ある文書」については、そのような方針が書かれた「文書」は存在しないのであって、それは方針自体が存在しないことに他なりません。(そもそも私の主張は「中立的な観点」に抵触するものでもありません。)--ABCEdit会話2021年3月29日 (月) 10:56 (UTC)[返信]
  • 返信 「真摯に出典を精査した」という本人以外に真偽を知りえない主張だけで、客観的な証拠を何も示さず、反対意見があるのに、何か特定の観点を勝手に記述しようとすること(そのような観点が存在しないことを記述する場合を除く)が独自研究なのであり、まだ誰も「糾弾」に値する行為を行っていないでしょう。どの出典に「○○説が最有力」と明記されていましたか。出典を精査して明らかとなった「最有力と述べられた記述」をこのノートに引用してください。そうすればこの議論は直ちに終わります。それができないならば、そんな説は存在しないのです。存在しない(証拠をABCEditさんが提示できない)なら「存在しない」と記述するしかありませんし、それは許容されると述べたつもりです。
  • 客観的な証拠を何も示さず、何か特定の説を最有力と記述してはいけないことは、あなたがどのような主張をなさっても覆りません。もしご納得いただけないなら、納得できるまで、方針文書を何度でも読んできてください。間違っても、今後そのような方針違反行為に走ることのないようにしてください。--メリース会話2021年3月29日 (月) 13:32 (UTC)[返信]
  • 返信 私の一連の主張のどこが方針違反なのでしょうか。「○○説が最有力」と明記された出典が無ければTemplateに記述してはいけないのでしょうか。私は「最有力」でなくてもTemplateに記載すべきだと繰り返し述べています。間違っても何か特定の観点を勝手に記述しようとしているわけではありません。「本人以外に真偽を知りえない」のではなく、Wikipedia日本語版、英語版に記載されている出典に基づく主張をしているだけです(これも何度も述べています)。そのようは私の言を全く信用せず、ひたすら私を批判する貴方の姿勢はWikipedia:善意にとるに違反するものです。私からすれば、貴方の主張こそ方針に基づかないものです。TENさんもメリースさんも「○○説が最有力」と明記された出典を示せと繰り返されていますが、そのようなものはTemplateに載せるうえで必要なものではありません。言い方は悪いですが、TENさんもメリースさんも「方針違反だから反対」なのではなく、「私の主張が気に入らないから反対」なだけだということです。このような場合、話し合いで決めるしかないのですが、貴方との議論においては、問題が解決する見込みは無さそうです。
  • 要するに、貴方に返信した私が間違っていたということでしょう。貴方とこれ以上話し合っても解決の見込みはありません。「不明」ではダメで「諸説あり」「記事参照」を提案していただいた分、TENさんよりは歩み寄れたとは思いますが、ここは第三者コメント欄ということもあり、ひとまず貴方のとの議論はやめることとします。--ABCEdit会話2021年3月29日 (月) 13:58 (UTC)[返信]


【補足】 上#扶余語族をTemplateに入れることについての議論だけでは誤解を生じる部分があると思いますので、補足します。私の頭の中では、高句麗語の系統を以下のように理解しています。

  • 朝鮮語族?(根拠:韓国の研究者(Lee & Ramsey (2011), p. 43, 48.、Kim (2009), p. 766.の情報に基づく)、Vovin (2013), pp. 237–238.、Unger (2009), p. 87.)(en:Puyŏ languages参照)、日琉語族?(根拠:Beckwith, 2004)、ツングース語族?(日本で第二次世界大戦前に多数を占めた説)
    • 扶余諸語(扶余語族)?(根拠:中国の歴史書に基づく李1975、Lee & Ramsey (2011) p34など)

従って、扶余語族説と他の説は仮説としての位置づけが異なり、並列に比較できるものではないと思います。--ABCEdit会話) 2021年3月28日 (日) 22:27 (UTC) 一部修正(下線・取消線部)--ABCEdit会話) 2021年3月30日 (火) 20:08 (UTC) #補足などから移動 移動に伴い一部修正(下線部)--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:47 (UTC)[返信]

(追記)最近の研究対象はもっぱら扶余諸語(扶余語族、高句麗語族とも言う)がどの言語系統に属すか(朝鮮語族説が優勢か?)です。扶余諸語という枠組自体については、(どの個別言語までを内部に含めるかという曖昧さは残るものの、)そのような同系統の言語群からなるグループ(扶余語族、高句麗語族)が存在したという前提で議論が進んでいます。今さらその枠組自体を否定しようとする研究を私は知りません。--ABCEdit会話) 2021年3月29日 (月) 02:29 (UTC)   #補足などから移動 --ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:47 (UTC)[返信]


  • コメント 特定の記事に関することではなく一般論として申し上げますので参考になさってください。まず、皆さんに対しWikipedia:論争の解決の次の一節を提示します:「相手の人格や背景を疑った意見、相手を馬鹿にした意見は、互いを感情的にし、混乱を呼ぶだけだから避けて下さい。議論の対象は、議論相手ではなく議題そのものに集中して下さい。(下線は引用者による)
  • Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付けには「不当な重み付けは、記述の深さ、文章の量、配置の突出、文の同列化、画像の使用など、これらに限らず、いくつもの方法で行われる可能性があります。」とあります。これは「適当な重み付け」においても同じでしょう。したがって、テンプレートにいずれか一つだけの説を記入することは、適当か不当かはともかく「重み付け」であるといえるでしょう。また同節によれば、ジミー・ウェールズはこう言いました:「もしも観点が多数派の観点であるならば、一般に認められている参考文献を参照してその観点が多数派だと証明することは容易なはずです。」。私は、これは「多数派」を「有力説」に読み替えても成り立つと考えております。
  • 一言で書き表せないことについて、テンプレートに「本文参照」などと書くことは、(過剰なほどであったとしても)最も「穏当で公平な」方法であると考えられます。テンプレートにどのように書くかで論争になっている場合には、この方法を採ることが論争の解決に役立つでしょう。
  • Wikipedia英語版ではどうなっているか、というのは参考にはなりますが、Wikipedia日本語版においては英語版とは独立して出典の精査、記述の精査などを行う必要があります。日本語版における記述について意見が対立している場合にはなおさらです。
  • ABCEditさん 釈迦に説法かとは存じますが、1点だけ。「「有力な」仮説であるかどうかを判断する出典の無いものについてTemplateに載せてはならない」という方針は確かにないと思います。あるのは「適当な出典の無いあらゆる記述について記事のあらゆる場所に載せてはならない」という方針です(Wikipedia:検証可能性#方針)。--LABE会話2021年3月29日 (月) 23:46 (UTC)[返信]


上記に示された出典はen:Puyŏ languagesに付されている出典を転写したものと思いますが、内容を確認する限りとても上にABCEditさんが示したような内容を読み取れません。
  • Lee & Ramsey (2011), p. 43: The multiple groupings of the Koguryo toponyms appear to be evidence of links that obtained between Altaic, Korean, and Japanese. In Korea, most researchers have long believed that the language spoken in Koguryo was in fact a "dialect" of Old Korean, and accordingly treat the toponyms as Korean words pure and simple. Others, particularly in Japan and the West, have been more impressed with the lexical resemblances to Japanese. However, if the various strains of vocabulary represented the lexicon of a single language, a more logical conclusion is that Koguryo an was related not just to Korean or Japanese, but to both. The corpora are too large and the words too basic to represent merely layers of cultural borrowing. And if that was so, Koguryoan might possibly have been a language intermediate between what later became those two important world languages.
ここから読み取れるのは、1. 韓国の学者の大半は高句麗で話されていた言語は古代朝鮮語(Old Korean)の「方言」("dialect")であると長く考えてきたこと、2. 特に日本と西洋では高句麗語と日本語の関連性が注目されてきたこと、3. 高句麗語が単一の言語であるならば、その中に見出される複数の系統の要素はこの言語が両言語の中間的な言語であると言えるかもしれない、という見解を李基文が示していることです。そして同書のp. 48では高句麗語・新羅語・百済語の関連性自体も推測の域を超えることは言えない、という注意を明記しており、朝鮮語族というような論陣を張っているわけでもないです。
  • Kim (2009), p. 766:The Northern theory is the view that Korean is related to the Altaic family. Although this view is not wholly accepted by the linguistic community, the majority of Korean linguists and some Western scholars seem inclined towards believing this view.
金が同書で語っている内容は韓国語の起源論において南方説(オーストロネシア語などとの関連を考える)と北方説(アルタイ語などとの関連を考える)という大きな二つの潮流があり、アルタイ語説は言語学界では認められてはいないが韓国の言語学者の大半と西洋の学者の一部は北方説(アルタイ語説)に向く傾向にある、ということです。個人的にen:Puyŏ languagesのKim (2009), p. 766.は出典の付し方が不適切と思われ、同書はLee & Ramsey (2011)と語っている内容が全く異なります。Kim (2009)は同ページで「The ancient Korean language is divided into two dialects: the Puyo language and the Han language.」と述べており、明確に扶余語と韓語を古代朝鮮語の方言と書いてはいますが、具体的な論証を全く伴わず、また朝鮮語族(Koreanic)という用語を使用しておらず、ABCEditさんの言うような論を展開していません。金の立ち位置は李が言う「In Korea, most researchers have long believed that the language spoken in Koguryo was in fact a "dialect" of Old Korean」に内包されるもので、この二つの書籍をこそ並列に並べることができるものではないと考えます。
部分的にしか読んでいないのでもう少し出典の確認を続けますが、私見としてはen:Puyŏ languagesは出典の用い方および要約の仕方に疑問がありあまり過渡に信頼しない方が良さそうだと感じます。またこの二つの書籍から「朝鮮語族?」という表現を導き出すことはできないと思います。特にLee & Ramsey (2011)の記述から、高句麗語の分類に関する思考は研究者が基盤を置く地域による差があることが読み取れ、POVへの配慮も必要になるだろうと思います。--TEN会話) 2021年3月30日 (火) 18:06 (UTC)  #補足などから移動 --ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:47 (UTC)[返信]
返信 文献調査ありがとうございます。非常に助かります。さて、Lee & Ramsey (2011)ですが、p34の "The Puyŏ languages" の節に "If the Chinese description is believed, the "Puyŏ language group" incleded four languages: Puyŏ, Koguryŏ, Okchŏ, and Ye." とあり、これは「扶余諸語」、「扶余語族」を指しています。この文献はむしろ「扶余語族」そのものを支持しています。(上記も修正しました)。Vovin (2013)、Unger (2009)、Beckwith(2004)については如何ですか?--ABCEdit会話) 2021年3月30日 (火) 20:08 (UTC) #補足などから移動 --ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:47 (UTC)[返信]
  • (追記)「明確に扶余語と韓語を古代朝鮮語の方言と書いてはいますが、具体的な論証を全く伴わず、また朝鮮語族(Koreanic)という用語を使用しておらず、ABCEditさんの言うような論を展開していません。」という点に異議があります。扶余語を朝鮮語の方言とするなら、それは「朝鮮語族」の系統に属すことと同義です。方言か言語かの基準は曖昧で、万人が納得する定義はありません。仮説なので論証を伴わないことは普通です。「ABCEditさんの言うような論」とは何ですか。私は扶余系言語が朝鮮語族に属すという仮説を述べている文献の一つとしてKim (2009)を挙げたまでです。
  • (追記)また、「この二つの書籍をこそ並列に並べることができるものではない」ということですが、私が並列と言ったのは言語系統の階級の話であり、書籍のことではありません。--ABCEdit会話) 2021年3月30日 (火) 21:06 (UTC) #補足などから移動)--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:47 (UTC)[返信]


提案 上記(2021年3月28日 (日) 22:27 (UTC)にABCEditが示した【補足】)を踏まえ、私から新たに以下ような書き方を提案いたします。

--ABCEdit会話) 2021年3月30日 (火) 20:13 (UTC) #補足などから移動 (移動に伴い一部追記(下線部))--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:47 (UTC)[返信]

提案 「諸説あり」とするならば、すべての説を記載すべきだと思います。(意図的に情報を隠すことは望ましくありません。)「補足など」節に載せたTemplate案上記のTemplate案を提案いたします。--ABCEdit会話) 2021年3月30日 (火) 20:19 (UTC) 指示先コメント移動に伴い一部修正(取消線と下線部) --ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:47 (UTC)[返信]
「諸説あり」と「すべての説の記載」は同じではないです。すべての説の記載は1. 学界における重みも仮説としての性質も同一ではない説が並列に扱われる、2. 記載順によって読解に影響が生じる、という観点で適切ではないと考えます。付け加えて、LABEさんが提案されているように「本文参照」でも構わないと思います。--TEN会話2021年3月31日 (水) 00:21 (UTC)[返信]
  • コメント 申し訳ありませんが、コメントを追加する場所は1ヶ所に定めていただけないでしょうか。コメント依頼以降の議論の流れがわからなくなっています。「第三者コメント」を分けるのは良いですが、議論というものは通常ページまたはセクションの最下部で行われます。
  • 「すべての説の記載」についてですが、もちろん「本文参照」などとする際には本文に「すべての説を記載」するのは前提です。現在の記事ではすべての説に言及していないように見受けられるので、これは最終的には記載されるものと思います。しかし、必ずしもテンプレートにおいてすべての説を列挙する必要はなく、そういう意味で「本文参照」という案を提示しております。--LABE会話2021年3月31日 (水) 03:15 (UTC)[返信]
「全て」は言い過ぎました、「3つ程度」に訂正します。重み付けや順番は議論の上で決めるべきでしょう。「本文参照」や「諸説あり」だけを書くことはTemplateの存在意義を否定しかねないので、ご提案いただいた方には申し訳ありませんが、反対とさせていただきます。「諸説あり(夫余語族?、朝鮮語族?、日琉語族?)」のような具体名を出す書き方であれば反対しません。--ABCEdit会話) 2021年3月31日 (水) 03:18 (UTC)時系列順に順序変更--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 09:08 (UTC)[返信]


  • コメント 新規コメントを追加するわかりやすい場所を作っていただき、コメント依頼以降の議論をそこに整理していただけないでしょうか。私のコメントの直上で議論が継続されるのは違和感があります。--LABE会話2021年3月31日 (水) 03:48 (UTC)[返信]
  • 依頼者(2名)も第三者も関係なくこの節で議論するのはいかがでしょうか?「新規コメントを追加するわかりやすい場所」とは、第三者のコメントでしょうか?依頼者2名のコメントでしょうか?--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 03:56 (UTC)[返信]
  • 私自身はもともと様式のこだわりはありません(第三者コメントを分離についてはどちらでも構いません)が、本コメント依頼においては、第三者のコメントをいただた後も、その都度コメントしたいことが出てくることを自覚しております。従いまして、これを機に、第三者コメントを分離せずに、依頼者も含めて本節で統一的に議論させていただくことにさせていただけないかと考えております。そのほうがわかりやすいと思います。如何でしょうか?なお、第三者コメントをいただいた後の議論は#補足などにもございます。他には(本節を除き)ありません。これらをどのようにまとめるかは思案いたしますが、お知恵をお貸しいただけると有り難く思います。--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 04:42 (UTC)[返信]
  • 私としても、議論は1ヶ所で行うのが効率的であると思います。また、昨夜以降の分散したコメントについても、私よりも本件議論の流れをよくご存知であるあなた方の手で1ヶ所にまとめていただきたく思います。--LABE会話2021年3月31日 (水) 05:03 (UTC)[返信]
  • 報告 作業を行いました。一部(メリースさんとABCEditのやりとりの部分と私の【補足】コメント、および2021年3月30日 (火) 21:06 (UTC)のABEditの追加コメントとその下の提案)は時系列にすると流れが非常にわかりにくくなってしまうと感じたため、並べ替えておりません。ご容赦ください。各位のコメントについて、順序入れ替えによって指し示す場所がわからなくなった表現(「上記」、「下記」など)の修正や、誰に対しての返信なのか(宛先)の追加が必要でしたら、各々で修正追記願います。不備等ありましたら修正いただくか、お申し付けください。--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 08:53 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────

  • コメント (インデント戻します)作業お疲れ様です。私としては作業に問題はありません。さて、ABCEditさんは「本文参照」や「諸説あり」という表記に反対とのことですが、例えば私の僅かな言語学の知識によれば系統不明な言語であるシュメール語において、テンプレートでは孤立した言語(すなわち不明)となっています。これはおそらく「系統不明」であることについて広く一致した見解であり、系統不明とされることの出典もあり(同記事には示されていませんが)、議論がないためにこのような表記になっているものと思われます。しかし本文においては系統について記述があり、デネ・コーカサス大語族に属するとの説が挙げられています。ABCEditさんは、「シュメール語」のテンプレートに「デネ・コーカサス大語族」と表記することについて、本件「高句麗語」と比較してどのようにお考えですか?--LABE会話2021年3月31日 (水) 11:23 (UTC)[返信]
  •  追記 ABCEditさんと書きましたが、他の方のご意見もお待ちしております。--LABE会話2021年3月31日 (水) 11:32 (UTC)[返信]
  • 返信 これについては、#扶余語族をTemplateに入れることについてでTENさんと議論した話でもありますが、シュメール語は言語資料が非常に豊富な言語です。(私はあまり詳しく知りませんが、おそらく現存言語に匹敵するくらいのデータがあるのではないでしょうか。)そのような豊富な言語資料をもってしても、シュメール語と比較言語学的に同系統と言える言語が見つかっていないということは、少なくとも我々が知っている言語との間では「孤立した言語」である蓋然性が非常に高い(ほぼ確定)ということができます。「デネ・コーカサス大語族」は豊富な言語資料が存在する語族(または孤立した言語=所属言語が1つの語族)について、語族より一段階上の系統関係を見出そうという取り組みの1つですが、従来の比較言語学的方法では証明できていません。このように豊富なデータをもってしても証明できないということは、少なくともこれらの語族の間で、比較言語学的手法における「(さらに上の)語族」というものが成り立つ蓋然性は低いと言えます。(おそらくこれには言語接触・混合の作用が非常に大きく作用しており、伝統的な比較言語学とは別の方法でアプローチする必要があると私は考えていますが、詳しくは主題から外れるのでここまでにします。)対して、高句麗語は言語資料が極めて限られており、その実態は殆どわかっていないと言ってよいでしょう。ですから、言語学的検証がほとんど不可能です。逆に言えば、何らかの語族に属していてもそれを示す材料が残っていない、すなわち、高句麗語が何らかの語族(例えば、朝鮮語族あるいは日琉語族など)に属した蓋然性はそれなりにあるということであり、孤立した言語であった蓋然性は相対的に低いと言えます。まして、中国の古代書に「高句麗、夫余、ワイ貊、沃沮は同種、またはその言語が同じ、または似ていた」という記録がはっきりと残っています。これは、信頼性の問題はあるものの、これらの言語が同系統であった蓋然性を示す大きな証拠です(扶余語族仮説)。以上より、シュメール語と高句麗語の状況を同じ土俵で比較することはできないと考えています。--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 11:59 (UTC)[返信]
  • 返信 整理ありがとうございます。上記については私から特に新しい意見はありません。シュメール語の記事は分類について有力な見解を判断できる出典が示されない限り適切な状態にあり、高句麗語の記事においても同様にすべきだと思います。--TEN会話2021年3月31日 (水) 13:54 (UTC)[返信]
  • コメント (編集競合しましたが、そのまま)申し訳ありません、議論には一通り目を通したつもりでしたが、シュメール語の件は見逃していたようです。ABCEditさんの意見は「シュメール語は資料が豊富なので、テンプレートで系統不明であると指摘することも容易であるが、高句麗語は資料に乏しいため、系統を特定できないのと同時に系統不明であるとも断定できず、実際に系統を論ずる仮説もあるのでこれをテンプレートに記載することができる」ということですね。TENさんの意見は「シュメール語は高句麗語よりも圧倒的に資料が豊富にもかかわらず系統不明とされており、まして系統に関する有力説のない高句麗語についてテンプレートで系統を指摘する状況にない」ということですね。
  • 次の質問ですが、高句麗語について、「系統不明である」と論ずる出典はありますか。どなたがお答えになってもかまいません。私は文献を容易に参照できる状況にないのですが、インターネット上で検索したところ、東京外国語大学『語学研究所論集』第18号のp. 59に「河野六郎(1993)は後代の高句麗語を含め,夫餘系高句麗語を「系統不明」とする.」とあるのを見つけました。--LABE会話2021年3月31日 (水) 18:00 (UTC)[返信]
  • コメント お願い TENさん[3]とABCEditさん[4]におかれましては、コメントに追記する際は「まだ誰も読んでいないだろう」とは思わずに、最低でも追記したことを署名付きで示してください。私はどちらも追記前のコメントを読んでおり、混乱が生じました。特にABCEditさん、署名の変更は悪質ととらえられかねません。--LABE会話2021年3月31日 (水) 18:23 (UTC)[返信]
    • コメント 直接の答えではないのですが、重要な観点と思いますので書かせていただきます。「系統不明」という際に、1.扶余諸語内の同系性2.扶余諸語外の同系性(扶余諸語と他の語族の同系性(唯一僅かな言語資料が存在し、歴史資料も扶余系の中では豊富な高句麗の言語が比較材料に使われることが多い))という全く別の観点が存在します。東京外国語大学『語学研究所論集』第18号では、p.59「河野六郎(1993)は後代の高句麗語を含め,夫餘系高句麗語を「系統不明」とする.」というのは2の観点、p58の末尾の「なお「夫餘系言語」が果たして同一語族に属す言語であったか,…判然としない.」というのは1の観点です。(私が今まで述べてきた中では、扶余語族仮説(李(1975)、Lee & Ramsey (2011)など)が1の観点、朝鮮語族仮説(Vovin (2013)、Unger (2009)など)および日琉語族仮説(Beckwith(2004)など)が2の観点です。)この峻別をしっかり行う必要があると思います。またp.58に書かれているように、「高句麗語」とされる言語データが同一言語のものかどうかという不確定要素もありますが、Vovin (2013)、Unger (2009)、Beckwith(2004)などは、これらの状況も踏まえたうえで、地名というおそらく最も古い言語の層が残りやすい名詞も用いて、導き出された仮説だと思われます。--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 18:43 (UTC)[返信]
    • コメント 署名については決して悪意などありませんが、どんな些細な追記も追記しましたと書くべきであるならばそうします。(次のコメントが記入されるまでは、コメント後20分程度以内であれば、些細なものについてはくどいと思ってそうしないほうが良いと考えておりました。)繰り返しますが、決して悪意があるものではありません。先走って誤字脱字や内容の記入漏れをしやすい傾向を自覚しており、気を付けます。--ABCEdit会話) 2021年3月31日 (水) 18:50 (UTC) (追記(下線部))--ABCEdit会話) 2021年3月31日 (水) 18:56 (UTC)(追記(下線部))--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 18:59 (UTC)[返信]
    • 返信 私の考えについては相違ありません。端的にまとめてくださりありがとうございます。--ABCEdit会話2021年3月31日 (水) 19:07 (UTC)[返信]
      • 私としてはコメント及び署名の「修正」についてABCEditさんに悪意があったものとは全く考えておりませんが、実際に(タッチの差であったとはいえ)この編集は私のコメントの後になされたものであり、「些細な追記」であるとは思いません。誰からも不適切だと指摘されないためにも今後は慎重を期していただくのが得策だと考えます(Wikipedia:ノートページのガイドライン#自分のコメント)。上記のような追記の付記についても、私は特にくどいとは思いません。{{smaller}}などを使えば少しは目立たなくなるかと思います。ところで、本題でないことでいちいちコメントするのもさすがに気が引けるのですが、この編集は私のコメントの途中に割り込んでおり、私のコメントの範囲をわかりにくくしているため、時系列に沿って移動させていただきました。
      • ABCEditさんのご回答について、「この峻別をしっかり行う必要がある」とのことですが、その峻別はどなたが行うのでしょうか。--LABE会話2021年4月1日 (木) 05:50 (UTC)[返信]
返信  署名については承知しました。不快感を与えてしまったのであればお詫びいたします。--ABCEdit会話2021年4月1日 (木) 06:26 (UTC)[返信]
返信  「誰が行う」という問題ではなく、「ここで議論をする際はまずはそのような峻別を行ってから議論をすべき」という話です。言語の系統分類の概念と高句麗語の立ち位置をきちんと理解されている方であれば、両者の概念を峻別することは全く難しくなく、各人による解釈の差も生じ得ないと思われます。--ABCEdit会話2021年4月1日 (木) 06:26 (UTC)[返信]
議論において出典を精査する際、議論参加者にそのような「峻別」が求められることには同意します。では、議論の結果を記事に反映させるのにあたり、そのような「峻別」は記事の閲覧者一人ひとりにも求められるとお考えでしょうか。--LABE会話2021年4月1日 (木) 07:04 (UTC)[返信]
記事の閲覧者は、「峻別」を行うにあたって必要となる言語の分類概念や高句麗語の立ち位置について基礎情報を持っていらっしゃる方ばかりではありません。むしろ、そのような情報を求めに来られる方が多いでしょう。そのような方々に問題なく理解していただけるような記事内容にしなければならないと考えています。閲覧者がそのような「峻別」をすることが可能なように、編集者は記事を適切に編集することが求められると思います。--ABCEdit会話2021年4月1日 (木) 08:12 (UTC)[返信]
では、具体的に記事(本文やテンプレート)をどのようにすれば、閲覧者がそのような「峻別」をすることが可能になるとお考えですか。--LABE会話2021年4月1日 (木) 08:41 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── (インデント戻します)私が2021年3月30日 (火) 20:13 (UTC)に示したものか、それに近い形です。(再掲(案1)とその後の議論を踏まえた折衷案(案2)を下に示します。)

(案1)

高句麗語
話される国 高句麗
地域 満州(中国東北地方)、朝鮮半島
消滅時期 7–10世紀
言語系統
言語コード
ISO 639-3 zkg
Linguist List zkg
Glottolog kogu1234[1]
テンプレートを表示

(案2)

高句麗語
話される国 高句麗
地域 満州(中国東北地方)、朝鮮半島
消滅時期 7–10世紀
言語系統
諸説あり(朝鮮語族?、日琉語族?、ツングース語族?)
言語コード
ISO 639-3 zkg
Linguist List zkg
Glottolog kogu1234[1]
テンプレートを表示

--ABCEdit会話) 2021年4月1日 (木) 08:59 (UTC) Template案を、折り畳み→常に表示、に戻しました。--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 05:20 (UTC) [返信]

  • (スペース節約のためテンプレートを折り畳んでおきました)そのテンプレート内の記述だけでは、閲覧者が「なぜ高句麗語はそれらの語族に属するといえるのか」を判断することはできないと考えられるため、本文において詳細な説明が必要になると思います。本文においてはどのように記述すべきであるとお考えですか(なお、「?」が三つもあれば「諸説ある」ことは伝わると思うので、2案よりは1案のほうがいいと思います)。--LABE会話2021年4月1日 (木) 09:21 (UTC)[返信]

(説明の都合上インデント戻します)
以下の系統(仮説)を説明する内容となります。

日琉語族? Beckwith(2004)
ツングース語族?(日本で第二次世界大戦前に多数を占めた説)
  • 扶余諸語(扶余語族)? 中国の歴史書、李(1975)、Lee & Ramsey (2011)

本文には「系統」節を設ける必要があると思います。内容の骨子案を箇条書きで簡単に書きます。

1.「扶余諸語」について

  • 中国の歴史書に「高句麗、夫余、ワイ貊、沃沮は同種、またはその言語が同じ、または似ていた」という記録
  • それに基づき、李(1975)がこれらの言語を同系と想定
  • Lee & Ramsey (2011)がそれを踏襲

2.高句麗語など「扶余諸語」と他の語族との系統関係

2-1.日琉語族説
  • これには批判(Pellard (2005)、Byington (2006))もある
2-2.朝鮮語族説
2-3.ツングース語族説・その他説
  • ツングース語説など:扶余語族#従来より提唱されてきた諸説に記載の内容から「日本語系説」(2-1で既出)を除いたもの。多くの出典があるが、出典として適切かを吟味し、高句麗語に関するものを中心に抽出。

--ABCEdit会話2021年4月1日 (木) 10:22 (UTC)[返信]

  • その案について、お示しになった部分は概ね問題ないと思うのですが、「高句麗語の系統は(それらのいずれとも言えず)不明である(河野六郎(1993))」とする意見や、「『扶余諸語』が果たして同一語族であったのか、またそもそもそれらの説を検証する元となる高句麗語の語彙について、単一の『高句麗語』なるものであったのかも判然としない([5] p.58)」という意見についても同時に触れる必要があるのではないでしょうか。--LABE会話2021年4月1日 (木) 11:05 (UTC)[返信]
  • 河野(1993)を直接読んでいないのでわかりませんが、この「系統不明」というのが、「未分類言語」である事実(データ不足のため不明)のことを指しているのか、「孤立した言語」とする仮説(たとえ言語データが豊富であったとしてもどの語族にも属さないとする仮説)を指しているのかで、位置づけが変わってきますが、文脈から判断すると、おそらく後者(高句麗語を「孤立した言語」とする仮説(=「扶余諸語」を同系と想定した場合はそれが「独立した語族」となるという仮説))でしょう。であれば、上の骨子に「2-4. 独立した語族説」を追加する必要があります。
あるいは、2-4は2-3に組み込んでも良いかもしれません。と言いますのも、2-3には「古アジア諸語説」のような、「語族・孤立した言語の寄せ集めである古アジア諸語の1つ」すなわち「高句麗語は『孤立した言語』(=『扶余諸語」を同系とすればそれは『独立した語族』)である」という説も含まれますので、河野(1993)もこのうちの1つと見做して良いと思われるからです。
単一の『高句麗語』なるものがあったかも判然としない、という説明は2の直下(2-1の前)に、検証の元となる高句麗語の語彙の語例(可能であれば)と共に記載するのが良いのではないでしょうか。同時に、この不確実性のため、地名を用いた研究もされている旨を記載すべきかと思います。これらを反映させると、以下となります。

1.「扶余諸語」について

  • 中国の歴史書に「高句麗、夫余、ワイ貊、沃沮は同種、またはその言語が同じ、または似ていた」という記録
  • それに基づき、李(1975)がこれらの言語を同系と想定
  • Lee & Ramsey (2011)がそれを踏襲

2.高句麗語など「扶余諸語」と他の語族との系統関係

  • 検証する元となる高句麗語の語彙を例示(可能であれば)
  • これらが単一の『高句麗語』なるものであったのかも判然としない 伊藤(2013)(より適した出典があればそちらを記載)
  • ゆえに、地名を用いた研究(Beckwith(2004)、Vovin (2013)、Unger (2009))も行われている
2-1.日琉語族説
  • これには批判(Pellard (2005)、Byington (2006))もある
2-2.朝鮮語族説
2-3.ツングース語族説・その他説
  • ツングース語説など:扶余語族#従来より提唱されてきた諸説に記載の内容から「日本語系説」(2-1で既出)を除いたもの。多くの出典があるが、出典として適切かを吟味し、高句麗語に関するものを中心に抽出。
2-4. 独立した語族説 ※2-3に組み込んでも良い
  • 河野六郎(1993)
蛇足ですが、このコメントを書いていて思ったこととして、やはり「扶余語族」は「扶余諸語」に改名すべきだと思いました。「扶余語族」は骨子の1の同系仮説と2-4の仮説の2つを指し得るものになってしまい、二義語になってしまいます。しかも、「扶余語族」という名称は他の文献には見当たりません。やはり、扶余系の言語には、「諸語」という、より一般名詞的で汎用性の高い名詞を用いる方が良いと思いました。(過去に私が扶余諸語→扶余語族に改名しましたが、近々扶余語族→扶余諸語に戻す改名提案を行うつもりです。)
やや込み入った話になり、最後は話が逸れてしまいすみません。
--ABCEdit会話2021年4月1日 (木) 11:58 (UTC)[返信]

返信 (LABEさん宛) Template案を、折り畳み→常に表示、に戻しました。(折り畳みでは、この議論を見られる方へ私の考えがうまく伝わりません。また、他者のコメント内容をコメント主の了承無く改編することは望ましくありません。)--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 05:20 (UTC)[返信]

  • 正直に申し上げて本文の説明もTemplateの系統図案も問題が多い認識です。2点確認させていただきたいのですが、1. ABCEditさんの上記の系統図・の出典は提示されているもので間違いないでしょうか。2. ABCEditさんは提示された出典を実際に確認している、という認識でよろしいでしょうか。--TEN会話) 2021年4月2日 (金) 05:23 (UTC)--TEN会話2021年4月2日 (金) 05:25 (UTC)[返信]
  • 関連する文献が膨大なため大半は読めていません。多くはWikipedia日本語版、英語版の内容を参照しています。Wikipediaの記事が引用の仕方を間違えていなければ正しい、ということになります。(英語版を翻訳して日本語版新規記事を作成するのと同じ状況。)
  • もちろんこれでは問題があるとは思いますので、原典確認は必要でしょうが、私自身で確認するのは限界があり、短期間ではまず不可能です。問題と感じた箇所があれば、TENさんを方でご確認いただきご指摘ください。それを踏まえてここで議論を行いましょう。まだ骨子案の段階です。結論を急ぐ気はありません。--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 05:47 (UTC)[返信]
  • 指摘事項は無数にありますが、話が拡散するのでその中でも極端におかしいものを1つあげます。Kim (2009)の説明をかいつまんで要約すると以下のようになります。
  1. 韓国語の起源論においては南方理論(Southern theory、オーストロネシア語、ドラヴィダ語等との関連性を考える)と北方理論(Northern theory、アルタイ語等との関連性を考える)という2つの基本的な潮流がある。
  2. (南部理論の説明は省略)。北部理論とは基本的にアルタイ語説のことである。これは言語学界に認められていないが韓国の言語学者の大半と西洋の学者の一部はこの見解に向く傾向がある[2]
  3. 北方理論ではアルタイ語に属するツングース人が南に向けて移住したと定義する。ツングース語は朝鮮語と満州語という2つの主要なlanguageに分けられるであろう[3]
  4. 古代朝鮮語は扶余語と韓語という二つの方言(dialects)に分けられる[4]
要するにKim はこの書籍で北方理論の概要を説明しているわけです。
この本だけに基づいてABCEditさん風に系統図を作ると以下のようになります。
  • アルタイ語族?(Altaic family、言語学界では認められていない、韓国の学者は採用する傾向にある)
    • ツングース語族(Tunguisic)
      • 満州語(Manchu)
      • 朝鮮語(Korean / 恐らく本文中に登場するthe ancient Koreanも同義)
        • 扶余語(Puyo language)
        • 韓語(Han langguage)
まずもってABCEditさんが言う2の観点についてだけ述べますが、本当にこの本を出典にしているのであれば、ツングース語族と朝鮮語族を並列にした系統図が出来上がってくるわけがありません。また、
2-2.朝鮮語族説
  • Kim (2009)「古代朝鮮語が扶余語と韓語に分かれた」
2-3.ツングース語族説・その他説
  • ツングース語説など:扶余語族#従来より提唱されてきた諸説に記載の内容から「日本語系説」(2-1で既出)を除いたもの。多くの出典があるが、出典として適切かを吟味し、高句麗語に関するものを中心に抽出。

}}

などという分類と説明にKim (2009)を出典として付記できるわけがありません。
  • 全てではないものの他の出典についてもいくつか確認したので必要に応じて指摘しますが、はっきり言えることは言及されているどの出典からも、私はABCEditさんが出してきた系統図・学説の分類を再現することができません。出典を見ないで記述するとどれだけ実際から遊離した話になるのか、ということを上の例ははっきり示しています。
  • 要するに「多くはWikipedia日本語版、英語版の内容を参照しています。」からわかる通り、結局ABCEditさんの見解はWikipedia英語版の記述を元にABCEditさんが自分で考えたもの、と言う話に帰結します。だから話が堂々巡りになるのです。まず出典を確認してから意見を述べてください。英語版Wikipediaを翻訳するのと同じと言いますが、ABCEditさんの出している案は英語版Wikipediaの記述とも違うのです。ABCEditさんがWikipediaを見て考えた見解を他者が確認し、議論して内容を決めなければならないというのはおかしいです。--TEN会話) 2021年4月2日 (金) 06:33 (UTC)(脱字・インデント修正)--TEN会話) 2021年4月2日 (金) 06:40 (UTC)(訂正)--TEN会話2021年4月2日 (金) 06:47 (UTC) (記述・引用ミスの修正)--TEN会話[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 (TENさん宛)

  • いちいち揚げ足を取るつもりはありませんが、Kim (2009)の説明について正しくは、「4.古代朝鮮語は扶余語と朝鮮語韓語という二つの方言(dialects)に分けられる」でよろしいですね?いずれにしても、Kim(2009)は扶余諸語の朝鮮語族説を支持していることになります。示していただいた系統図もその通りでしょう。
  • 私がKim(2009)をもって示したのは、「扶余諸語が朝鮮語族に属す」という仮説についてのみであり、朝鮮語族がツングース語族に属すかどうかは今回の議論とは関係ありません。
  • 「言及されているどの出典からも、私はABCEditさんが出してきた系統図・学説の分類を再現することができません。」というのは嘘でしょう。そもそも、一つ上のKim(2009)についても、私の書いていることのどこが間違っているのでしょう。貴方の誤解です。
  • 要するにTENさんは「Wikipediaに書いてあることは全てデタラメ」とお考えということですか。つまり他の編集者の編集を根本的に否定し、全く信用していないということです。そのようなスタンスでは誰とも合意できないでしょう。
  • 私は「Wikipediaに基づいて」と断って出典を示しています。それに問題が在ると考えるなら、それを示すのはTENさんの側でしょう。私は正しいと考えているのですから、そうしていただかなければ、どこに問題があるのかわかりません。
  • Wikipediaの記述を元に自分で考えたものではなく、「Wikipedia英語版に書かれていることをそのまままとめたもの」です。いちいち私の書くことを悪く捉えるのはやめてください。私に全て原因があるかのような言い方をされますが、私からすると堂々巡りになる原因の少なくとも半分は貴方にあります。
  • 議論内容以外についてあまり言いたくありませんが、TENさんは私の言うこと全てについて「信用できない」、「問題が多すぎる」という強い語調で批判されていますが、これは全く的外れです。私の言の信用性を大きく減じるような印象操作は辞めてください。酷い場合は「個人攻撃」になります。私が書いた内容をきちんと理解しようとしていないのは貴方です。そのような態度を変えられないのであれば、合意は不可能でしょう。
    --ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 09:48 (UTC)[返信]
  • 引用箇所の間違いは修正しました。
  • Kim (2009)の説明ではツングース語に内包される朝鮮語の一部としての扶余語を、他のツングース語説とは別枠において説明するということであり、不適切です。2-2.朝鮮語族説2-3.ツングース語族説・その他説の説明とABCEditさんが作った系統図をABCEditさんが言ったような意味で理解することはできません。また「私がKim(2009)をもって示した」と言いますが、自分で確認していない文書をもって「示した」とする姿勢は受け入れられません。
  • Wikipediaの記述を元に自分で考えたものではなく、そのまままとめたものだった(私はこれに同意しませんが)として何か問題がなくなるのでしょうか。Wikipedia:信頼できる情報源をご確認ください。「ウィキペディアは三次資料です。ウィキペディア自身の記事(他言語版を含む)を出典として引用することは、自己言及となるため、できません。」と明記されています。これは単なる方針であり個々の編集者を信用するしないは問題ではありません。英語版Wikipediaで引用されている文献Xに書いてある、というのは要するに孫引きでありWikipediaの引用に該当します。自明のことでない限りあくまで文献X自体にあたらなければなりませんし、それが不可能なら代わりになる出典を確認する必要があります。
  • そもそも「信用できない」とも「問題が多すぎる」とも言った覚えがありませんが具体的にいつの書き込みでしょうか。個別のテーマについてそれぞれ意見をつけてきたつもりです。
  • とりあえず「Wikipediaに基づいて」 いる限り、Templateに系統図を載せるという案にもその本文の説明にも私は同意できません。--TEN会話2021年4月2日 (金) 11:09 (UTC)[返信]
返信 ですから出典の妥当性も含めてここで前向きに議論しましょう、と言っています。少なくとも私が示したのは骨子であり、これを今すぐ記事に反映させたいという願望はありません。--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 11:13 (UTC)[返信]
「Kim (2009)の説明ではツングース語に内包される朝鮮語の一部としての扶余語を、他のツングース語説とは別枠において説明するということであり、不適切です。」との見解には賛同できません。適切にしか思えません。--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 11:19 (UTC)[返信]
  • 返信 そもそも英語版Wikipediaをベースにした更新を記事に反映しようとしているのはABCEditさんなのであり、まずその出典の妥当性の確認はご自身で行うべきです。そして「Wikipediaに基づいて」いる限りそれは方針上反映すべきではない更新だというだけです。1. WikipediaはWikipediaの自己引用を否定している、2. ABCEditさんは英語版Wikipediaをベースにした骨子を提案している。3. ABCEditさんは英語版Wikipediaの出典の大部分を実見していない。という話であり、その出典の妥当性の確認を他の人間が議論しつつ行わなければならない理由がありません。
  • Kim (2009)にまつわる話についてはもう後は他の方の見解を仰ぐしかないですね。
  • 最後に、すぐに記事に反映させたい願望はないといいますが、ABCEditさんは既に「扶余語族?」のTemplateへの記述を記事に反映した後であり、これを巡る議論であることを無視されては困ります。--TEN会話2021年4月2日 (金) 11:57 (UTC)[返信]
  • 追記:すみません、ちょっと私自身少し過熱気味でコメントの頻度が高すぎる感じがします。まだいろいろあるかとは思いますが、明日以降まで一旦こちらへのコメントは控えます。--TEN会話2021年4月2日 (金) 12:17 (UTC)[返信]
  • 自己引用するのではなく、「転記または翻訳した上で文章を整える」が正しいと思います。従って自己引用の方針には抵触しないと考えます。
  • 私は出典は妥当であると考えていますので、自らが確認する必要性をあまり感じません。調べるのは問題を指摘する側にあります。「私は問題だと考えている。でもどこが問題だかわからないのであなたが調べなさい」というのはあまりにも都合が良すぎると思います。そもそも出典が示されている以上検証は可能であり、誰が確認するかは関係ありません。
  • Kim(2009)に関する見解を他の方に仰ぐのは同意します。
  • Templateへの反映も今すぐどうこうする願望はありませんが、議論の最中ですから、差し戻しも含めて編集は行わず、結論が出るまでそのままにすべきだと思います。--ABCEdit会話) 2021年4月2日 (金) 12:20 (UTC) インデント調整--ABCEdit会話) 2021年4月2日 (金) 12:22 (UTC) インデント調整--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 12:24 (UTC)[返信]
  • コメント Infoboxのような大きな図形情報について、クリックするだけで全く同一の内容を参照できる状態にすることが《他者のコメント内容をコメント主の了承無く改編すること[6]》に当たるかどうかについてここで議論するつもりはありませんので、私はただ議論の途中に横たわる大きな表を畳み、議論の肝である文章のほうの可読性・連続性を向上しようという善意からの修正であったと釈明させていただきます。また、今後は事前に許可を求めるようにいたします。
  • 特定のどなたかのことを言うわけではありませんが、他者の発言について真に「善意に取っている」ならば、他者について「悪意に取っている」「印象操作である」「個人攻撃である」などと指摘することは考えられないものと存じます。再掲しますが、Wikipedia:論争の解決によると《議論の対象は、議論相手ではなく議題そのものに集中して下さい。(下線は引用者による)》とあります。個人の言動に関する議論は利用者の会話ページなどで行うべきです。
  • ABCEditさん ABCEditさんがWikipedia英語版の記述を信頼なさっており、参考になさっているのはわかりましたが、そこに提示されている文献のうちABCEditさんご自身ではどれを調査なさったのでしょうか。《英語版を翻訳して日本語版新規記事を作成するのと同じ状況[7]》とのことですが、Wikipediaの記事のような三次資料を翻訳する際には投稿する前に出典を精査するべきです。なぜなら、Wikipediaに存在しても良いものは「検証可能なものだけ」であり、「これは翻訳しただけだから、検証可能でないとしたら原文の問題であり、翻訳者に問題はない」との規定も合意もないからです。また、《原典確認は必要でしょうが、私自身で確認するのは限界があり、短期間ではまず不可能です。問題と感じた箇所があれば、TENさんを方でご確認いただきご指摘ください。[8]》とのことですが、TENさんが確認なさったものを一方的に信用することもできないため、ABCEditさんのほうでもご確認いただきたいのですが、いつ頃ご確認いただけるのでしょうか。《「私は問題だと考えている。でもどこが問題だかわからないのであなたが調べなさい」というのはあまりにも都合が良すぎると思います。[9]》とのお考えには同意いたしますが、そこでTENさんが実際に出典にあたり検証なさった上でのご発言を《「言及されているどの出典からも、私はABCEditさんが出してきた系統図・学説の分類を再現することができません。」というのは嘘でしょう。そもそも、一つ上のKim(2009)についても、私の書いていることのどこが間違っているのでしょう。貴方の誤解です。[10]》と否定なさるのは、ご自身で同じ文献にあたり検証なさった方にのみ認められるご意見です。仮にまだご自身では同じ文献を確認なさっていないのだとすれば、私はそのご意見に納得することはできません。--LABE会話2021年4月2日 (金) 13:53 (UTC)[返信]
    • 議論中に相手に「悪意に取っている」「印象操作である」「個人攻撃である」と指摘するのはそのような問題点(不快感)を感じたからであって、申し訳ありませんが第三者からどうこう言われる話ではないと存じます(それこそ第三者を交えた議論であれば別の場で行うべきです)。過度な指摘は主題からの逸脱になりますが、主題に関する議論が適切に修正されるならば、そのような「注意」も時には必要と考えます。私は多くの利用者による多くの翻訳記事を見てきましたが、翻訳記事作成者がすべての文献に目を通しているとはとても思えません。翻訳記事作成段階でそのようなことまで求められているとは到底思えませんし、そのような規約も無いと理解しています。既にTENさんに向けて回答した内容との重複部分はそちらをご覧ください。時期的なものは明言できませんが、該当部分の本文をここに示していただければ私は確認したということで構いません。(まさかその本文を偽造して掲載するような悪意のある方がこの議論の参加者にいるはずはないと信じています。)Kim(2009)については、本文の一部をTENさんが既に上で示されていますから、その内容に基づいて、「TENさんの見解は誤解だ」と申したまでです。--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 14:22 (UTC)[返信]
      • 議論中に「不快感」を感じたとのことですが、それが単なる不快感であれば、それを議論中に指摘せずにすむまで時間を置き、冷静になることをお勧めします。さて、「私は多くの利用者による多くの翻訳記事を見てきましたが、翻訳記事作成者がすべての文献に目を通しているとはとても思えません。翻訳記事作成段階でそのようなことまで求められているとは到底思えませんし、そのような規約も無いと理解しています。」とのことですが、そのご意見は私にはスピード違反の論理(“よそが良いならうちも良い”)そのものであるように読み取れます。翻訳元の出典が外国語である場合、可能なら日本語の情報源に置き換えるべきという意見はあります(Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源)が、これは翻訳の際に出典を検証しなければなしえないでしょう。また、「該当部分の本文をここに示していただければ私は確認したということで構いません。(まさかその本文を偽造して掲載するような悪意のある方がこの議論の参加者にいるはずはないと信じています。)」とのことですが、つまりABCEditさんは当面の間、ご自身で文献にあたり確認なさるつもりはないのですか。私個人の考えでは、議論参加者の一人が文献の一節を引用し、他の参加者はそれに頼って議論するという方法は極めて奇妙であるというほかありません。「本文を偽造して掲載する」ことはないにしても、人間ですから悪意なく「文脈を無視したり」「恣意的に切り取ったり」する可能性は想定されるため、そのような引用に頼ることは検証にあたらないと考えます。例えば、「自分で文献を検証している人」と「自分では文献を検証していない人(検証した人が示した引用を読んだだけの人)」とで意見が対立していて、どちらの発言も善意に取るとしたら、私なら前者の意見を採用します。--LABE会話2021年4月2日 (金) 15:46 (UTC)[返信]
        • 確認するつもりがないのではなく、いつになるかわからないと言っているだけです。--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 16:23 (UTC)[返信]
        • 「スピード違反論理」ですが、そもそも私が上で述べた「そのような規約」が無いのであれば「スピード違反」自体が成り立たないでしょう。規約も無いことを貴方の願望だけで他人に強要してはなりません。もし貴方がそのような規約が必要だとお考えなら、ここではなくWikipediaの方針改訂を議論する場で提案すべきでしょう。--ABCEdit会話2021年4月2日 (金) 16:31 (UTC)[返信]
          • つまり「当面の間」は確認なさる「予定」はないのですね。
          • 規約も無いことを貴方の願望だけで他人に強要してはなりません。」とのことですが、私は「Wikipediaに存在しても良いものは「検証可能なものだけ」であり、「これは翻訳しただけだから、検証可能でないとしたら原文の問題であり、翻訳者に問題はない」との規定も合意もない[11]」と申し上げました。これは「ウィキペディアの内容に関する三大方針の一つ」であり「議論の余地がないもの」とされているWikipedia:検証可能性#方針に書かれている方針の根幹をなす考え方であり、他のすべての方針やガイドラインや規範や慣例に優越するルールです。また私は、「翻訳元の出典が外国語である場合、可能なら日本語の情報源に置き換えるべきという意見はあります(Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源)が、これは翻訳の際に出典を検証しなければなしえないでしょう。」とも申し上げました。あなたのご意見が「どの方針やガイドラインにも明記されていないことはしても問題ない」、あるいは「個々の方針やガイドラインに明記されているかどうかのみが考慮されるべき」とのことであれば、それはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんにある「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください。」に該当する考え方であると思料します。
          • なんだか私までWikipedia:論争の解決によると推奨されない議論態度になってきてしまいました。大変遺憾なことであります。しかしながら、ABCEditさんにおかれましては2年半ほど前に人一倍 方針やガイドラインと向き合ったに違いないのですから、方針やガイドラインの精神について必ずや正しく判断なさるものと期待しております。--LABE会話2021年4月2日 (金) 17:47 (UTC)[返信]
            • コメント LABEさんの指摘されている内容に基本的に同意です。ただ、「記事を翻訳」する際に全ての出典を確認するべきかどうかは微妙なラインで、代わりになる別の出典で記述の内容を担保できるならば良いと思っています(ただし、この記事の議論について言えば、そもそも英語版をベースにするとか、記事を翻訳するという話ではなかっただろうとも思います)。あくまで編集やノートでの議論は出典に基づくべきでWikipedia自体に基づいていてはいけない、という指摘を行ってきたつもりで、同様の内容が確認できる信頼できる出典が存在するなら確認・使用する出典が英語版と同一である必要はないだろうと思います。
            • 一応、自分の方でもこんな感じになおしてはどうかという案を作ってみました。利用者:TEN/sandbox2。記事全体の修正になっていますが、私が確認した限りの出典から高句麗語に関する状況をまとめた内容になります。--TEN会話2021年4月3日 (土) 16:48 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 (TENさん宛) 記事案を拝見しました。私はあくまで英語版の翻訳や日本語版他記事からの転記で系統節を作成することを想定していましたので、素晴らしい出来だと思います。本文は大枠では賛成です。

  • 全体について確認させてください。
  • 本文の内容は、TENさんのオリジナルということでよろしいでしょうか?(英語版からの翻訳や日本語版他記事からの転記は基本的に無いと考えてよろしいでしょうか?)
  • 本文に付された出典について、すべて確認されたということでよろしいでしょうか?
  • 「系統論」の節についてコメント・提案です。
  • 小節を設けて、私が上に示したような「扶余諸語について」、「朝鮮語族説」、「日琉語族説」、「ツングース語族説」などに分けることはできないでしょうか。(実際の文章の構成は説ごとにまとまっているように見えます。)
  • 各文章の記述順については時系列を含めて考える必要があるかと思います。特に日本語-高句麗語説と古代朝鮮語説は、2000年代の日本語-高句麗語説、2010年代以降の古代朝鮮語説という趨勢があるように理解しています。また日本語-高句麗語説には批判(Pellard (2005)、Byington (2006))もあるとのことですので、追加をご検討いただけないでしょうか。
  • 英語版「Vovin also pointed to Koreanic loanwords in Jurchen and Manchu, and argued that the Goguryeo language was the ancestor of Koreanic, and spread southwards to replace the Japonic languages of the Samhan.[42] James Unger has proposed a similar model on historical grounds.[43]」の内容があれば良いと思います。特にUngerの研究については記載が必要だと思います。
  • 最後の「限られた史料状況が具体的な検証を困難なものにしており、高句麗の言語と他の言語の関係、また高句麗の言語それ自体についても多くことは不明であり明確な結論は存在しない。」は必要でしょうか。この文章に出典が明記されていないこと、「多くのことが不明で結論が無い」という後ろ向きな総括が不自然に強調されて見えることから、幾分違和感があります。
  • その他
  • 本文の序文に「中国史料の記述によれば、扶余・東沃沮・濊の各言語と類似していたとされる」という旨を追加願います。「不明である」のと同じくらい、強調されるべき重要な情報です。
  • 「語彙」の節には、現在記事にあるような比較表を載せては如何でしょうか。
  • 脚注に示された出典のうち参考文献に示されていないもの(Vovin 2021、他にもあるか?)があるので、ご確認願います。また、伊藤(2020)の情報に誤字があります。
  • Templateについて
  • 「不明」については私のみならずメリースさんからも反対表明が出ていたはずです。現時点での選択肢は以下の2択だと思います。
1.「諸説あり」または「記事参照」または「本文参照」のみ記載(メリースさん提案、LABEさん提案、TENさん賛成、ABCEdit反対)
2.(諸説あり+)具体説記載(TENさん反対、ABCEdit賛成)

--ABCEdit会話2021年4月3日 (土) 18:31 (UTC)[返信]

  • 返信 (TENさん宛) 議論の流れを本題に戻していただきありがとうございます。ちなみに、「「記事を翻訳」する際に全ての出典を確認するべき」というのはあくまで、翻訳元の出典をそのまま使用するという前提で申し上げました。別の出典を使用する場合はこの限りではありません。
  • コメント TENさんの案(固定リンク)の内容について、いくつか質問と意見があります。
    1. 本文中にいくつか出てくる「語意」について、「語彙」の誤りが含まれると思われるのですが、いかがでしょうか。
    2. 「§系統論」の最終段落について、以前の記述の繰り返しであると見受けられますが、これを再掲する必要はあるでしょうか。
    3. 系統について実際に特定の説は存在するのですから、テンプレートにおいて単に「不明」と記すのは私も反対です。「本文参照」か、最低でも「諸説あり」を推します。
    4. 「夫余(扶余)」という民族(国)の名称について、ノート:夫余によればかつて表記をめぐって議論があり、反対意見もありながら最終的には「扶余夫余」と改名されたという経緯があります。私としてはどちらが妥当であるのか判断できず、また本記事で扱う論点でもありませんが、一方で言語のほうの記事名は「扶余語族」や「夫余語」となっており、この表記の違いについて知らない読者からみれば、「夫余」と「扶余」がそれぞれ別の民族(国)であると混乱する可能性があります(私は混乱しました)。民族名(国名)と言語名では別の呼称があるのかもしれませんが、本記事では表記をいずれか一方に統一し、括弧での併記も行わないほうがいいと思うのですが、いかがでしょうか。括弧での併記については、それだけでは括弧内が別称であるのか、似た別の民族(国)を包含しているのか判断できないためです。
みなさんのご意見をお聞かせください。--LABE会話2021年4月4日 (日) 04:18 (UTC)[返信]
  • 返信 コメントありがとうございます。ちょっと微調整しました。長くなるのでお二方の指摘をまとめて、主題ごとに返信いたします。順番は前後します。
  • 本文の内容と出典:実際に確認した出典を元に私が書きました。一部の記述は昔加筆した高句麗の記事を下敷きにしています。逆に言うと確認していない出典の情報は載せていません。
  • 中国史料の記述について:「中国史料の記述によれば、扶余・東沃沮・濊の各言語と類似していたとされる」これを序文に入れるのは適切ではないと感じます。ここで言う中国史料は具体的には『三国志』「魏志」の情報ですが、その情報は執筆された当時でさえ不確定な伝聞情報として記述されており(李成市 1998)、また金芳漢 1985、伊藤 2020に見られるように、中国史料に類似しているという記述があったとしても、扶余・東沃沮・濊を一つのグループとして必ずしも扱わない例があります。
  • 夫余(扶余):とりあえず李基文の表記にしたがって「夫余」をベースにしてみました。表記に関してはむしろ夫余の記事の担当するところですし、基本的にはどっちでも良いと思います。
  • 「扶余諸語について」、「朝鮮語族説」、「日琉語族説」、「ツングース語族説」:これらの名称・分類の出典はあるでしょうか。こうした分類はやはり出典に基づくべきであると思います。特に、李基文は1975でも2011でも、夫余系言語とツングース語・朝鮮語・日本語との包括的な比較を試みており、現存する東北アジアの古代言語の史料には複合性があることをLee & Ramsey 2011でも述べています。これらの説は綺麗に分けられるものでもないと思われます(それゆえに各見解に李基文の比較例を載せてみています。ただ、これが適切かどうかはちょっと自信がないです)。「扶余諸語について」は基本的に李基文のそれになるので、系統とは別節に分離することは可能とは思います。
  • 「日琉語族説」:大きな疑問なのですが、Beckwithの説を日琉語族説と呼ぶのは出典があるでしょうか。Beckwith 2004は伊藤 2020で紹介されていますが、そのような表現は使用されませんし、Beckwith 2004に掲載されている系統図を見るとPuyo-KoguryoicはProto-Japanese-Ryukyuanの外側に位置付けられています。これを日琉語族説と呼んでいるのは私が確認できる限り日本語版Wikipediaの扶余語族の記事のみとなります。
  • 総括「多くのことが不明で結論が無い」:総括の仕方はもっと良いものがあるかもしれないとは思いますが、書籍・論文ごとに書いてあることが異なり、これが有力だと示せる出典もなく、他にまとめようが無い理解です。後ろ向きというわけではなく、出典から判断できる現状です。指摘のように繰り返しではあるので反対が強ければ削除でもいいかもしれません。
  • 「語彙」の節の比較表:あっても良いかとは思います。ただ、そもそも拾える語彙が「高句麗語」であるかどうかさえ不確かであるという点で説明の仕方に迷うところがあり下書き案には載せていないものとなります。良い表現があれば李 1975をベースに例示する感じがいいかもしれません。
  • 2000年代の日本語-高句麗語説、2010年代以降の古代朝鮮語説という趨勢:これはその趨勢を示す出典がないと書けないと思います。2000年代の日本語-高句麗語説は探す限りBeckwithのものしか見つかりませんでしたし、伊藤 2020でも特に有力説とされているわけでもないです。古代朝鮮語説は少なくとも韓国の学者の間ではむしろ前提扱いで新しいものでもないように見えます。Unger 2009は確認しておらず、それへの外部からの言及も見つけられていないので載せていない形になります(ついでですがByington 2006も同様です)。
  • Template:諸説ありに変更しました。「本文参照」でもあるいは「未分類」でも良いだろうと思います。各出典に登場する系統図・系統説は階層レベルで整合性がなく、1つにまとめられないので記載していない形になります。--TEN会話) 2021年4月5日 (月) 13:55 (UTC)(微調整)--TEN会話2021年4月5日 (月) 14:21 (UTC)[返信]
返信 (TENさん宛) ありがとうございます。再返信という形になりますが、必要な部分だけ私の意見を表明いたします。
  • 中国史料の記述について:では冒頭でなくとも良いので、「史料」の節などに追加いただけませんか?現在の案では系統論の節に「韓国語学者の李基文は、『三国志』「魏志」の高句麗、夫余、東沃沮、濊の言語がほぼ同じであるという記述に依拠し、これらの言語が属する夫余系諸語として一つのグループにまとめた」といきなり李基文の見解が出てきております。この前段階として、実際に『三国志』に系統(類似性)について書かれていた内容を記述すべきだと思います。この記述だけでも非常に貴重なものです。
  • 夫余(扶余):どちらにするか議論を要しますが、私は「扶余」を推します。各種検索結果では「扶余」が圧倒的です。
  • 「扶余諸語について」、「朝鮮語族説」、「日琉語族説」、「ツングース語族説」:わかりました。では「扶余諸語について」と「系統に関する諸説」(タイトルは仮)というように2つの小節に分けていただけないでしょうか。また上にTENさんが書かれているように、Beckwith(2004)に「Puyo-Koguryoic」と書かれているのであれば、Beckwith(2004)も扶余諸語を同系と想定して議論を展開していると思われます。
  • 「日琉語族説」、趨勢、Unger 2009など :Beckwith(2004)について、私が意図したのは日琉語族と高句麗語が同系という意味であり、名称にこだわりはありません。Unger(2009)などは記事化された後、私の方で、全体の流れを崩さないように加筆することにしても構いません。趨勢はともかくとして、時系列に説明すべきだとは思います。
  • Lee & Ramsey(2011)、Kim(2009):一度目の返信で書き忘れましたが、英語版にはLee & Ramsey(2011)pp. 43–44.は、高句麗語が日琉語族と朝鮮語族の中間であるとした、という記述があるのですが、これについては如何でしょうか?また、Kim(2009)についても詳細(ツングース語族>満州語/古代朝鮮語>扶余語/韓語)を書いた方が良いと思います。
  • 総括「多くのことが不明で結論が無い」:では、私は「強く反対」とさせていただきます。
  • Template:私が1つ上の返信で示した2つ選択肢についての議論は引き続きお願いします。私が具体説を書かないことに反対であることに変わりはありませんが、もし書かないことで決着した場合でも、最低でも「諸説あり(#系統論|本文参照)」のように本文へのリンクとしてください。改めて、具体説記載の書き方案を下に示します。
※「扶余諸語?」を一段下に置くのは、Beckwith 2004、Kim2009、Lee & Ramsey 2011など(他にもあるかも知れません)が扶余諸語を同系と想定してそれより上位の系統を議論しているためです。
--ABCEdit会話2021年4月5日 (月) 22:03 (UTC)[返信]
  • 返信 とりあえずコメントを受けて利用者:TEN/sandbox2を調整してみました。また長くなりますがまとめです。
  • 中国史料の記述について:これについては§史料で説明した形にしていましたが、§系統論でも一応触れてみました。
  • 夫余(扶余): 原則扶余としてみました。
  • 「日琉語族説」、趨勢、Unger 2009など:一応認識合わせとして、前後は省きますがBeckwithの系統図を一応図に起こすと以下のような感じになります。
  • Lee & Ramsey(2011)、Kim(2009):「高句麗語が日琉語族と朝鮮語族の中間」これについては記述がしてあるかと思います。ただ、JapaneseとKoreanを「日琉語族」「朝鮮語族」と訳すのは、前後の文脈的にも適切ではないものと思います。
  • Common Japansese-Koguryoic
    • Proto-Koguryoic
      • Puyo-Koguryoic
    • Proto-Japanese-Ryukyuan
      • Proto-Ryukyuan
      • Yayoi
  • Beckwithの仮説は私見としては相当「イロモノ」感が拭えないのですが、外部言及(Kim & Ramsey 2011、伊藤 2020)もあるので特筆性はあるのだろうとは思います。ただ、日本語と関係があるといっても、「日琉語族説」と表現するのは端的に誤謬であると考えるので名称としてははずしました。
  • 総括:外してみました。
  • Template:一応、まず自分の認識で言うと、Lee & Ramsey 2011・Beckwith 2004・Vovin 2013・李 1975・金 1985と、Kim 2009(自分が確認した範囲では金 2003も)は出典として同列のものではない理解です。前者はそれぞれの学者が自分なりの仮説を立てその論証を行っている(Lee & Ramsey 2011は若干概説寄りですが)出典であるのに対し、Kim 2009は『The World's Major Languages』というある種百科事典的な書籍の項目として立てられた解説です。Kim氏は言語学者ですが、経歴と業績を確認すると明らかに系統論を専門としておらず、特にこの書籍内で高句麗語について議論を行ってもいないです。この書籍は単に「In Korea, most researchers have long believed that the language spoken in Koguryo was in fact a "dialect" of Old Korean...」という李基文の文章の実例、と言う以上のものではないと思われます。
  • 古代朝鮮語?、日本・高句麗語族?、ツングース語族? を始めTemplateに系統について具体的に記すのは私としては強く反対です。関連書籍からわかることは、これらの系統論においては(扶余語が属する)古代朝鮮語もツングース語の一派とするような説明も存在するわけですが、上記の表記からこれを理解するのは不可能と考えます。また日本・高句麗語族が日琉語族へのリンクになる点についても、Beckwithについて上に書いた通りの理由で正しくないと考えます。系統樹の取り扱いが慎重であるべき、という点についてはディクソン『言語の興亡』(岩波新書 2001)を参照いただければと思います。
  • 時系列の説明:これはちょっと私には難しいです。2000年代以降の書籍・論文については学説間の関係がわかる出典が見つからない時系列を表記できません。--TEN会話2021年4月7日 (水) 17:54 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 (TENさん宛) ありがとうございます。他の方のご意見も伺いたいところですが、とりあえず返信させていただきます。

  • 「§扶余諸語について」の2文目「これは前述の通り、古代中国の史書、特に『三国志』「魏志」にこれらの諸集団の言語が類似しているという記録が存在していることによる。」とありますが、これより前の記述には、『三国志』「魏志」でこれらの言語が類似していると記録されている旨の記述が無いように思います。「前述の通り」を削除するか、前に記述を追加する必要があろうかと思います。
  • 後からの加筆を妨げない、ということであれば、私としては、利用者:TEN/sandbox2のうちTemplateを除く部分については、ひとまずこれで記事化していただいても構いません。
  • Templateについては、やはり簡単には合意できなそうです。私はTemplateは読者が一目見ただけで具体的な情報を得られることが目的だと理解しており、「諸説あり」または「本文参照」のみだと結局は本文を読まなければならず、Templateの存在意義そのものを否定する書き方であって、適切ではないと考えます。
    • 出典は同列ではないことは承知しました。私が示した案は、同列ではないすべての仮説を説明できるものです(詳細は下記)。
    • Beckwithの系統図には "Proto-Japanese-Ryukyuan"(日琉祖語)という言葉が見えます。「日本・高句麗語族」と「日琉語族(祖語)」が同義でない(系統図上はの位置は全く異なる)ことは理解しています。しかし、一般的でない語を最も意味の近い既存ページへのリンクとすることは、Wikipediaにおいてはよくあることと理解しています。また、Templateの意義として、読者が具体的情報を得てその単語をクリックすることで別記事へのリンクをする、というものがあると考えており、Templateにおいては極力リンクを設けるべきだと考えています。従って、日琉語族へのリンクは必要だと考えています。
  • 私の示したTemplateの「?」は「これを有効とも無効ともとれる」「肯定も否定もできる」という意味で、すべての説に整合しています。以下、肯定の場合は「?」に取消線、否定または言及なしの場合は全語に取消線を引きます。

Vovin 2013

李 1975

金 1985

Kim 2009

Lee & Ramsey 2011

Beckwith 2004

河野六郎

--ABCEdit会話2021年4月7日 (水) 21:36 (UTC)[返信]
余分な空行を除去--ABCEdit会話2021年4月7日 (水) 21:46 (UTC)[返信]

  • コメント テンプレート内の「言語系統」についてですが、TENさんは「本言語については系統以前にも不明な点が多く、系統についてテンプレートで具体的な説を提示するべきではない(不明とするべき)」とのご意見であると思います。ABCEditさんは「情報を簡潔に提示することがテンプレートの本分であり、本言語の系統に関する具体的な説が存在する以上はそれを(?付きであっても)提示するべきである」とのご意見であると思います。この両者の意見について私見を申し上げれば、どちらも誤りではない意見の対立においては、いずれか一方あるいは両方が妥協しなければ永遠に合意されることはないと思われます。私としては、「合意されないので何も書けない(空白になる)」という誰にとっても不本意な結末に至るくらいなら、玉虫色の結論になりますがあえて「諸説あり(本文参照)」とすることを提案いたしました。多数決で決めるという手もあるでしょうが、あまり推奨はされないと思いますので。他の部分は合意されつつあると思いますので、この部分についてもサクッと妥協して、お互いに別の記事の改善に移ったほうが有益であると思いませんか。
  • ABCEditさん 最後の部分の《私の示したTemplateの「?」は「これを有効とも無効ともとれる」「肯定も否定もできる」という意味で、すべての説に整合しています。》についてですが、各説はそれぞれ階層の考え方に違いがあり、それらを「?」を使って包含させるというのは、論理的には正しいかもしれませんが強引な方法であると懸念します。「扶余諸語?」との表記によって、「その階層に何らかの語族が存在するが、扶余諸語であるかは確定していない」というニュアンスと「そもそもその階層が存在していることは確定していない」というニュアンスの両方を十分に伝えられるでしょうか。「?」とか括弧書きとか、いろんな方法はあるでしょうが、そのような曖昧な方法で「テンプレート内で説明しきった気になっている」のも、「そのようなテンプレートだけで理解した気になっている」のも、少し早計ではないかという気がします。一言で書き表せないことは、何とか方法を見つけ出して書くのではなく、あえて書かないほうが読者にとって有益である場合もあると思います。したがって、ABCEditさんがおっしゃるような「テンプレートの存在意義」については賛同いたしかねます。では「テンプレートの存在意義」がはたしてどのようなものであるか、私は存じ上げませんが、Help:Infoboxには「Infoboxの貼付けの有無、特化分野の選択、使用時の要素選択、これらは個別の記事それぞれで編集者の議論と同意により決定されます。」とあります。--LABE会話2021年4月8日 (木) 14:33 (UTC)[返信]
  • 申し訳ありませんが、私としてはTemplateの存在意義に関わる根幹的問題であるため、安易に妥協はできません。ここで誤った(と私が考える)合意が形成されることを看過することはできません。永遠に合意できないのであれば、現状維持の棚上げしかないでしょう。
  • 「少し早計」であるならここで議論を深めればよいことです。「その階層に何らかの語族が存在するが、扶余諸語であるかは確定していない」と「そもそもその階層が存在していることは確定していない」は、突き詰めれば同義です。前者については、複数の仮説で高句麗語を扶余諸語という最小分類階級で括った上で扶余諸語自体の系統が論じられていること、扶余諸語より下位に来る分類階級はどの仮説でも皆無なことから、最小分類階級の候補は扶余諸語しかあり得ないものと思われます。最小分類階級に「扶余諸語?」として他の語族、諸語の候補を書かないことで、それが否定されるのであれば、その階級自体は空位になる(実質的には存在しない)ことを意味します。これは後者の「そもそもその階層が存在していることは確定していない」と同義です。所属言語が1つの語族孤立した言語と呼ぶのと同じ論理から、後者は読み替えれば「その階層の下位に高句麗語以外の言語が含まれるかどうか未確定」ということであり、含まれないのならその階層自体が存在しないと見做しても良く、その場合は高句麗語はその階級において孤立していると言うことができます。つまり、両ニュアンスは、「何らかの語族(候補は扶余諸語のみ)が存在するが、その語族の所属言語は(高句麗語の他は)未確定」という文言に集約できます。よって、この階級を「扶余諸語?」の一言で表すことは全く問題ないと考えます。(なお、Beckwithは扶余諸語を"Puyo-Koguryoic"としています。)
  • (追記)今まで議論の俎上に上がっている仮説について、以下の4つの枠組みに分けられます。
  • 高句麗語を扶余諸語として括るのみ:李 1975
  • 高句麗語を扶余諸語として括り、その上位の系統を論じる: 河野六郎(ツングース語族)、Beckwith 2004(日本・高句麗語族)、Kim 2009(古代朝鮮語)、Lee & Ramsey 2011(日本語と朝鮮語の中間)
  • 高句麗語を扶余諸語として括らず、系統を論じる:Vovin 2013(古代朝鮮語)
  • 高句麗語を孤立した言語?とする:金 1985
これらを全て包含すれば、「扶余諸語?」は最小分類階級に置くのが妥当でしょう。(下にやや妥協した案を掲載)
  • 多くの他の言語版のTemplateでは「扶余諸語」「朝鮮語族」「アルタイ諸語」など具体的系統名が書かれており、日本語版だけがそれらを書かないというのは国際標準から大きく外れる感性だと思います。日本語版Wikipediaの方向性は他言語版と独立に議論されるべきではありますが、私は日本以外が主題となる記事においては国際的感性(他言語版と歩調を合わせること)を特に重視すべきだと思っています。
--ABCEdit会話) 2021年4月8日 (木) 17:56 (UTC)、追記--ABCEdit会話) 2021年4月8日 (木) 18:38 (UTC)、一部修正--ABCEdit会話) 2021年4月8日 (木) 18:58 (UTC)、一部追記--ABCEdit会話2021年4月8日 (木) 20:11 (UTC)[返信]
  • ABCEditさん 論理的な点に関して、あなたがそう考えるというなら、私にとってもはや新しい論点はありません。「「少し早計」であるならここで議論を深めればよいことです。」とおっしゃいますが、私とあなたの間でどのような“論理”によって納得したとしても、結局「?」付きで記述されるなら他の読者にとって何の解決にもなっていません。ただ、今回のあなたのご発言について2点ほど確認したく思います。
  • 永遠に合意できないのであれば、現状維持の棚上げしかないでしょう。」とのことですが、そもそも本件議論は、以前の議論(#扶余語族をTemplateに入れることについての前半)の結果として2019年4月23日にTENさんによるこの編集で系統が「不明」となった後、2年近くもたった2021年1月15日、事前の議論もなくあなたがこの編集によって前回の議論で否定された記述に再度変更したことをきっかけとして提起されたものです。あなたは心の中では前回の議論の結果に納得していなかったのかもしれませんが、異論があるのならその時に主張するべきであり、TENさんが前回も今回も議論を提起したのに比べ、以前の議論を無視するかのようなあなたの行動は誠実とはいえません。この経緯を鑑みれば、「現状維持の棚上げ」とは系統を「不明」にすることであり、そうでなければ編集合戦を避け議論を提起したTENさんの模範的な行動に対し極めて不公平です。Wikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意にある図に当てはめれば、系統を「不明」とする「以前の合意」があり、ABCEditさんによる「合意を要する変更」があり、現在は「妥協案を検討」している段階です。「合意を要する変更」が合意されないならば、最終的には差し戻されるでしょう。
  • 私は日本以外が主題となる記事においては国際的感性(他言語版と歩調を合わせること)を特に重視すべきだと思っています。」とのことですが、それはどのような方針やガイドラインに基づくお考えでしょうか。WP:JPOV(日本中心の観点)という考え方はありますが、日本語版の方針やガイドライン(に基づく記事)が他言語版の方針やガイドライン(に基づく記事)に影響されるという意見は聞いたことがありません。他言語版では他言語版の方針やガイドラインに沿って編集されており、日本語版においても記事の内容は他言語版からは完全に独立して検討されるべきです。詳しくは知りませんが、例えば国際問題となっている主題について、ある言語版では自国(その国で主に使われる言語の話者を多く有する国)に有利な立場に偏って記述されているという話も聞き及びますので、他言語版の記事に寄り添うことが必ずしも中立的であるとはいえないでしょう。先のコメントで散見された英語版の記述や出典を過度に信頼するあなたの姿勢も、その独自のお考えに基づくのでしょう。あなたの言う「国際的感性」とは、何ヶ国語版あるWikipediaのうちの何ヶ国語版が採用している感性に従えばよいのでしょうか。利用者の多い英語版や“地元”である韓国語版の感性だけ、あるいは“まだ”記事が作成されていないだけの言語版における感性は無視するということではありませんよね。そもそも、建前としては他言語版のWikipediaは書かれている言語が異なるだけであり、感性や観点は異なっていないはずですので、くれぐれも誤解のないようにお願いいたします。--LABE会話2021年4月9日 (金) 16:30 (UTC)[返信]
  • 返信 (LABEさん宛) 「もはや新しい論点はない」ということですので、貴方との積極的対話はこれで最後に致します。
  • 棚上げする結果が「不明」となる理屈が全く解せません。2年前の当時私は反対を表明していたのであり[12]、それを無視して編集を強行したのはTENさんの方です。そもそも一連の議論の発端となった編集以前の状態は「扶余語族」(「?」無し)だったのであり(#経緯参照)、厳密にはそこに戻すのが適切と考えます。現状維持(「扶余語族?」)か、初期状態に戻す(「扶余語族」)かの2択でしょう。あるいは、議論を継続するかです。
  • そもそも、「不明」は私のみならず、メリースさん、LABEさん(TENさん以外の議論参加者全員)がはっきりと反対を表明されています[13][14]
  • 加えて、今回の一連の議論で「扶余語族仮説が数ある仮説の中で筆頭である」ことは明らかになったと思われます(下表)。私の従来からの主張の正当性が本議論で自ずと示されたと考えています。
  • 手続き論からも合意形成からも学術的観点からも全く正当性が見いだせない「不明」に戻す選択肢は、まずあり得ないでしょう。
  • 私は現在このように積極的に議論に参加しており、その姿勢のどこが「不誠実」なのでしょうか。私は議論に対しては極力誠実であるよう心がけています。正当な理由も無く他の利用者を「誠実ではない」と罵ることはWikipedia:個人攻撃に抵触するおそれがあると思科します。「議論の対象は、議論相手ではなく議題そのものに集中して下さい。」(Wikipedia:論争の解決)を心がけてください。
  • 方針が存在しない内容の主張が禁止されているわけではありません。Wikipediaをより良いものにしたいという一心からの発言です。
扶余諸語 古代朝鮮語 日本・高句麗語族 ツングース語族 その他
河野六郎 × × ○(※扶余諸語がツングース語族に所属) ×
李 1975 × × × ×
金 1985 × × × × ○(孤立した言語?)
Beckwith 2004 × ○(※扶余諸語が日本・高句麗語族に所属) × ×
Kim 2009 ○(※扶余諸語が古代朝鮮語に所属) × ○(※古代朝鮮語がツングース語族に所属) ×
Lee & Ramsey 2011 × × × ○(日本語と朝鮮語の中間)
Vovin 2013 × × × ×
5/7 2/7 1/7 2/7 2/7
--ABCEdit会話) 2021年4月9日 (金) 18:45 (UTC)、一部修正--ABCEdit会話2021年4月9日 (金) 19:21 (UTC)[返信]
  • コメント 久しぶりに私の名前が挙がったので、私の意見を確認します。私と議論したくない方もいらっしゃるようですが、誤解されたままではいけません。
  • 「不明」表記はかつてTENさんによって推薦され、表記をめぐって議論したものの停滞したので、議論に唯一残っていた同氏が、異論なきことを一定期間確認した後、当該表記に改めました。その時点で当該表記は合意に等しい正統性(学術的な正確性とは別)を有したと判断します(一般論として、議論者が当該議論から離れることによって合意を先送りにすることはできないため)。一方で「扶余諸語?」表記は議論の渦中にあり、未だ合意を得ていません。
  • 私はあくまで「根拠なく『不明』と書く(という合意を得る)」ことについて反対したのです。その「根拠」とは出典であればこの上ないのですが、合意不形成による現状維持原状回復のためというのもまた「根拠」です。この「後者の根拠」について私は認めますし、このような意見を述べるまでもなくそれは自明のことと考えます。--メリース会話) 2021年4月10日 (土) 06:31 (UTC)修正--メリース会話2021年4月11日 (日) 00:12 (UTC)[返信]
  • 返信 少なくとも、あなたと議論したくないと私が言たことは一度も無いことを申し述べておきます。
  • 貴方の主張は理解しましたが、事実誤認があり、正しくは「「不明」表記はかつてTENさんによって主張され、明確な反対意見があるにもかかわらず、事前の宣言も無く、一方的に当該表記に変更された」と考えます。従って、2年前の時点で合意は形成されていないと見るべきです。
  • 「現状」とは「現在の状態、ありさま。」という意味であること[5]から、メリースさんの2021年4月10日 (土) 06:31 (UTC)のご発言における「現状」は「扶余語族?」に他ならず、現状維持が「根拠」ということであれば、「扶余語族?」への反対は導きられ得ないもの理解しております。--ABCEdit会話2021年4月10日 (土) 09:11 (UTC)[返信]

仕切り直し[編集]

皆様へ 一旦仕切り直しましょう。冒頭から一貫してTENさんが提示を求めていた「扶余語族仮説が最有力」とする根拠ですが、TENさんによる本文案(利用者:TEN/sandbox2)の提示など一連の議論を経て2021年4月9日 (金) 18:45 (UTC)に私が纏めた上の表から、それは疑いようのない事実であることが明らかになったと思われますが、どうでしょうか?--ABCEdit会話) 2021年4月10日 (土) 10:09 (UTC)(一部修正。長くなりすぎたので小節を設けます。)--ABCEdit会話2021年4月10日 (土) 10:55 (UTC)[返信]

  • コメント 一応明記しておきますが、現時点の版を「現状」として受け入れるつもりはありませんので、そういう方向性で話を進めるつもりであれば別のコメント依頼という形になるでしょうか。
  • とりあえずABCEditさんの意見は2年前から現在では変わっていたらしいのが、2年前と同じ意見に戻った、という認識でよろしいですね。さらに、上記の表はもはや「Wikipedia英語版に書かれていることをそのまままとめたもの」ではありえないということも間違いないものと思います。議論の仕切り直しをする意味がわかりませんが、一連のABCEditさんのコメントに返信しておきます。
  • もう何度堂々巡りを繰り返したかわからないのですが、ABCEditさんはその表を作表するにあたって自分で出典を確認したでしょうか。ABCEditさんが実際に確認した出典を教えて下さい。李 1975には彼が作図した系統図がありますが本当に上の表のようになりますか?金 1985のどの記述を見て古代朝鮮語やツングース語族に×を付けましたか?、Lee 2011と李 1975を弁別しないのはなぜですか?
  • さらにあなたは「1.扶余諸語内の同系性、2.扶余諸語外の同系性」の峻別をしっかり行う必要がある、と以前書かれていますが、どう見ても1と2が表にまとめて、しかも判別できない形で書かれていますが、これは峻別をしっかり行った結果でしょうか。
  • 重要なこととして、「夫余系諸語」として高句麗・扶余・東沃沮・濊の言語を1つにグルーピングして具体的に論じる仮説としての枠組みを持っているのはここで登場する出典の中で李 1975だけであり、金 1985と河野(伊藤 2020のまとめによる)が個別に検討していますが、これらの言語についての仮説は李と異なるものになっています。早い話がこれらは中国史書の用語を用いて「夫余/扶余」という表現を用いていますが、「説」として同じものではありません。さらに李 1975ですら、多数の仮定を置いた推測であることを強調しつつLee 2011でそのことを重ねて注意しているのです。(以前にも書きましたが)、扶余語族仮説と中国史料で似ているとされる言語を「扶余諸語」としてとりあえずひとくくりでまとめて扱う、というのは別の話です。とりあえずまとめて扱っているBeckwith・Kimを河野・李・金と同じものとして合算するのは謎です。明らかなのはこれらの研究者の各説(Kim 2009に「説」は存在しないですが)をこのようにまとめている出典は存在しません。そしてABCEditさんがここまで書いてきたような内容はどんな構成にしようとTemplateから読者が一目で理解するのは不可能です。
  • 国際的感性なるものが他言語版と歩調を合わせることというのも意味不明ですし、前にも書きましたがen:Puyŏ_languagesは出典の用い方が適切ではない、本文とTemplateの情報が整合していないなど品質面で問題のある記事でありあまり参考にすべきではないものと思います。
  • 感性という点に関しては、最後に以前言及したディクソン『言語の興亡』の文章を下記に引用しておきます。別に他から持ってきても良いですが、私はこうした言語学者の見解をこそ言語分野の記事において重視すべき感性だと思います。

関連する分野の専門家たちは、言語学者の提案する系統樹の図に大きな関心を寄せている。考古学者、遺伝学者、文化人類学者らは、どこで、いつ祖語が話され、実際どのように分岐し拡がったかについて、明確な言語学的仮説が示されるのを期待している。彼らは系統樹が与えられれば、それがしっかりした根拠に基づいているかどうか、言語学者の大半に受け入れられているものなのかを正しく確認せずに、手放しで受け入れる。(中略)言語学者があれこれの系統樹が科学的裏付けのないものだと考古学者や遺伝学者に次げると、「それなら、その代わりになる系統樹は?」というのが彼らの反応だ。系統樹モデルは当の言語グループに対しては適用できないかもしれない、類型的に似ているとか言語圏の問題だ、と答えると、言語学者以外の学者は肩をすくめて立ち去るだろう。そして、彼らの考古学的、発生起源学的な学説と結びつけるのに、系統樹のような何かが必要だと考えているばかりに、道理に合わない系統樹を相変わらず使い続けるのだ。この外部からの圧力に言語学者は抵抗すべきだ。我々は証明されうる系統関係であれば何であれ証明にとりかからねばならないが、再建の試みがされてないものや再建できそうにないものについて、簡単に系統樹をほのめかしたりすべきではない。さらに、言語と言語の関係にはいろいろ違ったものがあることや、系統樹というのはある状況の時だけに適用可能な一つのモデルにすぎないという事実を専門外の人々に理解してもらえるよう啓蒙せねばならない。

  • この文章自体の文脈はもちろん直接高句麗語の話ではないですが、この姿勢は言語分野・歴史分野の記事を書く際、Wikipediaに対しても有用なものだと思っています。まして言語学者が仮説を議論しあうならともかく、基本的には素人が執筆し、素人が読むのがWikipediaです。なので高句麗語のような史料状況にある言語についてWikipedia編集者が「再建の試みがされてないものや再建できそうにないものについて、簡単に系統樹をほのめかしたりすべきではない」と思います。仮説が有力であるかどうか、ということを検証するなら強固な出典の裏付けが絶対に必要ですし、言語分野について言えば闇雲に本を漁って系統樹を提供すべきではないです。その意味では私は高句麗語の記事においては本来系統論は可能な限り記載を避けるべきだとも思っており、現在下書きに書いているものは要するにABCEditさんの言うところの「妥協案」に近いイメージです。よって、敢えて系統論に言及するならば、その言語にはどのような史料が残っていて、言語学者は仮説を提案する際に何に注目し、いかなる方法論を使っているか、を説明するべきで、どの説が有力か有力でないか、というようなものを示したり判定したりすることはそれについての第三者言及がない限り重要ではなく、むしろ避けるべきものと考えます(逆にいえばBeckwith 2004に批判がいくつもある事は特筆性があるのかもしれません)。--TEN会話2021年4月10日 (土) 17:50 (UTC)[返信]
TENさん (読みやすくするためこの位置に書きます)
  • 私も貴方の意見に全く賛同できませんので、事実誤認を中心に指摘します。
  • 私の意見が「変わった」のではなく、妥協の産物も含めて「複数の意見がある」のです。根幹は不変であることは議論を通して読んでいただければ明らかでしょう。
  • 峻別もできますが、峻別して作成した案に対して後ろ向きな意見が多かったため、改めて峻別しない表を作りました。繰り返しますが、私は特定の一つの書き方に執着しているのではなく、妥協案も含めて複数の前向きな選択肢を用意しています。故に私の意見が一貫していないように見えるのかも知れませんが、決してそのようなことはありません。
  • 自分で出典を確認したしないにかかわらず、議論の結果を重視すべきです。そもそもこの表はTENさんご自身が執筆した利用者:TEN/sandbox2を元に作ったのであり、それに間違いがあるのなら、具体的にどこが問題かを指摘すべきでしょう。そして、このような枠組みで議論することに賛同されるならば、間違いを修正した表をご自身の手で作られるべきです。それをされないのであれば、このような「表」をつくって議論すること自体に反対なのだと受け取りますが、であれば前向きな合意形成に消極的という意味だと思いますので、これ以上の議論は無意味でしょう。
  • 「扶余語族仮説と中国史料で似ているとされる言語を「扶余諸語」としてひとくくりでまとめて扱う」というのは別の話ではありません。中国の史料も扶余諸語を同種(同系)として書いています。Beckwith・Kimでは扶余諸語に「言語学的同系性」が存在するという前提で話を進めています。両者の概念は同じものです。「仮定を置いた推測である」はほとんどの仮説に当てはまるものであり、ここでとりわけそれを強調するのは偏った主張です。
  • 「・・・Templateから読者が一目で理解するのは不可能」ということですが、そのような子細こそテンプレートには不要な情報で、本文で詳細に記述すれば良いだけのことです。(そのために具体的説とともに「本文参照」と書くことは反対しないと常々言っています。)
  • 繰り返しますが、私の主張について「意味不明」のような中傷はおやめください(Wikipedia:善意にとるに反します)。貴方の印象操作によって私の言の印象が大きく下がっております。
  • 後半について:そのような特定の意見のみをここで強調するのはWikipedia:中立的な観点などに反します。
--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 00:50 (UTC)[返信]
  • コメント 仕切り直しというのがどういうことなのかは存じませんが、セクションを区切ること自体に反対はないのでここに書きます。まず、私の真意が誤解されているようなので、テンプレートにおける言語系統の表記を「不明」とすることについて従来の意見を変更し、明確な賛成をここに表明いたします。また、私の発言《TENさんが前回も今回も議論を提起したのに比べ、以前の議論を無視するかのようなあなたの行動は誠実とはいえません[15](下線および太字は引用時付加)》が《正当な理由も無く他の利用者を「誠実ではない」と罵る[16](下線は引用者による)》と受け取られてしまったことに遺憾の意を表明します。
  • ABCEditさん 2点質問です。
    1. 約2年前の議論において、あなたが途中で議論をやめた理由は何ですか。「黙っていることは消極的な賛成を意味する」と考える編集者は多いですが、あなたは賛成であると誤解される可能性を考慮しませんでしたか。
    2. その後、今年1月にテンプレートの表記を再び「扶余語族?」に変更した際、ノートにコメントしなかった理由は何ですか。「2年前の時点で合意は形成されていないと見るべきです」とのご認識のようですが、それでは「扶余語族?」とする合意もなかったのではありませんか。--LABE会話2021年4月10日 (土) 18:00 (UTC)[返信]
LABEさん
  • 「私の真意が誤解」とはどういうことでしょうか?(Wikipedia:善意にとるから、そのようなことは無いものと信じますが、一般論として、もし意見の変更を「誤解」と表現する(今考えや立場を変えただけのことを、前々からそのような考えや立場であったかのように言う)ことがあれば、それは詭弁となります。)
  • 賛成に変更する理由は何ですか?(まさか、「この場の雰囲気」「私の味方をしたくないから」「私に同調しても損をするだけだから」などという全く非論理的・個人的な感情論や損得勘定ではないものと信じています(Wikipedia:善意にとる)。)論理的正当性のみをもって判断すべきです。手続き論と学術的観点とは分けて考えるべきです。手続き論の観点から賛成に転じたのであれば、学術的観点からは引き続き反対ということで理解します。学術的観点から賛成に転じたのなら、理由を説明ください。
  • 「罵る」が言い過ぎであったのならば、謝罪します。
  • 最初の質問の回答:最初のTENさんのコメントを読んだ段階から歩み寄りは不可能と判断し、理由を付して明確な反対票を投じました。2019年4月2日 (火) 13:53 (UTC)においては、TENさんのコメント(これ以上歩み寄りの余地がなく、私としてはこれに対する追加のコメントは無い)のみで、特に返信の必要は無いと考えました。コメント依頼に出されている議論でもなく、すでに明確な反対を表明しているので、変更される正当な理由は無いと考えていました。それからは特にコメントを見ておりませんが、TENさんが(事前の宣言や私への連絡も無く)一方的に変更されたようです。その事実を私は最近まで気づきませんでした。賛成であると誤解される可能性については、そもそもWikipedia:善意にとるの観点から、他利用者の誤解については想定しませんでした。
  • 次の質問の回答:上述のように、「不明」に変更されたことを当時の私は知りませんでした。その後、今年1月に私が記事を見たときには「漢語、小篆」という記述に変更されており、これは明らかに不適切だと考え、「扶余語族」に修正しました[17]。その時点では、まだノートを見ず(一度「不明」に変更されたことはまだ知らない)、2年前の議論について特に思い出すことはありませんでした。その後TENさんが3月に「不明」に変更し、私が「扶余語族?」に戻しました。ノートでの議論をすべて見たのはその時だったと思います。その時から、そもそも2年前の議論に参加しているのが私とTENさんの2人だけであること、私が明確な反対票を投じておりそれを撤回もしていないことなどから、2年前に合意が形成されたわけではない、という考えは変わりません。既に過去に議論済み(明確な反対票を投じている)であり、ノートでの新たな議論の必要性を私の方からは感じませんでした。
--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 00:50 (UTC)[返信]


TENさん 今気づきましたが、TENさんは2019年の11月にIP利用者によって行われた「漢語、小篆」という記述の変更[18]を黙認しています[19]「扶余語族?」を徹底的に拒絶して「漢語、小篆」をあっさり容認する理由は何なのでしょうか?説明を求めます。--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 01:37 (UTC)[返信]

  • 返信
  • 漢語、小篆:覚えていませんが要約欄を見ると簡体字に気を取られて見落としていたでしょうか。当然おかしいと考えますのでそのような記載はすべきではなく削除で良いと思います。
  • 意見:私としては、ABCEditさんが最初に「2年前は「最有力の説だから載せるべき」、今は「最有力でない説も載せるべき」です。」と言った時から実際のところは何も変わっていないと思っています。「扶余語族」をTemplateに記載すべきという結論があり、出典の確認を重視しない姿勢も特に変化していないと理解しています。2年前の議論、実質的には私がノートに書き込み⇒ABCEditさんの書き込み⇒私の書き込み、の3回だけで、残りは私がABCEditさんに意見と出典を求めた1回と3週間後に修正を実施した旨の連絡なのですが、この僅かなやり取りで「歩み寄りは不可能」というのはあなたが何度も言及されているWikipedia:善意にとる行動なのでしょうか。そもそも修正時にノートでそのことは報告もしているのであって、これを気付かなかったと言われても後は何をすればよかったでしょうか。ABCEditさんのノートまで追いかけていけばよかったのでしょうか。
  • 合意:Wikipediaでは慣習上意見がなければ合意とみなされる形になってはいますが、そもそも2年前私が指摘したのは出典の欠如であり、ノートで確認しそれは示されませんでした。故に削除したのであってここに問題があったとは考えていません。
  • 峻別:そもそも扶余語族の上位の系統も書く案を出したのはABCEditさんであり、この観点を明確に峻別することが重要だと述べたのもABCEditさんです。そこからさらに「峻別して作成した案に対して後ろ向きな意見が多かったため、改めて峻別しない表を作りました。」は全く論理の一貫性がありません。レイヤーの違う要素を1つの表にまとめて数の大小を論じても意味はありません。
  • 中国の史料も扶余諸語を同種(同系):2年前にも書きましたが、古代の史料に言語が似ている、と書いてあることと比較言語学的な意味において同系にまとめられることは同一ではありません。言語学的な観点からは金 1985、歴史学的・史料批判的な観点からは李成市 1998を参照ください。
  • 「自分で出典を確認したしないにかかわらず、議論の結果を重視すべきです」:当たり前ですがWikipediaの記事においては出典が全ての根幹なのであって、出典の読解が間違っていたらその先の議論には意味がありません。さらに利用者:TEN/sandbox2に私はこんなことを書いた覚えはないですが、どこを見てこれを作表されたのか教えてください。このように読めるとしたらそれは単に私の記述の出典を正しく反映していないことを意味します。表を作って議論は良いですが、その表に代入される要素が出典に基づかなければただの独自研究となり意味がありません。
  • 意味不明:これが中傷というのもよくわかりませんが、では「意味がわかりません」と言い換えましょうか。「私は日本以外が主題となる記事においては国際的感性(他言語版と歩調を合わせること)を特に重視すべきだと思っています。」がどのような方針、あるいはどのような出典から出てきたのか全くわかりません。Lee & Ramsay 2011や、井上 2013からもわかる通り、高句麗語の系統論は地域的・歴史認識的な立場が反映されやすい主題であり、様々なPOVへの配慮が必要です。他言語版に合わせましたというのは正しいあり方とは思いません。
  • そのような子細こそテンプレートには不要な情報:だからこそ、膨大な議論・多数の仮定を含む情報をざっくりまとめた一覧がTemplateにあっても誤解・誤読を招くだけで、ただ本文へ誘導した方がまだ良いでしょう。そもそも「扶余語族」「扶余諸語」という枠組みが実態を伴うかどうかさえ非常に曖昧な話であることはこれまで示した通りであり、Lee & Ramsey 2011もPuyo languagesの節を「If the Chinese descriptions are to be believed...」という仮定で始め、「But the linguistic evidence from Koguryo, too, is neither voluminous nor of high quality, and even those traces of the language that do exist are not unquestionably of Koguryoan origin...」と総括しているのです。--TEN会話2021年4月11日 (日) 02:57 (UTC)[返信]
  • そのような特定の意見」:これはディクソンの引用についての話でしょうか。逆に総論として一般にどんどん系統樹を提示していくべきだとするような言語学者の出典があるのでしょうか。もちろん、仮説として様々な「系統」を立てるでしょうが、この慎重姿勢は強弱はあれど、ここで挙げられている出典にも概ね共通のものがあると理解しているのですが。--TEN会話2021年4月11日 (日) 02:57 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── TENさん

  • 意見:仰るとおり私のスタンス(何らかの具体説を載せるべき)は一貫しています。2年前の議論については、「歩み寄りは不可能」というのとWikipedia:善意にとるとの関係が全く理解できないのですが、現に今に至るまで膨大な量の議論をしていますが、一向に歩み寄れていないではありませんか。現状を見るに、当時の私の考えは間違っていなかったと思っています。貴方が取るべきだった方法は、私のノートページに書き込んだり、「利用者:ABCEdit」とリンクをつけていただくことでした。そうすることで、私のページの上の鈴ボタンが赤く光ることで、私は気づくことができ、私が追加コメントすることができたでしょう。
  • 合意:「Wikipediaでは慣習上意見がなければ合意とみなされる形になっている」わけなので、明確な反対意見がある状態で変更したのは合意に反する行為です。
  • 峻別:では、TENさんは峻別して議論することに賛成ということですね。であれば大歓迎です。ちなみに上に表でも括弧内に「扶余諸語が古代朝鮮語に所属」などと書いて峻別できようにしています。問題点があるならの正しい表をTENさん自身が作ってください。
  • 中国の史料も扶余諸語を同種(同系):そもそも言語学的史料がほとんど存在しないのですから、「比較言語学的な意味において同系」と証明することは無理です。多くの言語学者は中国の史料から言語学的に同系であると「想定」しているのであり、その考え方は研究者間で同じものです。正直TENさんが何を別者と考えていらっしゃるのか理解できかねます。
  • 意味不明:「意味不明」、「意味がわからない」というのは、言葉・文章として何を言っているのか理解不能、内容自体が理解できない・認識できない、という意味であり、主張の正当性を理解できない、と言う時に用いるには不適切と考えます。「意味不明」は、相手の言っていることが「日本語としての意味がわからない」ということになり、そうでないにもかかわらず「意味不明」と言われるのは中傷と受け止めます。「賛同しかねる」「反対」「主張は理解できない」であれば容認できます。他言語版との歩調あわせですが、もちろん内容までは合わせる必要はありませんが、「Templateに何らかの具体説を載せる」という様式自体の方向性は合わせる必要があると考えます。
  • そのような子細こそテンプレートには不要な情報:TENさんが「扶余諸語」「扶余語族」という概念を過度に貶めたいのは重々承知(このスタンスは冒頭から全く変っていないとお見受けします)が、私はそのスタンスに強く反対いたします。(これも最初から一貫して述べてきたことです。)
  • そのような特定の意見」:本題から逸れるので詳しくはコメントしませんが、出典の有無という次元でなく、真実追究を目指す探究心のある比較言語学者であれば、さまざま系統樹を仮説的に提示していくのは当然の姿勢でしょう。

--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 06:11 (UTC)[返信]

  • 議論の中身についてのコメントはしませんが、ABCEditさんの議論姿勢・編集姿勢については大変懸念しております。ノートでのコメントがないまま、2年前に問題となっていた箇所の編集を強行し、今回の議論でも、複数の利用者から問題を指摘されているのに、自分に対する反論は「個人攻撃」「印象操作」などと決めつけて譲らないような姿勢は問題です。「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない」に抵触していると言えるでしょう。「Wikipedia:投稿ブロック依頼/ABCEdit 20181014」で指摘されていたようなコミュニティ疲弊の再発であり、このノートで議論するより、利用者の行為に関するコメント依頼や、投稿ブロック依頼に進むべき段階だと思われます。--伊佐坂安物会話/履歴) 2021年4月11日 (日) 08:40 (UTC)修正--伊佐坂安物会話/履歴2021年4月11日 (日) 08:41 (UTC)[返信]
  • 返信 ご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。私の行為が問題だと他の方々もお考えなのであれば、本件について一切の議論から身を引きます。誠に申し訳ございません。--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 09:01 (UTC)[返信]
  • コメント 私としても、本件についてすでに議論は尽くされており、先に表明した通り新たな論点はないと考えておりましたが、伊佐坂安物さんのおっしゃる通り、以後はABCEditさんに対するコメント依頼の場を設けたいと考えております。私が提出してもよろしいでしょうか。
  • ABCEditさん そうしていただけるとありがたいですが、コメント依頼は提出させていただきます。--LABE会話2021年4月11日 (日) 09:09 (UTC)[返信]


謝罪 私の行為が問題であったことはおそらく皆様の共通見解だと思います。私の行為は少なくもWikipedia:腕ずくで解決しようとしないWikipedia:合意形成Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:善意にとるに抵触していたと思われます。もはやこの場で議論する資格はありません。本議論から完全に身を引きます。TENさんをはじめ、LABEさん、メリースさん、そしてこの議論を見られている(今後見られる方)に、大変な不快感を与えてしまったことを、深くお詫びいたします。誠に申し訳ございません。--ABCEdit会話2021年4月11日 (日) 11:09 (UTC)[返信]

  • コメント コメント依頼ありがとうございます。展開の急転でまだ見解がまとまっていないですがコメント依頼の方には時間を置いてコメントを出そうと思います。個人的にはここでの議論を通じて、謝罪された合意形成や、個人攻撃といった方針や不快感の話よりも、出典の取り扱いと編集姿勢および議論を行う上での論理の展開の方がより重要な問題であると感じており、同じくこれで解決とは思っていません。--TEN会話2021年4月11日 (日) 16:58 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼も閉じられましたし、せっかく作ったので下書きの修正を本文に反映したいと思います。追加で確認した本もあるのでもう少し変更を行いますので、GWに入ってからになりますが報告まで。--TEN会話2021年4月27日 (火) 14:56 (UTC)[返信]

「出典にない内容」について[編集]

ipさんによるこちらの編集について、「出典にない内容」とは具体的になんでしょうか。「高句麗の言語はしばしば「高句麗語」という名称で学者らによって言及されるが、実際に単一の高句麗語と呼ぶことが可能な言語が存在したのかどうかを含め、実態はほとんど明らかではない。」「しかし、これらの情報から『高句麗語』という単一の存在を仮定することは必ずしも可能ではない」は該当する記述が金芳漢『韓国語の系統』(1985)にあり、特に前者については他の出典からも補強可能です。また、要約欄でも述べましたが「高句麗語」という用語自体の説明文を高句麗語と日本語の同系説の説明に変えるのは適切ではないですし、後続の研究もあるなかで1世紀以上前の出典に基づいてそれのみを挙げる理由がありません。--TEN会話2022年1月25日 (火) 12:41 (UTC)[返信]

金芳漢の出典はWikipedia:検証可能性に当たらないからです。私の文章の場合は検討可能です。また、あなたが言っている新村出の論考は私が追加した文章とは全く何の関係もありません。また、普通に中国でも中華王朝ではなく中国王朝と呼びます。中華系の中華料理みたいなもので使われる用語ではありません。あなたは中国人ですよね?出典があるのに気にいらなくて歪曲して、文章も消すなんてとんでもないと思います。--220.126.198.89 2022年1月26日 (水) 04:22 (UTC)[返信]
中国系によるウイキペディアの歴史歪曲は結構ひどいです。妥当な出典があっても中華~に気にいらなければすぐ消される。ウイキペディアは中国系が中国をたたえる場所ではなく、検証可能な出典を持って議論するところじゃないですか?--220.126.198.89 2022年1月26日 (水) 04:26 (UTC)[返信]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Koguryo”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History. http://glottolog.org/resource/languoid/id/kogu1234 
  2. ^ The Northern theory is the view that Korean is related to the Altaic family. Although this view is not wholly accepted by the linguistic community, the majority of Korean linguists and some Western scholars seem inclined towards believing this view.
  3. ^ The Northern theory stipulates that the Tunguisic branch of Altaic tribesmen migrated towards the south and reached the Korean peninsula. The Tunguisic languages would include two major language: Korean and Manchu.
  4. ^ The ancient Korean language is divided into two dialects: the Puyo language and the Han language.
  5. ^ [1]