高句麗語

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高句麗語
話される国 高句麗
地域 満州, 朝鮮半島
消滅時期 7–10世紀
言語系統
不明
  • 高句麗語
言語コード
ISO 639-1 なし
ISO 639-3 zkg
Linguist List zkg
Three Kingdoms of Korea Map.png
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高句麗語(こうくりご)は、高句麗(前1世紀頃-668年)の領域で使用されていた言語を指す名称である。実際に単一の「高句麗語」と呼ぶことが可能な言語が存在したのかどうかを含め実態はほとんど明らかでない。

概要[編集]

中国史料の記述によれば、扶余東沃沮百済の各言語とは同系とされ、中国東北部から朝鮮半島北部にかけて扶余諸語を形成していたとする説もある。この言語グループは沿海州挹婁とは、「容貌は似ているが言語は異なる」と『後漢書』や『三国志』に記されている。また、朝鮮半島南部に広がっていた韓系諸語馬韓弁韓辰韓ら古三韓の言語)とも言語的な異同が著しかったようである。

具体的な言語資料としては、『三国志』東夷列伝高句麗条や後漢書東夷列伝高句麗条、『日本書紀』に記述されている断片的な高句麗語の記録もあるが、最大のものは三国史記1145年成立)の巻37・高句麗地理志と巻35・新羅地理志に記述されている高句麗地名から地名学的手法により導き出された高句麗語語彙である(内藤湖南新村出1916年、櫻井芳朗1952年)。最新の論考には板橋義三のものがある(2003年)。

単語[編集]

表記 中期朝鮮語 現代朝鮮語 意味
呑(タン)・旦(タン)・頓(トン・トゥン・トル) (コル)
巴衣(パイ)・波衣(パイ)・波兮(パヘ) 바회(パフェ) 바위(パウィ)
買(メ) (ムル) (ムル)
薩寒(サラン) 서리(ソリ)
功木(コンモク) (コム)
忽次(ホルチャ)・古次(コチャ) (イプ)

日本語と類似する言葉[編集]

表記 推定音 上代日本語 意味
居尸 *kəl こころ kökörö
皆尸 *kel き ki
買尸 *mel ひる firu

[1]

日本語との関係[編集]

再構された高句麗語語彙と周辺言語との比較の結果、高句麗語は中期朝鮮語よりも上代日本語との方が、類似語が見出される割合が大きいという研究がある。資料がほとんど残っていない高句麗語の復元については、『三国史記』の巻37にある高句麗の地名の表記(下記の表を参照)が手がかりとされているが、それによれば、例えば「三」をミツ、「七」をナノン、「五」をウィツ、「兎」をウサグム、「鉛」をナマリ、「谷」をタンと発音していた[2]。高句麗語で判明している数詞4つすべてにおいて日本語との間で一定の音韻的共通性が認められるとして、日本語の起源として考える研究者も存在する。

ただし、「魏志東夷伝」などの「中国史書」に言及がないことから、3世紀当時の朝鮮半島北部から中部にかけて、どのような言語が分布していたのかについては不明であり、再構された「高句麗語」が、本当に高句麗の言語だったのかについては実証はされていない(金芳漢: 1985年)。 岡田英弘は、檀石槐が倭人国を襲ったとのエピソード[3]に基づき、この地域に入植した倭人の言語に由来するものであろうとしている[4]


地名 別名[5]
三唄県 密波兮
五谷郡 弖次云忽
七重県 難隠別
十谷県 徳頓忽

[6]

中国・日本史書に見られる高句麗・百済語[編集]

  • 城 - 溝婁(コル) 「後漢書」等から
  • 村 - suk 白村江、村主(百済系姓)から
  • 国王 - こにきし 「日本書紀」等
  • 島 - せま(shema)

参考文献[編集]

  1. ^ 高木 雅弘、2016、「『三国史記』 「地理志」 の高句麗地名漢字:おもに日本語との比較による考証」、『東洋文庫書報』第47号
  2. ^ 澤田洋太郎『日本語形成の謎に迫る』(新泉社、1999年)
  3. ^ 後漢書烏桓鮮卑列伝
  4. ^ 岡田英弘『倭国』
  5. ^ 三国史記では、「A一云、B」で書かれており、後者(B)はもとの高句麗の地名であり、前者(A)は新羅の景徳王によって漢訳されたものが多いと思われる
  6. ^ 村山七郎『日本語および高句麗語の数詞』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]