ノート:小夜左庵国吉

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太刀 (銘国吉)への改名提案[編集]

解決済み参加者によって議論終了の合意形成なされたため、改名は行わないとして終了いたします。--従六位上河内介会話2021年6月13日 (日) 13:22 (UTC)[返信]

掲題の通り提案します。本項の記述はいくつか課題が見られますので、まずそちらを列挙させて頂きます。

  • 「近代以降の伝来」説での記述
  • 奈良県生駒市の個人での所有は柴田政太郎(以下、柴田と称す)の所持していた太刀ないし小夜左庵国吉の名称の記述が見られない
  • 2019年に京都国立博物館が4000万円で購入した太刀が柴田の所持していたものと同一ないし小夜左庵国吉の名称の記述だと、いずれの出典(京都国立博物館『購入文化財一覧』〈平成30年版〉、 重要文化財太刀銘国吉1口の購入 - 政府公共調達データベース)にも記述がない
  • 同様の問題が『特別展京のかたな』の図録でもあり、こちらでも柴田の所持していたものと同一ないし小夜左庵国吉の名称の記述がない
  • 小夜左庵国吉の名称の記載がある出典は以下の通り
  • 佐藤寒山「日本名刀一〇〇選」

情報の合成の可能性が高い (ただし遊就館「紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜」は未確認)

以上の点から、(同一性が確認できるまで)小夜左庵国吉の記述を除去し、記事の名称を太刀 (銘国吉)に変更することを提案します。--遡雨祈胡会話2021年4月16日 (金) 22:36 (UTC)[返信]

  • 返信 こんばんは、お世話になります。従六位上河内介と申します。まず、小夜左庵国吉という記述がない資料について説明させていただきます。①京都国立博物館『購入文化財一覧』〈平成30年版〉、②政府公共調達データベース、③『特別展京のかたな』の図録には、文化財名称で「太刀(銘国吉)」とのみ記されています。一方で2019年に京都国立博物館で行われた土曜講演の告知ページでは「重要文化財 太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)」と表記されています。また、privatterで個人の方がまとめられたもので恐縮ですがこの講演のレポがまとめられており、その中で京博の研究員が発言していた内容として「日本刀の研究家・本間順治が著作の中で他の国吉の刀と区別する便宜上、持主の庵号から「小夜左庵」と呼称し「号 小夜左庵国吉」と呼ばれるように。なので昔から呼ばれてきた名前ではないので展示の際に号としては表記していない。」とあることから、古来から名付けられた名前でないことから号を出さなかったものと解釈しています[1]。また、その講演内でも柴田政太郎所持について触れられているため同一性については問題ないと思います[1]。小夜左庵国吉の名称の記載がある出典として、まだ原典を確認できておりませんが、「週刊日本刀 8号」(2019年8/6号)及び本間順治「懐かしい人々」にも記述があることを申し添えます。

脚注

  1. ^ a b [ 京博土曜講座「重要文化財 太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)について」レポ]

--従六位上河内介会話2021年4月21日 (水) 14:57 (UTC)[返信]

本間順治「懐かしい人々」は(だいぶ前になってしまっているのですが)記載があったのは覚えております(國吉の太刀の残りがそもそも少なかった、と昔読んだ記憶があるので、そこを出典付きで示せるとより太刀の特定の精度が上がると思われますが)。ただ、個人の方がまとめられたprivatterをベースにするのは、専門家の研究を一般人がまとめたブログなどと同じ扱いになると思っているので、これをベースにするのはよろしくないと思っております(Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源)。関連講座の名称は確認いたしました。ただ、講座内容は、前述の理由で文字の資料に出るまで出典にしないほうがいいと思っております。--遡雨祈胡会話2021年4月21日 (水) 15:07 (UTC)[返信]
  • 返信 ご返答ありがとうございます。privatterが信頼できる情報源とは認められていないことは重々承知しておりますので、あくまで京博所蔵の太刀と小夜左庵国吉との同一性を示す傍証であるとお考え下さい。また、土曜講演のタイトルからも京博所蔵の太刀が小夜左庵国吉と同一と見なされていることや、本間順治の著書にも小夜左庵国吉の記述があることから改名提起は時期尚早と考えますが、その点はいかがでしょうか?--従六位上河内介会話2021年4月22日 (木) 00:01 (UTC)[返信]
時期尚早も何も、当方は早急に変更した方がいいと考えているので、従六位上河内介さんの意見に同意する理由は残念ながらありません。この状態だと第三者がコメントするにも資料の検証が必要だと思うのですが、当方も都合があるので(表を作るのは正直記事を普通に書くより手間が掛かるので)落ち着いたタイミングを見計らって表を作るので、情報と考えのすり合わせにご協力いただけますと幸いです。要は、「どこまで同一性があると判断するか」という話になると思っているので。それに、privatterを加味するのであれば「後に日本刀の研究家」から「表記していない」までのくだりを考えると、より一般的な國吉にする、という話になってもおかしくないように思っておりますがいかがでしょうか。--遡雨祈胡会話2021年4月22日 (木) 11:01 (UTC)[返信]
  • 返信 お世話になります。従六位上河内介です。『それに、privatterを加味するのであれば「後に日本刀の研究家」から「表記していない」までのくだりを考えると、より一般的な國吉にする、という話になってもおかしくないように思っておりますがいかがでしょうか。』についてご返答させていただきます。私はこの発言を確認しましても、「より一般的な國吉にする」として改名に同意することはできませんでした。そもそも、「太刀(銘国吉)」だけで表記すると、近年春日大社で発見された延寿国吉の太刀もその表記で該当しますし、また国吉銘でいえば延寿国吉のほか西蓮国吉や千手院国吉、宇多国吉なども該当するため、この文化財名称をそのまま使うと曖昧さが増すためWP:CRITERIAの観点からも検索の利便性を下げるのみになると考えるからです。また、遡雨祈胡様は資料の検証のために表を作られるとお伺いしましたが、その表にはどのような項目があるのか、その表を作ることによってどのようにして同一性を確認するのかを遡雨祈胡様のご意見をお伺いできますでしょうか。また、京博所有の太刀と柴田政太郎所持の太刀で同一であることをどのラインで判断すべきとお考えかもお聞かせいただけますでしょうか。取り急ぎの返答により恐れ入りますがどうぞよろしくお願いいたします。--従六位上河内介会話2021年4月22日 (木) 15:04 (UTC)[返信]
急ごしらえで申し訳ありませんが、表は以下のような感じです。とりあえず下に情報を追加して頂けますでしょうか(記載する文章だけ気を付けて頂けますと助かります)。なお、國吉の太刀で並ぶのであれば、それこそ同名のものを一つの記事のにまとめて並べればそれで済むのではないでしょうか。「京都国立博物館収蔵の太刀」なり「春日大社の太刀」なり書いていってもいいように思えます(これまで列挙された刀の記事が、現状からしてそれ単体で1万バイトを越えるようなことは無いと思っているので)。何を気にしているかというと、博物館が慎重な判断をしたとみられるところで、Wikipediaが暫定のタイトルとして付けてしまうと、(ここで参照する例は現在より悪い例なので、レベル感としてはここまで気にしすぎないでほしいのですが)Wikipedia をメディアが引用し、誤情報に「情報源」が発生の記事のようなことになってしまうということを危惧しております(以前太閤左文字の時も個人的には気になりました)。--遡雨祈胡会話2021年4月22日 (木) 22:02 (UTC)[返信]

調査文献一覧[編集]

文献 著者 年月 記載内容 柴田政太郎所持の記述 「小夜左庵国吉」の記載 京都国立博物館収蔵の記載 重要文化財指定の表記
「懐かしい人々」『日本刀全集月報』1967年4月(第6号)3頁。 本間順治 1967/04 柴田政太郎は小夜左文字がお気に入り。自分の庵号を小夜左庵にするほど。それに並ぶものとして、古備前正恒・粟田口国吉の太刀がある。三口とも重文。 × ×
特集展示 新収集展|京都国立博物館 京都国立博物館 2019 「重要文化財 太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)について ―鎌倉時代前期の山城鍛冶再考―」と題した講座があったことが記載。 × 〇([1]
購入文化財一覧』〈平成30年版〉、2頁。 京都国立博物館 2018 項番4に重要文化財 太刀 銘国吉が存在。全長91.0センチメートル、刃長72.5センチメートル。 × ×
「独立行政法人国立文化財機構 - 随意契約に関する公示重要文化財太刀銘国吉1口の購入」 日本貿易振興機構JETRO 2019 重要文化財 太刀 銘国吉 1口 の購入に関する情報の記載(記載内容からリンクは避けます。ご了承ください)。 × × △(公示日と購入実施のタイミングがどうなっているかわからないため)
『特別展京のかたな : 匠のわざと雅のこころ』(再版)、2018年9月29日(要ページ番号)。 京都国立博物館、読売新聞社編 2018/09 × ×
「太刀〈銘国吉/〉」『国指定文化財等データベース』 文化庁 - 太刀〈銘国吉/〉の名称で記載。身長72.3センチメートル、反り2.4センチメートル、元幅2.8センチメートル。 × ×
「小夜左庵国吉」『日本名刀一〇〇選』(初版)、秋田書店、1971年6月 佐藤寒山 1971/06 小夜左庵國吉の名称で記載。重要文化財指定であり、柴田政太郎所持であったことが記されている。参考文献欄はなし。 ×
官報(昭和27年12月16日) (官報) 1952/12 重要文化財指定を示す官報であり、昭和27年7月19日付で小夜左文字と二振一緒に重文指定されており、所有者も小夜左文字同じく秋田県雄勝郡西馬音内町本町の柴田恒次と記載。 × × ×
『日本刀大鑑 古刀篇一』図版、1968年、大塚巧藝社、44頁。 加島進 1968 某家蔵「重要文化財 太刀 銘 国吉」で記載。長さ72.27糎 茎長18.48糎 反2.42糎 元幅2.79糎ほか、彫物や刃文などの特徴が「京のかたな」展図録と一致。監修は本間順治・佐藤貫一。 × × ×
『日本刀 神が宿る武器』《日経BPムック》日経BP社、2015年8月11日。ISBN 978-4-8222-2545-2 服部夏生、仲森智博 2015/08 小夜左庵國吉として記載(p172)。紀州徳川家伝来(p172)。全長72.27センチメートル、反り2.42センチメートル(p172)。所蔵場所は不明(p172)。命名は小夜の中山峠の話を聞いた細川幽歳が西行法師の歌とかけたとしている(p172)。他の刀の名前が刀に付けられたが、それだけ小夜左の名前を大事に思っていたと推測(p172)。別の持ち主の元へ移動(p172)。参考文献にWikipediaが挙げられている(p182、Wikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイト)。
『週刊日本刀』76号(2020年12月8日発行、16頁) デアゴスティーニ 2020/12 「太刀銘国吉(号 小夜左庵国吉)/ 京都国立博物館蔵」とのキャプションがあり、「小夜左庵国吉と呼ばれる。」という記述がある。

国吉の作風について説明する際に京都国立博物館に所蔵のある短刀、東京国立博物館に所蔵されている刀の間に配置。国吉の太刀の作例が数例のみ存在していることが記されている(P76-16)。また、76-17頁には『新・日本名刀100選』からの引用も記されている。

  • 参考文献(p8-30の左側(裏表紙の内側)。上の行がムック記載情報、下は推測を含む、自分で調べた情報)
    • 前田稔靖『古今刀剣物語』太陽社(大洋社の誤り?)
    • 鎌田三郎太『鎌田辨疑』
    • 『古今銘尽』
    • 『長享名尽』
    • 『校正古刀銘鑑』
    • 『古刀銘尽大全』
    • 長船町『長船町史』
    • 深海信彦、善財一『江戸幻想奇譚―刀剣金工図絵』PHP研究所
    • 徳川美術館『尾張徳川家 名刀展』日本経済新聞社
      • 別欄記載のため割愛。
    • 原田道寛『決定版 日本刀大全』河出書房新社
    • 歴史群像編集部編『決定版 図説・日本刀大全』学研パブリッシング
    • 歴史群像編集部編『決定版 図説・日本刀大全 名刀・拵・刀装具総覧』学研パブリッシング
    • 別冊宝島編集部『原寸大で鑑賞する伝説の日本刀』宝島社
    • 福永酔剣『皇室・将軍家・大名家刀剣目録』雄山閣
    • 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』吉川弘文館
    • 文化庁監修『国宝8 工芸品』毎日新聞社
      • NCID BN01866458 1984年(おそらく)。カーリル見当たらず。
    • 文化庁監修『重要文化財 27 工芸品 刀剣および刀装具』
      • 別欄記載のため割愛。
    • 佐藤寒山『新・日本名刀100選』秋田書店
      • 別欄記載のため割愛(新版はページが143-144だが、内容は同一)。
    • 久保恭子監修『図解日本の刀剣』東京美術
    • 吉川弘文館編集部編『誰でも読める日本近世史年表』吉川弘文館
    • 内藤直子『"超絶技巧"の源流 刀装具』淡交社
    • 刀剣人物研究会企画『超図解 刀剣人物伝真打』カンゼン
    • 三上貞直編『鉄の芸術・日本刀を鍛える』博新館
      • 別欄記載のため割愛。
    • 辻本直男『刀剣人物誌』刀剣春秋
      • 別欄記載のため割愛。
    • 児玉幸多編『日本史年表・地図』吉川弘文館
    • 飯田一雄『日本刀工 刀銘大鑑』淡交社
    • 服部夏生、仲森智博『日本刀 神が宿る武器』日経BP
      • 別欄記載のため割愛。
    • 宮崎政久『日本刀が語る歴史と文化』雄山閣
    • 小笠原信夫『日本刀の鑑賞基礎知識』至文堂
      • 別欄記載のため割愛。
    • 渡邉妙子・住麻紀『日本刀の教科書』東京堂出版
      • 別欄記載のため割愛。
    • 渡邉妙子『名刀と日本人 刀がつなぐ日本史』東京堂出版
    • 牧秀彦『名刀伝説』新紀元社
      • 別欄記載のため割愛。
    • 辻本直男補注『図説 刀剣名物帳』雄山閣
    • 羽皐隠史『英雄と佩刀』嵩山房
      • NDLID 946231」、大正元年。
    • 岡谷繁実『名将言行録』岩波文庫
    • 加茂儀一『榎本武揚』中央公論社
    • 合田一道『古文書に見る榎本武揚』藤原書店。
×
「48.太刀(銘国吉)一口 奈良 〇〇〇〇」『国宝・重要文化財大全 6 工芸品 下巻』毎日新聞社、1999年9月、341頁。 文化庁 監修、[毎日新聞社]図書編集部 編 1990/9 所持者名などが他の国吉の太刀として記載。鎌倉時代の刀で72.3センチメートル。

なお、国吉制作の日本刀として他に挙げられたのは以下の通り。

  • 太刀
  • 太刀(金象嵌銘国吉) 鶴岡八幡宮 p347
  • 刀(銘左兵衛尉藤原國吉) 東京国立博物館 p341
  • 短刀
  • 短刀 国吉 p341
× × ×
「37 太刀 国吉 一口 奈良 ○○○○」『重要文化財 27 工芸品IV』毎日新聞社、昭和52年5月20日、41頁。 毎日新聞社、「重要文化財」委員会事務局 1977/05 所持者名などが他の国吉の太刀として記載。鎌倉時代の刀で72.3センチメートル。銘は國吉。

なお、国吉制作の日本刀として他に挙げられたのは以下の通り。

  • 太刀
  • 38.太刀 国吉 一口 神奈川 鶴岡八幡宮
金象嵌銘國吉が特徴。鎌倉時代の作品。69.7センチメートル。(p41)
  • 39.刀 国吉 一口 東京 ○○○○
銘左兵衛尉藤原國吉。鎌倉時代の作品。54.0センチメートル。(p41)
  • 短刀
  • 40.短刀 国吉 一口 東京 ○○○○
長さ23.0センチメートル。銘國吉。(p42)
  • 41.剣 国吉 一口 大阪 ○○○○
長さ24.3センチメートル。銘國吉。(p42)
  • 不明 要確認(p108)
× × ×
「二―一四 重文 太刀 銘 國吉」『名刀大全 解説編』小学館、2020年4月29日(初版、第三刷)、50頁。ISBN 978-4-09-682304-0 末兼俊彦(項目ごとに異なる書き手) 刃長72.2センチメートル、反り2.4センチメートル。鎌倉時代(13世紀)。紀州徳川家伝来。参考文献に新旧共々『日本名刀100選』が入っている点は特記事項と考え記載(参考文献は落ち着き次第)。 × ×
掲載のない文献
文献 著者 年月 記載内容
「日本刀」8号(2019年8月6日発行) デアゴスティーニ 2019/08 そもそも国吉の刀に関する記載がない。『日本刀 神が宿る武器』(後述)が参考文献(五十音順)に挙がっている。Wikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイトの観点から除外する資料。
  • 参考文献(p8-30の左側(裏表紙の内側)。上の行がムック記載情報、下は推測を含む、自分で調べた情報)
    • 深海信彦、善財一『江戸幻想奇譚―刀剣金工図絵』PHP研究所
    • 徳川美術館『尾張徳川家 名刀展』日本経済新聞社
      • NCID BB03187940 1965年。カーリル見当たらず。
    • 原田道寛『決定版 日本刀大全』河出書房新社
    • 歴史群像編集部編『決定版 図説・日本刀大全』学研パブリッシング
    • 歴史群像編集部編『決定版 図説・日本刀大全 名刀・拵・刀装具総覧』学研パブリッシング
    • 別冊宝島編集部『原寸大で鑑賞する伝説の日本刀』宝島社
    • 福永酔剣『皇室・将軍家・大名家刀剣目録』雄山閣
    • 国史大事典編集委員会編(国史大辞典編集委員会編では?)『国史大辞典』吉川弘文館
    • 文化庁監修『国宝8 工芸品』毎日新聞社
      • NCID BN01866458 1984年(おそらく)。カーリル見当たらず。
    • 文化庁監修『重要文化財 27 工芸品 刀剣および刀装具』
      • NCID BN02827316 1977年(おそらく)。カーリル見当たらず。
    • 佐藤寒山『新・日本名刀100選』秋田書店
    • 久保恭子監修『図解日本の刀剣』東京美術
    • 大阪市『戦国七星展』日本経済新聞社
    • 横田孝雄『戦国武将と名刀』体育とスポーツ出版社
    • 吉川弘文館編集部編『誰でも読める日本近世史年表』吉川弘文館
    • 内藤直子『"超絶技巧"の源流 刀装具』淡交社
    • 刀剣人物研究会企画『超図解 刀剣人物伝真打』カンゼン
    • 三上貞直編『鉄の芸術・日本刀を鍛える』博新館
    • 辻本直男『刀剣人物誌』刀剣春秋
    • 日本刀剣保存会本部『刀剣と歴史』2008年5月号
    • 川見典久『刀装具ワンダーランド』創元社
    • 児玉幸多編『日本史年表・地図』吉川弘文館
    • 飯田一雄『日本刀工 刀銘大鑑』淡交社
    • 服部夏生、仲森智博『日本刀 神が宿る武器』日経BP
      • 別欄記載のため割愛。
    • 宮崎政久『日本刀が語る歴史と文化』雄山閣
    • 小笠原信夫『日本刀の鑑賞基礎知識』至文堂
    • 渡邉妙子・住麻紀『日本刀の教科書』東京堂出版
    • 福永酔剣『日本刀大百科事典』雄山閣
    • 本間薫山校閲、石井昌國編著『日本刀銘鑑』雄山閣
    • 稲田和彦監修『日本の美 日本刀』学研パブリッシング
    • 佐藤寒山『武将と名刀』新人物往来社(人物往来社では?)
    • 牧秀彦『名刀伝説』新紀元社
『尾張徳川家 名刀展』日本経済新聞社、1966年。NCID BB03187940 徳川美術館 1966 「六 剣 銘 国吉 一口」があるが、該当の日本刀ではないため除外。柴田政太郎に関する記述も見られない。古刀→新刀→三所物→鐔→拵→甲冑で収録。
『名刀伝説』Truth In Fantasy 66、新紀元社、初版、2004年10月11日。ISBN 4-7753-0329-5 牧秀彦 2004/10 内部では時代ごとに刀の名前が並べられている。主要参考文献のカテゴリも人物、社会・生活・文化、宝剣、刀剣と分割。國吉やその作った刀、小夜左文字の記載はない。著者は時代劇作家(あとがき 「時代劇作家からみた、刀の扱われ方」より)[注 2]
  • 主要参考文献(宝剣、刀剣のみ)
  • 宝剣
  • 『縮版 集古十種』国書刊行会
  • 『歴史百科 日本国宝事典』新人物往来社
  • 『国宝の旅』講談社 講談社MOOK
  • 日本放送出版協会編『国宝全ガイド(国宝への旅・別巻)』NHKライブラリー35、日本放送出版協会
  • 佐藤俊之、F.E.A.R『聖剣伝説(I、II)』新紀元社
  • 刀剣
  • 本阿弥光遜『日本刀の掟と特徴』美術倶楽部
  • 柴田光男『趣味の日本刀(2001年版)』雄山閣出版
  • 小笠原信夫『日本刀の鑑賞基礎知識』至文堂
  • 福永酔剣『日本刀物語』雄山閣出版
  • 福永酔剣『日本刀よもやま話』雄山閣出版
  • 福永酔剣『日本刀おもしろ話』雄山閣出版
  • 佐藤寒山『新・日本名刀100選』秋田書店
  • 本阿彌光遜校閲、清水孝教編『刀工鍔工事典』歴史図書社
  • 山上八郎『日本甲冑一〇〇選』秋田書店
  • 戸田藤成『武器と防具 日本編』新紀元社
  • 牧秀彦『名刀伝 剣技・剣術三』新紀元社
『日本刀の鑑賞基礎知識』至文堂、1995年。ISBN 4-7843-0082-1 小笠原信夫 1995 「各時代の代表作品」のうち、鎌倉時代の刀剣、の中で粟田口派として国吉は国友の子、藤四郎義光の師として記載(p197)。名物鬼丸国綱(p201)、名物平野藤四郎(p202)は記載があるが、小夜左庵国吉やそれに近いとみられる刀の記載はない。
  • 参考文献
  • [刀剣書古文献]
  • 観智院本銘尽 応永30年写
  • 往昔抄 天文16年写
  • 能阿弥本銘尽 天文15年写
  • 古今銘尽 慶長16年奥書
  • 神田白龍子『新刃銘尽』享保年中
  • 鎌田魚妙『新刀弁疑』安永8年自序
  • 本間順治『日本古刀史』
  • 正倉院事務所編『日本刀大鑑』大塚巧芸社
  • 正倉院事務所編『正倉院の刀剣』日本経済新聞社
  • 川口陟『日本刀剣全史』
  • 佐藤寒山『寒山刀話』
  • 東京国立博物館『日本の武器武具』
  • 尾崎元春、佐藤寒山『甲冑と刀剣』
  • 末永雅雄『法隆寺西円堂奉納武器』
  • 正倉院事務所編『正倉院の大刀外装』小学館
  • 辻本直男『刀剣名物帖』
  • 佐藤寒山『武将と名刀』
  • 加島進『古刀史年表』
  • 福永酔剣『刀鍛冶の生活』
  • 佐藤寒山「刀剣」『日本の美術』6号、至文堂
  • 加島進「刀装具」『日本の美術』64号、至文堂
  • 広井雄一「備前鍛冶」『日本の美術』73号、至文堂
  • 佐藤寒山「山城鍛冶」『日本の美術』107号、至文堂
  • 小笠原信夫「刀剣―大和と美濃―」『日本の美術』137号、至文堂
  • 小笠原信夫「新刀」『日本の美術』155号、至文堂
  • 本間薫山「正宗―相州伝の流れ―」『日本の美術』142号、至文堂
  • 小笠原信夫『刀剣』保育社
  • 小笠原信夫『信仰と刀剣』熱田神宮
  • 小笠原信夫「刀装のファッション」『芸術新潮』新潮社
『戦国七星展: 北条早雲、毛利元就、武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康』大阪市、日本経済新聞社、1963年。 1963 参考文献欄なし。タイトルに挙がった武将を並べて関係するものが展示された。刀で出品目録に掲載されたものは以下の通り。
  • 太刀(名物日光一文字)
  • 太刀(銘来国長)
  • 短刀(銘備州長船倫光)
  • 太刀(銘弘□)
  • 戒杖刀(銘国宗)
  • 太刀(銘長光)
  • 刀(義元左文字)
『刀剣人物誌』刀剣春秋、2012年9月1日。ISBN 978-4-86366-825-6 辻本直男 2012/09 参考文献欄なし。元々雑誌『刀剣春秋』昭和52年3月から昭和58年2月までの連載「刀剣人物史」をまとめたもの(書誌情報記載頁参照)。刀も人物も該当記述はない(過去の持ち主は取り上げられているが、幽斎の箇所では古今伝授の太刀が取り上げられ(pp22-23)、三斎では歌仙の号を持つ和泉守兼定(p214)が取り上げられている程度)。対象として挙げられた人物リストは下記を参照。項目名は書籍記載内容に準拠。
『日本刀が語る歴史と文化』(初版)雄山閣、2018年3月10日。ISBN 978-4-639-02538-2978-4-639-02538-2。 宮﨑正久 2018/03 時代ごとの作風の変化などが記されている。該当の刀に関する記述はないが、112頁に三鈷剣が彫られた国吉の刀の情報があるほか、120頁のリストに弘安三年庚辰七月日の作品が列挙されている。引用は章ごとにリストが列挙されている(計107件、割愛)。
  • 参考文献
  • 網野善彦『蒙古襲来 上下』小学館、1992年。
  • 飯田一雄『刀剣百科年表』刀剣春秋新聞社、1971年。
  • 江馬務『増訂新修 有職故実』星野書店、1937年。
  • 大林太良編『蝦夷』社会思想社、1979年。
  • 春日大社社務所『春日大社 古紙宝 宝物図録』1973年。
  • 岐阜市歴史博物館『兼定と兼元―戦国時代の美濃刀―』2008年。
  • 小窪健一『図鑑 刀装のすべて』光芸出版、1996年。
  • 『コンサイス人名辞典 日本編』三省堂、1976年。
  • 堺屋太一『堺屋太一が解くチンギス・ハンの世界』講談社、2006年。
  • 鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版、2006年。
  • 髙橋敏『国定忠治』岩波新書685、2000年。
  • 川口陟著、飯田一雄校訂『刀工総覧』刀剣春秋新聞社、1972年。
  • 戸田敏男『天草・島原の乱―細川藩資料による』新人物往来社、1988年。
  • 戸部新十郎『日本剣豪譚 幕末編』毎日新聞社、1991年。
  • 戸部新十郎『日本剣豪譚 維新編』毎日新聞社、1992年。
  • 『東京国立博物館図版目録 刀装篇』大塚巧藝社、1997年。
  • 『日本刀の風俗 <拵 鐔 小道具>日本刀全集6』徳間書店、1977年。
  • 旗田巍『元寇 蒙古帝国の内部事情』中央公論社、1977年。
  • 『武家名目抄』第七 明治図書出版、1954年。
  • 藤本正行『鎧をまとう人びと』吉川弘文館、2000年。
  • 船山馨『幕末剣士伝』河出文庫、1981年。
  • 松木武彦『「人はなぜ戦うのか」考古学からみた戦争』講談社選書メチエ、2001年。
  • 光永真一『たたら製鉄』吉備人出版、2003年。
  • 村井章介『北条時宗と蒙古襲来』日本放送出版協会、2001年。
  • 森浩一編『日本古代文化の探求 鉄』社会思想社、1974年。
  • 山本邦夫『埼玉武芸帳』さいたま出版会、1981年。
  • 横浜市歴史博物館・埋蔵文化財センター編『特別展 「兵(つわもの)の時代」古代末期の東国社会』横浜市ふるさと歴史財団、1998年。
  • ロバート・マーシャル著 遠藤利国訳『図説 モンゴル帝国の戦い 騎馬民族の世界制覇』東洋書林、2001年。
  • 綿谷雪、山田忠吏『武芸流派辞典』人物往来社、1963年。
『刀装具ワンダーランド』(第一版)創元社、2016年9月20日。ISBN 978-4-422-71018-1 川見典久 2016/09 参考文献欄なし。該当記述も一切なし。刀装のパーツごとの説明や素材、図録を掲載。
“超絶技巧”の源流 刀装具』(初版)淡交社、2017年11月15日。ISBN 978-4-473-04206-4 内藤直子 2017/11 該当記述なし。作品ごとに説明を掲載。
  • 主要参考文献
  • 『後藤家譜』元禄2年。
  • 稲葉通龍『装剣奇賞』1781年。
  • 光村利藻編『鏨廼花』松山堂書店、1919年。
  • 室津鯨太郎『近世金工略伝(鏨廼花第五編附録)』1919年。
  • 秋山久作『中村覚太夫 信家鐔集』南人社、1926年。
  • 桑原羊次郎『日本装剣金工史』萩原星文館、1941年。
  • 桑原羊次郎『日本装剣金工の研究』第日本強化図書株式会社、1944年。
  • 宮﨑富治郎『安親』三彩社、1964年。
  • 江頭恒治『近江商人中井家の研究』雄山閣、1965年。
  • 東大落語会編『増補落語事典』青蛙房、1969年。
  • 阪井俊政「明寿と真鍮―幽玄味醸す地叢と腐食法」『刀剣春秋』1979年。
  • 『国士大辞典』吉川弘文館、1979-1997年。
  • 白山晰也『眼鏡の社会史』ダイヤモンド社、1990年。
  • 若山猛『刀装金工事典』(新装版)、雄山閣出版、1996年。
  • 特別展図録『鏨で描く―日本刀刀装具にみる絵画の世界』大阪市立博物館、1997年。
  • 根津美術館編『日本刀に見る花鳥風月』根津美術館、2001年。
  • 『国宝「慶長遣欧使節関係資料」』(初版)仙台市博物館、2001年。
  • 『黒田家文書』2巻、福岡市博物館、2002年。
  • 内藤直子「大月光興小考―新出資料の紹介を兼ねて」『大阪歴史博物館研究紀要』第3号、2005年。
  • 特別展図録『戦国武将の装い』佐野美術館、2006年。
  • 第17回企画展『金工の技と美 金属製品に見る一乗谷』福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館、2009年。
  • 内藤直子『光村利藻の刀装具蒐集に関する基礎的研究―そのパトロネージの解明のために― 科学研究費補助金若手研究(A)研究成果報告書』2009年。
  • 特別展図録『幕末明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸―清水三年坂美術館コレクションを中心に―』佐野美術館、大阪歴史博物館、岡山県立博物館、2010年。
  • 特別展図録『変わり兜×刀装具―戦国アバンギャルドとその昇華―』大阪歴史博物館、佐野美術館、2013年。
『日本刀の教科書』 東京堂出版〈再版〉、2014年12月10日。ISBN 978-4-490-20877-1NCID BB17118855。 渡邉妙子、 住麻紀 2014/12 77頁と98頁に国吉に関する記述があるが、いずれも粟田口の刀工の名前リストアップとなっている。
  • 参考文献
  • 『解紛記』
  • 羽皐隠史編『緒家秘説 鑑刀集成』嵩山房、1913年。
  • 高橋崇『坂上田村麻呂』人物叢書、吉川弘文館、1959年。
  • 本間順治『改訂増補 日本古代史』日本美術刀剣保存協会、1963年。
  • 本間薫山、佐藤寒山『日本刀講座』第1巻-第10巻、雄山閣、1966-1970年。
  • 辻本直男補注『図説 刀剣名物帳』雄山閣、1970年。
  • 本間順治、佐藤貫一『日本刀大鑑』第1-7巻、大塚工藝社、1966年。
  • 石井昌国『日本刀銘鑑』雄山閣、1970年。
  • 俵国一『日本刀の科学的研究』日立印刷(株)出版センタ―、1982年。
  • 佐野美術館『佐野美術館蔵品シリーズ1 日本刀鑑賞のしおり』1996年。
  • 東京国立博物館『日本のかたな―鉄のわざと武のこころ』、1997年。
  • 福田豊彦「近世における『和鉄』とその技術―中世の『和鉄』解明のために」『製鉄史論文集』たたら研究会、2000年。
  • 佐野美術館、徳川美術館、富山県立水墨美術館、根津美術館『正宗―日本刀の転載とその系譜』2002年。
  • 佐野美術館、大阪歴史博物館、一関市博物館『草創期の日本刀―反りのルーツを探る』2003年。
  • 佐野美術館『戦国武将の装い―異形兜から祐乗目貫まで』2006年。
  • 佐野美術館、林原美術館、大倉集古館、徳川美術館『華やかな日本刀 備前一文字』2007年。
  • 佐野美術館『短刀の美―鉄の煌き』2009年。
  • 全日本刀匠会『写真で覚える日本刀の基礎知識』テレビせとうちクリエイト、2009年。
  • 佐野美術館、徳川美術館、富山県立水墨美術館、根津美術館『名物刀剣―宝物の日本刀』2011年。
  • 福士繁雄『刀剣鑑賞画題事典』里山出版、2012年。
  • 佐藤寛介、植野哲也『備前刀―日本刀の王者』日本文教出版、2012年。
  • 渡邉妙子『名刀と日本人 刀がつなぐ日本史』東京堂出版、2013年。
  • 刀剣博物館『鉄鐔―「鉄の華」展作品集』2014年。
『鉄の芸術・日本刀を鍛える』博新館、1985年11月 三上貞直(編) 1985/11 日本刀の部分ごとの名称や特徴、用語などがまとめられている。参考文献は後ほど記述。國吉の刀に関する記述は一切見られない。
  • 30頁の参考文献リスト
  • 『日本刀全集』徳間書店
  • 佐藤貫一『日本の刀剣』至文堂
  • 清水澄『日本刀』徳間書店
  • 得能一男『日本刀辞典』光芸出版
  • 東京国立博物館『日本の刀剣』鑑賞のしおり5
  • 永山光幹『刀剣鑑定読本』青雲書院
『鉄の芸術・日本刀を鍛える』(改訂版)博新館、1995年7月 三上貞直(編) 1995/7 日本刀の部分ごとの名称や特徴、用語などがまとめられている。元の本に厚みが倍以上になる程度の大幅な加筆がされており、主に編集者三上貞直に関する記述や、その師である月山への弔いの言葉が記されている。参考文献は後ほど記述。國吉の刀に関する記述は一切見られない。
  • 参考文献
  • 本間薫山、佐藤寒山監修『日本刀講座』(全12巻)雄山閣、1935年。
  • 佐藤寒山編『日本の美術』(6 刀剣)至文堂、1966年。
  • 佐藤貫一『日本の刀剣』至文堂、1966年。
  • 本間薫山、佐藤寒山監修『日本刀全集』(全9巻)徳間書店、1966年。
  • 加島進編『日本の美術』(No.64 刀装具)至文堂、1971年。
  • 広井雄一編『日本の美術』(No.73 備前鍛冶)至文堂、1972年。
  • 月山貞一『日本刀に生きる』刀剣春秋新聞社、1973年。
  • 佐藤寒山編『日本の美術』(No.107 山城鍛冶)至文堂、1975年。
  • 小笠原信夫編『日本の美術』(No.137 刀剣/大和と美濃)至文堂、1977年。
  • 本間薫山編『日本の美術』(No.142 正宗/相州傅の流れ)至文堂、1978年。
  • 大野正編『技法と作品』(刀工編)青雲書院、1978年。
  • 小笠原信夫編『日本の美術』(No.155 新刀)至文堂、1979年。
  • 永山幹夫『刀剣鑑定読本』青雲書院、1979年。
  • 大野正編『技法と作品』(研磨・彫刻編)1980年。
  • 吉原義人、レオンカップ・レオン寛子『現代作刀の技術』講談社、1987年。
  • 小笠原信夫『日本刀の基礎知識』至文堂、1988年。
  • 小笠原信夫『日本刀の歴史と鑑賞』講談社、1989年。
  • 小川盛弘編著『月山歴代とその伝統』ボストン美術館、1989年。
  • 島津邦弘『山陽・山陰/鉄学の旅』中国新聞社、1994年。
  • 小笠原信夫編『日本の美術』(No.332 日本刀の拵)至文堂、1994年。
  • 鈴木卓夫『作刀の伝統技法』理工学社、1994年。
  • 永山幹夫『刀剣鑑定読本』英国刀剣協会、1994年。
  • 鈴木卓夫『たたら製鉄と日本刀の科学』雄山閣
  • 清水澄『日本刀』徳間書店
  • 得能一男『日本刀辞典』光芸出版
  • 東京国立博物館『東京国立博物館のしおり』(No.5 日本の刀剣)
  • 鈴木卓夫記『初心者講習会資料(国の選定保存技術「日刀保たたら」について)』日本美術刀剣保存協会
  • 日本美術刀剣保存協会『初心者講習会資料(日本刀のできるまで)』
  • 日本美術刀剣保存協会『初心者講習会資料(日本刀鑑賞の手引き)』
  • 日本美術刀剣保存協会『初心者講習会資料(刀剣の取り扱い方/手入れと保存法)』
「鎌倉国宝館所蔵「刀 金象嵌銘 雲次」と同館の過去の刀剣展示について] 」『鎌倉市教育委員会文化財部調査研究紀要』第3号(令和3年(2021)3月刊行 志村峻 2021/3 国吉による異なる日本刀は登場するが、41頁で取り上げられている「重要文化財の太刀銘国吉」は原典では「太刀」ではなく「刀」と記載(鎌倉国宝館編『開館90周年記念 特別展 鎌倉国宝館1937-1945 ―戦時下の博物館と守り抜かれた名宝―』平成30年10月20日、99頁。)。
『日本刀重要美術品全集 第八巻』青賞社、昭和61年4月5日、8頁。ISBN 4-943876-02-1 本間順治、広井雄一、山田均 1986/4 直接該当する情報はないが、国吉による作品が掲載されているため参考までに。
  • 短刀
  • 六寸七分強 新潟
  • 一尺一分 東京
  • 七寸一分 東京
  • 八寸 徳川美術館
  • 六尺三分 大阪

ただし作中に説明のある通り、譲渡により認定を取り消したりするケースや新たに認定されるケースも存在する。

別途参照資料
脚注
  1. ^ 書名は原本通り。『新・日本名刀100選』の誤りではないか。
  2. ^ [「今剣・薄緑」にて牛若丸伝説はあくまで伝説としているが(p61)、詳細な経緯は分からないとしつつも6尺5寸の大太刀が壊れたか何かあったとして仕立て直し、守り刀にしていたと推測、最終的に義経の最期の名誉を守ったと述べている(p62)。

一部修正。--遡雨祈胡会話2021年4月22日 (木) 22:04 (UTC) [返信]

2件確認したものを追加。--遡雨祈胡会話2021年4月30日 (金) 21:50 (UTC)[返信]
情報が確認できていないものの、言及があるとされる文献を追加。--遡雨祈胡会話2021年4月30日 (金) 22:20 (UTC)[返信]
重要文化財指定に関する項目を追加。京都国立博物館収蔵前(2019年3月前)に収録された資料については、当然京都国立博物館収蔵を示す記述が無いので「-」に変更。なお、「特集展示 新収集展|京都国立博物館」については、HP内に京都国立博物館に新収蔵された物品を展示する企画展である旨が記されているため京都国立博物館収蔵であることが確認できるとして「〇」に変更。「独立行政法人国立文化財機構 - 随意契約に関する公示重要文化財太刀銘国吉1口の購入」に随意契約先が京都国立博物館となっているため京都国立博物館収蔵であることが確認できるとして「〇」に変更。--従六位上河内介会話2021年5月1日 (土) 04:14 (UTC)[返信]
記載のないものを「×」で統一。これの内容から「重要文化財 太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)について」の×→〇はOK。『日本名刀一〇〇選』は当方の確認した昭和49年7月30日の第7版の148-149頁で確認すると「小夜左庵國吉」で、佐藤寒山「21 小夜左庵國吉 重要文化財」『新・日本名刀100選』秋田書店、初版、平成2年5月20日、143-144頁。ISBN 4-253-00401-6。でも「國」であることから「國」に変更。官報(昭和27年12月16日)の柴田果の内容は(おそらく親族だとは思われるが)直接的に示すものはないため×に変更(独自研究なのですが、柴田家はあの辺りでは地主だったため、本家分家などの構造も複雑だと思われる)。--遡雨祈胡会話2021年5月1日 (土) 12:00 (UTC)[返信]
表の手直し。--遡雨祈胡会話2021年5月1日 (土) 12:54 (UTC)[返信]
1968年の『日本刀大鑑 古刀篇一』図版44頁(加島進)に某家蔵の「重要文化財 太刀 銘 国吉」があり、重文・太刀・サイズなどからこの刀だとは思いますが、柴田政太郎にも京博にも紐付かないため表には載せないでおきます。「小夜左庵国吉」の号は書かれていません。--いやしけよごと会話2021年5月1日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
『日本刀大鑑 古刀篇一』の情報を表に追加。--いやしけよごと会話2021年5月1日 (土) 14:19 (UTC)[返信]
『日本名刀一〇〇選』に初版であることをつけたしました。「独立行政法人国立文化財機構 - 随意契約に関する公示重要文化財太刀銘国吉1口の購入」の項目内に「公示日と購入実施のタイミングがどうなっているかわからないため」と記されていますが、資料内に購入予定日記されています。そちらご確認をお願いいたします。--従六位上河内介会話2021年5月2日 (日) 02:23 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月3日 (月) 03:37 (UTC)[返信]
検証結果を追加。もし違ったらページ数や大体の記載位置などの情報の追記をお願いいたします。--遡雨祈胡会話2021年5月5日 (水) 09:28 (UTC)[返信]
検証結果を追加。--従六位上河内介会話2021年5月6日 (木) 14:11 (UTC)[返信]
参考文献の情報を補足。--遡雨祈胡会話2021年5月6日 (木) 21:31 (UTC)[返信]
補足説明の追記。--遡雨祈胡会話2021年5月6日 (木) 21:39 (UTC)[返信]
追記。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 02:55 (UTC)[返信]
期限優先で書ききれなかった情報を補記。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 13:01 (UTC)[返信]
著者の情報が抜けたので補記。度々ご迷惑をお掛けします。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 13:14 (UTC)[返信]
情報追記。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 14:27 (UTC)[返信]
おそらく議論が分かれることは無いと思うが、念のため参考文献について補記。--遡雨祈胡会話2021年5月9日 (日) 09:33 (UTC)[返信]
参考文献の詳細追加。--遡雨祈胡会話2021年5月9日 (日) 10:24 (UTC)[返信]
(インデント戻し)参考文献の参考文献を、調査の一助とすべく追加。--遡雨祈胡会話2021年5月9日 (日) 15:03 (UTC)[返信]
1件追加。--遡雨祈胡会話2021年5月12日 (水) 14:39 (UTC)[返信]
誤字修正。--遡雨祈胡会話2021年5月13日 (木) 22:03 (UTC)[返信]
  • 返信 遡雨祈胡様がご提示いただきました『尾張徳川家 名刀展』に掲載されている国吉の日本刀ですが、これは徳川美術館で収蔵されている重要美術品の剣(銘国吉)ではないでしょうか?、今回議論している小夜左庵国吉とは別の日本刀になると考えられますが、どういった事由で掲載されたものでしょうか。--従六位上河内介会話2021年5月13日 (木) 23:57 (UTC)[返信]
結論から申し上げますと、同じものかどうかは判りません。少なくともこの本では重要美術品だと「重美」と冒頭についているのですが、それはみられません。この本の収録順が古刀→新刀→三所物→鐔→拵→甲冑になっています。つまり刀身の時代順から他のものに移っているので、少なくとも同時代で同じ刀工と見られる国吉のものを確認している(=その辺りにみられなかった)という証明のつもりで書いてます。(掲載順を追加)--遡雨祈胡会話2021年5月14日 (金) 11:57 (UTC)[返信]
掲載のない文献だけ別のリストを作成・移動。--遡雨祈胡会話2021年5月14日 (金) 13:47 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月15日 (土) 12:05 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月15日 (土) 14:18 (UTC)[返信]
参考文献の位置の修正。--遡雨祈胡会話2021年5月15日 (土) 14:19 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月15日 (土) 15:01 (UTC)[返信]
柴田果所持の話がないのに官報に掲載されているとは思えず、確認しても反応のない話の除去。議論に関わりそうな箇所を加筆。--遡雨祈胡会話2021年5月16日 (日) 10:05 (UTC)[返信]
不要な改行の除去。--遡雨祈胡会話2021年5月16日 (日) 13:10 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月19日 (水) 13:37 (UTC)[返信]
1件追加と出版日の修正。--遡雨祈胡会話2021年5月20日 (木) 16:07 (UTC)[返信]
1件追加。--遡雨祈胡会話2021年5月22日 (土) 14:09 (UTC)[返信]
誤字修正。--遡雨祈胡会話2021年5月22日 (土) 14:11 (UTC)[返信]
誤字修正。--遡雨祈胡会話2021年5月22日 (土) 14:13 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 08:47 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。一部上方修正。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 09:05 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 10:18 (UTC)[返信]
追加調査が必要な方向け、参考文献追加。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 11:36 (UTC)[返信]
情報の補記。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 11:47 (UTC)[返信]
情報の補記。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 14:33 (UTC)[返信]
一部修正。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 14:36 (UTC)[返信]
一部修正。--遡雨祈胡会話2021年5月23日 (日) 14:43 (UTC)[返信]

1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月25日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月29日 (土) 13:58 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年5月31日 (月) 14:03 (UTC)[返信]
説明補足。--遡雨祈胡会話2021年5月31日 (月) 14:20 (UTC)[返信]
1件除外資料を追加。--遡雨祈胡会話2021年6月2日 (水) 15:41 (UTC)[返信]
表のレイアウト修正。--遡雨祈胡会話2021年6月2日 (水) 15:54 (UTC)[返信]
対象+1--遡雨祈胡会話2021年6月7日 (月) 12:40 (UTC)[返信]
×4つのものを除去。--遡雨祈胡会話2021年6月13日 (日) 13:36 (UTC)[返信]

  • 返信 おはようございます。従六位上河内介です。「國吉の太刀で並ぶのであれば、それこそ同名のものを一つの記事のにまとめて並べればそれで済むのではないでしょうか。」については、現在の曖昧さ回避(WP:AIMAI)では同名のものを一つの記事にまとめる形式は廃止されており推奨されていません。また、同じ刀工による同名刀や号が一致している刀を載せることはある程度理解できますが、たまたま同名の刀工であることを理由に、その刀工が作った太刀に関する記述を一つの記事にまとめるのは無理があるのではないかと思います。
また、表に関してもご提示いただきましてありがとうございます。こちらは小夜左庵国吉に関する記述がある資料を列挙していくという認識でよろしいでしょうか?当方が確認したい点として、同一性が確認する作業として資料を列挙することは理解できるのですが、(最終的に第三者が同一性を判断するにしろ)どの点に共通項があるから同一であると判断できるか、ある程度基準を設けていただかないとただの資料羅列になるため、現時点で遡雨祈胡様が帰着点として想定している同一性の基準はどうであるか、お示しいただけますと助かります。--従六位上河内介会話2021年4月23日 (金) 00:04 (UTC)[返信]
ひとまず表を直しました。これなら何が入っているか、大体文章から推察ができるのと、小夜左庵国吉=京都国立博物館収蔵の国吉の太刀、の同一性が確認できますし、検証にも役立つと思います。ちなみに、記事をまとめて書けないのであれば、それこそ太刀 銘国吉 (柴田政太郎旧蔵)あるいは太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)(個人的にはこれが一番確実)などで満たせますし、現時点で銘と呼んでいいか怪しい「小夜左庵国吉」を使うよりは変に誘導しておらず、かつ博物館の判断により近いものといえるのではないかと考えております(主に見ているのは末兼さんだと思いますが、それでも複数人の目でチェックが入っている可能性が高いので、より中立に近いのではないかと考えております)。--遡雨祈胡会話2021年4月23日 (金) 12:13 (UTC)[返信]
(後に追記)京都国立博物館『学叢』第41号、令和元年5月25日発行によると、何名かの方の名前が作品解説として確認できたため、そちらを一応補記しておこうと思います(敬称略、名前の字体は出典に基づいたものを利用)。--遡雨祈胡会話2021年5月22日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
  • 淺湫毅(p138)
  • 井並林太郎(p138)
  • 末兼俊彦(p140)
  • 羽田聡(p140)
  • 福士雄也(p141)
  • 山川暁(p142)
  • 横から失礼いたします。
太刀 銘国吉(所蔵館台帳番号「E甲548」)が「小夜左庵国吉」であると明言されている資料はありますか?
→ある場合:現行通り
→ない場合A:「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」へ改名し、確定するまで号の由来をコメントアウト
→ない場合B:記事名は「小夜左庵国吉」のままで、明言されるまでは所蔵館や刀身など実物についての情報をコメントアウト
これらの対応が妥当だと考えます。
特集展示「新収品展」関連講座「重要文化財 太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)について―鎌倉時代前期の山城鍛冶再考―」からこの記事の太刀は小夜左庵国吉だと推測はできますが、この講座で話された刀が「E甲548」だと断言する資料が書籍や京都国立博物館公式サイトなどに無ければ、同一物だとする根拠としては足りないかと。現行の記事のまま改名提案を却下する場合は、「E甲548=小夜左庵国吉」とするWikipedia:信頼できる情報源の提示が必要ではないでしょうか。
遡雨祈胡さんが最後にコメントされた2021年4月23日 (金) 12:13 (UTC)の一週間後、2021年4月30日 (金) 12:13 (UTC)までに「E甲548=小夜左庵国吉」の根拠が提示されなければ、改名かコメントアウトで対処してはどうでしょうか。--いやしけよごと会話2021年4月25日 (日) 03:25 (UTC)[返信]
締めは当方の上記コメントの二週間後でもいいのではないでしょうか。度重なる緊急事態宣言で主要都市の図書館は利用状況か厳しいですが、他の方から意見が出る可能性もありますし、もし調べられるのであれば猶予があってもいいと思います。ただ、ずっとこのまま停滞、というのは避けたいので二週間後で。--遡雨祈胡会話2021年4月25日 (日) 04:06 (UTC)[返信]
  • 国指定文化財等データベースで検索したところ、国吉作・重要文化財の太刀は「鶴岡八幡宮の太刀〈金銘国吉/〉」か「京都国立博物館の太刀〈銘国吉/〉」だけのようです。鶴岡八幡宮のHPによると、金銘国吉は明治天皇の御寄進であり、柴田政太郎の手を経由する可能性は低そうです。『日本名刀一〇〇選』は未読ですが、その本に記された「小夜左庵国吉」の特徴に国吉の銘や三鈷柄剣の浮彫がありサイズの一致する重要文化財だと触れられていれば、京博の講座名のこともあり「E甲548=小夜左庵国吉」と見なすことも可能でしょうか? ただこれらはすべて傍証なので、判断は他の方にお任せします。
  • しかし「小夜左庵国吉」は昭和の刀剣家による俗称寄りの号のようでして、「E甲548=小夜左庵国吉」が成立するとしても国や所蔵館のプレスリリースでは一貫して「太刀 銘国吉」として扱われていることは、本記事に明記するべきだと考えます。その場合、記事名に認知度の高さ(「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」でリダイレクトに「小夜左庵国吉」)をとるか、それとも見つけやすさ(「小夜左庵国吉」)をとるかは議論が必要でしょうか。それとここでも作風節で揉めるのを避けるため自分は編集しませんが、日本刀大鑑の解説では地鉄の美しさに加えて刃文の二重刃も大きな特色のように書かれているようです。中途半端に口を挟む形で申し訳ありませんが、他記事で従六位上河内介さんとは議論中なこともあり、自分がこの案件について書き込むのはとりあえずここまでとさせていただきます。--いやしけよごと会話2021年4月25日 (日) 13:50 (UTC)[返信]
  • 返信 返答が遅くなり申し訳ございません。従六位上河内介です。いやしけよごと様のご指摘の通り、国指定文化財等データベースにもありますが、粟田口国吉作で重要文化財の太刀は「鶴岡八幡宮の太刀〈金銘国吉/〉」か「京都国立博物館の太刀〈銘国吉/〉」の二つのみになります。鶴岡八幡宮の太刀は磨上金象嵌銘で1928年には旧国宝(=重要文化財)に指定されておりますので、柴田政太郎が所持していた1940年時点で重要美術品である小夜左庵国吉とは別になります。『日本名刀一〇〇選』に記述されている「小夜左庵国吉」の特徴として、「裏の棒樋の中には三鈷柄剣が浮き彫りにしている~」とあり、京のかたな展図録にも「佩裏側は茎上部の樋中から三鈷柄剣を彫出す」と特徴が一致しています。また、粟田口国吉の作風でもある二重刃についても『日本名刀一〇〇選』には「帽子も同様二重になって先は小丸に返っている。」となっており、京のかたな展図録には「また帽子は直ぐに焼詰め風に浅く返るが、帽子にも二重刃があらわれている。」と記されておりこちらも条件が一致しております。またサイズについては国指定文化財等データベースに記されている身長(刃長)72.3cm 反2.4cm、元幅2.8cmと記されていますが、『日本名刀一〇〇選』での記述とも一致しています。最後に1971年に刊行された『日本名刀一〇〇選』にもこの本作は重要文化財と記されており、これらの条件からも京都国立博物館所蔵の太刀と小夜左庵国吉が同一であると十分判断できるかと思います。
また、国指定文化財等データベースに本作の重文指定日を昭和27年7月19日と記されていますが、本作の重文指定を示す官報(昭和27年12月16日)を確認したところ、同年7月19日付で小夜左文字と二振一緒に重文指定されており、所有者も小夜左文字と二振一緒で秋田県雄勝郡西馬音内町本町の柴田恒次と記されています。確か柴田政太郎も秋田県雄勝郡西馬音内村(後の羽後町)の出身ですのでそこからも十分断定できるかと思いますし、少なくとも小夜左文字と本作が同一の所有者にて、共に所持されていたことは確実であるといえます。
最後に、いやしけよごと様がご指摘いただきました『「小夜左庵国吉」は昭和の刀剣家による俗称寄りの号のようでして、「E甲548=小夜左庵国吉」が成立するとしても国や所蔵館のプレスリリースでは一貫して「太刀 銘国吉」として扱われていることは、本記事に明記するべきだと考えます。』について、本記事記載についてはごもっともかと思います。また、俗称寄りの号というのもその通りかと思いまして、昭和時代には村上孝介の「昭和刀剣名物帳」などで認定された名刀には新たに号が名付けられる事例(例:蜂須賀虎徹)や、道真公後裔である高辻家に伝来していた粟田口国綱の太刀を本間薫山が見いだされて新たに天神丸国綱と名付けたなど、他の同名刀工が作った刀と特定の刀を識別するために名づけられることが多かったのだと推察しています。裏を返せば知名度の高い名刀でも名前がついていなければ他の刀と混同されやすいものと考えられます。名刀への名前付けについては推論も含んでいるため他の方からすれば異論があるだろうことは承知しておりますが、知名度や百科事典としての検索の利便性を考えれば、見つけやすさ(「小夜左庵国吉」)を優先した方がよろしいかと存じます。以上、取り急ぎ意見を述べさせていただきました。--従六位上河内介会話2021年4月26日 (月) 14:27 (UTC)[返信]
  • すみません、書き込まないと言ったのですが少し気になったもので。
ここ数年の図録やプレスリリースだと一貫して「太刀銘国吉」が使われ「小夜左庵国吉」の呼び方は見当たらないため、一般的な読者には「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」の方が知名度や検索の利便性は高いと思われますよ。他の国吉の太刀とも区別したいとのことですが、京博蔵は現時点では本作のみですし。
小夜左庵国吉をここ数年で普通に使用されている例が信頼できる情報源に複数無ければ、「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」を記事名にして「小夜左庵国吉」をリダイレクト設定すれば検索にも問題なく実情に則しています。同様に、天神丸国綱も記事が作成されるのなら現時点では「太刀 銘 国綱(所蔵館名)」が妥当でしょう。これは名付けられた時期ではなく、信頼できる情報源で使用されているかどうかの問題なのでは。
  • 「小夜左庵国吉」は最新の所蔵館図録に記載されないレベルの愛称とのことですが、記事名となるほど人口に膾炙しているのでしょうか? 現時点では「小夜左庵国吉」が「太刀銘国吉」よりも知名度が高いというサンプルの提示が足りないように思われます。むしろ遡雨祈胡さんの懸念通り、wikipediaの記事名になることで「小夜左庵国吉」が普通に使われていく可能性があり、それは順番が逆でしょう。だから私個人としては「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」を支持します(2021年4月25日 (日) 03:25 (UTC)と言っていることが変わってすみません)。--いやしけよごと会話2021年4月27日 (火) 09:46 (UTC)[返信]
お二人のコメントを読ませていただいていると、論点は以下4点になると思います。
1.小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一かどうか。その出典はあるか。
2.小夜左庵国吉の呼称は一般的か
3.完全に初学者の読者が他の国吉の太刀と比較した際に記事の対象を適切に判別できるか
4.ウィキペディアで積極的に小夜左庵国吉の呼称を用いるべきか
文面が不適切である、認識に齟齬があるなどあればご指摘ください。
このうち、判断が異なるのは4つ目の論点でしょう。それぞれの詳細は今は時間が取れないので後で情報を補足します。従六位上河内介さんが賛成派、いやしけよごとさんと当方が反対派、だと認識しております。従六位上河内介さんが挙げている情報は「判断できる」「便利だから利用すべき」というものだと考えており、当方はその考えだと「専門家の集まりではないウィキペディア側が積極的に判断を下している」と「便利であったとしても、正確さを蔑ろにするものであれば目的と手段が入れ替わっているため、利用すべきでない」という考えです。--遡雨祈胡会話2021年4月27日 (火) 23:02 (UTC)[返信]
  • 返信 従六位上河内介です。そもそもの話になりますが、議論について『(同一性が確認できるまで)小夜左庵国吉の記述を除去し、記事の名称を太刀 (銘国吉)に変更』とある通り、同一性が確認できるものが無ければ太刀 (銘国吉)に変更するか、というのが改名提案の趣旨であったと認識しています。以前も遡雨祈胡様は『要は、「どこまで同一性があると判断するか」という話になると思っているので。』と仰っていましたので、その認識の齟齬はないものと考えています。今回、遡雨祈胡様がまとめて頂いた論点のうち2-4は、小夜左庵国吉という名称の是非に関する話となっており、今回の改名提案趣旨とはずれてきているのではないかと思慮しています。
その上で遡雨祈胡様よりお話がありましたので回答させていただきますが、『従六位上河内介さんが挙げている情報は「判断できる」「便利だから利用すべき」というものだんと考えており』とご指摘頂いておりますが、そのご指摘は私の認識とは異なります。あくまで私はWP:CRITERIAに基づいて小夜左庵国吉の方が認知度が高く、見つけやすく、曖昧でないと判断しているに過ぎません。
まず、認知度について、いやしけよごと様より『記事名となるほど人口に膾炙しているのでしょうか?』とご指摘いただきましたが、私は記事名となるほどの認知度はあると考えております。まず、佐藤寒山が著した『日本名刀一〇〇選』は新版含めると長期間刊行されており、昭和期を代表する刀剣学者が記した記事として信頼すべき情報源に充分当てはまること、そして京都国立博物館の土曜講演タイトルに「小夜左庵国吉」と、わざわざ文化財名称に付して記されているところからそのように考えております。もし仮に「太刀銘国吉」という名称の方が認知度が高いとされるならば、あえて認知度の低い名前を講演タイトルに付せるでしょうか?むしろ収蔵品として文化財名称で普段扱っているものの、講演にあたり認知度ある名前を付けたと考える方が自然だと考えています。
次にまず、"見つけやすい"に関しても、読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事からリンクできるものとすべきとされていますが、正確性を期して文化財名称に改名して「最も自然に他の記事からリンクできるもの」になりますでしょうか?、私は柴田政太郎のWikiページに元々赤リンクで小夜左庵国吉があったことから記事作成しましたが、当該項目の執筆者の方も自然とリンク出来ると判断したため赤リンクで遺されていたのだと推察しています。
また、"曖昧でない"という観点からお話すると、「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」と所有館をつけて区別化して改名提起していただいてますが、「小夜左庵国吉」であれば今後名前を変更する要素はありませんが、博物館などの所有者は今後変わる可能性もあるので、本作の環境の変化により記事名を改めなければならないような名称は避ける方が無難と考えます。
最後に『「専門家の集まりではないウィキペディア側が積極的に判断を下している」と「便利であったとしても、正確さを蔑ろにするものであれば目的と手段が入れ替わっているため、利用すべきでない」』という意見だとお伺いしましたが、Wikipediaが積極的にその名前が正当であるか判断を下しているのではなく、Wikipediaの記事名としての基準に合わしているだけであり、名前の正確性をないがしろにしている訳ではありません。また、元々同一性をあるかないかという観点で議論が進んでいたにも関わらず、改名ありきで話が進んでいるようで理解に苦しみます。「編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください。」というWP:CRITERIAの一文にもある通り一般的な利用者の関心から見るべきだと考えます。--従六位上河内介会話2021年4月28日 (水) 12:17 (UTC)[返信]
  • 1.小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一かどうか。その出典はあるか。
→まず、この出典はありますか? 現状では「E甲548=小夜左庵国吉」だと明言されているものが提示されていません。自分や従六位上河内介さんが同一物の根拠として上のコメントで挙げたものは、信頼できる情報源が確言したという出典がない限りは独自研究に該当します。そして「E甲548=小夜左庵国吉」が確定しなければ、従六位上河内介さんの今回の返信そのものが成り立ちません。返信の内容に反論はできますが、まずはこの大前提に対して回答をお願いします。--いやしけよごと会話2021年4月28日 (水) 15:35 (UTC)[返信]
上のところに加筆ができていない状態でこのコメントをするのは心苦しいのですが、もし「1.小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一かどうか。その出典はあるか。」の信頼できる情報源の提示が2021年5月7日 (金) 12:13 (UTC)までになされなかった場合、Wikipedia:論争の解決のステップ4にあたる投票を実施せざるを得ないと思います。そうなると現状の流れから改名されるような話になると思っておりますので、改名を前提に話をさせていただいております。--遡雨祈胡会話2021年4月29日 (木) 09:39 (UTC)[返信]
現時点では小夜左庵国吉は同じくリダイレクトとして扱うつもりでおります。--遡雨祈胡会話2021年4月30日 (金) 22:20 (UTC)[返信]
  • 返信 資料については遡雨祈胡様同様資料集めてもおりますので少々お待ちください。また、一つ追加で確認ではありますが、「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」という改名案についてはWP:CRITERIAにどれほど適応してるとお考えであるかご意見お聞かせいただけますか。--従六位上河内介会話2021年5月1日 (土) 04:14 (UTC)[返信]
結論から言うと、「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」であればWP:CRITERIA(ガイドライン)ならびに方針と照らし合わせた際に問題が発生しないものだと考えております(参考までに、小夜左庵国吉の話も出すのですが、どうかご容赦下さい)。認知度においては従六位上河内介さんにもご協力いただけましたリストでも「小夜左庵国吉」より明らかに登場頻度が多かったと認識しております(必要であれば件数も比較しましょう!)。また、専門書と一般書の定義の問題にもなりますが、仮に専門書をこちらのリンクの内容を仮に正しいとすると、図録も今まで上げた書籍も特別専門書とするようなものはなかったように受け取っております(図録などは普通に購入される方はいらっしゃるでしょうし、文化庁のウェブサイトは研究の参考資料の一つにはなると思いますが、特別専門的とは個人的には思いません)。見つけやすいという点でも、残念ながら小夜左庵という庵号自体が知名度がそんなにあるものだとは思っていない(柴田政太郎はWikipediaの特筆性はあるレベルではあると思いますが、やったことの派手さを加味したとしてもザックリとらえるならあくまで秋田県の一つの町のお金持ちととらえるのが妥当だと思います。刀の界隈なら明治天皇や両山や本阿弥光洲や栗原彦三郎の方が知名度がある、といえるでしょうし(記事を書いた人間からすると、そうでもないと資料を調べるにももう少し手軽に集まったのではないか、と考えております)、柴田に影響を受けた人物がものすごい知名度を誇るなどならまだしも、そういった点も現時点では見受けられない)です。小夜左文字はある程度知名度があるとしても、小夜左庵が誰か連想しづらい、という点ではやはり見つけづらいのでは、ということは気になります。その点国吉の太刀と所蔵場所であることが分かるこの記事名であれば、だれが持っていたかが分からなくともどの刀かがわかる(國吉の太刀を他に京都国立博物館が所蔵していない、という点もこれを補助する要因になると思われます)と考えております。曖昧さ回避は同様の理由で不要ですね。同じ太刀の記事ができれば同様の書き方をすればいいわけですし。簡潔さに関してはカッコ内は順当な情報だと思っております。首尾一貫している、という点に関しては記事名が混沌としているこのカテゴリで言うのは無理があると思うのですが、その中でも比較的分かり易い方だと判断しております。一旦こちらに関してはこの回答で提出させて頂きますね。--遡雨祈胡会話2021年5月1日 (土) 10:48 (UTC)[返信]
  • WP:CRITERIAについては、従六位上河内介さんが気にしている部分の前段に「記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ」とあります。そして上記の表通り、信頼できる情報源では慣例的に「太刀 銘国吉」が使われているため問題はありません。所蔵館名の表記により、他の国吉の太刀との区別も容易でしょう。WP:Vと絡めてもっと長く説明したほうがよろしいですか?
  • 遡雨祈胡さんに質問ですが、2021年5月7日 (金) 12:13 (UTC)までに従六位上河内介さんが出典を示されない場合は、「Wikipedia をメディアが引用し、誤情報に「情報源」が発生」の記事のような事態を防ぐためにもすぐ改名するべきだと思うのですが、ルール的には投票が必要なのでしょうか?
  • それと本記事の参考文献でNAIDが2件リンク切れです。別記事のようにこじれるのを防ぐために、こちらで修正するにしても期限が過ぎてから行います。--いやしけよごと会話2021年5月1日 (土) 12:16 (UTC)[返信]
誤解を招くのを防ぐために従六位上河内介さんにはすみませんが一旦暫定タイトルのテンプレートを貼ります。今回すぐに変更しないのは合意できていないことによる混乱を防ぐためです。ここの全員が「変更しよう!」という方向になればすぐに変えてもいいかもしれませんが、中途半端な状態でやると「納得できていない!」と揉めまして、Wikipediaは合意を重視するので強行した側が非常に面倒臭くなります。あと議論しておくとどういった論拠で変更した・しなかったが後の利用者にも分かるので、ある程度情報整理が今のうちにできておくとより状況が明確だと判断できると思います。あといやしけよごとさん、もしよければ書籍の情報はとりあえず追加して貰えた方が初見の人間が確認が楽になるのでやって頂けますと幸いです(確認しなくていいのであれば、確認しなくていいということが伝わる)。--遡雨祈胡会話2021年5月1日 (土) 13:24 (UTC)[返信]
と思ったのですが、そもそも改名提案については書いてあったので取り消します。ご迷惑をおかけします。--遡雨祈胡会話2021年5月1日 (土) 13:27 (UTC)[返信]
あと従六位上河内介さん、もしよければ日本刀100選は版が多いので、より厳密な情報(版が主なところですが)を頂けますと助かります。--遡雨祈胡会話2021年5月1日 (土) 13:57 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん、官報の該当の日付に柴田政太郎の件は掲載されていないと思うのですが、そちらもし掲載されていなければ除去をお願いいたします。あくまで書籍などに掲載されている内容の照らし合わせがしたいので。--遡雨祈胡会話2021年5月1日 (土) 23:28 (UTC)[返信]
  • 返信 お世話になります。従六位上河内介と申します。取り急ぎ個別にてご返答させていただきます。まず、遡雨祈胡様のWP:CRITERIA観について承知いたしました。まず、遡雨祈胡様は本作の通称よりも収蔵館を付した方が認知度があるとお考えとのことで承知いたしました。また、小夜左庵や柴田政太郎の知名度についてはそれこそ「専門家の集まりではないウィキペディア側が積極的に判断を下している」ことになりますので言及を避けますが、本作が京博へ収蔵されたのは2019年ですので、そこまで知名度があるかといえば私は疑問視しています。また、遡雨祈胡様は「その点国吉の太刀と所蔵場所であることが分かるこの記事名であれば、だれが持っていたかが分からなくともどの刀かがわかる(國吉の太刀を他に京都国立博物館が所蔵していない、という点もこれを補助する要因になると思われます)と考えております。」と回答されておりますが、以前、ノート:安綱 (庄内藩酒井氏伝来)の改名議論の際、遡雨祈胡様は「ウィキペディアは未来を予測する場ではないというのは前提にあるのですが、美術館などの所有者は変わる可能性が高いので」と仰っておりましたよね。これは以前の回答と矛盾していると思いますがいかがでしょうか。また、「曖昧さ回避は同様の理由で不要ですね。同じ太刀の記事ができれば同様の書き方をすればいいわけですし。」とも述べられていますが、”曖昧でない”の項目には、「できれば、記事名が重複してWikipedia:曖昧さ回避が必要になることを避ける。」という記述があります。Wikipedia:曖昧さ回避が不要となる通称(信頼すべき情報源への言及されたことがある通称)があるのであればそちらを優先した方がよろしいのではないかと考えています。また、柴田政太郎所持の太刀について調べようとしている方に対して、この改名案では京都国立博物館所蔵品であることを既に知っていることが前提となり、その要素を知らない方の検索の利便性が下がらないでしょうか。「簡潔さに関してはカッコ内は順当な情報だと思っております。」については、文字数やカッコの有無についてどちらが簡潔であるかは自明かと思いますので特に何も申しません。「首尾一貫している、という点に関しては記事名が混沌としているこのカテゴリで言うのは無理があると思うのですが、その中でも比較的分かり易い方だと判断しております。」については、記事名が混沌としていると申されておりますが、曖昧さ回避のためにカッコ付けされている記事については、安綱 (庄内藩酒井氏伝来)陸奥守吉行 (坂本龍馬佩刀)といった今後の環境の変化により属性が変更することのない所持者を冠しています。また、通称がそもそもない上古刀については直刀 (重要文化財工第1886号)毛抜形太刀 (重要文化財工第1354号)と重文指定時の番号をつけている事例があります。ある程度日本刀記事においても名付け方については規則性があることが判ります。しかし、Category:個別の日本刀を確認しても収蔵館を付した記事は存在しません。その点から鑑みても「他の似たような記事においても、同じように使われているもの。」という”首尾一貫している”の基準からは外れていると考えられます。
また、いやしけよごと様が仰っておりました「従六位上河内介さんが気にしている部分の前段に「記事名は信頼できる情報源における慣例を参考にしつつ」とあります。そして上記の表通り、信頼できる情報源では慣例的に「太刀 銘国吉」が使われているため問題はありません。所蔵館名の表記により、他の国吉の太刀との区別も容易でしょう。WP:Vと絡めてもっと長く説明したほうがよろしいですか?」という部分については、ぜひいやしけよごと様のご意見も伺いたいのでご意見お聞かせいただけますでしょうか。また、「信頼できる情報源では慣例的に「太刀 銘国吉」が使われているため問題はありません。」とありますが、いやしけよごと様が作成された記事岡田切吉房についても、文化財名称では「太刀 銘吉房」となっており、e国宝などで「太刀 銘吉房(号岡田切)」で表記されています。いやしけよごと様のご主張に従えば太刀銘吉房(東京国立博物館収蔵)岡田切と表記すべきところですが、恐らく出典記事の多寡によらず通称として広く知られている名称を優先されたのだと推測されますがいかがでしょうか。これらからも文化財名称を優先するのではなく、読者の感心に合わせて通称を設定することは特段不自然な点はないと考えておりますがそちらも合わせてご説明いただけますと幸いです。--従六位上河内介会話2021年5月2日 (日) 02:23 (UTC)[返信]
  • WP:Vによると、wikipediaに記載することのすべては信頼できる情報源に出典を求められるべきであり、これは「すべての利用者が従うべき」と記載のある方針です。従六位上河内介さんが記事を作成しているにも関わらず現時点で資料を"集めている"と表現しており、遡雨祈胡さんの提示されている「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」とするべきという情報源に勝るものを提示されていないのはなぜでしょうか。そもそもこれらは「1.小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一かどうか。その出典はあるか。」が解決してから議論すべき事柄でしょう。とりあえず文献名だけでもいいので根拠を提示していただけますか?
この点を解消されず、記事名を「小夜左庵国吉」から「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」に変更することへの反対の論拠に「読者の関心」を挙げて断固反対する姿勢は、wikipediaの読者=従六位上河内介さんを前提とした私物化にも見えてしまいます。
  • 自分が今現在「小夜左庵国吉」の記事名に反対しているのは、信頼できる情報源(WP:RS)で普段使用されている名称ではないし、そもそもこの号が紹介すらされないことが多いからです。これが仮に近年刊行の『京のかたな』展の図録で「小夜左庵国吉」の号が解説にでも記載されていましたら、(事例としては少なすぎるとは思いますが)そのままの記事名を推したかもしれません(ただしその場合でも、上記の表では「小夜左庵国吉」の名称が使用されて『いない』事例の方が圧倒的に多いため、ノート:太閤左文字#改名提案での従六位上河内介さんの「世間に広く通用している名称」を使用するべきという主張も考え、もう少し「小夜左庵国吉」の使用例が増えてからの方が望ましいと判断するでしょうが。)。
「京のかたな」展の来場者は25万人、「重文 太刀 銘国吉」は前期の展示だったので単純計算で12万人強の人が観たわけです。その展示で「小夜左庵国吉」の名称が使用されたという証拠がどこにもない以上、その方々にとってこの刀は「小夜左庵国吉」ではなく「太刀 銘国吉」です。「小夜左庵国吉の方が知名度が高い」という主張の、具体的な根拠をお願いします。
  • 「美術館などの所有者は変わる可能性」について言及されていましたが、国立博物館所蔵の重要文化財が館外に流出した事例を従六位上河内介さんはご存知なのですか? 国立文化財機構の理念的にあればニュースになると思うので、具体例を教えてください。
→もっとも、たとえそういう前例があったとしても、信頼できる情報源の大多数で使用されて「いない」小夜左庵国吉よりは「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」の方が適切でしょう。
  • 岡田切吉房」は、所蔵館である東京国立博物館での常設展示で「太刀 福岡一文字吉房(号 岡田切吉房)」というタイトルで展示されています。その記事で出典とした信頼できる情報源でも、国宝指定名称以外のほぼすべてで岡田切もしくは岡田切吉房という表記が使用されている認識ですが、何か不備はありましたでしょうか。「狐ヶ崎為次」が「狐ヶ崎 (刀)」として作成されている事例もあり、岡田切と岡田切吉房のどちらを使うかは立項者の好み次第といった問題はもちろんあるのですが、公式その他の信頼できる情報源で岡田切吉房という名称が使用されている以上、記事名としては問題ないと判断しております。--いやしけよごと会話2021年5月2日 (日) 05:16 (UTC)[返信]
博物館にあるものが変わる可能性がある、という意見は変わらないです。ただ、京都国立博物館はその名称の通り国立博物館です。これが閉鎖されるとしたらそもそも美術品どころじゃない世の中になるか、日本国が方針を変えて美術品なんざどうでもいいと決め打ったとき、あるいは日本国がなくなった時などでしょう。もちろんそういう可能性がないわけではないですが、一つ言えるのは可能性がかなり低いんじゃないか、ということですね。もしこれでも不満であれば信頼性のある文献での立証が弱い小夜左庵国吉よりは、私だったらなんたらかんたら (○○家伝来)、にします。そもそも所持者でやるなら柴田家より有名なところがこの刀はかつて所持しておりますし(特別大事にされていたかどうかは現時点では資料がない、としか言いようがないですが)。はっきり申し上げますと、現時点で従六位上河内介さんの提示された情報やご意見は、この記事においての当方の意見(小夜左庵国吉の記事を改名するという方向性)を変えるだけの説得力が不足しております。「Wikipedia:曖昧さ回避が不要となる通称(信頼すべき情報源への言及されたことがある通称)があるのであればそちらを優先した方がよろしいのではないかと考えています」とのことですが、それは信頼性が低いものでも使っていい理由にはならないのではないか、というのが当方の意見です(逆に言えば、今の記事名はそれくらい信頼感とそれを保証する情報源が足りないということです)。それから「柴田政太郎所持の太刀について調べようとしている方」なら普通は既に情報が分かっている柴田政太郎の記事を読みませんか?そこからのリンクは従六位上河内介さんが添付されてました。それだったら柴田政太郎のところから辿り着くのが普通で、この記事名から辿り着くのは「小夜左庵の庵号に知名度がない」という点からもほぼないのではないかと思います。そもそもいやしけよごとさんがずっと仰ってます通り、小夜左庵国吉=京博の國吉の太刀、の資料は未だ提示されておりません。簡潔であればいい、は信頼性がない名前でもいい、ということにはまずならないでしょう。それでしたらまだ、カッコつきでも「これ!」と示されているものの方がいい、というのはそんなにおかしいものでしょうか。当方が申し上げているのは小夜左庵国吉の記事名に信頼性が不足しているという点ですので、それを解消できるような情報がないと、意見を変えろと言われても正直厳しいです。また、博物館の名前がつくのは要は持ち主の名前がついているのと変わらないと思っておりますので、安綱 (庄内藩酒井氏伝来)陸奥守吉行 (坂本龍馬佩刀)と大して変わらないと思っております。要望の方は確認したので後ほど中身を見てから判断させて頂きますね。--遡雨祈胡会話2021年5月2日 (日) 10:02 (UTC)[返信]
余談ですが、個人の編集に関するコメントは利用者に対するコメント依頼の方がいいです。過去に提出した経験からすると、極めて面倒で後腐れだらけで場合によっては周りが出すようになぜか依頼を出してきたりすることもありますが、第三者から編集の方針などについてここで言及すると議論が逸れて収集がつかなくなります。--遡雨祈胡会話2021年5月2日 (日) 12:54 (UTC)[返信]
「資料内に購入予定日」とのことですが、予定日ということは過去の日付でその話をしていると思われるので、△のままにしておきます。--遡雨祈胡会話2021年5月2日 (日) 13:20 (UTC)[返信]
  • 返信 お世話になります。従六位上河内介と申します。まず、資料探しのために返答が遅れましたことお詫び申し上げます。まず、ご質問いただいておりました「1.小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一かどうか。その出典はあるか。」については、2020年12月8日発行の『週刊日本刀』76号の16頁に「太刀銘国吉(号 小夜左庵国吉)/ 京都国立博物館蔵」と紹介されており、重要文化財に指定されている旨や「小夜左庵国吉と呼ばれる。」という記述もございました。(『週刊日本刀』8号は勘違いだったようです。遡雨祈胡様お調べいただきましてありがとうございました。)お二方からご指摘いただいた小夜左庵国吉=京博の國吉の太刀、とする資料のご提示、当初遡雨祈胡様が挙げておられた同一性は保障できるかと思います。
また、先般ご指摘いただいた件も順にご説明させていただきます。「国立博物館の収蔵物が海外流出などで所有先が変わる可能性があるのか」という指摘について、私が想定しているのは海外流出ではなく、国立博物館間で収蔵品が移動する「管理換」があるためです。実際、2011年4月に重文の「彩画人馬鏡」が東京国立博物館から九州国立博物館へ無期管理換した事例があります[1]。刀剣でいえば2001年には重文の「金象嵌銘花形飾環頭大刀」が国から東京国立博物館に管理換になっています[2]。これらから踏まえても将来的に収蔵館が(国立であろうとも)変更される可能性は否めないと考えています。また、以前もご指摘させていただきましたが、国吉銘の刀工は粟田口国吉だけでなく延寿国吉、西蓮国吉、千手院国吉、宇多国吉なども含まれます。仮に他刀工の太刀でも二字国吉銘のものが収蔵されれば、いずれにせよ名称の重複が発生する可能があります。(東博所蔵である吉房の太刀が2振りあることからこのような状況は起こりうる事例と考えられます。)もし、改名提案として挙がっている名称へ変更されるとしてもこの懸念点がクリア出来ていないのではないかと考えています。
遡雨祈胡様が『それから「柴田政太郎所持の太刀について調べようとしている方」なら普通は既に情報が分かっている柴田政太郎の記事を読みませんか?そこからのリンクは従六位上河内介さんが添付されてました。』と仰っておりましたが、私は記事作成の際に國の旧字を改めただけです。改めて確認しましたが、そもそも「小夜左庵國吉」の赤リンクを作られたのは柴田政太郎の初稿作成された遡雨祈胡様ご自身ではないでしょうか。あくまで推測になりますが、遡雨祈胡様が執筆された当時も“小夜左庵国吉”という名称であれば見つけやすいとお考えになって当該箇所を執筆されたのかと思いますが、その点をスルーして私のリンク修正をこのように指摘されるのは甚だ不本意です。
以上、取り急ぎまでに私の意見を述べさせていただきました。--従六位上河内介会話2021年5月6日 (木) 14:11 (UTC)[返信]
きつい言い方になってすみません。一旦最低限だけ記載します。ただデアゴスティーニに関しては「検証が必要な点が出てきました」。デアゴスティーニは『日本刀 神が宿る武器』ISBN 978-4-8222-2545-2。を参考文献に列挙しているのですが、この本が確かWikipediaを参考文献に挙げていた本だったように記憶しております。ただ記憶なのでそれをベースに書いてしまうとよろしくないので、ちょっと検証に時間を頂きたいです。用件だけですが、ご確認下さい。--遡雨祈胡会話2021年5月6日 (木) 20:24 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん、先ほど挙げて頂いたデアゴスティーニの最終頁あたりのライターのクレジットの下に、参考文献欄があると思うのですが、記載されているかどうかを念のためご確認いただいても宜しいでしょうか。自分でもやりますが今手元にないので、ご協力いただけますと幸いです。--遡雨祈胡会話2021年5月6日 (木) 20:55 (UTC)[返信]
遡雨祈胡さんに疑問なのですが、問題とされているのは「小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一かどうか」の出典(週刊日本刀76号)の出典がwikipediaの可能性があるのなら、出典として扱うべきではないという点でよろしいでしょうか?
でしたら柴田政太郎の記事では「他にも後に重要文化財となる紀州徳川家伝来の國吉の太刀で、佐藤寒山に小夜左庵國吉と称されたもの」としか書かれていないため、wikipediaを以って同一の根拠としたといえるのでしょうか。 もちろん、wikipediaの他の記事で「小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀である」という記載があるのなら週刊日本刀76号は出典とはなりえませんが。その記載がなくとも、出典の一部にwikipediaが参考資料と挙げている本を根拠とするのが問題になるのでしたらすみません。
ちなみに、『週刊日本刀76号』の参考文献に『新・日本名刀100選』も『日本刀 神が宿る武器』も記載されていました。
  • ところでそろそろ改名提案に関する最初の期限ですが、議論延長と投票はどちらにされますか? 自分は投票で問題ないと思いますが、議論延長でしたら再び期限を切ることが必要だと思います。--いやしけよごと会話2021年5月7日 (金) 11:56 (UTC)[返信]
「出典の一部にwikipediaが参考資料と挙げている本を根拠とするのが問題になる」方ですね。要はWikipediaの別の記事を出典にして記事を書いていることになってしまう(信頼できる情報源ではない情報源を用いた記事になってしまう)ので、Wikipediaが参考文献に挙げられている文献は利用できません(エクセルを使われているのであれば、循環参照などを調べると何となくイメージが付くと思います。作者が自著が出した説を別の本で出典に挙げて、「こういう説が存在する!」とプッシュするようなものです)。出典に挙げられていることを問題にあげています。ここから先は本題から外れるのですが、8号と76号で件の文献が出典として挙げられている場合、他のデアゴスティーニを出典とした日本刀の記事も同じリスクを負っている可能性が高いと当方は判断しております。この場合、最悪すべてのデアゴスティーニを用いた日本刀記事のチェックが必要な可能性が高いと考えております。ただ、当方が『日本刀 神が宿る武器』を確認したのは数年前なので念のため、日本時間の5/8の正午までお待ちいただけませんか。ダメだったらその時また報告させてください。--遡雨祈胡会話2021年5月7日 (金) 12:57 (UTC)[返信]
補足すると、WikipediaそのものがWikipedia:信頼できる情報源#掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿に該当する、ということも言えると思います。--遡雨祈胡会話2021年5月7日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイトには「ウィキペディアより発信された情報を無検証で拠り所としている内容を、同じウィキペディア記事の出典として用いないでください」とあるので、すべてダメだとは思っていませんでした。一応、今回の76号も「太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)」京都国立博物館蔵の横に全身と帽子の様子がわかる写真が掲載されており、商業使用されている以上は所蔵館のチェックが通っているのだとは思います。
自分が立項した記事のうち、一国兼光は『週刊日本刀』の比重が大きいので、必要でしたら削除依頼を出します。--いやしけよごと会話2021年5月7日 (金) 13:31 (UTC)[返信]
今後の判断は5/8の正午すぎですね、了解しました。--いやしけよごと会話2021年5月7日 (金) 13:34 (UTC)[返信]
出典の記載があるところに書いてありますが、文責はデアゴスティーニ側にあってライターの方々の認識と一致するものではない、というところは頭に置きながら読んだ方がいい、と思っております(チェックはしているとは思いますが、この件など比較的確認が難しくないと思われるところでもミスがある(誤記や誤植が本の世界では珍しくない、ということは認識しておりますが)、ということも加味した方がいいのかもしれません)。削除依頼を出すよりは、記述を消して残せるところを残して下さい。削除依頼だと当てはまるものがないはずです。--遡雨祈胡会話2021年5月7日 (金) 13:41 (UTC)[返信]
関連するとみられる井戸端の情報も貼っておきます。Wikipedia:井戸端/subj/Wikipediaの他記事を出典として記事を執筆することの是非。--遡雨祈胡会話2021年5月7日 (金) 13:44 (UTC)[返信]
すみません取り急ぎ回答するほうでバタバタしていたので従六位上河内介さんへの返答が抜けました。「改名提案として挙がっている名称へ変更されるとしてもこの懸念点がクリア出来ていないのではないか」に関してですが、名称変更先に依るのではないか、というのと現時点ではないといえるのではないかと考えております。例えば「太刀 銘 国吉 (柴田政太郎旧蔵)」を使えば、いずれもクリアできるように見えますがいかがでしょうか(果に関しては刀はほとんど死後散逸しているので、旧蔵品を調べるのはかなり難しいと思われます)。また色々な国吉がいるのも分かりましたが、他に国吉は京博にない、という点からして混乱の可能性とするには少々厳しい気がしております(言ってしまえば、すべて仮定の話になってしまっているので)。
リンクを作ったのは当時の自分ですが、当時結局記事にするにも今回議題に上がった通り名称で決めきれなかった点や、そもそも自分の書いた記事に関しても前述の末兼さんの話でご指摘いただいていた点や、同一性もどこまで保証できるか分からなかったというのもあって「現時点の自分のレベルで書くには無理がある」と判断した記憶があります。上にも述べてますが、リダイレクトでできる可能性などもあると思っていたので、Wikipediaの記述で記事名を決める、ということは考えておりませんでした。そういう意味では今回数年前の自分の浅はかなで思慮の不足していたミスが分かるようになったことは、勉強になったなと思っております。--遡雨祈胡会話2021年5月7日 (金) 14:19 (UTC)[返信]
  • 返信 お世話になります。従六位上河内介と申します。遡雨祈胡様が『「出典の一部にwikipediaが参考資料と挙げている本を根拠とするのが問題になる」方ですね。要はWikipediaの別の記事を出典にして記事を書いていることになってしまう(信頼できる情報源ではない情報源を用いた記事になってしまう)ので、Wikipediaが参考文献に挙げられている文献は利用できません』と仰っていますが、結論から申せば、遡雨祈胡様のご指摘は、WP:CIRCULARを拡大解釈しており誤りではないかと思います。WP:CIRCULARには、『ウィキペディアより発信された情報を無検証で拠り所としている内容を、同じウィキペディア記事の出典として用いないでください。』とあります。まず、ウィキペディアの出典として使用できないのは”無検証で拠り所としている内容”が循環ソースになるため信頼できる情報源として用いることが出来ないのであり、極論をいえばWikipediaの記事をそのまま引用した文章でも、執筆者や編者が(ウィキ以外の)参考文献によって検証作業がなされており、査読機能が出版社によって担保されているのであれば循環ソースにならないのでWP:CIRCULARには該当しないと考えられます。
前記の主張する根拠としてWikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアを参考文献に挙げている文献についてでも同様の議論があります。この議論ではWikipediaを出典に挙げている書籍にて、記述内容を鑑みて検証された内容であると認められるならば出典として問題はないという結論になっています。また、この結論から実際に当該書籍が記事の参考文献に使用されており、その記事は秀逸な記事に選出されています。その上で、循環ソースであるかを判断するものとして「現行のウィキペディアの記事に載っていない内容であり、かつ誰から聞いた話であるか実名を挙げて記載している内容なのであれば、循環ソースの可能性はまずないでしょう。」と述べられています。その点で鑑みれば、『日本刀 神が宿る武器』が刊行された2015年には柴田政太郎の記事や鳴狐、小夜左庵国吉の記事も作成されていないため、循環ソースになっている可能性はないと考えられます。
更に申し上げると、遡雨祈胡様は『補足すると、WikipediaそのものがWikipedia:信頼できる情報源#掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿に該当する、ということも言えると思います』ともいわれていますが、これは匿名電子掲示板などを直接出典として提示した場合の話ですよね。万が一、匿名電子掲示板の文章が書籍に掲載されていたとしても、出版社を介して商業出版されているものと匿名電子掲示板の内容を同一視するのは無理があると思われます。そのため、いやしけよごと様が仰っておりました『「ウィキペディアより発信された情報を無検証で拠り所としている内容を、同じウィキペディア記事の出典として用いないでください」とあるので、すべてダメだとは思っていませんでした。一応、今回の76号も「太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)」京都国立博物館蔵の横に全身と帽子の様子がわかる写真が掲載されており、商業使用されている以上は所蔵館のチェックが通っているのだとは思います。』についても私は同意いたしますし、いやしけよごと様が立項された一国兼光についても削除する必要はないと考えます。
そして最後に、大前提として今回の話は提示された書籍がWP:CIRCULARに抵触する可能性があるという話ではなく、WP:CIRCULARに抵触する可能性がある書籍(A)をを参考文献にあげているため、当該書籍(B)もWP:CIRCULARに抵触する可能性があるという議論かと思いますが、遡雨祈胡様が関連するとみられるWikipedia:井戸端/subj/Wikipediaの他記事を出典として記事を執筆することの是非は一通り目を通しましたが、どちらかといえばA寄りの議論であり、Bとは関係性が薄いように考えられます。いずれにせよ、週刊日本刀がWP:CIRCULARに抵触するかといえばしないものと考えています。--従六位上河内介会話2021年5月7日 (金) 15:11 (UTC)[返信]
この記事に限定して言えば、「現行のウィキペディアの記事に載っていない内容であり、かつ誰から聞いた話であるか実名を挙げて記載している内容なのであれば、循環ソースの可能性はまずないでしょう。」のうち、前者はともかく後者は情報がない、というのがまず認識いただけると思っております。さらに言うと、いやしけよごとさんが述べてらっしゃった、新・日本名刀100選が参考文献に掲載されているという点から、これをベースに書いたのではないか(結局同じ出典を2回出しているのと同じことになっているのではないか)、とあくまで推測ですが考えております。仮にWP:CIRCULARではないのであれば「どこが出所か」は見た方がいいとも考えております。--遡雨祈胡会話2021年5月7日 (金) 15:24 (UTC)[返信]
  • 返信 おはようございます。従六位上河内介と申します。取り急ぎ遡雨祈胡様の懸念点についてお答えいたします。『いやしけよごとさんが述べてらっしゃった、新・日本名刀100選が参考文献に掲載されているという点から、これをベースに書いたのではないか(結局同じ出典を2回出しているのと同じことになっているのではないか』という部分で申し上げますと、いやしけよごと様が仰っていただきました『一応、今回の76号も「太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)」京都国立博物館蔵の横に全身と帽子の様子がわかる写真が掲載されており、商業使用されている以上は所蔵館のチェックが通っているのだとは思います。』というご指摘の通り、『新・日本名刀100選』の文章が無検証で丸々転載されていれば問題ですが、収蔵館によってチェックされた可能性が高く、編者が参考文献によって検証作業がなされており、査読機能が出版社によって担保されている(=循環ソースにならない)と考えられるため、ご懸念の分は問題ないかと思います。--従六位上河内介会話2021年5月8日 (土) 00:34 (UTC)[返信]

時間が過ぎたので、とりあえずはじめましょう。議論はこちらの節に書いていただき、投票結果と必要があると思われる方は軽く理由を書くのでいかがでしょうか。投票権は、IPユーザーなし、このコメント時点で自動承認された利用者の権限を保持する利用者、で大丈夫だと思うのですがいかがでしょう。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 05:06 (UTC)[返信]

日本時間5/9(日)正午まで待って異論がなければ、投票を開始しようと思います。期間は1週間が前提で、足りなければ2週間、特殊な事情がある場合は最長1ヶ月、という提案で出します。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 08:45 (UTC)[返信]
  • 返信 せっかくご提出いただいて恐縮ではございますが、未だ議論が尽くされていないにも係わらず投票に移るのは早急ではないかと思います。まず、先般私がご指摘させていただきましたWP:CIRCULARにおける認識の齟齬について、遡雨祈胡様よりそれに対する見解が未だ述べられておりません。また、先般の更新で『日本刀 神が宿る武器』の内容を確認いただきリストを更新頂いたかと思いますが、WP:CIRCULARに当該書籍がどのように抵触しているのか記されておりません。『参考サイトにウィキペディアが掲載(p182)。』とありますが、ただ、"参考サイト:ウィキペディア"って一文があるだけなのか、"Wikipediaの〇〇という記事の☓☓という記述がその書籍にもそのまま記されており、内容に誤りもあるため無検証で記されたと考えられる。"ということか、どの観点からWP:CIRCULARに抵触しているのか、先ずご提示いただけますしょうか?私はその文献を確認していないためあくまで遡雨祈胡様の記述をもとに述べさせていただきますが、参考文献として別の書籍が挙げられている点から、その書籍から内容が検証された可能性がありますよね。どの点を鑑みてWP:CIRCULARに抵触すると考えたのか改めてお聞かせいただければと思います。
次に、今回この話が出たのはWP:CIRCULARに抵触する可能性がある書籍(『日本刀 神が宿る武器』)を参考文献にあげているため、当該書籍(『週刊日本刀』76号)もWP:CIRCULARに抵触する可能性があるのではないかという議論から発出したものかと思いますが、まず『週刊日本刀』がWP:CIRCULARに抵触するかもしれないという問題提起のまま話が止まっております。その書籍の評価も進まないのに次のステップに移るのはおかしいでしょう。
もっと言えばいやしけよごと様が立項された一国兼光についても、『週刊日本刀』を出典にしているため、この出典に関する記述を削除しないといけないかもしれないという話にもなっています。せっかくいやしけよごと様が出典を調べて素晴らしい記事を作られたにも関わらず、その出典の是非が分からず、削除しないといけないかもしれないまま議論が宙ぶらりんになるのは、いやしけよごと様にとっても不安でしょうし、あまりに不親切だと考えてます。
最後に、元々このご提起は小夜左庵国吉=京博所蔵国吉の太刀が同一であるかが不明であるとして、同一性が確認出来るまでは小夜左庵国吉に関する記事名・記述を削除するというのが遡雨祈胡様のご提起だったと思います。そして、小夜左庵国吉=京博所蔵国吉の太刀であると証明する情報源を提示すれば、記事名は現行のままにすると議論の中で話がありましたよね。今回私は『週刊日本刀』に小夜左庵国吉=京博所蔵国吉の太刀とする記述があるので、この情報源は尤もであるとして出させていただきましたが、その同一性に関する議論はどうなりましたか?また、もし同一性が認められてないというのであればどういう点からそう仰るのか追加資料をご提示いただけますか?そもそも改名案や記事名の是非については同一性がもし認められない場合のサブの議論であり、大前提は小夜左庵国吉=京博所蔵国吉の太刀の同一性だったはずです。その点が疎かになっており、とりあえず投票などできますでしょうか?ご質問させていただいた事への回答と投票の再考を強く求めます。--従六位上河内介会話2021年5月8日 (土) 11:45 (UTC)[返信]
(内容から、こちらに挟みます。必要があれば声を掛けてください。内容が解答になってなければ教えてください)
「WP:CIRCULARにおける認識の齟齬について、遡雨祈胡様よりそれに対する見解が未だ述べられておりません。」
→当方は「従六位上河内介さんの挙げたケースがかなり特殊で、Wikipediaを参考文献に挙げている文献をベースに書くのはない」と思っています(削除などで中身が第三者に見えなくなることも多々あります)。それは専門家の見解を挟んだ文献であるのであれば余計に、なぜその元となる文献ではなくWikipediaを参考文献に挙げた文献をわざわざ参考文献に挙げたのか、ということや、それをやれば「とある書き手がWikipediaに記載したい内容を記載→同じ書き手が資料AでWikipediaを参考文献に記載→同じ書き手が資料Bでは資料Aを参考文献に記載」といったようなことが可能であるという点から、基本的には別の資料を上げるのが確実だと思っております。今回に関して言うと、「Wikipediaを参考文献に挙げた文献を出典にした文献」をベースにしなくてはならない理由が弱いと思っております。以上の点から、Wikipediaについて議論するなどのケースを除いては、Wikipediaを出典に挙げた文献を用いるのは基本的にない、と思っております。故に、上記で言う資料Bも、私はWP:CIRCULARの対象とみなしております。
『日本刀 神が宿る武器』での記載の仕方は「参考サイト」という項目があって、その中にWikipedia、とだけ挙げられている状態です。"参考サイト:ウィキペディア"に近いですね。
一国兼光に関しては一国兼光で議論すべきではないでしょうか。論点ずれて終わりませんし、そもそも週刊日本刀に参考文献が上がっているので、そっちから該当の記述を探した方が記載を残すのであれば確実ですし、そもそも一国兼光の話なのに小夜左庵国吉のノートで議論するメリットが見えませんし、一国兼光を削除依頼に出す必要がないという話は、既に記載した通りです。
今まとめているところだったのですが、同一性としては、基本的に問題ないという方向と思います。分量が多いのでまとめにはまだ時間が掛かります(短めに、というお願いをしたところが個人的に読みづらいという話と、まとめるのに時間が掛かってしまっている、というのもあります。文献に設題を追加したのもリンクを使うためです。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 13:50 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん、先に要望だけ言います。
  • 次の議論を要求するのであれば、期限を仮でもいいので出してください。
  • これは個人的な感覚ですが、一回の文章が長すぎて時間が掛かるので、もう少しまとめて頂けませんか(長くても2000バイトぐらいで)。
とりあえず上記2点をお願いします。解答を頂いてからお答えします。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 12:19 (UTC)[返信]
  • 返信 期限を設けると今回のように審議未了で生煮えになる可能性があるので、期限を設けるつもりはありません。時間が掛かっても問題ございませんので、ぜひお答えいただければとおもいます。ただし、もし期限が必要と申されるのであれば、今から1ヶ月を一応の期限としていかがでしょうか?
また、質問の文章を要約するようにとのことでしたが、最低限に絞って上記確認事項を作成しています。なのでこれ以上の要約は文意が異なって伝わる可能性があるため応じかねます。もし、質問の意図が分からないなどございましたら、随時お答えさせていただきますので、どうぞご確認をよろしくお願いします。--従六位上河内介会話2021年5月8日 (土) 12:40 (UTC)[返信]
期限一旦1ヶ月承知しました。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 14:04 (UTC)[返信]
要望なのですが、当方今手元にないので、『特別展京のかたな : 匠のわざと雅のこころ』の情報をお持ちの方がいらっしゃったら上に書いて頂けますと助かります。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 13:53 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん、官報(昭和27年12月16日)の柴田政太郎の記述について、載っているかどうか確認してもらえませんか。なければ消していただけると助かります。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 13:59 (UTC)[返信]
参考までに、『日本刀 神が宿る武器』は割と全国の図書館であるので、カーリルあたりを使うと手っ取り早く確認できると思います。--遡雨祈胡会話2021年5月8日 (土) 16:44 (UTC)[返信]
(お知らせ)思っていたよりまとめが時間が掛かってしまい、ひとまず文献の箇所がまとまったところからWikipedia:井戸端/subj/Wikipediaを孫引きしている参考文献の利用可否についてを作成しました。言っていることが二転三転してすみません。--遡雨祈胡会話2021年5月11日 (火) 12:58 (UTC)[返信]
  • 2021年6月8日 (火) 12:40 (UTC)が期限とのことですが、議論が行われていないようです。ここまで長い期限は必要ですか? とりあえず現時点での自分の意見を述べます。
1.小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一かどうか。その出典はあるか。
→『週刊日本刀76号』に「太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)」京都国立博物館蔵と書かれ写真掲載もあり、同館の「画像利用申請の手続き」を考えると信頼できる情報源として扱うのに問題はないと考えられる。よって「小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一であり、出典もある」。
2.小夜左庵国吉の呼称は一般的か
→現時点で提示されている11の文献(信頼できる情報源か否かについてはとりあえず横に置きます)において、4件しか記載がない。何より所蔵館による最新の展示と図録にて、この呼称の記載がない。よって、一般的とは言えない。
3.完全に初学者の読者が他の国吉の太刀と比較した際に記事の対象を適切に判別できるか
→「重要文化財」+「太刀」+「銘国吉」は本作のみ。
4.ウィキペディアで積極的に小夜左庵国吉の呼称を用いるべきか
→時期尚早。所蔵館やその他美術館・博物館の展示で小夜左庵国吉が恒常的に用いられるようになって数年が経過すれば一般化したと判断できようが、現時点ではこの号が用いられているケースが少なく、「wikipedia→書籍→美術館」の逆輸入が起きる懸念がある。粟田口国吉の記事からもこの号は削除すべき。この号を記事名にするには「小夜左庵国吉」の一般化が確認できてからであるべき。
  • 結論を言いますと、「所蔵館による展示と図録において「小夜左庵国吉」という名称が記載されていない」現状から、この号を記事名とするには不適切だと判断しています。逆輸入を防ぐためにできるだけ早く改名すべきです。--いやしけよごと会話2021年5月18日 (火) 12:39 (UTC)[返信]
急かし過ぎもよくないですが、正直当方も改名せざるを得ないというのが現時点での見解です。まだすべて調べられたわけではないのですが、調べれば調べる程佐藤寒山が『日本名刀100選』(新旧両方)で言っていたことがベースになっており、そこを論拠にしたところだけがこの名称を用いているというのが見解です(つまり、元々従六位上河内介さんが参考程度にと挙げられたtogetterの内容がおそらくは事実なのだろうということが覆せない状態です)。また、その名称を用いている文献が2015年以降に集中していることから、いわゆる刀剣女子(ある意味男性も含むと思われますが)、とメディアで呼ばれている人たちによって起こされた刀剣ブームと呼ばれるものによって再興しようとしている名前なのだろうと見ております。これが後ほど「じゃあこの名前で呼ぼう!」という風になる可能性は十分あるとは思いますが、いくらなんでも文献の量の比率に無理があります(呼ばれていないほうが多い)。しかし、まだ出典が出そうだと思うのであれば、従六位上河内介さんには申し訳ありませんがどのあたりにありそうか目途が付いているということだと思っているのですが、それがないのに時間が欲しいというのは、正直(悪気はないとは思っているのですが)いやしけよごとさんも仰っている通りある程度社会的影響力を考えると、改名が早い方がいい、という意見も分かります。故に、この文献でそう呼ばれているという明確な論拠を示していただけませんか。ただいたずらに延長されている状態(井戸端の意見を待っているというのもあると思うのですが、正直今見ている段階でコメントがあれ以上に来る気配が現時点では見られないこともあり)は、正直従六位上河内介さんの印象が引き伸ばしているのかな、と考えたくはないのですがそう思わざるを得ない状況です。せめて今調べているところで出せそうなめどが立っているかを教えてください。--遡雨祈胡会話2021年5月18日 (火) 12:59 (UTC)[返信]
さらに言うと、佐藤寒山以外が言っていたなら分かるのですが、薫山が懐かしい人々で記載していた話にもそういった様子は見られませんでした。また、小夜左庵=柴田政太郎のイメージが付いてきていないのも、デアゴスティーニでの取り上げ方がある意味示しているのだろうと見ております。--遡雨祈胡会話2021年5月18日 (火) 13:02 (UTC)[返信]
もう少し補足すると、現時点で当方が一番改名先としていいのは國吉の後に「(紀州徳川家伝来)」が付くものを考えております。知名度でも申し分ないですし、現時点では同じように紀州徳川家に伝来した国吉の太刀は触れられておりません。--遡雨祈胡会話2021年5月18日 (火) 13:04 (UTC)[返信]
あといやしけよごとさん、急がれる気持ちは分からなくないですが、ここはウィキペディアです。ウィキペディアの約束事(方針、ガイドライン)に一通り目を通して、仰ることの論拠がウィキペディアで認められるかどうかご一考頂いてから発言いただけませんか。--遡雨祈胡会話2021年5月18日 (火) 13:23 (UTC)[返信]
  • 返信 お世話になります。上記について順にお答えさせていただきます。まず、遡雨祈胡様『正直従六位上河内介さんの印象が引き伸ばしているのかな、と考えたくはないのですがそう思わざるを得ない状況です。』については、遡雨祈胡様が『週刊日本刀』がWP:CIRCULARに抵触する可能性がある書籍として指摘されている件についてご説明いただくのをお待ちしておりまして、引き伸ばす意図など毛頭もございませんでした。井戸端での議論でも遡雨祈胡様よりお話いただいていないにも関わらず、私の責に帰すようなご発言はいかがなものでしょうか。また、未だ『週刊日本刀』及び『日本刀 神が宿る武器』のどの記述にWikipediaのどの記事が反映されているのか、またその記述が本記事にどれほど影響しているのかが未だお示しいただいておりません。まずは本件説明をお願いできますでしょうか。--従六位上河内介会話2021年5月18日 (火) 13:25 (UTC)[返信]
  • 返信 また、遡雨祈胡様がご指摘いただきました「その名称を用いている文献が2015年以降に集中していることから、いわゆる刀剣女子(ある意味男性も含むと思われますが)、とメディアで呼ばれている人たちによって起こされた刀剣ブームと呼ばれるものによって再興しようとしている名前なのだろうと見ております。これが後ほど「じゃあこの名前で呼ぼう!」という風になる可能性は十分あるとは思いますが、いくらなんでも文献の量の比率に無理があります(呼ばれていないほうが多い)。」について、これは遡雨祈胡様の推論でしょうか。近年の刀剣ブームにより刀剣関係の書籍そのものが増えたことは事実としてあるでしょうが、そのことから「じゃあこの名前で呼ぼう!」という風になる可能性があると結び付けをするのは無理があるのではないでしょうか。また、このように近年刊行された書籍で記入されている刀剣の号についてそのような観点で論ずることは、それこそ「Wikipediaの側から積極的に判断を下す」ことになると考えられますがいかがでしょうか。--従六位上河内介会話2021年5月18日 (火) 13:39 (UTC)[返信]
すみません、流れが速いのもあって当方は議論についていけてないですね……従六位上河内介さんが質問してるのに、と仰ってたのこことかの話だったんですね……文献の量の比率は大体8(記載ない)-4(記載ある)で、Wikipedia側の判断という見方をされる方もいると思いますが、当方はどちらかと申しますとWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けに関わるところだと思っています。量的なところでもマイノリティの話をメジャーに持ってくるのは厳しくないか、という話として読めるのかなと思ってます。追い追い少しずつ返答していくようにはします。--遡雨祈胡会話2021年5月21日 (金) 15:24 (UTC)[返信]
補足すると、厳密な資料がある訳ではないので、当方が「いわゆる刀剣女史云々」に関しては現時点で当方が持っている偏見ないし考え方だと思って頂けると幸いです。--遡雨祈胡会話) 2021年5月21日 (金) 15:26 (UTC)記載場所を移動。--遡雨祈胡会話2021年5月22日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
待たなくても書いて頂いて結構です。こっちも調べながら書いているのは、皆さんに追加調査して頂けるようにでもあるので、よろしくお願いいたします。--遡雨祈胡会話2021年5月18日 (火) 13:53 (UTC)[返信]
  • 返信  いえ、現在私が提示した書籍がWP:CIRCULARに該当するかもしれないとして井戸端で話されているのですよね。その件が解決しない限り、仮に私が書籍が提示したとしても、また同様に書籍が信頼すべき情報源であると指摘される可能性があるのですから、まずはWP:CIRCULARの件を順番から処理していただけますでしょうか。あと、その件についてせめて今調べているところで出せそうなめどが立っているかを教えてください。--従六位上河内介会話2021年5月18日 (火) 14:08 (UTC)[返信]
  • 遡雨祈胡さん、Wikipedia:合意形成#合意形成に「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ」とあったので、約一週間待ってから議論に進みがないことを指摘し、期限までに停滞が続くようなら「できるだけ早く改名すべきです」と問題提起したつもりだったのですが、どこを問題視されたのでしょうか。指摘される際は、具体的に何が問題なのかまで書いていただかないとわかりません。
  • 問題視している個所が全員違いますし、従六位上河内介さんが提示された2021年6月8日 (火) 12:40 (UTC)の期限を迎えたらすぐ投票に移り、第三者の目に触れる投票で合意を形成するのが一番だと考えています。正直、議論がヒートアップして平行線をたどっているようにしか見えません。--いやしけよごと会話2021年5月18日 (火) 14:17 (UTC)[返信]
  • 返信  あと、いやしけよごと様にお伝えいたします。一か月という期間については、私が強行したわけではなく、あくまで遡雨祈胡様の同意を得て決めさせていただきました。もし回答期間にご不満があるようでしたらご提案いただけますか。また、「Wikipedia:合意形成#合意形成に「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ」とあったので、約一週間待ってから議論に進みがないことを指摘し、期限までに停滞が続くようなら「できるだけ早く改名すべきです」と問題提起したつもりだったのですが、どこを問題視されたのでしょうか。」について、これは結論が確定しまして、最後に1週間様子見て何も異論がなければ議論終了になるものです。本件はまだ結論が確定しておりませんので本件は該当しません。遡雨祈胡様の仰るようにWikipediaではWikipediaでの方針やガイドラインに沿って、議論に参加いただきますようお願いいたします。あと、「「wikipedia→書籍→美術館」の逆輸入が起きる懸念がある。」とのことでしたが、そのような懸念が起こりえる可能性として類似事例についてご教示いただけますか。--従六位上河内介会話2021年5月18日 (火) 14:29 (UTC)[返信]
すみません、競合してコメントが飛んだのでしばらく時間を置きます。ご了承ください。--遡雨祈胡会話2021年5月18日 (火) 14:43 (UTC)[返信]
  • でしたら『3.完全に初学者の読者が他の国吉の太刀と比較した際に記事の対象を適切に判別できるか』を満たすためには、「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」「太刀 銘国吉(紀州徳川家伝来)」「太刀 銘国吉 (国立文化財機構所有)」あたりの補足を付けることが区別のために必要ということですね。調べていただきありがとうございます。
  • それと逆輸入の件ですが、遡雨祈胡さんが2021年4月22日 (木) 22:02 (UTC)のコメントで提示されています。他にも逃げ上手の若君が連載開始された際、北条時行の項目のアンサイクロペディアの転載が事実として誤解され、ネット上に広がったこともありました。刀剣関係では『週刊日本刀』でもwikipediaにある脱字がそのまま使用されていることから参考にされた可能性のあるコラムがあります。
「書籍→wikipedia」なら問題はないのですが、現時点で提示されている小夜左庵国吉の使用状況だと「wikipedia→書籍」となる危険性は無視できません。博物館の展示と図録で「小夜左庵国吉」が記載されるようになるのが、この号を記事名とする最低条件だと考えます(たとえば「鳴狐」のようにです)。--いやしけよごと会話) 2021年5月19日 (水) 13:48 (UTC)一部不適切な箇所を修正--いやしけよごと会話2021年5月21日 (金) 11:33 (UTC)[返信]
  • 返信 まず、事実確認させていただきます「刀剣関係では『週刊日本刀』でもwikipediaにある脱字がそのまま使用されていることから参考にされた可能性のあるコラム」とはどのコラムでしょうか。--従六位上河内介会話2021年5月19日 (水) 13:58 (UTC)[返信]
  • 返信 また、遡雨祈胡さんが2021年4月22日 (木) 22:02 (UTC)のコメントに挙がっているドイツの政治家の件も、北条時行のアンサイクロペディアについても、起こりうる話であることは分かりましたが、これは出典となる信頼すべき情報源がいずれも付いていた事例ではないですよね。本件はあくまで出典を基に議論していることであり、循環ソースになりえる話をしている訳ではありません。また、「現時点で提示されている小夜左庵国吉の使用状況だと「wikipedia→書籍」となる危険性は無視できません。」と申されましたが、それこそいやしけよごと様が仰っていた「Wikipediaの側から積極的に判断を下す」ことになりませんか。--従六位上河内介会話2021年5月19日 (水) 14:07 (UTC)[返信]
  • 返信 また、「所蔵館による展示と図録において「小夜左庵国吉」という名称が記載されていない」と申されていますが、京都国立博物館だより203号に、小夜左庵国吉の写真と小夜左庵国吉の講演について記載されています。そもそも、上記で「何より所蔵館による最新の展示と図録にて、この呼称の記載がない。よって、一般的とは言えない。」と申されていますが、これは京のかたな展の出品リストですよね。既に「京のかたな展」図録で本作について言及はされておりますし、これだけで一般的でないと断言できるのでしょうか。--従六位上河内介会話2021年5月19日 (水) 14:17 (UTC)[返信]
横からすみません。今現在京都国立博物館がどう扱っているかを見るのであれば、京博の刊行物で2020年度以降の本作を扱っているものを見れば、どういった名称で扱っているかが分かるのではないでしょうか。調べるのは手間ですが、やる価値はあると思います。--遡雨祈胡会話2021年5月19日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
今の予定している議論の期間より後にはなりますが、展示されそうな特別展が予定されているようですので、一つ参考になるのではないかと思われます。いずれにせよ、無いもので議論すると個々人のイデオロギーや信条の問題になりそうなので、ある程度調べながらでないと難しいと思います。--遡雨祈胡会話2021年5月19日 (水) 14:48 (UTC)[返信]

失礼ながら、それは7月に行われる京の国宝展まで議論を持ち越すとのことでしょうか?--従六位上河内介会話2021年5月19日 (水) 15:04 (UTC)[返信]

ただでさえ伸ばし伸ばしで終わらなくなりかねないので、基本的に期間内で常設展や2020年度の文献を調べるのを優先すべきだと思います。国立博物館で刊行物がない、ということは無いと思いますよ。--遡雨祈胡会話2021年5月19日 (水) 15:09 (UTC)[返信]
  • 返信 遡雨祈胡さん、貴方が 2021年5月6日 (木) 20:24 (UTC)で述べられた『週刊日本刀』がWP:CIRCULARに抵触する可能性があるという指摘から、本件議論の確認作業で時間が掛かっているというが現在の状況です。そもそも貴方に「今調べているところで出せそうなめどが立っているかを教えてください。」という質問をしているにも係わらず、その回答すら得られておりません。「基本的に期間内で常設展や2020年度の文献を調べるのを優先すべき」と申されましても、当方としては優先順位が違いませんか?と思うところが正直なところです。提案の一つとして挙げていただいたのは大変ありがたく思いますが、まずは除外資料の掲載やWP:CIRCULARの定義付けではなく、まず、『週刊日本刀』及び『日本刀 神が宿る武器』のどの記述にWikipediaのどの記事が反映されているのか、またその記事の記述が上記2書籍および本記事にどれほど影響しているのか、根本的な争点についてご回答いただけませんか。--従六位上河内介会話2021年5月19日 (水) 23:48 (UTC)[返信]
  • 返信 また、「京博の刊行物で2020年度以降の本作を扱っているものを見れば、どういった名称で扱っているかが分かるのではないでしょうか。」と申されておりますが、仮に2020年度以降の京博刊行物を出されたとして、小夜左庵国吉という名称が京博刊行物に記載されていたという事実は(「小夜左庵国吉」という名称は誤謬でした、という記載がない限り)否定されるものではありません。また、ご自身の納得いく資料が出るまで、議論を延ばしたりやり方そのものを変えるのはWikipedia:カンバス#フォーラム・ショッピング的なやり方であり、好ましい態様であると言えますでしょうか。--従六位上河内介会話2021年5月20日 (木) 00:00 (UTC)[返信]
まず、井戸端を見ていただけませんか?--遡雨祈胡会話2021年5月20日 (木) 03:09 (UTC)[返信]
あと、検証自体は当方にしかできないことではないと思いますし、中立性の観点から他の方にも見ていただけたほうが確実だと思いますが、どなたか確認に参加いただける方はいらっしゃいませんか?--遡雨祈胡会話2021年5月20日 (木) 03:33 (UTC)[返信]
  • 返信 遡雨祈胡さん、私は井戸端の議論含め最初からご質問されていただいている根本的な争点についてまともに返答をいただいていないので、このようにお聞きしているのです。そもそもWP:CIRCULARに抵触するかもという話になれば、どの文献のどの記述が、Wikipediaのどの記事からどのように無検証で引っ張られているかというのは、周りの方からすれば当然の疑問として上がりますよね。そして、それは挙証責任として「WP:CIRCULARに抵触するかも」と指摘をした貴方が真っ先に説明する責任があります。にもかかわらず、本筋とは関係のない書籍やWP:CIRCULARの英語版との比較などで、一向に質問させていただいている事にお答えいただけないのは無責任な対応と指摘させても仕方ないことではないでしょうか。ましてや、自身が説明を行われてもいないのに「検証自体は当方にしかできないことではないと思いますし、中立性の観点から他の方にも見ていただけたほうが確実だと思いますが、どなたか確認に参加いただける方はいらっしゃいませんか?」と申されるのは筋違いではないでしょうか。
これ以上、小夜左庵国吉の議論とは直接関係ないことを述べるのもあまりに不毛ですので、5月27日 (木) 00:00 (UTC)までに回答いただけますか?--従六位上河内介会話2021年5月20日 (木) 14:17 (UTC)[返信]
B-5-1.確認して頂けますか。--遡雨祈胡会話2021年5月20日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
他の文献もまとめてチェックしているのは、同じ轍(ウィキペディアや個人サイトなど信頼性が気になる情報源がないか)を踏まないようにチェックしています。週刊日本刀の76号に関しては、配達の関係で先程配達されたばかりなので、これからチェックです。--遡雨祈胡会話2021年5月20日 (木) 14:28 (UTC)[返信]
こちらの議論で優先は「小夜左庵國吉」という呼称があるとされる刀の話なので、優先はその刀の下りなのかと思い、そちらを優先的に見ております。--遡雨祈胡会話2021年5月20日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
  • 返信 『他の文献もまとめてチェックしているのは、同じ轍(ウィキペディアや個人サイトなど信頼性が気になる情報源がないか)を踏まないようにチェックしています。』と申されておりますが、まずは元々の議論の対象となる週刊日本刀がWP:CIRCULARに抵触するかもしれないという件の挙証責任を未だ果たしていないにも関わらず、他の文献を逐一チェックしているのは優先順位が違いませんか。また、これら書籍は膨大な量になりますが、遡雨祈胡さんが満足いくその検証作業はいつ終わる見込みなのですか?大変失礼ながら、これらは議論を冗長化される行為にしか思えません。--従六位上河内介会話) 2021年5月20日 (木) 23:59 (UTC)一部修正--従六位上河内介会話2021年5月21日 (金) 00:00 (UTC)[返信]
  • wikipediaが参考にされた可能性がある本については『週刊日本刀』ではありませんでした。関係者の皆様まことに申し訳ありません。該当の本を購入したときにまだこの話題が続いていたら書名とページ数を書かせていただきます。従六位上河内介さん、ご指摘ありがとうございました。今後はノートに書き込むときも本記事の編集と同じく参考文献をすべて隣に置いて確認しながら書かせていただきます。
  • 従六位上河内介さんは2021年5月19日 (水) 14:17 (UTC)で『既に「京のかたな展」図録で本作について言及はされておりますし、』とコメントされていますが、この図録に小夜左庵国吉の名称がないことも自分は問題視しています。写真の隣にある解説部分・出品目録・英語部分にはこの号の紹介が無かったのですが、他の個所に書かれているのでしたらページ数を教えてください。
→『京都国立博物館だより203号に、小夜左庵国吉の写真と小夜左庵国吉の講演について記載されています』とありますが、2頁目の写真の表記は「重要文化財 太刀 銘 国吉」であり「小夜左庵国吉」の号は添えられていないようにみえます。前にも質問してご回答いただけなかったのですが、定員200名の講座のタイトルを最重視して、直近の展示で12万人の人々が本作を観賞した際に「小夜左庵国吉」の号が記載されていなかったことを無視されるのは何故なのでしょうか。この号が本当に一般化しているのでしたら、他の刀と同じように展示の際に号も併記されていると思うのですが。実物の展示で名札や解説に表記が無い号は、本当に認知度が高いのでしょうか。逆に言うと、実際の展示で実物の隣に「小夜左庵国吉」と書かれているのならば、過半数の信頼できる情報源に記載がない現状でも自分はこの記事名に賛成していました。
→公式で「小夜左庵国吉」が使用されている例は講座名の1件のみ、使用されていないことの方が多いです。公式以外の出典でも、循環ソース云々は考えないことにしても「小夜左庵国吉」は11件中4件のみ、2000年以降でも6件中3件だけです。現時点では改名し、京都国立博物館やその他の博物館でこの号の使用例が複数回重なったときに改めて小夜左庵国吉への改名を議論するべきだと考えます(これはノート:太閤左文字#改名提案で従六位上河内介さんが反対しなかった結論と同様のものです)。今の時期が号が有名になる過渡期なら、その流れに手を加えないようなおさら慎重になるべき案件であり、銘と号の併記が常態になるまで記事名とするのは避けるべきです。この主張がどうして「Wikipediaの側から積極的に判断を下す」と捉えられたのか、非常に困惑しています。
(従六位上河内介さんへのお返事)リストに挙げられた本をすべて購入するのは難しいので、色々な方法で本を集めたのですが、すべての本が任意のタイミングで閲覧、確認ができる訳ではありませんでした。時間的な制約もあるため、議論に参加されている方のご厚意に甘えてしまうことになり、申し訳ございませんが、閲覧できる情報や本を優先的に見た次第です。その件に関しましては、議論に参加されている方のご都合まで加味出来ず、誠に申し訳なく思っております。また、上記期間内で元々の議題に挙がっていた『神々~』について確認をすれば大丈夫かと思っておりました。誠に申し訳ございません。
過去の議論で途中まで見ていて見落としがあり「なぜあの時確認できたにも拘わらず見ていなかったんだ」という話になることもございました。当方もかなり後悔することが多かったので、できるだけ他の方に確認いただけるような状況にしつつ、手元に該当の号がない、という言い訳をするのはさすがに資料を用意してくださった皆様に申し訳が立たないので、集まるまでの間、とりあえず手元にある号を中心に出典の重複があると見込んで確認しておりました(実際にある程度重複がありました)。該当の号をお持ちの方にリストを出していただくよう依頼すればよかったかもしれませんが、自分の持っている号をリストに挙げた時正直きつかったので、これを他人に頼まれたとしてやってくれる人が居ないのではないかと思い、言い出せませんでした。--遡雨祈胡会話2021年5月21日 (金) 11:50 (UTC)[返信]
補足ですが、デアゴスティーニが信頼できる情報源と扱えるか否かが、一つ論点に挙がるのかなと思って、調査してます。--遡雨祈胡会話2021年5月21日 (金) 12:41 (UTC)[返信]
ごめんなさい、肝心の事を言うのを忘れました。調査に関しては、「期間いっぱいまでやれることをやる」というのが当方の基準です(期間があったのに何をしていたの、と言われるのが辛いので)。念のため、特別早めた方がいい事情がある方などいらしたら、教えて頂けますでしょうか。当方の認識ですと、いやしけよごとさんはできれば早く終わらせたい(結論がご自身の中で出ている)で、従六位上河内介さんは逆に期限を延ばしたい(今回の期間を決めた時の様子や、京博の展示の時に最初に期間の話をされたので)と思っていたのですが、認識は誤っておりますでしょうか。--遡雨祈胡会話) 2021年5月21日 (金) 11:59 (UTC)誤字修正。--遡雨祈胡会話2021年5月21日 (金) 12:05 (UTC)[返信]
五月雨に申し訳ございません。あと『デアゴスティーニ』の該当の号の記載で個人的に不安を感じているのは「誰が」や「どんな情報源において」その名前で呼ばれているか、の記載がないことです(Wikipedia:信頼できる情報源)。100選もそうですが、数だけで見ると決してマジョリティではなく、自治体などの団体がその名前を付けているわけでもなさそうなので、(個人的には)そこをぼかしたのかな、という風に見ております。--遡雨祈胡会話2021年5月21日 (金) 12:05 (UTC)[返信]
  • 自分は納得できるご意見を提示いただけるのでしたら「小夜左庵国吉」に断固として反対するつもりはありません。ただ何度か書いている通り、実物の展示の際に「小夜左庵国吉」と解説に明記されていることが最低条件だという考えは変わりませんが。それと仮に改名したとして、「佐藤寒山などはかつての所有者からこの刀を「小夜左庵国吉」と呼んだ」などの文章は、本文中に入れることに問題ないと考えています。
ただ期限を再度引き延ばされるのは社会的認知度への影響を考えると反対ですので、その時点で投票に移りたいとは考えています。あくまで改名について話しているため、循環ソース云々についてはそのたびに無視していることも言い添えています。
それと念のため、ノート:太閤左文字#改名提案の結論とは「社会的認知度が高い名称を使用し、新しい号については二次資料がある程度出揃った段階で仕切り直しで改名提案する」です。この場合、同時期に名付けられた「太閤左文字」がそれまでの展覧会でも常に号が記載されているのに「小夜左庵国吉」にはそういう実例が見当たらないため、「小夜左庵国吉」をこの結論でいう新しい号と捉えています。--いやしけよごと会話2021年5月21日 (金) 12:47 (UTC)[返信]
  • いやしけよごとさんへ取り急ぎご回答申し上げます。『前にも質問してご回答いただけなかったのですが、定員200名の講座のタイトルを最重視して、直近の展示で12万人の人々が本作を観賞した際に「小夜左庵国吉」の号が記載されていなかったことを無視されるのは何故なのでしょうか。』という点に回答が漏れていたようで申し訳ございません。その回答としては、信頼すべき情報源以外の判断要素として普及度は考慮する要素にならないと考えられます。まず、Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付けには『信頼できる情報源における観点の普及度を考慮し、ウィキペディアの編集者や一般の人々の間での普及度は考慮に入れないようにすることを心に留めてください。』とあり、普及度は考慮に入れないよう記述があります。また、上記の貴方のご指摘もあくまで独自研究になるかと思います。--以上の署名の無いコメントは、従六位上河内介会話投稿記録)さんが 2021年5月22日 (土) 00:23‎ (UTC)‎ に投稿したものです(いやしけよごと会話)による付記)。[返信]
すみません、長すぎてイマイチどこだったか上手く見つけられないのですが、一件返信します。「欲しい情報源が出るまで探し続けるのはガイドライン違反ではないか」という話を従六位上河内介さんはされておりましたが、正直欲しい情報源というよりは、講演会のタイトルが掲載された資料しか京博で「小夜左庵國(国)吉」の名前が使われていなかったという点から、そういう意図ではなく、京博の資料で最も新しい資料(と当方は認識しておりますが違ったらすみません)のウェブにしかない状態で、それ以外の図録などが「太刀 銘 国吉」を利用していたとの話だったので「それより後の最新の資料であれば呼び方の変化の有無が分かるのではないか」という意図で提案しました。誤解をお招きし申し訳ございません。それで、たまたまチャンスがあったので『学叢』41号を確認したのですが、埴輪などの研究が掲載されていて、刀に関する研究は見られませんでした。ただ、136頁に掲載されている項目「国内における調査研究」の中で、『特別展「京のかたな 匠のわざと雅の心」に関する調査研究』というものが掲載されていたので、今後こちらの研究結果が何かしらの形で公表されたものが確認できるようになる可能性はあると思います。また、「執筆物一覧」を見ていると美術館だよりである『なにわ』(大阪府警察)の掲載の中に「重要文化財 刀 銘山城国西陣住人埋忠明寿(花押)/慶長三年八月日他江不可渡之」(美術館だより316、京都国立博物館42 なにわ11月号)などがあるので、その中で掲載されている可能性はあると思います。--遡雨祈胡会話2021年5月22日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
  • 返信 返信が遅れておりまして申し訳ございません。いやしけよごとさんへ取り急ぎご回答申し上げます。『今の時期が号が有名になる過渡期なら、その流れに手を加えないようなおさら慎重になるべき案件であり、銘と号の併記が常態になるまで記事名とするのは避けるべきです。この主張がどうして「Wikipediaの側から積極的に判断を下す」と捉えられたのか、非常に困惑しています。』について、私見を申し上げますと、あくまで私は雑誌や書籍に記されている記述をもとに、Wikipediaの名付け方や慣例に倣って記事作成を行いました。しかし、いやしけよごと様の上記の文言を解釈すると、すべての指定文化財に構成に従って附される文化財名称と書籍に記されている名称を比較して、書籍に記されている名称が無名であるという推測のもとで、『銘と号の併記が常態になるまで記事名とするのは避けるべき』と積極的に判断を下していることにならないでしょうか。また、太閤左文字の際にへし切長谷部や妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリでの記事名を挙げて申し上げましたが、これらも文化財名称や収蔵館での呼称とは異なるものであり、現在のWikipediaの日本刀記事でも慣例として、文化財名称や収蔵館での呼称よりも通称としてよく呼称されている名称が優先されているようです。また、貴方が以前申されておりました『『週刊日本刀76号』に「太刀 銘 国吉(号 小夜左庵国吉)」京都国立博物館蔵と書かれ写真掲載もあり、同館の「画像利用申請の手続き」を考えると信頼できる情報源として扱うのに問題はないと考えられる。よって「小夜左庵国吉は京都国立博物館にある国吉の太刀と同一であり、出典もある」』とのことから、京博がノータッチでもないため、小夜左庵国吉の名称を強く否定される要素もないと思います。
あと、そもそも今回の改名提案は、京博所蔵の太刀=小夜左庵国吉の同一性が不明として、同一性が確認されるまで改名&小夜左庵国吉に関する記述の削除が議論の対象であり、既に上記2名より同一性については問題ないと述べられていることから改名提案の議論箇所の結論が出ておりますが、いかがでしょうか。--従六位上河内介会話2021年5月24日 (月) 16:15 (UTC)[返信]
同一性は問題ないと思います(いやしけよごとさんは以前同じことを仰っておりました)。ただし、記事名としてはこの議論を通して「小夜左庵国吉」が比較的マイナーな呼び名ではないかという話になっているように見受けられます。ガイドライン「Wikipedia:記事名の付け方」の基準の上で、確かに「簡潔」ではあると思います。ただし、「認知度が高い」「見つけやすい」という点で課題が残るということ(「曖昧でない」はそもそも国吉の太刀の現存数が少なく、また現時点で紀州徳川家や京都国立博物館で蒐集されている国吉の太刀が一作しか認知されていないという点で問題ないでしょう。重要文化財ならなおのこと希少なのは上に挙げたリストから分かると思われます。「首尾一貫している」は改名してもしなくとも現時点では他と同じ運用であるように見受けられます)と、方針「Wikipedia:中立的な観点」ではウィキペディアのコミュニティにおいて理解される「中立」を成し遂げようとする姿勢とは、さまざまな信頼できる情報源を注意深く、批判的に分析し、それらに含まれる情報を公平に、各観点の比重に応じて、可能な限り編集上の偏向なく読者に伝えることを意味します。ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありませんと記されております。資料の数からみて、マイナーな呼び名を付けるのはさすがに偏り過ぎている(論争の片方を支援しているように見られかねない)と当方は判断しております。--遡雨祈胡会話2021年5月24日 (月) 21:05 (UTC)[返信]
それから申し上げるのは大変心苦しいのですが、従六位上河内介さんにはもう少し資料の情報を適切にご記載頂きたいです。「仰っている名前が記載された情報源がある」と伺ったのはいいのですが、おそらく出典元を確認されていない(それを引用して注釈を入れた別のウェブサイトなどを参照されたのだろうと推測しているのですが)ことや、実は名前が記載されていないなどの話が度々見られます。悪意はないとは思うのですけれども、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの証拠の悪用と見られかねません。--遡雨祈胡会話2021年5月24日 (月) 21:12 (UTC)[返信]
  • 返信 遡雨祈胡さんにお答えいたします。2021年4月21日 (水) 14:57 (UTC)による記述で、同一性に関する参考資料としてご指摘のサイトから確認していた件については結果的に引用文献にその名称が無かったため申し訳ありませんでした。ただ、『原典を確認できておりませんが、』とあくまで原典を確認する前の情報提示として本件を述べさせていただいたものであり、それ以降は当該サイト以外の原典を確認されていただいていたかと思います。遡雨祈胡さんの『実は名前が記載されていないなどの話が度々見られます。』というのは私のどの言及でしょうか。--従六位上河内介会話2021年5月24日 (月) 23:41 (UTC)[返信]
  • 返信 また、方針「Wikipedia:中立的な観点」(WP:POVNAMING)の観点から申し上げると、事物や事象の命名に関しては、場合により、主題を表すために名称を選択して使用することによって、観点に偏りが見られるようになることがあります。一般的には中立的な用語を選択するのが望ましいですが、明瞭さとはバランスを取らなければなりません。とあり、今回の改名案で申し上げるとその明瞭さが著しく損なわれるものかと思います。--従六位上河内介会話2021年5月24日 (月) 23:59 (UTC)[返信]

従六位上河内介さん宛です。

①出典元を確認していない云々は上で自分もやらかしているのに指摘するのは躊躇われますが、具体例の提示を従六位上河内介さんご自身で依頼されたので書きますね。すぐに出てくるのは以下の三点です。(「出典を明記しておらず引用の基準を満たしていない写真を掲載しているサイトを根拠にしたこと」は、指摘したところすぐリンクを外されたので除外しています)
  • 本作長義のノート過去ログ1、2020年8月26日 (水) 14:58 (UTC)のコメントで「他にも磨上前の長さについて信頼できる出典元があるため」と書かれたのでそれらの提示を求めたところ、2020年8月29日 (土) 08:44 (UTC)に「一度その箇所は取り下げたうえで修正させていただきます」というお返事--いやしけよごとの発言(2021年5月25日 (火) 10:57 (UTC))、途中でコメントに割り込まれたため--いやしけよごと会話2021年5月26日 (水) 12:31 (UTC)[返信]

→(順を追って説明いたします。)本件は『刀剣探訪』及び飯田高遠堂のHPを出典として提示しましたが、信頼すべき情報源に当たらないという指摘があったため取り下げたものです。--以上の署名の無いコメントは、従六位上河内介会話投稿記録)さんが 2021年5月25日 (火) 23:06 (UTC)‎ に投稿したものです(いやしけよごと会話)による付記)。[返信]

→『10月28日 (水) 13:36 (UTC)の返信では、マスコミ(=信頼できる情報源となる2次情報源)が「太閤左文字」という名称を用いる典拠として、朝日新聞、NHK、そして刀剣画報編集部のTwitterアカウントで「太閤左文字」という表記が為されていることを示すために提示しました。なので、文脈からも2次情報源での使用例として提示したものであり、『小松安弘氏寄贈刀剣図録』の内容を提示することを目的として提示したものではございませんでした。特に刀剣画報編集部のTwitterアカウントでは、日本刀の専門雑誌である刀剣画報発信という有意性、また『小松安弘氏寄贈刀剣図録』という1次情報源をもとに述べていることから信頼性が高いと判断して上げました。元の情報源を引用することが望ましいのは確かですが、今回の出典も『独立した二次資料』の条件に当てはまっていると考えており妥当な出典提示だと考えております。』として、独立した二次資料を論拠に申し上げております。また、本件でいえば、私はじゅらく(聚楽)に名称変更したことを示す記述をお示しいただきたいとお願いした際に『どうして変えたかという件に関しては、明言されている資料を自分は持っていません。2019年の「小松安弘コレクション寄贈記念 日本の名刀」展で「今回から号を変更して展示することになった」というレポートならばtwitterと個人Blogで複数見かけましたが、情報源としては弱い上に理由は未記載でした。』として、貴方も同様のことを仰っております。--以上の署名の無いコメントは、従六位上河内介会話投稿記録)さんが 2021年5月25日 (火) 23:06 (UTC)‎ に投稿したものです(いやしけよごと会話)による付記)。[返信]

→出典と考えられる書籍は収蔵館が全国2館しかなく、古書としても非常に高額なものであったため、確認しようにも中々難しい背景があったのは当時議論に参加していた貴方もご承知のはずです。当方も出典を探していましたが、執筆の参考に使っていた自費出版以外の論拠が残念ながら見つからなかったために本件は『そのため、原典を確認できるまでは一旦要出典でお願いできればと思います。』として対応しております。

このように当時の行われた議論の背景を無視して発言の一部を切り抜いて露悪的にご指摘されるのは甚だ不愉快です。貴方が為さっていることは本件議論と直接関係ないことであり、これで議論で進行するならまだしも、過去の利用者のミスをあげつらう行為ととして個人攻撃的であるといえます。改名提案の議論を進めたいのか、それとも個人攻撃をしたいのか、もう少し冷静に議論いただきますようお願いいたします。--従六位上河内介会話2021年5月25日 (火) 23:06 (UTC)[返信]
前から述べておりますが、釈迦に説法で恐縮ですが皆様、「Wikipedia:論争の解決」にあるとおり、今回の議論のポイントを中心にお願い致します。個人の行動に関してはコメント依頼の方が適切でしょう(個人的にはそれなりに思うところはあるのですが、前述の理由により省略いたします)。
もし個人の中立性、という話から議論を展開するのであれば、敢えて従六位上河内介さんに「改名があった場合のメリットについて、考えを伺いたい」ですね。デメリットを中心に見ているのであれば、逆にそこの観点から展開できるメリットも存在するのではないかと思われますし、それによって従六位上河内介さんは第三者に中立を目指していることをある意味説明できるのではないか、とも考えます。
補記ですが、「Wikipedia:信頼できる情報源#優れた情報源を見つけるには、いくらか手間がいるかもしれない」というのもあるので、相互貸借など手段は色々とあると思います。このご時世ですと難しいですが、大学図書館も母校以外にも地元の方に開放しているところもあったと思われます。手間とお金はかかりますが(NDLサーチに引っかからない図書館など)、意外に手段はたくさんありますよ、とも記載しておきますね。--遡雨祈胡会話2021年5月26日 (水) 11:51 (UTC)[返信]
②この改名提案は2021年4月25日 (日) 13:50 (UTC)の自分の書き込みあたりから、「同一性の確認」に加えて「小夜左庵国吉はWP:CRITERIAを満たせるか」にも焦点が当たっています。実際 2021年4月26日 (月) 14:27 (UTC)や同一性を提示されてからの従六位上河内介さんの論調もそちらに寄っていたように読めます。それがWikipedia:中立的な観点#適当な重み付けにおいての「小夜左庵国吉」の問題点を指摘されたとたんに最初期まで議論を戻そうとすることは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに該当するように見えます。
再度お伺いします。Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付けに『信頼できる情報源における観点の普及度を考慮し』とあるのを根拠にするのでしたら、信頼できる情報源での使用例が「13件中4件のみ/2000年以降でも6件中3件」である「小夜左庵国吉」は当てはまらないはずですが、その点はどうお考えですか?
④井戸端の過去ログを引用し「小夜左庵国吉」という名称は検証可能性を満たしていないのではないかとも質問しましたが、そちらにもお答えいただけていないようです。それもあり、井戸端に「信頼できる情報源の半分以上や実際の展示で言及のない名称を記事名とするのは妥当か」という内容で節を作成しますね。
⑤従六位上河内介さんの「文化財名称と書籍に記されている名称を比較して、書籍に記されている名称が無名であるという推測のもとで」という指摘はまったくの的外れで、今回問題にしているのは何度も明言した通り信頼できる情報源における普及度です(実際の展示で「小夜左庵国吉」と書かれている場合は普及度に目をつぶるとは書きました)。以前にも別のノートでありましたが、推測やそちらが捻じ曲げた意見をもとにこちらを非難してくるのはやめていただけませんか?
  • 「私(従六位上河内介さん)は雑誌や書籍に記されている記述をもとに、Wikipediaの名付け方や慣例に倣って記事作成を行いました」(2021年5月24日 (月) 16:15 (UTC))とありますが、現状では従六位上河内介さんこそが「小夜左庵国吉」が正しいという結論ありきでしか議論をしていないように見えます。三大方針の一つWikipedia:検証可能性の「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書くべきです。」/三大方針二つ目のWikipedia:中立的な観点に「信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます」に対して本当に誠実なのでしょうか。「小夜左庵国吉」という名称は信頼できる情報源における普及度が少ないとは思いませんでしたか?
  • へし切長谷部妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリは表記揺れこそあれど信頼できる情報源における普及度は非常に高く、「小夜左庵国吉」と同様の例として提示するには不適切です。
  • 何度目かの繰り返しですが、信頼できる情報源における普及度を問題にしています。従六位上河内介さんは以前ノート:太閤左文字で「今後変化していく可能性を踏まえて先に現行の号に記事名を改めるのではなく、現行の号が一定メディアなどで浸透してきており、複数の出典から明記できる状態になってからでも遅くはないと考えています」(2020年11月4日 (水) 14:56 (UTC))と書いていますが、今回もそれと同じでしょう。「2000年以降でも6件中3件(うち1件は個人ブログも参考にしたムック本であり、所蔵館の図録などには記載がない)」を「一定メディアなどで浸透」と判断するのであれば、なぜ太閤左文字の改名提案にあれほど反対されたのでしょうか。態度に一貫性が見られず、正直非常に疑問です。
⑥「方針「Wikipedia:中立的な観点」(WP:POVNAMING)の観点から申し上げると、事物や事象の命名に関しては、場合により、主題を表すために名称を選択して使用することによって、観点に偏りが見られるようになることがあります。一般的には中立的な用語を選択するのが望ましいですが、明瞭さとはバランスを取らなければなりませんとあり、今回の改名案で申し上げるとその明瞭さが著しく損なわれるものかと思います。」(2021年5月24日 (月) 23:59 (UTC))と書かれていますが、自分は(信頼できる情報源での使用率が2割程度・文化庁監修や新聞社・所蔵館発行の書籍では未使用である)「小夜左庵国吉」こそが偏った観点に立った記事名だと判断しています。「小夜左庵国吉」のどこが中立的で明瞭な名称なのか、具体的に説明をお願いします。--いやしけよごと会話2021年5月25日 (火) 10:57 (UTC)[返信]
従六位上河内介さん、入り乱れでコメントで申し訳ないのですが、こちらも返信させて頂きますね。まず資料に関してはいやしけよごとさんが触れられた博物館だよりの件ですね。明瞭さについては、それこそこの議論で考えるべきポイントで、文化財の名称が必ずしも分かりにくいかというと、いきなり太刀というものの名前が出てくることや、製作者の名前が登場すること(これは小夜左庵国吉にも共通しますね)、あと(○○)で佩刀なり伝来なり所有なりを示すのは決して分かりにくいかというと、ある程度情報があるのでわかりやすいと見ることもできると思います(※刀すべてに当てはまるわけではないです。本作長義をフルネームで書くのは流石に冗長だと当方も思います)。つまり、刀をすべて同じ形で書こうとするのは結構厳しいのではないか(逆にすべての刀に号を付けるかというと、それも違うと思うのです)、だとしたらウィキペディアで判断を下すのは違うのではないか、というのが当方の考えです。--遡雨祈胡会話2021年5月25日 (火) 11:15 (UTC)[返信]
  • 報告ですが、2021年5月21日 (金) 11:33 (UTC)のコメントや先ほど書いた④の通り、Wikipedia:井戸端に「信頼できる情報源の半分以上や実際の展示で言及のない名称を記事名とするのはwikipedia全体のルールとして適切か」というタイトルで質問を投稿しました。--いやしけよごと会話2021年5月25日 (火) 12:14 (UTC)[返信]
  • すみません、取り急ぎお二人にお尋ねしたいのですが、他の人のコメントの途中にコメントを書くのは許されるのでしょうか。お二人とこちらの発言が入り混じって表示されているので、Help:ノートページ#投稿済のコメントの修正などにある「他の利用者のコメントを書き換えたりなどの改竄行為」に抵触されたように自分は感じますし、履歴を確認しなければ誰の発言かわからないのも不便ですので、今回は途中で切られた箇所の一連の発言には署名を補うためのテンプレートを追加いたします。次回からはご配慮ください。--いやしけよごと会話2021年5月26日 (水) 12:31 (UTC)[返信]
本来はやめたほうがいいでしょうね。仰る通り誰が発言しているかわからなくなりますし。今後は引用などを用いた方が確実でしょう(「○○~の節」など)。失礼いたしました。今後気を付けます。--遡雨祈胡会話2021年5月26日 (水) 12:36 (UTC)[返信]
  • いやしけよごと様にお伝えいたします。太閤左文字での改名提案に関して、私の発言を引用して主張の変節をご指摘いただいておりますが、そもそも太閤左文字が改名に至らなかったのは、①太閤左文字の改名では、号の変更ないしは追加ということで提起いただきましたが、号の変更ないしは追加されたとする根拠資料を求めたところ信頼すべき情報源が得られなかったこと、②改名後の名称を示す根拠として、提示された信頼すべき情報源である書籍が一件のみであり、これでは「じゅらく(太閤左文字)」「じゅらく左文字(太閤左文字)」「聚楽左文字亅いずれの名称が妥当か判断出来なかったこと、③「じゅらく」という名称が企業名と重複しており、曖昧さ回避の観点から懸念があったこと、これら3点が挙げられており、本件の改名提案とは性質が異なるものです。先般もお伝えいたしましたが、当時の議論背景を無視して故意・意図的問わず発言の一部を切り取って露悪的に表現するのはお止めください。--従六位上河内介会話2021年5月27日 (木) 23:48 (UTC)[返信]
  • 従六位上河内介さん、井戸端の件だと思うのでそれを前提にお返事します。そちらの主張が「小夜左庵国吉」と「太閤左文字」で逆ではないかという質問をこのページでしていますが、そちらにはご回答いただけていません。それに5/2や5/21に計3回ほど同様の指摘をしていますが、否定の言葉はありませんでした。それを踏まえて具体的な名前は出さずにそちらの発言を引用し、「今回と以前で主張が逆なので全体のルールを知りたい」と書いたのがどうして『露悪的に表現』ととられたのか、不思議です。
  • 要約だとまとめ方で揉めそうなので引用しましたが、引用基準的に問題でしたら(出典:ノート:太閤左文字 2020年11月4日 (水) 14:56 (UTC))という形で追記しますのでご指摘ください。
  • 「太閤左文字」について今回従六位上河内介さんが書かれたことにも一応反論しますね。 ①号の変更についてですが、こちらは「所蔵館のHP」「所蔵館発行の書籍」「第三者発行の書籍」を提示しています。『信頼すべき情報源が得られなかった』は従六位上河内介さんの認識不足であり、こちらが提示した資料を「信頼すべき情報源」と判断されないのでしたら「小夜左庵国吉」も同様のはずです。 ②「じゅらく(太閤左文字)」「じゅらく左文字(太閤左文字)」「聚楽左文字亅の表記揺れですが、まずは「太閤左文字」から変更するかの議論が優先されていたので、これらの名称のいずれを選ぶかについての話し合いは行われていません。 ③「じゅらく」という名称が「聚楽」という企業名と重複している件については2020年11月2日 (月) 11:35 (UTC)に回答しています。これ以上続けたいのでしたらあちらのノートへ移動しましょう。
  • それと1件、従六位上河内介さんが2021年5月25日 (火) 23:06 (UTC)に行ったこちらのコメントに途中の署名もなく複数回割り込む形のコメントは、他人の意見の改ざん行為に繋がりかねない行いです。あなたにレスを付けただけの遡雨祈胡さんから謝罪をいただいたのは恐縮なのですが、当の本人である従六位上河内介さんが無反応なのは正直に言って甚だ不誠実ではないですか。改名提案に関係ないのでこの件については蒸し返されない限りこれ以上書き込みませんが、再発防止にはつとめてください。--いやしけよごと会話2021年5月28日 (金) 12:18 (UTC)[返信]
  • 返信 いやしけよごと様におかれましては、上記に関してご気分を害されましたようで大変失礼いたしました。今後はそのようなことがないようにいたします。
あと、遡雨祈胡様よりお話がありましたので返答いたします。銘と号の話が井戸端で出たので言及させていただくと、刀剣ワールドの記事を引用すると「刀工は自分のどの作品にも同じ銘を入れることが多く、銘を聞いただけでは日本刀それぞれの区別が付きません。」と有るとおり、銘はあくまでブランド名や刀工のサイン名みたいなものであり、特定の日本刀を識別できる固有名詞にはなり得ないと考えています。殊に文化財名称も銘に従って名付けられますが、同名の文化財名称が何個も存在するケースもある(岡田切吉房の国宝指定時の文化財名称など)ため、特定の日本刀を識別する名称として銘が使えるのかは懐疑的です。また、『あと(○○)で佩刀なり伝来なり所有なりを示すのは決して分かりにくいかというと、ある程度情報があるのでわかりやすいと見ることもできると思います』とありますが、例えば現在の所有を記載するにしても上記で申し上げた通り、収蔵先変更や同じ銘の太刀が収蔵されるなど、小夜左庵国吉の変化に伴わない外因から名称変更せねばならないリスクがありますし、可能性が低いといえどんWikipedia:井戸端/subj/記事名は信頼できる情報源による検証可能性や独自研究を載せないを満たさなくてもよくなったのかでも『記事の改名に手続きが必要なので、将来的な改名の可能性が少ない方が良いという考え方も合理的です。同様に曖昧さ回避を行う上で一番労力が少ない方法を取るのも合理的です。』という指摘の通り、小夜左庵国吉の変化に伴わない外因から名称変更を余儀なくされるような名称は避けるべきだと考えています。
また、伝来をつける件についても、紀州徳川家伝来や、柴田政太郎旧蔵はご指摘されている小夜左庵国吉よりも更にマイナーなトピックであり、小夜左庵国吉の伝来をある程度把握してないとこの記事にたどり着けないような改名をすると本末転倒かと思います。んまた、「方針「Wikipedia:中立的な観点」(WP:POVNAMING)における明瞭さについて、『文化財の名称が必ずしも分かりにくいかというと、いきなり太刀というものの名前が出てくることや、製作者の名前が登場すること(これは小夜左庵国吉にも共通しますね)』と申されておりましたが、WP:POVNAMINGにおける明瞭さとは、物体の性質が明瞭に記事名から読み取れるかという論点ではなく、数ある日本刀の中から特定の日本刀だと把握出来る名称であるかが主眼であるといえます。改名案に挙げていただいている太刀(銘国吉)という表記については、"国吉という刀工が作った太刀"全てに当てはまる一般名詞的な呼称であり、国吉という刀工も複数存在しているため、結局どの国吉の太刀なのか分かりづらく抽象度が上がり明瞭さに欠くと思いますがいかがでしょうか。(あと、あくまで余談ではありますが、京都国立博物館所蔵で、銘国吉の短刀も存在するため改名案では紛らわしいと思います。)--従六位上河内介会話2021年5月29日 (土) 03:36 (UTC)[返信]
あくまで当方の考えですが、紀州徳川家や柴田家旧蔵なら将来的なリスクは少ないと思っております。死没した人物やなくなりそうな将軍家が日本刀を持つことはできないわけですし。また、「小夜左庵国吉」から辿り着く考え方と「京博の國吉の太刀」あるいは「国吉の太刀」みたいな感じでこちらにたどり着く方法が異なる可能性はあると思います(特に、京博が「小夜左庵国(國)吉」の名称を使わないが故に、小夜左庵で辿り着くかどうかは、名前の載っている文献の内どれかを一度でも開くか、ネットなどの情報で元々知っているかしないと厳しそうに見えます)。「WP:POVNAMINGにおける明瞭さとは、物体の性質が明瞭に記事名から読み取れるかという論点ではなく、数ある日本刀の中から特定の日本刀だと把握出来る名称であるかが主眼であるといえます。」というのは従六位上河内介さんの考えだと判断しております。特に、その出所が出典が危うい文献(Wikipediaを含んだもの、それ以外ではデアゴスティーニは新・日本名刀100選を明らかにベースに書いている(かつ、デアゴスティーニでは他の文献にはない、文化財としての名前と小夜左庵国吉を合体させて呼んでいる、新・日本名刀100選からの引用がデアゴスティーニでは見られる、外部的な要素ですが、デアゴスティーニでの参考文献では今剣が存在する日本刀として書かれているものもあった))が含まれるため、短いから分かり易いからでデアゴスティーニを根拠に使うのは当方は賛成できません。--遡雨祈胡会話2021年5月29日 (土) 07:28 (UTC)[返信]
余談ですが、×ディアゴスティーニ 〇デアゴスティーニでしたので自分のコメントを修正しましたが、もし自分のコメントが勝手にいじられた!など御座いましたらすみません。--遡雨祈胡会話2021年5月29日 (土) 07:28 (UTC)[返信]
  • 返信 『あくまで当方の考えですが、紀州徳川家や柴田家旧蔵なら将来的なリスクは少ないと思っております。死没した人物やなくなりそうな将軍家が日本刀を持つことはできないわけですし。』という点について申し上げますと、昨日の私の申したことは、『紀州徳川家伝来や、柴田政太郎旧蔵はご指摘されている小夜左庵国吉よりも更にマイナーなトピックであり、小夜左庵国吉の伝来をある程度把握してないとこの記事にたどり着けないような改名をすると本末転倒かと思います。』であり、細見した限り、マイナーだとご主張される小夜左庵国吉よりも、紀州徳川家や柴田政太郎の所持に関する記述は更に少ないのではないかと考えています。
また、「デアゴスティーニを根拠に使うのは当方は賛成できません。」について、指摘箇所を確認いたしましたら①Wikipediaを含んだもの⇛Wikipedia:井戸端/subj/「WP:CIRCULARに抵触している(可能性がある)書籍」を参考文献にあげている書籍もWP:CIRCULARに抵触している扱いとなるのかで小夜左庵国吉に関する記述についてはWikipediaの引用はなしと結論済、②デアゴスティーニは新・日本名刀100選を明らかにベースに書いている⇛新・日本名刀100選が参考文献として不適切であれば別ですが、参考文献にその名前を挙げており、かつ当該箇所で無検証・丸写しであるという証拠が挙がってない以上本件は問題ないのでは?、③デアゴスティーニでは他の文献にはない、文化財としての名前と小夜左庵国吉を合体させて呼んでいる⇛京都国立博物館での講演でも同様の記述があり、デアゴスティーニが創作したものとは断言できない。④デアゴスティーニでの参考文献では今剣が存在する日本刀として書かれているものもあった⇛『週刊日本刀』27号を指しているものかと思いますが、その記事をみると、"~といわれる。"、"三条小鍛冶宗近の作とつたえられている。"と伝聞として記述されているものかと思います。
仮にいずれの問題点があったとしても検証可能性については問題ないためご指摘には当たらないと思います。--従六位上河内介会話2021年5月29日 (土) 22:16 (UTC)[返信]
最初に申し訳ないのですが、とりあえずインデントはよほど数が多いのでなければ、上にあるものの一つ下にしていただけませんか。
どっちがマイナーか、については何を資料として見るか、のポイントが違うのかなという風に思っております。
ガイドライン『Wikipedia:信頼できる情報源』の基準を厳密に適用すると、上記に記載した中でこの基準を満たすものは実は『特別展京のかたな : 匠のわざと雅のこころ』の図録しかないのではないか(参考文献がまだ間に合ってなくてかけてなくてすみません)、と思っております(デアゴスティーニですと「もしある事実や主張が複数の情報源により個別に確認されているならば」「自身の情報の流れの中にある、観察に裏付けられた主張・仮定ではあるが非常に確度の高いものと、思惑や憶測の域を出ないもの・噂とを区別化しています。」「情報源が誰かをはっきりと表明する傾向にあります。なので、作者名の付いた引用は「匿名の情報源」よりも信頼できます。このことは特に、匿名の情報源が自身の関係者について語っているときにあてはまります。」あたりで引っかかるように見えております。『新・日本名刀100選』も前にも申し上げた通り「誰がその名前で呼んだのか」は書いてありません)。また、デアゴスティーニの参考文献で使っているものは作中で断言してしまっているので、使っている文献に信用がない、と当方は考えております。従六位上河内介さんの取り方ですと、「誰がそう呼んだ」と書いてないように見えております(出所を曖昧にしている)。
結局「小夜左庵国吉」を出しているところは出所が曖昧なところが当方は引っかかっており、また太刀 銘 国吉 > 小夜左庵国吉 (國)自体は比率的にも変わっていないので、今のところ太刀 銘 国吉の方がいいのかな、という考えです。--遡雨祈胡会話2021年5月30日 (日) 00:47 (UTC)[返信]
  • すみません、インシデントについては、以後気をつけます。また上記の『デアゴスティーニですと「もしある事実や主張が複数の情報源により個別に確認されているならば」「自身の情報の流れの中にある、観察に裏付けられた主張・仮定ではあるが非常に確度の高いものと、思惑や憶測の域を出ないもの・噂とを区別化しています。」「情報源が誰かをはっきりと表明する傾向にあります。なので、作者名の付いた引用は「匿名の情報源」よりも信頼できます。このことは特に、匿名の情報源が自身の関係者について語っているときにあてはまります。」あたりで引っかかるように見えております。』については、これはWikipedia:信頼できる情報源の”オンラインや自己公表された情報源の利用”での信頼性の評価ですよね。商業出版されているディアゴスティーニの評価として”オンラインや自己公表された情報源”を基準としたもので評価するのは不適切ではないでしょうか。
『『新・日本名刀100選』も前にも申し上げた通り「誰がその名前で呼んだのか」は書いてありません)。』については、『日本名刀100選』を再度確認しましたが、その記述の中で「刀匠銘果翁の愛蔵の一本に、もと紀州徳川家伝来の国吉の太刀があり、小夜左庵国吉と称して愛蔵していたが~」との記述があるため、誰がそう呼んだかと記載があるのでご指摘には当たらないと思います。また、ディアゴスティーニも検証可能性については問題ないことから、「出所が曖昧なところ」を論拠に号が否定されることはないのではないかと思っております。また、改名案に挙がっている太刀 銘 国吉では結局「"国吉という刀工が作った太刀"全てに当てはまる一般名詞的な呼称であり、国吉という刀工も複数存在しているため、結局どの国吉の太刀なのか分かりづらく抽象度が上がり明瞭さに欠く」という点では問題が解消しておりませんし、曖昧さ回避では「マイナーだとご主張される小夜左庵国吉よりも、紀州徳川家や柴田政太郎の所持に関する記述は更に少ない」という課題も解消しておりません。--従六位上河内介会話2021年6月1日 (火) 15:30 (UTC)[返信]
すみません、多分たまたま変換ミスだとは思うのですが、インデントです。
単純な数で言うと、実は小夜左庵国吉の数と柴田家が旧蔵していたという出典は同じくらいあるように見られます(紀州徳川家に関しては逆に参考文献が掲載されていない日本名刀100選しかなかったのでこれはよろしくなさそうですね。それを素直に参照するかどうか、という話にもなりますし)。官報(昭和27年12月16日)もそうですし、日本名刀100選もそうですし、「懐かしい人々」『日本刀全集月報』1967年4月(第6号)もそうですし(今回除外する『日本刀 神が宿る武器』もありましたね)。そもそも何と比べて見分けづらいか、という話なんですけど、「短」刀と「太」刀を間違えるなら冒頭一字から記事を読んでないことになりますし、デアゴスティーニでも記載のあった通り、国吉は「刀の残っている数が少ない刀工」で、重要文化財になっている太刀が二本(うち一本の所蔵館は所蔵品に関しては刀と呼んでいる)しかなく、他はすべて短刀や剣で、重要美術品には一つも太刀や刀がない点を考えると、『「"国吉という刀工が作った太刀"全てに当てはまる一般名詞的な呼称であり、国吉という刀工も複数存在しているため、結局どの国吉の太刀なのか分かりづらく抽象度が上がり明瞭さに欠く」という点では問題が解消しておりませんし、曖昧さ回避では「マイナーだとご主張される小夜左庵国吉よりも、紀州徳川家や柴田政太郎の所持に関する記述は更に少ない」という課題も解消しておりません。』は疑問が残ります。また「今後見つかるかもしれないから」を適用しすぎるとWP:FUTUREの範囲に入りそうだな、という点は危惧しております。
「どの情報源についても、」というのが文の冒頭にありますが、書籍でもそれは基本的に変わらないと当方は思っております。デアゴスティーニは「誰がどこを書いているか明記していない」という点も加味すのであれば、なおのこと当方は気にしてます。あと気にしているのは「一般的な公開物は、歴史を小説や映画、テレビ番組、さまざまな場所のツアーガイドから得ています。こうした情報源は噂やゴシップに満ちており、嘘だったり大げさだったりします。彼らは、著名な名前が英雄的な役割を演じるバラ色の歴史を表そうとしがちです。」の下りは、気にした方がいいのかなと思ってます(別の箇所でより学術的なソースを持ってこいみたいな文面がありますし)。さすがに合作とかではないとは思いますが……。--遡雨祈胡会話2021年6月2日 (水) 15:07 (UTC)[返信]
あというのであれば、名物の場合は「名物」の通り、数百年単位の使用期間で熟成されてきた名前がで大概あるんですよね。--遡雨祈胡会話2021年6月2日 (水) 15:10 (UTC)[返信]
  • (インデント戻します)『実は小夜左庵国吉の数と柴田家が旧蔵していたという出典は同じくらいあるように見られます』という点についてお答えいたします。官報(昭和27年12月16日)でいえば、『官報(昭和27年12月16日)の柴田果の内容は(おそらく親族だとは思われるが)直接的に示すものはないため×に変更(独自研究なのですが、柴田家はあの辺りでは地主だったため、本家分家などの構造も複雑だと思われる)。--遡雨祈胡(会話) 2021年5月1日 (土) 12:00 (UTC)』、『従六位上河内介さん、官報の該当の日付に柴田政太郎の件は掲載されていないと思うのですが、そちらもし掲載されていなければ除去をお願いいたします。あくまで書籍などに掲載されている内容の照らし合わせがしたいので。--遡雨祈胡(会話) 2021年5月1日 (土) 23:28 (UTC)』として柴田政太郎所持か柴田政太郎が属していた本家の持ち物かも解らないとして否定的だったかと思います。
また、貴方は『(柴田政太郎はWikipediaの特筆性はあるレベルではあると思いますが、やったことの派手さを加味したとしてもザックリとらえるならあくまで秋田県の一つの町のお金持ちととらえるのが妥当だと思います。刀の界隈なら明治天皇や両山や本阿弥光洲や栗原彦三郎の方が知名度がある、といえるでしょうし(記事を書いた人間からすると、そうでもないと資料を調べるにももう少し手軽に集まったのではないか、と考えております)、柴田に影響を受けた人物がものすごい知名度を誇るなどならまだしも、そういった点も現時点では見受けられない)です。』として、柴田政太郎の認知度についても否定的であったかと思います。
また、もっと言えば大前提として『単純な数で言うと、実は小夜左庵国吉の数と柴田家が旧蔵していたという出典は同じくらいあるように見られます』とのことでしたが、仮に出典が同数程度ならそれならば簡潔さや曖昧さ回避の必要の無い小夜左庵国吉の名称を優先するのが普通ではないでしょうか。
あと、私は議論の当初からずっと申し上げておりますが、太刀(銘国吉)という名称には、"国吉という刀工が作った太刀"全てに当てはまる一般名詞的な呼称であり、国吉という刀工も延寿国吉もいれば宇多国吉もいますし、法城寺国吉なども複数存在しており、いずれの刀工も国吉と銘を切るのですから、これら刀工が作った太刀も(個別の号がついていない限り)どれも太刀(銘国吉)と呼称されます。その銘だけでは、宇多派なのか、延寿派なのか、それとも粟田口派なのか判断できませんよね。ですから、抽象度が上がり明瞭さに欠くと主張させていただいております。
貴方が反論としてご指摘されたのはあくまで粟田口国吉の刀に関する重複可能性が少ないという指摘であり、仰っていることのは理解できます。(ただし、重要文化財に指定されている国吉銘太刀は刀剣博物館及び大山祇神社にも収蔵されていると先般指摘いたしました。)ただ、上記の課題については太刀(銘国吉)という名称では解消しませんし、号とはそもそも他の太刀と区別するために呼称される名称なのですから見つけやすさでいえば小夜左庵国吉の方が適切かと思います。
あと、ついでに言うならば『あというのであれば、名物の場合は「名物」の通り、数百年単位の使用期間で熟成されてきた名前がで大概あるんですよね。』について申し上げますと、貴方のご指摘は名物号と一般の号が混合しているものと思われます。そもそも名物号は、数ある号のうち享保名物をはじめ有力大名から御家名物として扱われた日本刀の号のことを指すものであり、今回の号・小夜左庵国吉とは論点が異なるものです。また、名物号でなければ、日本刀の号として認められないという流れになってしまうと、一例を出せば布袋国広も名物号ではないため名称として不適切であるという扱いになってしまいます。--従六位上河内介会話2021年6月3日 (木) 14:17 (UTC)[返信]
  • すみません、上記で『(今回除外する『日本刀 神が宿る武器』もありましたね)』との記述がありましたが、この書籍を除外するという話はありましたでしょうか。少なくとも以前の井戸端で『少なくとも小夜左庵國吉に関しては、CIRCULAR抵触の恐れは低い』という検証結果が出てたかと思います。貴方が個人的に疑わしい点があったとしても、少なくとも当該名称に関する記述は懸念点はないわけですし、除外する理由はないと思います。
  • 『「どの情報源についても、」というのが文の冒頭にありますが、書籍でもそれは基本的に変わらないと当方は思っております。』について、「どの情報源についても、」という記述があるのはWikipedia:信頼できる情報源に”オンラインや自己公表された情報源の利用”で挙げられている箇条書きのところですよね。貴方の言い回しであれば”オンラインや自己公表された情報源の利用”節の文冒頭かのような表現に受け取られますが、「どの情報源についても、」という表記は、箇条書き内の文に掛かる表記ではないでしょうか。また、いずれにせよ書籍に関する信頼性の評価を”オンラインや自己公表された情報源の利用”における評価基準で優先的に諮る道理はないと思います。『あと気にしているのは「一般的な公開物は、歴史を小説や映画、テレビ番組、さまざまな場所のツアーガイドから得ています。こうした情報源は噂やゴシップに満ちており、嘘だったり大げさだったりします。彼らは、著名な名前が英雄的な役割を演じるバラ色の歴史を表そうとしがちです。」の下りは、気にした方がいいのかなと思ってます』について申し上げますと、今回の『週刊日本刀』については歴史を小説や映画、テレビ番組、さまざまな場所のツアーガイドから得ておりませんのでご懸念には当たらないと思います。--従六位上河内介会話2021年6月4日 (金) 15:45 (UTC)[返信]
すみません、個人的都合で返答がかなり遅くなりそうなので返せるタイミングで返答します。ご迷惑をおかけします。結論から申しますと、このままでいいです。以上、連絡まで。--遡雨祈胡会話2021年6月6日 (日) 12:54 (UTC)[返信]
  • 上にある「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」なら、この記事名がどの刀を指すか同定は容易です。ほかの国立博物館に移動する例は所蔵数に比して圧倒的少数のようですし、いざ所蔵館が変更になった場合はプレスリリースが出るようなので、それを根拠に再度改名提案を出せばいいだけでしょう。それを避けたいのなら「太刀 銘国吉 ((国立文化財機構所有)」にすれば他の国吉の太刀と被りません。ただわかりやすさが減るので自分は京博蔵を推します。
  • 流派についてはテンプレートを見ればすぐわかるので記事名でそこまで判断させる必要はないのではありませんか? 物品の特定と検証可能性の両者を満たすのは「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」だと自分は考えています。
  • 『日本刀 神が宿る武器』については、参考サイト群がWP:V#OSWikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価に引っかかるので個人的には信頼できる情報源としては扱いません。ただここで数に入れたとしても、Wikipedia:中立的な観点#適当な重み付けに『信頼できる情報源における観点の普及度を考慮し』とあるので2割程度の「小夜左庵国吉」を選ぶにはまだ数が足らないように思います。信頼性の評価がより高いとされる資料ではまだ「小夜左庵国吉」の号の併記がされていないことも大きいです。
  • 布袋国広を提示されましたが、Wikipediaのルール的には号の歴史よりも信頼できる情報源での普及度の方が重要です。布袋国広の記事名を疑問に思うのでしたら資料を揃えたうえで該当ページのノートで問題提起をお願いします。
  • ところでもうすぐ投票日ですが、2021年5月25日 (火) 10:57 (UTC)に従六位上河内介さんへ向けた質問②~⑥へのご回答はまだでしょうか?
  • 遡雨祈胡さん、今回のコメントの意味がよくわからないので、主語述語をわかりやすく書いてください。よろしくお願いします。--いやしけよごと会話2021年6月6日 (日) 13:18 (UTC)[返信]
当方が大きくはないんですが怪我をしまして、普通に過ごしていても多少滞りがあるので程度なのであまり負荷を掛けたくなく、長文を書いて従六位上河内介さんへの返答が期間内にできるかどうか怪しいという感じです。--遡雨祈胡会話2021年6月6日 (日) 14:31 (UTC)[返信]
問い合わせに対する回答のコメントを何とか期間内に返さないと不誠実だと思うので、それなら投票どうするか、という感じです。--遡雨祈胡会話2021年6月6日 (日) 14:37 (UTC)[返信]
  • (インデント戻します。)[利用者:遡雨祈胡|遡雨祈胡]]さん、お怪我をされたとのことで心よりお見舞い申し上げます。今はどうぞゆっくりご静養下さいませ。また、一点ご確認ですが、貴方が仰った『そのままでいいです』は、結局『(今回は改名をせずに)そのままでいいです』ということでしょうか。--従六位上河内介会話2021年6月6日 (日) 23:50 (UTC)[返信]
  • 遡雨祈胡さん、一日も早い回復をお祈り申し上げます。
ここまで意見が平行線のまま明日が期日であり、投票は避けえないというのが私見です。よろしければ今回のWikipedia:合意形成へ向けた改名提案の投票の作業は自分が行いましょうか? 一応、現時点での案になります。
投票の主題:「小夜左庵国吉」の改名提案
投票場所:ノート:小夜左庵国吉#改名提案追記
投票に先立つ議論:ノート:小夜左庵国吉#太刀 (銘国吉)への改名提案 / Wikipedia:井戸端/subj/信頼できる情報源の半分以上や実際の展示で言及のない名称を記事名とするのはwikipedia全体のルールとして適切か (参考文献に関する井戸端は直接は関係ないので載せていませんが、必要でしたら記載します)
投票者の資格:(調査投票の開始日時、6/19?)の時点で初投稿から1ヶ月以上、編集回数が50回以上のログインユーザー。多重アカウントによる投票は禁止とする。
投票期間:6/12に告知をして、6/19~6/30ではどうでしょうか?
投票のルール:①1人1票までで、投票期間外の投票は無効とする。②選択肢は「小夜左庵国吉」「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」「太刀 銘 国吉 (柴田家旧蔵)」の三つ。(「太刀 銘国吉」の後に来る括弧の中身に関しては、投票前に議論を詰めて「小夜左庵国吉」との二択にする方がいいと考えています。もし遡雨祈胡さんの参加が難しいようでしたら、京博蔵にして大丈夫でしょうか?)③結果は最多得票のものを採用する。④コメントは誰でも可能。⑤得票数が同じの場合は期日を延ばす。
投票のコメント欄上部に選択肢の理由を書けば、投票に来ていただいた方にも主張がわかりやすいと思います。たとえば私が主張する「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」の場合だと、「1.「小夜左庵国吉」は信頼できる情報源の2割ほどにしか記載のない名称であり、信頼度のより高い資料では採用されていない」「2.「太刀 銘国吉 (京都国立博物館蔵)」は信頼できる情報源のすべてで採用されている名称に、所蔵館名を付けて見つけやすくした」などでしょうか、文面はまだこれから練り直しますが。--いやしけよごと会話2021年6月7日 (月) 11:40 (UTC)[返信]
お二人ともご迷惑をお掛けします。今日一日回復に専念して幾分かマシになりました。というか意見が二転三転して申し訳ないのですが、届いた文献+1します。『(今回は改名をせずに)そのままでいいです』という風に考えていたのですが、今回の文献の情報を踏まえると状況が微妙に変わるように見えますので、あとはできるだけ早急な返事に専念するのと(五月雨になったらすみません)、本を一先ず追加します。--遡雨祈胡会話2021年6月7日 (月) 12:30 (UTC)[返信]
遡雨祈胡さん。お怪我をされている方にすみませんが、三人が参加して議論している内容を「このままでいいです」と一方的に投げるのはさすがに失礼ではありませんか。でしたら改名提案とそれによるコメント依頼なぞ出さずに、お二人だけで話していれば良かったのです。
従六位上河内介さんもこちらの質問を10日以上放置されていますし、お二方とも私と話し合いをされるつもりはないようですので、この議題から自分は撤退します。--いやしけよごと会話2021年6月7日 (月) 14:30 (UTC)[返信]
すみません、投げやりになってしまったのは申し訳ないです。期限があらかじめ決まっていて、既に一度伸ばしている人間がまた延長を申し出るのはよくない(加えて議論と関係のない個人の都合で)と考え、こういった形での返答となってしまいました。また、いやしけよごとさんが井戸端以降特に参加されている様子もなかったので、継続の意志がなくなってしまったと誤解してしまいました。申し訳ございません--遡雨祈胡会話2021年6月7日 (月) 14:54 (UTC)[返信]
  • (インデント戻します) いやしけよごとさんから来ました質問事項返答についてお話しますと、こちら質問事項に返答しようとした際にいやしけよごとさんが井戸端を立項されて、そちらに質問事項に関する議論が為されていたこともあり、②~⑥にかかる大体のご返事を井戸端へ回答させていただいているつもりでした。また、遡雨祈胡さんと同じく井戸端での議論以降このノートでの議論にご参加いただいていないようでしたので、いやしけよごとさんから来ました質問事項については解消した上で議論から撤退されているものかと考えておりました。本件に関する議論からは撤退されるとのことで、これまで議論にご参画いただきましてありがとうございました。
あと、遡雨祈胡さんにおかれましては快方に向かっているとのことで何よりです。ただ、こちらからも一言申し上げますと、いやしけよごとさんのご指摘にもありましたが、議論を提起されたご本人が、一方的にその議論を投げるような真似はあまりに失礼ではないでしょうか。急なお怪我とのことで身体的にもご負担があったことは重々承知しておりますが、その上自説に有利な記述が見つかったら次の日には議論に復活するということで、議論への態度が二転三転しており一貫性に欠く対応であると指摘されても仕方ないことかと思います。
貴方の一連の対応を受けて、こちらとしても気持ちの整理をつけるために、返答まで間を置かせていただきましたが、遡雨祈胡さんにおかれましては商業出版されている書籍における信頼性の評価としてWikipedia:信頼できる情報源の”オンラインや自己公表された情報源”を基準としたもので評価されていた点や、WP:CIRCULARにおいて関係する井戸端の議論なども調べられないまま一方的にWP:CIRCULARに該当すると指摘される点もWikipedia:規則の悪用にあたる行為ではないかと考えております。(今回の議論辞める・辞めないも含めて)ご自身の主張を有利に進めるために議論を引っ搔きまわすのは、周りの方に失礼ではないでしょうか。これ以上、同様のことが起こるようであれば、あまりに無駄な行為ですので本件議論について終了宣告させていただけないでしょうか。以上、よろしくお願いいたします。--従六位上河内介会話2021年6月12日 (土) 05:07 (UTC)[返信]
とりあえず終了はしますが、議論の返事早めに打つようにはします。『神が宿る武器』はWikipediaを参考文献に挙げている他、そもそも他の参考文献で掲載されていない情報を参照できるのが『新・日本名刀100選』しかないのに、そのタイトルすら誤っていて(佐藤寒山『真・日本刀100選』秋田書店、と記載されております)修正もないため信頼できる情報源として扱うには無理がある(架空の文献をソースにしていると取られかねない[2][3][4]、まだほかの文献を出す方がだいぶマシ)と判断しております(一つの要素ならまだしも、怪しい要素が複数あるのなら使わないほうがいい)。怪我が切っ掛けでしばらく編集できる状況でもないため、本件は終了で大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました。--遡雨祈胡会話) 2021年6月13日 (日) 12:21 (UTC)補記。--遡雨祈胡会話) 2021年6月13日 (日) 12:23 (UTC)文献検索結果+3--遡雨祈胡会話2021年6月13日 (日) 12:35 (UTC)[返信]
あと、返答はいたしませんが、参考までに従六位上河内介さんのいやしけよごとさんのお問い合わせに関する返答は伺いたいです。当方もこちらで頂いた問い合わせは対話拒否ととられるのも宜しくないので返答いたします。--遡雨祈胡会話2021年6月13日 (日) 12:26 (UTC)[返信]
それから、「WP:CIRCULARにおいて関係する井戸端の議論なども調べられないまま一方的にWP:CIRCULARに該当すると指摘される点もWikipedia:規則の悪用にあたる行為ではないかと考えております」に関しては当方の調査不足です。申し訳ございません。ただ、デアゴスティーニは参考文献欄だけでも、古い号で誤っていた箇所を新しい号で(当方が見逃しているだけかもしれません。もしそうであればご指摘ください)何も言わずに誤字を直しているところが上の参考文献リストをご確認いただけますと分かるかと存じます。--遡雨祈胡会話) 2021年6月13日 (日) 12:49 (UTC)また、参考文献リストの「前田稔靖『古今刀剣物語』太陽社」の箇所は太陽社だと同名の別企業となってしまうとみられ、書籍の名称で検索するとおそらく大洋社という企業になると思われます。そういった文献を信頼できる情報源として提供するのは、別の文献の方が確実性があるように見えております。--遡雨祈胡会話2021年6月13日 (日) 13:04 (UTC)[返信]
  • 終了 お世話になります。本件改名提案について終了の意思表示が確認されましたので、Wikipedia:改名提案における議論終了の条件「参加者によって議論終了の合意が形成された場合。」に該当するとみなし、本件は改名を行わないとして終了させていただきます。(本件ご指摘に関しては後ほどご返答させていただきます。)--従六位上河内介会話2021年6月13日 (日) 13:22 (UTC)[返信]

改名提案追記[編集]

  • 改名提案については既に議論終了しておりますが、追加で質問いただいておりましたので回答させていただきます。
参考文献に挙げられている書籍の名称や出版社名に誤植がある点について言えば、参考文献の項目で誤植があることを理由に直ちに信頼すべき情報源として扱えないということはないと考えられます。そもそも問題とする論拠として『架空の文献をソースにしていると取られかねない』とありますが、本件は架空の文献でもございませんし、一字違いであるだけであり、上記議論でも正しい書籍名に読み替えて進行していたかと思います。誤植が著しく参考文献がどの文献から引用したものか分からない場合やそもそもそのような書籍が存在しなかったなどあればそれは問題となりますが、本件は充分どの書籍を指しているか確認が取れますので、検証可能性の観点からも問題ないかと思います。
また、いやしけよごとさんのお問い合わせに関する返答ついては、上記に繰り返しとなりますが、井戸端で言及しております。そちらをご確認いただきますようお願いいたします。--従六位上河内介会話2021年6月14日 (月) 23:50 (UTC)[返信]
すみません、場所をどうするか悩んだのですがここで。
『実は小夜左庵国吉の数と柴田家が旧蔵していたという出典は同じくらいあるように見られます』のくだりですが、柴田政太郎と特定しないために柴田家旧蔵にしようとも思ったのですが、そもそもこの話は欠陥があって秋田の柴田さんって結構な数がいらっしゃって羽後で絞っても厳しいのです。そのことから、ちょっとこれは無理がありますね。
文献が不安が残るのがかなり多い(不安のない文献を優先すべき)、というのは上に述べた通りですので、それはそのままですね。
国吉のバリエーションで不安が残るなら、具体的な刀の例を挙げた方がより良かったように当方には見えます。
あとは、国吉の太刀がどの程度特筆性を持つものがあるか、というのは検討しても良かった気がします。
布袋国広の改名は、もし従六位上河内介さんがやるべきと思うのであればそちらの記事でぜひお願いします(当方の持ち物ではありませんし、確実性に不安が残るのは分かるので)。一応自治体が呼んでいる名前なので出典の数や記載に関しては問題がないと個人的にはみておりますが、それならそれで歓迎します。--遡雨祈胡会話) 2021年6月17日 (木) 11:25 (UTC)補記。--遡雨祈胡会話2021年6月17日 (木) 11:31 (UTC)[返信]
いやしけよごとさんへ、お時間いただきましてありがとうございました。投票に関しては当方の個人的な事情とハンドリングできなくなってしまったこともあってなくなったため、今返してもどうにもならないと思われるので、返答は割愛します。ただ実施したところで、当方の見る限り三票がそれぞれ別に入るため、現時点では現状維持になってしまう可能性が高いですし、意図して特定のところに票を集めるとそれ自体が投票のルール違反になると思っております。
コメント依頼に出した意図としては二つあって、閉鎖的な環境で話していること自体がよろしくないですし(提案中のものですが、触れておく必要があると考えて出しておきます。集団で特定の観点を強調した編集を実施したものは過去にWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/TEAMFのようなケースもありました)、二人で話していることが的外れになってしまう可能性もあったため、少なくとも第三者に見える位置で話す意図でやっております。こういう形で我々の議論の中身も他の方にご確認いただけるようになっている、ということもありますので。一方で当方の事情で振り回してしまったため、そこに関しては申し訳なく思ってます。議論自体は、その過程で得たものがかなりあったと思っております。--遡雨祈胡会話2021年7月11日 (日) 12:18 (UTC)[返信]