岡田切吉房

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岡田切吉房
岡田切吉房:
指定情報
種別 国宝
名称 太刀 銘吉房
基本情報
種類 太刀
時代 鎌倉時代中期
刀工 吉房
刀派 福岡一文字
全長 87.28 cm(刃長+茎長)[1]
刃長 69.08 cm[1]
反り 1.97 cm(刀身反)、0.15 cm(茎反)[1]
先幅 2.3 cm[1]
元幅 3.09 cm[1]
先重 0.61 cm[1]
元重 0.79 cm[1]
所蔵 東京国立博物館東京都台東区
所有 国立文化財機構
番号 F-141[2]

岡田切吉房(おかだぎりよしふさ)は、鎌倉時代に作られた日本刀太刀)。日本の国宝に指定されており、東京都台東区にある東京国立博物館が所蔵する。国宝指定名称は「太刀 銘吉房」[3][注釈 1]。「太刀 銘吉房」の名称で国宝に指定されているものは、本太刀のほかに4口あり[4]、東京国立博物館も本太刀以外にもう1口の国宝「太刀 銘吉房」を所蔵している[3]。国宝指定名称には「岡田切」の文言はないが、e国宝やColBase(国立博物館所蔵品統合検索システム)では「太刀 銘吉房(号岡田切)」のように、号を併記する形で表記されている[5][6]

概要[編集]

福岡一文字派の刀工吉房によって鎌倉時代中期(13世紀)に作られた太刀で、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いの際、羽柴秀吉との内通の疑いで、織田信雄が家老の岡田助三郎重孝を斬ったことが号の由来である[7][8][注釈 2]

益田孝から明治天皇に献上された旧御物[9]、現在は東京国立博物館が所蔵している[7]。1949年(昭和24年)2月18日に当時の国宝保存法に基づき旧国宝に指定され[10][3]、1955年(昭和30年)2月2日には文化財保護法に基づく国宝に指定された[3][11]

2019年7月3日~2019年10月6日の期間、東京国立博物館の「TNM & TOPPAN ミュージアムシアター」では「VR刀剣 三日月宗近 岡田切吉房」が上映され[12]、高精細VR技術で刀剣を詳細に鑑賞する試みがなされた。

刀身説明[編集]

刀姿[編集]

刃長69.1センチメートル[7]、反り2.1センチメートル[7]、元幅3.1センチメートル[注釈 3]、先幅2.4センチメートル、鋒長3.5センチメートル、茎長18.2センチメートル。切先は猪首鋒で身幅広く[11]、磨り上げながら豪壮で[7]、やや反り高な太刀姿である[11]。造込(刀剣の形状)は鎬造りで[11]、棟(刀身の背の部分)の形状は三角形のように尖っている庵棟[11]。表裏に丸い棒樋を掻き流している。

茎は磨り上げで銘「吉房」は茎尻間際の場所にある[1]。目釘穴は二つ、鑢目は勝手下がり、先の浅い栗尻[1]

刀剣用語の補足説明

本文で使用されている刀剣用語について補足する。

  • 「猪首鋒」(いくびきっさき)とは、身幅が広く、元幅と先幅の差が小さいのに切先の長さが詰まっていて、猪の首のように見え豪壮な形状の切先である。鎌倉中期の太刀の特色の一つ[13]
  • 「鎬造り(しのぎづくり)」とは、刀身の中程に鎬筋を作り、横手筋を付けて峰部分を形成した、日本刀の典型的姿ともいえる形[14]日本刀#鋼の組合せにある画像を参照のこと。
  • 「庵棟」(いおりむね)とは、刀身の背の部分の断面形が三角形のように尖っていること[13]
  • 「樋」(ひ)とは、刀身に沿って彫られた溝で、棒樋とはそれが一本で太目のもの。腰樋は腰付近から刀身の中央付近まで彫られた溝である。重量の軽減と、刃筋方向に加わる力を吸収して曲がりにくくすることが目的[15]
  • 「掻き流し」とは、樋が(刀身の全長にわたって彫られず)途中まで彫られているもの[16]

地鉄・刃文[編集]

地鉄は小板目肌よくつみ、地沸つき、乱れ映り立つ[1][7]

刃文は袋丁子に重花丁子に山形の互の目を交え[7]、足・葉しきりに入り[7][1][11]、匂い深く[1][7]、小沸つく[1][7]

帽子(切先部分の刃文)は大きく乱れこみ[1][7][11]、表は小丸こころ・裏は尖りごころで[1]わずかに返る[7]

刀剣用語の補足説明

本文で使用されている刀剣用語について補足する。

  • 「板目」とは、地鉄(刀身の焼きの入っていない部分)の折り返し鍛錬(日本刀#質の高い鋼の作成)により現れた鍛え肌と呼ばれる肌合いや模様の分類の一種で、木材の板目のように見える模様のこと。小板目はその模様が細かく入り組んでいる[15]
  • 「地沸」(じにえ)とは、焼き入れによって地鉄に生まれる、銀砂子を蒔いたように光る微粒子のこと[17]
  • 「映り」とは、地鉄と焼き入れの技術によって現れるもので、光を反射させて地を観察した時に見える白い影のようなもの[18]。「乱れ映り」はその白い陰の形が一定でないことをいう[19]
  • 「丁子」とは、小さい互の目の焼頭が連続するなどして、チョウジの実を模様化した丁子文のような形を表すこと[18]
  • 「互の目」(ぐのめ)とは乱刃の一種で、丸みを帯びた焼山が連続して上下に振幅するもの。山と谷が交互にくることが名の由来で、谷には刃先へ向かって足が入ることが多い[19][20]
  • 「重花丁子」(じゅうかちょうじ)とは、互の目に互の目が重なるように、丁子が複数焼かれた刃文。備前一文字派の特徴のひとつ[18]
  • 「匂(におい)」「沸(にえ)」とは、刃文と地鉄の境目にある鋼の粒子のこと[21]。「沸」は粒子が肉眼で捉えられる大きさであり、「匂」は粒子が肉眼では確認できない霞のような小ささ。「沸」と「匂」の違いは見え方だけである(化学的組成の差ではない)[21]
  • 「足」とは、互の目の谷の沸や匂が、刃縁から刃先に向かって垂直に伸びる模様[21]
  • 「葉」(よう)とは、匂や沸えが刃縁から離れ、刃中に飛び地のように浮かんで表れているもの[22]
  • 「乱れ込み」とは、帽子部分へ横手から刃文が乱刃のまま進入すること[19]
  • 「鑢目」(やすりめ)とは、柄から茎が脱落しないように施されたやすり[17]
  • 「勝手下り」とは、やや右下がりにかけられたもの[17]
  • 「磨上(すりあげ)」とは、刀身の全長を茎側から削って短くする行為[19]
  • 「栗尻」とは、丸みを持った形状の茎尻[19]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 官報告示掲載の指定名称は半改行を含む以下のような表記となっている(原文は縦書き)。
    「太刀銘吉房
  2. ^ 『日本刀大鑑』では、信雄ではなく「織田信長が岡田を斬った」となっているが、岡田は信長没後も生きて信雄に仕えている(岡田重孝#生涯)。
  3. ^ テンプレートは詳細な寸法の『日本刀大鑑』、この節は小数点一位までの「国指定文化財等データベース」を出典としている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 本間順治; 佐藤貫一『日本刀大鑑 古刀篇2【図版】』大塚巧藝社、1966年、96頁。 NCID BA38019082 
  2. ^ ColBase国立博物館所蔵品統合検索システム”. 2020年9月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 文化庁 2000, p. 9.
  4. ^ 国指定文化財等データベース”. 2020年9月13日閲覧。
  5. ^ e国宝”. 2020年9月13日閲覧。
  6. ^ ColBase国立博物館所蔵品統合検索システム”. 2020年9月13日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 渡邉 2007, p. 68.
  8. ^ 羽皐隠史著『英雄と佩刀』228~233頁(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、126コマ目)
  9. ^ 福永酔剣『皇室・将軍家・大名家刀剣目録』雄山閣出版、1997年7月、11頁。ISBN 4639014546NCID BA31973590 
  10. ^ 官報第6628号 文部省告示第16号(昭和24年2月18日)(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、3コマ目)
  11. ^ a b c d e f g 国指定文化財等データベース”. 2020年9月13日閲覧。
  12. ^ 東京国立博物館”. 2020年9月13日閲覧。
  13. ^ a b 小島 2006, p. 133.
  14. ^ 小島 2006, p. 132.
  15. ^ a b 小島 2006, p. 135.
  16. ^ 得能一男 『日本刀辞典』(初版) 光芸出版、1977年、76頁。
  17. ^ a b c 小島 2006, p. 134.
  18. ^ a b c 小島 2006, p. 136.
  19. ^ a b c d e 京都国立博物館、読売新聞社編『特別展京のかたな : 匠のわざと雅のこころ』(再版)2018年9月29日、251~253頁。NCID BB26916529
  20. ^ デアゴスティーニ・ジャパン『週刊日本刀』21巻25~26頁、2019年11月5日。
  21. ^ a b c 徳川美術館 編『徳川美術館所蔵 刀剣・刀装具』(初)徳川美術館、2018年7月21日、245-247頁。ISBN 9784886040343NCID BB26557379 
  22. ^ 小島 2006, p. 137.

参考文献[編集]

関連項目[編集]