水心子正秀

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水心子 正秀(すいしんし まさひで、寛延3年(1750年) - 文政8年9月27日1825年11月7日))は江戸時代後期の刀工である。本名は鈴木三治郎。新々刀の祖として知られる。

概要[編集]

羽州米沢藩領の中山村諏訪原(山形県南陽市元中山)に生まれる。父を早くに亡くし母の実家、赤湯町外山家で育った。野鍛冶となり、鍛冶の基礎を下長井小出(長井市小出)の吉沢三次郎に学ぶ。後に刀工を志して山形へ修行に出、更に武州八王子の下原吉英の下で腕を磨き、鈴木宅英と称する。

安永3年(1774年)、山形藩秋元永朝に召抱えられ、ここで川部儀八郎正秀と名乗り、水心子と号した。過去の作刀の研究を続け名工の子孫に教えを請い、中でも寛政元年(1789年)、刀工正宗の子孫、山村綱廣(同家は代々綱廣を名乗る)に入門し、秘伝書を授けられた。その後も研鑽を続け、泰平の世で衰退しつつあった日本刀に大きな影響を与えた。

特筆されるのは、その技術を十数冊の本として刊行し、公開したことである。門弟も百余人を数える。生涯に369振の刀を打ったという。

参考文献[編集]

  • 『南陽市史 中巻(近世)』 南陽市、1979年

外部リンク[編集]