ノート:けいおん!/過去ログ4

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けいおんは社会現象になっていないと思います。[編集]

けいおんは社会現象になっていないと思います。 BD4~5万枚、CD15万枚・・・こんなショボイ社会現象なんて存在するんでしょうか?

--Applepay 2011年5月13日 (金) 12:41 (UTC)

BDやCDの売上のみで判断するのはどうかと思いますし、さらに言えば深夜アニメが一般に比較的認知されている状況から「社会現象とも言える」と捉えることはできるかと思われます。いずれにせよあなたの個人的な考えはここには必要ありません。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2011年5月13日 (金) 12:53 (UTC)
コメント社会現象」の定義は幅広く(辞書の定義も参照)、BDやCDが何枚以上売れれば社会現象であり何枚以上売れなければ社会現象ではない、という定義はありませんし、本作の話題性は関連商品の売り上げだけではありません。「独自研究は載せない」という方針を掲げているウィキペディアとしては「新聞にもけいおん!は社会現象だと書いているから社会現象だ」ということになりますし、「いや、社会現象にはなっていない」と主張するなら、無名のブロガーや2ちゃんねるの書き込みなどではなく、新聞・雑誌・書籍などに記事が載るような著名な批評家の批評を出典として引っ張ってきて「これに対して評論家の○○曰く、けいおん!は社会現象とは呼べないと言っている」という形で、「けいおん!は社会現象ではない」という主張に権威付けをしなければなりません。「けいおん!は社会現象である」とする出典は既に提示されています。--Kanohara 2011年5月13日 (金) 13:09 (UTC)
TTTNISさん、Kanoharaさんも述べてますが、社会現象と言われる理由がBD、DVDの売り上げだけで語れませんし、様々な話題が出てくること自体ブームを起こしており、社会現象足りうるんじゃないですかね。いずれにせよ社会現象と呼ばれている根拠を提示している記述を何度も除去するのはお止めください。特筆性のある出典付きの記述削除はテキスト除去と何ら変わりありません。--B.R 2011年5月13日 (金) 14:19 (UTC)
では率直に伺いますが、Applepayさんとしては「社会現象」の提議は何だとお考えでしょう?また、「しょぼい」と見なす理由とその比較となる前提は何でしょうか?それがまず明確をしていただきたいところです。
既に挙がっているように、社会現象や流行というものは定義付けが難しいところではありますが、急速に普及し社会に影響を及ぼすことがまず第一義にあるでしょう。確かに売り上げや視聴率などは事象に対しての指標になります。ですが、それだけを用いて流行したか、社会現象になったかを判断するのは、社会学的にも統計学的にも間違いだと言えます。
とらえ方としては売り上げなどの数値的指標だけでなく、メディアを中心とした社会的な取り上げ方、付随して発生した事象、浸透性などから検討する必要があります。こうした形から見ても数値的な指標はもちろんのこと、取り上げ方では新聞・一般的な雑誌・テレビ・ラジオがこぞって取り上げており、事象的にも「アニメを見て影響されて楽器やバンドを始めた・再開した」「舞台のモデルとなった街にファンが訪れるようになった」「各種企業とのコラボレーションやタイアップ企画が展開された」などで立証できますし、こうしたことがさらにメディアに取り上げられることで一般層への浸透性も広がっていると立証できるでしょう。こうしたことは各種新聞・雑誌・Webメディア等の記事でも記載されており、既に出典として挙がっていることから「社会現象」として記載しうる内容だと判断できるわけです。
それでもなお「社会現象と言うに値しない」と言われるのでしたら、「社会現象」の定義とその論拠、「社会現象でない」とする論拠とその根拠となる出典などを提示した上で反論していただく必要があるのではないでしょうか。--Tmatsu 2011年5月13日 (金) 15:30 (UTC)

舞台のモデルとなった街にファンが訪れるようになったとか、各企業とコラボした作品は、今まででもありましたし(同じ京アニ作品のハルヒにせよ、らき☆すたにせよ)、けいおんだけが起こしたものじゃないと思います。 自分の周りでけいおんを知っている人は、そんなに多くありません。世間の認知度は低いと思います。 自分は、こういうので「社会現象」というのはおごましいと思うんです。 こんなのでいちいち「社会現象」と言ってたら、今で言う世の中の色々なものが社会現象だらけになると思います。 「社会現象」のハードルがあまりにも低くなると感じます。 なので自分は「社会現象」という記述を取り消したいんです。ハルヒやらき☆すたの記事には「社会現象」 なんて書いてありません。 けいおんの記事は、作品を持ち上げる記述が多いです。もう少し、控えめにされてはどうでしょうか?

少なくとも昔で言うエヴァ、今で言うワンピース級の人気にならないと「社会現象」とはいえないと思います。 過去エヴァが起こした「社会現象」に比べると、けいおんの「社会現象」は比べ物にならないほど小さいでしょう。--Applepay 2011年5月16日 (月) 10:26 (UTC)

けいおんがエヴァやワンピースに及んでいない、というのはあくまであなたの判断です。出典があるのですから、削除は不当でしょう。--風の旅人 2011年5月16日 (月) 10:40 (UTC)
ですから、ここはあなたの演説する場じゃないのですから、そういう独りよがりな個人的意見はブログなりで個人的にやってください。ここは百科事典なのですから、あなたの意見は記述されえません。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2011年5月16日 (月) 10:46 (UTC)
あなたの周囲の反応=世間全ての反応ではありませんよ、けいおん!に限らずエヴァやワンピースの名を聞いたくらいで中身を見てない人なんかごまんといますし。極端な話コラボや作品が及ぼした影響があればけいおん!であろうとエヴァ・ワンピースであろうと社会現象と定義出来ると反論出来るし、「エヴァやワンピースに及ばない」などという意見は主観以外の何物でもないです。(検証可能性を満たせば何でも書いていいということではありませんが)少なくとも此度の記述はけいおん!が世間に及ぼした影響に関する事象があったことは解説に欠かさない上にそういった事を示した出典を満たしているので、そのような主観は削除に足る理由としては説得力に著しく欠けます。--B.R 2011年5月16日 (月) 13:29 (UTC)
それは貴方の主観であり、貴方の周囲の反応だけでの判断ですよね?それだけで社会現象かどうかを判断するのは調査する範囲が狭すぎる上に、客観性も乏しすぎます。貴方の観点だけで基準が設定されているわけではありません(余談的に言えばエヴァやワンピースを基準にするなら、それこそガンダムやヤマト、ドラゴンボールなども出てきたりして余計に基準の程度の問題も出るでしょうし)。さらに言えば本記事での記述は裏付けとなる出典も明示されているのに対し、貴方の主張ではそうした出典をひっくり返すような客観的な根拠や出典が示されていないのも問題です。そうした根拠付けを行ってからでお願いします。それができないのであればブログなりBBSなり余所でどうぞ。--Tmatsu 2011年5月16日 (月) 14:36 (UTC)
コメントプロジェクト:漫画#導入部分」や「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」にあるように、ウィキペディアにおけるフィクション記事では、その作品が起こした社会現象のようなことは、記事に積極的に盛り込むことが推奨されています。Applepayさんのすべきことは、「『涼宮ハルヒシリーズ』や『らき☆すた』の記事には社会現象という記述がないから」と言ってそれ以外の作品から「社会現象」という記述を取り除いて横並びを実現することではなく、『涼宮ハルヒシリーズ』や『らき☆すた』の記事に「社会現象になった」という記述を、出典を探し出してきた上で添えることではないでしょうか? もっとも、『らき☆すた』に関しては「らき☆すた (アニメ)#評価 」などに、それに準ずる言及があるようです。
それと「社会現象」という表現には「(一過性の)流行」というニュアンスも含まれているので、Applepayさんが「これくらいの人気にならないと社会現象とは言えない」として挙げたような作品は、ブームの初期の現象について解説するならともかく、その後も継続している人気を「社会現象」と形容するには相応しくないかも知れません。例えば『サザエさん』『水戸黄門』のような作品の現在の人気を形容するのに、普通「社会現象」とは言わないでしょう。--Kanohara 2011年5月25日 (水) 07:58 (UTC)
コメント エヴァやワンピース並でなければ社会現象というのでしたら、こんなのはどうでしょう。
ワンピースが連載されている週刊少年ジャンプは、黄金期と呼ばれる90年代のジャンプを支えたDRAGON BALLSLAM DUNK幽☆遊☆白書は『ジャンプの三本柱』として現在でも語り継がれています。
確かにDRAGONBALLは21世紀にリバイバルブームがあったりで連載当初から現在までも充分社会現象になっていますし、SLUMDANKもこの漫画がキッカケでバスケットボールを始めた人が急激に増えるなどの社会現象を起こしました。しかし、残る幽☆遊☆白書は知名度は比較的高いものの、社会現象は引き起こしていません。当時からも好きな人が盛り上がるだけ、完全版が発売されたときも従来のファンや後に興味を持った方が購入したぐらいでリバイバルブームなども今までにありません。
そう考えると、舞台元がニュースで取り上げられたり、大手コンビニメーカーとコラボ企画を展開しているけいおん!は充分、社会現象になっていると言えます。それこそけいおん!がキッカケでバンドを始めた人も多くいますし、自分の実体験ですが大手リサイクルショップの楽器コーナーのポップにけいおん!らしきキャラを張って楽器を買わせる工夫をするなど、けいおん!はApplepayさんが思っている何十倍も社会に影響を与えている、いわゆる社会現象と呼べます。また、漫画原作に限定するとワンピースは前記の三本柱の頑張りも含めジャンプ自体が世間的に有名ですが、知名度も低く普通は一般の日の目も当たることもない萌えマンガのけいおん!が一般に名だけでも知られる時点で社会現象と呼んでいいでしょう。
もし、知人にけいおん!を知っている人が少ないApplepayさんが、まだけいおん!の社会現象を拒否するのでしたら、逆に幽☆遊☆白書のように知名度があっても社会現象にならない作品がある理由を教えてもらいたいですね。--ここはただの砂場です 2011年6月21日 (火) 08:12 (UTC)
コメント 私も記事の削除に賛成します。根拠となる出典ですが、一つは特別賞とする目立たないようなごく小さな写真のみの記事、もう一つは具体的な統計や社会調査の裏付けのない記事です。特に1つめの記事のけいおん!に対する扱いの低さは逆に同作品が社会現象とは言えないことの証拠になってしまうのではないでしょうか。
けいおん!が社会現象であるかどうかにも疑問があります。韓流ブームの発端となった冬のソナタを例に挙げますが、NHKの世論調査によると日本でも放送されていたことを知っていた人は国民の90%、実際にこのドラマを見ていた人は38%であるそうです。これだけの数字があれば社会現象と言えそうに思えますが、韓流ブームと呼ばれるもの自体が中高年女性という狭い層に留まる極めて限られたものであり、社会現象と呼ぶには疑問の持たれるものです。実際同世論調査からも、日本で社会現象となったとの記述はありません。(世論調査からみた「冬ソナ現象」
けいおん!が社会現象とするならまず少なくとも冬のソナタを超えるだけの数字が必要であり、また一部の人間だけに留まらず社会全体に及ぶだけの影響力があるという根拠が必要になります。けいおん!のターゲットは明らかに萌え文化に素養のある人達ですが、同作品が社会現象であると言うなら普段萌え文化に関心のない人達が幅広くけいおん!に影響されたとされるような記事がなければ証拠になりません。--Tmura 2011年11月26日 (土) 03:53 (UTC)--以上の署名のないコメントは、119.175.13.72会話/Whois)さんが 2011年11月26日 (土) 3:54 (UTC) に投稿したものです(Tmatsuによる付記)。
一旦収束した話題を蒸し返すのはいかがな物かと思いますが。またアカウント付き署名付きで意見を述べられる場合にはきちんとアカウントを取ってログインした上で署名のやり方を確認してからお願いします。
意見を指摘するならば、「特別賞とする目立たないようなごく小さな写真のみの記事」「具体的な統計や社会調査の裏付けのない記事」とはどのような記事を意味するのでしょうか。具体的に明示していただきたいです。少なくとも各種雑誌・新聞記事での統計資料(最近では日経エンタテインメント!誌2011年12月号、フィナンシャルジャパン誌、ウレぴあ誌いずれも2012年1月号に詳しい統計記事がありますね)が載っていますし、キネマ旬報映画総合研究所も「“日常系アニメ”ヒットの法則」という書籍を著しており、その中でも様々な資料を扱っているため出典としても十分役に立ちます。
また、「普段萌え文化に関心のない人達が幅広くけいおん!に影響された」についても、いずれの統計(特にウレぴあ誌に詳しく載っていますが)でもコアなアニメファン層以外にも受け入れられているという結果報告があります。その点も勘案してみてください。
あと蛇足かつ揚げ足取りになりますが、冬ソナを基準にするにしても、韓流ブームという一つの現象を見るには基準とはなるでしょうが、これまでのアニメ・ドラマ作品の歴史的な指標とするには苦しいのではないでしょうか。ドラマを基準にするならそれこそ全盛期の月9作品や「おしん」、古くはラジオドラマ時代の「君の名は」までさかのぼることになるでしょう。--Tmatsu 2011年11月26日 (土) 04:19 (UTC)
Tmuraの名で投稿した者です。署名のやり方間違っていてすいませんでした。ご指摘ありがとうございました。自分も話題を蒸し返すのはどうかとも思いましたが、けいおん!が社会現象との記述に疑問を持ったのですが他にやり方が思いつかなかったのでこちらで提起させていただきました。失礼しました。これで退散します。--T.MURAYAMA 2011年11月26日 (土) 07:24 (UTC)
コメント 以前も言いましたが、ウィキペディアとしては「識者が社会現象だと言っているから社会現象なのだ」ということになると思います。これが例えば「テレビ放送史上はじまって以来の話題作」「人類史上類を見ない盛り上がり」といった持ち上げられ方をしているのであれば眉唾かも知れませんが、そもそも「社会現象」というのはそれほど大それた表現ではないでしょう。例えばGoogleニュースで、ここ1か月間の「社会現象」を検索してみてください。世の中社会現象だらけです。かつてこの議題を立ち上げたApplepayさんは、ウィキペディアの記述のせいで「今で言う世の中の色々なものが社会現象だらけになる」ことを危惧していましたが、実はウィキペディアの編集者の方々が眉を顰めて危惧するまでもなく、既にこの世の中は社会現象で溢れかえっているのです。人間が社会生活を営む生き物である以上、世の中が社会現象で成り立っているのは当然のことでありましょう。社会現象とは「十年来の逸材」を形容する表現などではなく、もっと敷居の低いものなのです。もっとも、毎年おびただしい数が作られている漫画・アニメにあって「社会現象」とまで形容される作品は比較的数が限られるので、「社会現象とも言われた」ことは特記に値すると言えると考えます。--Kanohara 2011年11月26日 (土) 07:44 (UTC)

「評価」の節の表現について[編集]

朝日新聞上での伊藤遊さんの批評について「(本作品を)酷評している」と記載されていましたが、ここで表示されている記事写真の文章を見る限り、ストーリー性や成長要素の欠如を客観的に作品の特徴として指摘しているだけであり、特にそれらを賞賛しているわけでも酷評しているわけでもないように読めます。とりあえずその部分の表現は直しておきました(差分)。ちなみに作品の評価についての解説としては、伊藤遊さんの批評の最後に述べられている「ユートピア的な日常生活を描く作風が、ブログやツイッターで日常を共有しようとする現代人の志向とマッチしたのではないか」みたいなところが重要っぽいので、そこを加筆したほうがいいかもしれません。--貿易風 2011年7月11日 (月) 03:39 (UTC)

コメント ネット上で、記事が批判として受け取られたこと自体は出典から読み取れるので、そのように修正してみました。もちろん批評とは批判のみを指す言葉ではないので、どのような部分が評価されているのかという点については私も重要かと思います。なお「評価」節を作成したFumon1987aさんの加筆内容だと「この作品は一部ファンからは熱狂的に支持されたが、批評家からは総スカンを食らった」作品であるかのように読み取れてしまいますが、それほど辛辣な評価が主流な作品ではなかったと思いますので、今後の加筆が待たれるところです。--Kanohara 2011年7月11日 (月) 05:39 (UTC)
コメント 記事の最後にある「オチも成長もない日常をユートピア的(以下略)」を引用という形で掲載しました。それと、この場合、実名公表していいんですか?私は、敢えて公表していませんが…。--Fumon1987a 2011年7月17日 (日) 04:23 (UTC)
ご本人が自身の署名入りで批評文を発表しているのですから、引用するときはちゃんと名前をだしてあげたほうがいいと思いますけど。評価の主体を明らかにするという意味もあります。--貿易風 2011年7月18日 (月) 01:50 (UTC)
コメント 名前を掲載しました。--Fumon1987a 2011年7月18日 (月) 03:54 (UTC)

音楽記事の統合提案[編集]

K-ON! ORIGINAL SOUND TRACK」、「「けいおん!」オフィシャル バンドやろーよ!!」、Maddy Candy」、「ラヴを「けいおん!のディスコグラフィ」へ統合することを提案します。この2 4記事は曲に関する出典が一切なく、曲名を羅列するだけの記事と化しており、Wikipedia:特筆性 (音楽)#アルバム・楽曲の単独記事を満たしていないので統合すべきと判断しました。なお、私としては「「けいおん!」イメージソング」は独立記事のままでも問題無いと思っていますが、意見次第では統合対象に含めるかもしれません。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年10月19日 (水) 10:41 (UTC)修正--2011年10月19日 (水) 10:55 (UTC)統合対象記事追加--2011年10月20日 (木) 10:37 (UTC)

コメント「けいおん!」イメージソング」を統合対象に追加します。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年10月30日 (日) 04:05 (UTC)
賛成 同じく出典がないMaddy Candyラヴも統合対象に含めて良いと思います。--Louis XX 2011年10月19日 (水) 14:46 (UTC)
賛成 ディスコグラフィ記事への統合に賛成します。また、自分もDEATH DEVILの曲も統合しても良いと思います。--都会者 2011年10月19日 (水) 15:24 (UTC)
コメント Maddy Candyラヴも統合すべきとする意見があるので統合対象に含めたいと思います。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年10月20日 (木) 10:37 (UTC)
賛成 私もディスコグラフィ記事への統合に賛成します。ただ、ふわふわ時間とひゅあぴゅあはーとは今のままで良いと思います。--Naochan710 2011年10月21日 (金) 14:18 (UTC)
コメント らじおん!の「らじおん!」スペシャル!節もディスコグラフィ記事へ転記して良いのではないでしょうか? 現状では当節がある事によってラジオ記事が水増しされている印象があります。--Louis XX 2011年10月23日 (日) 13:29 (UTC)
コメント 私は「らじおん!」関係のCDは「らじおん!」で述べるべきだと思いますので、統合(移動)させる必要は無いと思います。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年10月25日 (火) 08:57 (UTC)
コメント 反対というほどではないものの、個人的には消極的です。本作は多くの楽曲CDにも十分な特筆性があり、イメージソングなどについては無理にまとめる必要はないでしょう。現在「特筆性なし」とされている楽曲についても、過去のニュース記事などをあたれば出典が確保できそうにも思えます。そもそも以前の議論「ノート:けいおん!/過去ログ3#「けいおん!の音楽」の分割提案」の時には反対多数であったように思うのですが。仮に「けいおん!のディスコグラフィ」としてまとめるのであれば、作品楽曲を取り巻く状況について総括する解説があるのが望ましいと考えます。
「らじおん!」の内容は「らじおん!」の記事にあった方がよいと思います。--Kanohara 2011年10月23日 (日) 23:00 (UTC)
反対 提案にある4つの記事が現時点で特筆性に欠けていることは否定しませんが、その4つのみ統合だと、単独記事になっている楽曲の方が未だ多く、ディスコグラフィとしての体裁をなしていないように思います。
らじおん!の内容の転記も反対です。「らじおん!」のCDは「らじおん!」の記事で語られるべきだと思いますので。--桜国の竜 2011年10月29日 (土) 11:39 (UTC)
コメント 私としては、ディスコグラフィの記事に対して、単独記事の方が多くても構わないと思います(特筆性があるとするならば)。そもそも、ディスコグラフィの記事で全ての楽曲に対して説明することに疑問を感じます。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年10月31日 (月) 11:09 (UTC)
コメント それではイメージソングでも統合しましょうか? いくらオリコンからの言及があるとはいえ概要節以外ほぼ曲目リストのみになっているこのシリーズを単独記事として独立させる必要があるのか疑問です。
「らじおん!」スペシャル!節の転記は反対意見が多いので取り下げます。--Louis XX 2011年10月29日 (土) 12:19 (UTC)
コメント「けいおん!」イメージソング」も統合対象に加えました。ただ、シングルの記事に関しても統合を考えなければいけないのかもしれませんね。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年10月30日 (日) 04:05 (UTC)
コメントWikipedia:特筆性 (音楽)#アルバム・楽曲の単独記事」によれば、「検証可能な媒体にすでに特筆されている音楽家による正規のアルバム」には特筆性があるとされています。また他の分野ですと、「Wikipedia:特筆性 (書籍)」では、「その書籍の著者が歴史的に重要な人物であるため、その人物の著作であればいずれも特筆性を持つと考えられる場合」には、著名な書籍でなくても特筆性を持つとされています。現実での人気を獲得している架空のバンド「放課後ティータイム」は、まあ学校の教科書に登場する程ではないとしても、アニメキャラクター名義のアルバムでは初となるチャート首位獲得など、音楽家としては十分な特筆性を獲得しているように思えます。
イメージソングについては出典がつけられていることもあり、これは「特筆性のある音楽家の作品」の範疇に含めて良いと考えられ、個人的にはあまり統合には賛成できません。サウンドトラックについては、「けいおん!」に関するものであれば何でも特筆性があると考えるか、それとも「放課後ティータイム」の特筆性とは分けて考えるべきか、判断が分かれるところかもしれません。いずれにせよ、アニメ劇中では用いられていないけれどチャートで記録を残したイメージソングと、アニメ劇中でBGMとして用いられているもののチャートに名前を残すほどではなかったサウンドトラックを、同じ記事で扱うというのも少々無理矢理であるような気がします。
なお、報告していませんでしたが、「Maddy Candy」「ラヴ (DEATH DEVILの曲)」に関しては、その後の加筆でニュースサイトなどでの言及を追加しておきました。一度「出典なし」を理由として統合に賛成した方も、記事を確認していただければと思います。もっともこれらの二次資料は「テレビアニメ劇中での扱いはこうであった」という内容が中心ですので、これをもって特筆性が満たされたと考えられるか否かは判断が分かれるかもしれません。--Kanohara 2011年10月30日 (日) 05:20 (UTC)
コメントこの話題に限定しますと、既に統合記事であるものをさらに統合する必要はあるんだろうかという疑問点はありますが(この3つで70k超えそうで、統合は逆効果になりそうです)、その前に特定のメディアに依存しないこの種の案件に関連した議論場所としてWikipedia‐ノート:特筆性 (音楽)#他のメディアと関連する人物・アルバム・楽曲についてを作成しました。皆様のお知恵をお貸しください。--open-box 2011年11月7日 (月) 04:59 (UTC)
コメント 提案者が言うのもあれですが、特筆性を理由に統合したとしても、open-boxさんが言うようにバイト数が大幅に増加しますし、「けいおん!のディスコグラフィ」自体の特筆性が保てるかどうかも疑わしいので、今回の統合はWikipedia‐ノート:特筆性 (音楽)#他のメディアと関連する人物・アルバム・楽曲についてである程度結論が出るまで保留すべきだとは思います。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年11月7日 (月) 11:24 (UTC)
終了 当記事での議論停止から1ヶ月以上経過したため、一旦提案を取り下げとします。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年12月10日 (土) 06:29 (UTC)

映画版のあらすじについて[編集]

映画版のあらすじのセクションの内容はクライマックスの前ぐらいで終わっており、最後の方が書かれていません。おそらく映画のパンフレット等を資料として使われたのだろうと思います。「これから見る人のためのあらすじ」としてはクライマックスの前ぐらいで止めた方がよいのですが、百科事典の内容としては最後まで書く方がよいと思います。ご意見をお聞かせ下さい。アイーダ 2011年12月13日 (火) 06:51 (UTC)

賛成 私は映画版を見ていないので加筆には加われませんが、「プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド#ストーリー」「プロジェクト:アニメ#あらすじ」「プロジェクト:漫画#あらすじ」のいずれでも、あらすじは結末まで書くことを求めており、また「Wikipedia:ネタバレ」でもネタバレを禁じてはいません。映画は連載中の作品ではなく不確定要素なども存在しないため、「Wikipedia:創作物を基にした逐次的な編集」には当てはまらず、同ガイドラインを根拠としているローカルルールの適用範囲外であると考えます。特に合意を待つことなく加筆してしまって良いのではないでしょうか。
上映期間が限定されている映画に検証可能性はあるのか、という問題はウィキペディアにおいて時折議論の題材になりますが、少なくとも上映期間中は映画館に足を運ぶことで検証が可能ですし、また上映期間が終わった後もいずれBD/DVD化されるでしょうから、個人的には問題ないと考えます。--Kanohara 2011年12月13日 (火) 09:36 (UTC)
賛成 失礼します。僕もKanoharaさんと同じ考えです。あの説明ですと映画のプログラムかパンフをそのまま写したとも考えられますので、wikipadiaはwikipediaで、編集者自身の言葉で説明するのも大切だと思います。を僕は既に見ていてだいたいの流れは説明できますので、加筆にある程度なら協力させていただきます。--キノキング 2011年12月14日 (水) 11:00 (UTC)
賛成 特に反対はしません。というか現在のあらすじは最初に私が書いたものに1文付け足したものでしかないので、短いような気がします。ちなみにローカルルールは「劇場版(映画)は適用範囲外です。」としているので、適用範囲にはなりません。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年12月16日 (金) 06:30 (UTC)
コメントありがとうございました。アイーダ 2011年12月22日 (木) 08:28 (UTC)

放送局について[編集]

放送局の節において、第1期および第2期の放送局で「本放送開始よりおおむね1年以上遅れて放送を開始した放送局」が列挙されていますが、PJ:ANIMEには「ノートで特に合意を得た場合を除いて列挙しない」とあります。本来なら削除すべきだと思いますが、これらの放送は映画の上映に関するものだと思われますので、特筆性がある可能性があります。残すのならTBSやCBCなどの再放送に関しても記載したほうが良いような気がします。今のところ以下の案を考えています。

  1. 「1年以上遅れて放送を開始した放送局」は削除する
  2. 「1年以上遅れて放送を開始した放送局」は記載する
  1. 現状維持
  2. 別の節に分けるなどして、全ての放送局(再放送も含む)を記載する。

とりあえず記載すべきか記載しないのかだけは決めたほうが良いと思うので、ご意見をお願いします。--ゆき2 (Talk / Contributions) 2011年12月22日 (木) 06:26 (UTC)一部修正--2011年12月22日 (木) 06:28 (UTC)

コメントコードギアス 反逆のルルーシュ(第1期)」や「マクロスF」の場合は「追加放送局」の形式で遅れネット局が記述されていますので、その形式に合わせてもいいのでは?と言う考えです。TBSやCBCなどの再放送に関しては、欄外コメント程度に留めるくらいでいいかと。--V-TWIN POWER 2012年1月9日 (月) 01:06 (UTC)

興行成績の記載について[編集]

なにやらイエティさんとそれ以外の方の編集合戦状態になっているので釘を刺す意味と、事態を収束させる為にも発議します。

映画の興行成績についての記述は、深夜帯のアニメからの映画作品としては記録的な結果を出している以上記載するのは問題ないと思います。それと共に、なぜそのような記録に至ったかという背景も記載していいのではないでしょうか。特に本作を含めたここ数年のアニメファン向けの劇場用アニメでは、前売券を複数種の販売したり、リピーター確保のための特典などを打ち出している事が多いため、そういったバックグラウンドもあることを理解する必要があるでしょう。その点でもこうした記述を含むのは適切でしょう。

しかしながら、記述するにしてもゴシップ的にかき立てるような記述ではなく、きちんとした情報ソースに立脚した上で客観的な視点で記述すべきだと考えます。現状の記述ではこうした客観性はまだ足りないように思えますし、出典も毎日新聞やフジサンケイビジネスアイならともかく、他のはゴシップ的な内容であるため、もう少し確実な物を使った方がよいように思えます。

以上は私の私見でしかありませんが、記述に対する反対意見や改善案などあればお願いしたいと思います。--Tmatsu会話2012年4月16日 (月) 02:15 (UTC)

まず、背景的な部分を記載することには反対は致しません。ですがそれを記述する根拠たるものがゴシップ記事の類のものならWikipedia:検証可能性での「信頼性に乏しい情報源」に合致しているので適当とは言えないでしょう。「チケット情報│映画けいおん! の出典だけは組み込めると考えますが、J-CASTニュースを出典にした記述は「公開までの経緯」に組み込んだので重複した記述は必要ないです。利用者:イエティ会話 / 投稿記録 / 記録なるユーザーから私のノートページで「他のけいおんの記事の引用元もこれらなので~」といった意見が寄せられていますが、現在争点となっているのはイエティなるユーザーが他の方からの指摘も聞き入れずに編集強行しようとした文章ですので、他の記述については関係ない話題でしかありません。
毎日新聞を出典とした「阿漕であるという指摘がなされており」についてもこれを見る限り指摘というのはかなり穿った解釈だと言わざるを得ませんし中立的とは言わない。フジサンケイビジネスアイを出典に「本体がないがしろ云々」の文章も、記事を見ても分かる通りけいおん!に限った話ではないし、あくまで「商法」に関する意見であってけいおん!に絞った意見及び興行収入に関することではないと意見します。イエティなる方はご自身のノートで寄せられた意見や要約欄での意見をただ無視するのではなく、何かしら明確な意見を述べて、それが賛同を得てから記述するようにしてください。そして記述の際は個人の見解に合致した出典内の記述を恣意的に記述するのではなく中立的に記載するように心がけ下さい。--B.R会話2012年4月16日 (月) 14:12 (UTC)
えー、他のけいおんの記事で日刊サイゾーは普通にソースにしています。という事でこれがソースにならない論はアウトですね。J-CASTもけいおんの他の記事でソースにしています。という事でこれがソースにならない論もアウトですね。両者ライブドアやyahooも一次情報として取り上げており信憑性に足らないという事はないでしょう。「大手新聞以外ソースにならない」という理論だと他のけいおん!の記事自体ゴッソリ消え失せる事になりますが…。つまりこの記事に限ってだけB.R氏が気に入らないだけ、という事になります。それと個人サイトのアフィブログをソースにするのはどうなんでしょう?毎日新聞はエレキではなくアコギと言っていますが、これを阿漕と指摘した、と書くのに問題がありますか?ユーモアも何もない、ただの皮肉ですよね。産経もAKB商法をしてるAKB、けいおんをひとまとめにして言った事ですから同じ事でしょう。『けいおん!における映画商法がこう批判された』と記すのに不自然は感じませんね。
中立的視点を問うならばけいおん!のこれだけ他方面からAKB商法やら搾取的と言われる商法も書くべきでありそれを丸ごと削除するというのはB.Rという方は真実を隠蔽しようとしてるようにしか見えませんね。--イエティ会話2012年4月16日 (月) 19:48 (UTC)
B.Rさんに対して、けいおん!がいわゆるAKB商法をしているのであれば、AKB商法という単独記事がない以上、出典の批判にけいおん!の批判も含まれているということが明らかであるのですから、読者の理解の助けとするためにある程度の記載はいいんじゃないかと思います。けいおん!に限った話ではない批判を書くのが中立的でないというのは、疑問を感じざるを得ません。
まあ、イエティさんの強行編集もどうかと思いますが。そしてそれ以上に、イエティさんには強調と断定について申し上げたいと思います。まず、イエティさんは「同一ファンに何回も行かせる仕様」という記述に強調(''' ''')をしており、それについて私が指摘したところ、「複数の記事の事実を記してるだけでありこれだけ他方面から指摘されるのであれば強調する必要有りと思」うという回答を得ましたが、特定の観点を不必要に強調する必要はないかと思います。まあ明確なルールはないみたいですけど、強調は基本的に記事中で重要な用語とかにつけるものかと。
で、断定についてですが、イエティさんは「この興行収入は(中略)同一ファンに何回も行かせる仕様ゆえの結果であり」というように、断定調に記述しています。出典の日刊サイゾーには"AKB商法"まがいの戦略が功を奏したようだと推定的にしか書かれておらず、せめて「〜も手伝っての結果であり」などと書くべきかと思います。そういう商法がなくともヒットした可能性がないとはいえないのですから。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2012年4月17日 (火) 09:45 (UTC)
文字強調に関してはどちらでもいいです。断定についてはSankeiBizが「アニメ映画「けいおん!」は3回視聴すると作品のフィルムがもらえる特典もあって動員が100万人を突破した。」と記してますので、少なくともSankeiBizはけいおんの興行成績が商法のお陰と断定してると言えます。記事の事実を伝えるだけにウィキペディアは終始すべきだと思いますので、「この興行収入は(中略)同一ファンに何回も行かせる仕様ゆえの結果であり」と書くのに問題は無いと思います。「ゆえ」を「あって」に変更してもいいとも思いますが。--イエティ会話2012年4月17日 (火) 11:03 (UTC)
別に気に入らないで消してはいませんよ、上記で「背景的な部分を記載することには反対は致しません」と言ったように「"AKB商法"と言われていたり」といったことを記載することに反対の立場を取ってはいるわけではありません、ただそれを提示する出典が問題だと言っているだけです。ライブドアやyahooで取り上げられているからといって信頼されているという風にイコールにはならないでしょう、現に日刊ゲンダイの記事だってyahooで掲載されてるでしょう、『Wikipedia:検証可能性での「信頼性に乏しい情報源」に定義されているタブロイドがYahooで取り上げられてるから信頼に足る』なんて論理破綻も甚だしいでしょうが。あと「~理論だと他のけいおん!の記事自体ゴッソリ消え失せる事になりますが…。」までについてもどう理屈を並べようが今争点となっている部分の話題とは関係ないと言ったはずです、もし問題だと思うなら別途で議論提起してください。「J-CASTもけいおんの他の記事でソースにしています。」についても「公開までの経緯」に組み込んだと言ったはずです、それ以前にJ-CASTを信頼できないとは言ったことはありません。
毎日の下りは、アフィブログを提示したのは新聞でどう書かれているかを見せる意図しかないです、記事のソースにはしません。ですが「毎日新聞はエレキではなくアコギと言っていますが、これを阿漕と指摘した、と書くのに問題がありますか?ユーモアも何もない、ただの皮肉ですよね。」話になりません。私も皮肉めいているとは思いますけど、それは私やイエティ氏の主観でしかありません、「指摘した」というのはイエティ氏の主観による解釈でしかない。毎日を出典にするにしてもそれを記載する際にその「主観を交えて書くのは不適切」だと言っている。「エレキではなくアコギですねと言った」と書いたとしてもそれに何の意味があります?真実だから何でも書けばいいというのは編集にそぐわない。
「出典の批判にけいおん!の批判も含まれているということが明らか」だからといっても「所詮はAKB商法に関する文章であること」「記載の対象が違う(けいおんではない)」ということに変わりありません。「本体云々」のことはAKB商法という単独記事がなくてもAKB48の記事には書けると判断します、ちょうど「AKB商法」の節もあるようですし。
「SankeiBizはけいおんの興行成績が商法のお陰」ですけど「お陰」とは書いてませんよ「~もあって」と書いていますので断定はしていないじゃないですか。つまり「この興行収入は(中略)同一ファンに何回も行かせる仕様ゆえ(あって)の結果であり」の記載は大いに問題あります。それ以前にTTTNISさんも「そういう商法がなくともヒットした可能性がないとはいえないのですから」と言うように、映画の成功要因などどんな著名な方が理由を書こうと推理にしかなり得ないと判断します。あとWikipediaが求めているのは「真実」ではなく「検証可能」かどうかにあります、サイゾーでも産経でも「この興行収入は(中略)同一ファンに何回も行かせる仕様ゆえの結果」だと誤読するような者の意見を真実というには甚だ疑問に思わざるを得ません、あなた目線の真実なんてWikipediaにはいらないんですよね。
今から1週間待ちますので、AKB商法だと言われていることにタブロイドの類以外の出典を示せないようなら削除します。毎日の下りの削除も異論無しとしますし、「本体云々」のことはAKB48の記事に転記します。--B.R会話2012年4月17日 (火) 14:22 (UTC)
コメント 別に出典がゴシップであろうと構わないと思うのですが、
> 少なくともSankeiBizはけいおんの興行成績が商法のお陰と断定してる
これは、断定とは言えないでしょう。仮にSankeiBizの記事の書き方が「作品のフィルムがもらえる特典あって動員が……」とか「作品のフィルムがもらえる特典ゆえに動員が……」というものであったのなら、まあ断定している見解も中にはあった、という記述にできると思いますが、実際の記事は「作品のフィルムがもらえる特典あって動員が……」という記述なのですから、断定ではなく、他に理由もあったという体裁になっていると言えるかと。
第一、少し考えればおかしな話です。仮に映画の内容がどうでもよく、同じ映画を何回も見れば特典が貰えるという仕様「のみ」で、映画史に残る興行成績が叩き出せたというのなら、他の映画も競って同じことをすれば良いはずです。言い換えれば、新人監督が超低予算で作った映画を同じ商法で売りだせば、ハリウッド映画を超える興行収入が期待できるのでなければ、因果関係が成立しません。これは普通に考えておかしいので、仮にそのような断定をしている文献があるのであれば、「Wikipedia:独自研究は載せない」にある「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」の範囲内で、眉に唾をつけて見てもよいと考えます。あまりに突拍子のない主張は「Wikipedia:信頼できる情報源#特別な主張には特別な証拠が求められる」にあるように、異端の意見として注意深く扱うべきです。--Kanohara会話2012年4月17日 (火) 14:51 (UTC)
全てがAKB商法のお陰、とは誰も言ってないでしょう。ただSakeiBizが“AKB商法あってのお陰”と断定してるのは確かですね。けいおん!が映画史に残せる記録というのもあくまで深夜アニメの場合に限っただけで、邦画全体で言えば前年の15位ですし、他の会社がこのぐらいの記録を作る為に前例にないAKB商法をして多方面にマスコミに叩かれるようなリスクを犯さないと思われます。ゆえに「儲かるならどこもやってるはず」というのはおかしいですね。普通はマスコミに叩かれ映画の評判を下げるような阿漕な搾取方法は取らない、が正しいでしょう。--イエティ会話2012年4月17日 (火) 23:49 (UTC)
関係なくありません。信憑性の話で言うなら日刊サイゾーもJ-CASTもけいおん!の他の記事でソースとして使われている。ライブドアやyahooといった大手も一次ソースとして利用している。これに異句があるなら他全てのライブドアやyahooに取りあげる記事も削除しなければいけない。それでこの話は終わりです。個人サイトのアフィブログは画像が改竄されてる可能性もある訳で、ソースにはならないという基本的な事を理解すべきですね。毎日の件は意味が解りませんが、毎日がけいおん!を「アコギ」と指摘したのは確かです。そこに主観も何も無い。それをそのまま記すのがなぜ話にならないのかこちらが話になりません。SankeiBizは「AKB商法」を叩いていますが、ここの槍玉にけいおん!が挙げられてるのですから、けいおん!の記事にこう指摘された事を書くのは至極当然ですね。貴方の主観はどうでもよくて、ウィキペディアはあくまで記事を淡々と記す事に終始するのみと思います。故に産経、cyzoはけいおん!の興行成績の結果をそう見ると記すのみですね。けいおん!が前例にないほどの映画商法とAKB商法と言われる商法を用いたソースは既に充分あり、これ以上必要はありません。貴方の1週間以内に、などという発言は何の拘束性も持ちません。--イエティ会話2012年4月17日 (火) 23:38 (UTC)
コメントここまででも話は出ていますが、私はこの話(AKB商法云々)自体記載されることには反対しません(実際そのような声があることは聞いていますし)しかしながらこのやり方があったから動員が達成できた(それが全てだ)というのは因果関係を無理矢理こじつけているなと言う感が否めませんでしたので、一度このような声もあるというように書き換えました(イエティさんにはご納得いただけなかったようで自分の記載に書き戻されてしまいましたが)。
直上に書かれているkanoharaさんの後段部分と同じになってしまうのですが、一部にそのような原因も考えられるとは思いますがすべてがそのせいであるとは言うのはちょっと無理があるかと思います(例えば鑑賞券が3枚セットでしか発売されていないとかの縛り(厳然たる事実)があるならばともかく、観覧者全員がリピートの景品目的で見ていると考えるのは到底一般的とは思えません)。出典にせよ他の人が疑問に感じるような部分に関しては当然強い出典が求められるもので、一部の意見(出典)を合成して導き出したもののみで記載が許されるものではないでしょう。また一部でそのような意見があったとしてもそれが全てと言った書き方をする事はWP:NPOV的にも大きく問題があるように思います。--Shain2006会話2012年4月17日 (火) 15:38 (UTC)
あくまでこのメディアはこう取りあげてる、と淡々と記すべきだと思いますよウィキペディアは。それに対して我々の感想は必要ない。けいおんの興行成績の最大の要因は何なのか、それは各々が判断すればいいだけです。少なくともマスコミ多方面に商法がバッシングされたのは間違いないし、興行成績がそのお陰と見る記事が複数あるのも間違いありません。それを一つ一つ記しつつ読者がどう思うかは自由でいい。個人ではないニュースサイトという時点でソースになるのは明確なのですから。「俺が気に入らないからこれは消す」はただの我儘でしかない。--イエティ会話2012年4月18日 (水) 00:03 (UTC)
コメント 別にマスコミに叩かれようが、映画製作会社はマスコミや評論家に褒められるために映画を作っているわけではないのですから、マスコミを敵に回しても儲かるというなら迷わずそうすると思うのですが。
それはともかく。イエティさんが提示したSakeiBizの記事は映画けいおん!自体に中身がないと批判しているのではなく、中身の伴わないAKB商法的なものを牽制しているようです(この違いは重要です)。これとは別にインプレスの記事で「映画けいおん!はリピーター目当ての商法だけでなくちゃんと中身もあった」とするものもありましたので[1]、これを出典として加筆しておきました。SakeiBizの記事も、ビジネスのアイデア自体は評価しており、中身があってそういう商法をするのなら問題ないという書き方になっていますので、これは「映画けいおん!」を批判する出典としてはあんまり適切ではないように感じます。--Kanohara会話2012年4月18日 (水) 01:08 (UTC)
儲かるからと言ってもモラル的限度があります。そりゃ、特典をひたすら付ければ付けないより売れるのに決まっています。にも関わらずほとんどの映画はそれをしないのはそれこそ阿漕な商法を理解しているからです。--イエティ会話2012年4月19日 (木) 01:11 (UTC)
「特典をひたすら付ければ付けないより売れるのに決まっています。」という意見には異議があります。たとえお金をもらってでも見に行きたくない、または見る時間を割きたくない映画というのもあるものです。--Himetv 2012年4月19日 (木) 05:00 (UTC)
つまらないと思う映画でもある人にとっては面白かったりしますし、特典があればそれに価値を見出す人間が必ずいるので、その分上乗せされるのは当然の事です。--イエティ会話2012年4月20日 (金) 01:22 (UTC)
コメント 正直イエティさんの文章からはけいおん!を貶めたいという悪意しか伝わってきません。この方の文章を要約すると「映画の出来は悪いけどフィルム目当ての熱心なファンが何度も観に行ったから17億という興行収入が出た」という風にしか読み取れない。確かに17億の中にはフィルム目当てのファンもいるでしょうがそれはほんの一部です。熱心なファンが何度も観に行っただけではこれほどの興行収入にはなりませんし、そもそも映画の出来が悪ければいくらフィルムが貰えると言っても何度も観に行こうとは思いません。リピート商法だけを取り上げるのではなく、ぴあ満足度ランキング年間3位に入るなど作品としての出来も評価されての興行収入だという事も記述すべきだと思います。Kanohara‎さんが編集してくれた様にAKB商法などと言われている事を指摘しつつ、作品としても評価されているという記述が良いと思います。--ZZ123会話2012年4月18日 (水) 02:14 (UTC)
別に悪意はありませんが。真実を記すべきというスタンスなだけです。特典商法がゼロの場合けいおん!がどの程度の興行成績に留まったかは神のみぞ知る、と言った所です。今ある事実はけいおん!が過去最大の特典商法をした、その事によりマスコミに他方面で叩かれた、という事実でしかない。記事を追加する分には異論は無いですよ。--イエティ会話2012年4月19日 (木) 01:15 (UTC)
話の方針的にはある程度の形にはなり始めているので大丈夫かと思いますが、イエティさんの考えとまだ齟齬があるようですね。「淡々と記すべき」であるのなら、その基となったメディアをそのまま引用してしまえばいいと言うことになります(もちろん丸々コピペしてしまうと著作権的に問題になってしまいますが)。それに引用の仕方次第でも、編集者の元の記事のとらえ方次第でそのあり方はいかようにも変わってきてしまいます。特に今回のイエティさんの編集の仕方を見るに「まず批判ありき」というのが透けて見えてしまいます。
改めて今回提示された出典を読んだのですが、J-CASTの記事は「今回の商法に関する2ちゃんねるを中心としたネット上での批判」、サイゾーは「松竹の苦境とそれを救う要素となった本作のヒットの裏側」、フジサンケイビジネスアイは「AKB商法の状況」の中で「その類例としての本作のヒット」をそれぞれ書いており、批判はあれど、全面的に批判していると言うわけでも、バッシングしているわけでもありません。特にJ-CASTの記事は「ネット上での批判を取り上げた記事」ですので「マスコミによる批判」とは言いがたいでしょうし、ビジネスアイの記事も「AKB商法のビジネスとしての評価」が記事の中心であり、「中身が伴うことが必要」という警鐘もあげています。同記事の富澤一誠氏のコメントも同様の趣旨ですよね。
少なくともこの手の評価記事を引用するのであるなら何らかの形で両論併記すべきではないでしょうか。また何らかの先入観を排除して客観的中立的に書く必要があると思います。あくまで百科事典でありますので。--Tmatsu会話2012年4月18日 (水) 02:20 (UTC)
実際編集者の主観は省いて出来る限りそのまま引用すべきでしょう。J-CAST、日刊サイゾー、SankeiBiz、全面的の定義はともかく批判してるのは間違いないですよ。両論併記する事には異論ありません。ソースがあるなら色々な意見を貼るべきでしょうし。毎日を加筆しておきました。あと時系列順に並べ替えました。--イエティ会話2012年4月19日 (木) 01:42 (UTC)

うーん、平行線をたどった状態になってますね…仕方ないので他の方の意見も必要かと思いますので、コメント依頼をかけることとします。--Tmatsu会話2012年4月19日 (木) 02:46 (UTC)

コメントコメント依頼から参りました。
主記事の編集履歴を見て不思議に感じたのですが、この議論を提議なさり、コメント依頼を行われたTmatsuさんは、記事「けいおん」の編集は行っておられないようですが、どういうことなのでしょう?
議論をざっと拝見した所、論点は
「Wikipediaのルールに照らし、記事 『けいおん』 の出典として認められる情報源は何か」
であるように思えます。まず、コメント依頼をなさったTmatsuさんから「認められる情報源」を具体的に示して頂き、イエティさん他、より広い範囲の情報源を出典として認めるべきとお考えの方が、「追加で認めるべき情報源」を具体的に示して頂けると、それぞれの意見が第三者に分かりやすくなり、議論がまとまりやすくなると思います。
差し支えなければ、まずTmatsuさんからお願い出来ますか?--Pooh456会話2012年4月19日 (木) 04:00 (UTC)
まずですが、本記事については私自身も編集を行っていますが、過去数年の分を含めて履歴を確認されましたでしょうか。本記事については分割なども行われているため、分かりづらくなっているかと思いますが、その点きちんとご確認ください。
また、「出典として認められる情報源」という点ですが、既にある程度明示していると思いますが、客観性が認められること、ゴシップ性が少ないこと、ある程度の統計資料となり得ることがあると考えています。その点で言えば今回の編集内容における出典ではある程度クリアできている、特にフジサンケイビジネスアイの記事はかまわない、私自身は考えますが、編集者の元の記事の読み方とらえ方に疑問があったり、主観がぬぐえないことが問題となっているでしょうし、私自身もその点を問題視しています。また、Black-Riverさんのように「確実に検証にたり得る記事が必要」という意見もあるでしょう。その点を鑑みた上で再度ご提案のほどお願いします。--Tmatsu会話2012年4月19日 (木) 04:23 (UTC)
(インデント戻し)忙しかったり体調が悪かったりで散発的にしか議論に参加できていなくてすみません。最初に余談ですが...この議論を提起することと項目の編集の有無は別にどうでもよいのではないでしょうか?今回の件の編集履歴見ていただければわかると思いますが、緩い編集合戦になりかけてたところだったのでノートに誘導してくださったTmatsuさんには感謝しています。別にこれから執筆に参加しようと言う人が提起しても構わない話ですし、むしろ「議論の参加(提起)者は執筆者に限る」なんてのはナンセンスでしょう。
閑話休題。私見でしかありませんが、私はこの議論の本質は出典を認める認めない云々ではなくて「両論併記」の解釈の仕方にあるのではないかと思っています。多分皆さん「AKB商法」と言われたということ自体を書くべきではないと仰っている方はいないように感じています。他方、イエティさんも両論併記には異論は無いと仰っていますが、多分最初の立ち位置が全然違っているので両論併記と言って記述しても、他の人が見た際に両論併記に見えないという事態が発生しているのではないかと思います(少なくとも私はそう思ったので、平成24年4月14日 (土) 13:26(UTC)の編集で「両論併記だと書いてもこんなもんでしょう」とコメントをつけて編集を行っています。できればイエティさんにはこの編集に対して何が不満だったのかご教示いただきたいところです)。
他の方も仰ってますが、イエティさんの書き方だと公平な両論併記ではなくて、随分批判寄りの併記になってしまっていると言うのが私の正直な感想です。というのも、出典もさることながら数字を書いている直後に「所謂AKB商法といわれている」とだけ書いてしまえば「すべてはAKB商法のおかげだ」と読めてしまう。これは公平な両論併記では無いでしょう。確かにこのやり方で叩かれたこと自体は事実かと思いますが、それが全てではないでしょう?
申し訳ないのですが、イエティさんにはもう少し他の編集者の話も聞いていただきたい。イエティさんが出典として出されている記事に対して解釈が異なっている事実があり、それをTmatsuさんが指摘しているにもかかわらず「全面的の定義はともかく批判してるのは間違いないですよ」と決め付けられてしまってはお話ができないというのが正直なところですし、偏った出典(本質的には偏った解釈かもしれませんが)を集めてきて「編集者の主観を省いて」というのもちょっと納得しがたいなと感じております(出典の集め方や解釈自体が編集者の主観になってしまっている)。イエティさんが「世論はこの商法に非難轟々である」という主観を持たれて執筆されること自体は(推奨されることではありませんが)結構ですが、自分の立ち位置から見える見え方での書き方でしか許さない、もしくは自分の見え方(書き方)以外は公平ではないと書かれるのは問題です。貴方の記述に対して異論が出ていることに耳を傾けてください。皆さん単に「ファン心理で批判は許さない」みたいな低い志で意見を出されているわけではありません。--Shain2006会話2012年4月20日 (金) 16:10 (UTC)
取り合えず現状における興行成績の項目で公平性が欠けてるとは思いませんが。AKB商法だけでなく中身自体が良かった、という記事もあるのですし。J-CASTもcyzoもSankeiも今回の商法を批判してるのは間違いないでしょう。そこを否定するのはそもそも根本な所から食い違う気がしますが。私は他者の編集した文も組み込んでます。編集履歴を見れば解りますが、自分の文以外は受け付けないなどという訳ではありません。--イエティ会話2012年4月21日 (土) 00:23 (UTC)
サイゾーに関して:あのですね、サイゾーに関して言えばYahooやライブドアで取り上げられようが「ゴシップ記事は信頼性に乏しい情報源に変わりはない」と言っている、それ以前に大元からYahooやライブドアに文面そのまま記載されるような物は一次資料の域を出てはいない、「他で使われているから」といってそれが適切な編集だということではないのですし、削除しても構わないというだけの話ですので例えるなら「他所は他所、家は家」の域を出ていない。何なら暇さえあればサイゾー関連の文の削除に手をつけようかとも考えてます、サイゾーが使われているのはわずかのようですし。
毎日について:意見をちゃんと読んでもらえませんか、「新聞でどう書かれているかを見せる意図しかないです、記事のソースにはしません」と言っています。しかしエレキではなくアコギですねと記載されているのは確かですね、この事はイエティ氏も2012年4月16日 (月) 19:48の意見で「毎日新聞はエレキではなくアコギと言っています」と認めてらっしゃるようですし。それを踏まえて改めて言いますが、皮肉あるいはユーモアじみた文面をもって「指摘」と見做すのは「恣意的な解釈」であり不適当です。というか「指摘とは言い難い」と言われる時点で「指摘」とは解釈できないと意見します。
J-CAST:これの出典の正当性に異論は唱えていません、ただ以前に要約欄に書いたように「興業と結びつけるような記述がない」ので、争点となった記述内に組み込むのは不適当です。J-CASTの記事には「半券24枚を貼ることのできる交換シートを配布する」と「今回の商法に関する2ちゃんねるを中心としたネット上での批判」ぐらいしか書いていないので、私もそれに基づいて編集したのですが消したようですね。「興業と結びつけるような記述がない」出典の記述を他の興行の文章に組み込むことは「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に該当します。
サンケイビズ:まず出典の正当性自体に異論は挟みません、問題だと言っているのは争点となる記述は「商法に関する記事の内容」であってけいおん!で扱う類のものではないということです。「AKB商法」を叩いているっていう風に言うくらいなら「AKB48#AKB商法」で書くのが一種の筋でしょう。記事に基づいて商法について書くなら、けいおん!のみならず語源の大元のAKB48やSexy Zone、ビックリマン・チョコも書かなければ意味がない、そうでなくても明らかに商法について述べてる記事何だからけいおん!一部のトピックではない、だったらけいおんではなくAKB48#AKB商法で記載するのが妥当です。
さっきから「記事を淡々と記す事に終始する」と言っていますけど、他の方も既に言っているように、サンケイビズで書かれた「もあって~」を「お陰」、サイゾーでは「功を奏したようだ」のように不確かな言い方の文面を全面的に「商法が要因で成功した」と解釈したりする辺り、とてもではありませんが「記事を淡々と記すべき」というような者の言動とは到底思えません。「けいおんの興行成績の最大の要因は特典商法」だという観点を勧めるような出典の使い方、挙句、Tmatsuさんが出典について述べていることや全ての出典の要旨を、「全面的の定義はともかく批判してるのは間違いない」と捉えている時点であなたの客観性には大いに疑問視せざるを得ません。映画の興行成績にしてもどういろいろ述べようが、売れたか売れなかったかの結果しか我々には知りようがなく、その過程の「特典、商法が貢献した可能性」はあれど「特典、商法が原因で売れた」というのはどんな大手出版社や新聞が書いても「予想、推理」にしかなりません。「けいおんの興行成績の最大の要因は何なのか、それは各々が判断すればいいだけ」というが、その意見は「特典や商法と興行成績の因果関係は結びつかない」という意見のKanoharaさんやShain2006さんの意見の反論にもなってない。ていうかこの文面では「あくまでこのメディアはこう取りあげてる、と淡々と記している」とは言わないし、商法が要因となったとしか解釈しようがないし、中立的にしようと編集したお二方の編集を差し戻している辺り、「けいおんの興行成績の最大の要因は特典商法」という観点を勧めようとしてる以外の何物でもないような行為だと判断します。それ以前にサンケイビズでは“AKB商法あってのお陰”とは書いてませんし。どうあれ出典付き記述をご自身の都合のいい「真実」のために利用するのは止めてください。--B.R会話2012年4月20日 (金) 17:43 (UTC)
cyzoに関して。貴方がcyzoに関してどう思うかは自由ですが、実際にニュースサイトでありライブドアやyahooに一次引用されてるのであればそれは有効なソースに成り得ます。大手新聞じゃなければソースにならない、だと一体このページのけいおん!におけるどれだけの出典元と記事を消さなければいけないのでしょう。三桁超える記事を削除しますか?そもそもこの記事を消したいがために今まで信憑性について異論が出る事も無かった他のcyzo記事も消そうというのは今回の件をひたすら隠蔽しようという歪な執念を感じてしまいます。
毎日に関して。「エレキではなくアコギ」と言ったのは貴方も認める所ですね?(ユーモアかどうかは読者の受取ようなのでどうでもよい)言ったのは確かなのですから阿漕と指摘した。と記すのに過剰に反応する意味がわかりません。「『エレキではなくアコギである』と指摘している。」文章そのままに書いた方がいいという事でしょうか?
J-CASTについて。「多くのフィルムを手に入れたいと思えばファンはチケットを大量購入するしかない」と述べており、大量買いすれば当然興行収入も大幅に上がる訳で、興行成績の項に記すのに何ら不自然は感じません。
SankeiBizについて。Sexy Zoneやビックリマン・チョコの項にこの出典元を加えるべきだ、と言うなら誰も文句は言いません。好きにしたらよろしい。ただけいおん!が触れられてる以上けいおん!の記事から削除すべきというのは不当になります。またこの商法もあって100万人の動員を達成した、とあるのでけいおん!の動員数も語っている興行成績の記事に書くのが適切でしょう。
けいおん!の興行成績の最大の要因が内容なのか、AKB商法なのか、それは誰にも解らないと言っています。私は最大の要因はAKB商法と記した事はありませんし、勝手にそのように判断されてもそれは思い込みというものです。だが要因の一つなのは疑うべくもなく、これを記すのは当然の事です。
他の方は記事があるのだから載せるべきだ、というスタンスに見えるのに対しどうもB.R氏はとにかくけいおん!の項目で批判記事は許さない、みたいなスタンスに見えるのが率直な印象です。ウィキペディアはそういう場ではありません。不都合な事でも記されるのです。貴方に取って甘い事しか書かれない場所ではありません。ある映画がヒットした、そのカラクリでこれだけ批判された。これら全てを記すのが公平性というものです。--イエティ会話) 2012年4月21日 (土) 01:12 (UTC)インデント位置直しました--Shain2006会話2012年4月21日 (土) 01:41 (UTC)
イエティさんへ。Wikipediaは告発の場ではありませんし不都合なことがあるにせよ必要以上に書くべき場でもありません。あなたに見えているとされる事実だけが全てではないことに気づいてください。「取り合えず現状における興行成績の項目で公平性が欠けてるとは思いませんが」と発言されていますが、みなさんあなたの書きっぷりだと公平性に欠けていると言っているのです。
はっきり言います。イエティさんと他の方は根本的に食い違っています(イエティさん風に書けば「イエティさん他の方根本的に食い違ってます」となりますかね。これだけでも文の印象が全然違うと思うのですが)。根本が食い違っているところに「間違いない」と断言して前提が異なっているところで論を進めるからこじれるのです。
イエティさんは「私は最大の要因はAKB商法と記した事はありませんし、勝手にそのように判断されてもそれは思い込みというものです」と仰っていますが、私は実質的に最大の要因はAKB商法と言わんとしている(暗にそう判断せざるを得ない)文章になっていると思っていますので、貴方の書き方には問題があると言っています。「私は他者の編集した文も組み込んでます」と仰っていますが本当にそうでしょうか?短文を組み込むだけではなく、その編集者が言わんとしている意図まで組み込んでいますでしょうか?あなたの意に沿うようにちょこっと入っていても、それは組み込んだとは言いません。私の文案は全否定で戻されていますが、ここにどのような問題があったのですか?少なくともこの部分については「自分の文以外は受け付けない」と感じてしまいます。
「ある映画がヒットした、そのカラクリでこれだけ批判された。これら全てを記すのが公平性というものです」そのカラクリ部分を必要以上に強調して執筆することは公平とは言いません。せめて「ある映画がヒットした。だが一方であるカラクリがあるという批判もある」とするのが私の考える公平な文です。--Shain2006会話2012年4月21日 (土) 01:41 (UTC)
何十行にも及ぶ文章ならともかく、現状の4行ほどの文章を「必要以上」とは感じません。あと議論の最中に数の理論を持ちだすのはどうかと。作品のノートはその作品の信者が集まり易い傾向がありますから批判的な書き込みはとにかく一切許さない、みたいな感情論タイプが複数居ると思われます。その辺差し引いて考える必要があるかと。貴方の編集記事だと「一部からはAKB商法と言う声もある。」とあります。この書き方だと極一部だけがこの商法を指摘している、という事になると思いますので、一社だけに指摘されるのならともかく、cyzo、J-CAST、毎日、産経これら複数に指摘されるのはとても一部とは言い難い、と思い編集しただけです。ちなみに今の興行成績の項の文面で問題はあるでしょうか?これが公平な記事だと感じていますが。--イエティ会話2012年4月22日 (日) 01:23 (UTC)
(インデント戻します)ご回答ありがとうございます。ようやく問題点が見えてきた気がします。多分問題点は2つ
  1. 「一部」の捉え方の違い
    ここに一番大きな齟齬があったのでしょうね。やっぱり。「cyzo、J-CAST、毎日、産経これら複数に指摘されるのはとても一部とは言い難い」とありましたが、私はこれは(これだけであれば)一部の声でしかないと考えています。出典の強さとも関わってくるので泥沼になりがちなのですがそれを恐れずに書けば、やはりサイゾーは所謂ゴシップ系の記事ソースなのである程度大げさに書くことを差し引かなければならない、他3つについてもメインで取り上げて社会問題みたいな感じで扱っているならばともかく単に一事例として扱ったものをこの映画の興行成績のすべて、または大多数の解釈として見るのは難しいのではないでしょうか。例えば著名な映画評論誌やアニメ業界紙などの複数(大多数)で批判する論調が一致しているとかならば物事は簡単なのですが...
    なので、書くならばこれが大多数という物を決めずに一部と一部で並列させる必要があるかと思います。多分興行成績の節の前半部からも賛美系の表記を抜いて、批判と並列させるような書き方に変えるべきなんだろうなぁと思っています(ちょっとこの後予定があるため、明日辺りまでに文案を考えてみます)。
  2. 感情論の考え方の違い
    「作品のノートはその作品の信者が集まり易い傾向がありますから批判的な書き込みはとにかく一切許さない、みたいな感情論タイプが複数居ると思われます。」とのご発言がありましたが、これを言ってしまうとそこで会話が終了してしまうおそれがあります。仰る通り所謂「信者」さんの存在自体は否定しませんが、相手が感情論だろうと考えて発言されると、相手側からは「ゴリ押し」と見えてしまうのも事実です。また議論に敵味方分けてみるようなやり方になってしまうので議論が泥沼化します。例えば、イエティさんから見れば私も「信者」もしくは「ファン」と見えているのでしょうし、私から見えれば逆に「アンチ」と見えてしまう。こんなことで思考停止してしまうのももったいないと思いますし、私もそれ以前にWikipediaの1執筆者ですので基本的には「信者」とか「アンチ」とかは考えないようにしているつもりです。
    なので、基本的には「信者」とかの存在は無いことを前提としてお話を進めていただければと思います。あまりに「信者」っぷりがひどいようであれば、それは執筆者個人の資質の問題ですから、例えばコメント依頼とかに持っていくような案件になってしまうかと思いますので。
あと、上記の別件になりますが1件。「何十行にも及ぶ文章ならともかく、現状の4行ほどの文章を「必要以上」とは感じません。」について。明らかに違いますと言っておきます。上でも指摘があると思うのですが、文量ではなく書き方に問題があると言っています。イエティさんの(以前の)書き方だと、興行成績のくだりを受けて「このほとんどがAKB商法のおかげである」と結論づけています。結果を自分の考える方向に持っていく書き方は十分必要以上の強調と私は感じました。
現行の記述についてですが、少しですが個人的に文の後段(結論部)で批判→肯定→批判の流れになっているので印象として批判の方が強くなっているように感じます。ただ、(上述しましたが)よくよくこの部分を見てみると前段で「アニメーション映画史に名を残す快挙を成し遂げることとなった」とか無暗な賛美もされているので、この辺含めて構成を考える必要がありそうです。--Shain2006会話2012年4月22日 (日) 02:36 (UTC)
遅くなりましたが、映画の節の前半部についての文案を考えてみました。色々いじってますが、基本的には特定の見方を推進するような記述の排除と(作品に対する)評価の排除を行っているつもりです。
この節ですが、一応「興行成績」という項目なので、話をわかりやすくするため中身に対する賛否は抜いて前半部は純粋に興行成績としてどのような数字を出したかに絞りました。後半部で今回の議論対象の部分を記述していますが、批判があることは事実として、このような見方もあると成績の数字の直後に示しました。特にこの商法が要因といったような判断はせずに読者に判断してもらうスタイルにしたつもりです。
とりあえずは、話のたたき台ということで書いてみましたので、よければ(イエティさんにも、その他の方にも)ご意見頂戴できればと思います。
なお、たたき台ですので削除した部分等はあえてコメントで残してあります。これらの直前に削除した理由をコメントで記載してありますのであわせてご参照いただきたく思います。--Shain2006会話2012年4月23日 (月) 15:24 (UTC)
立案ですが、公平性が確保されてると感じましたので、私は異論はありません。--イエティ会話2012年4月24日 (火) 02:34 (UTC)
まず興行成績でなくともぴあの評価は載せるべきだと判断します。そしてサイゾーには「純粋に映画を鑑賞する目的以外にグッズを収集する目的での購入も相当数あった」といった文面はないので記載は不適当ですし、そもそもサイゾーを信頼に足るものとして使った記述には反対です(Yahooで取り上げられようが、ゴシップ系の記事は信用できないものに定義されているし、それを担保に実際にそうした事象が起きていると定義する理屈は間違っている)。
J-CASTでは「2ちゃんねるで「搾り取り商法」と揶揄され、批判された」といったことしか書いてないのでその出典で一言も書かれてない「AKB商法」の根拠にするのには反対です。また細かいことですが3回見れば一枚はフィルムを貰えるのだから「メモリアルフィルムを多く入手するためには同一の作品を複数回鑑賞する必要」にするべきです(そもそもサイゾーでも半券3枚ごとにおまけをつけたりとしか書いていないので)。--B.R会話2012年4月24日 (火) 14:56 (UTC)
再度言いますがcyzoの記事が駄目ならけいおん!の記事の9割は削除しなければいけなくなります。自分の好みで取捨選択するダブルスタンダードはお辞め下さい。そしてJ-CASTは「多くのフィルムを手に入れたいと思えばファンはチケットを大量購入するしかない」こう述べてるので立案の表記で問題はありません。あと1個手に入れるだけの3回でもそれは複数回と言えます。--イエティ会話2012年4月25日 (水) 09:53 (UTC)
コメント ややこしくなるとまずいので絞って書きますが「ぴあ」>「サイゾー」という序列には疑問を感じます。equalとはいいませんが五十歩百歩レベルかと。--にの会話2012年4月25日 (水) 10:28 (UTC)

本記事をざっと見てサイゾーが出典となっている箇所は3箇所、そのうち一つはサイゾーを削ったところで他の出典が補っているので、そんな状態中高生でも9割などとは言いませんよ、過剰に大げさな言葉でごまかさないように。J-CASTでは「多くのフィルムを手に入れたいと思えばファンはチケットを大量購入するしかない」と書かれていても、こういった商法をAKB商法だと見做している記述はどこにもありませんので、出典に書かれている以上のことを記載するのは大いに問題があります。それと「序列」を問題視しているわけではないですし、そんな話をしているわけではない、信頼に足るかどうかを論じています。--B.R会話2012年4月25日 (水) 13:10 (UTC)

「信頼に足るかどうか」と書かれていますが、それこそ私は「ぴあ」も「サイゾー」も同程度の「信頼に足る(足らない)」出典だと思っているんですが……。上記のやりとりを見ていますとどうしても「ぴあ」のpriorityを上げているように見えてしまいます。negativeな記述が云々、という話に踏み込むとややこしくなるので媒体自体の話で止めています。--にの会話2012年4月25日 (水) 18:20 (UTC)
こちらもcyzoを他の出典が補ってると言えるわけですが。あと9割とはけいおん!の記事に使われてる「大手新聞社でもないニュースサイト」の数です。yahoo、ライブドアにも一次ソースとして載るcyzoが信頼性が確保されてないなら他のけいおん!の記事の9割も信憑性が足らなくなる、という事です。曲解はお辞め下さい。
J-CAST自体はAKBという言葉を用いてませんがcyzo、産経がそう指摘してる訳ですし出典に書かれてる以上の記載ではありません。「一人の熱心なファンが何枚も大量購入する仕様」という文面があるだけで常識的範疇からAKB商法と同一なのはわかりますしね。--イエティ会話2012年4月26日 (木) 00:07 (UTC)
とりあえずインデントの振りミスには気をつけてください。改行しただけでは別の段落扱いになりますので。
話を変えて。情報ソースの件は、ただポータルサイトに載るだけで一次ソースとして担保されたわけではないというのは一応言っておきます。これはどのサイゾーやJ-CAST以外の、あらゆるニュースサイトにも言えることです。それこそ「情報源の信用性」という面で全Wikipediaの記事の出典を検証する必要性を問うことになります。それを全編集者ができるでしょうか。ただでさえ編集者による記述が主観客観入り乱れているわけですから。どの辺で信用たり得るか折り合いをつける必要があるのではないでしょうか。それこそこの点で対立し続けるのであるなら少なくとも本記事だけでもBlack-River、イエティ両名の責任をもって2人で徹底的に出典を検証してくれと言いたくなりますが、さすがに無理な話です。
AKB商法の定義の扱いに関してはここでやっても決着がつかないような気がします。それこそAKB48の記事のノートや井戸端の方で「商法の定義とは、そしてどこまでがその定義の範疇となり得るか」と言うのを一端話しあった方がいい気がします。そもそもとらえ方によってはこうした特典商法は十把一絡げにとらえることもできるし、別の物と考えられるでしょう。そうした定義に当てはまるのかどうかミクロではなくマクロな視点で考える必要があるのではないでしょうか。同様に「常識的範疇から判断」というのは、どの観点で常識的なのか人や文化、時代によって変わるのでその点も留意する必要があるのではないでしょうか。--Tmatsu会話2012年4月26日 (木) 05:29 (UTC)
まず「大手新聞じゃなければソースにならない」とは一言も言ったことはありません、「曲解はお辞め下さい」その言葉そのまま返します、散々人の意見を曲解しておきながらよく言えたものですね。ぴあの何が同列なのかは理解しかねますが、少なくともWikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価の観点からすれば、名無しの関係者殿が語ったことを信頼できるというようには定義できないでしょう。
J-CASTに関係しての意見ですが、Shain2006さんの整理案を叩き台とすることに異存がない以上、それについて話すことにおいて「商法の定義とは、そしてどこまでがその定義の範疇となり得るか」は論じる必要性はないものです。この文面にJ-CASTのこの出典を用いる以上、AKB商法だとする根拠として使ってはいけません。「一人の熱心なファンが何枚も大量購入する仕様」と書かれていたからといってJ-CASTの記述がAKB商法を指しているあるいは同一だというのは個人の見解に過ぎませんし、それこそ「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に合致します。
あなた以前「あくまでこのメディアはこう取りあげてる、と淡々と記すべきだと思いますよウィキペディアは。それに対して我々の感想は必要ない」だの「編集者の主観は省いて出来る限りそのまま引用すべきでしょう」と言ってましたが、今度の「一人の熱心なファンが何枚も大量購入する仕様という文面があるだけで常識的範疇からAKB商法と同一なのはわかりますしね。」は何ですか、J-CASTでは確かに「何度も劇場に足を運んで映画を観れば特典がもらえるという仕組み」の文面こそありましたがAKB商法のAの字も出ていないのにAKB商法と揶揄されたなど何が「淡々と記す」ですか、「そういった文面だけで常識的範疇からAKB商法と同一だとわかる」かどうかなぞどう聞いてもこじづけであり、編集者一個人の主観の域を出てない意見ですよね。こんだけ話して適当な整理案が出たというのは瓢箪から独楽だとは思いますがはっきり申し上げます、最早これは本記事の問題というよりはイエティなるユーザーの言動自体の問題であると考えます。情報源たる資料で書かれていることの一部を切り取って拡大解釈・誤解釈した上に、それを安易に真実だと言わんばかりの態度を取り他の方からそれを指摘されても反論になってない反論を繰り返す、淡々と書くと言いながら特定の観点を推し進めようとするような編集強行、出典の一部の記述から特定の観点にこじづけるなどよもやいつまでも「納得」しない行為を繰り返しているに値します。故にユーザーとしてのコメント依頼が必要だと判断し、提出しようと考えます。--B.R会話2012年4月26日 (木) 15:09 (UTC)
すみません。忙しくてWikipedia自体見れていなかったのですが、少々荒れ気味ですね。ヒートアップしてきています。上から目線で失礼かもしれませんが、B.Rさんも落ち着いてください。あと、ヒートアップされているからかとは思いますが、ブロック依頼を一種脅しのように使うことに対しては苦言を呈しておきたいと思います。上のような文脈からブロック依頼を持ち出すのはそれこそルールの悪用です。まだ会話不能な段階ではありませんし、ここまでの会話を見てもただ一人が納得せずに引き伸ばしていると言う状況ではありません。また現状、論が衝突して話になっていないのは主にB.Rさんとイエティさんの間です。私は現状でB.Rさんがイエティさんのコメント依頼を提出するのは不適当と考えます。
本件についてですが、たたき台を出した後そのままになってしまい申し訳ありませんでした。ここまでをざっと見るに、問題は「出典の信頼性」と「AKB商法という表記」に関する部分に分かれるのかと思います。
まず、「出典の信頼性」についてですが、正直こんなところでそうそう簡単に白黒つけられるものとは思っていません。以下また私見になってしまうのですが、当然出典の信頼性には強さがあると思います。査読された論文なんてのは信頼性が相当強いと考えられますが、例えば「けいおん!」に対して(項目全般に適用できるような)論文なんてものは存在しないと思います。なので他に出典を求めることになるのですが、そこは記載しようとする内容によって求められる出典の強さがあるのではないかと考えます。例えば、サイゾーの記事を医学系のコアの部分の出典に使用しましたなんてのは当然NGかと思います。ただ、例えば世論の話の一例として取り上げる程度であればサイゾーを出典とする記載があっても構わないと思っています。この辺の適用はは適材適所でしょうし、そのために執筆者同士コミュニケーション取りながらやっていくもんだと思っています。
次に、「AKB商法という表記」についてですが、私は(たたき台で)出典としてJ-CASTとサイゾーの両方の記事を出典として記載していますが「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」には当たらないかと思っています。ここでの情報の合成とは「AならばBである、BならばCである。だからAならばCである」といった別の内容を意図しているものを組み合わせて、どちらのものも意図しない結論を導き出すものと考えているのですが、今回の件に関して言えば2件の出典はほぼ同じ結論を導いているものであり、どちらも言及していない内容とはなっていないと考えています。確かにある程度は出典の私の解釈も入ってはいるのですが、Wikipediaの出典が必要というのは、出典の引き写ししかできないと言う事とイコールではないと考えます。
組み合わせる事自体が悪いとなれば、「AKB商法」という部分を「搾り取り商法」とでも書き換えることになるかと思いますが、この項目を読むと想定される方のバックボーンからも搾り取りよりはイメージしやすいかと考えてこの表記を採りました。まぁ、当然とか常識的とは言いませんが私の解釈も、サイゾー記事内のAKB商法とJ-CASTの搾り取り商法が同一のものをさすと解釈するのが妥当と考え、出典の文意を大きく損ねるものではないと判断しています。
最後に余談ですが、「ぴあ」の初日満足度ランキングを興行成績から外した件について、ぴあの初日満足度ランキングは「毎週、新作映画の公開初日に、ぴあ出口調査隊が映画館前でアンケートを実施して独自に集計しているランキングです。」ぴあ初日満足度ランキングのページより引用)となっており、売り上げを統計的に処理した興行成績の数字と並列に並べてはいけないものと考え、ここから外しました。ご理解いただければと思います。--Shain2006会話2012年4月26日 (木) 17:45 (UTC)
B.R氏へ。情報提供者が匿名(例えばAやB)であろうとニュースサイトであればソースに成り得ます。そして大手のyahooやライブドアの記事にもなるというお墨付きがあるなら尚更です。よってcyzoはけいおん!における他の多くの記事並かそれ以上の信頼性は有しています。J-CASTについては「AKB商法」と明言はしていませんが、AKB商法の定義は熱心なファン一人に大量買いさせる仕様なので同じ事です。またAKBという語句自体はcyzoと産経自体が述べてるのでこれを記すのに不自然さはありません。そして私以外にも2人に突っ込まれてる貴方がこれはユーザーの問題と言われても説得力がありません。とりあえず今の興行成績における記事でどの辺が拡大解釈・誤解釈なのか具体的に指摘どうぞ。記事における事実を淡々と記してるだけですが。B.R氏はとにかく自分の好きな作品を愛するあまり項目から批判的な記事を全て排除したいようですがそういう歪んだ感情はウィキペディアに必要ありません。貴方は他所の項目を見て例えば企業なら不祥事等が記されてる事を理解して下さい。社員が会社に不都合だと思いそれを削除しても事実としてニュースになってるのですからそれは通りません。貴方はこの社員と同じ事をしてる訳です。Shain2006氏並に冷静に見れる視野を持って下さい。--イエティ会話2012年4月26日 (木) 18:53 (UTC)
コメント依頼を見て参りました。まず、yahooやライブドアにニュースを提供しているからといって、それによって信頼性をかさ上げすることはできません。単に提供を受けているだけのポータルサイトが査読を行なっているわけではありません。発信する情報源の信頼性とは何の関係もないのです。Wikipediaのガイドライン「Wikipedia:信頼できる情報源」について、もう少しご理解を深めて下さい。次に、そのようなあまり信頼性の乏しい情報源ながら、苦慮して構成したShain2006さんの内容をたたき台にすることは賛成ですし、収益モデルの通称としてAKB商法の文言を使う意図や利便性も理解できます。ですが、疑義が示されている以上は直接その言葉が用いられている出典を探した方がより信頼性の向上につながります。検索によれば、週刊新潮こちらにあるようなので(無論、検索にひっかかっただけでは出典になりませんし、信頼できる出典ではありませんが)、掲載したい側が図書館などからこの該当する週の原本を探し出し、記述を確認して出典を明記してみてください。B.Rさん相手にここで議論するよりも、ずっと容易く問題が解決するでしょう。--Sikemoku会話2012年4月28日 (土) 05:15 (UTC)
Sikemokuさんありがとうございます。そうなんですよね。一番揉めないのは信頼性の高い出典を見つけてくることで、私も時間があればまとめる際に新たに良い出典を見つけられれば良かったのですが...(AKB商法という表記(単語)自体に出典を伴った定義が無いのは確かです。ここに批判が多いようであれば表記方法を検討する必要もあるでしょう。例示されたURLの話は出所がとある人のツイッターのつぶやきらしいのですが、裏づけが弱くまたこの人の映画・アニメ系に対する影響度がどの位あるのかわかりかねたため、出典として使うのはあきらめていました。)
イエティさん、自分の記述の正当性を訴えて他人を批判されるのも結構ですが、一番の原因は揉めそうな題材を記載しようというのに強い出典や自分の主張を補えるだけのものを持ってこなかったやり方が原因なのを忘れないでください。私はイエティさんの投稿記録を拝見して執筆暦の浅い方(IPでの編集期間とかは考慮しません)かと思い、フォローの意味合いもこめてお互い妥協できる記述の仕方を探しましょうと持ちかけただけの話しです。多分執筆暦の長い方が今回と同様の投稿をすれば、もっとマシな出典持って来いと一蹴されても文句は言えないでしょうし、あなたの「淡々と」には私を含め複数の方から「それは淡々ではない」(中立的な記述ではない)との指摘があがっていることとを忘れないでください。このことに対して言及しないで「私が中立だ」と他を批判する行為は、一種対話拒否(対話停止)に近いものがあり、このようなやり方を続けるようであれば早晩また問題となってしまうことでしょう。
あまりここで執筆者自身の行為を書くのは本論と離れるので最後にしますが、極論、ファンとアンチの編集合戦のようになってしまったのは非常に残念です。本意ではありませんがあまりに批判合戦が酷くなるようであれば別の手段を考えざるを得ないかとは思っております。--Shain2006会話2012年4月28日 (土) 10:41 (UTC)
例えば、今のけいおん!の興行成績に対する記事が「どこが公平性がないのか」を具体的に反論できる人はいません。記事を羅列してるだけですから、それはそうですね。ファン感情で「この記事は嫌だ」と否定しても、それが論理的反論が伴わなければ意味がありません。特に作品の記事ではそういった感情論だけで編集を行う信者傾向があるのを差し引かなければなりません。私はけいおん!アンチではありません。アンチであるなら作品自体の評価も高いといった記事や、アニメーション史に名を残したなどといった記事も大手ニュースサイトではないから信頼性に欠ける、と削除するでしょう。あくまで個人サイトではなくニュースサイトであるという一定の信頼性が確保されていれば作品の肯定意見も否定意見も記載すべきというスタンスを取っています。否定意見のみ信頼性が足りないなどというアンフェアな輩には物申しますが。--イエティ会話2012年4月30日 (月) 02:43 (UTC)
まず、コメント依頼に出そうと考えますが、ブロック依頼は上記での私以外の方が言っていることを理解しなかった場合の最終手段として致し方ないと考える程度であり、現段階ではブロックの提出は状況の推移次第といったところです。主に話しているのが私とイエティなるユーザーとしても、「yahooやライブドアにニュースを提供しているからといって、それによって信頼性をかさ上げすることはできません」といった趣旨の発言を指摘されながら「yahooやライブドアに取り上げられている」からといった主張を強固にし、他方で出典の論旨を指摘されながらも「批判していることは間違いない」などと一括りするなど話になってないのは私とだけじゃないとは思いますがね。個人的心象で言えばそこまで悪評を書いてほしくないと思うなら搾り取り商法なんて言葉を使った文面は絶対に使わない。それと熱狂的とは言えないもののけいおんを愛好してるのは否定しませんが、だからといって否定的な意見を載せるなといった次元の低い話をしているつもりはないのですがね、信頼性の高い出典であればAKB商法と言われているといった記述を載せることに反対はしないし。それこそ適当な出典を持ってこいという話ですし。
サブカル系で論文を期待するのは聊か無理そうでしょうね。それとは別に「世純粋に映画を鑑賞する目的以外にグッズを収集する目的での購入も相当数あった」の辺りについては「ファンの購買意欲をあおれるだけあおっている」と書いているだけで、そうした意図の購入者がいたことを指してはいないし、それに名もなき映画関係者の意見を以て「世論の話」と定義付けるのは聊か無理があるんじゃないですかね。
「リピートポイントシートについても~AKB商法の一種とも揶揄された」の文面において「J-CASTで搾り取り商法と批判された、そして商法はAKB商法と言う声があった、従ってJ-CASTはAKB商法と喩えた」としている状態だと意見しています、従って「AKB商法の一種とも揶揄された」の出典としてそういった例えを用いていないJ-CASTを出典として用いるのは不適切だと言っている。「AKB商法に喩える声もあり、2ちゃんねるでは搾り取り商法として批判された」のほうが幾分か中立的と考えますけどね。それとどうせやるなら(脚注表記は端折りますが)出典をSankeiBizに変更したうえで「SankeiBizの記事ではAKB商法を連想させる手法として括られ[2]、2ちゃんねるでは搾り取り商法として批判された[3]」のほうが一種の落としどころだと判断・提示します
最後にぴあにおいては別に興業節以外に記載場所はあるだろうと考えた上で意見しました。--B.R会話2012年4月28日 (土) 17:42 (UTC)
イエティさんの発言を見直すと、B.Rさんに対して誤解を抱いているようなので説明いたしますと、B.Rさんはファンだから批判を削除しようとしているわけではありません。あくまでのWikipediaのルールに従い、「けいおん!」項目の記事の品質のために記述の除去を考えているだけなのです。まず、信頼のできる情報源には「特別な主張には特別な証拠が求められる」の項目があります。特別な主張(この場合はネガティブな評価に対してですが)には、特に信頼のできる情報源が必要とされています。とりあえずの出典として、J-CAST、サイゾーらがつけられていますが、それらは到底求められる出典の水準に達しておりません。どうしても掲載したいなら、本来ならば掲載したい側が信頼のできる情報源を大衆文化やフィクションの項目を参考に探し、それがWikipediaの信頼性を損ねないか最大の留意をして、はじめて記載できます。現在検討中の記述は、本来ならWikipediaのルール的には除去されてもまったく文句をいえないものです。Wikipediaの質を保つためには、そうすべきです。ですが、編集合戦になりつつあるため、記事の保護を避けるためにShain2006さんが折衷案をだし、B.Rさんも上記のように妥協して歩み寄りを見せています。このことをどうかご理解下さい。--Sikemoku会話2012年4月29日 (日) 04:58 (UTC)
Sikemoku氏へ。残念ながら、B.R氏は一度このけいおんの商法に対する記事を産経や毎日のソース含め全削除しているので到底中立とは言えません。「J-CAST、サイゾーらがつけられていますが、それらは到底求められる出典の水準に達しておりません。」とありますが、では貴方の考える信頼に達する水準とは何でしょう?個人サイトではなくニュースサイトであり、yahooやライブドアに一次ソースとして挙がるものが「wikiに記載するに値しない」となれば、つまりけいおん!の他の記事もそれと同等かそれ以下の信頼性しか確保されてないのですから9割方削除してしまえるという事です。サブカルアニメである以上ここはその記事が大半だという事をご理解下さい。「こっちは俺が気に入らないから消してこっちは残そう」というダブルスタンダードは通用しません。またJ-CAST、cyzoなどけいおん!の他の項目で1年以上信憑性について誰も文句出なかった事もあり今更信憑性に疑問符が付く事ではありません。--イエティ会話2012年4月30日 (月) 02:14 (UTC)
履歴を拝見していますが、出典として不適切なものをつけてそれが除去されるという当然の成り行きを、「中立とは言えない」とおっしゃられても困ります。また、「信頼に達する水準」についても、方々が何度もWikipedia:信頼できる情報源について案内しています。「yahooやライブドアに一次ソースとして挙がるもの」についても、「査読」の観点から考えれば自ずと答えにたどり着けるでしょう。どうか基本方針とガイドラインを時間をかけて確認して下さい。また、「J-CAST、cyzoなどけいおん!の他の項目で1年以上信憑性について誰も文句出なかった事もあり今更信憑性に疑問符が付く事ではありません」については、単にこれまで指摘されていなかっただけのことを信憑性に結びつけるのは不可能です。wikipediaは信頼性はWikipedia:信頼できる情報源によって確保されるべきです。Wikipediaの目標である「質も量も最大の信頼される百科事典」に向けて、もっと慎重に確実な出典を探して下さい。--Sikemoku会話2012年4月30日 (月) 06:35 (UTC)
不適切とは貴方の主観であって、大手ニュースサイトに一次ソースとして取りあげられる物に不適切という表現は当てはまらなく、客観的に一定の信頼性は確保されています。故に今まで信頼性について異論が出なかったのです。再度言いますが深夜アニメのけいおん!の記事に学術的論文などある訳はなく、雑誌、ニュースサイト等さほど強くない物ばかりが引用元になってる事をご理解ください。cyzo、J-CASTはあくまでニュースサイトの一つに過ぎず、これらの信憑性だけ今更異句を唱えるのは筋違いというものです。--イエティ会話2012年5月1日 (火) 01:17 (UTC)
単に見過ごされただけ、気づかれなかっただけ、と言う場合を無視してるね。信頼性を主張する根拠としては弱すぎるよ。Wikipedia:信頼できる情報源に適合する情報源ならともかく、その点で疑問符がついてるのをいくらこれは信頼できるんだと貴方ここ演説したところで、信用度が上昇するもんでもないよ?--121.93.70.3 2012年5月1日 (火) 13:41 (UTC)
あくまで、一定の水準の信頼度と言っています。大手ニュースサイトが取りあげる事は必ずしも全面的に信用が置ける訳ではないが作品の記事に載せるのに問題があるレベルではない。何せ大手新聞社以外ソースにすべきではない、だとこのけいおん!における記事の9割が全滅する訳ですから。--イエティ会話2012年5月2日 (水) 00:40 (UTC)
(インデント戻します)あー。本来なら文案いじるべきなんでしょうが、話題が逸れてるんでそっち先に片付けましょうか(B.Rさんの提案を受けて直す意思はありますが少々お待ちを...)。
なんか、あえてグレーにしていたものを強調されると白黒つけなければならなくなってしまうなぁと言うのが正直な感想です。黙認されているものを無闇にに許可を明文化しろというと逆に禁止になったりするようなことで、私も厳密にサイゾーとかの所謂ゴシップ系ありのソースを全面的に「信頼できる情報源」とするかと言われればNOでしょうなとは思います。所詮Yahooやライブドアなんかのポータルサイトのニュースなんてのはページビュー稼ぐために情報ソースから買っているものでしょうから、テレビで言うところの(昔ながらのお堅い)ニュースというよりかはワイドショーに近いものではないかと考えます。ワイドショーに客観的に一定の信頼性なんてものを期待するのはおおよそ間違えていると思うのですがいかがでしょう?
で、確かに以前私はこの手のいわゆる弱い情報源をすべてダメと言ったらサブカル系は全滅しかねないと言うことは書きましたが、現状もありますし、また(特にそのジャンルに特化した)執筆者間でのCommon senseとして出典なしでも明記が許されているものもありますので、じゃあ一律消しますとイエティさんが作業されても荒らし扱いされてブロックされてしまうのがオチではないかと思います。また、上でIPの方も仰っていますが、見過ごされているとか黙認されているものもあるかとは思いますが、これらについては表向き今後探すと言うことになっているはずです。しかしながら、ここでこの記載について白黒つけてしまって、「無い」という結論になってしまえばどうやっても記載は無理です。全面的に。今回の件に関して言えば、弱い出典と「まぁそんな取り上げ方もあったね」と他の執筆者が思ってくれることのあわせ技でなんとか残してもらえるかどうか程度の話ではないかと思っていますが、ここで「いや文句無いだろ」と強く出られてしまうと「いやそうじゃないでしょ」という話になってまとまるものもまとまらなくなりますよ。
イエティさんが何を目的にされているかにはよるのですが、サブカル系にサイゾーなどのソースが全面的に認められるかというコンセンサスを取りたいのならば議論する場所はここではないでしょう。むしろPJとか信頼できる情報源のノートとかになるでしょうが、どちらにしても一筋縄で整理できるようなものとは到底思いません。そこまでやって整理できているならばイエティさんの主張ももっともなのですが、現状「大手ニュースサイトに取り上げられるものは一律信頼できる」とか「一定期間文句でなかったら信頼できる」というのはイエティさんの「俺ルール」に過ぎない話です。現状のWikipediaにはそんなルールありませんよ。また、他で黙認されているからここもいいだろ?という事に対して結論を出せと言われれば明らかに誤りです。所謂スピード違反の論理というやつです。本来両方直すべきものであり、他が黙認されていることを指摘したところで自分が同じ事をやってよいという理由付けにはなりません。いわんや、自分の行為が認められないならならば他も全滅させるよといった一種脅しを盾に強行するなんて事は絶対に許されてはいけない話です。
長くなってしまいましたが、現状のイエティさんの主張には明確に同意できません。この主張を拠り所に出典を認めろ(白黒はっきりさせろ)というならば、私の答えはNOです。この論調で進むのであれば私は先の文案を撤回してこの件から手を引きます。そこまでして残すべき話ではありません。--Shain2006会話2012年5月1日 (火) 15:01 (UTC)
全面的に信用出来るとは言っていません。しかしそれは大手新聞でも同じ事です。何を持ってウィキペディアに載せれると判断するか明確なボーダーラインを決めるべきという事です。少なくとも、cyzo、J-CASTと同等かそれ以下の出典元が9割占めるこの記事でこの2つだけ除去するのはおかしな話です。仮に信用性に足らない、として除去するのであればけいおん!記事における新聞、雑誌、ニュースサイト等出典元によるものの全面的な見直しが要求されます。「俺の判断でこのソースは使いたいがこっちは嫌なんで削除しよう」が通らないのは、当たり前の事です。執筆者の意見によって載せるべき記事が左右する、的なShain2006氏の意見には反対です。ウィキペディアは第三者視点で見る知識の泉的なものですから仮に暴言を吐く性格のAが赤信号は止まれだ、と言い評判のいい人格者のBが赤信号は進めだ、と言ってBのが優勢になるようなそういうものであってはならないでしょう。あくまでウィキペディアは淡々と客観的事実を記すべき所というのが方針なのですから。とりあえず、一定の信頼性が確保されているものを私らが主観で削除するものではありません。--イエティ会話2012年5月2日 (水) 01:01 (UTC)
コメント ずいぶんこのノートも長くなってきましたが……それはさておき、まず「黙認時間が長くなると記事の信頼性が上がる」という意図を感じるのですがそれはさすがに面妖だと思います。次に「じゃあどういうのが信用できる出典か」というのはやはり映画評論家が実名でmentionする出典でしょう。サイゾーの該当記事は記者名が書いていない、取材元が「映画ライター」「松竹関係者」「映画会社関係者」という本当に取材したのかどうかも疑わしいものでまさにゴシップ・タブロイド級です。「出典無しよりは薄皮1枚でマシ」という印象です。これがちゃんとした映画評論家の実名での寄稿・インタビューであればサイゾーであっても「好ましい」出典と考えますがいかがでしょう?以上から考えると下にあるSankeiBizの記事は記者名・取材対象名がある分、明確にサイゾーより優位だと判断します。(とはいえ取材先が音楽評論家ですが)--にの会話2012年5月2日 (水) 01:40 (UTC)
基本的に批判的な意見を述べる場合実名で正体を明かすのは難しいと思われます。政治の世界でも「ある大物政治家は~」「ある中堅議員は~」などというのがしっかりニュースになっていますので匿名だからと言ってソースにならないという事はないと思います。要するにその記事のニュースサイトの信頼性でしょうか。
今回はyahooやライブドアに一次引用されてるのでSankeiBizがcyzoより高次の出典というのは否定しませんが、これこそが一定の信頼性の確保なのだと思います。新たな出典元を見つけたので追記しておきます。--イエティ会話) 2012年5月3日 (木) 02:57 (UTC)インデント修正 --Shain2006会話2012年5月3日 (木) 10:14 (UTC)
今回の編集内容をみて私としては正直「ついていけなくなった」というのが本心です。現状は明瞭に50:50からかけ離れていてWP:POVに照らして整理されても文句は言えないと考えます。特段この記事に思い入れがあるわけでもないので何もアクションは起こしませんが、何かの投票動議があった場合は残念ながらイエティさんの意に沿わない方に投票することになると思います。(ノートを見ても対話に応じてないようですし……)--にの会話2012年5月3日 (木) 03:46 (UTC)
にのさん、お気持ちわかります。私も目に付いた(目に余った)ので今回の件に手を出してしまいましたが、この項目に何かあるわけでも主執筆しているわけでもないので「もうどうにでもして」というのが本音だったりしますが...
それでは話が進まないので1点のみ。イエティさんの主張、確かに対話になっていませんよ。前提として(サイゾーとか週刊新潮などのゴシップ系記事が)「一定の信頼性が確保されている」というのを何度も仰っていますが、その前提がイエティさんしか認めていないというか、この認識自体がイエティさんの主観でしかなく、かつ(確固たる裏付けもなく)とにかく前提だからとか他がどうだとかの屁理屈こねてるだけので話になりません。
イエティさんが何と言おうと、現状ではニュースサイトに取り上げられたとかの点を根拠にして、これらの出典について「一定の信頼性が確保されている」とする合意はありません。これを言い続けているのはイエティさん一人で、この点について対話に応じているとは言い難い状況です。この主張のみを基に低い信頼性の出典のみで記述を続けるのであれば、以前の私の判断は誤りであったと認めるしかありません。すなわちこれは執筆者自身の資質の問題であり、ここでの議論だけでなく他の適切な手段に訴えるしかないかと考えだしていることを表明しておきます。--Shain2006会話2012年5月3日 (木) 10:14 (UTC)
すいません、誤解があったかもしれないので補足しますと上記の意味は「利用者のノート」=「会話ページ」のことです。紛らわしくて申し訳ありませんでした。ついでにもう一つ補足しますと、今回のサイゾーの出典は明らかにalternativeで週刊新潮...etcを持ち出すならサイゾーの出典は除去が相当「WP:QS」だと思うのですがイエティさんはどうお考えなのでしょうか。WP:QSを知らなかったというのであればまだわかりますが(これからは踏まえてください)、これを見ても「サイゾーも週刊新潮も掲載が相当だ」というのであればやはり支持は得られない「主張」であると申し添える次第です。--にの会話2012年5月3日 (木) 10:38 (UTC)
Shain2006氏へ。私一人ではなく誰も反論が出来ないからこの議論に特に加わろうとしないのでは…と、思いますが。けいおん!の他の記事でもJ-CASTやcyzoは多用されており、この記事だけ信頼性が低いと切るというダブルスタンダードは通用しないというのが一点。そして大手ニュースサイトが一次ソースとして取りあげてる物が一定の信頼性は確保されているは当たり前の事であって、あまりにおかしなものはサイトの品位を傷つけるのでyahooもライブドアも取りあげたりしません、という事で二点。産経や毎日という信用性の高い出典元が基本にあった上でそれに付随してニュースサイトや週刊誌を記載しているという事でこのけいおん!の商法に対する否定自体はかなり多方面に渡りされているという事を真実としてウィキペディアに載せる事に何ら不都合性が無いという事で三点。取り合えずこの三点に論理的な反論が無いというのが現実です。
にの氏へ。「WP:QS」には、「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられない場合信憑性に乏しい」とあります。今回は産経や毎日と言った大手新聞も批判しておりこれに該当しない、と見るが如何でしょう?故に一連を付記する事に問題は無いと思われます。--イエティ会話) 2012年5月4日 (金) 02:27 (UTC)インデント修正--Shain2006会話2012年5月4日 (金) 07:06 (UTC)
はい、ですから上記のように大手新聞のmentionが出たのですからサイゾー...etcの出典はもうお役御免と言っているわけですが。明らかに両方記載したままですよね?それを問題ないと?なんだか故意に話を巻き戻しているようにも感じますがキリがないのでこの辺で。(なお、前述の通り明瞭なtypo等でない限り私はこの記事には触りません)--にの会話2012年5月4日 (金) 02:36 (UTC)
問題ないと思いますが。大手新聞級の信頼性の物しか載せる事が出来ないのであればサブカルアニメであるけいおん!における記事は大半が消失します。-イエティ会話2012年5月5日 (土) 01:26 (UTC)
言われた3点を端的に。
  1. 「ダブルスタンダード~」の件について。先にも申し上げましたが、例え現在他の項目が低い信頼性の情報源を利用していたとしても、それが今回問題になっている箇所で利用しても良いという免罪符にはなりません(スピード違反の論理)。
  2. 「大手ニュースサイト~」の件について。その前提(当たり前)が間違っていると言っているのに頑として話を聞こうとしないのは貴方です。そもそもそれ自身を論じたいなら論じられるべき場所はここ(単なる一記事のノート)ではないと思いますが。
  3. 「産経や朝日~」の件について。産経や毎日の記事を基に週刊誌などが記載されているの言うのはいささか論理の飛躍でしょうし、基本が認められれば派生(付随)もすべて認められるというのもまた変な話です。また「かなり多方面に」と強調されていますが、私はたかだか10にも満たないニュースソースしかない(しかも派生や同じ方面からのソースが多い)と思っているのですが。
すみませんが、貴方の仰る「論理的反証」がどの程度のものを求められているか存じかねますが、ことこの件に関しては私も貴方と論理的な話ができているとは思えない状況です(話が全く噛み合わない)。これ以上お話しても前進しなさそうですし、正直お付き合いするのも疲れてきたかなと言うのが本音なのですが...さてどうしたものですかね。
自分の論理を盾にごねるのも結構ですが、度が過ぎると他の執筆者との協調性が無いとみなされる恐れもありますので...と一応忠告しておきます(上から目線ですみませんが)。確かに議論は多数決ではありませんが、現実、今この件でごねているのは結果的に貴方一人です。
最後に余談ですが、貴方の記載についてインデントレベルの修正を行っています。読みにくいのでそろそろ書き方を覚えてください。--Shain2006会話2012年5月4日 (金) 07:06 (UTC)
反論します。
  1. 「ダブルスタンダード~」の件について。
    程度の問題です。けいおん!における記事は大半がcyzoやJ-CASTと同等かそれ以下の信頼性の物ばかりです。これらを信用性に足らないと除去するのであればもちろんけいおん!における記事の全面的見直しをしなければ道理に合いません。しかしその必要はない、大手新聞でなくとも一定の信頼性(ニュースサイト・雑誌)であれば載せてもいいだろうと言っているのです。
  2. 「大手ニュースサイト~」の件について。
    意味が解りかねます。一定の信頼性が確保されていないで大手ニュースサイトが記事として載せると大手ニュースサイトのブランドが傷つくという当たり前の事は解りますよね。それこそが一定の信頼性の確保という事ですが。
  3. 「産経や朝日~」の件について。
    全て認められるというか、大手新聞だって間違う事はある、ニュースサイトが正しい事もある。読者本人が出典元を当たって信頼性を判断する。そういうものでしょう。その意味でも大手新聞以外の記事を載せるのは意味があるでしょう。私は本来日蔭の深夜アニメの映画の商法が5つ以上の異なる媒体に批判されてる時点で相当な事だと思いますが…これは価値感の違いでしょうかね。
ごねているのではなく、「貴方が私の人格を気に入らない」だけではないでしょうか?あくまで私は客観的な記事作成を旨としているだけです。私は貴方の立案でも構わないと同意したのですから、中立的な視点は近しい位置に居ると思います。それが感情論によってこじれるなら残念な事ですし、Wikipediaにあってはならないかと。--イエティ会話) 2012年5月5日 (土) 01:55 (UTC)インデント位置修正。ややこしいインデント使うなとは言いませんが、せめて投稿前にプレビューで確認してください。--Shain2006会話2012年5月5日 (土) 08:25 (UTC)
価値観とか感情論とか言ってしまうとそこで議論終了してしまうのですがね。
「ダブルスタンダード~」の件について。
前回書いたことですべてなのですが...ご理解いただけないようなのでもう少し噛み砕きます。この問題について考えられる方策は次の3つです。
  1. 現在利用されているサイゾーなどの出典はそのままにして、ここで新たにサイゾーなどの出典を使うことをあきらめる
  2. 現在利用されているサイゾーなどの出典をすべて削除編集する。(ここでも新たにサイゾーなどの出典を使うことをあきらめる)
  3. 現在利用されているサイゾーなどの出典はそのままにして、ここでも新たにサイゾーなどの出典を利用する
はっきり言いますが、上記3番はあり得ません。それこそ出典のレベルがどんどん落ちていき堕落します。貴方の仰っていることはまんま「スピード違反の論理」だと言っているのに何時になったら聞いてくれるのですか?その論理は通りません(道理でも何でもない)。ここでの道理は「他もやっているからここも通せ」ではなく「他が悪いから改善する(自分の悪い点もひっこめる)」ではないでしょうか?ただ、他を改善すると言っても現在膨大な項目がありますから、整理にかかる労力は相当のものが必要でしょう。私はその労力を捻出することは現時点では不可能ですからそこについて言及することはしませんが、新たに後々整理すべきことを減らすことはできると思っています。
あと、先に言っておきますが、ここでこの件をうるさく言わざるを得ないのは貴方が殊更この点(サイゾーなどを出典として認めろ)を声高に叫んだせいです。ここでこの点について議論したと言うことは後々記録として残ること。また特にこの点を論点として取り上げたのですから、自分なりの正論を訴える必要が出てきていると言うことです。当初は多少目を瞑っても構わないと思っていましたが、この状況下においては目を瞑ることはできないと考えています(ダブルスタンダードと言われるかもしれませんが、すべてにルールを杓子定規に当てはめないのは楽しく記事を執筆していくための私なりの処世術みたいなもんだと思っていますので。)。
「大手ニュースサイト~」の件について。
(ニュースサイトと書くと語弊がありそうなので、以後Yahooやlivedoor等のニュースの配信を受けているサイトをポータルサイトと書きます)えと、ポータルサイトのブランドってどんだけ高貴なものなのでしょうかね。いや、程度問題だとは思うのですが、これらのサイトの主目的って人(読者)を集めることであって、正しい情報を伝えることが主目的ではないかと思うのですが。「信頼性」よりも「読者の興味」という物の方が選択基準の上位にあるかと思います(いや、私の想像に過ぎませんが)。また、ブランドが傷つくから変なのは選ばないだろうと想像されるのは結構ですが(当たり前ではありません)、そのこと(選定水準)が他から認められているかと言うこととは別問題です。Wikipedia内でこれらのポータルサイトに取り上げられること自体が出典を使うに当たっての信頼性の担保になるという合意があるのであれば提示してください。そこが見えない限り「一定の信頼性」を認めるわけにはいきません。
「産経や朝日~」の件について。
問題にしているのは「ソースは信頼できたとしても、それに(信頼性の不確かな)尾ひれをつけたものも信頼できるか」と言うことです。悲しいかな文章は後からの味付けの方が濃く感じてしまうので、極論ソースと180度違うことを言っている文章にもできると思いますが。一次出典と二次出典(本ケースだと二次出典と三次出典)の信頼性は別物です。高次のソースに信頼性があるからと言って、それを用いた低次のソースに信頼性がある裏付けにはなりません。--Shain2006会話2012年5月5日 (土) 08:25 (UTC)
まず三案について。1はあり得ません。これは同様の信頼価値のものでも編集者の好みで取捨選択しているという事になります。よって2か3しかない。「それこそ出典のレベルがどんどん落ちていき堕落します。貴方の仰っていることはまんま「スピード違反の論理」だ」と仰てますが、大袈裟です。そもそもウィキペディアは大手新聞社のソースしか貼ってはいけないというルールはありませんし、cyzoはニュースサイトであり貴方の言うスピード違反でも何でもありません。そもそも大手新聞のソースしか貼っては駄目だと大手新聞が深夜アニメを語るなどほとんど無いのですからどれだけサブカルチャーのウィキペディアが簡素でつまらないものになるでしょうか?実際はどのサブカルチャーのウィキペディアもニュースサイト、雑誌であればソースになっている、というか大半がこういうソースなのが現状です。これは違反でも何でも無く一定の信頼性が確保されているからです。個人サイトでないニュースサイトの記事であれば載せる価値はあり、あとは読者自身が記事の信頼性を判断して「総合的に見ればいい」だけです。その方がウィキペディアの情報量が増し、全体的な質自体が上がります。
「ここでこの件をうるさく言わざるを得ないのは貴方が殊更この点(サイゾーなどを出典として認めろ)を声高に叫んだせいです」と仰てますが、ちょっと理解し難い。編集者が声高に言ったので大目に見る所もしつこくならざるを得ないというのは感情論そのものです。ウィキペディアの編集について声高も何もない。「あくまでソースがあるかどうか」、中立の視点であるかの一点です。編集者の人格次第で記事に変な事が書かれても多少目を瞑っても構わないとか、それこそ質の低下ですし、お前は何様だよって話です。あと第三者の優れた情報源であるウィキペディアを自分の処世術に使わないで頂きたい。
yahooやライブドアを高貴とは言ってません、あくまで一定の信頼性が確保されていると述べてるだけです。そもそも大手新聞であれば高貴なのですか?違うでしょう。大手新聞でもおかしな事を言う事はある。ニュースサイトでも優れた記事はある。ウィキペディアの記載要項はどちらも満たしてるのですからどちらも載せればいい、それだけです。それこそyahooやライブドアにニュースになるものが「一定の信頼性が確保されていない」と主張するのであれば必然的にけいおん!の記事の9割はそれ以下のソースばかりなのですから全面的に削除しなければなりません。「けいおん!の記事における全面的大改変をする労力はとてもない」と仰てる貴方が介入する事ではないかと。私は他の記事も今まで通りでいいと思っていますし。
再度言いますが、cyzoもJ-CASTもyahooニュースにもなっているので一定の信頼性は確保されていますし、大手新聞、ニュースサイト、雑誌、これだけ多方面に叩かれた商法という一連の騒動自体は真実なのですから記事として残す意義はあります。--イエティ会話2012年5月7日 (月) 02:01 (UTC)
これまでの経緯でイエティさんはWP:Vを理解していないのか、故意に無視されていますね。ここには『「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」』とかなり早い段階で書いてあるのですが。また「サイゾーはあくまで一時的な出典にすぎない」というのも明らかに無視していますよね。これでは正直いいまして、井戸端・コメント依頼に出されたときイエティさんが苦しい立場になるのは避けられないであろうことを申し添えさせていただきます。そんな事態になるほどサイゾー...etcの出典にこだわる価値があるとは思えないのですが。「サイゾーの出典はネガティブ記事だから記者名や取材先の名前を出せないのだろう」というような主張を井戸端やコメント依頼でも繰り返すつもりでしょうか?--にの会話2012年5月5日 (土) 09:08 (UTC)
WP:Vには「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。」とありますが、今回の件とは明確に違うので今回の件はWP:Vには抵触していないですよ。私の主張はあくまで大手新聞社でなくともソースになる、特にサブカルチャーはこれらの記事が主流であるという事なのでコメント依頼をしたとして不利になるものではないと考えます。--イエティ会話2012年5月7日 (月) 02:13 (UTC)
報告不本意ではありますが、イエティさんにおいては正面からお話を聞いて頂けず、またこれらの主張は方針に照らして看過できないと思われるため、「Wikipedia:コメント依頼/イエティ」を提出したことを報告いたします。--Shain2006会話2012年5月7日 (月) 16:13 (UTC)
そちらでも主張を述べさせて頂きます。正面から聞いた上で、Shain2006氏の論理には説得性を感じません。私は一言で言ってしまうとその項目に肯定的な意見も否定的な意見も載せるべきという明瞭なスタンスですが、どの辺がWikipediaの方針的に看過出来ないのか、詳しい説明をお願いします。--イエティ会話2012年5月8日 (火) 02:40 (UTC)
私は「その項目に肯定的な意見も否定的な意見も載せる」ということ自体について否定をしたつもりはありません(そうでなきゃ文案まで起こして調整しようとなんてしません)。ここ何回かの貴方の主張は前述のものではなくて「何とか自分が出している出典を認めさせようとする」ものでしかなかったと解釈しています。
この出典を認めさせようとする主張においてWikipedia:検証可能性の考え方に反する(と私が判断した)主張があり、この点について問題点を指摘しても聞き入れていただけないため、これを看過することはできないと考え上記のコメント依頼を提出しております。
コメント依頼中でもありますので、この点(出典の考え方)についてはこれ以上の論は避けます。--Shain2006会話2012年5月8日 (火) 16:46 (UTC)
「何とか自分が出している出典を認めさせようとする」も何も、けいおん!における記事の9割はニュースサイトや雑誌です。サブカル系作品はそれが主流になるのは当然であり私は同列のものを提示したに過ぎません。ですが批判記事は一切許さないと言う歪な信者の方との応酬でこのような事になっているのが現状です。--イエティ会話2012年5月9日 (水) 00:20 (UTC)
ざっと見たのですが書き込みどうこう以前にあまりにも内容が冗長であると考えます。興行収入とは数字であり、単純にいえば「この映画は幾ら稼いだのか」というデータに過ぎません。このノートを拝見するに議論されてる方はこの作品の興行収入を種に『どうしてそこまで稼げたのか』という議論をしたがってるようにしか見えません。はっきり言っていしまえばそんなもの無駄以外の何者でもないと考えます。Wikipedia:中立的な観点から考えても主張をぶつけ合う場に変わってしまっています。辞典としての機能を考えれば本来なら初動と最終興行くらいしか載せなくていい内容なのですから余りのも無駄な議論であると思われます。只でさえ、全体が長い項目なのですから数字というデータを記載するだけにすら余計な内容を入れる意味はないと思われます。それだけの額に至ったという考察などそれこそ自身のHP等で発信すればよいことです--シャドー81会話2012年5月27日 (日) 06:02 (UTC)
シャドー81氏へ。文章にして3~4行程度が冗長という事はありませんし、何かがこうなるに至った。しかしそのカラクリはこういう事だった。その真実を記すのが中立的観点でありウィキペディアの役目です。AKBなどもそうですが投票券等を無視して売上枚数だけ載せてもそれはフェアとは程遠い記事となります。普通の映画は商法が批判される、記事になるという事がまず無いので興行成績に特別付記する事が無いだけです。--イエティ会話2012年5月28日 (月) 00:38 (UTC)
返信ありがとうございます。さて、何かがこうなるに至った。しかしそのカラクリはこういう事だった。とおっしゃっていますが。たしかにこの劇場版作品において『3回分の映画の半券と特典と引き換える』ということが行われていたのは事実でありますが、それによって本当に興行収入の向上が行われたのかという定量的に証明できるソースはお持ちでしょうか? まず、若干話はそれますが少し主観を交えたお話をします。私は映画館にはよく行く方ですが『同じ映画を複数回も観る』という行為自体は異常と感じています。なぜならあなたが例として挙げているCDのように買って開ければそれで手に入るものではなく、少なくともその回数分の人間が一定時間の拘束を受けるのです。それが映画鑑賞です。普通の生活をしている人間でそこまでの時間を一度に費やすのは正直、難しいものです。もちろん自分が面白いと感じた映画を空いた時間に2、3回と観る人はいるでしょう。しかし、この特典に用意されている数という『24回』というのは単純な合計時間で48時間弱です。はたしてそれだけの時間を公開中の時間に費やせるこの作品のファンがどれだけいるでしょうか? あまりに破天荒な話であると感じており、実行できる人は少ないと思わざるえません。もちろんイエティさんも一定の常識をお持ちの方でしょうからそのような人間は少ないと思っていると考えてます。さて、話を元に戻すと、この作品においてこの売り方が果たして興行収入を上げる原因となりえたといった証明になるかという定量的なソースがイエティさんが示されているソース元のどこにもないのです。例えばの話をしますと、この映画を複数人の友人や家族など同伴者と見に行った人が観終わってこう言います、「この映画の特典が欲しいんだけど半券を譲ってくれないか?」と。その同伴者らが快く譲ってくれるケースがあるとします。その場合はイエティさんの主張に沿わない行動であり、特典をもらう人は1回分の料金しか払ってないことになります。中には「半券いらない人はください」と映画館の出口で全く初対面の人に慈善を求める人も中にはいるかもしれません。さて、こういった行動をする人はイエティさんは『具体的な数』を証明できるソースをお持ちですか? 逆の話をしましょう。この映画を見るにあたって「十数回見た」という人がブログなどソーシャルメディアで公表する例を私も拝見しています。もしかしたら映画館に入ってチケットを切り、上映が始まったらさっさと出てしまうという人も中に入るかもしれません。イエティさんはそう言った人らが『映画視聴者全体の何%いるのか』という定量的なソースをお持ちでしょうか? 全体で見たら実は1%もいないといういわゆる『ラウドマイノリティ』の類である可能性はないのでしょうか? 結局のところ現時点でこの特典を用いた売り方がこの興行収入にいたるまでの因果関係がまともに立証がされていないのです。もしイエティさんがそういったソースを公示できるなら私は問題ない行為である思います。しかし、現状を照らし合わせるにあまりにも断言できる要素が少なすぎると思います。イエティさんがどうしてもそのソースをこの記事に利用したいなら現時点では『そういった主張もある』という表現を行うべきであると私は思いますがいかがでしょうか?--シャドー81会話2012年5月28日 (月) 10:19 (UTC)
シャドー81氏へ。確かなのはけいおん!映画における商法がマスメディア多数に記事で批判された事であり、その事実を淡々と記す事がウィキペディアの本来の役割です。けいおん!映画の興行収入において商法の依存がどの割合であったか正確な数値は誰も測量出来ないでしょう。ちなみに未使用前売り券だけで2億上積みされたようです。これもちょっと普通の映画と違う特異性を示しています。特典目当てで買っても買えば損しないように出来るだけ観に行こうという心理になるわけですからあまり時間の拘束云々は意味無いと考えます。また公式がファンに10回以上行く事を煽る映画というのも前代未聞なのだと思います。私は元よりこういった記事がこのように主張している、としか述べておりませんし、編集者本人の総括は必要ないのだと考えます。--イエティ会話2012年5月29日 (火) 01:48 (UTC)
ご返信ありがとうございます。どうやらイエティさんはけいおん!映画における商法がマスメディア多数に記事で批判された事が重要であり、それを淡々と示すことを欲しておられるようでしたのでそれらのニュースソース元を一切削除せずに内容をスリムアップする修正を行いました。この内容ならばご納得いただけると思われます--シャドー81会話2012年5月31日 (木) 11:43 (UTC)
シャドー81氏へ。個人的に問題はないのですが、あまりに簡素過ぎるので付記しておきました。--イエティ会話2012年6月1日 (金) 23:29 (UTC)


古谷氏の評について[編集]

古谷経衡氏の評について「空気系としてのけいおん!」の節に記載されていましたが、氏の評を読む限り、「空気系」としての作品評とは言いがたく、「その他の論点」へ移動させるのが適当と思われます。また、従来、「いつまでもお菓子を食いながら楽しく暮らす夢遊病者の如き人生を歩むことを善とする」といった文が引用されていましたが、全体の文脈から考えても、氏の作品評の核心部分とも思えません。それよりも、けいおん!を、(氏の青春観に於いて)「青春作品の王道」であると、当初は評価していたが、それを踏みにじる展開になったことに失望した、という部分が重要なポイントであると考えます。特に「青春とは離別によって完成される」という文が、他とは文字色まで変えて強調され、かつ、「肝心」「大テーマ」とも述べられており、氏の青春観の根幹を成す部分だと言えます。従来引用されていた「夢遊病者云々」という文章などは、「(氏の青春観を)如何に踏みにじったか、その結果、(氏にとっての)評価がどのようなものになったか」を説明した部分でしかないと思います。よって、当該箇所の文章を移動・修正し、また、当初絶賛していた件も併記しました。--PELON会話2012年7月8日 (日) 12:49 (UTC)

一度、上記内容を「評価の節の表現について」の節に記入しましたが、わかりにくいかと思ったので、新しい節を作り移動させました。--PELON会話2012年7月12日 (木) 13:44 (UTC)

進学に触れていた所に書いたのであの場に置いても変な印象は与えない。その他の論点に置いた方が一人だけ着眼点が違く浮いてるように見える。よって空気系の箇所に置くのが良し。青春とは離別で完成する、というのは加えよう。--A.C.pizza会話2012年7月13日 (金) 09:53 (UTC)

進学に触れていたと言っても、小森氏の評は飽くまで大学編について、「空気系と異なるものになっている」と評してるものであり(なお、その評自体も、当該箇所をすでに削除済みだが、「合コンに参加する場面があるなど」という、実際には存在しない場面が根拠とされており、小森氏の誤解に基づく誤った評である可能性が高い)、古谷氏の評とは根本的に異なる。そもそも、手前の文章と繋がりが良いからという理由で掲載する節を決めるなど、百科事典としてありえない。繰り返しになるが、古谷氏の評は、氏の青春観に照らしての批判であって、空気系か否かとは無関係。あえて節を設けるならば「青春劇としてのけいおん!」とでもするべきなのだろうが、独立して節を設けるほどの評でもない。故に「その他の論点」に分類するのが、現状、最も適切である。また、現状のA.C.pizzaさんの文章のまま、「空気系としての~」の節に掲載するとなると、「いつまでもお菓子を食いながら楽しく暮らす夢遊病者の如き人生を歩むことを善とする、同じ女子大に進学しなければ友情が壊れてしまう程度の4人の人間関係の薄っぺらさを描写することになってしまった作品」というものが、即ち、「空気系の作品」の定義ということになり、やはり不適切。加えて、A.C.pizzaさんは、古谷氏が元々はけいおん!を評価していたという部分についての、ソースへのリンクを繰り返し削除し、かつ、古谷氏の評文中、特に強調表示もされていない(即ち、古谷氏が強調したい箇所でもない)「いつまでもお菓子を食いながら楽しく暮らす夢遊病者の如き人生を歩むことを善とする」という修飾過剰な一文を用い続けるのかについても、理由を説明されたい。--PELON会話2012年7月15日 (日) 20:26 (UTC)

空気系は卒業もテーマなので進学問題に関わる事をあの節に載せるのはおかしくはない。太文字で強調されてる所以外書いては駄目なんていうルールはない。自分の文章以外一切他者の書いた文を加えないというその姿勢も感心しない。折り合いをつけてこそノ―トというものだ。あとソースのリンクの削除というのも意味不明。取りあえず差し戻しておく。--A.C.pizza会話2012年7月16日 (月) 18:55 (UTC)

まず、「空気系は卒業もテーマ」という定義が存在しているとは思えないが?(「空気系」の記事がWikipedia内に存在しているので参照されたい)次に、太字で強調されてない部分を引用するななどとは言っていないし、そもそも引用のルールについて話をしているわけではない。論評を書いた古谷氏自身が、わざわざ強調してる部分とそうでない部分を使い分けてる以上、強調されてる箇所が、氏にとって重要度が高いであろうと言っているのである。もし、強調の有無と重要度が無関係であるなら、氏はなぜ、わざわざ太字や色付きのフォントを使ったのか?そもそも、貴方は、如何なる考えに基づいて、古谷氏の評から現在の箇所を引用するのが適切と主張するのかを明確にされたい。--PELON会話2012年7月18日 (水) 13:25 (UTC)

空気系はその時間が永遠に続くかがテーマの一つだと思うが。古谷氏は期間限定でだべってる分にはいいが、それが恒久的に続くのは醜いと捉えてると判断した。なのであの文面が適切だろうと思う。もちろん、強調する事にはそれなりの意図があるんだろうし織り交ぜて引用すればいい。--A.C.pizza会話2012年7月19日 (木) 05:44 (UTC)

返信にはインデントを付けていただきたい。(半角の「:」を文頭に挿入)さて、本題。空気系というジャンルに先鞭をつけた「あずまんが大王」を引き合いにだすと、あの作品は2人を除いて主要キャラの進路は異なり、かつ、卒業を描いた上で話が閉じられている。よって、永遠に続くか区切りが付くかが、空気系の定義に影響するかにコンセンサスのある論は存在しない。その上で、繰り返しになるが、氏の評は「空気系としての作品評」であるとは言えないと改めて主張させていただく。次に、貴方の採用する引用箇所だが、そもそも、あの一文は充填された語に類するものであり、あえてそこを要点として抜き出し、百科事典に載せるのは、中立性の観点からも適切とは言えない。また、それ以前の問題として、「全員同じ大学に進学する事に失望したとし、青春とは離別によって完成する、いつまでもお菓子を食いながら楽しく暮らす・・・」と、目下、非常に奇妙な文面になってしまっている。--PELON会話2012年7月20日 (金) 19:18 (UTC)

あずまんが大王が空気系の全てを決めるわけではない。古谷氏は結局時間が通常通りに経過していく空気系では成長なくいつまでも同じ輪に留まっているのは駄目だと主張しているのであり、であるならばあの節に書いて妥当であるし、「いつまでもお菓子を食いながら~」と記すのは氏本人の意見なのだからもちろん中立性を損なったものではない。とは言え、現状では多少文章構成が変なのも確かなので若干修正しよう。--A.C.pizza会話2012年7月21日 (土) 07:31 (UTC)

誰も「あずまんがが空気系の全てを決める」などと主張していない。要点は、進路がどうとか卒業がこうとかが空気系の定義には無関係という部分である。あずまんがは「いつまでも同じ輪に留まっている作品」ではないが、一般的に「空気系」と認識される作品であり、かつ、知名度も高いため、例として挙げるのに適当であっただけだ。その上で繰り返すが、同じ輪に留まるか否かが空気系か否かとは無関係である。反証をしたいなら具体例を挙げて説明願いたい。また、「氏の意見なのだから」と仰っているが、その「氏の意見」を取捨選択し、引用部分を決めたのは貴方である。以前も述べたが、氏がわざわざ「ここに注目して欲しい」とばかりに強調した部分を外して、修飾過剰で詭弁に属する可能性がある一節を抜き出して掲載した以上、中立性に配慮した記述とは思えない--PELON会話2012年7月28日 (土) 14:59 (UTC)

記事内のロゴについて[編集]

著作権侵害にならないのでしょうか? 以前Ryu☆さんの記事に画像が貼られたときは著作権侵害で削除されましたCecilPinkRose会話2012年12月22日 (土) 00:08 (UTC)

私も気になってたんですけど、これだけ有名な作品の項目で堂々と貼ってあるなら大丈夫なんだろう(問題があるなら誰か言うだろうから)、と思ってました。どうなんでしょうか?--あな34(須魔寺横行)会話2012年12月24日 (月) 10:13 (UTC)
確かに気になってはいましたが、commons:Template:PD-textlogoも貼られていたので大丈夫だと思っていたのですが、どうなんでしょうか?わかる方がいないようなら、井戸端などで質問したほうが良いのでしょうか……。なお、CecilPinkRoseさんの署名の括弧閉じが誤って除去されていたため、戻したうえで須磨寺横行さんのコメントにインデントを付記しました。--リョリョ 2012年12月24日 (月) 10:42 (UTC)
残念ですが、これはダメじゃないでしょうか…。とりあえずコメントアウトしました。文字だけからなるロゴであればいいですが、「お」のギターのシルエット部分があり、著作物と見なされる可能性が高いように思います。もし積極的に掲載したいという方がいらっしゃれば、Wikipedia:著作権問題調査依頼Wikipedia:井戸端で聞いてみたほうがいいと思います。--Penn Station (talk) 2013年1月6日 (日) 11:11 (UTC)

著名人の記載について[編集]

すでに編集合戦となりつつあるようですが、合意が形成されるまで著名人の節の除去編集は一時中断していただきますようお願いいたします。さて、のりみそさんによって何度か除去編集がなされているようですが、「あるミュージシャンのみ記載して、他は除去」のような不自然な形になっていたため、一度リバートさせていただきました。この節の編集は、ここでの合意が固まってからと致しましょう。のりみそさんおよび、他の方からのご意見を頂戴したく思います。--リョリョ 2012年12月25日 (火) 13:56 (UTC)

プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意にもある通り、「またウィキペディアは事典ですので、たとえネットニュースなどで紹介されていたとしても、ただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言を収集して羅列する必要はありません。」このままですね。専門家や評論家の意見以外の羅列は無差別な情報の収集、また百科辞典にそぐわないトリビアにあたり、必要ありません。--のりみそ会話2012年12月25日 (火) 14:25 (UTC)

  • 提案 (編集競合となってしまいましたが、そのまま)ご報告ありがとうございます。それでは叩き台として、現在保護されている現状の記事内容からT.M.Revolutionの西川貴教さんについての記述を除去し、他の記述に関しましては保護解除以降も記述を維持することを提案します。理由と致しましては、けいおん!作品群は、(特にアニメ作品においては顕著に)音楽を主テーマとした作品であって、ミュージシャンの意見は十分に専門性があり、記述する価値のあるものと思います。ただし、T.M.Revolutionの西川貴教さんの記述については意見ではないため、特に必要があるとは思えませんでした。--リョリョ 2012年12月25日 (火) 14:41 (UTC)

本作のテーマは音楽と言うよりユルい日常です。山下達郎の意見もミュージシャン観点と言うより単なる一ファン観点と言え不要と感じます。--のりみそ会話2012年12月25日 (火) 15:19 (UTC)

日常系というのは否定はしませんが、けいおん!#楽曲を見る限り、少なくともアニメでは音楽分野に精力的であることは明らかだと思うのですが。そんなことを言ってたら、池田暁子さんの記述だって、イラストレーターとしての観点は含まれていないように見えますし、いくらでも揚げ足取りは可能だと思います。でもそんなこと言い合ったって解決はしませんし、また編集合戦となるぐらいなら明らかに不要な記述以外は残しておいたほうが良いと思います。それと、著名人名が列挙されていた記述を「その他、著名人でファンを公言している人物も多い」のみにして出典付きでまとめてみたのですが、これについてはどのようにお考えなのでしょうか。--リョリョ 2012年12月25日 (火) 15:48 (UTC)

それも単にファンを並べてるだけなので必要ないでしょう。そもそもこの場合専門家と言えるのは漫画家、脚本家、評論家等ではないでしょうか。イラストレーターはギリギリそう言えるかなという点で残しました。吾妻ひでおは漫画家、宮崎哲弥は評論家、宇多丸は映画批評コーナーを設けているのでこの四者は残してもいいのではと感じました。しかしそれ以外は芸能人の一言感想の集約で終わってるという感じですのでただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言にあたるでしょう。--のりみそ会話2012年12月25日 (火) 16:55 (UTC)

コメント のりみそさんが「プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意」から引用した記述の前段には、このような記載があります。
フィクション関連の記事において、主題が一般大衆や評論家にどのように受け止められたか、といった情報は記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言されているべきです。どの様な場合でも、優先的に掲載されるべきなのは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価です。権威ある専門家によるユニークな分析や、社会的影響力のある人物や一部の少数派の反応には紹介する価値のある場合もありますが、その場合はその見解が広く普及しているかのような誤解を与える様な書き方は避けてください。 — プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意
雑多な」感想や動向・発言は、うまく本文に組み入れることができれば雑多ではない方向へと昇華することが可能であり、匙加減一つで記事で明言すべき情報になり得ます。「Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける」にも「このような節を安易に除去してはいけません」とあり、雑多だから問答無用で除去してよいというのは誤ったルール解釈です。恣意的な運用にならないよう慎重であるべきです。
で。西川貴教氏の記述についてはまあ、正直なところこの記述が書き込まれた当時には私も「この記述は不要だろう」とも思ったのですが、現在は違う感想を抱いています。そのやり取りそれ自体は「雑多な感想」であったとしても、「そのやり取りがファンの間で話題になった」こと自体は、作品を取り巻く出来事の一端であり、「主題が一般大衆や評論家にどのように受け止められたか、といった情報」に含まれるではないでしょうか。それに、のりみそさんが除去せずに残した記述は、『けいおん!』に対する批判的な作品評が中心となっていますが、こうした書き方は多くの著名人に好意的な受け止められたという事実に反しており、一部の少数派の反応に「肩入れ」し「広く普及しているかのような誤解を与える」ものとなってしまっているため、中立的な観点を損なっていると感じます。まあ良くも悪くも、「けいおん!」に対する一般大衆や評論家の受け止め方は「あずにゃん萌えー」「かわ唯ー」とかいった反応は少なくない割合を占めていると感じられ、そうした反応をもう少し体裁良く書くことができればそれが最良なのですが、代替となる出典が示せない中で中立的な観点を維持しようとすると、妥協的な意味でこうした記述も残しておく必要があるかと思います。--Kanohara会話2012年12月25日 (火) 17:14 (UTC)
著名人がファンであれば、何かしら話題になるのは当たり前でありそれを理由に芸能人ファンを列挙していいにはなりません。>のりみそさんが除去せずに残した記述は、『けいおん!』に対する批判的な作品評が中心となっていますがこうした書き方は多くの著名人に好意的な受け止められたという事実に反しておりと仰てますけど吾妻ひでお以外は好意的でしょう。色眼鏡無しに専門家と呼べる範疇なのを残しているだけです。再度言いますがWikipediaは百科事典です。芸能人の一言感想やトリビアは必要ありません。--のりみそ会話2012年12月26日 (水) 01:21 (UTC)

のりみそ氏の定規杓子の主張には賛同しかねますが、記述がいるかいらないか、という点においてはいらないと思います。わざわざ私が削除しようとも思いませんが、かといって積極的に削除に賛成も反対もしないというスタンスでしたので、今まで放置していただけですが。漫画やアニメ作品に限らず、特定の項目で「ファンである」事を名前を挙げて記載するなら、専門家であろうと芸能人だろうと、その作品を語るのに特筆性があるかどうかという事でしょう。長期連載作品などで「○○ファンを公表する著名人の一覧」を作れば、エヴァやドラゴンボールではそれだけで1項目できかねません。私的意見で言えば、このような○○ファンを名乗る著名人の大半は「○○がファンが有名になったから作品が人気になった」ではなく「人気ある作品だからファンになった」程度の便乗に過ぎないと思います。せめて全く無名だった頃にファンを公言してたとか、くらいでないと記述してほしく無いのが思う所です(私的ですが)--あな34(須魔寺横行)会話2012年12月25日 (火) 18:47 (UTC)

ドラゴンボールエヴァンゲリオンスラムダンクガンダムジョジョの奇妙な冒険などは芸能人ファンは枚挙に暇がありませんがそれらの記述は一切載せていません。まどか☆マギカも削除しましたね。これがWikipediaのフィクション作品に置ける本来あるべき姿でしょう。ONE PIECEなんかは酷い事になってますが、これも対処すべきでしょうね。--のりみそ会話2012年12月26日 (水) 02:20 (UTC)
のりみそさんは「イラストレーターはギリギリそう言えるかな」とおっしゃってますが、音楽分野に精力的であることを否定なさっていないようで、音楽にも精力的という背景を鑑みればミュージシャンもギリギリそう言えるのでは?まぁ私はそこまで「残す必要がある!」とも思っていませんので別にかまわないのですが、正直に申し上げれば、のりみそさんの考える基準はよくわかりません。「それも単にファンを並べてるだけなので必要ないでしょう」とおっしゃってますが、「その他、著名人でファンを公言している人物も多い」という記述のどこにファンを並べた記述があるのか、気になります。少なくとも、この一文だけなら雑多な内容の列挙とは言えず、出典もあるため検証可能な事実だと考えます。除去の対象とは思いません。--リョリョ 2012年12月26日 (水) 13:02 (UTC)
言えないと思いますよ。再度言いますがこれは音楽よりゆるい日常をメインにした作品なので。例えばある料理漫画があったとしたらグルメレポーターを一度でも務めた芸能人は皆その漫画の項目に意見を載せていいのか、という話です。「その他、著名人でファンを公言している人物も多い」という文ですけど出典元に行ってみるとむしろ逆の「ところが、現在『けいおん!』のファンであることを公言する芸能人は意外と少ないという」と書かれているんですけど。これは無差別な情報の収集以前に文章とソースが矛盾しています。--のりみそ会話2012年12月26日 (水) 15:58 (UTC)
コメント 作品に対する反響や社会的位置づけについて説明せず、あらすじの解説に終始しているような記事を「これがWikipediaのフィクション作品に置ける本来あるべき姿」「百科事典的」だなどと思っている方がもしおられるのであれば、ガイドラインの上位に位置する公式な方針である「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」をもう一度よく読み返してください。ウィキペディアの記事はフィクション作品におけるあらすじのみの解説であってはなりません。
「まどか☆マギカ」の記事のような先例で問題点があったとすれば、それは雑多な内容の箇条書きになっていることが問題なのであって、専門家ではない者の感想や動向・発言だから片っ端から除去すべきというのは明らかに誤ったルール解釈です。そもそも「著名人の反応を集めただけで1項目できる」ほど反響のあった作品について、そうした反響について何も触れず、あらすじのみの解説に終始する記事があったのなら、それは百科事典として問題があります。逆に、ちょっと想像して頂きたいのですが、『新世紀エヴァンゲリオン』のようなアニメでも『ハムレット』のような古典でも、しっかり理路整然と起承転結のある形で、娯楽作品として公開された当時の世相やファンからの反響の動向を筋道立てて解説した記事があったら、それはとても百科事典らしい内容になるでしょうし、読み物としても優れた内容になるとは思いませんか? 逆に、たとえ専門性の高い批評家の感想であっても、否、フィクションに限らず物理や数学などの学術的な分野の記事において、出典として名だたる学者の著書を膨大に集めて書かれたものであっても、それが百科事典として整理されていない情報の羅列になってしまえば、そいつはゴミの山となり果てます。
じゃあ、どうやって雑多ではない形にまとめるんだと言われれば、まあ個人的な腹案は多少あるのですが、これについては出典となっているリアルライブの記事の書き方が比較的きれいにまとまっているのを見る限り、これを箇条書きの羅列ではない形にまとめることは比較的容易であろうという印象を持っています。--Kanohara会話2012年12月26日 (水) 14:25 (UTC)
けいおんの現在の記事でもあらすじの解説に終始してる所かむしろ多大でフィクション作品としては膨大な部類でしょう。他のページと比べてみるとむしろ縮小すべきページだと思います。「あらすじの解説に終始してはいけない」「芸能人ファンの列挙などは必要ない」Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかプロジェクト:フィクションに書かれてる内容は相互に矛盾しません。よって「あらすじの解説に終始してはいけない」を元に芸能人ファンも載せるべきだ、などというのは間違いです。再度言いますが百科事典に「○○がファンである~」などのマメ知識の羅列は必要ありません。Wikipedia:五本の柱にもある「また、単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません」に該当します。「○○がファンな事により爆発的に広まった」のような事実があれば記載するに足るでしょうが単に人気作を後追いで見た芸能人を列挙しても雑多なトリビア、無差別な情報の収集です。専門家の評論ゆえギリギリ載せられるべきが許されるのがWikipediaです。現に人気作であっても芸能人の感想を記述してるページなんてほとんどありません。けいおんにおいては、本作の社会的影響度や人気は充分語られており、芸能人ファンの記述を除去すれば社会的影響度がわからなくなるといった事もなく、特例として記載する必要性がありません。Wikipediaはバラエティー色豊かで何でも載せてもいいんだと勘違いする人がいますがあくまで簡潔にあるべき百科事典というのを忘れてはいけません。--のりみそ会話2012年12月26日 (水) 15:58 (UTC)
コメント 無差別な列挙という形をとらなければ、百科事典的な内容に昇華できるはずだというのが私の考えです。芸能人の意見は有益だろうが無益だろうが問答無用で除去、という杓子定規な判断をする前に、百科事典的な内容に修正できないかと考えるのが筋道なのではないでしょうか。--Kanohara会話2012年12月26日 (水) 23:01 (UTC)
杓子定規で判断してるわけではありません。先に述べた通り芸能人でも「○○がファンな事により爆発的に広まった」などの事実があれば記載するに足りましょう。しかし現在の著名人の反応の節はWikipediaの方針にそぐわぬものでありけいおんだけ雑多なトリビアを載せていい特例とする根拠は乏しいのです。--のりみそ会話2012年12月27日 (木) 01:23 (UTC)

コメント 議論に割り込んですみません。ちなみに当方、原作とアニメは全て拝見しております。のりみそ様の仰るように、現状の記述は、「雑多なトリビア」です。一旦削除し、Kanohara様の仰る「百科事典的な内容に昇華」できるのであれば、改めて記述するのはいかがでしょうか?なお、合意形成のコメント依頼という手もございますので、御検討下さい。--JapaneseA会話2012年12月27日 (木) 14:48 (UTC)(Sutepen angel momo)

「百科事典的な内容に昇華」というのであれば、(記述内容にもよりますが)反対はしません(無条件賛成でもありません)。--あな34(須魔寺横行)会話2012年12月27日 (木) 17:26 (UTC)

コメント 例えば、節の冒頭をこんな感じにしてみてはどうでしょう。

=== 著名人の反応 ===

のんびりした日常描写を中心としつつも、楽器や音楽を扱った作品でもある『けいおん!』は、その音楽業界への影響力が話題になったが[1]、中にはテレビ番組で活躍するミュージシャンなど、現役の芸能人による反響に関心を寄せる者もいた[2][3]。例えばアニメ版の放送に感極まったロックミュージシャン同士がTwitter上で繰り広げた短いやり取りはフォロワーの注目を集め[3]、複数のミドルメディア系ニュースサイトでも取り上げられている[3][4]。一方で本作のファンを公言する芸能人は、『新世紀エヴァンゲリオン』『ONE PIECE』などの人気作品と比較してごく少数に留まったとも指摘されているが、そうした中でも自身がオタクであることをパブリックイメージとしている複数のミュージシャンやアイドルらが本作のファンを公言した[2]。「萌えアニメ」として見られがちな本作はファンであることを公言しにくい雰囲気があるという指摘もある[2]

一方で、著名人のネガティブな反応も注目を集めた。漫画家の吾妻ひでおは...

このように出典の内容を再構成してちょっとだけ書き方を変えれるだけで、意味内容を保持したまま、単なる列挙ではない百科事典っぽい記述に改変できるはずです。上記のはあまり良い例ではないと思いますが、一応は内容を雑多ではない方向に整理・加筆し、芸能人の名前を羅列していく形を避けたので、ガイドラインが禁じている「雑多な感想や動向・発言を収集して羅列」という定義には当てはまらないはずなのです。どうでしょうか? 「主題が一般大衆や評論家にどのように受け止められたか、という情報」は「プロジェクト:フィクション」でも書くべき内容であると明記されています。どうしても除去したいのであれば別の理由を挙げてください。
> 一旦削除し、Kanohara様の仰る「百科事典的な内容に昇華」できるのであれば、改めて記述するのはいかがでしょうか?
私としては、「いかなる内容であれ芸能人の発言は問答無用で除去」という主張がある限り、一旦除去して書き直しという方法では結局編集合戦を繰り返すことになり、解決にならないという認識です。--Kanohara会話2012年12月27日 (木) 17:44 (UTC)
一旦削除」は、この方向性(削除→百科事典的な記述で再編集)で合意する事が前提での意見です。早くも文案が出されたので、私見を少々。「音楽業界への影響力が話題になった」事と「中にはテレビ番組で」をつなげるのは、発表済みの情報の合成になるような気がします。他は特に問題ないと思います。--JapaneseA会話2012年12月27日 (木) 18:04 (UTC)
Kanohara氏のご苦労にねぎらいをかけたい所ですが、そもそも率直な感想としてTMRがTwitterで呟き合った事やエヴァンゲリオンやONEPIECEに比べて公言する芸能人ファンが少ない事やオタクイメージがある芸能人が数人本作のファンを公言している事を文脈を変えてまで残す価値がある記事なのかという事が言えると思います。どんな作品も多かれ少なかれ、芸能人ファンはいるものでありしかしそれをWikipediaの作品のページに述べてるのはほとんどありません。Wikipediaの方針に反するからです。Kanohara氏の文案は確かにまとまった感じはしますが結局「本作には数人芸能人ファンがいるよ」と伝えてるだけであり雑多なトリビアの範疇を抜け出ておらず百科事典に相応しい内容とは思えません。リアルライブというサイトの情報や芸能人の一言呟きがどれほど百科事典に残す価値がある記事なのかそこから検証してみる必要があると思います。--のりみそ会話2012年12月28日 (金) 03:56 (UTC)
魔法少女まどか☆マギカでも問題になりましたが、のりみそさんの言うとおりアスキーを除いて出典の質に問題ありますしガジェット通信やJ-CASTやリアルライブのようなサイトでしか出典が得られないようなことも「twitterでつぶやいた」だけのことも特記に値しないと思います。さらに「複数のミドルメディア系ニュースサイトでも取り上げられている」なんて報告もわざわざ書かなきゃいけないことなのでしょうか?そもそもこの作品自体これだけ売れたとされてるのに「ミドルメディア」に依存しないと何も書けないとは思えません。やはりウィキペディアの理念上この記事に限らずバイト数のある記事全てにおいて良質な記事を第一の目標として目指している以上好ましいとは思えません。最低限、ファンが高じて声優としてゲスト出演した、放課後ティータイムなど出演声優に楽曲提供したなど大手メディアに複数報道されるような具体的な行動を起こしたという材料が望まれるでしょう。「ミドルメディア」なんか結局炎上として大手新聞テレビなどを引きつけるまで煽りまくる目的でネットのカキコをコピペする形で記事にしてるんでしょうし分野に関係なく著名人のコメントを取るなどコストを掛けた取材で掘り下げていない限りウィキペディアで活用することは無用です。--125.197.114.52 2012年12月28日 (金) 05:02 (UTC)
Kanohara氏の文では記述しない方が良いかなと思います。無理矢理こじつけで記述した感が否めず、作品を語る上で必要かと言えばあまり必要では(絶対不必要とも言い切りませんが)無いように思えます。Kanohara氏の文は「芸能人がファンになった事でけいおんが著名になった」のではなく、「人気作品けいおんのファンになった芸能人」というだけの扱いです。
ちなみに、「定規杓子」は否定的や悪いという意味では言ってませんので、念のため。そういうやり方も間違ってはないですけど、間違いなく揉めるから、出典のある記述を最初に削除ありきで削除はしない事を推奨します。誰とは言いませんけど(苦笑)、数年に渡って揉めてますので(参照)。--あな34(須魔寺横行)会話2012年12月29日 (土) 04:29 (UTC)
文面に関する指摘は上記の通りです。後はこの文面を載せるか載せないかですが、載せないで済むのであれば、載せない方が良いでしょう。特記性があると感じられません。--JapaneseA会話2012年12月29日 (土) 04:38 (UTC)

コメント 125.197.114.52さんは「良質な記事を第一の目標」と仰いますが、すべての記事が目標とすべきなのはウィキペディア・コミュニティ内の評価に過ぎない良質な記事の選考に選ばれることではなく、もっと上の完璧な記事を目指して努力し続けることであります。記事は選考委員のためではなく読者のためにあり、我々はウィキペディアのルールで許容されている全ての情報を駆使して、記事を高みへと運んでいかなければならないのです。

さて、のりみそさんは2012年12月28日 (金) 03:56 (UTC)の発言で、以下のように言われましたが、

> どんな作品も多かれ少なかれ、芸能人ファンはいるものでありしかしそれをWikipediaの作品のページに述べてるのはほとんどありません。Wikipediaの方針に反するからです。

これはある意味で誤りで、ある意味で真実を衝いています。なぜウィキペディアの作品記事では芸能人のファンの多寡に言及した記述が少ないのでしょうか? 答えは簡単です。よほど影響力の強い作品でもない限り、こうした話題はニュースサイトや文献などの情報源で特記されることがないからです。『けいおん!』ほどの人気作品ですら、芸能人の反響に関する出典を探すのは困難です。よりマイナーな作品となるとさらに希で、こうした話題は通常、ミドルメディア系のニュースサイトも見向きしないのです。もちろん芸能人が運営している個人ブログはウィキペディアの出典には使えませんから、書こうとすればウィキペディアの方針に反します。ところが、『けいおん!』の場合、複数のニュースサイトが芸能人の反響について言及しているのです。これはすごいことですよ特記に値することです

『けいおん!』という作品の社会的影響力の大きさとその限界について、それが残す価値がある情報なのか否かと言えば、あるに決まっています。「Wikipedia:素晴らしい記事を書くには」にも、「ある作品の登場人物リストを作成するよりも、その作品が持つ文化的な価値や社会への影響について述べる方が、百科事典の記事としてずっとふさわしいはず」という一文があります。「Wikipedia:過剰な内容の整理」ですら、「社会的背景や影響などもふまえた幅広い視点」の加筆を歓迎しています。ですので、「書くべき情報ではないから、他の記事が取り上げていない」という解釈は間違いです。完璧な記事を目指すのなら、こうした内容は雑多な箇条書きの羅列になることを注意深く避けつつ、どんどん記事に反映していくべきなのです。

で、J-CASTニュースやロケットニュース24のようなミドルメディア系ニュースサイトは信頼できる情報源ではないという意見について。個人的に思うに、今回の内容については、信頼できない報道機関のゴシップ記事と異なり、記事の内容を見た読者が自分で検証することが比較的容易な内容ですので、真偽について特に問題視するものではないと思っています。「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」では、ニュースソースがただ1紙のタブロイドでしか見つけられないような内容について注意書きを設けていますが、複数の情報源で確認できるのなら問題ないかと。

もっとも、この点について疑念を寄せるコメントが多いようですし、私としてもミドルメディア系ニュースサイトを記事に用いることの是非について「けいおん!」のノートで延々揉めたくはありません。西川貴教氏とHISASHI氏のやり取りを取り上げている情報源は他に幾つもあるので、とりあえず書籍出版物『けいおん! マル秘白書』(ISBN 978-4-413-09521-1)、および125.197.114.52氏から信頼性のお墨付きを貰ったアスキーの記事を用いて書き直してみました。

=== 著名人の反応 ===

『けいおん!』は日常描写を中心としつつも、そうした何気ない日常の中のバンド活動の描写は音楽経験者の共感を呼ぶものとなっており[1]、そうした内容が多方面に影響を与えた[1][2][2]。一方、テレビ番組で活躍するミュージシャンなど、現役の芸能人による反響に関心を寄せる者もおり[3]、例えば著名なロックミュージシャン同士がアニメ版の放送に感極まってTwitter上で繰り広げた短いやり取りはWeb上での大きな反響を呼んだ[4][5]。一方で本作のファンを公言する芸能人は、『新世紀エヴァンゲリオン』『ONE PIECE』などの人気作品と比較してごく少数に留まったとも指摘されているが、そうした中でも自身がオタクであることをパブリックイメージとしている複数のミュージシャンやアイドルらが本作のファンを公言した[3]。「萌えアニメ」として見られがちな本作はファンであることを公言しにくい雰囲気があるという指摘もある[3]

一方で、著名人のネガティブな反応も注目を集めた。漫画家の吾妻ひでおは...

  1. ^ a b 四本淑三 (2011年12月3日). “四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 - 第79回 KORGは「けいおん!」を本気で愛していた”. ASCII.jp. アスキー・メディアワークス. p. 2. 2012年12月30日閲覧。
  2. ^ a b けいおん!人気で業界騒然、左利き用ベース2年分を追加発注”. ASCII.jp. アスキー・メディアワークス (2009年5月13日). 2009年7月8日閲覧。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ascii20090513"が異なる内容で複数回定義されています
  3. ^ a b c “芸能人オタク列伝 『けいおん!』ファンの芸能人たち”. リアルライブ (フェイツ). http://npn.co.jp/article/detail/24487098/ 2012年12月27日閲覧。 
  4. ^ 軽音楽部愛好会「『けいおん!』終了に泣いた大物ミュージシャンとは」『けいおん! マル秘白書』青春出版社〈青春文庫〉、2011年10月20日、138-140頁。ISBN 978-4-413-09521-1 
  5. ^ まなめ. “「けいおん!」最終回に、西川貴教さんが絶叫”. ASCII.jp. アスキー・メディアワークス. 2012年12月30日閲覧。

ミドルメディア系ニュースサイトを情報源に用いることへの懸念については、これで問題ありますまい。

「記事に必要ないと思う」という意見ですが、そりゃあ私にだって「これは別に私にとって必要ない記事だ」と思う記事はたくさんあります。何の役に立つかも分からない難解な数学記事、これから一生行くことも関わることもなさそうな遠い国の人物や地名、特に関心を持てない歴史的事件、知らなくても困らないマイナーな化学物質の特性など。でも、そういったものを「私は必要ないと思う」という主観で除去して回ったら、ウィキペディアは百科事典として成長していかないじゃないですか。なので、ルールに照らしても除去する正当な理由が見当たらない、本来残すべきとされている内容については、なるべく加筆して有益な形にになるよう生かしていくべきだと思うのです。

そうまで強弁して記事に書きたい内容が西川貴教の「あずにゃーーーーーーーーーん!」かよ、という意見はあるかも知れませんが、個人的にはあずにゃん云々よりも、今回の議論の影響によって、本来もっと記事に書くべき内容までもが「書くべきでない」ものとして合意形成されたり、執筆者が萎縮してしまったりという状況を懸念しています。--Kanohara会話2012年12月29日 (土) 17:53 (UTC)

再度言いましょう。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんWikipedia:五本の柱「また、単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません」トリビアは不要という事です。貴方は記事の品質を高みではなく低下させています。
>よほど影響力の強い作品でもない限り、こうした話題はニュースサイトや文献などの情報源で特記されることがないからです。
それは誤りです。けいおんより芸能人ファンを抱える作品は数多にあります。もちろん出典元も多数あります。しかしそのほとんどがそんな事をWikipediaの作品ページに付記しません。
載せないのがWikipediaのモラルでありポリシーなのです。どこの世界に芸能人ファンをいちいち羅列する事典がありましょうか。ハッキリ言ってゴシップレベルです。あくまでWikipediaは百科事典であり、ファンサイトではありません。簡潔且つ百科事典に相応しい内容にせねばなりません。Kanohara氏のような「見る人によっちゃこれもいい知識になるかもな、何でも追加していこう」という思考がWikipedediaの質の低下を招いているのです。
>『けいおん!』という作品の社会的影響力の大きさとその限界について、それが残す価値がある情報なのか否かと言えば、あるに決まっています。
これらは既に売上でわかっています。芸能人の呟きは必要ありません。
繰り返しますが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんWikipedia:五本の柱プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意これらを読み直して何故芸能人のファンなどを載せるべきではないか、このようなルールになったのかを心を落ち着かせて考えてみて下さい。Wikipediaの方針に従い、芸能人ファンの記述を載せなかった所で自由な編集活動を何ら妨げるものではありませんし、それこそルール違反の上に形成される自由など本末転倒でありましょう。
貴方以外の全員が記述自体をしない方がいい、と言ってるのを理解すべきです。--のりみそ会話2012年12月30日 (日) 01:51 (UTC)
選考制度の無いWikipedia:完璧な記事を持ちだしてWikipedia:秀逸な記事(FA)やWikipedia:良質な記事(GA)の制度を軽視して選出された記事を執筆したユーザーの皆様を傷つける事を言うのはいただけません。GAやFAに選出されることこそWikipedia:完璧な記事に合致する一種の権威あるお墨付きではないでしょうか。確かに審査するのは同じウィキペディアユーザーなので選考で納得出来ないことやトラブルが発生することは多いですが制度に不満があるんでしたら関連方針のノートで意見することも検討してください。それに「記事は読者のためにある」とおっしゃいますがKanoharaさんにとって「読者」ってどんな人のことでしょうか?このようなノートで何も言わず2ちゃんねるやTwitterやニコニコなど基本匿名でウィキペディアの記事に対する意見を書き込む人、もしくはサイレントマジョリティでしょうか?記事に問題があると感じるなら皆さんのようにノート意見を書くしかないと考えますが違いますか?
出版社を中傷したくはないのですがKanoharaさんが新たに持ちだされた「けいおん! マル秘白書」も謎本と言えるもので著者が「軽音楽部愛好会」と匿名なのか著名な人物はおろか個人名すら出てないようですね。出典の質としてどうなんでしょう?商業出版は万能ではないですし権威を感じないです。これも出典として使うべきではありません。見かけたところ謎本はLTA:HATでも問題になったようですし。
出典が信頼出来るかどうかなんて確かに無関係でしょう。「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」を持ち出せばWikipedia:信頼できる情報源」など信頼性関連の方針は骨抜きに出来るようであとは「残す価値がある」と押し切るだけのようですし。残念ながら「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」では「タブロイド」なんてあくまで「例えば」の話になっていますのであとは解釈の違いの問題ですが。
のりみそさんの「これらは既に売上でわかっています」もちょっと賛同できません。売上のみを書けばいいわけがありません。しかし、Kanoharaさんの「Twitter上で~」「ファンを公言した」だけでは軽すぎて価値を感じません。残念ながらKanoharaさんはけいおん!に対する評価の書き方に関して力の入れどころを間違えていてネット上のみの出来事・反応こそ優先的にウィキペディアに書かねばならぬというスタンスを感じますがこのままでは理解を得られないと考えます。少なくともFAになっているディシディア ファイナルファンタジーテイルズ オブ レジェンディアを参考にするのも有効と考えます。
アスキーの「「けいおん!」最終回に、西川貴教さんが絶叫」の記事って「まなめの「週刊Twitterなう!」― 第61回」とかいう連載企画で扱いも小さいですね。いくらアスキーでもこれはいただけません。HISASHIさんや西川貴教さん本人からこの件に関してコメントを取るなどネット上ではなく現実世界で取材したのでしたら記載の余地はありそうですけど。
あと今回の件と「遠い国の地名」「マイナーな化学物質の特性」は全く別でしょう。例えがおかし過ぎます。「人物」「歴史的事件」というのはよく議論になりますが、「地名」「化学物質」で出典がしっかりあるのに「俺にとって必要ないから」と削除依頼など出されて消された例ってあるんですか?あってはならないことですが。「執筆者が萎縮」というのも被害妄想と一蹴されても仕方がないのでは?Kanoharaさんが主張していることは「本来もっと記事に書くべき内容」ではないとしか言われてない状況のようですし。
最後に他の記事を見てKanoharaさんの執筆能力は尊敬に値します。他の方々も本当はそう思っていることを信じたいです。ですので他の方に衝突しすぎず建設的になることを望みます。あくまでも一個人の雑感ですが日本のエンタテインメント、特に漫画やアニメでの「批評」「評価」自体宣伝を目的とした「悪い点の無いパーフェクトな作品」と言わんばかりの賞賛ありきのばかりで独立した第三者による権威ある「批評」「評価」がアメリカなどと違って全く成り立ってない、また2ちゃんねるやtwitterなどのやり取りでも賞賛しかできず批判的意見は荒らしとしてスルーというのが鉄則である上賞賛対象と批判対象がほぼ固定化されていて、本当に雑多な情報が渦巻いている場所なのか疑問とそれぞれ感じています。なので評価反応の記述が論争になりやすいのは理解できます。しかしながらやっぱりKanoharaさんの案はのりみそさんの言うとおり無理を感じます。--122.134.193.221 2012年12月30日 (日) 06:51 (UTC)
コメント ううむ。保護前の状態ならともかく、ノートで二度に渡って示した文案の改善によって「単なる情報やデータを無差別に収集」「芸能人ファンをいちいち羅列する事典」といった状態からは脱していると考えていますので、手前味噌ながら「Wikipedia:五本の柱」にも沿った内容に改善されていると考えます。また、のりみそさんの示した「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」の一行目は「Wikipedia:特筆性」へのリンクですが、西川貴教氏のツイートに関しては対象とは無関係な、複数の信頼できる情報源からの有意な言及があると言え、これが単なる雑多なトリビアとして無視できない話題であることを示しています。特にこれらがTBSとの繋がりが深い毎日新聞でも、対象から独立した情報源とは見なされない公式ファンブックなどでもない、対象から独立した出版社や謎本などの二次情報源によって言及されている点は一考に値し、私は少なくとも一方的な決めつけや主観で価値を決めるべきではなく、議論を尽くすべき問題だと捉えています。他にのりみそさんの示した「プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意」にも、「社会的影響力のある人物や一部の少数派の反応には紹介する価値のある場合もあります」という一文があります。
で、価値があるのか否かという話について。今や『けいおん!』のアニメ版は2010年前後を代表する作品となったと言って過言ではないと思いますが、そうしたアニメですら芸能人のツイートがいちいち物珍しいこととして話題になったという事実や、芸能界全体を見渡すと比較的マイナーな話題でしかなかったことを示すリアルライブの記事は、後世になってから「当時の社会情勢の中で萌えアニメが置かれていた状況」を示す情報として、記事に一文を割く程度の価値はあるだろうというのが私の考えです。深夜アニメを見る習慣がまったくない読者が数年後に読み返すことを想定すると、百科事典として十分に有用な情報だと思うのですがどうでしょうか? また、言語間リンクから飛んできた、アキバの国・日本では既に萌えアニメが市民権を得ていると思い込んでいるような海外の読者にとっても有益な情報でしょう。
のりみそさんの「貴方以外の全員が記述自体をしない方がいい、と言ってるのを理解すべきです」という発言については、私を含む4人から編集を差し戻されつつも除去を強行し、記事を保護に追い込んだのりみそさんがそれを言うか、と思わなくもないのですが、それを差し置いても目下「全員から記述しない方がいいと言われている」事実はないので、的外れです。
122.134.193.221さんの、GAやFAに対する思い入れは理解しましたが、「良質な記事を第一の目標」などと言われたら、選考に携わっている方々としても不本意なのではないでしょうか。私の考えるウィキペディアの読者とは誰かという質問ですが、誰にでも編集が可能といったウィキペディアの特性をよく理解していない方を含めた、GoogleやYahoo!のキーワード検索からふらっとやって来て、情報を得て帰っていくような方々を想定しています。
謎本の信頼性ですが、LTA:HATでは謎本の解釈に過ぎない内容を、記事中に出典を示さないまま公式設定と混同するような形で記述するような編集態度が問題になったように見受けられ、今回の件とはあまり関係ないと思います。仮に謎本による解釈を出典とする場合でも「……と解釈した謎本もある(『○○の謎』xxページ)」のような形で紹介する分には問題ないでしょう。--Kanohara会話) 2012年12月30日 (日) 17:23 (UTC)名前の取り違えを訂正。--Kanohara会話2013年1月7日 (月) 16:41 (UTC)
元がオタク趣味のTMR西川氏がTwitterで一言呟いたなど雑多なトリビア以外の何物でもありません。複数の出典元があろうと関係ありません。ネットニュース等はネタに餓えてますから下らないネタも取り上げます。編集合戦地味た事になりましたがそれは私の主張自体への反論では無くノートに応じてとの事でした。正直ノートにするまでもない話題だと思いましたのでそこは私も反省すべき点です。確かに、リョリョ氏はもう議論に参加していませんので全員が除去しないように、と言ってるのは誤りでしたね。ですがこの議論に参加しているそれ以外の全員、私、125.197.114.52氏、JapaneseA氏、須磨寺横行氏も記載しない方が望ましいと述べていますね。Arawikeichi氏も私の会話ページで記述自体必要無いと思うと述べておられます。この事を重く受け止めるべきです。手を替え品を替えとにかくこの記述に固執して残したいようですが元が中身の無い情報は幾ら装飾しようと張り子の虎です。ここで口をすっぱくして言いますがWikipediaで感想の記載が許されるのは基本評論家や専門家のみです。芸能人、まして一言Twitterなどいりません。百科事典の質・観点といった点で有益ではないからWikipediaは著名人の感想等を載せる事は禁止されているのです。専門家や評論家の感想のみ評価といった観点で特別に認められる特例なのだとご理解下さい。単なる著名人の感想は不要です。それを載せていいとなるとそれこそ長期連載やミリオンを超えている大人気漫画作品等は一体どれほど芸能人の感想を並べなくてはいけないでしょうかね。そんな恥ずかしい事をしてる作品は(一部例外を除き)ありません。「俺が有益だと思うから何でも載せていいんだ」こんな事が罷り通ったらWikipediaは蛇足ととりとめのない情報の嵐になります。ここはあくまで衆人環視の百科事典という事を考えるべきです。貴方のブログなら何を羅列しても構いませんが。--のりみそ会話2012年12月30日 (日) 19:20 (UTC)
結局、掲載価値があるか無いかっていう話だと思います。月を扱った作品一覧火星を扱った作品一覧を御覧下さい、はっきり言って魔窟です。「月や火星が影響を与えた」からと言って、何でも書くとこういう事態になります。月や火星に限った事でなく、天文関連の記事はこのように汚染されています。のりみそ様の仰るように「そんな恥ずかしい事をしてる作品は(一部例外を除き)ありません。」であれば、天文記事の轍を踏む必要は無いと考えます。--JapaneseA会話2012年12月31日 (月) 04:22 (UTC)
「2010年前後を代表する作品となったと言って過言ではないと思・・・」ってるなら、他にもそういうことを扱った記事はあって、もっとマシな出典が出るはずです。出典が出せないという事は代表するような作品ではなく、一過性のブームに過ぎないという事に他なりません(かどうか私が思ってるかは別として)。【「記事に必要ないと思う」という意見ですが】以下の文言のほとんどは、こういうトリビア的記述で削除された側が反論につまった時に持ち出す常套句です。それで萎縮して雑多なトリビアしか書けない人間がwikipediaに来なくなるなら、その方がはるかにマシでしょう。指摘の常套句を出した時点で「この議論も終わったな」と思いました。--あな34(須魔寺横行)会話) 2012年12月31日 (月) 06:56 (UTC)--あな34(須魔寺横行)会話2012年12月31日 (月) 17:02 (UTC)

この手のアニメ(に限らない創作物)での評価や反応の書き方はものすごく難易度の高い問題です。そういう問題に真剣に取り組んでいるKanoharaさんは尊敬できるところがあります。しかし、けいおん!の反応記述はtwitter云々より豊郷小学校の聖地巡礼の方がよっぽど「百科事典として十分に有用な情報」「海外の読者にとっても有益な情報」ですよ。ネット上の出来事を過大評価しすぎです。吾妻ひでおさんもロケットニュースが取り上げたことを強調したいだけでしたら記述はいらないです。そこまでしてネガティブな評価を無理に載っけることはありません。あら捜しするとメディアに関係なく偏見や決めつけに基づいたに過ぎない質の悪い記事が出てくるだけなんですから。ともかく「ネット上で話題になった」「2ちゃんねるで反応があった」というようなことで終わる記載はできるだけ避けるべきです。今回の「謎本」も「……と解釈した謎本もある(『○○の謎』xxページ)」という形にしてまで執拗に出典にしようとしていますがそれって数多くのマスコミで取り上げられるほど反響が大きい、ベストセラーなどそこまで凄い本なのでしょうか?あとけいおん!とは関係ありませんが、KanoharaさんがFA、GAではないが完璧な記事だと思う、もしくは自分の考える読者にとって理想的な記事がありましたら教えてください。本当はKanoharaさんが自分にとって「完璧だと思う」記事を選考にかけることを望みますが。--125.194.237.231 2012年12月31日 (月) 09:54 (UTC)

えー、自動解除が近づいてるようなので提案致します。取りあえずプロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意「どの様な場合でも、掲載されるべきなのは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価です」の方針に則り、著名人の反応の節で残すのはかきふらいと同業の吾妻ひでお、評論家である宮崎哲弥、映画評論家の肩書きを持つ宇多丸のこの三人に絞りそれ以外は削除という形で宜しいでしょうか。--のりみそ会話2013年1月1日 (火) 10:31 (UTC)

賛成です。現状の版が不適切なのは一致しているので、一旦削除して上記で作成された文案を掲載すべきかどうかを議論すべきでしょう。なお、著名人の反応節を丸ごと除去でも良いと思います。「共通見解や一般的な評価」でなく、全員私見を述べているだけにみえます。--JapaneseA会話2013年1月1日 (火) 15:13 (UTC)
自分から積極的に削除する気はないですが、特に反対もしません。あってもなくても同じとは思いますが、削除意見多数であるならそれに従います。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月1日 (火) 17:11 (UTC)
コメント まあ現行の記事のような、著名人の感想を列挙していくだけの雑多な箇条書きが百科事典的ではなく改善を要するものであることは最初から否定していないつもりですし、指摘された問題点を改善した文案を出してみたものの、文案を示した後に一通り出そろった発言を見る限り「百科事典的だと思えるような内容に改善された」という合意は得られなさそうだ、というのが現状であると捉えています。
ですが、もしその合意内容が「今後、この記事の出典に芸能人の発言を使用するのは禁止で、使用できるのは評論家という肩書きを持った人物によって書かれた文献のみとする」という方向性で合意されるというなら、それはちょっとおかしいぞ、と一応釘を刺しておきます。もちろんプライベートなブログやTwitterでの他愛のない発言を一次情報源とするのは論外としても、例えばミュージシャンの立場から見た「けいおん!」の音楽性やバンドものとしてのディティールに言及した内容を、雑誌のインタビュー記事などを出典にして加筆するような内容であれば、それは記事にとって十分に有益なはずです。また、ちょっと専門家から外れた立場の人間が、漫画・アニメ業界から一歩引いた外部の意見として「けいおん!」ブームを解説する記事などがあれば、内容によっては掲載する価値があるかも知れません。こういう内容はケースバイケースと言えるでしょう。
それと、記事にとって無益であるという閾値を、リアルライブの分析、池田暁子氏の評価、山下達郎氏の評価などに置くのであれば、吾妻ひでおへの言及はまったく不要でしょう。そもそも吾妻氏は漫画家であってアニメの専門家ではないのですから、アニメ版に対する批判を「同業者に対する批判」という文脈で捉えるのは筋違いですし、内容も他に引用された著名人の反応と比較して優れているとは言いがたい内容です。列挙されていた他の内容の質があまり良くないからこそ、バランスを取るために許容されていたようなものでしょう。仮に吾妻氏の真意を「美少女漫画ブームを牽引しつつもその後現実がイヤになり失踪、後に鬱とスランプに苦しんだ経緯を自伝として漫画化」という経歴と併せて考察した第三者の論評などがあれば、百科事典的な内容になる可能性はありますが、だとしてもそれは吾妻氏の記事に書くべき内容です。それが「けいおん!」の記事にある限りは、その重要度は「西川氏がその後もアニメ好きを公言し続けていたら文化庁から仕事の声がかかり[4]、その任命式で「けいおん!」への思い入れを熱弁して[5]ニュースサイトで取り上げられた[6][7]」といった情報と大差なく見えます。
また、「雑多な箇条書き」の状態が解消されないのであれば、芸能人の発言を消去した後でこうした記事を出典として、大学教授の分析の列挙に置き換えたとしても、それぞれの分析は宝の山であっても結局は雑多なトリビアの山になってしまいます。そういう意味でも現状の見直しは必要かと。宇多丸氏による最終回批判は、前節の古谷経衡氏による作品評と統合・併記する形にした方がよいと考えますし、「映画評論家の肩書きを持つ」という理由で残すならなおさらで、著名人というくくりで分ける理由が分かりません。
山下達郎氏の感想は、本作アニメ版のスタッフによる以下のような発言と併せることで、意味のある内容に昇華できる可能性があると考えています。プロデューサーの自画自賛ではなく、実際に音楽をわかっている芸能人に支持されているという文脈を持たせることになるでしょう。その場合は「アニメ版の演出」のようなタイトルで節を作った方がよいと思いますが。
もうひとつ気にしていたのは、音楽は本物志向で行こうということです。原作者のかきふらい先生も音楽をやっていた方ですし、音楽の部分は気を抜いちゃいけないと思いましたね。演奏シーンはあんまり出てこないんですけど、音楽をわかっていない人間が作ったような作品になっちゃうと、それはそれでリアリティが薄くなっちゃうじゃないですか。 — 中山佳久、『桜高軽音部活動日誌』71頁。ISBN 978-4-8322-7870-7
謎本については、今回の件は謎本の著者による解釈を含むような内容ではないので無関係かと思いますが、仮に「けいおん!」の関連記事で使用する場合は、劇中に登場する楽器のブランドの推測とか、唯の音感は絶対音感なのか相対音感なのかといった考察は、無名のウィキペディアンによる独自研究よりも、謎本のような書籍の方が有効な情報源になると考えます。「雑多なトリビアしか書けない人間がwikipediaに来なくなった」後に来るのが、信頼性は低いが検証可能性のあるニュースサイトにすら目を通さない、独自研究を振りかざすような人たちであるなら、昔の自由奔放すぎてミドルメディアにも信頼性で劣る時代のウィキペディアに逆戻りです。--Kanohara会話2013年1月1日 (火) 18:29 (UTC)
項目の全部を見て言ってるわけではないですが「劇中に登場する楽器のブランドの推測とか、唯の音感は絶対音感なのか相対音感なのかといった考察」のような記述が出典もつかずに書いてあるなら、さっさと要出典タグつけて削除なさるがよろしいでしょう。「雑多なトリビアしか書けない人間がwikipediaに来なくなった」ら「信頼性は低いが(略)逆戻りです」も意味不明です。排除しなかったら逆戻りしないとでも言うのでしょうか?
正直申し上げて、現時点においてもwikipediaは「独自研究を振りかざすような人」ばかりだとしか思えません。「雑多なトリビア」があろうがなかろうが状況は同じでしょう。話をそらすかのごとく反論につまって持ち出す常套句でごまかそうとするのはいい加減おやめください、見苦しいだけならまだしも、議論妨害にしかなりません。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月1日 (火) 19:52 (UTC)

須磨寺横行さんに警告されたので意見を書きたいと思います。出典の信頼性なんか関係ないとおっしゃいましてもさすがに「2ちゃんねるで批判された」という記述は記事の質を下げるだけです。2ちゃんねるは評価に値しません。J-CASTを過大評価しています。本当に何故書かなきゃいけないのかわかりません。Kanoharaさんが持ち出している方針の拡大解釈です。中立性のために伊藤遊氏に対する反論があった事実を書きたいのでしょうけど2chのカキコ程度では権威も無いため中立性が保たれることはありません。J-CASTの記事にある井上トシユキ氏のコメントも2ちゃんねる住人が朝日新聞を敵視しているというだけでけいおん!とは何の関係もありません。「2chのカキコ紹介」も「出典の無い独自研究な記述」と同じくらい問題です。「J-CASTやロケットニュースで報じられた」もほとんどネットの見聞きばかりで煽ることを主目的にしている程度のニュースサイトに取り上げられたことがそんなに凄いんですか?このことに関して皆さんが理解してくれることを信じます。--122.131.123.180 2013年1月2日 (水) 08:15 (UTC)

122.131.123.180様に賛同します。一律J-CASTがダメとは申しませんが、そのネタ元が2chでは掲載価値はありません。--JapaneseA会話2013年1月2日 (水) 09:01 (UTC)
評論家の意見を2ちゃんねらーが更に評論したその記事を載せるというのは確かに、不適切です。自分も削除した方がいい箇所だと思います。--のりみそ会話2013年1月2日 (水) 10:10 (UTC)

取り合えず一定の合意は得られていると判断し、該当部分を編集致します。著名人の反応の節をいきなり全部消す、というのも強引な気がしますので問題になった部分を消去したいと思います。吾妻ひでおは個人的にはかきふらいの先輩の同業者からの視点という事で残す価値があると思います。マンガにも触れているので。Cという作品に対して肯定的な意見Aと否定的な意見Bがあった場合AかBどちらか片方を載せるのではなくどちらも載せた方が中立性というものは高まると思いますので。取り合えずは専門性が薄い単なる著名人の感想を消去します。--のりみそ会話2013年1月2日 (水) 09:59 (UTC)

私は削除派ですけど、合意など取れていないでしょう。Kanohara氏は問題がありすぎだが、貴方もまた問題であることくらいは自覚してください。いましがた「議論が終了するまで削除しないでください」と言ったのが見えなかったのでしょうか?Kanohara氏が賛成するまで合意とは見なさないとは言いませんが、やりかたがあまりに唐突すぎます。記述内容はともかく、議論としてどっちがマシか、ではなく、どっちがより酷いかというレベルです。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月2日 (水) 10:13 (UTC)

2013年1月1日 (火) 10:31 (UTC)に「えー、自動解除が近づいてるようなので提案致します(略)削除という形で宜しいでしょうか。」と提案して、24時間も立たずに「合意は得られていると判断」はいくらなんでも早すぎです。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月2日 (水) 10:24 (UTC)
須磨寺横行氏へ。見えませんでした。履歴はチェックすべきでしたね。ですが、Kanohara氏以外はほぼ全員削除した方がいい、という意見でまとまっているのに合意が取れていないというのも些か弱腰というか決断力が欠如してるのかなと思います。一人が抗い続ければWikipediaに不当な記事が永遠に載せられていいのだ、という事になれば本末転倒ですし。私としては再三に渡りKanohara氏に訴え続けたつもりですし、彼は「自分の記述がWikipediaに有益である」という持論を絶対に譲らないのかな、と思っています。とすれば、議論する段階は過ぎてるのかな、とも思います。24時間経っていないという事ですがこの一日で参加者も多く、その後の異論も特に無かったので判断致しました。--のりみそ会話2013年1月2日 (水) 10:43 (UTC)
早ければ良いというものでもありません。緊急を要するような案件でもないのですから、1週間くらいは期間をおくべきでしょう。またKanohara氏の同意が必ずしも必要とは言いませんが、貴方のそのやり方ではかえってKanohara氏の反発を招くだけです。今回の場合は「決断力に富んでいる」のはなく「拙速過ぎる」と言います。1週間たってKanohara氏が削除賛成しなくても、仰るようにその他全員が削除賛成であるなら、Kanohara氏に構わず削除しても良いと思います。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月2日 (水) 10:52 (UTC)
まーまー、削除で概ね合意しているのですから、焦らずにゆっくり行きましょう。こんな事で保護でもかけられたら勿体ないですよ。--JapaneseA会話2013年1月2日 (水) 12:41 (UTC)
コメント 何から返答すれば良いのやら。話を逸らして議論を妨害していると受け取られるのは不本意なのですが、ちょっと現在のウィキペディア観について意識のずれがあるようなので一応。私としては、ゴシップだろうが何だろうが、とりあえず「しっかり検証可能な出典を示して書く」という意識が執筆者の間に浸透していること自体は、以前と比べての大きな進歩だと捉えています。「だから無法も大目に見ろ」という意味に受け取られてしまうと悲しいのですが、ウィキプロジェクトよりも上位のガイドラインでは「Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション」のような規定もあり、また「Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源」似もあるように、「同じPOVを抱いていないほかの情報源に拠る独立した検証がある場合」は掲示板の投稿でも出典として使ってよいとされています。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではないのはもちろんですが、その取捨選択は吟味を要するはずです。二次情報源での言及がある内容は、一見するとくだらないゴシップに見えても人の関心を集めた内容であり、扱い方に注意すれば百科事典的な内容に昇華できるものもあるはずです。今回の議論で話題になった内容は「ウィキペディアのルール上からして、断りなく除去して良いものであることは明白」とまでは言えないと思われ、擁護の立場に立たせて頂きました。
のりみそさんが強行した記述除去ですが、私は西川氏の発言以外についても、なるべく建設的になるよう努めて意見を言っているつもりです。その辺についてはコメントを頂けないのでしょうか? それに除去する場合ですが、のりみそさんが挙げた以外の内容について。吾妻ひでお氏の作品評(?)を残すことに賛成しているのはのりみそさんしかいないので、のりみそさんの論法で行くと「のりみそさん以外はほぼ全員削除した方がいい、という意見でまとまっているのに合意が取れていないというのも些か弱腰というか決断力が欠如してる」ということになってしまいます。まあウィキペディアは多数決主義ではないのですし、報復と受け取られると甚だ不本意なのですが、吾妻ひでお氏の同業者としての発言は「ほほえましいほのぼの4コマ」という感想でしかないし、アニメ評についても実のある批判とは言いがたいですし、調べてみると吾妻氏はその後「平沢唯(のフィギュア)も欲しい!」などと発言していたようなので、この内容は真に受けて良いのか、それとも自虐的なギャグの一種なのか、ちょっと判断つきかねる印章も受けています。このニュース記事には、吾妻氏の感想がどのような反響を生んだのかといった言及もありませんし、ちょっと恣意的なバイアスのかかった引用を、ロケットニュース24だけのソースを元に記述して良いのか、疑問を感じます。信頼性の乏しい情報源の使い方は慎重を要すると思いますが、「けいおん!」の批判的記述の代表として吾妻氏の感想を使うのは、少なくとも私なら避けます。
一方、122.131.131.18さんと122.131.123.180さんが除去を強行しようとした箇所ですが、これは先日ノートで提示した朝日新聞のコラムに掲載された広瀬正浩氏の論評[8]などと併せれば、十分に百科事典的な記述になるはずです。私の方で修正を試みてみます。
それと、謎本関係のやり取りで出てきた要出典箇所について。楽器のブランドに関しては以前も議論がありましたが、アニメ版では楽器にブランドのロゴがはっきり描写されており、アニメスタッフも楽器名への明言は避けつつ「音楽をわかっていない人間が作ったような作品にはしたくないので、楽器のディティールは本物を元に描いている」というようなことを仰っています(『桜高軽音部活動日誌』71頁。ISBN 978-4-8322-7870-7)。また複数のニュースサイトが取り上げており[9][10][11][12][13][14]、何より「アニメの影響で楽器が異例の売れ行き」のような形で『けいおん!』の社会的影響力に言及するときに無視できない情報であるので、ちゃんと出典を明示した方がよいでしょう。唯の絶対音感については劇中の台詞や原作公式サイトに記述がありますが、相対音感については、過去に「絶対音感だとするとこの描写はおかしい。これは相対音感」云々の記述が書き込まれ、編集合戦の末にそのままになっている状態ですね。私はアニメ版の内容にはあまり詳しくないので、登場人物記事に関しては基本ノータッチですが、通販で注文している謎本が手元に届いたら、暇を見て加筆しておきます。--Kanohara会話2013年1月2日 (水) 21:04 (UTC)
まず上から目線でWikipediaの情勢を語るより貴方が進歩するべきではないですかね。これだけ多くに反対されたら普通は自粛するなり反省するなりすると思いますが今度はけいおんの他の項目にも手を出してるようですが。吾妻ひでお氏に対してはまず議題に挙がったとも言えず残すかどうかコンセンサスが取れていないので削除は早計だと判断致しました。同業のマンガ家という事で専門性は確保されている訳ですし、方針には反していません。「実のある批判」かどうか貴方が判断する事でもありません。私は何も全てを削除したいわけではないのですよ。専門家や評論家の意見は載せる事により記事の質が向上する事もありましょう。削除すべきは単なる後追いのファンでしかない芸能人の感想や、ファンの羅列です。貴方がどうにかして残したい西川貴教のTwitterやリアルライブ等の事です。>このニュース記事には、吾妻氏の感想がどのような反響を生んだのかといった言及もありませんしとありますがそれこそ伊藤遊に対する2ちゃんねらーの批判の記事のようなものは不要です。そもそも2ちゃんの反響等の記事は記者が恣意的にコメントを抽出してる時点でまとめブログ等と変わりません。Wikipediaの方針を無視して「きっとこのトリビアは読者に有益になる筈だ」という主観で自分の記述を固持して残したい貴方の姿はとても建設的とは言えません。--のりみそ会話2013年1月3日 (木) 03:03 (UTC)

(インデント戻します) 皆様にお願いなのですが、このような状況なので、編集するのはしばらく自粛して頂けないでしょうか。またRvも同様です。さもないと編集合戦で記事保護、編集者はブロックされるのが関の山でしょう。さて、まずは除去に合意できる範囲を確認したく思います。除去できるものは完全に除去してから、加筆する方が良いでしょう。--JapaneseA会話2013年1月3日 (木) 05:17 (UTC)JapaneseAが主アカウントになりました、副アカウントは利用者:Sutepen angel momo会話 / 投稿記録 / 記録

合意形成についての議論は、のりみそ、Kanohara両氏(と私)以外の方に主導をお願いしたいところです。この状況で両氏が行うとお互いが納得しあうとも到底思えません(正直、議論がきちんと成立するかも怪しいですし)。私もちょっと両氏に攻撃的すぎますので、中立(ある意味中立かもしれませんが)と言えませんので。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月3日 (木) 05:31 (UTC)

コメント 西川貴教氏のツイートに関しては、「ノートで出されたさまざまな意見を加味して文案を練ってみたけれど、結局どうやっても有益な記述になりそうにないから除去」という方向で、2013年1月1日 (火) 18:29 (UTC) の発言辺りで合意形成がされていると認識しています。既に終わった話題をいつまでも持ち出して「いつまでも固執している」と言われるのは心外です。もっともあな34(須魔寺横行)さんから「緊急を要するような案件でもないのですから、1週間くらいは期間をおくべきでしょう」というコメントが出されているので、私としては積極的な除去はしません。

また、「これだけ多くに反対されたら普通は自粛するなり反省するなりすると思いますが」という、のりみそさんのコメントは意味がよく分かりません。ウィキペディアは戦場ではないのですから、「少数意見に与してディベートに負けた側は謝罪し、自分のポリシーを返上して勝者に付和雷同しなければならない」などといったルールはありません。私の議論態度は「Wikipedia:合意形成#合意に向けた作業」に従っているつもりですが、なお問題があり何らかの反省なり謝罪なりを引き出す必要があるとお考えでしたら、ここで糾弾するのではなく、Wikipedia:コメント依頼で利用者の行為についてのコメントをお求め下さい。

もっとも、西川貴教氏のツイート以外の項目については議論が尽くされておらず、これを除去する合意ができたからといって他も除去してよいという合意にはならないと考えています。終わった議論の遺恨は置いといて、早いところ合意形成を急ぎましょう。

  • 池田暁子氏については、個人的には積極的に残すほどの内容はないと考えつつも、Googleのイメージ検索で調べる限りはイラストレーターを自称しつつも漫画家としての仕事が知られているように思え、今までののりみそさんの主張からは「吾妻ひでおは可だけれど池田暁子は不可」と判断した根拠が読み取れないので、今後の記事をどうしていくかという方針のためにも説明をお願いしたいところです。
  • 一方で、吾妻ひでお氏の批判については「同業のマンガ家という事で専門性は確保されて」いないと考えます。同業者だからと言って手当たり次第に内容を加筆していけば、結局は「著名人の反応」節が「他の漫画家の反応」節に置き換わるだけで、根本的な解決になりません。前にも書いたように、「エロ・グロ・ナンセンス系の作風で一世を風靡したが、そのご現実がイヤになった」という著者の作風や経歴、あとメイド喫茶に関する著作も出版している(ISBN 978-4041600566)ことなども併せた考察などもあれば、吾妻氏に関するトリビアとして興味深い内容になる可能性はあると思いますが、結局のところ『けいおん!』の記事としては「アニメ版のけいおん! ギャグ、ナンセンス、ユーモア、エログロの要素がない作品である。漫画原作はほのぼのとした内容である」という程度の情報なら、わざわざ取り上げるほどでもないでしょう。出典元にあった「アニメ版は原作を生かせていない」という趣旨の一言は、アニメ化された著作を持つ漫画家のコメントとして興味深いものの、特記するほどでもないように思えます(のりみそさんとしては除去したい様子ですが)。制作者・視聴者批判の部分については、吾妻氏に専門性を期待するのは無理があるように思えます。
  • 山下達郎氏の作品評については以前に述べた通りです。「著名人の反応」節に置くのは不適当でも、他の記述の補足としては有用な可能性があり、その場合はリアルライブの記事が二次情報源として使用可能でしょう。これについてはまだ意見を頂いていません。
  • 私としては、伊藤遊氏の作品評に対する視聴者の反応は、ノートで論争中の話題に含まないという認識だったのですが、のりみそさんに差し戻されてしまったのでこれについても。これは重ねて申しますように広瀬正浩氏や藤本由香里氏による反対意見[15]と併せれば十分に有用でしょう。専門家による反論はなされているので、記述はもう少し短くてよいとは思いますが。Wikipedia:中立的な観点から「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」ことは必要で、J-CASTの記事は、ある批評家の意見が必ずしも圧倒的な支持を得ていないことを示す上で有用です。「2ちゃんの反響等の記事は記者が恣意的にコメントを抽出してる時点で」記者による観点が加味されており、匿名の誰かによる意見ではない情報源として有用なものになっていると捉えます。ウィキペディアのルールには反しますまい。それに新たな出典の提示によって、JapaneseAさんの指摘する「一律J-CASTがダメとは申しませんが」という状況は変化していると考えています。

以上です。--Kanohara会話2013年1月3日 (木) 13:25 (UTC)

他方でこの伊藤の評価はインターネット上の掲示板2ちゃんねる~」、吾妻ひでお、宮崎哲弥、宇多丸、池田暁子、西川貴教、山下達郎、「その他、著名人でファンを公言している人物も多い」をどうするかが論点で良いでしょうか?
私の見解としては、2chの下りは全て削除すべき。著名人の反応節は全て削除すべき、とりわけ「西川貴教の件」は即、削除すべき、です。誰がどうまとめようが、元ネタが2chではダメでしょう。ここで挙げた人物は全て、私見を述べているだけです。魔窟は早めに掃除すべきでしょう。--JapaneseA会話2013年1月3日 (木) 15:28 (UTC)
言いたい事は山ほどありますが(これ以上言えば私も議論妨害になるでしょうし、然るべき場所には然るべき時に行く事にします)、記述がいる、いらない、の観点だけで言えばJapaneseA氏と同意見と致します。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月3日 (木) 16:55 (UTC)
コメント JapaneseAさんは「誰がどうまとめようが、元ネタが2chではダメ」と仰いますが、「Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源」には「評判を得たことが明らかになった場合は、1つのPOVとして記すことができます」とあります。「J-CASTの記事では十分な評判を得たとは言えない」という意味として理解しますが、「誰がどうまとめようがダメ」ではないことは指摘させて頂きます。私としては十分掲載に値する内容に思え、合意が得られず残念ですが、伊藤氏への反論の部分は広瀬正浩氏や藤本由香里氏による作品評でも置き換え可能ですから、「ダメ」という意見が圧倒的多勢であるなら今回は強くはこだわりません。もし「今回だけじゃなくて永久にそうしろ」と仰るなら、利用者へのコメント依頼なり「Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源」辺りへ議論の場を移しましょう。
「著名人の反応」節は、「著名人だから」という理由で括るのが雑多な箇条書きになる原因なのでよろしくない、と感じています。以前も指摘しましたが、そもそも内容の被っている宇多丸氏と古谷経衡氏による最終回批判を別々の節に書く意味が不明です。もっと百科事典らしい有益な形で加筆できる内容まで「著名人の反応」だからと括って雑多にしてしまうのは勿体ないですし、これらの感想は然るべき形で本文に組み入れるべきでしょう。もし「これらの人物の意見は、一度除去した後はいかなる形であれ二度と記事に載せるべきではない」という意味で合意を求めている方がいるのなら、それは賛同しかねますが、とりあえず「著名人の反応」節という括りを取り払うという点では合意できます。--Kanohara会話2013年1月3日 (木) 17:51 (UTC)
質問に回答します。「永久にそうしろ」や「いかなる形であれ二度と記事に載せるべきではない」などと乱暴な事は元より申しておりません。「今回の事例では、誰がどうまとめようが、元ネタが2chではダメでしょう」です。ともかく合意頂きありがとうございます。現在私を含め3名の合意ですが、他の方の合意がとれるか私の先の上記コメントより7日後に、上記で挙げたものを全削除します。削除後は、当ノートの次節での議論に移り、評価節の改修も含めて文案を検討した方が良いかもしれませんね。--JapaneseA会話2013年1月3日 (木) 18:44 (UTC)

Kanohara氏への返信です。

反省はすべきです。ハッキリ言ってしまえばWikipediaの方針に反する事を貴方一人がやろうとし、それを皆に指摘されているという状況なのですから。貴方がいなければそもそも大した問題になる事もなくすんなり収まっていたでしょう。ポリシーを持つのは結構ですが協調性の無い者はWikipediaに要りません。

  • 池田暁子氏については、イラストレーターという職業が曖昧なラインだと感じましたので、取り合えず専門家(マンガ家、評論家、映画評論家)と呼べる三人は残そうという考えに至った次第です。池田暁子氏がマンガ家であるならば専門家の条件は満たしているし載せる事に不備は無いと言えましょう。
  • 吾妻ひでお氏については、萌えの元祖と称され文化庁メディア芸術祭でも大賞を受賞するなど社会的評価も高く並のマンガ家とは違います。萌え4コマ漫画原作のけいおんをこの視点から見るとどうなるかといった意味でも載せる価値がありましょう。Wikipediaに記載されるのが評論家、専門家のみ原則許されているという状況ですからフィクション作品における専門家はマンガ家監督脚本家などに言えマンガ家の中でも特別な地位にいる者の見解という意味ではマンガ家の見解でも載せるべき情報として上位に位置付けられるものです。特に除去する理由もありません。
  • 山下達郎氏については、西川貴教同様評論家でも専門家でもない単なる著名人なので載せる必要がありませんしそれがWikipediaの方針です。まして単なるオタク系芸能人の羅列で終わっているリアルライブの記事は論外です。
  • 伊藤遊氏の件はそもそもJ-CAST自体がWikipediaに載せる出典元としては信頼情報下レベルのものです。そんな所の記者が恣意的に抜きだした2ちゃんの抽出など百科事典として掲載する必要も無いでしょう。--のりみそ会話2013年1月4日 (金) 06:50 (UTC)
西川貴教、山下達郎、「その他、著名人でファンを公言している人物も多い」は削除、吾妻ひでお、池田暁子は残す(宮崎哲弥、宇多丸は?)となると、Kanohara様の全部削除ならOK、と合意がとれません。とりあえず「他方でこの伊藤の評価はインターネット上の掲示板2ちゃんねる~」の削除は4名で合意できたと判断します(IPユーザの方にも御発言頂きたいところですが125.197.114.52様、122.134.193.221様、125.194.237.231様、122.131.123.180様、全て同じ方でしょうか?)。--JapaneseA会話2013年1月4日 (金) 09:15 (UTC)
それがWikipediaの方針です。専門家の中でも、誰の意見を残すかという議論は有りでしょうが西川貴教、山下達郎、リアルライブに挙がった連中は専門家以前の問題です。宮崎哲弥と宇多丸はどちらも評論家の肩書きを持っているのですから載せる事に不当性は無いでしょう。--のりみそ会話2013年1月4日 (金) 10:23 (UTC)
必ずしものりみそ氏やJapaneseA氏の見解に全面的に賛成で言ってるわけではありませんが、削除で良いんじゃないでしょうか?今さら私の試案とか出すのも面倒臭いですし、途中が違っていても概ね結果が同じであるなら、両氏の提案による削除でも構わないかな、と思います(私事ながら、PCの調子がかなり悪くなってますので、次に返答出来るかどうかは確約できません。以降私の返答がなければ、のりみそ・JapaneseA氏両者に委任しました、と受け取って貰っても一向に構いません)。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月4日 (金) 11:27 (UTC)
コメント 私とのりみそさんの間にあったのは主にルール解釈の問題で、最終的には主観的な取捨選択の問題として解決したものであると捉えています。「Wikipediaの方針に反する事」と仰いますが、J-CASTニュースは個人サイトではなく報道機関ですので、そこに掲載されている内容は「著者と公表作業との間に誰も立ち会っていないような公表物」とは異なります。匿名掲示板での発言についても例外規定があります。「WP:NOT#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」にも、「検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください」とあり、のりみそさんの言うような定義は「無差別に収集された情報」の定義に含まれていません。私の反省という形での決着を引き出したいのであればウィキペディアの方針改定に動くなり、利用者のコメント依頼に持ちかけるなりして下さい。
さて、のりみそさんが除去に反対している吾妻氏の作品評ですが、のりみそさんの反論を読んでもなお存続意見には賛成できません。このノートで何度も引用されている「プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意」には、「どの様な場合でも、優先的に掲載されるべきなのは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価です」とありますが、そもそも吾妻氏の発言内容は「共通見解」でも「一般的な評価」でもないでしょう。それに「萌えの元祖と称され文化庁メディア芸術祭でも大賞を受賞するなど社会的評価も高く」とは仰いますが、萌え分野での評価は過去のもので、文化庁の評価も萌えとは関係ない自伝『失踪日記』に対するものです。吾妻氏がいくら有名で、その発言内容がロケットニュースで大きく取り上げられたとしても、「たとえネットニュースなどで紹介されていたとしても、ただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言」は不要とされています。雑多な箇条書きの中の一文として見れば、その内容は文化庁主導の若手アニメーター育成プロジェクトの応援大使という肩書きも持つ西川貴教氏の「あずにゃーーーーーーーーーん!」というツイートと、あまり大差ないように思えます。これらの発言は単独で見れば「好きな人もいれば嫌いな人もいる」という以上の情報はないでしょう。
これらの意見が記事に有用か否かどうかは、結局はどのような形で「雑多な箇条書き」ではない百科事典的な記述として本文に組み入れるかどうかにかかっていると考えますが、果たして吾妻氏の発言をどのような形で百科事典らしく本文に組み入れられるのか、私には(西川氏の場合と異なり)プランがありません。吾妻氏の発言の存続を支持しているのはのりみそさん一人なので、その内容がどのように百科事典として有益なのか、もっと周囲を納得させられる形で説明して頂ければと思います。--Kanohara会話2013年1月4日 (金) 17:48 (UTC)
J-CAST自体がWikipediaでも信頼度低であり且つそんな所の記者が恣意的に拾った2ちゃんの意見が百科事典に相応しくないという事を言っているのですが。あと再度申し上げますがこれらは理解していますかね。雑多でなければ芸能人の感想を記載していいなんて方針はどこにもありません。プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意「またウィキペディアは事典ですので、たとえネットニュースなどで紹介されていたとしても、ただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言を収集して羅列する必要はありません」Wikipedia:五本の柱「また、単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません」根本的に芸能人の感想は不要です。簡潔にまとめようが箇条書きじゃなかろうが要らない、百科事典に相応しくないというのがWikipediaの答えです。一部例外も有りといった形ではありますが、それはその作品好きでその芸能人が作品自体に深く関わる出来事があった場合、またはその芸能人がその作品人気の火点け役になった場合、などの場合でしょう。今回のケースはどれもただの「後追いファン」であり、何ら特例にする必要性がありません。この事が理解出来れば、西川貴教、山下達郎、リアルライブに挙がった連中を削除するのは当たり前の事であり現に貴方以外の全員が理解している状況です。
吾妻氏について申し上げると、過去の功績は意味無いように語る貴方の指摘は的外れです。彼が萌えの元祖と称されるのもメディア芸術祭マンガ部門で大賞を取ったのも事実でありその道の専門家と言って全く問題無い立場です。専門家であるならば彼を消して他を残すという理不尽な事はすべきではありません。主観で自分の好みの論評を選別しているという事になりますから。私はけいおんファンですが、吾妻氏の批評に苛立ちもしませんし的外れとも思いません。「こういう風に考える人もいるだろうな」と理解しています。共通見解や一般的評価な実態を測るのは困難な事であり、だからこそ専門家の肯定否定の意見も分け隔てなく載せるのが中立的観点です。多少批判的だからという理由で排除していけばそれは単なるファンサイトになりWikipediaの方針とかけ離れます。萌えの元祖と称されるその道40年のマンガ家の批評を単なるタレントの「あずにゃーーーーーーーーーん!」という一言ツイートと同程度の価値と思うのは貴方だけで御座いましょう。--のりみそ会話2013年1月5日 (土) 03:25 (UTC)
コメント もし私の発言がダブルスタンダードに聞こえたり、以前の主張と矛盾しているように聞こえたりするのなら、それは私がこの議論において皆さんの意見に対して自分なりに耳を傾け、自分なりに反省する点はないかと自問して考え直し、その結果「『けいおん!』ほどの社会的影響力のある作品なら出典も豊富なので、すくなくともこの節の内容については出典としての価値が微妙なものに頼る必要はないだろう」と思い至った結果と受け取って頂ければ幸いです。もちろん耳を傾けるとは「ディベートに敗北したペナルティとして勝者のイエスマンになる」という意味ではありません。私に対して真摯な意見を下さった方が道を誤るようなら、そこは遠慮なく「それはおかしい」と言わせて貰います。
さてのりみそさんとのウィキペディアに関するルール解釈の相違や、主張のツッコミどころについてはまた別の機会に譲るとして議論を進めます。百歩譲って吾妻氏が漫画・アニメ業界最大の重鎮であり権威ある批評家であったと仮定したとしても、「このアニメ作ってる人も見てる人々もそんなに現実イヤなのか? この気持ち悪さはメイドカフェにも通じるものがあるな」という感想はただの雑感であって、批評でもユニークな分析でも何でもないでしょう。どんなに権威ある批評家でも人間ですから、年中ずっと一文一文字に至るまで百科事典的に有用なことを喋っている訳ではないのですから、そういった言動に一挙手一投足に注目してなんでも収録しようとすれば「情報やデータを無差別に収集」する結果になってしまいます。そして、吾妻氏の発言内容は批評の仕事としてではなく個人サイトの日々の雑感として、たまたま『けいおん!』に好感が持てなかったということに触れているに過ぎません。批評家らしい着眼点も何もない、作品の理解に寄与することのない雑感など、大物批評家が呟こうが芸能人が呟こうが匿名の2ちゃんねらーが呟こうが、読者にとっては同じでありましょう。「いやそんなはずはない、著名人の発言なのだから、どんな何気ない言葉にも批評的な含蓄が含まれているはずだ」と思うのなら、眉に唾つけてその内容を読み返してみて下さい。そもそも百科事典として掲載に足るほど権威ある批評ならば、ロケットニュース24以外のメディアももっと大きく取り扱っているはずです。--Kanohara会話2013年1月5日 (土) 17:42 (UTC)
J-CASTをソースとして重視する方がロケットニュースの信憑性を批判するのも何だかな…と言った感じではあります。
>批評でもユニークな分析でも何でもないでしょう。
>批評家らしい着眼点も何もない、作品の理解に寄与することのない雑感など、大物批評家が呟こうが芸能人が呟こうが匿名の2ちゃんねらーが呟こうが、読者にとっては同じでありましょう。
それは貴方の主観です。私はある意味的を射た意見だと思います。確かに「ギャグもナンセンスもユーモアもエログロもストーリーらしきものも何もない」と言われれば否定出来ないといった感じですかね。けいおんを好きじゃない人はこの点がハマれないのでしょう。私自身はけいおんのキャラや空気感が好きですが確かにストーリーの希薄さやメッセージ性の薄さは否定出来ません。いわゆるそういう日常系・空気系と呼ばれる物に対して否定的な人間が少なくないのも事実であり必ずしもマジョリティーな作風とは言えないという現状を載せる事に意義はあるでしょう。否定的な専門家の意見も載せる事が、Wikipedia中立的な観点の向上に繋がります。また氏の意見を載せたからといって節が批判に偏って均衡を崩すという事もないでしょう。--のりみそ会話2013年1月6日 (日) 03:13 (UTC)
横から失礼します。どうものりみそさんはロケットニュース24で取り上げられたことや彼の経歴を強調したいがために記述の削除に反対しておられますが、私の目から見ても吾妻氏の主張を入れることによって無理やりネガティブな見解を載せているようにしか見えません。--Louis XX会話 / 投稿記録2013年1月6日 (日) 06:23 (UTC)
コメント この議論では既に、私やのりみそさんや他の議論参加者の間で「「けいおん!#評価」」節ではJ-CASTやロケットニュースを十分に信頼できる情報源とは見なさない」という合意がなされているはずです。私としては内心の異論もありますが、一度使わないと決めた以上、西川氏のツイートに関する記述以外にも同じ厳格さを適用すべきでしょう。
「けいおん!」のストーリー性については、吾妻氏の雑多な感想を引き合いに出すまでもなく、より専門性の高い評者による理性的な賛否の意見が、書籍や報道機関によって特筆されているのですから、こうしたファンやアンチの対立を煽るような意見は不要であると考えます。Louis XXさんの言うように、これはどうねじ込んでも「無理矢理ネガティブな見解を載せている」ものに見えてしまうでしょう。個人的には吾妻氏やJ-CASTに引用された2ちゃんねるの意見のような、専門家ではなく視聴者目線に近い感情的な意見対立を両論併記することに一定のメリットも感じていたのですが、このノートでは私以外に賛同意見がつかなかった以上、自分の中では吾妻氏の感想を存続させる根拠もなくなったと考えています。--Kanohara会話2013年1月6日 (日) 07:24 (UTC)
ルイ20世氏への返信です。私はあくまで中立でいたいだけです。そして専門家の意見であればなるべく削除しないというスタンスを取っています。ファン心理で批判的な専門家の意見を削除するというのはそれは全ての観点を提示するをモットーにしたWikipediaの望む形ではありません。
Kanohara氏への返信です。ここで確認を取っておきますが貴方は今の所著名人の反応の節は全て削除という考えなのでしょうか。もしくは、吾妻ひでお氏だけを削除すべきと考えてるのでしょうか。または吾妻氏と芸能人を削除し宮崎氏、宇多丸氏、池田氏は残す、という考えなのでしょうか。--のりみそ会話2013年1月6日 (日) 11:54 (UTC)

コメント (インデント戻します)「専門家の意見であればなるべく削除しない」という、のりみそさんの意見について。1週間ほど前に私が同様の主張をした際には、このような反論がなされています。

あくまでWikipediaは百科事典であり、ファンサイトではありません。簡潔且つ百科事典に相応しい内容にせねばなりません。Kanohara氏のような「見る人によっちゃこれもいい知識になるかもな、何でも追加していこう」という思考がWikipedediaの質の低下を招いているのです。 — のりみそ、2012年12月30日 (日) 01:51 (UTC)
「俺が有益だと思うから何でも載せていいんだ」こんな事が罷り通ったらWikipediaは蛇足ととりとめのない情報の嵐になります。ここはあくまで衆人環視の百科事典という事を考えるべきです。貴方のブログなら何を羅列しても構いませんが。 — のりみそ、2012年12月30日 (日) 19:20 (UTC)
【「記事に必要ないと思う」という意見ですが】以下の文言のほとんどは、こういうトリビア的記述で削除された側が反論につまった時に持ち出す常套句です。それで萎縮して雑多なトリビアしか書けない人間がwikipediaに来なくなるなら、その方がはるかにマシでしょう。指摘の常套句を出した時点で「この議論も終わったな」と思いました。 — あな34(須魔寺横行)、2012年12月31日 (月) 06:56 (UTC)

自分で言うのも何ですが、ひどい言われようですね。のりみそさんが同じ轍を踏まないことを願っています。最後に以下の一言を思い出して頂ければ幸いです。

繰り返しますが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんWikipedia:五本の柱プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意これらを読み直して何故芸能人のファンなどを載せるべきではないか、このようなルールになったのかを心を落ち着かせて考えてみて下さい。Wikipediaの方針に従い、芸能人ファンの記述を載せなかった所で自由な編集活動を何ら妨げるものではありませんし、それこそルール違反の上に形成される自由など本末転倒でありましょう。 貴方以外の全員が記述自体をしない方がいい、と言ってるのを理解すべきです。 — のりみそ、2012年12月30日 (日) 01:51 (UTC)

さて質問に対する返答ですが、現時点では、「著名人の反応」という形で、「この人はこんなことを言った」という情報を列挙していく節は不要であると考えています。こうした節がなかったとしても作品の理解を妨げることにはならない、というのが現在の多数意見であったはずです。ただしこの節が除去されたからと言って、節で列挙されていた出典の内容を他の節で使ってはいけないという合意はすべきではないと考えています。例えば作品の演出や楽曲の解説などについて説明する文脈において、「例えばミュージシャンの○○が指摘しているように……」といった形で引き合いに出すことは構わないと考えています。用途は限定されると思いますが、そこからこぼれるような内容はそもそも「無差別に情報を収集する場ではない」百科事典には不向きな内容ということになるでしょう。--Kanohara会話2013年1月6日 (日) 16:00 (UTC)

著名人の反応の節を一旦全部削除しその中から厳選して批評などに置くものを選ぶという事であれば反対は致しません。一旦全部リセットするのも悪くないでしょう。但し、今の所「ミュージシャンの○○が指摘しているように……」という記述が単なる芸能人の反応ではなく百科事典の記事に相応しくなる可能性は低いと指摘しておきます。--のりみそ会話2013年1月7日 (月) 04:06 (UTC)
しばらく静観していました。それでは「著名人の反応の節を一旦全部削除しその中から厳選して批評などに置くものを選ぶ」と「他方でこの伊藤の評価はインターネット上の掲示板2ちゃんねる~」は削除で合意という事で宜しいでしょうか?--JapaneseA会話2013年1月7日 (月) 09:09 (UTC)
コメント 内心では思うところもあるのですが、「著名人の反応」節については除去でよいと考えます。あと、今回の議論で「除去すべき」という意見が出された出典を、この記事内で別の形で再利用する場合は、私は事前にノートに文案を持ちかけて合意を取ることにしておきます。
それから、方針文書を読み返していて気がついたのですが、評価節および著名人の反応節における内容のいくつかは「Wikipedia:中立的な観点#不偏的な言い回し」に抵触していますので、偏見を含んだ表現や「支持者らによる実況行為」になっていたりする部分は、批評節などに移動する際に書き直しが必要かと思います。--Kanohara会話2013年1月7日 (月) 16:31 (UTC)
JapaneseA氏の案に合意しておきます。ようやく、前に進みそうですね。--のりみそ会話2013年1月8日 (火) 08:39 (UTC)

報告 合意できたと判断したので、該当部分を削除しました。当節の内容を改善して復活させるかどうかは、次節の議論でまとめて行うか、次節の議論が終了後にした方が良いと思います。--JapaneseA会話2013年1月8日 (火) 14:29 (UTC)

お疲れ様でした。随分時間がかかった気がします。--のりみそ会話2013年1月8日 (火) 16:02 (UTC)
報告 その後議論も決着した様子ですし、「'他方でこの伊藤の評価は……」という記述に代わるものとして、広瀬正浩氏や藤本由香里氏による作品評を置くという意見に対しては異論もなかった様子なので、「まだ議論中」としてのりみそさんに除去された編集を復帰させておきました。--Kanohara会話2013年1月13日 (日) 18:10 (UTC)
強引過ぎます。合意を取ってからにして下さい。須磨寺横氏も言うように最低、この節で提案してから一週間待ってみるべきでしょう。という訳で差し戻します。--のりみそ会話2013年1月15日 (火) 17:23 (UTC)
コメント 広瀬氏は自サイトのブログでアニメ批評家を名乗っており、藤本氏に漫画評論家としての活動があるのは藤本由香里氏の記事をご覧の通りで、単なる著名人の反応とは異なりますし、このノートでは彼らの批評を除去すべきという理由も出されていません。「記述を除去する代わりに、広瀬正浩氏や藤本由香里氏による作品評を置くのなら合意できる」というのが私の提示した合意条件であったはずです。既に提案から一週間は経過しており、十分な告知は行われており沈黙は合意と見なせます。のりみそさんの編集は差し戻しました。--Kanohara会話2013年1月15日 (火) 22:32 (UTC)
一度もそのような条件契約は交わしておりません。曲解もいい加減にして下さい。私が合意したのは著名人の反応の節を一旦全部削除しその中から厳選された物をここでまず吟味した後に載せるという事であり「批評の節に好き放題追加していい」という事ではありません。一体これまでのやり取りの何を見てきたのでしょうね。広瀬正浩氏や藤本由香里氏を置く事の是非は議論のお題にも挙がっていない状態です。せめて今からでも異論はないか一週間は待つべきです。--のりみそ会話2013年1月16日 (水) 04:23 (UTC)
ちなみに私は反対の立場を取らせて頂きます。厳選して置くほどとは思えず、特に広瀬正浩氏は単に大学の講師と言うだけで著名でも専門家であるとも言えないので。--のりみそ会話2013年1月22日 (火) 20:39 (UTC)

個人ブログを出典とした批評の扱い[編集]

批評関連でちょっと相談。記事を見ていたら、このノートで記述を巡って議論がされていた古谷経衡氏の批評は、氏の個人ブログを出典としているようなのですが、これはどうなんでしょう? 二次情報源で取り上げられていない個人ブログの記事は、自己公表された情報源の扱いに準じ、ウィキペディア的には「通常は信頼できないとされる情報源」に分類されています。

なお同方針では、関連分野において著名な専門研究者で、その分野の書籍を信頼できる第三者によって出版済みの人物なら、ブログなどの自主公表物を情報源として認めてよいことも「あり得ます」とされていますが、ウィキペディアにある古谷氏の記事を見たところ、アニメ評論家としての活動よりは保守活動家としての仕事の方が特筆されているようで、その点もちょっと微妙な気がしています。本人公式サイトの仕事歴を見る限りはアニメの仕事や、尖閣諸島問題などを扱った漫画の原作の仕事などもしているようですが、アニメ関係の単独著作物はないようです。なおこの方が寄稿している出版物のうち、手元に『100人がしゃべり倒す 魔法少女まどか☆マギカ』があったので調べてみたのですが、肩書きは「ライター」となっており、プロフィールでは「『萌え』ではないアニオタ・ライター」と自己紹介されていました。

個人的には、自分が書くならJ-CASTニュースやロケットニュースですら取り上げていない専門家の意見は避けるところなのですが、批評関係の内容の取り扱いについてはちょっと揉めているところでもあり、また以前に議論になった箇所でもあるようなので、意見など伺いたいと思います。--Kanohara会話2013年1月2日 (水) 23:06 (UTC)

まず上の問題で当事者であり解決してないのに別の議題を提起する貴方の態度に共感出来ません。皆に指摘されてもその態度を一向に直す気配が見られない所もウィキペディアンに相応しくないでしょう。一応お題にも触れておきますが、古谷経衡はアニメ評論家という肩書きを持っているのですから、専門家であれば自己公表のブログでも出典元に成り得る、とWikipediaの方針にある通り問題は無いでしょう。--のりみそ会話2013年1月3日 (木) 03:26 (UTC)
コメント この内容は上記の議論と関連する内容なので、平行して解決する必要があると思うのですが、同じトピックで進めると混乱するでしょうから節を分けました。
で、のりみそさんの認識としては「批評家や漫画家という肩書きを自称している人物ならブログやTwitterなど自主公表された情報源を元にしていても構わないが、音楽家など専門家以外の意見は二次情報源による言及があろうと不可」という考えであると受け取れば宜しいのでしょうか? 「認めてよいこともあり得ます」を無条件で「問題ない」と解釈されている点など、私の認識しているウィキペディアのルールと比べてちょっと無視できない差異があるように感じられるので、他の方の解釈も伺いたいところです。--Kanohara会話2013年1月3日 (木) 13:33 (UTC)
肯定的・否定的に関らず「評価」節には、然るべき人物が然るべき出典としたもののみを記述すべきでしょう。--JapaneseA会話2013年1月3日 (木) 15:32 (UTC)
個人ブログでも著名人あるなら、出典で使っても構わないとは思いますが、記述内容で言えば絶対必要とも思えません(原作者かきふらいのブログなら多少は雑多なトリビア的な記述でも許容できますが)。--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月3日 (木) 17:15 (UTC)
コメント 「アニオタ保守本流」を標榜して萌えアニメ批判を掲げ、比較的過激な論調を展開している古谷経衡氏とその個人サイトは「然るべき人物が然るべき出典としたもの」と言えるのか? と少々疑問を感じたりもしますが、その点はどうでしょうか。それに、氏の批評は『college』『highschool』の悲観的な展開予想を含めて「どうせこうなるに決まっている」という文脈で展開されていますが、両後日談が完結した今になって見ると一部的外れな印章も受けます。書くとしてもWP:UNDUEプロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意にあるように、「その見解が広く普及しているかのような誤解を与える様な書き方は避け」るべきかと。まあ「個人ブログでも専門家の意見なら可」という合意が得られるなら、私も大久保清朗氏の個人ブログ記事などを出典にして加筆しようと思いますが。
なお余談ですが、「原作者のブログ」の扱いはWP:V#OSに準じるため、極端な内容でなければ出典として用いることに問題はないはずです。--Kanohara会話2013年1月3日 (木) 18:47 (UTC)
>のりみそさんの認識としては「批評家や漫画家という肩書きを自称している人物ならブログやTwitterなど自主公表された情報源を元にしていても構わないが、音楽家など専門家以外の意見は二次情報源による言及があろうと不可」という考えであると受け取れば宜しいのでしょうか?
概ねその通りですが、一部間違っています。当然、自称だけでは駄目でしょう。他者からも認められてなければいけません。古谷経衡氏に関してはアニメ評論家として多数の番組の出演や雑誌の寄稿をしているのでアニメ評論家という肩書きに偽りは無いでしょう。そして、偽物ではないその人物が公言したという証拠があれば充分ソースになりましょう。ちなみに個人が見当違いだと思うから、という理由で載せたり除去したりは当然論外です。どんな優れた有益な専門家の意見も一人が気に入らなければ延々と削除していい事態になりますから。Wikipediaのフィクション作品記事に個人の意見の掲載が許されるのは原則専門家のみがルールなのですから、この場合専門家として優先順位が高い順は左からアニメやマンガや映画に専門的知識のある評論家、評論家、制作者サイド(監督orマンガ家or小説(脚本)家)と言えましょう。--のりみそ会話2013年1月4日 (金) 07:34 (UTC)
コメント 「Wikipediaのフィクション作品記事に個人の意見の掲載が許されるのは原則専門家のみがルール」と仰いますが、そのルールはどこから出てきたのですか? そのルールが「プロジェクト:フィクション」の「優先的に掲載されるべきなのは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価です」のことを指しているのでしたら、一般的な評価に異を唱える姿勢を作風とする古谷経衡氏の批評は「共通見解」でも「一般的な評価」でもないでしょう。個人の意見に関しては「権威ある専門家によるユニークな分析や、社会的影響力のある人物や一部の少数派の反応には紹介する価値のある場合もありますが、その場合はその見解が広く普及しているかのような誤解を与える様な書き方は避けてください」とされており、評価を得ているのが確かであれば一つのPOVとして書けると思いますが、「個人ブログから発信された、定説に対する少数意見」としては大きく扱いすぎという気もします。
WP:V#SPである個人ブログは、WP:V#NRに当たるタブロイド新聞やミドルメディア系ニュースサイトなどと同様、ウィキペディアでは無条件で信頼できる情報源とされていないので、扱いには慎重になるべきかと思います。最終回に対する批判的な評価という意味では類似の意見を表明している宇多丸氏の批評は、一応ラジオ放送を通して公表されておりアーカイブもあるようなので、これに置き換えた方が良いのではないかとも思うのですが。--Kanohara会話2013年1月4日 (金) 18:21 (UTC)
もちろん、プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意「またウィキペディアは事典ですので、たとえネットニュースなどで紹介されていたとしても、ただの著名人やただのファンによる雑多な感想や動向・発言を収集して羅列する必要はありません」Wikipedia:五本の柱「また、単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません」にある通りです。けいおんの一般的評価について拘っているようですが、そもそもけいおんの一般的評価の実態はわかっていないでしょう。古谷氏、宇多丸氏ともに全員同じ大学への進学について否定しており、他の専門家でこれを肯定しているのも見受けられないので彼らの方が一般的見解なのかもしれません。結局一般的評価など解らないのですから専門家の中でも賛否分かれるという実態をそのまま載せる事に意味があります。出典元については先にも述べましたが、古谷経衡氏は専門家に該当するので自主公表された物でも問題無きでありましょう。--のりみそ会話2013年1月5日 (土) 03:46 (UTC)
コメント まあ古谷経衡氏の論調はどちらかというと「こんなものを楽しんでいるお前らがどんなにダメな奴らかお前らは早く気づけ」系の内容であり、少数派の見地に立ったものですから、少なくとも世間一般での受け止め方を総括したものではあり得ないでしょう。
それともう一つ、個人ブログは前述のように通常は出典とすることが禁じられており、二次資料として使用できるのは、そのブログ主である専門家がただの自称専門家ではなく「関連分野において著名な専門研究者」であることが条件です。翻って古谷経衡氏の主な仕事歴を顧みると、
  • 古谷経衡氏が主要な活躍の場としているチャンネル桜は、資本金がJ-CASTの1/3以下しかないという小さな放送局です。保守的な政治信条を持っている方向けのCS放送などに出演していたとのことです。
  • 古谷経衡氏が主要な活躍の場とし、去年8月からは古谷氏が編集長を務めているている雑誌『ジャパニズム』の内容については公式サイト参照嫌韓などを前面に押し出した雑誌ですが、こういう雑誌をあまり書店で見たことがないので、古谷氏の著名性にどの程度寄与しているのかはちょっと分からないです。
  • 古谷経衡氏が寄稿している『100人がしゃべり倒す 魔法少女まどか☆マギカ』ですが、その内容は落語家、歌手、コスプレイヤー、格闘家、漫画家、ミュージシャン、アニメ制作進行、主婦、無職、編集者、同人作家……と、のりみそさんの定義では専門家と呼べない方々が寄稿している書籍であり、この書籍において古谷氏の扱いは他の99人と平等な1人という扱いです。
といった具合です。私としては「こんなに緩い条件で『著名なアニメ評論家』扱いしちゃっていいの?」という疑問点を感じるのですが。どうでしょうか?--Kanohara会話2013年1月5日 (土) 18:38 (UTC)
「こんなものを楽しんでいるお前らがどんなにダメな奴らかお前らは早く気づけ」というニュアンスであったとしても、実際はそちらの方が一般的だった、という事も有り得ます。一般的見解は誰であろうが測るのは困難という事です。古谷経衡氏については「右翼的アニオタ」という立場でありますがその雑誌の寄稿量からして評論家と言っても何ら問題無いでしょう。他の評論家やライターと比較して特に劣るとも感じません。--のりみそ会話2013年1月6日 (日) 03:45 (UTC)
コメント そもそも一般的評価でないからこそ、報道機関などの二次情報源で古谷氏の最終回評が特筆されておらず、個人ブログを出典にしなければならなくなったのでしょう。それと「他の評論家やライターと比較して特に劣るとも感じません」程度では「著名」とは言えないのではないか、というのが私の持論です。「『けいおん!』の分析と言えばこの人」として他の著者による文献でも引き合いに出される程度の批評家なら「著名」であり記事に必要だと考えますが、古谷氏にはそういった実績が見られません。寄稿量の多寡はあまり関係ないでしょう。
これが仮に、信頼できる出版社によって発行された古谷氏の作品評の補足として、「しかし最終回放送後は個人ブログで失望をあらわにしており、このように語っている」といった体裁なら、それは古谷氏について説明した内容の一部なので、(ちょっと苦しいものの)WP:V#OSとして書けるかも知れません。--Kanohara会話2013年1月6日 (日) 07:06 (UTC)
ネットニュース等でも、余程の著名でない限り取り上げられるという事は無いでしょう。評価の項目に自主公式サイトでの発言がネットニュースに取り上げられるほど著名な人物は恐らくいないでしょう。評論家自体知名度は大したものではありません。ネットニュースに取り上げられたか、取り上げられないかが記載するか否かのラインでもないでしょう。「吾妻氏はマンガの専門家でありネットニュースで取り上げられ知名度もあるがその発言内容から削除したい」「古谷氏は本人の発言と裏が取れてるが知名度的に専門家と言うにはやや弱いから削除したい」貴方の主張はこちらでよろしいでしょうか。結局否定的な見解をこの頁から排除したいだけの姿勢が見えて素直に賛同は出来ないというのが正直な所です。これではとても公正無私とは言えません。私は古谷氏は充分アニメ評論家と言え記載するに足る人物であると考えます。--のりみそ会話2013年1月6日 (日) 12:19 (UTC)

コメント (インデント戻します)いやいやいや、そんな筈はありません。確かにのりみそさんの「ネットニュース等でも、余程の著名でない限り取り上げられるという事は無いでしょう」という指摘については、私も2012年12月29日 (土) 17:53 (UTC)の発言で同じようなことを言っているのですが、その時には以下のような反論が出されました。

それは誤りです。けいおんより芸能人ファンを抱える作品は数多にあります。もちろん出典元も多数あります。しかしそのほとんどがそんな事をWikipediaの作品ページに付記しません。 — のりみそ、ノート:けいおん! 2012年12月30日 (日) 01:51 (UTC)

個人ブログの批評とは違いますが、例えば現在の評価節でも、伊藤遊氏の発言に対してはネットニュースになるほどの反論が寄せられていますし、伊藤氏の発言を掲載した朝日新聞では、名指しではないものの後に掲載された記者ブログで「空気系アニメは物語性が希薄でコンフリクトもドラマもないといわれるが……」という広瀬正浩氏らの反論を紹介しています[16]。また、ネット上の批評が盛んになった現在においては、批評本などでネットの現象に関する記事などを読んでいると、たまに個人ブログの言論に対する批評家の考察が見られることもあります。他の盆百のアニメでは無理としても、「けいおん!」ほどの作品であれば探すことは可能でしょう。

いずれにせよ、個人ブログを出典とした記述は、通常はウィキペディアの出典として使われてはならないものです。そのブロガーが「けいおん!」を支持しているかしていないかは無関係です。「WP:RS#大衆文化やフィクション」にも、以下のように書かれています。

他のすべての記事と同様に、大衆文化やフィクションに関する記事も、信頼できる情報源による裏付が必要です。これらの分野では、その性質上、科学や法や哲学などと同レベルの学術的な資料は、それほど存在しないかもしれません。しかし、そうであっても、個人のウェブサイト、Wikiソース、掲示板やUsenet、ブログへの投稿を二次資料として使用してはいけません。 — Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション

それと「WP:RS#情報源の評価」にもあるように、過激派の主張や、支持されていない特別な主張の取り扱いには注意すべきで、「右翼的アニオタ」である古谷氏の主張はその特例に値するとは言いがたいでしょう。メディア出演経験が多少あるという程度のブロガーをどんどん専門家扱いしていったら収集がつかなくなります。そもそも古谷氏の批評の場合、『college』『highschool』が完結した今になって見ればやや見当外れな、先の展開の予想を踏まえた批判を展開している点も、査読を経ていない自主公表物特有の問題点がにじみ出ていると感じています。--Kanohara会話) 2013年1月6日 (日) 15:32 (UTC)名前の取り違えを訂正。--Kanohara会話2013年1月7日 (月) 16:41 (UTC)

まず、私の名はのりみそです。
>その時には以下のような反論が出されました。
芸能人と評論家は別です。私が言ってるのは評論家で自身のサイトの感想がネットニュースに取り上げられるのはほぼいない、という事です。
>伊藤遊氏の発言に対してはネットニュースになるほどの反論が寄せられていますし
それは新聞だからでしょう。
個人ブログの件ですが、専門家であれば許されるというのがWikipediaのルールであり、アニメ評論家という肩書きを持つ古谷氏はそれが当て嵌まります。アニメ評論家という肩書きを持つ者は少ないのですから懸念されるような収拾がつかなくなるという事もないでしょう。古谷氏が他の評論家に比べてメディア露出が低いとも思いません。雑誌の編集長という立場からも評論家である事に異句は唱えられないでしょう。全員が同じ大学に進学する事に失望した、と言ってる古谷氏ですが宇多丸氏も似たような事を仰っており専門家で意見が重なるという事は支持されてない特別な主張とは言えず掲載の価値があると言えます。--のりみそ会話2013年1月7日 (月) 04:29 (UTC)
コメント これは失敬。名前を取り違えた同名イラストレーターの方に対しても申し訳なく思います。発言は修正しておきました。--Kanohara会話2013年1月7日 (月) 16:41 (UTC)
コメント で、専門家のコメントがニュースになるか否かについてですが、私はちょくちょくネットニュースに掲載された専門家のコメントなどをよく出典として利用しているのですが……。
のりみそさんの主張は極端な話、プロとしての実績がある人物ならどんどん個人ブログの内容でも記事にして良い、その内容がエロ漫画家の同人誌でもOK、という程度には暴論に聞こえるんですけど、どうなのかなあ。議論がずっと平行線なので、コメント依頼で意見を募った方がいいかも知れません。--Kanohara会話2013年1月7日 (月) 17:03 (UTC)
>のりみそさんの主張は極端な話、プロとしての実績がある人物ならどんどん個人ブログの内容でも記事にして良い、その内容がエロ漫画家の同人誌でもOK、という程度には暴論に聞こえるんですけど
それは仰るように極論です。古谷氏に関してはアニメ評論家という数少ない職業なので載せていいと思いますし、単なる漫画家やアダルト漫画家とは一線を画した存在です。上でも述べてますが私は専門家や評論家の意見であるならばなるべく削除するべきではないと考えています。それなりの見識がある人物の色んな意見があってこそ作品の実態というものも見えてきますから。--のりみそ会話2013年1月8日 (火) 08:47 (UTC)
コメント 「それなりの見識がある人物の色んな意見があってこそ作品の実態というものも見えてきますから」という点に関してはまったく同意ですが、だからといってルール違反が許される道理にはならないでしょう、というのが私の印章です。他の方の意見も伺いたいところです。--Kanohara会話2013年1月8日 (火) 15:47 (UTC)
そもそもがルール違反ではないという話ですが………。--のりみそ会話2013年1月8日 (火) 16:04 (UTC)
コメント 平行線のまま議論が盛り上がらない状況ですが……まずウィキプロジェクトは指針に過ぎず、強制力は持ちません(プロジェクト:フィクションの冒頭も参照)。この場合に関係する強制力のあるルールは「Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源」や「Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源」ですが、これらの方針文書では「自身の専門分野内について記述している」著名な専門研究者を「この例外になるかもしれません」としています。古谷氏のアニメにまつわる専門分野は、見たところ韓国アニメの批判が主戦場のように見受けられますし、また「萌えアニメは専門外」という意味のことを公言しています。けいおん!を「萌えアニメのトップランナー」扱いしている古谷氏を「けいおんの専門家」と見なすのは適切でないでしょうし、古谷氏にとっても不本意なのではないでしょうか。--Kanohara会話2013年1月13日 (日) 17:56 (UTC)
彼は色んなジャンルのアニメを批評していますから萌えアニメは専門外という事もないでしょう。そもそもけいおんの専門家なんていないでしょう。アニメの批評の専門家はいても。再度言いますがアニメ評論家である事は自他共に認めており、事さら彼だけがどうとか取り上げる事例ではないでしょう。アニメ評論家であるならばこういう場合記載に最も優先されるべきです。--のりみそ会話2013年1月15日 (火) 17:18 (UTC)

(インデント戻します)改めてこちらの議論にも参加させて頂きます。プロジェクト:フィクション#評価や反響を書く際の注意には「どの様な場合でも、優先的に掲載されるべきなのは専門家たちのおおよその共通見解や一般的な評価です。」とあります。「おおよその共通見解や一般的な評価」でないものを、いちいち書く必要は無いと思います。とは言え、何を以って「おおよその共通見解や一般的な評価」かどうか判定するのかは難しいのですが。--JapaneseA会話2013年1月14日 (月) 07:09 (UTC)

議論が収束したあとで書くのもなんですが、とりあえず。先日利用者:吉野家´会話 / 投稿記録 / 記録なるユーザーが別の記事の編集方針において侃々諤々の議論があったのですが、コメント依頼の末チェックユーザーが行われた結果、利用者:メイブル会話 / 投稿記録 / 記録なるユーザーのソックパペットであることが判明し、同時に本件で議論を行っている利用者:のりみそ会話 / 投稿記録 / 記録なるユーザーもソックパペットであることが判明しました(参照先:Wikipedia:コメント依頼/吉野家´Wikipedia:チェックユーザー依頼/吉野家´)。既にブロックされているため議論は再燃する可能性は低いでしょうが、念のため報告しておきます。同ユーザーの意見を無視するか否かはおまかせいたします。--Tmatsu会話2013年3月22日 (金) 15:10 (UTC)

ローカルルールの失効確認[編集]

ところで、ノートページの一番上に表示されたままになっているローカルルールですが、Wikipedia:創作物を基にした逐次的な編集が私論に格下げになったことに加え、既に単行本の最終巻が発売済みですので、適用期間を過ぎており失効という扱いでいいんですよね? 一応ノートで提案するというルールなので提案しますが、異論がなければ{{失効}}を貼っておきたいと思います。--Kanohara会話2013年1月7日 (月) 17:40 (UTC)

今後新連載が無いとも限らないし、新連載が始まって新たに議論するのも面倒なので、置いておいても問題ないのではないでしょうか?--あな34(須魔寺横行)会話2013年1月7日 (月) 18:44 (UTC)
コメント その場合、ローカルルールの根拠となっている「Wikipedia:創作物を基にした逐次的な編集」がガイドラインとのしての効力を失っていることに合わせて、ルールの改定をする必要がありますね。杞憂だと思いますが。--Kanohara会話2013年1月7日 (月) 22:48 (UTC)

この項目における登場人物の記述について[編集]

いつの間にか記述が復帰していたので(今まで気づいてなかったです)、理由がWikipedia:キャラクターの記述に対するガイドライン#分割の際の注意を根拠としているようですが、その中で「その登場人物が物語におけてどんな位置付けであるか、といった簡単な解説を残します」とあるのに、随分と簡潔でない解説になってるようなので、差し戻させて貰いました。アニメ版だけの設定やらそういった区別もなく「貧乳論争をしている」などと書いてあるのが、どこが「簡単な解説」というガイドラインに沿ったものなのか、復帰したいのであれば、説明して頂けるとありがたいです。はっきり言いますが、不必要です。--あな34(須魔寺横行)会話2013年2月1日 (金) 03:47 (UTC)

芳文社より「著作権について」重大な表明がありました [編集]

取り急ぎ。まんがタイムきらら-著作権について-

ここのノートの議論に、重大な影響、および早急な対応が必要になると思います。「芳文社の出版物に関し、その内容のすべて、または一部を無許可で掲載してはいけない」と明確に掲載の禁止を表明しています。つまり、たとえばあらすじでは、それが物語冒頭であろうが、結末までであろうが、インターネットやイントラネット上での無許可掲載は不可ということになります。登場人物の記載に関しても同様かと思います。--Tako8会話2013年3月22日 (金) 14:47 (UTC)

ネタで言ってるのかどうか知りませんが、まずは落ち着いてこの記事を読んでください。
「けいおん」「まどマギ」もアウト? 芳文社が二次創作を禁止か、と話題に(ITmedia 2013年03月21日)
この記事にもあるように2008年から注意書きであること、また同様の条項は他の出版社でも明示されている物の、「「悪質な著作権侵害」から作者を守るためのもので、健全なファン活動としての二次創作を規制する目的はない」というのが趣旨です。そもそも、著作権法に則れば引用の範疇に当たる物であるのなら、Wikipediaで記述してもかまわないはずですし、もしこのことが問題になるのであるのならそれこそWikipediaのルールやガイドラインに関わる問題として全体的な議論が行われているはずです。
Twitterだかnaverまとめだか2chだかまとめサイトだかどこの影響か知りたくもないですが、まともに情報収集や状況判断ができず、焦りの気持ちだけで注意勧告を行ってデマを広げるようならば、Wikipediaに関わること自体問題があるのではありませんか?まともな判断ができないのであるなら一旦ウィキブレイクを取られた方がよいと、本心からおすすめします。--Tmatsu会話2013年3月22日 (金) 15:00 (UTC)