ナイスダンサー

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ナイスダンサー
欧字表記 Nice Dancer[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1969年3月6日[1]
死没 1997年8月25日(28歳没)
Northern Dancer[1]
Nice Princess[1]
母の父 Le Beau Prince[1]
生国 カナダの旗 カナダオンタリオ州
生産者 ディーン・アルファンジ
馬主 トム・モートン
ハーレクインランチ
調教師 J.G.ラヴィーン(カナダ)
競走成績
生涯成績 20戦10勝[1]
獲得賞金 154,825ドル
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ナイスダンサーNice Dancer1969年3月6日 - 1997年8月25日[1]カナダ競走馬種牡馬カナダ三冠の最終戦ブリーダーズステークスを含め重賞6勝を挙げ、1972年のカナダ最優秀3歳牡馬に選出されるなど活躍。同地で種牡馬となったあと1979年に日本へ輸出され、現地でナイスネイチャなどの活躍馬を送り出した。

経歴[編集]

競走馬時代[編集]

現役時代はカナダで過ごし、20戦10勝・2着2回。優勝した6つの重賞のうち、ブリーダーズステークスとカナディアンマチュリティステークスは現在カナダのG1競走となっている。3歳時にはウッドバイン競馬場の距離8.5ハロン、9ハロンのトラックレコードを更新するなど、当時のカナダ競馬を代表する競走馬として知られた。1973年に競走馬を引退した。

種牡馬時代[編集]

翌年より種牡馬となったが、これといった産駒のないまま過ごし、1979年ノーザンダンサー系種牡馬の導入に取り組み始めた日本に輸入された。日本では同じノーザンダンサー産駒のノーザンテーストリーディングサイアーの常連となると、その代用として中小の生産者に重宝されるようになった。以後、1986年のクラシック戦線を賑わせ「関西の秘密兵器」と呼ばれたラグビーボールや、当時としては斬新な馬名で知られたナイスナイスナイス、有馬記念3年連続3着など「善戦マン」として名を馳せたナイスネイチャなど、ファンに親しまれる馬を輩出した。しかし産駒でGI級競走に優勝したのは、カナダでの最終世代産駒で日本輸入後に生まれたクイーンズプレート優勝馬フィドルダンサーボーイのみで、日本での産駒からGIレース勝利馬は出せなかった。母の父としてはトウカイテイオー血統表に名を残している。

また、中央競馬でのダート重賞優勝馬はいない[注 1]が、ダートが得意な産駒が多かったことでも知られ、東京王冠賞等に優勝したキクノウインをはじめ、地方競馬では複数の重賞優勝産駒がいる。

1996年11月29日付で高齢もあり用途変更[2]、種牡馬を引退した。その後は種馬場の近所にあった渡辺牧場に勤務する個人女性に身元を引き受けられ、以後は同場で余生を過ごした[3]。翌年8月、老衰により死亡。28歳没。遺体は牧場近くの山中に埋葬された[3][4][5]

主な産駒[編集]

太字は勝利したGI級競走。

日本国外調教馬[編集]

  • 1978年産
    • Fiddle Dancer Boy(クイーンズプレート、コノートカップステークス(GⅢ))

日本国内調教馬[編集]

ブルードメアサイアーとしての主な産駒[編集]

血統表[編集]

ナイスダンサー (Nice Dancer)血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ノーザンダンサー系
[§ 2]

Northern Dancer
1961 鹿毛 カナダ
父の父
Nearctic
1954 黒鹿毛 カナダ
Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
父の母
Natalma
1957 鹿毛 カナダ
Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbirator

Nice Princess
1964 栗毛 アメリカ
Le Beau Prince
1952 芦毛 フランス
Fontenay Tornado
Flying Colours
Quillerie Sultan Mahomed
Hotep Heres
母の母
Happy Night
1957 栗毛 イギリス
Alizier Teleferique
Alizarine
Happy Grace His Grace
Happy Morn F-No.1-e
母系(F-No.) 1号族(FN:1-e) [§ 3]
5代内の近親交配 Blenheim・His Grace5×4=9.38%、Massine5×5=6.25% (母内) [§ 4]
出典
  1. ^ [6]
  2. ^ [7]
  3. ^ [6]
  4. ^ [6][7]

母ナイスプリンセスはアメリカで4勝。1歳下の半妹ミスアトラクティブ(父ヴィクトリアパーク)の産駒にはカップアンドソーサーステークス等の優勝馬で種牡馬として日本に輸入されたパークリージェントがいる。8歳下の半妹ミドルマーチ(父バックパサー)の産駒にはゴールデンジャックスターリングローズの母コマーズ、1994年のソヴリン賞最優秀古牝馬ペニーヒルパークがおり、後年自身も日本に繁殖牝馬として輸入された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただしカルストンダンサーが降雪により芝からダートに変更になった1984年の京都牝馬特別を制している

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j ナイスダンサー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月10日閲覧。
  2. ^ ナイスダンサー(CAN) - 血統書サービス、2022年4月24日閲覧。
  3. ^ a b 優駿』1997年11月号 69頁
  4. ^ @urakawawatanabe (2023年6月4日). "父ナイスダンサー 母ウラカワミユキ、弟妹達、セントミサイルも眠る墓地で沢山の供花に慰められ…". X(旧Twitter)より2023年10月17日閲覧
  5. ^ 2023年6月5日 ナイスネイチャ 最後のご報告”. 引退馬協会 (2023年6月5日). 2023年10月17日閲覧。
  6. ^ a b c ナイスダンサー(CAN) 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月7日閲覧。
  7. ^ a b ナイスダンサーの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月7日閲覧。

参考文献[編集]

  • 優駿』1997年11月号、日本中央競馬会、1997年11月1日。
    • 坂口誠司【馬産地トピック】『名種牡馬ナイスダンサーにはこんな秘話がありました。』

外部リンク[編集]