フォード トライモータ
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(トライモータから転送)
Ford 4-AT Trimotor | ||
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概要 | ||
用途 | 旅客機 | |
乗員 | 2 | |
座席数 | 12席 | |
初飛行 | 1926 | |
製造者 | フォード | |
単価 | ||
寸法 | ||
全長 | 15.1 m | |
全幅 | 23.7 m | |
全高 | 4.1 m | |
翼面積 | m2 | |
重量 | ||
空虚 | 3,469 kg | |
運用 | kg | |
最大離陸 | 5,736 kg | |
動力 | ||
エンジン | Pratt & Whitney R985 | |
出力 | 300 hp ×3 | |
性能(目安) | ||
巡航速度 | 182 km/h | |
最大速度 | ||
航続距離 | 850 km | |
最大運用高度 | m | |
上昇率 | m/min | |
翼面荷重 | kg/m2 |
フォード トライモータ(Ford 4-AT Trimotor)は1920年代後半から1930年代のアメリカ合衆国の旅客機である。名称の"トライモータ(tri motor)"の名前の通り、発動機(モータ)を機首と両翼とに各1基ずつ計3発(トライ)搭載した三発機である。
概要
[編集]1926年から1933年の間に199機が生産された。外観やレイアウトはフォッカーの3発旅客機フォッカー VIIb-3Mとほとんど同じで、外板にアルクラッド材[1]を使用して耐食性を向上させている。ブリキのガチョウ(“Tin Goose”)と呼ばれた。重量の増加により、フォッカーに比べて航続距離は減少した。
ヘンリー・フォードの航空機に対する「全金属製、複数のエンジンの、単葉機」という思想を実現したものである。また量産思想により、1日1機の生産をめざした。この量産を実現するため、1925年フォードはウィリアム・B・スタウトの会社、Stout Aircraft Company を買収した。より小さい機体の3-ATまではウィリアム・B・スタウトが設計したが、4-ATからはウィリアム・B・メイヨに代わった。販売は思わしくなく世界恐慌の到来もあり、フォードはこの機体の生産だけで航空機業界から撤退した[2]。
アメリカ陸軍航空隊では輸送機として4-AT-B型とE型をC-3として採用し、後にエンジンを換装されC-9となった。海軍でもJRの名称で使用された。派生型のモデル5-AT-BおよびDもC-4として採用され、爆撃機型もXB-906として試験された。
出典
[編集]- ^ アルクラッドとは、比強度が大きく耐食性が低いジュラルミンなどのアルミニウム合金を、比強度が小さく耐食性の高い純アルミの薄い層でサンドイッチした素材である。ジュラルミン(2017)に限らず超ジュラルミン(2024)や超々ジュラルミン(7075)も普通アルクラッドを使用する。
- ^ 自社での開発と販売を諦めたものの、第二次世界大戦中にはその生産能力を買われてB-24の生産を受託しており、本家のコンソリデーテッドや同じく受託生産のダグラスをはるかに上回るペースで量産を続け、全体の70%に当たる数を生産している。