ティムラズ・ガバシュビリ

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ティムラズ・ガバシュビリ
Teymuraz Gabashvili
Tennis pictogram.svg
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ティムラズ・ガバシュビリ
基本情報
フルネーム Teymuraz Besikovich Gabashvili
愛称 Tsunami(津波)
国籍 ロシアの旗 ロシア
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦グルジア共和国トビリシ
居住地 ロシアの旗 モスクワ
生年月日 (1985-05-23) 1985年5月23日(33歳)
身長 188cm
体重 83kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2002年
ツアー通算 1勝
シングルス 0勝
ダブルス 1勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2014)
全仏 4回戦(2010・15)
全英 2回戦(2010)
全米 3回戦(2014)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2011・14・15・16)
全仏 3回戦(2011)
全英 2回戦(2014・15)
全米 2回戦(2007)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 43位(2016年2月1日)
ダブルス 101位(2015年4月13日)
2017年11月14日現在

テイムラズ・ベシコヴィチ・ガバシュビリTeymuraz Besikovich Gabashvili, ロシア語: Теймураз Бесикович Габашвили, グルジア語: თეიმურაზ გაბაშვილი 1985年5月23日 - )は、ソビエト連邦グルジア共和国(現ジョージア)トビリシ出身のロシアの男子プロテニス選手。ATPランキング自己最高位はシングルス43位、ダブルス101位。ATPツアーではシングルスの優勝はまだ無いが、ダブルスで1勝を挙げている。身長188cm、体重83kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

そのエネルギッシュなプレースタイルとノーマークの予選勝ち上がりからツアー上位進出を果たすことが度々あった事から、Tsunami(津波)の愛称で呼ばれ親しまれている選手である[1]テイムラズ・ガバシビリの表記も見られる。

ジュニア時代[編集]

当時まだソビエト連邦に属していたグルジア、現ジョージアの首都トビリシにて、会計検査官の父と医者の母の間に3人兄妹の長男として生まれ、6歳からテニススクールでテニスを始める。9歳の時に一家はモスクワへ移住。10代の頃に単身スペインに渡り、同国の元プロテニス選手セルヒオ・カサルの運営する名門テニスアカデミー「セルヒオ・カサル・テニスアカデミー」にて本格的にテニスを学ぶ。

プロ転向後[編集]

2001年~2006年[編集]

2001年に16歳でプロ転向。転向後数年は下部大会での下積みが続いたが、2005年頃からシングルスランキングも100番台へ上昇しツアー大会への出場も増えていった。2006年は、シングスランクが7月に2週間「99位」を記録し初めてトップ100に入ると、全米オープングランドスラム大会シングルス初出場。ここでは2回戦のジェームズ・ブレーク戦まで進出し、この年からツアーレベルに定着するようになる。

2007年[編集]

2007年はシングルスで2月のリージョンズ・モーガン・キーガン選手権で予選を勝ち上がると、1回戦で第5シードのグザビエ・マリスを下す活躍で準々決勝のマーディ・フィッシュ戦まで進出し、初のツアーベスト8進出を果たす。更に3月のインディアンウェルズ・マスターズでも予選を勝ち上がり、当時世界ランク9位のトミー・ハースとの3回戦まで進出。続くマイアミ・マスターズでも予選を勝ち上がり2回戦のミハイル・ユージニー戦まで進出するなど、3大会連続でツアーで好成績を残す。またダブルスでもイボ・カロビッチと組んでノーシードで出場したRCA選手権では、1回戦で第3シードのジェフ・クッツェー/トッド・ペリー組を4-6, 7-6(6), 11-9の接戦で下す活躍でそのまま勝ち上がり決勝に進出。決勝ではフアン・マルティン・デル・ポトロ/トラビス・パロット組に6-3, 2-6, [6-10]のフルセットで惜敗し準優勝となったが、自身初のツアー決勝進出を果たした。

2008年[編集]

2008年はシングルスではABNアムロ世界テニス・トーナメントで予選を勝ち上がりベスト8進出など計4度のツアーベスト8があったが、前年程高グレードのツアー大会で好成績が残せなかったものの、下部大会のATPチャレンジャーツアーではその年の最多タイとなる4大会優勝を挙げ、年度末ランキングを65位とし、自身初のトップ100フィニッシュを果たした。

2009年[編集]

2009年は3月にデビスカップのワールド・グループ1回戦、対ルーマニア戦で前年の活躍が認められ、ロシア代表に初選出されるも、ツアーでは不調の年となり、シングルスでは4月のハサン2世グランプリでベスト8進出を果たした以外は全て1~2回戦負けに終わり、チャレンジャーツアーでも前年のポイントを防衛できず、年度末ランクも106位まで下降した。一方ダブルスでは同国のミハイル・エルギンと組み出場した10月のサンクトペテルブルク・オープン1回戦で、第4シードのスコット・リプスキー/ロヒール・ワッセン組をストレートで下す活躍でジェレミー・シャルディー/リシャール・ガスケ組との準決勝まで進出する好成績があった。

2010年[編集]

2010年は予選を勝ち上がった全仏オープンで好成績を残し、3回戦で第6シード、当時世界ランク8位のアンディ・ロディックを6–4, 6–4, 6–2のストレートで下す番狂わせを起こし4回戦に進出。4回戦ではユルゲン・メルツァーに6–7(6), 6-4, 1-6, 4-6のスコアで敗れたものの、自身初のトップ10選手からの勝利とグランドスラム大会4回戦進出を果たした。8月にはパイロット・ペン・テニスで予選を勝ち上がり、2回戦で第11シードのグザビエ・マリスを第1セット4-2とした所でマリスの途中棄権で、3回戦で第5シードのアンドレイ・ゴルベフを6-3, 3-6, 7-6(7)のフルセットでそれぞれ下し、第15シードのデニス・イストミンとの準々決勝まで進出。準々決勝では1-6, 6-3, 6-7(8)のフルセットで惜敗したが、シーズン初のツアーベスト8進出を果たした。

2011年[編集]

全豪オープン全仏オープンウィンブルドンの4大大会では全て1回戦敗退に終わり(全米は欠場)。シングルスランキングを100位以下に落としてしまった。ダブルスではカタール・エクソンモービル・オープンと、クレムリン・カップでベスト4に進出している。

2015年[編集]

4月の全米男子クレーコート選手権のダブルスでリチャルダス・ベランキスと組み、準々決勝で世界ランク1位のブライアン兄弟を7-6(7), 7-5で破ると、決勝でトレト・ユーイスコット・リプスキー組を6–4, 6–4で破りツアー初タイトルを手に入れた。 全仏オープン男子シングルスでは1回戦で第11シードのフェリシアーノ・ロペスを6-3, 7-6(9), 6-3で破ると2回戦でフアン・モナコに6-3, 6-4, 6-2で、3回戦ルカシュ・ロソルに6-4, 6-4, 6-4で勝利し1セットも落とすことなく5年ぶりの4回戦進出。4回戦で第5シードの錦織圭に3-6, 4-6, 2-6のストレートで敗れた。 7月20日付の世界ランキングで自己最高の50位を記録し、自身初のトップ50入りを果たした。 8月のシティ・オープンでは2回戦で第1シードで世界ランク3位のアンディ・マリーに6-4, 4-6, 7-6(4)で勝利する大金星を挙げた。3回戦でリチャルダス・ベランキスに5-7, 4-6で敗れた。

家族[編集]

弟のレヴァンはプロバスケットボール選手として活動しており、グルジアの名門バスケットボールクラブであるBCディナモ・トビリシに所属している。またガバシュビリの叔父も飛込競技の世界王者であったという[2]

ATPツアー決勝進出結果[編集]

ダブルス: 2回 (1勝1敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2007年7月23日 アメリカ合衆国の旗 インディアナポリス ハード クロアチアの旗 イボ・カロビッチ アメリカ合衆国の旗 トラビス・パロット
アルゼンチンの旗 フアン・マルティン・デル・ポトロ
6–3, 2–6, [6–10]
優勝 1. 2015年4月12日 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン クレー リトアニアの旗 リチャルダス・ベランキス フィリピンの旗 トレト・ユーイ
アメリカ合衆国の旗 スコット・リプスキー
6–4, 6–4

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 通算成績
全豪オープン LQ A 1R LQ 1R 1R 1R A A 3R 1R 1R LQ 2–7
全仏オープン LQ LQ 1R A 2R 4R 1R LQ LQ 2R 4R 3R 1R 10–8
ウィンブルドン A A 1R A 1R 2R 1R LQ 1R 1R 1R 1R LQ 1–8
全米オープン LQ 2R 2R 1R 1R 1R A 1R LQ 3R 2R 1R LQ 5–9

脚注[編集]

  1. ^ Tsunami espera a Nadal”. エル・パイス (2010年8月31日). 2010年9月3日閲覧。
  2. ^ ATP公式プロフィールより

外部リンク[編集]