ダン (ノースカロライナ州)

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ダン
City of Dunn, North Carolina
ダン市の中心街
ダン市の中心街
標語: 
"地域社会が関わる所"
ノースカロライナ州におけるダン市の位置
ノースカロライナ州におけるダン市の位置
北緯35度18分37秒 西経78度36分39秒 / 北緯35.31028度 西経78.61083度 / 35.31028; -78.61083座標: 北緯35度18分37秒 西経78度36分39秒 / 北緯35.31028度 西経78.61083度 / 35.31028; -78.61083
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ノースカロライナ州の旗 ノースカロライナ州
ハーネット郡
面積
 • 合計 6.2mi2 (16.1km2)
 • 陸地 6.2mi2 (16.1km2)
 • 水面 0.0mi2 (0.0km2)
標高
207ft (63m)
人口
 • 合計 9,263人
 • 推計
(2013年[2]
9,758人
 • 密度 1,482.2/mi2 (572.3/km2)
等時帯 UTC-5 (東部標準時)
 • 夏時間 UTC-4 (東部夏時間)
郵便番号
28334-28335
市外局番 910
FIPS code 37-18320[3]
GNIS feature ID 1020051[4]
ウェブサイト City of Dunn

ダン: Dunn)は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ハーネット郡の都市である。2010年国勢調査での人口は9,263 人だった。ダン小都市圏の主要都市であり、都市圏人口は2010年で114,678 人だった。この都市圏は、アメリカ合衆国国勢調査局が定義するより広いリサーチ・トライアングルと呼ばれるローリーダーラムケーリー広域都市圏に入っている。

歴史[編集]

現在のダンとなった所は元々ラックナウと呼ばれており、ケープフェア川沿いにある大きな町であるアベラスボロと比べれば眠っているような小集落だった。南北戦争中の1865年にアベラスボロの戦いが起きた後、その住民の大半がラックナウに移転し、1873年に町名をダンと改めた。

ダン市は1887年2月12日に法人化された。当時は製材の町であり、テレピン油を生産する中心地だった。町名はウィルソンからファイエットビルの間の鉄道建設を監督したベネット・ダンにちなむものだった[5]

ダン市内のアメリカ合衆国国家歴史登録財としては、ダン商業歴史地区、ハーネット郡訓練学校、ケネス・L・ハワード邸、レバノン(プランテーションハウス)、ウィリアム・C・リー将軍邸、ジョン・A・マッケイ邸と製造会社、ジョン・E・ウィルソン邸がある[6][7]

地理[編集]

ダン市は北緯35度18分37秒 西経78度36分39秒 / 北緯35.31028度 西経78.61083度 / 35.31028; -78.61083 (35.310360, -78.610836)に位置している[8]

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は6.2平方マイル (16 km2)であり、すべて陸地である。

人口動態[編集]

人口推移
人口
1890419
19001,072155.8%
19101,82370.1%
19202,80553.9%
19304,55862.5%
19405,25615.3%
19506,31620.2%
19607,56619.8%
19708,3029.7%
19808,9627.9%
19908,336−7.0%
20009,19610.3%
20109,2630.7%
2014(推計)9,710[9]4.8%
U.S. Decennial Census[10]
2013 Estimate[2]

以下は2000年国勢調査によるグリーンビル都市圏の人口統計データである[3]

基礎データ

  • 人口: 9,196 人
  • 世帯数: 3,797 世帯
  • 家族数: 2,422 家族
  • 人口密度: 572.7人/km2(1,482.2 人/mi2
  • 住居数: 4,100 軒
  • 住居密度: 255.3軒/km2(660.8 軒/mi2

人種別人口構成

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 25.1%
  • 18-24歳: 7.8%
  • 25-44歳: 25.3%
  • 45-64歳: 23.5%
  • 65歳以上: 18.4%
  • 年齢の中央値: 39歳
  • 性比(女性100人あたり男性の人口)
    • 総人口: 79.9
    • 18歳以上: 74.2

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 27.7%
  • 結婚・同居している夫婦: 40.6%
  • 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 19.8%
  • 非家族世帯: 36.2%
  • 単身世帯: 32.7%
  • 65歳以上の老人1人暮らし: 15.9%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.35人
    • 家族: 2.99人

収入[編集]

収入と家計

  • 収入の中央値
    • 世帯: 28,550米ドル
    • 家族: 39,521米ドル
    • 性別
      • 男性: 31,029米ドル
      • 女性: 21,961米ドル
  • 人口1人あたり収入: 19,178米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 23.5%
    • 対家族数: 19.6%
    • 18歳未満: 32.2%
    • 65歳以上: 19.2%

教育[編集]

ダン市内には学校が3校ある。ハーネット初等学校は就学前から3年生を教えている。ウェイン・アベニュー小学校は4年生と5年生を教えている。ダン中学校は6年生から8年生を教え、その卒業生は近くのアーウィン町にあるトリトン高校に進学する。

著名な出身者[編集]

学校体罰論争[編集]

1981年12月、ダン高校の生徒3人が授業をサボった罰として、副校長のグレン・バーニーから木製のヘラで叩かれた。ノースカロライナ州では学校の体罰は合法であり、当時のハーネット郡教育学区でも認められていた(2008年に方針を変更して体罰を禁止した[11])。この体罰について、生徒の1人シェリー・ガスパーソン、17歳の両親が、翌年5月にバーニーと学校に対して55,000ドルの損害賠償訴訟を起こした。これは「ガスパーソン対ハーネット郡教育委員会事件」と呼ばれ、その体罰は厳しすぎると訴えた。1982年10月にシェリーが18歳になり、直接の原告になった。1983年12月、1週間の審問と15分間の協議後に、陪審員は被告有利の判断を行い、その後原告が控訴したが、2年後にノースカロライナ州最高裁判所が控訴を棄却した。この裁判について、原告の証人にもなった心理学者アーウィン・ハイマンが1990年に著した著書『読み書きとヒッコリーの棒』の中で批判した[12]

1984年10月17日、シェリー・ガスパーソンはアメリカ合衆国上院少年司法小委員会の場で証言した。この小委員会はペンシルベニア州選出上院議員のアーレン・スペクターが委員長を務めていた。シェリーの証言では、彼女が体罰を受けたあとの日々で痣と外部出血の治療をした郡の医療検査官が、バーニーを児童虐待で告訴した(裁判の時は提示を認められなかった事実)が、「公立学校の教師に対して児童虐待を調査できる機関がない」と陳述した。シェリーの母マーリーン・ガスパーソンも同じ委員会で証言した。学校が生徒に対する体罰を管理する権利があると思うかを尋ねられたとき、「以前は権利があると思っていたが、それが生んだトラウマを経験した後では、それに対する考えを完全に変えた」と答えた[13]

シェリー・ガスパーソンは「USAトゥディ」1984年10月23日版の投書欄でも、学校体罰の廃止を訴えた[14]

脚注[編集]

  1. ^ American FactFinder”. United States Census Bureau. 2014年10月13日閲覧。
  2. ^ a b Population Estimates”. United States Census Bureau. 2014年10月16日閲覧。
  3. ^ a b American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
  4. ^ US Board on Geographic Names”. United States Geological Survey (2007年10月25日). 2008年1月31日閲覧。
  5. ^ Bowden, Barry (1986年8月28日). “State Filled With Strange Town Names”. The Dispatch: pp. 25. https://news.google.com/newspapers?id=7-QbAAAAIBAJ&sjid=qlIEAAAAIBAJ&pg=6881%2C6953371 2015年5月16日閲覧。 
  6. ^ National Park Service (2010-07-09). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service.
  7. ^ National Register of Historic Places Listings”. Weekly List of Actions Taken on Properties: 8/18/14 through 8/23/14. National Park Service (2014年8月29日). 2015年11月18日閲覧。
  8. ^ US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990”. United States Census Bureau (2011年2月12日). 2011年4月23日閲覧。
  9. ^ Annual Estimates of the Resident Population for Incorporated Places: April 1, 2010 to July 1, 2014”. 2015年6月4日閲覧。
  10. ^ United States Census Bureau. “Census of Population and Housing”. 2014年10月16日閲覧。
  11. ^ Paddle ban: Harnett County sees the light regarding corporal punishment in school, The Fayetteville Observer, September 15, 2008
  12. ^ Hyman, Irwin. Reading, Writing and the Hickory Stick: The Appalling Story of Physical and Psychological Abuse in American Schools (Lexington Books, 1990)
  13. ^ CORPORAL PUNISHMENT IN THE SCHOOLS WEDNESDAY, OCTOBER 17, 1984 U.S. SENATE, SUBCOMMITTEE ON JUVENILE JUSTICE COMMITTEE ON THE JUDICIARY, WASHINGTON, DC
  14. ^ "Don't Inflict My Pain on Others," By Shelly S. Gaspersohn, Guest columnist, USA Today, October 23, 1984

外部リンク[編集]