スタッド・ジェルラン
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| スタッド・ドゥ・ジェルラン Stade de Gerland Le Temple | |
|---|---|
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| 施設情報 | |
| 所在地 |
353, Avenue Jean-Jaurès, 69007 VIIè Arrondissement, Lyon, France |
| 位置 | 座標: 北緯45度43分25.60秒 東経4度49分56.10秒 / 北緯45.7237778度 東経4.8322500度 |
| 起工 | 1914年 |
| 開場 | 1926年 |
| 拡張 | 1960, 1980, 1998 |
| 所有者 | リヨン市 |
| グラウンド | 芝 |
| ピッチサイズ | 112 x 65 m |
| 建設費 | 32.7m € (including renovations) |
| 設計者 |
トニー・ガルニエ René Gagis (renovation) |
| 使用チーム、大会 | |
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オリンピック・リヨン (1950-2015) 1938 FIFAワールドカップ 1954 ラグビーリーグ・ワールドカップ(en) 1972 ラグビーリーグ・ワールドカップ(en) UEFA欧州選手権1984 1998 FIFAワールドカップ ラグビーワールドカップ2007 | |
| 収容人員 | |
| 42,591人 | |
スタッド・ドゥ・ジェルラン(Stade de Gerland)は、フランス、ローヌ=アルプ地域圏、ローヌ県のリヨンにあるスタジアム。
老朽化しておりオリンピック・リヨンは2016年1月、新たに建設されたパルク・オリンピック・リヨンにホームを移転した。
歴史
[編集]1913年に着工。設計者はトニー・ガルニエが手掛けた。一時は第一次世界大戦で中断したが、1920年に完成。1984年のUEFA欧州選手権、1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会や2007年のラグビーワールドカップの会場としても使用された。
1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会で当時の日本代表として活躍した中山雅史がワールドカップで初めての日本人ゴールを記録した。2003年に開催されたFIFAコンフェデレーションズカップでは、カメルーン代表のMFでもあるマルク・ヴィヴィアン・フォエが試合中に倒れ、亡くなる悲劇の舞台にもなっている。
開催された主な大会
[編集]| 日付 | ホームチーム | 結果 | アウェーチーム | ラウンド |
|---|---|---|---|---|
| 1998年6月13日 | 1-3 | グループE | ||
| 1998年6月15日 | 1-0 | グループG | ||
| 1998年6月21日 | 1-2 | グループF | ||
| 1998年6月24日 | 2-1 | グループC | ||
| 1998年6月26日 | 1-2 | グループH | ||
| 1998年7月4日 | 0-3 | 準々決勝 |
入場者数
[編集]最多入場者数
[編集]- 48,552 リヨン v ASサンテティエンヌ, 1980.09.09
脚注
[編集]- ^ “Stade municipal dit stade Gerland”. www.pop.culture.gouv.fr. 2021年10月21日閲覧。