クリス・ノヴォセリック

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クリス・ノヴォセリック
Krist Novoselic
(2011年)
基本情報
出生名 Krist Anthony Novoselic II
別名 Chris Novoselic
生誕 (1965-05-16) 1965年5月16日(58歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州コンプトン
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントン州アバディーン
ジャンル グランジオルタナティヴ・ロック
職業 ミュージシャン政治活動家コラムニスト
担当楽器 ベース, アコーディオン, ボーカル
活動期間 1987年 -
レーベル サブ・ポップゲフィン・レコード
共同作業者 ニルヴァーナ
スウィート75
アイズ・アドリフト
フリッパー
フー・ファイターズ

クリス・ノヴォセリック(Krist Novoselic、1965年5月16日 - )は、クロアチアアメリカ人ミュージシャン。元ニルヴァーナベーシストとして知られる。

「クリス」のスペルについては、若い頃は英語の"Chris"で通していたが、1993年に家族のルーツがあるクロアチアを訪問したことを境にクロアチア語の"Krist"に改めた。

来歴[編集]

生い立ち (1965-1986)[編集]

1965年5月16日アメリカ合衆国カリフォルニア州コンプトンで生まれる。1歳の頃に、同じ州のサンペドロに移った。その後、家族の都合で1979年ワシントン州アバディーンに引っ越すが、この土地に馴染めなかったクリスは1980年の一年間を親戚の住むクロアチア(当時はユーゴスラビアの一部)のザダルで過ごした。アメリカに戻り高校を卒業した後、弟の友人であったカート・コバーンと出会う。

クリスがセックス・ピストルズラモーンズを好んで聴くことに感心したカートは、一緒にバンドを組むことを持ちかけたが、気乗りしなかったクリスはこの申し出を断った。しかし、カートから渡されたバンドのデモテープを聴き、彼の音楽的才能に感銘を受けたことで遂にバンド結成に同意した。これがニルヴァーナの始まりである。

ニルヴァーナ (1987-1994)[編集]

結成当初はカートがドラムを叩き、クリスがギターボーカルを担当していた。ほどなくして、ドラマーにアーロン・バークハードが加入したことで、カートがギターとヴォーカル、クリスがベースという形に落ち着いた。その後、ドラマーにチャド・チャニングを迎えて1989年に『ブリーチ』でデビュー。チャニングの脱退によりドラマーがデイヴ・グロール(現フー・ファイターズ)に代わった後、1991年に『ネヴァーマインド』を発表。このアルバムで一躍世界的成功を収めるが、人気の絶頂にあった1994年にカートが自殺したことにより、バンドは解散を余儀なくされた。

ニルヴァーナ後 (1995-)[編集]

ニルヴァーナの解散後、1995年にクリスは新バンドスウィート75を結成。1997年にはアルバムを発表した。また、シアトルで行われた亜矢のアルバム『戦場の華』(2002年発表)のレコーディング・セッションにパール・ジャムマット・キャメロン(Dr)、サウンドガーデンキム・セイル(G)らと共に参加した[1][2]

その後、元ミート・パペッツのカート・カークウッドと元サブライムのバド・ゴウと共にアイズ・アドリフトを結成するが、2003年に解散。一時は音楽ビジネスからの引退を表明し[3]、政治活動と本の執筆に力を入れていた[4]

2006年11月、ロサンゼルス出身のパンクバンド、フリッパーに加入。イギリスアイルランドを回るツアーでベースをプレイした。アルバム制作にも参加する予定だったが[5]、家庭の事情で2008年9月に脱退。

フー・ファイターズとの活動[編集]

2002年1月にはアルバム『One By One』のスペシャルエディション版に収録されている、"Walking a Line"のバッキング・ボーカルを務めた。[6]

2010年秋にはフー・ファイターズのアルバム『Wasting Light』のレコーディングにゲスト参加[7]。また、これに先立って同年の暮れにはフー・ファイターズのライヴでもプレイし、16年ぶりに元バンドメイトのデイヴと共演した[8]

私生活[編集]

1989年に高校の同級生であったShelli Dilleyと結婚したが、1999年に離婚。2004年にはアーティストでベジタリアンのDarbury Stenderuと結婚した。[9]

使用楽器[編集]

ベース[編集]

アンプ[編集]

エフェクター[編集]

その他[編集]

著作[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]