カレンニー民族人民解放戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カレンニー民族人民解放戦線
ကရင်နီပြည်လူမျိုးပေါင်းစုံပြည်သူ့လွတ်မြောက်ရေးတပ်ဦး
カレンニー民族人民解放戦線の旗
活動期間 1978年6月26日 (1978-06-26)-現在
活動目的 左翼ナショナリズム
カレンニー民族主義
フェデラル連邦制
創設指導者 タンニュン
指導者 トゥンチョー[1]
スポーク
スパーソン
ローレンス・ソー
本部 ロイコー郡区英語版パンカン村[2]
活動地域 カヤー州
タイ・ミャンマー国境
兵力 2,000[3]
前身 カレンニー軍
関連勢力

関連国:

関連勢力:
4K連合軍:[4][5]

その他関連勢力:

敵対勢力

敵対国:

敵対勢力:

戦闘 ミャンマー内戦[8]
ウェブサイト KNPLF公式Facebookページ
テンプレートを表示

カレンニー民族人民解放戦線(カレンニーみんぞくじんみんかいほうせんせん、ビルマ語: ကရင်နီပြည်လူမျိုးပေါင်းစုံပြည်သူ့လွတ်မြောက်ရေးတပ်ဦး英語: Karenni Nationalities People's Liberation Front、 略称:KNPLFまたは ကလလတ)はミャンマーカヤー州で活動する左派カレンニー民族主義の武装組織である。

カレンニー民族人民解放戦線は、2009年11月8日に国軍傘下の国境警備隊への転換を受け入れたが、KNPLF名義での活動を続けている。2023年6月13日、KNPLFは国軍から離反し、カレン民族解放軍 (Karen National Liberation Army: KNLA)、 カレンニー軍 (Karenni Army: KA)、カレンニー諸民族防衛軍 (Karenni Nationalities Defence Force: KNDF)、および国民防衛隊 (People's Defense Force: PDF)と共に軍事政権に対峙することを決定した。

歴史[編集]

KNPLFの結成[編集]

1978年6月26日、タンニュン率いるカレンニー軍の左派兵士が分派してKNPLFを結成した。KNPLFは1989年にビルマ共産党(CPB)が崩壊するまで、CPBから軍事訓練や物資・武器の供給を受けるなど近い関係にあった[9]。また、パオ族左派のシャン州諸民族解放機構(Shan State Nationalities Liberation Organisation: SSNLO)や、カヤン族左派のカヤン新領土党とも同盟関係にあり、メーホンソーンのタイ共産党とも連絡を取っていた[10]。しかし、KNPLFの指導者は、「共産主義者」ではないとしている[11]カレンニー民族進歩党 (KNPP)が「民族民主主義」と「カレンニー独立」を主張するのに対し、「人民民主主義」と「フェデラル連邦制」を主張して対立した[12]

1981年12月、KNPLFとKNPPの指導者はモーチ地区で再合同について話し合ったが、失敗に終わった。1982年4月、タンニュンがカレンニー軍との衝突で死亡し、ニャマウンメーが新たな議長となった[13]。同年5月、KNPLF中央委員会が結成され、1983年にKNPLFはビルマ共産党中部軍区のロイコー管区を管轄することとなった[14]

1988年、8888民主化運動に参加した学生が弾圧を逃れてKNPLF支配地域に逃げ込んだ。KNPLFは学生を取り込んで拡大したが、ビルマ共産党の崩壊により厳しい立ち位置に置かれた[14]

1989年、KNPLFはカヤン新領土党、シャン州諸民族解放機構(Shan State Nationalities People’s Liberation Organisation: SSNPLO)、ビルマ共産党により訓練された民主愛国軍(Democratic Patriotic Army: DPA)と共に左派統一戦線である全諸民族人民民主戦線(All Nationalities People’s Democratic Front: PDF)を結成した[15]

1990年7月、ニャマウンメーは民族民主戦線の本部のあるマナプロウを訪問し、ビルマ民主連盟 (DAB)加盟を申請したが拒絶された[16]。1991年3月16日、KNPLFはタンタウンジー郡区にてカレン民族同盟と合同で作戦を実施し[14]、翌年の1992年には同盟関係を締結した[15]。同年、ニャマウンメーが辞任し、新たにサンターが議長となった[13]

停戦後[編集]

1994年5月9日、カトリック教会司教の仲介により国家法秩序回復評議会 (SLORC) とKNPLFは和平合意に至った[12]。これにより、KNPLFはカヤー州第2特区としてその支配領域の自治を認められた[17]。マンテッポー総書記は「政治的理由および民主主義のために停戦したが、政府との政治的な対話は出来なかった」としている[18]

1998年8月11日、KNPLFはカヤン新領土党およびシャン州諸民族解放機構と合同で国民民主連盟を支持し、1990年選挙で選ばれた議員による国会を招集するよう声明を出した[19]。また、声明では軍事政権、国民民主連盟、少数民族組織の三者協議を呼びかけた[19]

2005年からKNPLFはタイ側に逃れた首長族の難民をタイ・ミャンマー国境のフエイ・プー・ルアン国境経済地域に定住させようとしたが、彼らは国連難民高等弁務官事務所により公式に難民の地位を得ていたため帰還しなかった。なお、KNPLFは1995年にカレンニー州の住民を強制的に同地域に移住させて国境経済地域を再開しようとした[20]

2004年5月、KNPLFは国民会議において新憲法の国軍の権限を見直し、少数民族の自治権を尊重するよう、他の7少数民族武装組織と合同で声明を出した[21]。KNPLFは国民会議に参加したが[22]、その結果成立した2008年憲法を認めず、批判している[23]。KNPLFはカレンニー軍と国軍との戦闘で国軍側を支援した[24]

2007年9月11日、タイ国メーホンソーン県メーサリアン郡のサウンヘン村でタイの第3607レンジャー部隊とKNPLFと思わしき正体不明の武装勢力が15分以上に渡って交戦した。レンジャーは武装勢力の死体とM16自動小銃を回収した[20]

国境警備隊への改編[編集]

2009年11月8日には国境警備隊への改編に同意した[25]。この結果、KNPLFの一部は国境警備隊の第1004大隊および第1005大隊に再編された。第1004大隊はメーセ郡区、第1005大隊はボーラケ郡区北東部に拠点を置いていた。また、KNPLFの一部部隊は国境警備隊に編入されず、政治部門は独立性を保っている[23]。国境警備隊への改編の結果、トゥンチョー国境警備隊司令官のビジネス派とサンター議長・シュエウォ書記の政治指導部の対立が噂された。これについてマンテッポー総書記は国軍による分断工作であるとしている[18]

国境警備隊改編後、KNPLFはカレンニー諸民族人民解放党として2010年選挙に参加しようとしたが、登録を許されなかった[26]。また、KNPLFは全国停戦合意英語版への参加も許されなかった[27]

近年の動向[編集]

2020年、KNPLFは兵力を拡大しないという国軍との取り決めに違反し、第9420大隊を編成した[14]

2021年クーデター後、KNPLFはクーデターを批判した。また、ボーラケとパサウンの国民防衛隊およびカレンニー革命同盟に軍事訓練を施し、武器や食糧の支援を行なった[24]。KNPLFは反クーデターストライキを行った市民の軍事訓練部隊として第9421大隊を編成した[14]

2021年12月24日に4人のKNPLF/BGF兵士が、少なくとも45人の民間人と共に国軍により虐殺された(モソ虐殺英語版)。KNPLF/BGFの兵士は国軍と交渉して民間人を生きたまま焼き殺すのを止めようとしたが、頭部を撃たれて死亡した[28][29][30]

KNPLFはワ州連合軍から2021年2月のクーデター後に武器を受け取っており、国境警備隊という立場でありながら抵抗勢力に与していたとされる[31]。KNPLFの幹部チットゥンは、選出された議員とクーデターで資格を剥奪された議員からなる国民統一政府 (NUG)により連邦副大臣に指名されている。KNPLFはNUGの支持を公言しており、KNPLFの下士官はカレンニー諸民族防衛軍と共に軍事政権と戦っている[32][33]

2023年6月以降、KNPLFは国軍から離反してカレンニー軍カレンニー諸民族防衛軍カレン民族解放軍国民防衛隊からなる連合軍に加わり、国軍の拠点を攻撃した[34][35]。抵抗勢力の連合軍はカヤー州東部メーセ郡区の国軍の前哨拠点を陥落させた[36]

一方、KNPLF副議長トゥコーと一部の部隊は国軍側についた[37]

2023年11月にはカレンニー軍カレンニー諸民族防衛隊国民防衛隊と合同で1107作戦英語版に参加し、国軍を攻撃した[38]

部隊編成[編集]

国境警備隊の第1004大隊と第1005大隊は元の KNPLF第7894大隊および第4878大隊に戻った。また、国境警備隊に転換されなかった第9420大隊は、第9421大隊と第9422大隊を編成している[39]

さらに、第9423大隊、第9424大隊、第9425大隊が編成されており、計8個大隊が活動している[24]

経済活動[編集]

KNPLFは1994年の停戦以降、国軍により利権を認められ、様々な経済活動に注力し、「停戦資本主義」を謳歌してきた[40][41][42]。しかし、2012年にKNPPが停戦合意に署名してからは事業が縮小しているとされる[43]。2023年6月の国軍からの離反については、国境警備隊改編後に減少した国境貿易の利益を取り戻すためではないかという憶測がなされている[44]

社会事業[編集]

KNPLFは支配地域、特にメーセ郡区の診療所の医療従事者を傘下に置いており、地雷被害者の為の作業所と病院を運営している[45]

林業[編集]

KNPLFはミャンマー政府とともにサルウィン川の西側を管理している[46]。小規模な森林伐採会社に対して契約ないし許可を以て管理を行っており[47]、KNPLF自身もAh Shae Than Lwin(東サルウィン)社を設立してチーク材の伐採を行なっている[48][46]

鉱業[編集]

KNPLFは鉱山の開発事業に関して中国企業に免許を与えている。[49]。KNPLFは1994年の停戦時にKayah Golden Gate Mining Companyを設立しており、モーサキ村における鉱山開発の権利を得ている[50]。また、KNPLFはAh Shae Than Lwin社の鉱山権益を保護するために、国境警備隊第1005大隊が本部から離れたモーチ鉱山周辺に部隊を駐屯させている[51]。このほかに、KNPLFはカヤー州鉱山部門の株主となっている[50]

また、トゥンチョー司令官はKNPLFの支配下にある村の名前に因んだMawsaki Companyを運営しており、他にもロイコーのホテルなど様々な企業を所有している。Mawsaki Companyは、ミャンマー人俳優のルインモーやオーストラリア企業のEumeralla Resources社との関係で有名である。Eumeralla Resources社はMawsaki Companyの株式の70%を所有している。同社はスズタングステンの採掘のために2013年7月にカヤー州とカレン州にまたがる400平方キロメートルの調査ライセンスを取得した[52]。この事業はカヤー州政府の承認を受けたが、天然資源・環境保全省から連邦レベルの承認を受けるのが遅れたため、Eumeralla Resources社は2017年4月に撤退した[53][54]

インフラ事業[編集]

トゥンチョー司令官の所有するShwe Kantarawaddy社は、Square Power Group Company Limited (SPG社)と提携している。同社は2011年11月に4,000トンのセメント工場建設許可をミャンマー投資委員会から得ており、また2008年に鉱業省から石灰石の採石許可を取得している[55]

国境の課税[編集]

KNPLFは第10国境ポイントと第14国境ポイントを管理しており、通行に課税している[56]。第14国境ポイントはチエンマイとメーセ郡区を結ぶ位置にあり、往来が盛んである[57]

飲食業[編集]

トゥンチョー司令官はパンペッ村に向かう道路にレストランを開いている[58]

農業[編集]

2006年、KNPLFはタイへの輸出を見込んで1万エーカーの土地にコーヒープランテーションを建設した。ミャンマー農業公社はこの計画を1700米ドルと見積もっている[20]

闇市[編集]

KNPLFはタイ北部の町の闇市水牛唐辛子、豆の貿易に関与していたとされる[20]

批判[編集]

KNPLFはかつて少年兵地雷の使用で非難されていた[59]。13歳の少年兵クーレーの証言は以下の通りである。

私が映画を観ていると、彼(徴兵担当者)が座り、話しかけてきました。彼は私が軍隊に入れば給料と制服を手に入れて幸せになれると言いました。私は彼の名前を覚えていませんが、KNPLFでした。私は入隊に同意しました。彼は映画館の20から25人くらいの大人、女性、少年など、多くの人に一人ずつ話しかけて回っていました。6人くらいが彼についていきました。最年長は16歳か17歳で、最年少は11,12か13歳くらいです。 私は帰宅しましたが、母親にこの事は言わず、彼について行きました[60]

また、KNPLFによる超法規的殺人も報告されている[61]。KNPLFは「禁止物品」を持っていたという理由で村人を殺害するなど、経済の統制を行っていたとされている[62]

このほかに、支配地域でのアヘンケシの栽培や、アンフェタミン覚醒剤工場の存在が報告されており、麻薬ビジネスへの関与が疑われている[63]

関連作品[編集]

  • 『私の足』(Khon Soe Moe Aung 監督 / 2015年)

脚注[編集]

  1. ^ “KNPLF Says No Fake Peace” (英語). Kantarawaddy Times (Burma News International). (2020年3月6日). https://www.bnionline.net/en/news/knplf-says-no-fake-peace 2023年6月29日閲覧。 
  2. ^ KNPLF celebrates 25 years of ceasefire in Loikaw” (英語). Ministry Of Information. Myanmar Ministry of Information. 2020年5月11日閲覧。
  3. ^ Aung Khin; Nyan Lin Aung (2021年12月9日). “ကရင်နီကာကွယ်ရေးတပ်ဖွဲ့ [カレンニーの防衛隊]” (ビルマ語). VOA. オリジナルの2022年7月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220707065244/https://burmese.voanews.com/a/weekly-current-affairs-analysis-karenni-defense-forces/6345367.html 2022年7月3日閲覧。 
  4. ^ “Intense clash in Mese, Karenni State” (ビルマ語). Democratic Voice of Burma. (2023年6月20日). https://burmese.dvb.no/archives/599992 
  5. ^ ““4K ၊ မယ့်စဲတိုက်ပွဲ နှင့် ကရင်နီပြည်မှစစ်​ရေးအ​​ရွေ့” [4K連合軍、メーセで衝突 カレンニー州を進軍]” (ビルマ語). People's Spring. (2023年6月20日). https://www.ludunwayoo.com/feature-mm/2023/06/20/79886/ 
  6. ^ Davis, Anthony (2022年2月22日). “Wa an early winner of Myanmar’s post-coup war” (英語). Asia Times. 2022年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月24日閲覧。
  7. ^ KNPLF (2024年3月15日). “သို့/ ဗဟိုနိုင်ငံရေးဌာန ပြည်သူ့လွတ်မြောက်ရေးတပ်မတော်(PLA) ဗမာပြည်ကွန်မြူနစ်ပါတီ(CPB) အကြောင်းအရာ။ ။ သဝဏ်လွှာပေးပို့ခြင်း” (ビルマ語). Facebook. 2024年3月24日閲覧。
  8. ^ J, Esther (2023年11月10日). “After attacking military target in Karenni State, KNDF and KNPLF announce launch of ‘Operation 1107’”. Myanmar Now. オリジナルの2023年11月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20231110124651/https://myanmar-now.org/en/news/after-attacking-military-target-in-karenni-state-kndf-and-knplf-announce-launch-of-operation-1107/ 2023年11月10日閲覧。 
  9. ^ Smith 1999, pp. 356–357.
  10. ^ Smith 1999, p. 347.
  11. ^ Smith 1999, p. 348.
  12. ^ a b Kramer, Russel & Smith 2018, p. 21.
  13. ^ a b Lintner 1999, p. 487.
  14. ^ a b c d e “ပြန်လည်နိုးထလာတဲ့ ကရင်နီပြည်က ဖီးနစ်ငှက် [目覚めたカレンニーの不死鳥]” (ビルマ語). DVB. (2023年7月5日). https://www.dvb.no/post/606065 2024年3月25日閲覧。 
  15. ^ a b Lintner 1999, p. 495.
  16. ^ Smith 1999, p. 381.
  17. ^ South 2008, p. 122.
  18. ^ a b Kramer, Russel & Smith 2018, p. 35.
  19. ^ a b South 2003, p. 326.
  20. ^ a b c d Keenan 2014, p. 153.
  21. ^ Human Rights Watch 2008, p. 8.
  22. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 33.
  23. ^ a b Kramer, Russel & Smith 2018, p. 61.
  24. ^ a b c KNPLF” (ビルマ語). ISP Myanmar Peace Desk. 2024年3月24日閲覧。
  25. ^ Murray, Lucy; Byardu, Beh Reh (2005年3月25日). “Karenni rebels dig in for last stand”. Asia Times. オリジナルの2005年3月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20050326055748/http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/GC25Ae01.html 2018年11月29日閲覧。 
  26. ^ Naw Hlaing (2010年8月2日). “KNPLF not yet able to register as political party” (英語). Kantarawaddy Times (Burma News International). https://www.bnionline.net/en/kantarawaddy-times/item/9059-knplf-not-yet-able-to-register-as-political-.html 2023年3月24日閲覧。 
  27. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 55.
  28. ^ J, Esther (2021年12月25日). “ဖရူဆိုတွင် အစုအပြုံလိုက် မီးရှို့ခံထားရသည့်ထဲတွင် ကလေးငယ်ပင်ပါဝင် [プルーソーで焼き殺された人の中には子供も含まれていた]” (ビルマ語). Myanmar Now. オリジナルの2022年7月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220703051509/https://www.myanmar-now.org/mm/news/9818 2022年7月3日閲覧。 
  29. ^ J, Esther (2022年1月7日). “စစ်ကောင်စီ ဖုံးသမျှပေါ်နေသည့် ယာဉ်နှင့်လူများ မီးပုံရှို့မှု” (ビルマ語). Myanmar Now. オリジナルの2022年7月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220703051510/https://www.myanmar-now.org/mm/news/10005 2022年7月3日閲覧。 
  30. ^ Saw Phoe Khwar (2022年3月1日). “မိုဆိုရွာ သတ်ဖြတ်မှု စစ်တပ်လက်ချက်လို့ NUG အထောက်အထားတွေ ထုတ်ပြန်” (ビルマ語). RFA. オリジナルの2022年7月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220703051508/https://www.rfa.org/burmese/news/nug-kayah-muso-civilians-killed-01032022130206.html 2022年7月3日閲覧。 
  31. ^ Davis, Anthony (2022年2月22日). “Wa an early winner of Myanmar’s post-coup war”. Asia Times. オリジナルの2022年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220614204444/https://asiatimes.com/2022/02/wa-an-early-winner-of-myanmars-post-coup-war/ 2022年7月3日閲覧。 
  32. ^ “NUG နဲ့ အတူ ဘယ်သူတွေ ရပ်တည်နေကြသလဲ” (Burmese). Irrawaddy . (2021年4月25日). オリジナルの2022年7月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220703053135/https://burma.irrawaddy.com/article/2021/04/25/241096.html 2022年7月3日閲覧。 
  33. ^ “Kayah State Resistance Groups Reject Ceasefire with Myanmar Junta”. Irrawaddy. (2021年6月17日). オリジナルの2022年7月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220703053054/https://www.irrawaddy.com/news/burma/kayah-state-resistance-groups-reject-ceasefire-with-myanmar-junta.html 2022年7月3日閲覧。 
  34. ^ J, Esther (2023年6月23日). “Karenni BGF battalions confirm role in recent raids on junta outposts” (英語). Myanmar Now. https://myanmar-now.org/en/news/karenni-bgf-battalions-confirm-role-in-recent-raids-on-junta-outposts/ 2023年6月28日閲覧。 
  35. ^ 藤川, 大樹「ミャンマー国軍傘下の国境警備隊が抵抗勢力へ寝返り 激戦のカヤ州 国軍は敵拠点2カ所を占拠」『東京新聞』、2023年6月30日。2024年3月25日閲覧。
  36. ^ “Myanmar Junta Outposts Fall to Karenni Resistance in Kayah State” (英語). Irrawaddy. (2023年6月26日). https://www.irrawaddy.com/news/burma/myanmar-junta-outposts-fall-to-karenni-resistance-in-kayah-state.html 2023年6月28日閲覧。 
  37. ^ “KNPLF Faction defects from Junta side -Launches attacks on Military Council” (英語). Kantarawaddy Times (Burma News International). (2023年7月5日). https://www.bnionline.net/en/news/knplf-faction-defects-junta-side-launches-attacks-military-council 2023年3月24日閲覧。 
  38. ^ J, Esther (2023年11月10日). “After attacking military target in Karenni State, KNDF and KNPLF announce launch of ‘Operation 1107’” (英語). Myanmar Now. https://myanmar-now.org/en/news/after-attacking-military-target-in-karenni-state-kndf-and-knplf-announce-launch-of-operation-1107/ 2024年3月25日閲覧。 
  39. ^ Aye Chan Su (2023年10月19日). “မြန်မာပြည်ရှိ လက်နက်ကိုင်တော်လှန်ရေး အင်အားစုများ (အပိုင်း ၄) [ビルマの武装革命勢力(パート4)]” (ビルマ語). Irrawaddy. https://burma.irrawaddy.com/article/2023/10/19/375557.html 
  40. ^ 久保, 忠行 (2014年2月4日). “カレンニーとカヤー:2つの「名」をめぐって”. 笹川平和財団. 2024年3月25日閲覧。
  41. ^ Woods 2011, pp. 751–752.
  42. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 35, 65.
  43. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 57.
  44. ^ Sai Wansai (2023年7月5日). “BORDER GUARD FORCE DEFECTION IN KARENNI STATE: Will KNPLF joining Spring Revolution empower the anti-junta forces?” (英語). SHAN. https://english.shannews.org/archives/26274 2024年3月25日閲覧。 
  45. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 95.
  46. ^ a b Mratt Kyaw Thu (2016年5月30日). “Fallen timber, uneasy officials” (英語). Frontier Myanmar. https://www.frontiermyanmar.net/en/fallen-timber-uneasy-officials/ 
  47. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 114.
  48. ^ Nai Kun Enn (2015年8月4日). “ကယားပြည်နယ် သစ်တော ပြုန်းဖွယ်ရှိ [カヤー州の森林が破壊される可能性がある]” (ビルマ語). VOA. https://burmese.voanews.com/amp/logging-in-kayah-/2919028.html 2024年3月24日閲覧。 
  49. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 118.
  50. ^ a b KEAN 2018, p. 33.
  51. ^ Jolliffe 2015, p. 58.
  52. ^ Martov, Seamus (2017年4月18日). “Australian Mining Firm Abandons Exploration Bid in Contested Karenni State Area” (英語). Irrawaddy. https://www.irrawaddy.com/news/burma/australian-mining-firm-abandons-exploration-bid-contested-karenni-state-area.html 2024年3月24日閲覧。 
  53. ^ Martov, Seamus (2017年4月18日). “Australian Mining Firm Abandons Exploration Bid in Contested Karenni State Area” (英語). Irrawaddy. https://www.irrawaddy.com/news/burma/australian-mining-firm-abandons-exploration-bid-contested-karenni-state-area.html 2024年3月24日閲覧。 
  54. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 120.
  55. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, pp. 122–123.
  56. ^ Keenan 2014, p. 152.
  57. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 126.
  58. ^ Kramer, Russel & Smith 2018, p. 127.
  59. ^ Geneva Call – Karenni National Peoples Liberation Front (KNPLF)”. Geneva Call. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月27日閲覧。
  60. ^ Heppner 2007, pp. 113–115.
  61. ^ Burma Issues 2008, p. 32.
  62. ^ Burma Issues 2008, p. 44.
  63. ^ Burma Issues 2008, pp. 68–69.

参考文献[編集]

英語文献[編集]

  • Burma Issues (2008). Living Ghosts: The Spiraling Repression of the Karenni Population Under the Burmese Military Junta (PDF) (Report). Burma Issues/ Peace way foundation.
  • Heppner, Kevin (2007). Sold to be soldiers: The recruitment and use of child soldiers in Burma (PDF) (Report).
  • Human Rights Watch (2008). Chronology of Burma’s Constitutional Process (PDF) (Report).
  • Jolliffe, Kim (2015). Ethnic Armed Conflict and Territorial Administration in Myanmar (PDF) (Report). Yangon: Asia Foundation.
  • Keenan, Paul (2014). By force of arms : armed ethnic groups in Burma. New Delhi: Vij Books India. ISBN 9789382652304 
  • Kramer, Tom; Russel, Oliver; Smith, Martin (2018). From War to Peace in Kayah (Karenni) State: A Land at the Crossroads in Myanmar (PDF) (Report). Amsterdam: Transnational Institute.
  • Lintner, Bertil (1999). Burma in Revolt: Opium and Insurgency since 1948. Chiang Mai: Silkworm. ISBN 9789747100785 
  • Smith, Martin (1999). Burma: Insurgency and the Politics of Ethnicity. Dhaka: University Press. ISBN 9781856496605 
  • South, Ashley (2003). Mon Nationalism and Civil War in Burma. Abingdon: Routledge. ISBN 9780203037478 
  • South, Ashley (2008). Ethnic Politics in Burma: States of Conflict. London and New York: Routledge. ISBN 9780415572699 
  • Woods, Kevin (2011). “Ceasefire capitalism: military–private partnerships, resource concessions and military–state building in the Burma–China borderlands”. Journal of Peasant Studies 38 (4). doi:10.1080/03066150.2011.607699. 

外部リンク[編集]