カレン民族解放軍

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カレン民族解放軍(KNLA)の旗

カレン民族解放軍(KNLA= Karen National Liberation Army)は、ミャンマー(ビルマ)の反政府組織カレン民族同盟の軍事組織。

概説[編集]

1948年ビルマがイギリスから独立を果たした際、ビルマ国内の諸民族がビルマ政府との共存を試みていたのに対して、カレン族は、ビルマからの分離独立を強く志向していたため、ビルマ政府とカレン族との間は強い緊張状態にあった。1949年前半には、ビルマ連邦政府が募った民兵によってカレン族の一般居住地域は攻撃された。さらにビルマ政府は軍事力を行使してカレン族指導者層を次々に逮捕・拘束した。1962年にはネ・ウィン将軍が実権を掌握するとカレン族など諸民族の独立運動はビルマ連邦政府への反乱として抑圧された。一方でネ・ウィンによる抑圧は、カレン族の政治指導者の側についているビルマ軍や、ビルマ政府に逮捕された人々との共闘関係を形成し、内戦につながった。

緒戦においては、カレン族側は北ビルマの多くを制圧した。しかし、港湾を奪還され、補給が途絶えたため南東部に封じ込められた。KNLAは、南東部に解放区・コートレイ(Kawthoolei)を作り、ミャンマーとタイとの国境地域を実効支配している。コートレイの「首都」マナプロウの街はミャンマー連邦政府に対する反政府勢力の大きな拠点として注目されたが、1994年12月、仏教徒グループが民主カレン仏教徒軍(DKBA)を称し軍事政権側へ離反したため、1995年1月に、DKBAとミャンマー軍の攻撃を受けてマナプロウは陥落、同年2月には最後の要衝コムラも陥落した。以来、残存勢力はミャンマーとタイの国境を流れるサルウィン川両岸を遊弋し、僅かに残る支配地域をコートレイとして死守。コートレイに侵攻してくるミャンマー軍に対して、先進国に無視され「忘れられた戦争」とも呼ばれる解放闘争を現在も継続している。

現在、コートレイの中には士官学校や独自の行政機関が樹立されており、構成員は正規軍としての体裁を整えている。装備もM16自動小銃など旧西側製の装備が多いとされている。

日本人傭兵高部正樹が所属し、共に戦ったことでも知られる。高部によれば日本人義勇兵が何人も民族解放軍に参加していたという。2001年5月には戦死した3人の日本人義勇兵を記念する碑が建てられ、解放軍将兵や民衆が式に参加した。碑文には『カレン民族独立を志し、少数民族の人間としての尊厳のために、青春の情熱と命を捧げた日本人自由戦士 ここに眠る』と刻まれている[1]。また日本人以外にもオーストラリア人アメリカ人フランス人などが義勇兵として参加している。

脚注[編集]

  1. ^ 高部正樹『傭兵の誇り』239頁(小学館2001)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]