ウィッシュボーン・アッシュ
ウィッシュボーン・アッシュ | |
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基本情報 | |
出身地 | イングランド |
ジャンル |
ハードロック プログレッシブ・ロック アートロック,ポップ サイケデリックトランス |
活動期間 | 1969年 - 現在 |
レーベル |
MCAレコード AVM NEAT Records I.R.S Records Permenant Talking Elephant |
共同作業者 | マーティン・ターナーズ・ウィッシュボーン・アッシュ |
公式サイト | wishboneash.com |
メンバー |
アンディ・パウエル マーク・エイブラハムズ ボブ・スキート ジョセフ・クラブツリー |
旧メンバー |
マーティン・ターナー スティーヴ・アプトン テッド・ターナー ローリー・ワイズフィールド ジョン・ウェットン トレヴァー・ボルダー マービン・スペンス ジェイミー・クロンプトン アンディ・パイル レイ・ウェストン マイク・ストゥージス グレン・ターナー |
ウィッシュボーン・アッシュ(Wishbone Ash)はイギリス出身のロックバンドである。ツインリードギターのバンドスタイルで有名であり、3人のフロントマンが歌った。1970年代を通してイギリスを代表するバンドの一つとして評価を得た。この業績によりアンディ・パウエルとテッド・ターナーは「ロック史における最も重要なギタリスト10人」(Traffic magazine 1989)「偉大なギタリスト20」(Rolling Stone magazine)に選出され、Melody Maker(1972)によって「ジェフ・ベックとジミー・ペイジがヤードバーズに加入して以来の最も興味深いツインギターバンド」と評された。
経歴[編集]
1966年、デヴォン州トーキーにてスティーヴ・アプトンと、マーティン・ターナー、グレン・ターナーのターナー兄弟で母体となるバンド(The Empty Vessels後にTanglewood)が結成され、後ロンドンに進出。だがグレンが脱退したためテッド・ターナーが加入する(同姓ではあるが兄弟と血縁関係は無い)。
その後アンディ・パウエルが加入してツイン・リードギター体制が確立するが、パウエル加入の経緯に関しては諸説あり、「テッドとパウエルが同時にオーディションに現れ、バンド側がどちらを採用するか決め兼ねた結果、後に予定していたキーボーディストのオーディションを中止して2人を加入させた[1][2]」というものと、「テッド加入後、キーボーディストのオーディションを行ったところパウエルがギタリストの募集であると勘違いしてオーディションに現れたが、試しに音を合わせてみたところ好感触が得られたため予定を変更してパウエルを加入させた[3]」との説がある。
そのツインギターはオールマン・ブラザーズ・バンドとは違い、プログレッシヴ・ロックやフォーク、クラシックに強い影響を受けていた。この頃新しいバンド名を考案しようとした際に「ウィッシュボーン」と「アッシュ」の2例が上がり、マーティン・ターナーがその2つを組み合わせてバンド名とした。
1970年5月、ディープ・パープルの前座を勤めた時のサウンド・チェックで、アンディ・パウエルはリッチー・ブラックモアとジャム・セッションを行い、それをきっかけに、ブラックモアはパープルの作品もプロデュースしたことのあるデレク・ローレンスにウィッシュボーン・アッシュを推薦[4]。プロデビューへの道が開く。
1970年12月、MCAレコードより『光なき世界』(原題Wishbone Ash)を発表しアルバムデビュー。このアルバムの最後に収められている曲「フェニックス」(Phoenix)は、現在でもライブで演奏される代表曲の一つである。
1972年に発表した3枚目のアルバム『百眼の巨人アーガス』(Argus)は、ツインリードスタイルの完成を果たしたことでバンドの最高傑作と称され、全英アルバムチャートで最高3位を記録した[5]。このアルバムは内容もさることながら、ヒプノシスによるジャケットデザインでも現在に受け継がれる傑作とされる。また、この作品にはマーティン・バーチがサウンドエンジニアとして参加している。このアルバムは音楽雑誌の読者投票によって「ロックのベストアルバム」に選出され、「アルバム英国部門一位」(Melody Maker magazine)となった。
1973年『ウィッシュボーン・フォー』(Wishbone Four)はデレク・ローレンス抜き、セルフ・プロデュースで制作された最初のアルバムである。同年、ライブ『ライヴ・デイト』(Live Dates)もリリースした。イギリスでの成功を収めたバンドはアメリカ市場への挑戦のため当地へ移住するが、その矢先にテッドが脱退。ホームよりローリー・ワイズフィールドが加入。
1974年『永遠の不安』(There's the Rub)はビル・シムジク、1976年『限りなき束縛』(Locked In)はトム・ダウドによってプロデュースされ、キーボードを取り入れ、アメリカ市場を意識した音作りに転換していった。なお『限りなき束縛』には、ホイットニー・ヒューストンの母シシー・ヒューストンがコーラスで参加している。
1976年『ニュー・イングランド』(New England)では従来のスタイルに戻り、メロウで実験的な1977 年『フロント・ページ・ニュース』(Front Page News)を最後にアメリカから撤退。
1978年からはイギリスに戻って活動。実験的なアルバムの後で、ウィッシュボーン・アッシュのルーツに戻る事を決意し、バンドは『因果律』(no smoke without fire)でローレンスと再び組んだ。曲は主にワイズフィールドとターナーによって書かれた。
1980年2月、バンドは6ヶ月かけて制作した『ジャスト・テスティング』(Just Testing)をリリースした。パワー・ポップなども意識した音作りを進めるが、1981年に中心的存在だったマーティンが脱退。ジョン・ウェットンが加入。だが間も無くウェットンも脱退し、後任にはやはりユーライア・ヒープ人脈のトレヴァー・ボルダーが参加。だがメンバーの出入りが激しくなる一方で、パウエルがバンドを支え続けたものの影響力は低下する。
1987年、バンドの初期マネージャーであるマイルス・コープランドが立ち上げた新レーベルより、オリジナルメンバーによるインストアルバム制作の話が持ちかけられ、それを機に、テッド・ターナー、マーティン・ターナーが復帰、14年振りに往年の編成が復活し、アルバム『Nouveau Calls』がリリースされた。インストアルバムであった為『Nouveau Calls』の売り上げは低調であったものの、それに伴うオリジナルメンバーによるツアーは大好評を博し、70年代以来の大規模なものとなった。
1989年、アルバム『Here to Hear』をリリースするものの、トランス系サウンドを取り入れた作風は往年のファンから敬遠された。翌年、アプトンが音楽界からの引退を表明し、オリジナルメンバーでの復活は、3年弱で終焉を迎えることとなる。ついで1991年にマーティン・ターナー、1994年にテッド・ターナーが脱退し、その後もメンバーチェンジが頻発。現在のウィッシュボーン・アッシュは、パウエルのみがオリジナルメンバーとなる。当時からベテランには珍しく比較的コンスタントに新作を発表しているが、ライヴで演奏されるのはほとんどが70年代の全盛期の曲(『百眼の巨人アーガス』の完全再現も行っている)である。
備考[編集]
- アンディ・パウエルは、1980年代後半から90年代を除きフライングVを使用している。パウエルがこの時使用していたギターは、主にアーニー・ボール/ミュージック・マン、ポール・リード・スミス等で、当時のライヴ映像で確認できる。
- ルドルフとマイケルのシェンカー兄弟は、パウエルの憧れから同種のギターを手にしたとのこと。
- バンドのマネージャー、マイルス・コープランド3世は、ポリスのスチュワート・コープランドの実兄。パウエルはルネッサンスの1973年のアルバム『Ashes Are Burning』(燃ゆる灰)に客演しているが、これは当時ルネッサンスもマイルスのマネージメントを受けていたという縁で実現したものであり、また、当時ルネッサンスのメンバーだったジョン・タウトが『百眼の巨人アーガス』にゲスト参加した返礼でもある[6]。
- 2004年、オリジナルメンバーのマーティン・ターナーが「Martin Turner's Wishbone Ash」を結成し活動を開始。同バンドで『百眼の巨人アーガス』の再録音を行った。
主なディスコグラフィーと歴代メンバー構成[編集]
年 | アルバム (邦題) |
ギター、ボーカル | ギター、ボーカル | ベース、ボーカル | ドラムス | その他メンバー |
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1970 | Wishbone Ash (光なき世界) |
アンディ・パウエル | テッド・ターナー | マーティン・ターナー | スティーヴ・アプトン | |
1971 | Pilgrimage (巡礼の旅) | |||||
1972 | Argus (百眼の巨人アーガス) | |||||
1973 | Wishbone Four (ウィッシュボーン・フォー) | |||||
1973 | Live Dates(live) (ライヴ・デイト) | |||||
1974 | There's the Rub (永遠の不安) |
ローリー・ワイズフィールド | ||||
1976 | Locked In (限りなき束縛) |
ピート・ウッド(K) | ||||
1976 | New England (ニュー・イングランド) | |||||
1977 | Front Page News (フロント・ページ・ニュース) | |||||
1978 | No Smoke Without Fire (因果律) | |||||
1979 | Live In Tokyo(live)[注釈 1] (ライブ・イン・トーキョー) | |||||
1980 | Just Testing (ジャスト・テスティング) | |||||
1981 | Number the Brave | ジョン・ウェットン | ||||
1982 | Twin Barrels Burning | トレヴァー・ボルダー | ||||
1985 | Raw to the Bone | マービン・スペンス | アンドリュー・ブラウン(K) | |||
1987 | Nouveau Calls (instrumental album) |
テッド・ターナー | マーティン・ターナー | |||
1989 | Here to Hear (コズミック・ジャズ) | |||||
1991 | Strange Affair (ストレンジ・アフェア) |
レイ・ウェストン | ロビー・フランス(D) | |||
1996 | Illuminations | - | ロジャー・フルゲイト | マイク・ストゥージス | トニー・キッシュマン(Lead vo) マーク・テンプルトン(K) | |
1997 | Trance Visionary | - | - | - | マイク・ベネット(techno remix) | |
1998 | Psychic Terrorism | マーク・バーチ | ボブ・スキート | レイ・ウェストン | ||
2002 | Bona Fide | ベン・グランフェルト | ||||
2006 | Clan Destiny | マディ・マンニネン | ||||
2007 | Power of Eternity | ジョセフ・クラブツリー | ||||
2011 | Elegant Stealth | |||||
2014 | Blue Horizon | |||||
2020 | Coat of Arms | マーク・エイブラハムズ |
日本公演 (およびメンバー構成)[編集]
年 | 日時、場所 | ギター、ボーカル | ギター | ベース、ボーカル | ドラムス |
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1975 | 2/15 大阪厚生年金会館, 2/21・23 中野サンプラザ |
アンディ・パウエル | ローリー・ワイズフィールド | マーティン・ターナー | スティーヴ・アプトン |
1976 | 10/2・3, /14 中野サンプラザ 10/6・7 大阪厚生年金会館 他 | ||||
1978 | 11/10, 11/15 東京厚生年金会館 他 (『ライブ・イン・トーキョー』音源) | ||||
1991 | 5/21 CLUB CITTA', 5/23 名古屋ボトムライン, 5/24 大阪アムホール |
テッド・ターナー | レイ・ウェストン | ||
2010 | 8/14・15 CLUB CITTA[注釈 2] | マディ・マンニネン | ボブ・スキート | ジョセフ・クラブツリー | |
2011 | 8/27 CLUB CITTA | ||||
8/28 PROGRESSIVE ROCK FES 2011 日比谷野外音楽堂 | |||||
2019 | 3/16・17 CLUB CITTA | マーク・エイブラハムズ |
注釈[編集]
脚注[編集]
- ^ 池田聡子『光なき世界からの旅立ち』 ストレンジデイズ2010年7月号 76ページ(ストレンジデイズ)
- ^ マッド矢野『英米の突端に触れ続けたロック巡礼者』 フラッシュバックシリーズ ブリティッシュ・ハードロック 88ページ (シンコーミュージック・エンタテイメント)
- ^ 平野和祥『WISHBONE ASH』 ディスクガイドシリーズ ブリティッシュ・ハードロック 57ページ (シンコーミュージック・エンタテイメント)
- ^ Kelman, John (2018年6月23日). “Wishbone Ash: The Vintage Years 1970 - 1991”. All About Jazz. 2019年1月24日閲覧。
- ^ WISHBONE ASH | full Official Chart History | Official Charts Company
- ^ “Interview with ANDY POWELL (WISHBONE ASH)”. DMME.net (2000年9月). 2019年1月30日閲覧。
外部リンク[編集]
- Wishbone Ash 公式サイト(英語)
- Wishbone Ash history 公式サイト(英語)