アーロ

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Haro

Escudo de Haro.svg

Ayuntamiento en Fiestas - Haro - La Rioja.jpg
Flag of La Rioja (with coat of arms).svg ラ・リオハ州
Flag of La Rioja (with coat of arms).svg ラ・リオハ県
コマルカ アーロ
面積 40.53 km²
標高 479mm
人口 11,536 人 (2014年[1]
人口密度 284.63 人/km²
住民呼称 jarrero/-a、harense
Haroの位置(スペイン内)
Haro
Haro
スペイン内のアーロの位置
Haroの位置(ラ・リオハ州内)
Haro
Haro
リオハ県内のアーロの位置

北緯42度34分37秒 西経2度50分46秒 / 北緯42.57694度 西経2.84611度 / 42.57694; -2.84611座標: 北緯42度34分37秒 西経2度50分46秒 / 北緯42.57694度 西経2.84611度 / 42.57694; -2.84611

アーロ(Haro)は、スペインラ・リオハ州の基礎自治体(ムニシピオ)。エブロ川の流域にあり、リオハ・アルタ地区に属する。カトリック教会のカラオラ・イ・ラ・カルサダ=ログローニョ司教座が置かれている。

気候[編集]

地中海性気候海洋性気候の影響を受ける。年平均気温は12.6℃、最も寒い1月の平均気温は約5℃、最も暑い8月の平均気温は20.6℃である。冬には霧が発生する。

歴史[編集]

ローマ領ヒスパニア時代、カストルム・ビリビウム (Castrum Bilibium) という名の砦が作られた。5世紀頃、ギリシャ人たちはファロ (Pharo) と呼んだ。アラブ人占領時代の9世紀にはワディ・アルム (Wadi Arum) と呼ばれた。 初めて歴史上に名を残したのは1040年、ナバラ王ガルシア・サンチェス3世の文書で、ビリビウム・クン・ファロ (Bilibium cum Faro) とあった。1063年の文書には、町にユダヤ人共同体があったことが記されていた。1187年、カスティーリャ王アルフォンソ8世はアーロにフエロ(特権)を授けた。同時に、ユダヤ人共同体にアルハマ(en、特権)を授けている。1430年、フアン2世は、ペドロ・デ・ベラスコをアーロ伯 (Conde de Haro) とした。1811年のカディスでのコルテスで、世襲貴族による大土地所有が廃止されるまで、アーロはベラスコ家に支配された。

18世紀初頭のスペイン継承戦争で、アンジュー公フィリップの妃マリア・ルイサとわずか3歳であったアストゥリアス公ルイ(のちのルイス1世)がアーロへ避難した。戦後、新王フェリペ5世はアーロの町にMUY NOBLE Y MUY LEAL(最も王に忠実で最も高貴)という称号を与えた。

1808年、アーロはナポレオン軍に占領された。町にはフランス軍の本部が置かれ、ジョセフ・ボナパルトが行政府を設置した初めての地となった。1901年と1902年の2年に渡り、アーロ周辺のブドウ畑がフィロキセラに冒されて被害を受けた。

政治[編集]

アーロ首長一覧
在任期間 名前 政党
1979-1983 フランシスコ・マテ・バリオ (1979-1980)
ミゲル・ロハス・カストリーリョ(1980-1983)
無所属
スペイン社会労働党 (PSOE)
1983-1987 ミゲル・ロハス・カストリーリョ スペイン社会労働党 (PSOE)
1987-1991 パトリシオ・カペリャン・エルビアス 国民党 (PP)
1991-1995 パトリシオ・カペリャン・エルビアス 国民党 (PP)
1995-1999 パトリシオ・カペリャン・エルビアス 国民党 (PP)
1999-2003 パトリシオ・カペリャン・エルビアス 国民党 (PP)
2003-2007 リディア・ロハス・アギーリョ(2003-2004)
パトリシオ・カペリャン・エルビアス(2004-2007)
スペイン社会労働党 (PSOE)
国民党 (PP)
2007-2011 パトリシオ・カペリャン・エルビアス 国民党 (PP)
2011-2015 パトリシオ・カペリャン・エルビアス 国民党 (PP)
2015- パトリシオ・カペリャン・エルビアス 国民党 (PP)

人口[編集]

アーロの人口推移 1842-2011
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3]

ワイン[編集]

スペイン最大のワイン産地として知られるリオハ (DOC)の中でも、アーロは特にワイナリーが集中する町である。1877年に設立され、現存する家族経営の生産者としてはリオハ最古のワイナリーであるロペス・デ・エレディア英語版[4]、1879年に設立され、フェリペ皇太子レティシアの結婚式で「インペリアル1994」が使用されたCVNEスペイン語版(クネ)社、ビルバオ出身の実業家によって1901年に設立され、アーロ駅前にワイナリーを構えるボデガス・ビルバイナスなどがある[5]。アーロにはリオハ州立ワイン博物館があり、リオハ地方のブドウ栽培・ワイン生産に関する展示がなされている[6]。毎年6月29日の聖ペドロの祝日には、聖フェリセス・デ・ビリビオの巡礼祭という伝統的な祭礼が行われ、参加者たちが水鉄砲などを使ってワインをかけあうバターリャ・デル・ビノ(ワインの戦い)が行われる。

史跡・文化[編集]

1975年、旧市街がスペイン歴史文化財に指定された。また、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が町を通っている。

  • 市庁舎 - 18世紀。新古典主義建築。
  • サント・トマス教会 - アーロ最古の場所にあたる。司教座が置かれている。ルネサンス様式とバロック様式の混合。
  • ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ベガ聖堂 - レコンキスタ時代にアーロに出現したとされるベガの聖母を祀る。
  • ブリニャス橋 - 13世紀からエブロ川に架かっている橋。
  • サン・アグスティン修道院
  • アーロ闘牛場
  • スペイン銀行アーロ支店の建物

交通[編集]

1863年にナバーラ州南部のトゥデラとバスク州のビルバオを結ぶ鉄道路線が開通し、アーロはその中間にある。また、アーロにはビルバオとアラゴン州サラゴサを結ぶ高速道路が通っている。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 斎藤研一 『世界のワイン生産者400』 美術出版社、2014年
  • 鈴木孝寿 『スペイン・ワインの愉しみ』 新評論、2004年

外部リンク[編集]