サンチョ4世 (カスティーリャ王)

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サンチョ4世
Sancho IV
カスティーリャ王
Sancho IV de León y Castilla.jpg
在位 1252年 - 1284年
出生 1258年5月12日
死去 1295年4月25日
トレド
配偶者 マリア・デ・モリナ
子女 後述
王家 ボルゴーニャ家
王朝 ボルゴーニャ朝
父親 アルフォンソ10世
母親 ビオランテ・デ・アラゴン
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サンチョ4世時代のコイン

サンチョ4世スペイン語Sancho IV, 1258年5月12日 - 1295年4月25日)は、カスティーリャ王国国王(在位:1282年 - 1295年)。「勇敢王」(el Bravo)と呼ばれる。アルフォンソ10世と王妃ビオランテ・デ・アラゴンの次男。

生涯[編集]

兄にフェルナンド・デ・ラ・セルダがいたが、1275年7月に死去した。その後、1282年に父と対立し、この争いに勝利して父を廃して自ら国王として即位する。これに対して父は宿敵であるマリーン朝アブー・ユースフ・ヤアクーブと連合して反抗してきたが、サンチョ4世はこれを撃破して父をセビリャに幽閉した。そして1284年に父が死去し、名実共に国王となった。兄フェルナンドにはアルフォンソ、フェルナンドの2人の息子がいたが、これも退けている。

1282年にモリナ公アルフォンソ(レオン王アルフォンソ9世王子)の娘マリア・デ・モリナと結婚した。

1291年にサンチョ4世は遠征を行い、タリファアンダルシア州)をムーア人から奪い、おじのドン・ペドロを捕らえた。1293年アルカラ・デ・エナーレスマドリード・コンプルテンセ大学の原型となる学術機関を創設した。

サンチョ4世は1295年にトレドで死去するが、その直前に王妃マリア・デ・モリナをまだ9歳だったフェルナンド4世の摂政に任じた。

子女[編集]

王妃マリア・デ・モリナとの間に、以下の子女をもうけた。