ずんずん教の野望
ジャンル | 固定画面シューティング |
---|---|
対応機種 | アーケード (AC) |
開発元 |
港技研 セガ第1AM研究開発部 |
発売元 | セガ |
販売元 | セガ |
ディレクター | 熊倉賢一 |
音楽 | 岩永敦子 |
美術 | 大田正之 |
人数 | 1人 |
メディア | 業務用基板 |
稼働時期 |
1994年5月 |
デバイス |
8方向レバー 2ボタン |
システム基板 | セガ・システムC |
『ずんずん教の野望』(ずんずんきょうのやぼう)は、1994年5月に日本のセガから稼働されたアーケード用固定画面シューティング。
主人公の金地蔵および銀地蔵を操作し、「ずんずん教」と呼ばれる宗教団体の野望を阻止する事を目的としている。毎回ステージの開始時に「ずんずん教だ」と音声付きで表示される演出があり、それも含めた宗教的で異様かつ強烈な世界観からバカゲーとしても知られている。
開発は港技研およびセガ第1AM研究開発部が行い[1]、システム基板としてセガ・システムCが使用されている。
後にゲームサイト「セガエイジス」から携帯電話ゲームとして、2006年にVアプリ、2007年にEZアプリにて配信された。
概要
[編集]金地蔵と銀地蔵を操作し、世界各地に支部を持つ「ずんずん教」と呼ばれる宗教団体の野望を阻止・壊滅させるストーリー。
ステージは日本支部、アジア支部、欧州支部、米州支部のどれかを、ゲーム開始時またはステージクリア後に選択し、4ステージ全てを攻略することで、最終ステージずんずん教本部へ進む。
最終ステージをクリアすると、難易度の上がった2周目が始まり、これもクリアすることでエンディングになる。
当時のセガ直営店の店員によると、ロケテストの時点でデイリーインカム1500円を記録するなど評判が悪かったが、なぜか発売が強行され、当然売れなかったので直営店の全店にノルマで納入された(その店員の店には2枚納入された[2])。ちょうど『バーチャファイター』がブームになっていた頃でもであり、バーチャの基板と抱き合わせで買わされた店もある。そのため、評判のわりに出回りは良い。
稼働開始後間もなくして永久パターンが発覚したため、すぐに店頭から撤去される事態となった[3]。大量の基板が新品のまま基板屋に流れたらしく、一時期は大量の基板が底値で売られていた。
ゲーム内容
[編集]ステージのフィールド内を8方向に自由に移動できる、半自由スクロールシューティングゲームである。ショットは画面から見て上方向にのみ発射される。ショット以外にも、ボムストックを消費してボンバーを放つことも出来る。
フィールドに登場する敵(信者)を一定数倒すことでステージクリア(ボスエリアを除く)。ステージは4エリア(最終ステージは3エリア)で構成されており、最後のエリアにはボスが待ち受ける。
敵を倒すと、時々アイテムが出現し、取得するとお布施(得点)取得、スピードの増減、無敵、自機縮小、時間停止が発生する。
パワーアップアイテムを取ると菩薩→明王→阿修羅の順で姿が変わる。尚、阿修羅になっている時パワーアップアイテムを取るとお布施となる。
移植版
[編集]No. | タイトル | 発売日 | 対応機種 | 開発元 | 発売元 | メディア | 型式 | 備考 | 出典 |
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1 | ずんずん教の野望 | 2006年3月1日 |
ボーダフォンライブ! (Vアプリ) |
セガ | セガ | ダウンロード (セガエイジス) |
- | [4][5] | |
2 | ずんずん教の野望 | 2007年5月31日 |
BREW 3.1対応端末 (EZアプリ) |
セガ | セガ | ダウンロード (セガエイジス) |
- | [6] |
開発
[編集]本作の開発者は非公表であるが、本作のグラフィックを担当した大田正之(元アニメーターで、ドット絵はこれがデビュー作)によると、本作は港技研の熊倉賢一が手掛けたとのこと[7]。ネームエントリーのデフォルト名には「IWA」「MOR」「OTA」など当時の港技研の開発者らしき名が見られる。
また、セガのサードパーティとして、本作がセガの流通に乗ってリリースされる際、セガAM1研のサポートを受けた。セガAM1研のメンバーとしてリリース前のテストプレイを行った者(当時新入社員)の記憶によると、このゲームは「コアランドの生き残り」が作った、つまりセガと関係の深かったゲーム会社のコアランドがバンダイに買収されてバンプレストとなった際、退職して港技研に合流したメンバーによって製作されたものだという説明を先輩より受けたとのことで、その際に危ない時事ネタを扱ったゲームと言うことでコアランドの『ごんべえのあいむそ〜り〜』(アーケード、1985年)を意識したという。既にオウム真理教が話題となっていた時期であったので、AM1研でもその危なさにみんな驚いたという。AM1研の手元に来た時点でゲーム自体はほぼ完成していたが、本当にそのまま発売してよいのかどうかで意見が噴出し、危なすぎて発売できないので、テストプレイは長期間行われたとのこと。結局、「このゲームはいかなる宗教とも関係ありません」の表示を入れることと、作ったのはセガではなく「港技研」であることを表記することで、発売を許されたという[8]。
当時港技研の新人だった大田にとっても、本作はやはり「謎」だったとのことで、「ローバジェットでも好き勝手にやろうと企画の人が才能を発揮した」のだろうと回想している[9]。
なお、コアランド時代にセガの『青春スキャンダル』(1985年)などを手掛けた熊倉や岩永らは、港技研として独立した後もセガやバンプレストと関係が深く、『ダイナマイトヘッディー』(ゲームギア版、1995年)など相応の大作の制作を任されているが、一方で自機が某大物政治家そっくりの『ごんべえのあいむそ〜り〜』や、自機がハニワの『はにいいんざすかい』(PCエンジン、1989年)などの奇ゲーを手掛けている。
評価
[編集]評価 | ||||||
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ゲーム本『悪趣味ゲーム紀行2』においてライターのがっぷ獅子丸は、本作がインベーダーハウス時代のテイストを残している作品であるとした他、ゲームシステムはナムコの『ギャラガ』(1981年)と同様であると指摘し、各ステージ毎にレベルアップアイテムが2つしか出ず、またボムである「御心ボンバー」では全滅できないなど難易度が高い事および各ステージタイトルの荒唐無稽さを酷評した[10]。また、カプコンの『魔界村』(1985年)のように2週しないとクリアとならない仕様に関して、アーケードゲームのマイナーな部分だけを抽出しているとして否定的に評価した[10]。
脚注
[編集]- ^ 開発にはセガAM1研が関与している事がワウ エンターテイメント時代の公式サイトに記載されていた[1]
- ^ [2]
- ^ 「超カルトコーナー」『GAMEST MOOK Vol.112 ザ・ベストゲーム2 アーケードビデオゲーム26年の歴史』第5巻第4号、新声社、1998年1月17日、153頁、ISBN 9784881994290。
- ^ “セガがモーションコントロールセンサー対応の野球ゲームを配信” (日本語). ファミ通.com. KADOKAWA (2006年3月1日). 2020年8月16日閲覧。
- ^ 太田亮三 (2006年3月1日). “セガ、モーションコントロールセンサー対応の野球ゲーム” (日本語). ケータイ Watch. インプレス. 2020年8月16日閲覧。
- ^ 中野信二 (2007年5月31日). “セガ、EZwebのポータルサイト「セガエイジス」で、異色シューティング「ずんずん教の野望」を配信” (日本語). GAME Watch. インプレス. 2020年8月16日閲覧。
- ^ 大田正之のtwitter
- ^ [3]
- ^ [4]
- ^ a b c がっぷ獅子丸「第24便『ずんずん教の野望』」『悪趣味ゲーム紀行2』マイクロデザイン出版局、2001年10月5日、44 - 47頁。ISBN 9784896370638。
外部リンク
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