高蔵寺ニュータウン
高蔵寺ニュータウン | |
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中央台にあるサンマルシェ | |
所在地 | 愛知県春日井市 |
位置 |
北緯35度16分53.7秒 東経137度2分56.6秒 / 北緯35.281583度 東経137.049056度座標: 北緯35度16分53.7秒 東経137度2分56.6秒 / 北緯35.281583度 東経137.049056度 サンマルシェ |
範囲地域 | #地域を参照 |
開発規模 | 702ha |
整備主体 | 住宅・都市整備公団 |
事業手法 | 土地区画整理事業 |
計画人口 | 81,000人 |
現在の人口 | 40,631人(2021年(令和3年)10月)[1] |
現在の世帯数 | 19,236世帯(2021年(令和3年)10月)[1] |
最寄駅 | JR中央本線 / 愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線 高蔵寺駅 |
高蔵寺ニュータウン(こうぞうじニュータウン、英: Kozoji New Town)は、愛知県春日井市北東部の丘陵地帯に建設されたニュータウン。千里・多摩と並ぶ黎明期のニュータウンの一つである。ニュータウンが丘陵地帯を開拓して作られた事にちなみ、地名にはすべて「台」の文字が付けられている。最寄り駅である高蔵寺駅からは、JR中央本線で名古屋駅まで約30分で行く事が出来る。
概要
高蔵寺ニュータウンは、名古屋市の中心部から北東17kmに位置する、東西約4km・南北約4kmに渡るニュータウンで、名古屋市のベッドタウンとして開発された。イギリスやフランスのニュータウンの知識を参考にしながら東京大学の高山英華研究室が主導した計画で、戦後日本の代表的なニュータウンである[2]。1968年(昭和43年)に入居が開始された、日本で二番目に古い大規模ニュータウンである。 設計は津端修一。
ニュータウンの中心部には航空自衛隊高蔵寺分屯基地がある。高蔵寺ニュータウンの計画はこの基地の移転を前提にしたものだったが、移転候補先で反対運動に合い、移転計画が頓挫してしまった。そのため高蔵寺ニュータウンは、基地を抱えたまま現在に至っている。同基地が移転せずその部分が未だに開発されていない分だけ、計画よりも人口が少なくなっている。
そのニュータウンの中心部に、アピタ高蔵寺店を中核としたサンマルシェと呼ばれるショッピングセンターがあり、このショッピングセンター周辺がニュータウンの中核施設群「センター地区」となっている。また、ニュータウン周辺には郊外型の店舗が多数進出している。
名古屋市のベッドタウンであるため、名古屋市への勤務者がきわめて多い。また、他のニュータウン同様、高齢化が深刻な問題になっており、一部で学区統廃合も起こっている。
地理
山地
- 主な山
河川
- 主な川
湖沼
- 主な池
- 洞口池
- 新池
ニュータウンの地域・地名
藤山台
高蔵寺ニュータウンの中で最も早期に番早く整備された街である。
1968年(昭和43年)に入居第一号が入居した。しかしまだ工事の真っ最中で赤土が見え、ブルドーザーやダンプカーの轟音が響き渡っていた。同年藤山台小学校が開校したが、最初の児童数は24人だった。
1968年(昭和43年)7月7日早朝、藤山台団地内のダストシュートで火事が起こり壁を焼いてしまった。このあと難燃性のダストシュートに変えたが、ゴミの臭いが広がったり、ねずみの大量発生が原因で大型コンテナで回収するようになった。
1980年 (昭和55年) 愛知県立高蔵寺高等学校が開校。
2013年(平成25年)藤山台小学校(旧)と藤山台東小学校が統合し藤山台小学校(新)となる(当面藤山台東小の校舎を使用し藤山台小(旧)の校舎を建て替え、2016年に新校舎完成後さらに西藤山台小学校を統合)。
岩成台
1971年(昭和46年)に岩成台団地が入居開始。1976年には岩成台西団地も入居開始している。1/3くらいをURによる団地が占めている。
岩成台の中ほどには愛知用水が通っており、その周辺には水辺公園と呼ばれる公園が整備されている。
比較的高蔵寺駅に近いため、「岩成台小学校」「岩成台」のバス停は便が多くアクセスが良い。
高森台
高蔵寺ニュータウンの中でも最も標高が高く、高蔵寺駅から一番遠い場所にある。
1973年(昭和48年)に高森台団地入居開始。県営住宅などの団地が多い。2019年(平成31年)1月現在、団地再生計画のため、一部の団地では居住ができない状態になっている。
高森台の中央には、標高206メートルの高森山がそびえたっており、麓にはテニスコートなどが整備されている。
高森山は1960年代頃にははげ山であったが、地元の子供たちや地域住民の努力で、現在緑に覆われている。
中央台
ニュータウンのほぼ中心に位置し、サンマルシェや高蔵寺郵便局・春日井市東部市民センターが立地するなど、ニュータウンの中核的機能をもっている。
中央台団地は、ニュータウンの団地の中でも比較的高層である。
石尾台
団地が存在せず戸建て住宅が立ち並ぶ地区。ニュータウンの中でも高齢化・少子化が進んでいる地区であるが、スーパーマーケットが立地するなど利便性はよい。
押沢台
ニュータウン中心部から山を挟んだ東側にある地区。同じ戸建て住宅で構成されている「石尾台」同様少子化が進んでいるが、人口減少率は団地を擁する「藤山台」「高森台」などと比べて比較的緩やかである。
高座台
高蔵寺駅から見えるためニュータウンの中でも最も駅に近い地区。高座台団地やサンハイツたかくらなど新興住宅が多い。
ニュータウン唯一学校機関がひとつもない(高座小学校はニュータウン外に存在する。)。
計画にはなかった地区だが、「高蔵寺駅から団地が見えるように」と言う理由で造成された。
玉野台
計画にはない。押沢台同様ニュータウン中心部から高座山を挟んだ南東にある地区。石尾台・押沢台と同じ戸建て住宅で構成されている。
歴史・沿革
昭和時代
- 1958年1月1日 - 東春日井郡高蔵寺町を春日井市に編入合併。
- 1960年5月 - ニュータウン建設の適地調査(候補地選定)開始。
- 1960年10月 - ニュータウン建設地が高蔵寺に決まる。
- 1964年12月 - 造成工事始まる。
- 1966年5月 - 起工式を行う。
- 1967年6月 - 公団住宅建設開始。
- 1968年5月 - 高蔵寺ニュータウン第1次入居(藤山台集合住宅入居)開始。
- 1971年3月 - 岩成台集合住宅入居開始
- 1971年5月 - 医者村に1件目の診療所が開業。
- 1971年7月 - 藤山台(現在の住所表記では岩成台)に、ココストアが開店。
- このココストア藤山台店は、日本で最初に開店したコンビニエンスストアとされることがあり、店の前には「日本のコンビニ発祥の地」というプレートが掲げられている[3]。2016年9月1日にタックメイト藤山台店となり、同年11月17日13時に閉店となった。
- 1972年 - 1965年に次いで高森山で山火事が発生、高森山は禿げ山となる。これを受けて、同年11月に「どんぐり作戦」が始まる(住民の手による緑化として、全国のモデルケースとなる)。
- 1973年 - ニュータウン内の違法駐車が問題となり始める。
- 1973年3月 - 高森台集合住宅入居開始。
- 1974年7月 - 中央台集合住宅入居開始。
- 1975年2月 - 7つの診療科が揃い、藤山台に医者村と呼ばれる病院の団地が完成。
- 1975年6月 - ニュータウン内を流れる愛知用水で幼児が水死する。
- 翌年にも児童の転落事故があり、愛知用水をフェンスで厳重に囲う等の対策が取られる事になる。
- 1976年5月 - 雨により高森台で石垣が崩壊し、1名が圧死する事故が発生する。
- 違法駐車に阻まれて重機が進入できず、救助が遅れてしまった。
- その後の数か月間で、各所で石垣の崩壊が相次ぎ、石垣の多くが緩斜面に改修される事になる。
- 1976年10月 - 中央台に総合スーパーユニーを核店舗とするショッピングセンターサンマルシェが開店。
- 現在のアピタ館と北西エリアに相当する部分が開業。
- 1978年3月 - 高座台集合住宅入居開始。
- 1979年3月 - 藤山台で火災が発生。違法駐車に阻まれてはしご車が進入できず、乳児が焼死する。
- これを受けて、「緑を取るか駐車場を取るか」の議論に決着をつけて、駐車場の造成が進む事になる。
- 1980年 - 愛知県立高蔵寺高等学校が藤山台東部に開校。
- 1982年 - 自衛隊の部分が未着工のままで、竣工となる。
- 1982年9月 - 高森台の業誘致エリアへの工場誘致に対して反対運動が起こる。それを受けて反反対運動も起こり、両者で署名合戦となる。
- ニュータウンの当初計画にあった「雇用の創出」にはつながらなかったものの、その後、高森台に各企業の物流センターや社員寮の様な種類の施設が進出し、現在に至っている。
- 1983年 - 中央台西部に春日井市東部市民センターがオープン。
- 1983年8月 - 岩成台西集合住宅入居開始。
- 1984年4月 - 石尾台にスーパーナフコを誘致。
平成時代
- 1992年4月 - サンマルシェ南館が開業。
- 1999年4月 - サンマルシェ南西エリアが開業。
- 2002年4月 - 中央台で山火事が発生、自衛隊敷地に燃え広がる。
- 2004年4月 - 高座山の南側で山火事が発生、自衛隊敷地に燃え広がる。
- 2005年5月 - サンマルシェ本館を建て替え、アピタ館がオープンする。
- 2006年4月 - サンマルシェ循環バスの試験運行開始。
- 2008年 - ニュータウン40周年。
- 2017年1月 - 高蔵寺ニュータウンを舞台にしたドキュメンタリー映画『人生フルーツ』が公開される[4]。
- 2017年10月 - 春日井市と春日井商工会議所、大垣共立銀行などが「高蔵寺まちづくり株式会社」を設立する[5]。
- 2018年4月 - グルッポふじとうが旧藤山台東小学校に開設。
- 2018年 - ニュータウン50周年。高森台団地の集約計画が順次開始される。
教育機関
高等学校(県立)
中学校(市立)
※ 高座台1丁目~4丁目は春日井市立高蔵寺中学校校区。5丁目のみ岩成台中学校校区。
小学校(市立)
- 春日井市立石尾台小学校
- 春日井市立岩成台小学校
- 春日井市立岩成台西小学校
- 春日井市立押沢台小学校
- 春日井市立高座小学校(所在地は高蔵寺町北。学区に高座台1〜4丁目を含む)
- 春日井市立高森台小学校
- 春日井市立中央台小学校
- 春日井市立東高森台小学校
- 春日井市立藤山台小学校
- 春日井市立藤山台東小学校(2013年(平成25年)3月で廃校)
- 春日井市立西藤山台小学校(2016年(平成28年)3月で廃校)
交通
最寄り駅である高蔵寺駅からニュータウンの中心部へは2km離れているうえに大きな坂を上る必要がある。そのためニュータウン内では自家用車が多く利用されているが、自動車免許を持たない交通弱者への対応が課題となっている[6]。
ニュータウンから高蔵寺駅までは名鉄バスが、ニュータウンから春日井市民病院まではかすがいシティバスはあとふるライナーが、ニュータウン内にはサンマルシェ循環バスが走っている[7]。
鉄道
バス(路線バス)
道路
脚注
- ^ a b “ニュータウン地区の人口・世帯・高齢化率推移” (PDF). 春日井市 (2021年10月29日). 2021年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月3日閲覧。
- ^ 戦後都市計画を再考する:高山英華の生涯第42回NSRI都市・環境フォーラム, 2011年
- ^ 「日本のコンビニ1号店」が閉店 45年の歴史に幕 livedoorニュース 2016年11月17日
- ^ 人生フルーツ
- ^ 「高蔵寺まちづくり株式会社」の設立~高蔵寺ニュータウンの新たなまちづくりを推進!~大垣共立銀行プレスリリース(2017年10月4日)
- ^ “4割弱が高齢者、「高蔵寺ニュータウン」が挑む“本気”の交通改革の詳細”. ビジネス+IT. 2022年5月30日閲覧。
- ^ kozoji-nt (2021年3月21日). “アクセス | 高蔵寺ニュータウン 公式サイト | 愛知県春日井市”. 2022年5月30日閲覧。
関連項目
- 日本のニュータウン
- 公団住宅
- サンマルシェ
- サンマルシェ循環バス
- 桃花台ニュータウン(近隣のニュータウン)
- 桃花台新交通桃花台線(当初ニュータウン内を走行する計画だった)
- 津端修一(ニュータウンの基本設計を行った人物)
外部リンク
- 高蔵寺ニュータウン公式サイト
- 団地百景
- 高蔵寺ニュータウン
- 高蔵寺ニュータウン物語 - 椙山女学園大学制作、2011年
- 西山康雄, 沢柳達男, 松村憲一, 今枝忠彦 「敷地計画技法の歴史的展開に関する研究(1) わが国の場合」『住宅建築研究所報』 1984年 10巻 p.151-162, doi:10.20803/jusokenjo.10.0_151