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高知ファイティングドッグス

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高知ファイティングドッグス
創設 2005年
所属リーグ
四国アイランドリーグplus独立リーグ
歴代チーム名
高知ファイティングドッグス(2005年 - )
本拠地
高知市野球場高知市
収容人員 6000人
永久欠番
なし
獲得タイトル
独立リーググランドチャンピオン(1回)
2009年
リーグ年間優勝(2回)
2005年2009年
リーグ優勝(3回)
2005年、2006年前、2009年後
球団組織
オーナー 北古味鈴太郎
運営母体 タップ
監督 定岡智秋
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高知ファイティングドッグス(こうちファイティングドッグス 、Kochi Fighting Dogs)は、プロ野球独立リーグ四国アイランドリーグplusに所属する高知県の野球チーム。2005年加盟。略称「高知FD」。

概要

チーム名は高知県由来の土佐闘犬からつけられたもので、雄大な土佐の黒潮もイメージに絡ませている。チームカラーは黒。

本拠地は高知市野球場。このほか、高知市東部野球場香美市秦山公園野球場(土佐山田スタジアム)、室戸広域公園野球場宿毛市野球場四万十市安並運動公園野球場安芸市営球場高知県立春野運動公園野球場など県下の球場[1]を広く使用している。2011年のシーズンまでは、参加チームの中で唯一ナイター設備を整えた球場がなく、ホームゲームはデーゲームでの開催のみとなっていた。2012年からは本拠地の高知市野球場にナイター設備が設置され、ナイター開催が可能となった[2]。2012年の日程では公式戦36試合中高知市野球場での開催が23試合となる一方、高知市東部野球場と土佐山田スタジアムは各1試合にとどまり、高知市周辺での試合はほぼ高知市野球場に集約されている。

2010年からは佐川町が選手の宿舎、越知町が練習場を提供し、この両町を「ホームタウン」と称している。越知町のグラウンドでは2011年から公式戦も開催されており、2012年は高知市野球場に次ぐ4試合の開催が予定されている。

リーグが発足した2005年の初代優勝チームである。

成績

シーズン

年度 監督 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 打率 防御率 本塁打
2005 藤城和明 1 90 46 31 13 .597 6.5(注) .237 2.39 20
2006 藤城和明 1 45 27 13 5 .675 5.0(注) .263 2.51 23
藤城和明 2 44 24 17 3 .585 5.5
2007 藤城和明 3 45 19 22 4 .463 10.0 .246 3.25 28 
藤城和明 3 45 21 19 5 .525 6.5
2008 定岡智秋 2 40 22 16 2 .579 5.0 .257 2.98 21 
定岡智秋 2 40 22 15 3 .595 1.0
2009 定岡智秋 5 40 17 21 2 .447 7.0 .284 3.06 49 
定岡智秋 1 40 22 12 6 .647 2.5(注)
2010 定岡智秋 2 38 22 9 7 .710 0.5 ---- ---- -- 
定岡智秋 4 38 16 19 3 .457 8.5
2011 定岡智秋 4 32 12 16 4 .429 9.0 ---- ---- -- 
定岡智秋 4 32 11 19 2 .367 9.0

※金地は優勝

  • 注:2位とのゲーム差

リーグチャンピオンシップ

  • 2006年 - 1勝3敗(対戦は香川)
  • 2009年 - 総合優勝(3勝0敗:対戦は長崎)
  • 2010年 - 0勝2敗(対戦は香川。香川は前後期制覇のため1勝のアドバンテージがあり、2勝で優勝)

グランドチャンピオンシップ

歴史

2005年(1年目)

  • 2005年のシーズンは、開幕ゲームで愛媛マンダリンパイレーツのエース・西山道隆(現・福岡ソフトバンクホークス)を攻略して勝利をおさめ、開幕ダッシュに成功した。その後、香川オリーブガイナーズ徳島インディゴソックスに首位を譲るもすぐに巻き返し、記念すべきリーグ初代チャンピオンに輝いた。投手陣は前半戦活躍した高梨篤、シーズン11勝の相原雅也を筆頭に豊富な持ち駒をほこる。打撃陣は杭田考平、山本健士宮本裕司の中軸がチームを引っ張り、シーズンを通して貢献した。シーズン当初は高知県出身選手がいなかったが、観客動員を増やす目的もあり、シーズン途中で高知県出身選手を追加入団選手の中に含めた。観客数は、合計30283人。1試合平均673人だった。
    • 高知県・室戸広域公園野球場では、高知球団ホーム分45試合中3試合が行なわれた他に、徳島県・鳴門球場から会場変更されてプラス2試合が行なわれたが、これは徳島球団のホーム分であり、上の集計には含めない。

2006年(2年目)

  • 前年の主力メンバーがほぼ残留し、また、新加入の山本伸一を中心に機動力を駆使した攻撃で相手を圧倒した。守備面では國信貴裕、梶田宙を中心に堅守で投手を盛り立て、接戦をものにした。2006年シーズン前半は前年に続き、開幕ダッシュに成功して優位に戦いを進めた。5月に投手陣が調子を崩し、香川に首位を明け渡したが、6月3日の香川との直接対決で高梨がノーヒットノーランを達成し、チームに勢いがついた。その後は、引き分けを挟んで11連勝の快進撃で他のチームを寄せ付けなかった。6月29日の対徳島戦に勝利し、前期優勝(2006年シーズンは前期、後期の2シーズン制)を達成した。2006年シーズン後半は選手育成を主眼に置いた采配で戦いを進めた。その為、出場の機会が少ない控え選手を先発メンバーに使う試合が増えた。それでも投手陣の三本柱の高梨、相原、上里田光正が安定した投球で試合を作り、後半戦も強さを見せつけた。終盤に入り、首位を独走した香川に猛追したが及ばず、後期は2位となった。個人タイトルでは相原が17勝を挙げ最多勝、上里田が11セーブで最多セーブポイント、山本伸一が36盗塁で盗塁王をそれぞれ獲得した。観客動員は22448人で1試合平均は510人だった。
  • 年間総合優勝を賭けた2006年リーグチャンピオンシップは後期優勝の香川との対決となった。結局1勝3敗で敗れ、2年連続の年間総合優勝を逃した。ホームでの第1、2戦に相原、高梨の左右両エースを立てながらミスが絡み、2試合とも落としたことが最後まで響いた。
  • 2006年11月21日に行われたプロ野球ドラフト会議角中勝也千葉ロッテマリーンズからドラフト7巡目で指名を受け、プロ入りの切符を手にした。

2007年(3年目)

  • 故障者の発生等もあり、前後期とも3位で初のBクラスに終わる。2年連続のリーグチャンピオンシップ進出はならなかった。個人タイトルの獲得者も発足以来初めて出なかった。また、後期途中の9月にチームの存続を巡る議論が浮上し(後述)、関係者やファンに動揺を招いた。
  • 2007年11月19日に行われたドラフト会議で、小山田貴雄東京ヤクルトスワローズ宮本裕司白川大輔が千葉ロッテマリーンズに、それぞれ育成選手枠で指名された。(*宮本裕司は2009年3月30日に支配下登録された)
  • 同じく11月19日に来シーズンの監督に定岡智秋、コーチに宮崎一彰が就任することが発表された。なお、宮崎については後日、選手を兼任することが明らかにされた。リーグでコーチと選手を兼任するのは初めて。

2008年(4年目)

  • リーグ拡張に合わせて他の四国3チームとともにユニホームのデザインが変更される。
  • 2008年3月、リーグ初の6球団トーナメント(阿南市長杯)で長崎セインツと徳島インディゴソックスを破って決勝に進出したが、決勝戦が雨天で中止となったため、対戦予定だった愛媛マンダリンパイレーツと両チーム優勝となった。
  • 2008年のシーズンは、監督・コーチが全員交代した上、選手もNPB入りや九州のチームへの分配ドラフト等で3分の2が前年と入れ替わるという状況でスタート。開幕直後は負けが先行したが、5月以降先発の西川徹哉野原伸二郎や抑えの上里田ら投手陣が安定した成績をあげた。前期は優勝した香川に大きく負け越して独走を許したものの、3期ぶりのAクラスとなる2位となった。後期は開幕から4連勝をマークするなど優位にペナントレースを進めたが、後半急激に追い上げた愛媛・香川に福岡を加えた激しい首位争いに敗れ、2年ぶりの半期優勝はならなかった。順位は前期に続いて2位であった。個人タイトルでは西川が最多勝と最多奪三振、上里田が最優秀防御率と最多セーブを獲得して投手部門のタイトルを独占、山本伸一が2年ぶりの盗塁王となった。シーズン終了後、宮崎コーチは退団し、後任には佐伯和司の就任が決まった。
  • 経営者の変更に伴って地域に密着した営業活動を展開し、リーグからの分配金を除く収入は前年よりも2千万円以上増やした[3]。観客動員は主催40試合で13513人(1試合平均338人)と、前年(1試合平均562人)の6割であるが、これに関しては前年までリーグの慣行にならって含めていた「選手・スタッフ・ボランティア」を含めるのをやめて実数とした点や無料券の配布を減らした点を考慮する必要があり、入場料収入は増加しているという[4]

2009年(5年目)

  • 前年の主力投手である上里田、西川が抜け、ベネズエラ出身で長打力のあるカラバイヨや元NPBの投手ドミンゴ・グスマンなど積極的な補強策を行った。しかし、ドミンゴら故障者の発生もあって投手の不足に苦しみ、前期はチームワーストの5位となった。前期途中に急遽投手のトライアウトを実施したほどであった。8月になって元阪神タイガース伊良部秀輝が入団。8月23日のリーグ公式戦での初登板の試合では、今シーズンの主催ゲームで初めて入場者数が1000人を突破した。しかし、伊良部は腱鞘炎の悪化を理由に9月14日付で自ら契約の解除を申し出たため、登板は2試合にとどまった。後期は6月に加入した元阪神タイガースの伊代野貴照が抑えとして定着し、吉川岳ら他の投手の起用法が確立したことに加え、カラバイヨをはじめとする打撃陣がかみ合って香川などとの激しい首位争いを勝ち抜き、9月20日の香川戦に勝って3年ぶりの半期優勝となる後期優勝を達成した。
    個人タイトルは吉川が最多勝と最多奪三振の二冠、打撃部門でもカラバイヨが本塁打王と打点王の二冠のほか、山本伸一が2年連続の盗塁王を獲得した。
  • リーグチャンピオンシップでも前期優勝の長崎を寄せ付けず、3勝0敗で4年ぶりの年間優勝を達成した。前後期制となってからは初めて。
  • 初出場のグランドチャンピオンシップはビジターで王手をかけた後、ホームゲームで連敗したが、第5戦に勝利して初優勝した。
  • 公式戦の主催40試合の入場者数は16455人(1試合平均411人)と前年より3000人近く増加した。リーグ全体では減少した中、前年より増加した数少ない球団(ほかには長崎のみ)となった。

2010年(6年目)

  • 前年の2冠王であるカラバイヨや盗塁王の山本伸一が退団し、攻撃力の低下が懸念された。前期は吉川や野原慎二郎を中心とした投手力で守り勝つスタイルが効を奏し、5月から6月にかけて12連勝を達成、香川を抜いて首位に立つ。しかし終盤巻き返した香川に逆転を許し、「勝てば優勝」だった香川との最終戦に引き分けて2位に終わった。後期は主力選手に故障者が続出して優勝争いからは脱落したが年間勝率2位を守り、香川が前後期連覇したため2年連続してリーグチャンピオンシップに出場することになった。個人タイトルは安田圭佑が盗塁王となった。
  • 投手コーチの佐伯和司が「体調不良」を理由に9月30日付で辞任し、チャンピオンシップでは前年在籍した伊代野貴照が臨時コーチを務めることになった。チャンピオンシップは2試合とも1点差で競り負け、2年連続の年間総合優勝はならなかった。
  • 入場者数は15281人(1試合平均402人)と1試合平均で約2%前年より減少した。ただし、他の球団が20%以上の減少率であった中、前期の優勝争いの最中の6月土日のホームゲームを多く流したにも関わらず、1試合あたりの減少率はリーグ5球団でもっとも少なかった[5]
  • 10月28日のドラフト会議で安田圭佑が福岡ソフトバンクホークスから育成1位で指名された。NPBドラフトでの指名者は3年ぶりとなる。
  • シーズン終了後に山田コーチも退任が決まり、コーチは2名とも交代することとなった。12月17日に打撃コーチに元福岡ソフトバンクホークスの辻武史の就任が決まった。

2011年(7年目)

  • 3月10日に投手コーチに田村政雄が就任する事が決まった。
  • 当シーズンより、日曜のホームゲーム限定で赤が主体の「サンデーユニホーム」を使用している。複数のデザインのユニホームを併用するのは、リーグでは徳島に次ぎ2チーム目。
  • 前期は序盤上位にいたが、投手陣が不調で順位を下げ4位となる。後期も状況は変わらず、前期に続いて4位に終わった。通算で勝率5割を切るのは2007年以来となる。個人タイトルは新人の迫留駿が本塁打王、流大輔が盗塁王を獲得した。
  • 10月27日のNPBドラフト会議で、飯田一弥が福岡ソフトバンクホークスから育成枠7位で指名を受けた。
  • シーズン終了後、前年に続いて2人のコーチはともに退任した。

2012年(8年目)

  • 退任したコーチの後任には、2011年12月17日に投手コーチとして吉田豊彦[6]、2012年1月31日に総合コーチとして弘田澄男[7]、2月29日に高柳秀樹の野手コーチ就任[8]がそれぞれ決まった(弘田は球団アドバイザー兼任)。

経営環境

2007年の存続問題

2006年よりアイランドリーグの各チームは、それまでのIBLJの直接保有から独立した会社組織へと体制変更した。その中で、高知だけは2007年シーズンまで地元からの出資がなくIBLJの全額出資のままであった。チームの経営安定化のために出資者の確保が求められ、2007年6月に千葉ロッテマリーンズボビー・バレンタイン監督が「アイランドリーグのチームの買収を検討中」とコメントしたと報じられた(その後ロッテ球団側が否定)際にも、マスコミに候補として名があがった。

2007年9月、IBLJの鍵山誠社長は、経営者を一般公募することを発表した。その理由としては、年間7千万円になるチームの赤字をリーグで負担することが困難になってきていることが挙げられている[9]。仮に引き受け手が現れなかった場合、最悪のケースではチームの休止もあり得る状況となっていたが[10]、2007年10月22日、大阪府の不動産会社タップの北古味鈴太郎社長(高知県出身)がオーナーとなり、大阪府の整水器メーカー日本トリム(創業者が高知県出身)がメインスポンサーとなることが発表された。また球団代表兼ゼネラルマネジャーにプロ野球阪神タイガース藤川球児投手の兄である藤川順一が就任することも合わせて決定した。

チーム休止の危機はひとまず回避されたが、北古味新オーナーはチームの運営を「当面2年」と表明し、この間に運営状況が好転しなければ存続問題が再燃する懸念が残された形となった[11]

その後

新体制となった2008年は「歴史」の箇所に記したように、観客動員数自体は減少したが収入は増加となった。

経営上での懸案事項である球場の照明設備については、2009年3月に尾崎正直知事が高知市などと本格的な検討に入ることを表明し、これを受けて同年4月に高知市は検討委員会を発足させた。検討委員会は同年11月20日に高知県立春野運動公園野球場を照明設置の第一候補と決定した。予算が付き次第2010年度に着工すると報じられた[12]。その後、2010年8月の県と市の連携会議で、高知市野球場にナイター設備を2012年春に設置することで合意し[13]、すでに記したように予定通り2012年のシーズンよりナイター開催が可能となった。

また、2009年4月には越知町佐川町が連携して球団への支援(選手に対する住居の提供や試合の開催)を行う構想を明らかにした[14]。シーズン終了後の12月に、球団と両町の間で協定が結ばれ、越知町は練習場、佐川町は住居をそれぞれ無償で提供することが決まった[15]。両町は、隣接する仁淀川町も支援に加わるよう呼びかけるという。

2009年10月30日のリーグ首脳の記者会見によると、2009年度は8300万円の売上高に対して収支は1600万円の赤字となる見込みで、赤字額はリーグ6球団では最も少ない[16]。11月5日に日本トリムのスポンサー契約が1年延長されることが球団から発表され、存続が正式に決まった[17]。2010年の参加について、北古味オーナーは「各方面から存続を期待する声が多く、社会的な責任もあると考えた」と述べる一方、武政重和球団社長は「運営に必要な収入はまだ十分固め切れていない」とも話した[18]

今後の球団運営活性化のために、尾崎知事は行政や経済界・市民などによる「県民会議」を設立する方針を明らかにし、11月21日に準備会の会合が開かれた。2010年1月30日、「高知ファイティングドッグス(FD)を応援する県民会議」の設立総会が開かれた。70の団体、企業や個人が参加し、会員は経営安定化に協力するとしている[19]。一方、独立運営化以来球団代表兼ゼネラルマネージャーを務めた藤川順一が辞任したことが、1月31日に発表された。後任は未定。

2010年度は上記のように観客動員は前年比で微減であったが、リーグの鍵山CEOは赤字ながら過去最高収益となる見込みであること、有料入場者数は9割を越え、前年より増加していることを述べている[20]。武政球団社長は「来季は経営黒字化のめどが立った」と新聞で語った[21]。2011年2月24日のリーグ首脳による記者会見では、2010年度の収支は5百万円の赤字という予測が公表された[22]。同記者会見では2011年度の収支目標はプラスマイナス0としている。また、越知町・佐川町の支援は越知町は2010年に練習場などに4000万円を投資、新たな支援策も検討している[21]

2011年11月4日に開かれた県民会議の総会で、2011年度の収支は創設以来初の黒字となる見通しであることが報告された[23]。その後2012年2月29日に開催された記者会見で黒字額は61万2000円となったことが発表された[24]

2011年のシーズンは、同じリーグの徳島から運営業務(会場設営やイベント企画、グッズ販売など)を受託した[25]。これは高知の運営ノウハウを伝えるとともに、2012年度より開始のナイター運営を学ぶ目的から実施された。

マスコット

マスコットキャラクターはチーム名と同じく土佐犬をイメージしたもので、名前は「ドッキー」。ユニフォームの帽子に顔の部分がデザインされている。四国アイランドリーグ時代はリーグ4チームの中でユニフォームにマスコットをあしらっている唯一のチームであった(2008年からは福岡レッドワーブラーズがマスコットとロゴを組み合わせたマークを使用)。ホームゲームでは着ぐるみも登場する。

応援スタイル

スタッフ・選手

選手・スタッフについては高知ファイティングドッグスの選手一覧を参照。

スタッフ

  • トレーナー
    • 鴨川和幸
  • 発足時に須藤豊がアドバイザリースタッフに就任したが、その後退任し、現在同ポストは空席となっている。

脚注

  1. ^ 2006年には1試合を岡山県営球場で開催したことがある。本文に記載した球場も年度によっては試合のないケースがあり、安芸市営球場は2009年と2010年、土佐山田スタジアムは2010年の開催がなく、春野運動公園野球場は2010年以降開催なしになっている。
  2. ^ ただし、高知市野球場でのゲームでは21時30分を過ぎて新しいイニングには入らず、9回まで終了していなくても同点の場合は引き分けとするルールが定められている[1]
  3. ^ 高知新聞2008年11月6日
  4. ^ 高知新聞2008年11月9日
  5. ^ FD 集客健闘高知新聞2011年10月22日
  6. ^ 高知FD 新投手コーチ決定のお知らせ 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2011年12月17日)
  7. ^ 高知FD 球団アドバイザー 兼 総合コーチ就任四国アイランドリーグplusニュースリリース(2012年1月31日)
  8. ^ 高知FD 野手コーチ就任のお知らせ四国アイランドリーグplusニュースリリース(2012年2月29日)
  9. ^ [2]
  10. ^ [3]
  11. ^ [4]
  12. ^ “県立春野球場:延長戦もゆっくり観戦 ナイター設備、来年度中にも着工へ”. 毎日新聞. (2009年11月21日). http://mainichi.jp/area/kochi/news/20091121ddlk39040502000c.html 
  13. ^ “高知球場にナイター整備”. 高知新聞. (2010年8月25日). http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=263713&nwIW=1&nwVt=knd 2011年2月16日閲覧。 
  14. ^ 高知新聞2009年4月25日
  15. ^ 読売新聞2009年12月19日
  16. ^ 四国新聞2009年10月31日
  17. ^ 読売新聞2009年11月6日
  18. ^ 高知新聞2009年10月31日
  19. ^ 高知新聞2010年1月31日
  20. ^ 野球西国巡り第116回 - SPORTS COMMUNICATIONS(2010年12月21日)
  21. ^ a b 密着交流 ファン開拓読売新聞(高知版)2010年12月22日
  22. ^ 四国ILplus 2011シーズン開幕前記者会見のご報告リーグオフィシャルウェブサイト
  23. ^ 読売新聞高知版2011年11月5日
  24. ^ 高知新聞2012年3月1日
  25. ^ インディゴソックス、試合運営を高知に委託徳島新聞2011年3月1日

関連項目

外部リンク