鈴木貴男

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鈴木貴男
Takao Suzuki
鈴木貴男(2008年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道札幌市手稲区
生年月日 (1976-09-20) 1976年9月20日(47歳)
身長 175cm
体重 72kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1995年
引退年 2021年
ツアー通算 1勝
シングルス 0勝
ダブルス 1勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(2005)
全仏 予選3回戦(1998・2002)
全英 2回戦(2003)
全米 1回戦(1999・2004)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(2005)
全英 予選1回戦(1998)
全米 予選1回戦(1998)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 102位(1998年11月23日)
ダブルス 119位(2005年11月7日)

鈴木 貴男(すずき たかお、1976年9月20日 - )は、北海道札幌市手稲区出身の元男子プロテニス選手、YouTuber。自己最高ランキングはシングルス102位、ダブルス119位。現所属はTeam REC。身長175cm、体重72kg、右利き。フォア・バックともストロークは片手打ちであるが、14歳時までは両サイド両手打ちで、それから変更したという異色の経歴を持っている。現在はテニスチャンネル「スターテニスアカデミー」のメインMCも担当している。

略歴[編集]

堀越学園高時代、インターハイで3冠(単複・団体)を達成。卒業と同時にプロに転じ、1995年の全日本室内選手権・サテライトサーキット第3戦で優勝。同年からデビスカップ日本代表にも選出され、“ポスト松岡修造”として将来を大きく嘱望される。1996年アトランタ五輪に日本代表選手として出場。その後、1996年1997年全日本テニス選手権男子シングルスで2連覇を達成する。1998年にはチャレンジャーで3勝、ストックホルム・オープンではベスト8に進出した。1999年全豪オープンウィンブルドン全米オープンの3大会で本戦出場を果たし、全豪の1回戦では世界ランキング3位のアレックス・コレチャとフルセットにもつれこむ激戦を演じた。

その後故障で休養を余儀なくされたが、2000年にチャレンジャーで4大会連続優勝を果たす。翌2001年デビスカップでは、タイパラドーン・スリチャパンを破り、日本チームの2回戦進出に貢献する。同年のAIGジャパンオープンでは、1989年全仏オープン優勝者のマイケル・チャンを破り、日本人として松岡修造以来13年ぶりのベスト8進出を果たした。同大会では2002年・2003年もベスト16に進出。2003年ウィンブルドン選手権では、日本人選手として松岡以来7年ぶりの4大大会本戦での勝ち星を挙げ、1回戦でディック・ノーマンを破ったが、続く2回戦でカロル・クチェラに敗れた。

2004年デビスカップインド戦では74年ぶりの勝利に貢献する。2005年全豪オープンでは、1回戦でアメリカのジャン・マイケル・ギャンビルをストレートで下し、同大会で松岡以来16年ぶりの勝利を挙げると、2回戦でも前年優勝者のロジャー・フェデラーと好試合を展開した。ダブルスでは盧彦勳とペアを組み、ユルゲン・メルツァー/アレクサンドル・ワスケ組との3回戦まで進出した。これは1968年のオープン化(プロ解禁)以来では、日本男子としての4大大会男子ダブルス最高成績になる。同年のAIGジャパンオープンテニスでは岩渕聡とダブルスを組み、決勝でシーモン・アスペリン/トッド・ペリー組をストレートで破り、1970年の現行男子ツアー制度導入後、日本選手が組んだペアでは初のツアー優勝を飾った。

2006年AIGジャパンオープンでは男子シングルス準々決勝に進出したが、当時世界ランキング1位のロジャー・フェデラーに6-4, 5-7, 6-7で敗れた[1]。この後、鈴木は世界ランキングを1078位から459位まで戻した。2007年の全日本選手権では、2連覇中だった岩渕聡、若手の添田豪を押さえ、久々の男子シングルス優勝を飾った。

デビスカップでも長く活動を続け、デビスカップ日本代表の全ての記録において代表歴代1位を保持している。

シングルス・ダブルスともに、日本人選手としては注目すべき実績を残しているが、相次ぐ怪我に悩まされ、ATPランキングトップ100入りは未だに果たしていない。シングルスのキャリアハイ(102位)は、ATPランキング制度採用後の日本人選手では歴代12位であり、20世紀にプロデビューを果たした選手に絞ると、松岡修造九鬼潤坂井利郎神和住純についで歴代5位となる。

松岡とともにサーバーとしての評価が高く、身長175cmとテニス選手としては左程大柄な体型ではないものの、そのサーブのスピードは時速200キロを超える[2]。サーバーとしての総合的な能力を数値化したATPのサーブレーティングランキングでも、世界歴代64位にランクインしており、日本人選手では松岡・錦織圭らを抑えて歴代1位である[3]

ATPツアー決勝進出結果[編集]

ダブルス: 1回 (1勝0敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2005年10月9日 日本の旗 東京 ハード 日本の旗 岩渕聡 オーストラリアの旗 トッド・ペリー
スウェーデンの旗 シーモン・アスペリン
5-4(7-3), 5-4(15-13)

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 通算成績
全豪オープン LQ A LQ 1R LQ 1R LQ LQ LQ 2R LQ A LQ A LQ 1–3
全仏オープン A A LQ LQ A A LQ LQ LQ LQ A A A A A 0–0
ウィンブルドン A A LQ 1R A LQ LQ 2R LQ LQ A LQ A A A 1–2
全米オープン A A LQ 1R LQ LQ LQ LQ 1R LQ A LQ A A A 0–2

著書[編集]

  • 試合に勝つテニス 鈴木貴男のサーブ&ボレーレッスン(実業之日本社

脚注[編集]

  1. ^ フェデラーが世界ランク100位以下の選手にセットを失ったのは、2005年のモンテカルロ・マスターズで当時世界ランク101位のリシャール・ガスケに敗れて以来、実に1年半ぶりの事であった。
  2. ^ Vol.1 トッププロの技術研究 → 鈴木貴男編 Vol.1 サーブは両足をステップして体重移動とリズムを作る
  3. ^ Serve Leaders Versus All Players On All Surfaces For 52 Weeks - ATP TOUR

外部リンク[編集]