鈴木仙八

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鈴木 仙八(すずき せんぱち、1899年8月19日 - 1967年5月14日)は、日本政治家自由民主党衆議院議員(5期)。

来歴

1899年東京府北豊島郡王子村(現東京都北区)に鈴木八五郎の三男として生まれる。王子町議、東京市議東京府議を歴任する。1942年第21回衆議院議員総選挙では非推薦で立候補して落選した。翌年、東京都発足による第1回東京都議会議員選挙では王子区から立候補して当選した。1946年第22回衆議院議員総選挙東京都第1区(当時)から日本自由党公認で立候補して初当選。鳩山一郎派に属した。1947年第23回衆議院議員総選挙からは、東京都第5区で立候補した。第1次吉田内閣商工参与官第3次吉田内閣建設政務次官、衆議院決算委員長を歴任した。1961年日本国憲法下で唯一可決された不信任決議である、久保田鶴松衆議院副議長への不信任決議案を提出した。

1963年第30回衆議院議員総選挙で落選、政界を引退した。この他自民党東京都連副会長、日本身体障害者団体連合会の初代会長、王子百貨店社長などを務めた。1967年死去。

人物

  • 隻眼で、常に片眼に眼帯をしていたと伝えられる。同じ自由党の高橋英吉と風貌がよく似ていたらしく、吉田茂が高橋を鈴木と間違えたというエピソードがある[1]

脚注

  1. ^ 小説永田町の争闘. 角川文庫 

参考文献

議会
先代
荒舩清十郎
日本の旗 衆議院決算委員長
1961年 - 1962年
次代
津雲国利