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金華山灯台

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金華山灯台
金華山灯台
金華山灯台
金華山灯台の位置(宮城県内)
金華山灯台
航路標識番号
[国際標識番号]
1728 [M6546]
位置 北緯38度16分35.78秒 東経141度35分2.66秒 / 北緯38.2766056度 東経141.5840722度 / 38.2766056; 141.5840722座標: 北緯38度16分35.78秒 東経141度35分2.66秒 / 北緯38.2766056度 東経141.5840722度 / 38.2766056; 141.5840722
所在地 宮城県石巻市鮎川浜金華山
塗色・構造 白色 塔形 石造(花崗岩)
レンズ 第2等フレネル
灯質 単閃赤白互光
毎20秒に赤1閃光白1閃光
実効光度 320,000 cd
光達距離 20海里(約 37 km
明弧 189度から45度まで
塔高 12.82 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 54.6 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1876年明治9年)11月1日
管轄 海上保安庁
第二管区海上保安本部
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金華山灯台(きんかさんとうだい)は、宮城県石巻市牡鹿半島の先端から1キロメートル沖合いに浮かぶ金華山の東岸の断崖絶壁に立つ白亜の灯台である。リチャード・ブラントンにより設計された、いわゆる「ブラントン灯台」の一つである。初点灯は1876年明治9年)11月1日である[1]日本の灯台50選に選ばれている[2]

特徴

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金華山灯台は、沖合を進む北海道及びアメリカ合衆国へ向かう船舶にとって、非常に大きな目印となる灯台である。特に、北アメリカ航路の船舶は、シアトルサンフランシスコを出港すると、ひたすら金華山灯台を目指すコースで太平洋を航行する。これらの船舶にとって金華山灯台が初めて目にする日本であり、遠くに輝く灯火を見て、船舶乗組員は日本にたどり着いた感慨に浸るという。

船舶気象通報(灯台放送)・無線方位信号所及びディファレンシャルGPS局が灯台に併わせて設置され、運用されていた。

海上保安庁の職員は、仙台航空基地所属のヘリコプターでこの灯台へ定期的にやって来る。

歴史

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金華山灯台は1874年(明治7年)に着工され、1876年(明治9年)5月に竣工した[3]。斜面だったところを切り出して作られた平地に灯台は建設された。工費は4万6865円10銭04厘だった[4]

この灯台の設計者は、イギリスの土木技術者で、日本の灯台建設のために明治政府のお雇い外国人となっていたリチャード・ブラントンである。ただ、金華山の対岸の町である鮎川には、ブラントンに関する記録や痕跡がなく、建設当時のブラントンの様子などは不明である[3]。また、ブラントンはこの灯台の完成前に帰国した[4]。金華山灯台は竣工した年の11月1日に点灯を始めた[1]。当時の金華山灯台の灯器はドーテー式四重芯火口で、一等級扱いだった[3]。1897年(明治30年)の宮城県沖地震で光源である火口灯器が破損し、翌年の復旧時に第二等レンズと水銀槽回転式に変更された[4]。また当初用いられていたフランス製の第一等不動レンズは1923年に北海道の神威岬灯台へ移設されている[5]

太平洋戦争中には、金華山灯台は連合国軍の標的とされた。1945年(昭和20年)7月26日、灯台の沖合に浮上した潜水艦が灯台に対して艦砲射撃を行い、灯台長が殉職し、吏員退息所や霧笛舎、無線施設に被害が出た。また、同年7月から8月にかけて航空母艦艦載機による銃爆撃が何度か行われ、灯台諸施設が被弾したが、人的被害はなかった[6]

2005年(平成17年)にここの滞在管理が終了し、金華山灯台は無人化された[4]

アクセス

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石巻駅から鮎川行きのバスに乗り、終点下車。鮎川港から金華山の観光定期船に乗って上陸。灯台までは徒歩で1時間30分。島内全島は神域であり、環境保護地域である。

脚注

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  1. ^ a b 金華山灯台”(燈光会)2019年9月21日閲覧。
  2. ^ あなたが選ぶ「日本の灯台50選」”(燈光会)2019年9月21日閲覧。
  3. ^ a b c 『牡鹿町誌』下巻332-333頁。
  4. ^ a b c d 灯台150周年記念誌『海を照らして150年~航路標識の歴史と現在~』48-49頁。 (PDF) ”(海上保安庁)2019年9月21日閲覧。
  5. ^ 60年ぶりに里帰りした国内唯一の灯台レンズが一般公開!【北海道積丹町 神威岬灯台】 - 海と灯台プロジェクト(日本財団)
  6. ^ 『牡鹿町誌』下巻346頁。
  7. ^ 明治9年10月2日工部省布達第17号(『法令全書 明治9年』内閣官報局、pp.1343-1345.
  8. ^ 法令全書. 明治12年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月20日閲覧。
  9. ^ 逓信省告示第868号. 官報. 1907年12月24日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
  10. ^ 逓信省告示第274号. 官報. 1932年02月16日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月19日閲覧。
  11. ^ 逓信省告示第2273号. 官報. 1932年12月14日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月18日閲覧。
  12. ^ 運輸省告示第41号. 官報. 1946年02月09日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月19日閲覧。
  13. ^ 海上保安庁告示(航)第42号. 官報. 1950年10月21日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月19日閲覧。
  14. ^ 海上保安庁告示(航)第20号. 官報. 1951年05月19日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月19日閲覧。
  15. ^ 昭和26年運輸省告示第260号. 官報. 1951年10月27日”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2021年11月16日閲覧。
  16. ^ 無線方位信号所(レーマークビーコン)廃止計画 (PDF) ”(海上保安庁)2019年9月28日閲覧。
  17. ^ 海上保安庁が実施する情報提供業務の一部終了について(PDF) - 海上保安庁交通部 (2016年5月) ※茨城県水産試験場漁業無線局ホームページでの掲載(2016年7月12日閲覧)
  18. ^ ディファレンシャルGPSの廃止について” (PDF). 海上保安庁 (2017年6月30日). 2019年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月7日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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