網太

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網太株式会社
AMITA COMPANY
AMITA LOGO
網太株式会社 本社
網太株式会社 本社
種類 株式会社
略称 アミタ
本社所在地 日本の旗 日本
441-3111
愛知県豊橋市原町貉山字1-3[1]
設立 1934年(昭和9年)
業種 製造業
法人番号 6180301004973 ウィキデータを編集
事業内容 編網機の製造販売
代表者 山本善嗣
資本金 4400万円
主要子会社 株式会社アミタエンジニアリング
外部リンク 網太株式会社
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網太株式会社(あみた、英: AMITA COMPANY)は、愛知県豊橋市原町1-3[1]に本社を置く日本の編網機メーカー。

主に漁網用の有結網を生産する編網機を製造するメーカー。

概要

創業1817年から200年を迎える編網機のパイオニア。60か国以上に輸出している。

沿革

1817年(文化14年) 現在の愛知県知多郡豊浜の地にて、現会長山本善嗣の先祖、山本家6代目の山本太次兵衛麻網の製造販売を開始。
1900年(明治33年) 豊橋に支店開設、これを創立の年としている。
1934年(昭和9年) 会社組織に変更し、合資会社山本安太郎商店とする。資本金25万円。
1937年(昭和12年) 網太式編網機を68台製作して、蛙股漁網製造工場を建設。輸出部を設けて漁網の海外輸出開始。
1943年(昭和18年) 代表社員に現会長の父山本貞就任、同年編網機の修理工場として有限会社網太鉄工所設立。
1945年(昭和20年) 太平洋戦争により全工場焼失。戦前の活動を要約すると、本目網業者として、愛知静岡両県下の数十軒の業者をその傘下に収め、日本国内の網の相場も網太の建値で決まったという[要出典]
1946年(昭和21年) 名称を網太製網合資会社と改称。
1949年(昭和24年) 戦前設備の大半を再建し、資本金を250万円に増資。同年アミタ横本目網機を完成し、編網機の製造販売という新しい事業の歴史が始まる。
1951年(昭和26年) 昭和26年から27年にかけて、タイフィンランド東パキスタン(現バングラデシュ)・台湾米国ブラジルに計13台のアミタ編網機を輸出。
1954年(昭和29年) ナイロン漁網の生産開始。
1957年(昭和32年) 独ハンブルクに於けるFAO主催の国際漁具会議にて、アミタDKA型蛙股シングル・ダブルノット兼用編網機を展示実演。
1963年(昭和38年) 英国ロンドンに於ける世界漁具見本市にモノフィラメント[2]漁網製造用機械を展示、モノフィラメント[2]ダブルノット漁網製造のパイオニアとしての地位を確立。
1967年(昭和42年) MTA型高速編網機完成。この高速機の出現を契機として、世界中の編網機の高速化が始まる。国内特定メーカーに編網機販売。
1980年(昭和55年) ヨーロッパに於ける世界漁具見本市に大型トロール用GTA型編網機・RAMIKロープ機を展示。
1985年(昭和60年) メカトロニクスを採用した高速・高性能のYSA型編網機、AW型全自動文銭巻機、AB型プログラマブル自動耳糸交換機を完成し、編網工程の無人化システムを発表する。
1986年(昭和61年) 取締役社長に山本善嗣が就任。NBA型編網機完成。
1993年(平成5年) 中華人民共和国上海市に技術サービスと部品供給を目的とし、「上海網太織網機服務中心」を開設。イランテヘランで行われたSHI LAT’93見本市にYSAとAWDを展示。
1994年(平成6年) 高速編網機NSBを開発。ベトナムハノイ日本工業見本市にNSAとAWDオートマチックワインダーを展示。
1995年(平成7年) 新型GTA 50-10, 25-20を開発。ヨーロッパに輸出される。
1996年(平成8年) 上海見本市が開かれ好評を博す。NSXと第5世代目NSSが開発される。第2世代のモニタリングシステムを開発。NTAとNTSが最新モデルにアップデートされ、8ミリの610シャットル機が開発される。
1997年(平成9年) インド チェンナイ(かつての マドラス)に技術サービスと部品供給を目的とし、”Amita Technical Company Private Limited” を開設。 汎用型自動文銭巻機AWE大型文銭用タイプを開発。AWEがシリーズ化。
2000年(平成12年) 網太よりアミタマシーンズへ営業権譲渡。製造・販売をアミタマシーンズへ一体化。
2001年(平成13年) アミタテクニカルサービス開設。新型MSA・新型YSAを開発。新社屋移転。
2002年(平成14年) ポルトガルにてYSA 22-20展示。
2004年(平成16年) 新型 MSB・MSCを開発。アミタにて MSB7-50・MSC9-40UK・AWDデモにて好評を博した[要出典]
2005年(平成17年) 扱い安さを追求した新型 MSVを開発。(耳糸対応・巾替掛替の簡略化対応)9月 MSB7-60開発。
2007年(平成19年) 網太より営業権譲渡を受け、アミタエンジニアリング設立される。8月 MSE6-60Sを開発。
2010年(平成22年) 8月 MSW9-60を開発。
2013年(平成25年) 網太社屋屋根に太陽光発電を設置。
2014年(平成26年) 6月MSW22-25を開発。
2015年(平成27年) 三世代目のGTAを開発。2軸サーボ装置を追加。
2016年(平成28年) 12月 MSE6-80SとMSW 14-40を開発。工場の水銀灯をLED化。
2017年(平成29年) インドATC新工場完成。

主な製品

  • 編網機
  • 文銭巻機
  • 縦引機
  • 横引機
  • モニタリングシステム

社名の由来

  • 代表取締役 山本善嗣の先祖である山本太次兵衛からの屋の次兵衛より由来。

ミュージアム

本社敷地内に編網機や網の歴史が見られるミュージアムが設置されている[3]

グループ企業

株式会社アミタマシーンズ

  • 設立:2008年平成20年
  • 資本金:800万円
  • 日本の旗 日本
  • 本社・工場:〒441-3111 愛知県豊橋市原町貉山字1-3[1]
  • 事業内容:アミタ編網機並びに付属機械・産業用ロボット・産業機械・治工具等の開発・製造・販売、及びそれらに関する自動制御システム・ソフトウェアの開発。各種網製品・撚糸・ロープの販売。

AMITA TECHNICAL COMPANY PVT LTD (ATC)

  • 設立:1997年平成9年
  • インドの旗 インドチェンナイ
  • 本社・工場: No.G-106, SIPCOT Industrial Park,Vallam Vadagal Village, Sriperumbudur Taluk, kanchipuram District- 602105
  • 事業内容:編網機及び関連機器のメンテナンス等の技術サービス。編網機及び関連機器の部品・製造販売。編網機の販売仲介。

参考文献

脚注

  1. ^ a b c 事業所在地”. 網太株式会社. 2017年1月1日閲覧。
  2. ^ a b モノフィラメント”. コトバンク. 2017年10月11日閲覧。
  3. ^ MUSEUM”. AMITA. 2017年10月28日閲覧。

関連項目

外部リンク