紺野秀樹

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紺野秀樹(こんの ひでき、Hideki Konno1965年5月13日 - )は、千葉県出身のゲームクリエイター任天堂情報開発本部制作部第1グループマネージャー。スーパーマリオシリーズ及びマリオカートシリーズの製作者の一人であり、マリオカートシリーズの生みの親としても知られる。

経歴

ゲームクリエイターを夢見て、日本電子専門学校情報処理科を卒業した後、1986年任天堂に入社。初期は任天堂製造本部に配属され、宮本茂の下で様々なゲームの補助的なデザインを担当していたが、『夢工場ドキドキパニック』で初めて主要なデザインを手がけた。その後、登場キャラクターをマリオシリーズのキャラクターに差し替え海外で発売された『Super Mario Bros. 2』及び日本でも逆輸入として発売された『スーパーマリオUSA』(日本国内では『スーパーマリオブラザーズ3』)で初めてディレクターとして携わった。それ以降スーパーマリオシリーズなどでディレクター業を担う中、マリオシリーズのキャラクターがカートでレースを繰り広げる『スーパーマリオカート』を開発し、大ヒットを収めた。2003年には、任天堂情報開発本部制作部第1グループのマネージャーに配属され、『nintendogs』や『マリオカートDS』で初のプロデュースを担当した。[1]マリオカートシリーズでは、『マリオカート ダブルダッシュ!!』を除き全作品に携わっている。[2]

作品

関連項目

脚注

  1. ^ 『マリオカートDS』開発スタッフインタビュー
  2. ^ 社長が訊く『マリオカートWii』