筑後大石駅
筑後大石駅 | |
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新設された駅舎風の待合室(2011年5月2日) | |
ちくごおおいし Chikugo-Ōishi | |
◄うきは (3.0 km) (6.1 km) 夜明► | |
所在地 | 福岡県うきは市浮羽町高見 |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
所属路線 | 久大本線 |
キロ程 | 33.0 km(久留米起点) |
電報略号 | ホイ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1931年(昭和6年)7月11日[1] |
備考 | 簡易委託駅(駅舎外発券) |
筑後大石駅(ちくごおおいしえき)は、福岡県うきは市浮羽町高見にある、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線の駅。
歴史
- 1931年(昭和6年)7月11日 - 鉄道省(国有鉄道)の駅として開業[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR九州に継承。同時に無人化[1]。
- 2007年(平成19年)1月26日 - 旧駅舎解体。
- 2012年(平成24年)
駅名の由来
開業当時の駅の所在地が「浮羽郡大石村」だったことによる。これに旧国名の「筑後」が付けられた。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。久留米方より側線が延び、その先には保線用機関車の車庫がある。1968年9月までは当駅折り返し列車も設定されていた。
駅の交換設備は1971年に用途廃止、設備そのものは翌1972年に撤去され、今でも2番ホームが草の中に残っている。また貨物ホームは1980年代ごろに廃止され(貨物ホームとして使用したのはそれ以前と思われる)半分土に埋もれた状態になっている。
駅員は最盛期には10人近く配備され、1970年頃で4人、その後無人化となる1984年まで2人、JR移行の直前までは暫定措置で1人が配備されたが、JRになってからは不在となった。現在は駅前の古賀商店に切符販売を委託する簡易委託駅である。駅の清掃も同商店が行っており、花壇の整備は地元の老人会が行っている。
開業当初からの木造駅舎は、2007年1月26日より解体され、同時にホームのかさ上げ工事も実施された。駅舎は末期には駅入口の屋根が老朽化で撤去された状態となっていて、同時に入口の自販機も撤去されていた。またさらに以前には駅舎横に倉庫があったがこれも撤去済みで、基礎のコンクリートをうかがうことが出来るのみである。近年、改札口横の電光式の駅名標が漏電により発火し、駅名標周囲の窓や壁などが焦げたがのちに修復された。
駅舎跡地には、うきは市が鉄筋コンクリートの待合室を建設、事実上の新駅舎として機能しているが駅名の表示は一切なく、時刻表も駅舎の外に掲げられているなど、公式には駅舎ではない。
利用状況
2009年度の1日平均利用客数は320人である[5]。
駅周辺
周囲は住宅地や田畑が多く、駅から徒歩1分の場所(うきは市浮羽町高見字川上)には、かつて筑後大石駅員用の鉄道官舎があったが、現在は上田内科胃腸科医院になっている。駅の横には大石保線区がある。
- 筑後川温泉
- 五庄屋遺跡
- 日本精工九州
- 福岡県道732号筑後大石停車場線
- 起点:筑後大石駅、終点:福岡県道749号保木吉井線交点
- うきはバス -高見(駅前)停留所
- 山春線が発着する。
隣の駅
脚注
- ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 27号・豊肥本線/久大本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月24日、24-25頁。
- ^ “日田彦山線が復旧”. 大分合同新聞(朝刊) (大分合同新聞社): p. 27. (2012年7月26日)
- ^ “九州北部豪雨/被災地 懸命の復旧作業/JR久大線 一部で代行輸送”. 読売新聞(朝刊) (読売新聞社): p. 31. (2012年7月16日)
- ^ “久大線が全線復旧”. 大分合同新聞(夕刊) (大分合同新聞社): p. 11. (2012年8月25日)
- ^ 第1次うきは市総合計画 後期基本計画 第3章 人が過ごしやすい生活基盤の整備 第2節 公共交通の整備
関連項目
外部リンク
- 筑後大石駅(駅情報) - 九州旅客鉄道