田黒 (ときがわ町)
田黒 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 比企郡 |
市町村 | ときがわ町 |
標高 | 68 m |
人口 (2011年(平成23年)1月1日現在) | |
• 合計 | 608人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
355-0343 |
市外局番 | 0493 |
田黒(たぐろ)は、埼玉県比企郡ときがわ町の大字。2011年1月1日現在の人口は608人[1]。郵便番号355-0341。
地理
ときがわ町北東部、旧玉川村北東部に位置する[2]。北東で嵐山町遠山、東で嵐山町鎌形、南で玉川、西で五明、北西で小川町下里と接する。都幾川左岸及び槻川右岸に位置し、外秩父山地の東縁からなる山間地にあたる[2]。北東部には小田原北条氏の家臣遠山光景の居城と伝えられる小倉城址(国の史跡「比企城館跡群」のうち)があり、城の北面は槻川の浸食で天然の要害を成している[2][3][4]。地質的には約1万7500年前に発達した泥炭質粘土層である田黒泥炭層で知られ、淡水産の珪藻化石が多数産出しており、当時は沼沢地であったことを裏付けている[5]。地内道元平には県天然記念物のウラジロ群落がある[2]。小字は入・小倉・正山・長坂・日向・菩提・前田等が挙げられる。また行政区としては田黒と小倉に分けられている。
河川
歴史
室町時代末期、小田原北条氏の家臣遠山直親によって小倉城(字小倉)に拠っており、永禄7年(1564年)、直親が江戸城に移って後はその子光景の居城となった[3]。この小倉城は天正・元亀年間に遠山光景によって整備されたが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉による小田原征伐により松山城が落城した際にともに落城したと伝えられている[3]。
江戸期初めには天領、慶安2年(1649年)に一部が熊野神社の別当として大福寺領、元禄9年(1696年)より天領分が旗本金田氏の知行となった[2][6]。村高は『武蔵田園簿』によれば101石余、『元禄郷帳』では165石余、『天保郷帳』でも165石余[2]。文政10年(1827年)に指定された関東取締出役支配下の組合村においては近隣の村々とともに玉川寄場組合に属した[2]。用水は天水を貯めて灌漑を行っていた[2]。また、和紙・小川紙の産地としても知られた[2][7]。
1889年(明治22年)の町村制施行により、玉川郷・五明村・日影村と合併し、田黒村は玉川村の大字となった[5]。さらに2006年(平成18年)玉川村の都幾川村との新設合併により、ときがわ町の大字となった[8]。
沿革
- 室町時代 - 小田原北条氏の家臣、武蔵遠山氏が小倉城に拠っていた。
- 天正・元亀年間 - 遠山光景によって小倉城の城郭が整備される。
- 天正18年(1590年)- 小田原征伐により小倉城が落城する。
- 江戸時代初期 - 比企郡田黒村が天領となる。
- 慶安2年(1649年)- 一部(5石余)が大福寺(熊野社)領となる。
- 元禄9年(1696年) - 天領分が旗本金田氏の知行となる。
- 文政10年(1827年) - 玉川寄場組合に属する。
- 慶応4年(1868年) - 武蔵知県事に属する。
- 明治2年(1869年)1月13日 - 品川県に所属、同年4月に韮山県に移管される。
- 明治4年(1871年)- 入間県に所属、入間県比企郡田黒村となる。
- 明治5年(1872年) - 大区小区制の施行により第五大区第八小区の所属となる。
- 1873年(明治6年) - 入間県が群馬県と合併し、熊谷県の所属となり、南第五大区第八小区の所属となる。
- 1876年(明治9年) - 埼玉県の所属となる。
- 1879年(明治12年) - 郡区町村編制法により大区小区が廃止され、比企郡の所属となる。
- 1884年(明治17年) - 連合戸長役場制の実施により玉川郷・日影村・五明村と連合して玉川郷連合戸長役場を設置。
- 1889年(明治22年) - 町村制の施行により日影村が玉川郷・日影村・五明村と合併、比企郡玉川村大字田黒となる。
- 2006年(平成18年) - 玉川村の都幾川村との合併により、ときがわ町大字田黒となる。
交通
鉄道
鉄道は地内を通っていない。JR東日本八高線明覚駅及び東武東上線武蔵嵐山駅にバスの便がある。
バス
道路
施設
- 田黒農村センター
- 田黒地域運動場
- 明王院 - 新義真言宗の寺院[2]。
- 大福寺 - 天台宗の寺院[2]。遠山光景の内室・大福御前の位牌が安置されている[3]。
- 諏訪神社 - 旧・田黒村の鎮守[2]。毎年9月28日には草相撲が行われる[2]。
- 日枝神社
脚注
- ^ 町(丁)字別人口調査-ときがわ町、2011-09-26閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』、角川書店、1988年7月再版、P541,PP1348-1350
- ^ a b c d 『日本城郭体系 第5巻』新人物往来社、1979年8月、PP89-92。
- ^ 平成22年第2回ときがわ町議会定例会議事録(平成22年6月7日)、ときがわ町役場、2011-10-27閲覧。
- ^ a b 『埼玉大百科事典 第二巻』埼玉新聞社、1974年8月、P309。
- ^ 国立資料館本元禄郷帳では、旗本内藤領との記述がある。『日本歴史地名体系 11 埼玉県の地名』、平凡社、2004年12月15日オンデマンド版、P586。
- ^ 『日本歴史地名体系 11 埼玉県の地名』、平凡社、2004年12月15日オンデマンド版、P586。
- ^ ときがわ町誕生記念・2007ときがわ町勢要覧(1/2)(PDF)、2011-10-13閲覧。
関連項目
外部リンク
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